一緒に歩こう

一緒に歩こう

PR

Profile

白い倍音の魔法使い

白い倍音の魔法使い

Calendar

Comments

白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

Archives

November , 2025
January 10, 2021
XML
カテゴリ:
バンドマンの死までのドキュメントを見て、

重苦しい気持ちでベッドに入る。

 布団の中で仰向けになりながら、
お気に入りブロガーさんは「感動した、命を大切にしようと思った」
と書いているのに、わたしは同じものを見て
重苦しく辛い気持ちになった、
同じものを見たのに、なんで、感じることが180度ぐらい違うんだろう
と、そのことを考えた。


死を想うことは=母を想うことだった。
 死の本を読み、「メメントモリ 藤原新也」の写真展に行き、
「おくりびと」を見て感動し、著者の講演会に行きもっと感動し、
葬儀会社で働こうと面接にも行った。(採用されませんでした)
 死に近い現場である、ホスピスや、大学病院でボランティアもした。
医学生に授業で、母の闘病生活とそれを見届けた自分の体験談を話した。
死の近くにいることは、母の近くにいることだった。

 人はこうも簡単に泣けるものなのか、
涙で水たまりが出来るのを知ったのも、このときだった。

 宗教の発祥は「人の死への恐怖」からだと聞いた。

その答えを人に与えることで、人を救っている。

 宗教を持たないわたしは、今も問い続けている。
答えのない問いだけど、
答えがないから、自分が信じるものを見つければそれでいい。

 バンドマンの死が苦しく怖かったのは、

心は生きたいと叫んでいるのに、あまりに無情なガンに対する
怒りと恐れからだろうか、
 彼の心は彼だけのもので、最期の最期にどんな想いだったのかは
誰にもわからない、
それをこちらが勝手に推測して、哀れだと感じて泣くのは
とてもおこがましい。
なんて失礼なことだろう。
 なのに、わたしの心の反応は、感謝や感動ではなく
恐怖と苦痛だった。

 人は死後、生まれ変わる、天国・極楽に行く、
なんでもかまわない、
このどうしようもなく、行き場のない気持ちは
あぁ、きっと、彼は今頃、天国にいるのだと、そこで幸せに暮らしているのだと
あぁ、彼はいまごろ、私のそばにいてくれているのだと
そう信じることで、遺された人の心は救われる。

 ただ、わたしの場合は、どれもピンとこない。

 焦らなくても、死ぬときわかるから大丈夫、
なんて、悟りきったようにもわりきれない。

 だから、いまでもメメントモリ、

 死を想う
死に救いはありますか、

 死を想う、
死を想うことは、生を想うこと
正反対の言葉なのに、
それは近い、それは混在する。
 どちらもある、メメントモリ

にほんブログ村 主婦日記ブログ 50代主婦へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  January 10, 2021 03:15:07 PM
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: