東京日仏学院にエリック・ハイドシェック ピアノコンサートを EYASUKOさん
と聴きにいった、 10月30日のこと
。
銀座で待ち合わせてランチを食べ、目黒の東京都庭園美術館に向かうて「パリに咲いた古伊万里の華」を観た。
一番興味を持ったのは、合子(ごうす)というのは蓋と身を合わせた小型容器の中に入っていたというポプリ。ガラスの器に移されて、眺めたり香りを楽しむことができる。とっても芳醇な香りがしてた。
ラベンダーとバラのような花びらが入ってるようやったけど、もっと複雑な香り。
いつから入ってたものかわからへんけど、少なくとも5年、10年は経ってるやろう。こんなに香りが続くものやなんて。
陶器しかなかった時代のヨーロッパにとって、景徳鎮の磁器の白さや薄さ、絵柄の華やかさはは高貴さの象徴としてえらいブームやったそうや。
明から清へ替わった変革期のなか、1656年に海禁令が出され周辺海域が封鎖されてしまう。磁器の輸出が中止されて困ったオランダ東インド会社が目をつけたのが、日本の有田磁器。
1659年10月15日にフォーゲルザンク号という船が、6000点近い陶磁器を積んで、長崎からヨーロッパへ向けて輸出されたのが最初やそうや。大石内蔵助が生まれた年や。
佐賀県の伊万里港から積み出されたので、伊万里焼と呼ばれるようになった。
最初はあっさりした染付の焼き物が多かったみたいやけど、景徳鎮の模倣をしたり、ヨーロッパの王侯貴族の注文で、どんどん豪奢な絵付けになり、大きくなっていく。
1670~80年代に最盛期を迎えたそうや。
そのなかで、「柿右衛門様式」や中国の模倣から始まった金彩をまじえた豪華絢爛な「金襴手」が完成されていく。
でも、その栄華も長くは続かなかった。
1684年の展海令などで景徳鎮窯の生産・輸出が再開される。そうなると、古伊万里は厳しい価格競争にさらされることになった。
質も下がっていき、最終的には1757年にオランダ東インド会社に対する輸出は停止される。
100年に満たない期間のことやった。
今回の展示から、その変遷がようわかる。
その後の日本経済の盛衰に通じるとこがあるなあ。
この期間があったからこそ、日本の陶磁器も技術革新し、美意識も高まったんやろう。
もうひとつ関心を持ったのは、これらのコレクター碓井文夫さんのこと。
海外に拠点を置いてビジネスをしているなかで、今から15年ほど前にパリの古美術の店で大花瓶に出会い、古伊万里の美しさに魅了されたそうや。
1994年に渡仏し、パリを生活の拠点として、熱心に輸出古伊万里の収集を始めはった。
コレクションを一般公開することを決めてから、17世紀中ごろから18世紀前半の品揃えの充実を図りはってんて。
1932年のお生まれという碓井さん。どんな方なんやろうなあ。
12月23日まで。
その後下記に巡回する。
九州国立博物館 2010年4月6日(火)-6月13日(日)
MOA美術館 2010年7月17日(土)-10月3日(日)
兵庫陶芸美術館 2010年10月16日(土)-2011年1月10日(月・祝)
紅ちどりの開花 0輪(総計 625輪)
原種ハイビスカスの開花 2輪(総計 204輪)
今日のラッキーくじは、どれもハズレやった。
3月末に始めたガーデニングパーツ。またまたまた本葉が出てきた「いつもありがとう」。
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