michi草。

michi草。

オトギバナシ



5月って何かがつらくなるというのはやっぱり本当で
その年の5月 私はひどく疲れてた

4月に新しい環境になって 最初のうちはまぁそれなりにがむしゃらで
だけど思うようにいかない現実に
思ってたより 自分がダメだという事を認識し始めて
今まで何でもそれなりに上手くやってて それが出来る人間だと思ってたのにそう
じゃないってことを
自分自身がそれに気づいてしまうこと程へこむものはない

弱音の吐き方を 今以上に知らなかったので
小さい頃遊んだ けど大きくなったらもう行く事のなかった山の方へひとりでふらり
とでかけた5月の連休
疲れて疲れて 友達にも会う気にもなれなかった ちゃんと笑える自信がなかった

住宅地の開発の途中で不動産だか建設会社だかの倒産かなんかで止まってしまった荒

坂道の上に突然広がる空き地
しゃがみこんで膝を抱えてぼんやりとしてたら 足元にある小さな芽を見つけた
それは野ばらの小さな芽

荒れ放題伸び放題の雑草にまみれて日さえ届かないのかもしれない小さな芽がなんか
自分の小ささと重なって
息をしたいのに上手くできないというか 陽射しさえ届かない感じ
あぁまさにこんな感じ、と思ったら愛しくなって
周りの雑草を少し抜いてやりながら
枯れんなよ、と思った

枯れんなよ
もっと強くなれよ
周り蹴散らしてでも生きてかなきゃいけない時もある んだから

と、
それは多分、自分に言ってた言葉



それから数年間そこにいくことはなかったけど
野ばらはいつも胸にあった
弱いので 自分が枯れそうになることはそれからも何度も何度もあって
そんな時いつもあの野ばらを思い出した
枯れてるかもしんない 踏み荒らされたかもしれない
開発がもう一度始まって抜かれたかもしれない
枯れたのをみせられるのは怖かったし 
あれはただの象徴で 自分の中で枯れなければいい、と言い聞かせながら
忘れたり 思い出したりしながら
そうちょうど 遠い友達を思うように


それから数年たって その時の混沌としたトンネルからは這い出せてから
巡ってきた5月の連休 あの空き地に行こうと思った

少し怖かった
けどすごい行きたかった
何故かひどく緊張しながら坂道を登って




私は あの日のように座りこんで 今度は泣いた。






そこにあったのは空き地を埋め尽くす一面の野ばら。




溢れ出す涙にはいろんな想い
咲いててくれた嬉しさと その強さへの尊敬と 
そして単純に 白い花は可憐だけどとても強く逞しくて綺麗だったんだ

それはまるでオトギバナシのような本当の話。


もちろんそれは私の野ばらではなかったかもしれない
よく知らないけど野ばらというものは並外れて繁殖力が強くてそれは当たり前のこと
なのかもしれない
あれから魔法が解けたように急にその空き地は開発が始まって
今は知らない人の家が建って 三輪車が走りまわるただの一軒家になった
狭い庭にはチューリップの植木バチ
そこには野ばらはもう咲かない

だけど私はこれから何年生きてもあの白い花の揺れる風景を忘れない





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