NHK大河ドラマ「新選組!」あらすじ 1

※あらすじ(1話~25話)


 今日からNHK大河ドラマ「新選組!」がはじまり第1話として、「黒船が来た」が放映された。
 以下、毎日新聞からその一部について抜粋を記載すると
 『幕末の京都での切り合いから始まり、一転して10年前のペリー来航時、自分が何をしていいか判らない近藤勇や土方歳三、坂本龍馬が、黒船を見て仰天し、生き方を真剣に考える。』とある。
 ドラマのストーリーは別にして、正直なところ今まで何回となくみてきた映画や読書での新選組人物像と重ならず、やや戸惑いを感じる。
 しかし、最初の1話であり早計に論ずることはできない。
更にはそれぞれ書く人、見る人の主観があり、一概に側面や一視点のみで言えないので今後のドラマの推移を見ていきたいと思う。


2話、多摩の誇りとは 01月18日(日)

 今日は、NHK大河ドラマの2話目で「多摩の誇りとは」が放映された。
 午後から外出したため放映時間に間に合うよう帰宅したが、誠に残念なことに急遽メールを送信しなければならなくなり殆どテレビを見ることができなった。
 今の状況は、多摩における近藤と土方の生き様やかかわりの様子を捉えているように思う。
 来週は、見過ごしのないようにしたい。


3話、母は家出する 01月25日(日)

 今日の話の筋は、周助が独断で勇の縁談を決めようとしたことが原因で夫婦喧嘩となり、周助の「わしが決めたことには黙って従え!」という一喝で、ふでが家出する。
 天下国家のために何かしなければと考えている勇にとって、頭痛の種である。
 家出したふでを説得に行った勇は、ふでから「侍を気取るのは止めて己の出自、身の程をわきまえよ」と厳しい言葉を浴びせられる。
  ふでが自らの出身に激しい劣等感を抱き、同じ農民出身の勇に対する複雑な思いである。
 一方薬の行商をしている歳三は、詐欺まがいの道場破りで町道場に薬を売りつけていたのを相手に知られ、門人たちに袋叩きにされる。
 全身傷だらけで勇の前に現れた歳三は、「強くなりたい。試衛館に入門させてくれ。俺は武士になりたい」と勇に頼み込む。


4話、天地ひっくり返る 02月01日(日)

 勇の婚礼が推し進められる。が、
 試衛館道場は台所が厳しく勇は、稽古代の払いが滞っている門人・広岡の借金取立てに向かう。
 そこで芹沢鴨に会い、彼は”明日の朝を楽しみにしていろ、天地がひっくり返るぞ”と言い残して去った。
 一方、勇の留守の間に井上源三郎が道場破りと勘違いした北辰一刀流の山南敬助に「天然理心流の名を高める好機」とばかりに歳三が、塾頭の惣次郎(総司)と手合わせをさせるが、敗れる。
 翌朝、「江戸城桜田門外で、大老・井伊直弼が水戸浪士達に暗殺される」事件が起きた。
 現場に駆けつけた勇は、雪のなかに無残な亡骸と共に自害した広岡の姿を見つける。
 「天地ひっくり返る」とは、即ち「時の大老・井伊直弼を暗殺した”桜田門外の変”」である。


5話、婚礼の日に 02月08日(日)

 安政7年(1860年)3月29日。
 27歳の勇と武家の娘・松井つねとの婚礼の日がきた。
 多摩から祝いに駆け付けた実兄の宮川音五郎から、代々受け継がれてきた下帯を譲り受ける。
 一方、江戸の名だたる道場へ案内状を送ったにも関わらず道場関係の出席者がいないことに歳三は苛立ちを隠せない。
 また、呼んでもいない捨助が魚屋を引き連れて現れたり、練兵館道場の桂小五郎が主役気取りで時勢を演説したりと、祝宴は大賑わいとなる。
 さらには、祝宴の最中に手傷を負った山口一が逃げ込む。
 一度は勇から借金して逃走を図るが、追っ手の役人たちを交わし切れずに再び試衛館に舞い戻って来る。
 一を匿うことを決意した勇と押しかけた役人たちとの間で一悶着起きるが、桂の口添えもありその場を切り抜ける。
 一を江戸から逃がすため、勇は水戸浪士・芹沢鴨を訪ねる。


6話、ヒュースケン逃げろ 02月15日(日)

 万延元年(1860年)9月30日。
 勇は、周助に伴われ歳三と共に府中の六所明神で奉納試合を行う。
 多摩の豪農たちから多額の祝儀を受け、懐が暖かくなった勇と歳三は立ち寄ったそば屋の近くに米国公使通訳のヒュースケンと親しくしてるお富が住んでいることを知る。 お富を一目見ようと家を張り込むが、浪人風の男たちに捕らえられてしまう。
 男たちは攘夷思想の持ち主でお富の家を訪れるヒュースケンを亡き者にしようとし、口封じのために勇と歳三の命を奪おうとする。が、
 偶然、一味の中にいた永倉新八のとりなしで危ういところを救われる。
 凡そ三年ぶりの再会であったが、勇は「永倉が、金目当てに闇討ち同様にヒュースケンを葬り去ろうとしている」ことを知る。
 勇と歳三は、ヒュースケンに命を狙われていることを知らせる。
 話しをするうちに、ヒュースケンの日本を思う気持ちとその心にある武士道精神に感銘を受け、外国人に対する考えを変える。
 勇は何とかヒュースケンを助けようとするが、襲撃者たちは説得に応じない。
 結局、勇の一本気な純真さに心を打たれた永倉の寝返りで、襲撃者は退散する。
 勇は永倉に「客分として試衛館に迎えたい」と誘う。


7話、祝四代目襲名 02月22日(日)

 文久元年(1861年)8月27日。
 勇の四代目襲名披露のために、府中六所明神に集った天然理心流の全門弟達が紅白に分かれて野試合を行う。が、
 歳三や山南の差配、総司の活躍などで試衛館が圧倒的な強さをしめす。
 その夜は府中の旅籠で四代目襲名の宴会が催された。
 宴もたけなわになった頃、周助から「勇が、桂小五郎の推薦で幕府の講武所・教授方になれそうだ」と明かされ、皆は大いに盛り上がる。
 そんな中、いつの間にか宴席に紛れ込んでいた原田が、勇の人柄に惚れ込んで「試衛館の客人になる」と宣言し、一同を驚かせる。   
 そこへ、勇に直接祝いの言葉を伝えようと、坂本龍馬が訪ねて来る。
 龍馬は勇に土佐勤王党の血判状を見せて、攘夷決行の行動を起こそうとしていることを告げる。
 だが勇は、外国人の命を奪うとの考えに賛成できずに龍馬に翻意を迫る。
 ところが、そのやりとりを覗いていた捨助が血判状を奪ったことから、抜刀した勇と龍馬が対峙する事態となった。
 勇は、妻から背中に髑髏の刺繍がある剣道着を手渡される


8話

 見過ごしの為、未記入


9話、すべてはこの手紙 03月07日(日)

 文久3年(1863年)1月17日。
 勇が妻・つねとの間に長女・たまを授かってから数か月が経ち、講武所の教授方見習として推挙され初出仕する日となった。
 藤堂平助を伴い家を後にした勇は、講武所にて「推挙の事実ない」と言われ門前払いにあう。
 事情も分からず意気消沈していた勇は、街中で坂本龍馬と再会する。
 土佐藩を脱藩し今は幕府軍艦奉行並となっている勝海舟に師事しているという龍馬は、勝の屋敷で勇たちを勝に引き合わせる。
 そこで勇は佐久間象山とも再会するが、覚えがないと言われる。
 また、勝と象山の先進的な話には全くついていけない勇であったが、講武所の話を反故にされたのは、”もとは百姓だからだ”と勝に指摘され、ようやく事の真相を知る。
 再び講武所に押しかけた勇は、自分は農民ではなく武士であると抗弁するが全く聞き容れられない。
 さらには、佐々木只三郎から「お主は武士ではない」とまで言い切られる。
 勇は講武所の話は流れたと妻に告白し、歳三にも話しをするが”己の立場に虚しさ”を募らせる。


10話、いよいよ浪士組 03月14日(日)

 勇は、山南の仲介で浪士組取締役の山岡鉄太郎を紹介され、浪士組結成の献策をした清河八郎に会いに行く。
 涙ながらに浪士組への参加を要請された勇は、大いに感激し「心で武士になる」と誓い「浪士組として上洛したい」と、養父の周斎に談判する。
 周斎から「本当の親子になった気がする」と言われ快諾を得る。
 さっそく歳三と計らい試衛館門人から同行する有志を募るが、食客以外の門人たちは浪士組加入に難色を示す。
 反面自分も浪士組に加わりたいと考えていた沖田は、勇から「塾頭として江戸に残るように」と厳しく申し渡される。 
 勇たちは、浪士組最高責任者の松平上総介を訪ね、浪士組結成についての真意を問い質す。
 上総介は勇たちに覚悟の程を伝え、試衛館の者たちの厚遇を約束する。
 文久3年(1863年)2月4日。
 浪士組入隊受け付けの日、会場の伝通院では、予定数を大きく越える浪士たちで溢れ返っていた。
 「これでは約束した支度金を浪士たちに払うことができない」と、上総介は仮病を使い役目を放棄してしまう。
 勇の「百両が十両になっても、気が変わらない」と一言いい、後をつけてきた総司に共に行くことを許す。


11話、母上行ってきます 03月21日(日)

 文久3年(1863年)2月5日、江戸。
 勇らが浪士組として京へ出立する日が迫り、つねと連れ立って養父・周斎の隠居所を訪ねる。
 快く送り出そうとする周斎だが、養母のふでは相変わらず厳しい言葉を浴びせる。が、
 勇は「心だけは武士でありたい、武士以上に武士らしく生きることが自分の願いだからだ」と答える。
 さらに、道場の支援者である小島鹿之助から、上洛を思い留まるよう説得されるが、決意を変えない。
 試衛館の食客が挨拶や身辺整理に追われている。
 一方では、総司の姉・みつが”皆を案じる気持ちと自分が浪士組に参加できない悔しさから”何とか出立出来ないようにと、画策する。
 歳三や源三郎らとともに多摩の縁者に挨拶回りに赴いた勇は、その足で実家に立ち寄る。
 兄の宮川音五郎から名刀・虎撤を贈られる。
 勇らはすぐに二十両の刀が本物ではないと見破るが、自分の旅立ちを精一杯の気持ちで送り出そうという兄の厚意に胸を熱くする。
 また、歳三の姉・のぶから、弟をうまく使ってくれるよう頼まれる。
 その頃、浪士組設立の首謀者・清河八郎は、生涯の友である山岡鉄太郎に”浪士組を己の目的である尊王攘夷を成就させるために使う”と本心を打ち明けていた。
 翌日、ふでの呼び出しを受けた勇は、つねと二人で隠居所へ向かい”貴方と同じ百姓の出である”と聴かされ、「武士よりも武士らしく戻って来なさい」と励まされる。


12話

 見過ごしの為、未記入


13話、芹沢鴨、爆発 04月04日(日)

 文久3年(1863年)2月10日、中山道・本庄宿。
 京都へ向かう浪士組の本隊に先行し、必要な宿の確保に奔走していた勇であった。が、
 思うようにいかず途方にくれていたところへ駆けつけた歳三が、試衛館の面々を動員し何とか全員の宿を確保する。
 勇の存在を認めさせ”浪士組内で確たる地位に就かせたい”と考える歳三は、勇を支えることに全力を傾注する。
 しかし、浪士達は一筋縄ではいかぬ我がまま者ばかりで、宿泊の宿振りにいろいろな注文をつけて来る。
 冷静沈着な山南ですら、横柄な浪士との間で一触即発の事態ともなる。
 また、芹沢鴨は、普段から佐々木ら幹部に反発し道中でも素行不良を繰り返していた。
 反面、佐々木は宿振りを利用して芹沢を仲間と切り離そうとする。
 その夜、芹沢が宿場で巨大な焚き火を始め宿場中が騒然となる。
 事態を収めようと勇は、燃え盛る炎を前に身体を張って芹沢と対峙する。が、
 芹沢の行動は、人物を見極めるものだという。
 この行為に対し、幹部の心の中に近藤勇が刻み込まれる。


14話、京へ到着 04月11日(日)

 文久3年(1863年)2月23日、京。
 勇や芹沢たちは、京都郊外の壬生にある八木源之丞邸に寄宿することになった。
 八木家では、万一に備え娘のひでに男装させることにした。
 勇ら浪士組が到着した京都では、足利将軍家の木像の首が三条河原にさらされるなど”長州を中心とした尊攘浪士の暗躍により治安が乱れており”京都守護職・松平容保は京の治安回復に頭を悩ませていた。
 八木家で早速、芹沢が我がままをいいだす始末である。
 京に到着した浪士組の主だった者は、清河八郎に呼び出され「朝廷への建白書を提出するので署名するように」言われる。
 しかし、幕府ではなく朝廷に忠誠を誓うことを願い出るという内容であることに気づいた山南は、清河の後ろ盾になっている山岡鉄太郎に真偽を確かめるべく迫る。が
 「以後浪士組は、幕府ではなく朝廷のために尽力する」と清河に言い切られる。
 一方芹沢は沖田を連れだし京都の町へ出かけ、諍いで不逞浪士を斬ってしまう。
 勇たちは、八木家の家族に剣術を教えていた。


15話、行くか、残るか 04月18日(日)

 文久3年(1863年)2月29日、京。
 清河八郎の真意が、“浪士組の身命は、朝廷のために捧げる”ことであっことが判る。
 佐々木只三郎らは清河の思惑通りにさせまいと、浪士組全員の江戸帰還を決め清河を斬ると言い出す。
 また、京都での生活を始めた勇らは、寄宿する八木邸の主人・源之丞ら家族から毛嫌いされていた。
 用心のため男装している八木家の一人娘・ひでは、総司たちから男だと思われ、剣術の指導を受けていた。
 一方、山南からもたらされた情報で浪士組の江戸帰還が決まったと知った歳三は、京都に残って”自分たちだけの浪士組を作ろう”と勇に持ちかける。
 また、試衛館の面々の同意を得る。
 しかし、清河が浪士組の面々を集めた場で江戸への帰還を宣言すると、勇たちだけでなく芹沢までもが清河に反旗を翻して京都に残ると言い出す。
 「浪士組が京都を後にする」と聞いて胸をなでおろしていた八木家の人々は、勇たちが残留すると聞き落胆する。
 自分たちの進む方向を定めた芹沢らは、「清河を斬る」と息巻く。が、
 芹沢たちに斬られる前に連れ戻そうと、勇らは清河を追いかける。
 山南は斬りあいを演じて清河を逃がす。


16話、一筆啓上、つね様 04月25日(日)

 文久3年(1863年)3月28日、江戸。
 京都の勇から、江戸にいる妻・つねのもとに一通の手紙が届く。
 その文面から、近藤周斎とふでそして沖田みつらは、京都での勇たちの奮闘ぶりに感激する。
 京都では「将軍警護」を理由に京に留まろうとする勇や芹沢らの動きが原因で、浪士組が身動き取れない状況にあった。
 その間に自分たちで新たな浪士組を結成しようと歳三ら試衛館の面々が、仲間を増やすための勧誘を始めた。
 斎藤一(山口一改め)も勇に誘われる。
 一方、勇たちが寄宿する八木家では、勇らが幕府の預かりではなくなることから生活費の面倒まで見る羽目になり、八木源之丞ら一家は困惑する。
 また、勇らと行動を共にして京都に残留した芹沢鴨は、八木邸からほど近い前川邸に暮らしていた。
 そんな折、山南の発案で勇と芹沢は会津藩主・京都守護職の松平容保に面会を求め、会津藩のお預けとなる。
 上洛して二条城に入る将軍家茂の警護をしようと意気盛んな勇たちであったが、遠くから野次馬と一緒に行列を見物することしかできなかった。
 ”上様に声をかけた”として久坂を詰問する。
 京へ残る勇たちの動静を監視する者を残し、浪士組は江戸へ出立する。


17話、はじまりの死 05月02日(日)

 文久3年(1863年)3月25日、京。
 会津藩お預かりとなった勇や芹沢ら浪士組は、会津藩主・松平容保に謁見し励ましの言葉をかけられる。
 また、会津藩側から「勇たちが身を寄せている壬生の地に伝わる 壬生狂言 を一緒に鑑賞して親睦を深めたい」との提案があった。 
 一方歳三は、勇に頭になってもらわねば困ると談じこむ。
 浪士組の正式名をどうするか、誰を組長とするかで、試衛館の面々と芹沢一派、根岸友山一派の主導権争いが持ち上がった。
 市中見回りに赴く勇たちに芹沢の許しを得たかと、ちょっとした諍いが生じる。
 八木家では相変わらず、剣術の稽古が実施されていた。
 夜、八木家の当主・源之丞が狂言を披露している最中に、浪士組の一員・殿内義雄が、江戸に帰還した佐々木只三郎の命を受けた見張り役であることが発覚する。
 「殿内を斬る」と息巻く芹沢を制した勇は、殿内に会って事情を聞き「上様のために一緒に働こう」と諭す。
 殿内は、勇の説得に従い京に残って浪士組の一員として忠勤に励むことを約束する。が、
 「佐々木に、事の経緯を正直に話した上で再度上京する」との書置きを残して旅立った殿内を、芹沢が斬ったことから事態は急転する。
 勇は「誰が斬ったか、不明」と全員に達するが、"誰が斬ったかは明らかだ"と不服を唱え、これでは統制が取れないと隊を抜けてゆく者がでる。


18話、初出動!壬生浪士 05月09日(日)

 文久3年(1863年)4月1日、京。
 坂本龍馬が壬生の八木邸で、勇や歳三に「日本の将来のためには海軍が必要だ」と話す。
 一方、浪士組では試衛館の面々と芹沢らとの間で、誰を組長(山並の提案で局長)にし誰を副長にするかなど、内輪の主導権争いが続いていた。
 そこで、いろいろな役職を設け、複数の者を割り当てることにした。
 総司は前川邸に居候しているお梅に手紙を届けるが、そこに芹沢も一緒にいたため不信に思う。
 八木源之丞ら壬生の名主達は、”村の風紀を乱す者”としてお梅に村を出て行くよう話しをするが、芹沢の”浪士組預かりとする”との一言で、お梅は八木邸に移ることになる。
 また、平助は、勇から「浪士組の結束を固めるために、芹沢一派との親睦を深める手立てを考えるように」と命じられ、相撲で交流を図ろうと考える。
 その頃、京の町では、長州の久坂玄瑞らが幕府を揶揄する“数え歌”の立て札を設置していた。
 激怒した京都守護職の松平容保は、浪士組に立て札の撤去を命じる。
 勇は、断固取り締まるべしという芹沢らとともに出動する。


19話、通夜の日に 05月16日(日)

 勇らが世話になっている八木家の姑・久が病床にあった。
 源之丞をはじめ家族らが見守る中、左之助が呼ばれ、久に「わしや、万太郎や」と声をかける。
 左之助のやさしさに感謝しながら、安らかに息を引き取る。
 その翌朝、文久3(1863年)4月8日 京。
 勇と歳三が申し出て、久の葬儀一切を浪士組で取り仕切ることになった。
 勇のもとに大阪から、お幸が訪れる。
 歳三と山南の差配で段取りが決められていく。
 総司が、お梅に呼ばれ酒を馳走になっているところへ来合わせた芹沢に侮辱される。
 通夜の準備が進む中、永倉は島田魁を勇に引き会わせる。
 浪士組への入隊を志願する島田を、勇は快く引き受ける。
 そんな中、芹沢の狼藉が勇や歳三の耳に入る。
 また、“立て札”の一件で因縁のある長州藩士・久坂玄瑞が仲間を引き連れて弔問に訪れる。
 八木家とは何の関わりもない久坂が姿を見せたことを不審に思う勇たちに対し、久坂は「自分たちの邪魔をするのか」と浴びせる。
 「上様をないがしろにすることは許せない」と勇は言い返し、一触即発の剣幕となる。
 一方、通夜の手伝いを頼まれた島田は僧侶を迎えに出向くが、京の街は地理不案内で右往左往していた。
 葬儀が無事終わり、源之丞は勇や歳三そして総司に対し感謝の意を述べ、男装して秀次郎と名乗らせていた娘を改めて紹介する。
 勇と歳三は、芹沢に迷惑をかけるような行為をしないよう嗜める。


20話、鴨を酔わすな 05月23日(日)

 大坂沖へ向かう将軍警護のため勇たち浪士組は、「この機会に」という芹沢の提案で揃いの羽織を新調することになった。
 勇の意見で柄は赤穂浪士の討ち入り装束と同じ“だんだら模様”に、色はお梅の意見でアサギ色に決まり、金は芹沢が都合することになった。
 文久3年(1863年)4月21日、大阪。
 勇たちが大坂へ出立した日、芹沢は、浪士組に帯同している会津藩の広沢富次郎から”強引な方法で商家から金を借りていること”を非難される。が、
 逆に”金を出さない”と詰る。
 一方、歳三の命を受けて壬生に残留した山南や総司らは、 芹沢一派が不在の間に勢力を拡大しようと画策し、新入隊士の募集を行い河合耆三郎や松原忠司らを加入させる。
 大坂では、龍馬が勇の宿を訪ね「清河八郎が江戸で佐々木只三郎によって暗殺された」と話す。
 その後、勇らは龍馬の誘いで長州の桂と顔を合わせる。が、
 初対面の芹沢と桂の間で諍いが生じ、桂が芹沢の“幕府のおよび越し”との発言に憤慨したため両者は一触即発となる。
 「桂を切る」と息巻く芹沢を、勇がとどめる。
 しかし、夜になっても芹沢の怒りは収まらず、宴の席で勇の顔に酒を浴びせる。
 二人はいがみ合うが、勇の我慢でその場は収まる。
 「局長は、芹沢さんしかいない」という勇に、芹沢は反発する。


21話、どっこい事件 05月30日(日)

 将軍が江戸へ戻ることになり、将軍警護を任務とする勇たち浪士組が京に留る理由がなくなった。
 そのため勇は、「将軍にしばらく京に留まっていただこう」と嘆願書を山南とともに作成し、松平容保に拝謁する。
 容保は、勇に自らの“意志”を語り、これからも自分の手足となって働いてほしいと頼む。
 勇は、京に留まることを決意する。
 ある日、大坂で不逞浪士の取り締まりを行ったことから、奉行所の与力・内山彦次郎から越権行為だと非難を受ける。
 勇たちを「田舎者」呼ばわりする。
 一方八木家では稽古中に”歳三が注文していた旗(誠)ができたこと”を告げ、小関に旗守を命じる。
 その夜、往来で小野川部屋の力士たちと諍いを起こした芹沢が、力士の一人に手傷を負わせてしまう。
 力士たちが騒ぐなか小野川親方は、弟子の熊次郎に事の次第を奉行所に届けさせて沙汰に従おうとする。が、
 内山は、浪士組を懲らしめようと逆に熊次郎たちをけしかける。
 大挙して押しかけた力士たちと対峙した芹沢が熊次郎を斬ったことから、芹沢一派に総司、斎藤、永倉、山南、島田も加勢して大乱闘となる。
 総司は、生れて初めて人を斬ってしまう。
 出先から戻って事の顛末を知った勇は、奉行所へ届けるよう芹沢を説得するが応じようとしない。
 勇は、奉行所へ事の次第を届ける。
 奉行所から両者で話し合うよう言われ、小野川親方へ詫びに出向き無事手打ちの運びとなる。


22話、屋根の上の鴨 06月06日(日)

 筆頭局長の自分を差し置いて勇が容保から内諾を得たことを知った芹沢は、腹の虫が収まらず”将軍がいない京都に留まる必要がない”として「浪士組は解散だ」と息巻く。
 総司を誘って芹沢は飲みに出かけるといい、勇は、斎藤一に総司に付き添ってもらいたいと頼む。
 酒に酔った芹沢が、些細なことから部下の副長助勤・又三郎を斬ってしまう。 
 文久3年(1863年)8月12日 京。
 会津藩の信頼をなくすので、”芹沢はもう要らない”と歳三や山南は勇に忠告する。
 勇たちは、大坂での騒動がきっかけで親交を得た相撲の小野川親方と話をつけ、日頃世話になっている八木家への恩返しを兼ねて壬生で相撲興行を計画する。
 この機に活動資金を捻出しようと歳三ら試衛館の面々は、みやげ物の製作や客の呼び込みなどに精を出す。が、
 総司は、芹沢と行動をともにする。
 芹沢の行動に「武士がやることですか」と勇が意見し険悪なムードとなる。が、
 芹沢は、勇を押しのけて立ち去る。
 当日満員の会場には、町人姿でお忍びの容保や龍馬も見学に来た。
 興行は大成功を収め、勇は容保の信頼をより厚くする。
 反面、浪士組内での信頼感や存在感が薄くなり苛立ちを募らせている芹沢は、お梅の言葉に乗せられ”意に応じず公儀に逆らうもの”として大和屋を取り壊す暴挙にでる。
 屋根の上で酒をのみながら火付けを掻き立てる芹沢を、駆けつけた勇や歳三らは睨みつける。


23話

 見過ごしの為、未記入


24話、避けては通れぬ道 06月20日(日)

 会津藩から、芹沢の所業について通告を受ける。
 山南は「芹沢を斬り、勇を筆頭局長に添える」と歳三に語り、二人は真剣に芹沢の排除を考える。
 歳三は、具体的な隊の規律を定めた法度を明文化し、芹沢にも諮る。
 その頃お梅は、総司を誘惑し抱けと迫っていた。
 さらに土方と山南は、新見錦を呼び出し隣の部屋に芹沢を潜ませておいて”又三郎殺しの真相”を暴露させる。
 まんまと策謀に嵌った新見は、自らも認めた法度の中の「士道に背くまじきこと」を盾に”その場で切腹に追い込まれる”ハメとなった。
 「先に行って待ってる」と言いを残して、切腹する。
 屯所に帰った芹沢は、お梅と同衾している総司をみて散々殴りつけ「新見の次は俺だ」とお梅にこぼす。
 その頃、勇は、深雪太夫らとの宴の席で龍馬と再会していた。
 土方はいよいよ本丸・芹沢の排除に思いを致す。


25話、新選組誕生 06月27日(日)

 勇は、歳三と山南から自分の留守中に新見を切腹に追いやったと聴き、憤慨する。
 歳三は、「仲間を罠にかけたお前は切腹しなくてもいいのか?」と勇に言われるが、「お前がそうしろと言うのなら腹を切る」と言い切る。
 さらに歳三は、勇に”壬生浪士組を京都で一番にする”ためなら邪魔者は排除すると、告げる。
 そして、歳三を中心に山南、左之助、源三郎で謀議し、芹沢暗殺のために宴を計画する。
 文久3年(1863年)9月18日 京。
 当の芹沢は、会津藩からの呼び出しを勇に任せ、お梅と紅葉狩りに出かける。
 先の政変での働きにより褒美を受け取るために松平容保に拝謁した勇は、新しい隊名を授けられる。
 「持ち帰って芹沢たちと相談せよ」と言葉をかけられる。
 その夜の宴会で勇は、新しい隊名を芹沢に披露する傍ら”身の危険を伝えようとする”。
 逆に「鬼になれよ、近藤」俺を食っちまえ遠慮はいらぬと、芹沢から忠告される。
 泥酔した芹沢は、平山らに連れられて屯所へ戻る。
 芹沢らを追って歳三を中心とした刺客は、芹沢暗殺に向かう。が、
 芹沢を守ろうとする斎藤が、立ちはだかる。
 ”鬼になる”と、その場に駆けつけた勇が、恩義を感じているのは判るが「公儀のためにその刀を抜いてくれ」と諭す。
 四人で芹沢や、騒ぎで駆けつけた配下と斬り合いとなる。
 沖田も加わって、遂に芹沢を斬る。
 沖田は、お梅に早く逃げるよう急かすが、沖田の刀で自ら腹を刺す。
 追悼の場で、賊に襲われて芹沢が死亡したと告げ、新たな名「新選組」を披露する。










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