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間間0299

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2005年09月07日
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カテゴリ: カテゴリ未分類

介護問題。
介護する事が「問題」として扱われる。
その「問題」の最たるものが、「誰が介護するのか」というものではないだろうか?


生命は尊い。
が、その尊い生命が救われた後、長期間にわたり介護する事を必要とされる場合、
人は美しい事ばかり言ってはいられない現実にぶつかる。
実際の所、私の母はわずかながらでも回復の兆しを見せているので、苦労も報われるが
植物人間になってしまった家族や、徐々に悪化の道をたどり、いずれ死に至ると解っている家族を、何時までという期限も無しに介護し続ける事は、精神的に大変なストレスを生むことだろう。

「生きている事に意味がある」

が、これは真理だろうか?
憎くて殺してしまいたい人間の生にも、我々は意味を感じられるだろうか?
例えば小学校に押し入り子供たちを殺害した宅間(宅間氏すみません、いつも引き合いに出して)。
彼にも、同じ言葉が言えるだろうか?

つまるところ、この言葉を言えるのは、自分の愛する人に限られてはいないか?


次に、
愛する人の生そのものに意味を見つけたとしても、いざ介護を続けていくとすると、
家族のメンバーにも程度の差があるという現実にぶつかる。
ここに「介護問題」が生じてくる。
家族の一人に異常なまでの負担(負担という言葉が適切かどうかについての意見は割愛)が掛かってきた時、
当人は悲鳴を上げ、家族のメンバーに協力を要請するが、そんなに自分が思っている通り


我が家の場合も同じだ。

在宅を始めてから、私はこの異常なまでの「不平等」に苦しめられてきた。

例えばの話。
独身で我が家にいる兄の一人は、
「生きて帰ってきてくれるならば、喜んでおむつ交換をする!」


ところが、実際に母が戻ってくると、おむつ交換をはじめ
介護を積極的に行おうという気があまりない事が判明。

夜、8時半頃に会社から帰宅。
その時間、母は台所にいて食事中。
愛想よく「ただいま」と言った後、すぐに自室に向かい着替えと休憩に30分。
そして夕食を取り始めるのだが、その頃になると母の電池が切れ始める。
車椅子で母をベッドルームに移動し、歯磨き、トイレ、オムツ装着、車椅子からの移乗、
ベッドに寝かせて体位を整える、といった一連の作業の最中、兄は食事を終え悠々と
二階に上がり自室で休憩を取り、終わった頃に降りてきて母の寝顔を見てからお風呂にはいる。

最近まで私は本当に憤慨し、手伝いを要請したものだった。
すると、とにかくやっては来るものの、最中に
「もういいか? もういいか?」
と、聞き続ける。
あきれて物が言えない。

加えて週末は自分が世話をすると断言していたはずなのに、
ちょっと母を看るとすぐに自室に戻ってしまう。
結局母のそばにいる私が、世話をする事になるのだが、暫くして降りてきて言う事が笑える。
「xxxもやってくれたん? 呼んでくれればやったのに~」
子供じみた事を言うな、と言いたくなる。

正直、呼ばなくてはいけない事が、私にしてみればしんどいのだ。

先週末それで衝突。

兄にしてみれば、
「呼ばずに勝手にやるならやれば?」

私にしてみれば
「呼ばれるまでもなく、自分の任務を果たせば?」

何度かこういう食い違いを経験した。

@@@@@

そして私は腹を括った。
自発的にやらない限り、こちらからは強制しない。
私がやれば済む事だ。
不満を抱いて衝突するエネルギーがもったいない。


@@@@@

さて、ここまでは感情論。
どうして同じ親子でありながら、母に対する思いやりが異なるのか?
ずっと考えてきた。

一般的に、アフガニスタンで餓死寸前の子供のニュースを聞いて
いても立ってもいられなくなる日本人は少ないだろう。
「気の毒に」と思いこそすれ、会社をやめ、家族を捨ててアフガニスタンに飛ぶ人はまずいない。

なぜか?
我々とその子供たちに「距離」がありすぎるため、その消え行く命に対する執着を感じられないからだ。

その距離の差が、家族にも当然出てくるのではないか?

同性として、母との距離が近かった娘である私。
入院してから一日も欠かさず、母の命に寄り添ってきた私。
その私と母との距離と、会社帰りに30分ほど病院に立ち寄る兄と母との距離が
同じであるはずは無い。
母との距離が短い私は、その命への執着も強い。

そして、「愛」は絶対的に「正しい物」であるが故に、私が母にやっている事は、
兄が母にやっている事よりも「より正しいこと」と私は信じてしまう。
この「正しさ」を武器に、私は家族を堂々と非難する権力を得てしまう。

が、言われた方はどうか?

「自分と同じようにやらないといって文句を言われてもなぁ。 押し付けられているみたいで重い」
とならないか?
(立場が逆だったら、私だってそう思うだろう。「出来る事はやってるのに!」と・・・)

結果、
「お前がお前の方法でやりたいなら、人に押し付けず自分でやれば?」
となり、悪循環が出来上がってしまう。

@@@@@

さて、私は私の方法で母を扱いたい。
ここには
「世の中の誰よりも、母を知っている」
という自負があるからだ。
これは、家族にとってみればありがたいことには違いないだろうが、
矛先が自分の方に向き、「同じようにしろ」といわれた時、重荷以外の何物でもなくなってしまう。

とすると、同じようにやらないといって家族を非難する事は、結果的に母から家族を遠ざける事になりかねない。

そう思った私は、腹を括った。

私がいる限りは、私の方法で「私が」母を扱う。
家族がそれに協力しようがしまいが、私には関係ない。
私は私のやりたい事をやるまでだ。

そして、やりたくない事は一切やらない。

また、自分が家を空けるとき、家族が母をどのように扱おうと非難しない。

家族一人一人が、母との距離にふさわしい介護をすればよいのだ。

そう気づいてから、随分と気持ちが楽になった。

@@@@@

家に戻った母は、かかってくる電話を気にしたり、雨に濡れて帰宅した孫を叱ってみたりと、
家庭ならでは日常の中で、ゆっくりと回復に向かっております。
幸い発熱もなく体調も安定していますし、覚醒時間も少しずつ延びて来ている様子です。

本日、午前中は低血圧のため、目を開けることさえ辛そうでしたが、
夕方からは元気に起き出してきて、
【お献立】

* コーンポタージュスープ
* クリームコロッケ(かぼちゃ?)
*コーンポタージュ
*クリームコロッケ
*お茶

を頑張って食べました。

かーちゃん、この調子でがんばってくれ~!








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最終更新日  2005年09月08日 02時22分26秒
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Re:わたしがやる。(09/07)  
☆なるい☆  さん
気持ちはすごくよく解る!
大体始めは口では「やる」と言うけれど、
現実にそれが続くと大抵の人は音を上げます。
私の知り合いに姑さんを看てる人がいるけれど、
ご自分もリュウマチで体の言う事が利かないのに、
自宅介護してます。
毎日 二時間おきの体位交換にオムツ換え、食事などそれは聞いていてもご苦労がわかります。
でも介護する側にとってはそれが一番自分にあった介護の仕方だと思うのですよね。
一生懸命やっても、チョコット覗くだけでも、
当人にとっては介護と思ってるふしがあります。
我が兄もそうでした。

私が前に言ったように早くリズムを作って
自分の時間を上手に使って欲しいという意味が
多分これから解って貰えると思います。

ファイト~~~~!
(2005年09月09日 01時20分10秒)

なるいさん  
間間0299  さん
なるいさんの仰る事が一日も早く理解できるように、
日々精進を重ねていきたいと思っています。

ところで、お義母さまのお引越しは落ち着きましたか?
(2005年09月09日 02時01分27秒)

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