八王子千人隊
幕末の八王子千人同心は、八王子千人町の拝領屋敷に住む95名以外は、武蔵国及び相模国の6郡46ケ村に分散していた。
千人同心は、八王子周辺に置かれた幕府直轄の郷士集団であり、起源は甲斐武田氏の小人頭とその同心である。はじめは甲斐国境の警備の役であったが、後には日光火の番が主な任務となり、普段は農業に従事していた。
組織は10人の千人頭の下に、10人(寛政以後は、9人)単位で100組から構成されていた。
当初は老中の直属であったが、享保以降は槍奉行の支配下となった。
千人同心は役目についている時は武士の身分として扱われたが、そのほかは百姓の身分であった
時代が経つにつれ、窮乏から同心株が頻繁に売買されるようになり、千人同心は広範囲にわたり分布するようになった。