真結日記(22週448g生まれ)

真結日記(22週448g生まれ)

真結(まゆ)の誕生

妻が2004年6月26日に切迫早産の危険性があり、緊急入院しました。

妊娠22週と1日目での入院。
21週と22週は「流産と早産」の境。

簡単に言うと、 妊娠21週以前で生まれてきた子は 救命の対象にならないのです。
妻は22週と一日で入院したので、早産の扱いにはなるのですがこの時点での生存確率は"0"に近かったのです。

それからは、"親の執着"と"医師の提案(意見)"が拮抗する 緊迫の状態が続きました。 しかも、数々の検査結果は 不安材料を増やす為の作業でしかなく

「障害が残るくらいなら次の妊娠の為にも・・・・」

と、早期分娩を促す医師と実母。
その言葉に耐えつつ生命力を信じて祈った一週間。

7月3日ついに破水。18時42分出産。産声のないまま、長女誕生。

分娩室の隣室で小児科の医師が私を呼びます。
ぐったりする小さな赤い人形の塊が力なく横たわっています。

「ああ、ダメだったんだ」と直感。
「ごめんね・・・・・・ありがとう」

ところが思いもかけず、医師からは 「心臓は動いています。  酸素を送ったら脈が戻ったので、できるだけのことはしてみようと思います」との言葉。

そのまま集中治療室(NICU)に消えていく未熟のわが子を見送る心は意外にも静かでした。 3時間後、医師からNICUに呼び出され、最後通告を覚悟して出向きました。

 「ひとまず元気に脈を打っています。しかし、一時間単位で状況は変わりますので油断はできませんよ。覚悟してください。」

"覚悟していた積もり"の心が揺らぎました。喜びとも不安とも言えない混沌の広がりが重く沈殿して心の底から消えません。
今、448gの彼女は4本のチューブと共に保育器の中でムニムニと動いています(新生児は誕生後、体重が減るので現在400g程度)。
チューブの先には、「強心剤」「インシュリン」「カルシウム」「成分輸血」など静かに逝ったほうが良かったのかもしれないと思うほどの薬漬け。皮膚は薄く毛細血管まで見えるし、その薄い皮膚からはたんぱく質が汗のように滲み 刻々と失われていきます。

「親のエゴだよね。頑張らなくていいからね」

と言いつつも、血圧と心拍数の安定を祈っていました。
【執着してはいけない】と思いながらも我が子の無事を願ってしまいます。

叶うなら、高くなった秋の空を 娘と一緒に見上げる日が来ますように。生存率31%を信じ続ける日があと4ヶ月続きます。


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