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Sky in Australia
妊娠~出産
2003年5月半ば、驚きの妊娠発覚!
オージーの彼リチャードと同棲を始めたのが2002年の4月
だから、それから約一年後のことだった。
彼とサルサレッスンで一番最初に出会ったのは
2001年9月くらいだけど、付き合い始めたのは
同年12月、ということで、実は付き合い始めて1年半も
たたないうちにこんなことが起こってしまったのである。
それも、2002年私がヨーロッパ旅行のため8ヶ月も
ここシドニーを離れて彼とは遠恋状態だったので、
実質一緒にいたのはまだ10ヶ月ほどだった。
…ま、恋愛ってものは付き合った期間にあまり
関係ないことも多いのでこれはよしとして(1人納得)と。
だけど、この妊娠事件はそうそう簡単には受け入れられなかった。
なんてったって、心の準備が全然整ってなかったんだもん!
いますぐ子供をつくろうと思ってではないけれど、
基礎体温をつけている友達の話を聞いてなんだか
興味がわき、婦人体温計で自分の基礎体温をちょうど
つけはじめたところだった。でもつけはじめの一月は
よく言われるようにグラフもガタガタで自分のサイクルが
どういうものなのか全然わからなかった。なのに
2ヶ月目は何故かまるで説明書通りのはっきりした
グラフになったのだ。な~るほど、なんとなくつかめて
きた、と思い始めたところだった。ま、それはいいとして…
いつもは遅れずにくる生理がほんのちょっと遅れてた。
いつもは食べないインスタントラーメンを久々に
食べたらもんのすごく気分が悪くなって吐き気がして止まらない。
何だか風邪気味だし、調子が少し変。だけど、ま、
いつもの生理痛も始まったし、これから来るんだろう
とのんびり構えてた。…だけど、やっぱり2,3日来なかった。
私は生理が遅れるってすごいまれなことなので、
事情を話してリッチと薬局へ。ついに妊娠検査薬を購入。
薬局ではやけに落ち着きのないリッチ。自分でレジに
行くのは恥ずかしそうなので私が並ぶ。彼はその間
レジから少し離れたところで私を見守っていた。
帰って調べた結果、陰性。やーっぱりね、思い違いだ!
リッチは”え!?陰性だったの?”とキットを眺めながら
少し残念がってる様子。なーんだ、ちょっとカワイイとこ
あるじゃん!
だ、け、ど…、改めてよーく見ると、そのキット
なんだかおかしい。妊娠してたら2本線、してなかったら
1本線が現れるというものなのに、2本目の線が
もんのすごーく薄くではあるけど現れてる。
ぱっと見わからないけど、よーく目を凝らして見ると、
やっぱりそこにうーっすらとあるのだ!これは一体…??
それからさらに数日後、まだ生理が来ないのでついに
お医者さんに診てもらった。女医さんだったけど、
尿を調べてあっさり、”妊娠してますよ”だって。
ぅ、、、えぇーーーーーーーー!!!???
ってか、やっぱりそうなの?嘘みたい……。
確かに一度だけちょっとヤバかったかなーと
思うふしはあったけど、まさかこの私がほんとに
妊娠してただなんて!
だけど、それからがブルーの始まりだったのだ。
私たちはこれからどういう風に付き合っていくか
ちょうど話し合い始めていたところだった。
実はイギリス行きの夢が忘れられない私を
ここオーストラリアで幸せに出来ないかもしれない
とリッチは思い始めていたのだ。イギリス人の両親
を持ち、イギリスにも住んだことのある彼では
あるけれど、心はオジーそのもの。一時的なら
まだしも、イギリスに落ち着くなんて考えられない
彼なのであった。この話になるといつも平行線をたどり
結論が出ない二人。私もイギリスと彼の間でジレンマに陥っていた。
おまけに彼はちょうど前の仕事でリストラにあい
仕事探し中だった。私も旅から帰ってまだゆっくり
していたところだったので、つまり、二人ともプー太郎。
リッチは心配して私が医者から帰ってくると
家に電話をしてきた。私が”帰ってからゆっくり
話そう。”と言うと気になったらしく(そりゃ
気になるよね)”やっぱり妊娠してたのか?”
としつこく聞いてきた。仕方なく本当のことを
言うととても驚いた、というか狼狽している様子。
その日は仕事を早く切り上げて帰ってきた。
喜んで私の妊娠を受け入れてくれるだろう
と思っていた彼なのに、なんと、最初に出た一言は
”こんな事になる予定じゃなかった!”だったのだ!
ぬゎにをーーーーーーー!!!??(私固まる)
彼の家族は厳格なカソリック。兄弟もみんな
結婚してから子供をつくったのに、自分だけ
結婚もしてないのに子供が先に出来た。
両親に何て言おう、もっときちんとプロポーズ、
婚約、結婚を経てここに到りたかった。大体
自分たちはここオーストラリアで家族を持って
幸せになれるのか。MIKAはイギリスや
日本に逃げやしないか。今仕事もないのに
経済的にどうなるんだ、、、、などなど
彼の心配と不安は尽きるところがなかった。
比較的楽観的な私はそんなこと大して問題だとも
思わなかった。事態がこうなったからには今更
どうにもならない、リチャードと頑張ってやって
いくしかない、と思っていた私は、逆にそんなこと
を心配して喜びが沸いて来ないリチャードにすごく
悲しくなった。
さらに、話を聞きつけた彼の家族はやっぱり
色々口を出してきたのだ。ママやパパ、ちょっと
怖いお姉さんたちまでみんな、
”結婚はどうするの?カソリックじゃないMIKAを教会が
受け入れてくれるの?”
”オーストラリアになかなか慣れないMIKAはこの国で一生
やってく覚悟はあるの?”
”里帰り出産なんかしたらMIKAはそのまま日本から帰って来ないわよ!”
”大体日本の医療なんて大丈夫!?”
(テクノロジーはオーストラリアより進んでるんですけど…)
などなど、キツイ言葉が出るわ出るわ、
心待ちにしていた初孫誕生がもうすぐ現実に
なることがわかり、興奮しまくりの私の両親とは逆に
彼の家族の反応はこのようにすごいものであった。
里帰り出産を当たり前だと思っていた私の田舎の
親と彼の家族との板ばさみになった私。
とにかく、彼と彼の家族にこのような最初の反応をされた
私は超ローになってしまい、嬉しいどころじゃなくなった。
さらに追い討ちをかけるように、妊娠前に何件か
応募していたロンドンでの職のうち一つに合格したことが発覚!
妊娠が発覚してから全部落ちていてくれたらと願っていたのだが、
そういう時には逆に受かるものだ。今まで10年以上も
夢見ていたイギリス移住。それもその職は5年契約で、
その契約後は会社がイギリスの永住権スポンサーにもなって
くれるというもの。
さすがに、、、、へこんだ。お腹のこの子さえいなかったら
この夢を叶えることが出来たのにと、最悪なことまで頭に
浮かんだ。それに、リチャードでいいの?オーストラリアで
いいの?ともう、頭の中は超嵐!
でももし万が一中絶なんかしたら一生罪悪感にさいなまれる
だろうと思った。それだけは出来なかった。
だけど、それからも心は全然安定せず、情けない話、
妊娠発覚から約2ヶ月毎日のように泣いていた。
精神的なことがあるからかつわりも相当ひどく、
寝込んだりもした。体重も4キロくらい落ちたし。
(実はその前久々にお正月に日本に帰国したとき
相当太って戻っていなかったのでちょうどよかったのであるが。
人生何気なくうまく出来ているものなのかも知れない。)
リチャードもだんだん理解してくれるようになり、
サポートしてくれたけど、私があまりに泣くので
流産しないかと心配した。私は逆にこんなに泣けば
流産するかもしれないと少し期待したりもした。
本当にひどい話だけど。
だけど、そんなひどいママなのに、お腹の子供は
無事どんどん大きくなっていった。
結局里帰り出産の件に関しては大好きなおじいちゃんに
ひ孫を見せてあげたいのと、色々調べた結果現在の
オーストラリアの医療には納得いかなかったので
やっぱり私の意思でそうすることに決めた。
2、3年前からここオーストラリアでは医師の数が
減って患者の数に追いつかないことから、ひどい
処置が行われているのだ。私なんて最初の4ヶ月間は
病院がいっぱいで妊娠の定期検診さえ病院で受けさせて
もらえなかった。仕方なく産婦人科でない普通の開業医に
診てもらっていたが、そのいい加減なことといったらなかった。
本当に呆れた。何の検査もなく、私が質問をしただけで
100ドルもとられたりした。おまけに高いお金を払って
私立の病院で出産しても、当直の医師が他の出産で忙しくて
助産婦だけで出産したとか、点滴がきれても何時間も
置き去りにされたとか、友達の話を聞いてると
まじで恐ろしくなることばかり。もちろん、運、不運
は誰にでもあるけれど、自分にそういうことが起こる
とは誰でも考えたくない。
と、まあ、私の妊娠は驚きから始まり、このように
色々とてんてこまいだったわけだけど、やっぱり
ベイビーは神様からのギフトだと思って前向きに
出産に挑もうと決めた。もちろんロンドンでの仕事も断った。
でも、もしどうしてもロンドンで働きたいと思えたら
将来またチャンスが巡ってくるかもしれないよね。
”これで一生チャンスなし”と思うと悲しくなる
のであって、何でも考えようかな、と。
出産、育児を経験することで自分も成長すると思う。
今まで自分の好きなように生きてきたけど、
これから思うようにならないことも沢山でてくるだろう。
だけど試行錯誤しながら少しずつ前に進んでいけたらなと思っている。
<出産体験>
永遠に続くかと思われた妊婦生活についにピリオドを打つことが出来た。いやー、つわりや痛みなどに悩まされ、ほんとにキツかった9ヶ月!!ベイビーに会えるまで長い道のりだった!
2004年1月17日小雪がちらつく寒い朝7時ごろ、ひどい便秘のときのような痛みに襲われ目が覚めた。もうすぐ陣痛が来てもいいっていうのに今更便秘になんてなってもらったら困る!!実際便秘をしていたわけではないのだけど、今まで前陣痛で経験していたような重い生理痛のような痛みとは異なるものだったのでやっぱり便秘かな、などと思ってしまった。でもとにかく痛い!!いくら便秘でもこんな痛みは経験したことがないかも!
それもなんだか変な痛みで、3分間隔くらいでやってくるのだ。1時間ほど苦しむうち、もしかしたらやっぱりこれって陣痛かも?と思い、念のため病院に行った。そうしたらこのひどい便秘のような痛みはやっぱり陣痛だったのだ。以前に聞いてはいたけど陣痛って便秘のときの痛みと似ていることがよくあるのだそう。
まだまだ産まれるまで時間がかかりそうなので一度家に帰ってもいいですよ、とドクターに言われたが、とにかく車に乗って移動したりするのも相当辛い痛みなのでこのまま入院させてくださいと頼んだ。特別室を予約しておいたのですぐそちらに入れてもらった。
私が痛いのでリッチの手をぎゅーっと握っていたらナースが来て”痛くても物を握ったりしてはダメ、なるべくリラックスしないと。”とアドバイスをくれた。でもそれって結構難しい。痛みの波が来るたび事前に一生懸命予習したラマーズ法の呼吸と空気をつかむようにして手に何も持たずに痛みをのがすよう試みた。
あとからリッチがこのときの私の動作を”心をこめてカラオケを歌ってるようだったよ。”と言っていた。そう、演歌を歌うときのあの手の伸ばし具合、あんな怪しい姿であっただろう。
それにしても、痛みがくると周りのどんな小さな物音もものすごくうざく思えた。母とリッチが同じ部屋で見守っていたが話すことさえやめてもらった。リッチが色々本で勉強していたマッサージ法やツボ押しなども出番なし。触られるのがものすごく辛くなっていた。
約2週間近く前に受けた定期健診で子宮口がすでに2センチほど開いていると言われたが、今回陣痛が始まった時もそのときと同じ状態だった。でもそれからなかなか開かなかったのだ。。。3分おきに来ていた陣痛が昼過ぎにはまた4~5分おきになってしまい、痛みの程度もまだまだ弱いと言われてしまった。でもその痛みでさえ、呼吸法を勉強していなかったらさらに辛いものに思えたと思う。呼吸法ってやっぱり大事なんだなと改めて思った。
結局夜まで15時間このような陣痛に苦しんだ結果、何とまだ子宮口は3センチほどしか開いていないことが発覚。ちなみに10センチほどに全開しなければ赤ちゃんは出てこれない。もう、ショック!なんだそりゃ、15時間でたったの1センチ!?今までの私の苦労はいつ報われるのよーー!!
このままいくとまだまだ時間がかかるので夜は痛み止めを注射しましょうか、とドクターに聞かれた。日本に無痛分娩とかではない、そういう痛み止めがあることは知らなかったのでちょっとびっくりしたけど、私はなるべく何もしない自然分娩を希望していたので注射を打つことはためらった。ただ、ドクター曰く、今はまだよくてもこのまま長時間苦しむと最終的に一番エネルギーを蓄えておかなければいけない出産時に母体が疲れきってしまっている恐れがあるとのこと。難しい選択だった。最終的にリッチと話し合って夜だけでも少し眠れるよう痛み止めをもらおうかということになった。
面会時間が終わったので母は家に帰り、リチャードだけが残った。彼は私の入院中同じ部屋に泊まりこむことにしていた。そんな時急にドクターから呼ばれた。実は陣痛が始まってからずっと私に熱があったので(陣痛のせいで私は全然気付かなかったのだけど)血液検査をしたのだが、その結果があまり思わしくないとのこと。ナースに助けをもらいながらやっとのことで分娩室まで歩いて行き、分娩台に上った(これが結構辛い!足が震えてなかなか上れないの!)。そこでまたドクターの内診があったがやっぱり子宮口はまだあまり開いていない。おまけにここで破水してしまった!
そこでドクターが私とリチャードに説明を始めた。血液中の白血球の数も多いし、私に熱があるのは産道感染の疑いがあるからとのこと。まだ子宮口も赤ちゃんが通れるほど開いていないので、赤ちゃんに感染する前に緊急の帝王切開をしなければいけないということだった。すごいショックだった。帝王切開なんて考えてもなかったし、おまけにこれからすぐ!?それ以外の方法はないって!?だけどこうなったらどうしようもない。すぐにオペの準備が始まってお腹から下の麻酔を打たれた。
頭ははっきりしていたし、お腹の辺りを押されたり引っ張られたりする感覚もあった。不安だったけどリチャードがずっと手を握っていてくれた。帝王切開なんてドクターにとってみれば魚をさばくようなものなのか、さっさと進んであっという間にベイビーが出てきた。”オギャー、オギャー!!”とものすごい声で赤ちゃんが泣き始めた。ドクターが抱き上げて見せてくれたわが子は”大きい!!”以外の何者でもなかった。とにかくその大きさにびっくりした。。。こんなに大きなものが今まで私のお腹の中にいたのー!?ちなみに以前から知らされていた通り男の子だった。
それから何とお腹の一番上の皮まで8層も縫わなければいけなかった。ドクターに”もうすぐ終わりますよ、今6層目を縫ってます。”なんて言われたときはちょっとぞっとしちゃった。。。
今まで入院も手術も経験したことのない私だったので、やっぱり突然の帝王切開は精神的にものすごいショックだった。おまけに手術が終わるころにはすごい勢いで両手が震えだしていた。自分の部屋に運ばれて帰ってきたとき家族がみんなそこにいた。でももう夜も遅いしリチャード以外はすぐに帰らなければいけなかったらしく、顔をちらっと見ただけだった。もちろん家族は私のことも心配していたが、何しろ初孫がついに誕生したのだ!うちの父が”リチャード、一緒に赤ちゃんを見に行こう!”と言ったのを覚えている。だけど私はこんな状態で部屋に一人で置き去りにされるんだと思うとものすごく怖くなり、はっきり言って赤ちゃんどころではなかった。リチャードに、
”絶対すぐに帰ってきて。私を独りにしないで!!”
と必死で訴えた。リチャードはちらっと赤ちゃんを見て本当にすぐに帰ってきてくれた。
そのころからものすごい頭痛に襲われ、両手もぶるぶる震えていて意識がもうろうとしてきた。本当に脳の血管が今にも切れるんじゃないかと思ったほどの頭痛だった。それに尿管、点滴、血圧測定器などにつながれてベッドにはりつけ状態になってしまっていた。おまけにお腹もムカムカし出し、戻してしまった。でも何と言っても一番ひどかったのは頭痛。手術後に血圧が上昇していたので血圧を下げる注射を打ってもらったが頭痛はその後も治まる様子がなかったので、私は大げさな話、本当にもう死んでしまうんじゃないかとさえ思った。手術がうまくいかなかったんだ、リッチとベイビーを残して死んじゃうのかも、どうしよう・・・と本気で思った。意識がもうろうとする中、手を握ってくれているリチャードに必死で、
”どこにも行かないで。絶対ずっと側にいて。”
とやっと出る声で訴え続けた。ふーっと意識が遠のいても頭の痛みのためまた目が覚める。でも目をあける度、目の前にはリチャードがいた。私のこめかみをマッサージしていたり、にっこりしながら歌を歌ってくれていたりした。その時は意識がはっきりしていなかったので何をしているのかはっきりわからなかったけど、とにかくそこにリチャードがいて”大丈夫だ、ここにいるよ。”って言ってくれている。それだけでものすごく安心できた。何時間かたったあと、まだ頭痛が直らないので痛み止めの注射を打ってもらいやっと眠ることが出来た。
この時ほどリチャードに感謝の気持ちを抱いたことはなかった。ベイビーが産まれてもずっと私の側についていてくれた。私が一番大変な時にずっと手を握って励ましてくれていたのだ。最終的には予定通り1週間で退院出来たけど、入院中は引き続きずっと微熱もあり体調はいいとは言えなかった。でもその間もリッチはほんとによくしてくれた。私の親戚とか全然知らない人がお見舞いに来てもお茶やコーヒーをいれてくれたりしてニコニコ対応。これから喧嘩したとき、絶対今回のことを思い出そうと思った。特に手術後にずっと付いて励ましてくれたことはあとから考えても涙が出そうになる。
手術の次の日目が覚めたときにはなんとか頭痛は治まっていた。だけどお腹の傷もチクチク痛むし、お腹に全然力が入らないので蚊の鳴くような声しか出ない。おまけにリチャードや私の家族がみんな嬉しそうにベイビーを抱っこする中、私は抱くことどころか彼の顔をしっかり見ることさえ出来なかった。2,3日はずっとベッドにはりつけ状態だったので母になった実感もまだ湧かず、みんなにおいてきぼりにされた気分だった。
ところでベイビーの方は元気すぎるくらい元気だった。普通は頭が一番大きいはずなのに、ドラえもんのように頭囲と胸囲が同じサイズ。4,058グラムもある大きなベイビーでお腹の中同様すごい勢いで暴れる。手足がすごく大きくてキック力なんてすごい。帝王切開の傷がまだ痛む私のお腹も容赦なく蹴りつける!はー、これでやっとわかった。お腹の中にいた時、こんなに大きな手足を力いっぱい動かしていたのだから痛くて辛かったはずよね。。。
ちなみに妊娠中に撮った超音波写真を見る限り顔のつぶれたサルのように見えたので容姿は全然期待してなかったんだけど、出てきた時はまだ目も開いていなくてサルどころか酔っ払いおやじみたいだったのでびっくりした。そのうちすぐ目も開いてきて少しはましになってきたけどね。
まだどっちに似てるとも全然わからなくて、いやどっちにも全然似てなく思えて”この子本当に私たちの子?”なんてリッチと言ってたんだけど、新生児室にいる子供の中ではこの子が肌や目の色が一番薄かったのでやっぱり間違いないみたい。目鼻立ちはとてもアジア的だけど、色が白いところがやっぱりリッチの血が入ってるからかな。
何日かするとだんだん自分が母親になったっていう実感が湧いてきたし、わが子にもだんだん愛着が湧いてきた。子育ては大変だけど、私が愛情を一杯もらって育てられたように、この子も愛情を沢山注いで育ててやらねば。
名前は英語でも発音しやすい 海(カイ)にした。いくつか候補を挙げてオージーの友達に聞いたところこの名前が一番人気だったこともある。それからこの漢字を使った理由は、オーストラリアと日本をつないでいるのが海だから。いずれ二つの文化の橋渡しをしてくれることを願って。
パパリチャードはカイがかわいくて仕方のない様子。私の家族もみんな列を成してカイを抱きたがる。これからすくすく元気に育ちますように!
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