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現実逃避所 Ally of Jastice
蒼い海への物語 (オリジナル)
『ゆらす風に涙消えて 探す君は此処にいたんだ。』
会いたいよ。
ミンミンミンミン―――
せみが、なく。
うるさい。畳で扇風機の風をあびながら、うちわ片手にアイスキャンデーをほおばる少女――水無月こなえは夏休みのそのいつも通りの一日にぐったりしていた。
宿題は完璧!……に終わっていなかった。得意科目である英語には手を付けてみるものの、苦手な数学にはこの猛暑の中まったく歯が立たずにいた。完敗。
(気分転換しよう)
ふとそんなことを考え思いつきで家を飛び出す。
アイスを口に詰め、残りのジュースを飲み干すと彼女は鍵と財布と携帯電話をつかみウェスト・ポーチに押しこむ。
この間わずか27秒。
(よし、30秒をきった! )
彼女は夏特有の『だらだら病』にかかっていた。
何をするにも、30秒以上かかるとやる気がなくなってしまう。
たとえば宿題であり、とくに宿題。そしてさらに言えば数学。
椅子に座り、問題集を開いて、シャーペンを握り、頭の司令室に電気をつける。
しかしそこで必ず司令長は快適な司令室・ライフのために様々な準備――主としてそれはお気に入りのBGMやジュースだった――をはじめるのだ。
そこでもう、2,3分かかってしまう。
すると、やる気がなくなってしまうのだ。
司令長は快適な環境に加え漫画などの娯楽を欲する。
好きな科目ならまだいい。課題に取り組みながら誘惑と戦う余裕がある。
しかし、相手が数学ではそうもいかない。
誘惑に、負ける。
そんなこんなを繰り返し十数日経った。
そう、このままではいけないと思った彼女は勇敢にもあるきだした。
――日常を、変えるために。
変えてどうなるとか、そういうことは結構どうでもよかったりする。
肝心なのは、だらだらしているよりも何かを探して刺激を受けるほうがきっと今の自分には大切だというインスピレーション。
何もおきなくてもいい、何かおこるかもしれないのだから。
夏休みの間だらしなく玄関にほったらかしてあるサンダルに足を滑り込ませ、半分履けていないのにもかかわらず戸を開いて外に出る。
(うわぁ、蒸し暑ぅ……)
いつも、こうだ。
夏っていうのは冷房のきいた場所からでると熱風が襲ってくる。
肌にあたる風は少し心地いい。
そして部屋の中よりも大きく聞こえた。
ミンミンミンミン――
せみが、うるさい。
涼しい部屋に戻りたい気持ちを抑えながら鍵を閉める。
そこではじめてサンダルを履きなおす。
暑い日差しの中水無月こなえは歩き出した。
(どうせだから、行ったことないところに行こう)
はずむ足取りは暑さに負けて、すでに重くなっていたが、彼女の決心は変わらなかった。
「あれ、水無月じゃん」
声をかけられて振り向く。
しかし、そこには誰もいなかった――などという冒険ロマンス始まりのパターン、ではなく、そこには幼馴染だった日暮紫音が自転車にまたがり地に足をつけまじまじと自分を見ていた。
しおん、聞いただけで可愛い響きである。
が、男だ。バリバリ野球部、長身の男だ。
彼とは小学校の6年間ずっとクラスが一緒だったが、中学校にあがるとき離れ離れになった。
こんな日に会うなんて。
ついさっきまで家でごろごろぐうたらしていた自分が。
幼馴染に会えた、それは結構嬉しいことだった。
嬉しいけれど、突然声をかけられなんと反応していいかわからない。
「……なに」
出たのは、そんな無愛想な言葉。
司令長は熱さでだらけてしまったのか!?――裏切りおって、この軟弱者!
「ご、ごめん。なに? 」
あわてて言い直す。
「あー…いや、別に。うん、なんでもないけどさ」
「そっか。なにしてるの? 」
「――俺? 」
驚いたような声で小さく問い返す。
「そうだよ。紫音以外にだれもいないでしょ」
「お前がいるだろ」
「馬鹿にしてるの? 」
「滅相もございません」
かしこまって日暮紫音は言った。
こんなやりとりは、小学校でいつもしていた。
「えへへへ」
「なんだよ水無月。いきなり笑うなって」
「あれ、紫音わたしのこと"水無月"って呼んでたっけ? 」
「いまさら"こなえ"なんて呼べるかよ」
「わたしは別にいいけど」
「俺が恥ずかしいの! 」
そんなふうに会話はぽんぽん進む。
「ねぇ、せっかくだからちょっと寄らない? 」
適当に歩きながら会話していたのだが、どうにも司令長が休みたがっている。
こなえが指したのはごくありふれたバーガー・ショップ。
「お前のおごりな」
「ふざけないでよ」
自分から誘っておいて『ふざけないでよ』とご機嫌ナナメになるこなえ。
頬を膨らませ唇を尖らせてにらむ彼女に呆れた紫苑は、「はいはい。わかってますよ。自分の分は払いますって」と降参した。
向かい合う席。
馴染みのこの街で二人が向かい側に座らないのはきっと、誰かに見られるのが恥ずかしかったからだろう。
水無月こなえはオレンジジュースを、日暮紫音はコーラを片手に、二人で1つのポテトをつまんでいた。
「で。どこいこうとしてたワケ? 」
「別に……どこも」
通路に視線をそらす紫音に、こなえは次の攻撃を与える。
「うそでしょ。なんかおもしろそうなこと隠してるでしょ」
「いや、別に。……なぁ? はははは…は……」
「何が 『なぁ?』 よ。わざとらしいって」
「知ってどうするんだよ」
「ついてく」
「はァ!? 」
意外すぎた――というより、突飛過ぎる彼女の発言に紫音は驚きを隠せないでいた。
「ついてくるって……オイ。やめとけ」
「だめ。楽しそうだもん」
「あ、そう。じゃいいよ。一緒に行こう」
「ずいぶんあっさりしてるね」
「旅は道連れ」
「不吉なこと言わないでよ!もう」
冗談交じりで言葉を交わす。
――もっとも、冗談抜きの会話なんておもしろくもおかしくもないけれど。
「俺は、夏休みだらだらだらだらと過ごしてきた。」
紫音がイキナリ語りだしたので、こなえは大人しく聞くことにした。
「実は俺、野球部やめたんだよ。そんでもって、夏休みは冷房ガンガンの部屋でずっと本読んでたんだ。この俺が、本だぞ? 信じられるか? られないよな。まぁそれはどうでもいい。とにかくその本はおもしろかった。
確かにそれがジュニア向けライトノベルだったこともある。けどな、その冒険がまた読者の視点からでもこう……ハラハラすんだよ。めちゃくちゃ楽しい」
こなえはここまでしゃべる紫音をはじめて見た。
明るい奴だったが、思春期の男子そのもので女子である自分にここまで長く何かを喋ってくれたことはなかった。
それが無性に、嬉しかったりする。
一方の紫音は一気に喋り疲れたのか、ストローから口を離さない。
ストローを噛みながらこなえは尋ねる。
「野球部やめたの? 」
「まぁな。色々と。――で、まぁその本がもうすごくおもしろいわけよ」
また本の話をはじめた。
せっかくだから全部黙って聞こうと思った。
「主人公は普通の中学生なんだ。けどな、ある日家出するんだよ。家族に嫌気が差して、ふら~っと。歩いていくうち、森があってな、そんなかの湖のぞいたら街がうつってて。んで、そこが異世界とつながってて。
もとの世界に戻る方法を探すため向こうの世界で旅に出る。……と、まぁそんな感じだ」
語り終えて誇らしげな彼にたずねる。
「だから、それで君どこにいくわけ?」
「もちろん、旅に出るんだよ」
あっさりとしていて、でも漠然な『本日の』目標。
ああ、神様。
目前のこの男の子はなぜどうしてこんなに夢見るお年頃なのでしょう。
そしてこの私自身もなぜどうしてこんなに夢見るお年頃なのでしょう?
――ということで、水無月こなえと日暮紫音は旅に出た。
「あっつ~」
「疲れた~」
「どこまで行くの? 」
「海を目指そう! 」
「ちょっと…アンタ本気!? 」
「俺は真面目だ……。海へ…行く」
黙っていると、むなしい。
片方は自転車を押しながら、もう片方はとぼとぼと歩きながら。
夏の日差しがさんさんと降り注ぎ、そしてそれをこれでもかとバンバン反射するアスファルトは、早くも二人の旅路を過酷なものにする。
「うし。まぁ…海でも……いいでしょう」
「どうして……決定権が…お前に……あるんだ」
ぜえぜえ言いながら紫音はたずねる。
「あ、あ……わ…わたしのほうが……年上だから…よ……」
「た、たかだか3,4ヶ月だろォ……」
「いいえ……5ヶ月…上よ……」
一言一言にあわせ足を一歩ずつ前進させる。
「だぁぁぁっ! 暑い!暑い!暑い! 暑いってば」
「暑い暑いゆうな! 私まで暑くなるっ」
ミンミンミンミン――
「飲み物買おうぜ」
「ナイス・アイディア」
「しかしコンビニも自動販売機もない」
「探せ! 探して歩くんだ日暮クン」
「はっ 了解であります、曹長! 」
――と、そんなノリで十数分。
二人は1つの自動販売機を見つけた。
「わたしオレンジジュース♪」
「またかよ」
「悪い? 」
こなえはまたしてもオレンジジュースを、紫音はお茶を購入した。
互いに頬につめたい缶をくっつけあう。
「えへ」
「ばか」
『つめたいっっっ!!! 』
笑いあう二人に、会っていない分の時間の溝はなかった。
どこまでも歩いていく。
少女――水無月こなえと、少年――日暮紫音は夏休み宿題を放り出し、暑い日差しの中黙々と歩いていた。
先ほどまでは互いに皮肉を言い合ったりしながら歩いていたのだが、さすがにこの暑さ。
会話も少なくなっていった。
「海……まだぁ? 」
けだるそうな声でこなえは紫音に問いかける。
「まだ」
「どのくらい」
「まだ…だ…」
海は遠かった。二人が思うよりもはるかに遠く、険しい(?)道のりであった。
数学の宿題と、冷房のきいた(扇風機付きの)部屋と、美味しいチョコナッツバーをおいて。
久しぶりに会った元クラスメイトと共に、海を目指して歩いている。
「ねぇ。 なんか天気悪くない? 」
こころなしか涼しくなり、きれていた息を取り戻す。
やっと、普通に話せた。
「そうだな。なんだか、天気悪いかもしれないな」
「雨降ってきたらどうする? 」
「どうするもこうするも雨とかその前に――」
「待て、雨はお前が言い出し――」
「ほっときなさい。……もう、2時半なんだけど。」
「あれ、何時から歩き始めたっけか」
「11時ちょっと過ぎ」
「もうだいぶお腹すいたな」
「そういうこと。なんか食べよ」
田舎道――とまでは行かないが、結構何もない。
ファミレスもなければ、山があるわけでもなし。
工場のような、なんというか――トラックばかりのつまらない道。
南、南へと道を歩き海を目指す。
「海、見えるだけでいいの? 」
「水着ないだろ」
いや、ちがくて…――声に出さずにツッコミを入れる。
「わたしが言ってるのは、写真とかに撮らないの?……ってこと」
「は? なんで」
「冒険って言ったって、どうせわたしと歩くだけじゃない。写真とかに残しておいたほうが――」
「馬鹿だなー。写真とかに収まるもんじゃないだろ。俺は、俺の感動を見つける。それは色あせない」
「ロマンチックなこというねー……」
「冒険って、そういうもんだよ。きっと。写真とか、そういうのには残らない」
坂を登りながら、一語一語に力を入れ、一言一言にあわせて歩を進める。
「何かを探しに旅に出て、あとから書き記すことはあっても……そのとき写真に収めたりはしない。探してる間は、そして見つけたそのときは――精一杯すぎてわかんないと思うんだ、俺」
話を聞きながら、こなえはひどく感心した。
そこにいるのはやっぱり紫音だったけど、小学生の紫音じゃなくて、もっと大人びた彼だった。
「本で読んだの? 」
「馬鹿の戯言だよ」
笑いながら答える彼の横顔はやっぱり大人っぽくて、気付けば自分と同じくらいの背には10cmくらいの差が出来て、時間の流れをちょっと感じた。
見えないところでも、同じ空気を吸って。
会えないところでも、同じ町内で育って。
それでやっぱりその流れは止まらずにここでも流れてる。
そして、ここで流れてる時間は二人だけのもので、それを流すのにこなえは必要不可欠だ。
そういう事実が、彼女には嬉しかった。
「あのさ、なんかまた暑くなってきてない? 」
雨が降るかも、と涼しくなりかけた空は無情にもどこかへ行ってしまった。
「ああ、そうかもな。なんとなく…蒸し暑いし」
二人は今、比較的穏やかな道を歩いている。
2時半ごろに、「お腹がすいた」という話をしてからかれこれ1時間弱が経ち、夏の日差しはピークを終え、なんとなく涼しくなる3時ちょっと過ぎ――を迎えるはずだった。
が、しかし!
絶好の冒険日和――もちろん今日――は朝9時から25度を超え、昼2時には東京でも36度を観測、現在未だ30度を切っていない。
直射日光はそれほどでもないが、アスファルトに溜まり込んだ熱光線は、反射という放射をなお続けている。
しかも、とどまることなく。
ジリジリジリジリ――
ふと気がつけば、せみの鳴き声が変わっていた。
家の近くの『ミンミンミンミン』ではなく『ジリジリジリジリ』という声に。
「ねぇ、せみの鳴き声、変わってる」
「そうだな」
「海にさぁ、近づいてると思う? 」
「たぶんな」
返事が短い紫音に、少し不安を覚える。
「なんか怒らせた? 」
「怒ってない」
「うるさい? 」
「喋り続けてくれても構わない」
ふむ、迷惑ではなさそうだ――
けれどこなえはやはり不安だった。
「わかった、お腹すいて力が出ないんでしょ! 」
こなえが言った。
馬鹿っぽさ丸出しで、場を和ませるつもりだったのだが、なぜか紫音はフリーズしてしまった。
この猛暑の中フリーズできるだなんてまったく羨ましい奴……そう思いながらも水無月こなえは「どうしたの? 」と声をかける。
「――どうしてわかった」
低く、重いその声。
そういえば、と思ってみれば紫音は声変わりしていた。
(そうかそうか。だから声かけられても気付かなかったんだ! )
などと呑気にしているこなえとは裏腹に、彼女の隣では日暮紫音が「なぜ! 」「どうして? 」「顔に出てたか!? 」「お前はいつもの鈍感なこなえじゃない! 誰だ! 」「俺はもうおしまいだ…」――と、一人慌て騒ぐ。
たかがお腹のすき具合をあてられたぐらいで――と人は思うかもしれない。
けれど、基本的に無口な紫音にとって『何も喋っていないのに気持ちを当てられた』という事実は、彼を『何も喋っていないのに浮気がバレた』男に仕立て上げるのに充分な材料だった。
「おい、水無月ッ! 」
もはや自分が見えていない。
構うものか!
このサイコ・ガール水無月をどうにかしないと自分の浮気がバレてしまう!
さぁ、水無月かかって来い――
「んは? 」
かかってきたのは何とも間抜けな返答だった。
彼女も何気なく口にしたのだろう。浮気などしてない。バレない。
というより、まず隣にいる少女は紫音の彼女でも何者でもない。
――空回りに気付き、妙な脱力感が紫音を襲う。
「なに、紫音」
「悪い……。なんでもない」
「あっ ねぇ、その自転車貸して! 」
紫音は最初、自転車で海を目指すつもりだったのだか、こなえがついてきたため彼は律儀にも自転車を押し押し歩くのだった。
「貸して? 」
「いいけど……」
200mくらい先に、また急な坂がある。
走るとしてもそのくらいだろう。
「ひゃっほー……って、あつっ!」
黒いサドルはめいっぱい太陽の光を浴びていた。
危なっかしいこなえに思わず言う。
「ばか、気をつけろ」
「なにに気をつけるのよ!? 」
思わず『ばか』と叫んだ自分が憎らしい。
会話に困る。いまさら謝れない。
「……不審者に…気をつけろ……」
「は……?」
「と、とにかく!あの坂までだからなっ」
「わーかってるって!」
眩しいきらきら陽光の夏の日。
坂は、長く高かった。
「思うんだけど……こんなっ…」
途中まで言いかけて、大きくすぅはぁ息をする。
「大変なっ……思い…しなくたっ…て…絶対…他のルートがっ……」
急な坂のため一歩一歩に力を入れる。
特に、自転車を押して歩く人は。
「んだと……な…んなら……帰ったって……い、いいんだ…ぜ…」
「はっ な、なにを今更ぁぁぁああぁぁあっ……よし!やった! 」
そこまで言い終えると同時に、坂の頂上に達する。
「『よし!』 ……じゃねぇっ!自転車を押す俺の気持ちも考えろっ」
「あー大変だなー」
「よくわかってるじゃねェか……」
ピキピキと顔を引きつらせている彼を隣に、彼女は提案をする。
「ねぇ、疲れたでしょ? 木陰で休もう? 」
坂の頂上であるこの道の脇には、うっそうと生い茂る木々の陰。
ひんやりする草が肌に当たる。
そよ風が吹く。相変わらず熱風だが、汗ばんだ肌と衣服の隙間を駆けてゆく風は心地よかった。
「ひゃー 気持ちいー」
ほとんど道の脇は森である。山である。
夏だ!自然だ!ナチュラルだ!
わけのわからない宣伝が駆け巡る頭を、木々の間から覗かせる。
森の奥には、色鮮やかな花が咲いていた。
「ばかが。そうやってコドモみたいに騒いでばっかだと蚊に食われるんだ……
「よっ!」
元幼馴染の声と共に首筋に冷たい感触が走る。
「きゃっ」
「虫除けスプレーだ」
自慢げな紫音をキッと睨み、
「ばかぁっ! …くさい!くさい!虫除けくさい」
こなえは手足をバタバタさせた。
「俺は気にしない」
「わ・た・し・がッ! 気にするの! 気になるの!!! 」
「ごめん……」
あまりにも素直な紫音に思わず引き下がる。
「いいけどさ…。ほら、お返しよ」
プシュウゥゥゥ、と煙をあげて爽やかで甘いシトラスの香りが紫音の肌に染み込む。
「な、なっ やめろ!!! 」
「安心しなさい。ただのデオトラント・スプレーよ」
直射日光はそれはもうギラギラと眩しいが、木漏れ日もきらきらと中々眩しいものだった。
「よーし。そろそろ行こっ? 」
「そうだな――っと、おい、水無月。後ろ、乗れ」
自転車にまたがりながら紫音は親指で自転車の後ろを指す。
「? 」
とまどいながらも自転車に乗る。
さすがにスカートでまたがるのはなぁ、と、横に足をそろえて。
気付けば紫音が悶えていた。
「どした? 」
「み、み……水無月…そこ、くすぐったい。上過ぎ!上過ぎ! 」
思わず紫音に手を回していたのだが、脇下であったため、彼はひざを震わせながら笑いをこらえている。
「ご、ごめん」
謝ってからお腹の辺りにつかまる。
「力入れんなよ。わき腹も実は弱点 だッッッ」
紫音とこなえを乗せた自転車は坂を一気に駆け下りる。
ドドドドドドド……
『ぎぃやぁぁぁぁぁぁああぁあぁぁ』
のどかな夏の風景。
どこかでなるチリンチリン、という風鈴の調べ。
そこにこだまするは少年少女の絶叫であった。
何しろ山をひとつ下るのだ。
一歩どころか半歩間違えれば死ぬのである。
しかし彼らはそれに気付かずに過ちを犯す。
――が、死にはしない。若さゆえの偉業(異業)である。
死にはしないがトラブルは付き物だ。
悲しいかな、坂の終わりに湖が見えてきた。
ブレーキは効かないだろう。
「わっ 湖!あぶないっ」
「喋るな水無月ッ! 舌をかむぞ!? 」
「何言ってるの紫音も喋ってるじゃない」
「どうでもいい、飛び降りろ―――!!!」
声に反応し横にそろえて組んでいた足を肩幅に広げ、力を入れる。
体をひねりひねり、なるべく前を向く。
高い跳躍、のち、ひじの反動を思い切り利用して手首を勢いよく地面に付ける。
足を前面に――綺麗に見事な円を描き一回転。
前転着地、成功!
(あ、危なかった……)
湖岸の「淵」で止まる。ギリギリセーフだ――
と思った瞬間、ぼちゃぁん、ともう1つの音――紫音と彼の自転車が湖に落ちる音――がした。
「っくしゅん」
紫音はすっかりびしょ濡れだった。
「だ、だいじょうぶ!? ――風邪、引くよ?」
近くの木に絞ったTシャツをかけて、タオルで体を拭く紫音。
反対側の湖の方を向いて水切りをやる気なくしながら問うこなえ。
今さっき、紫音は湖にダイブした。勇敢にも、無謀にも、事故で。
幸い、近くにコンビニがあった。
湖があるくらいなのだから、きっと観光客が来るのだろう。
本当によかった。
タオル、お菓子、飲み物――そして、替えの下着を今しがたこなえが買って来たところだ。
「悪ィ、助かった」
自転車と共におぼれかける紫音を引き上げ、コンビにまで走り、そして今木陰でぐったりとしながらポチャンポチャンと水切りをする。
「自転車……どうする? 」
呟くように問いかける。
「どうするもこうするも、もうアレは使い物にならんだろう」
「だよね…」
目の前で沈んでいった自転車よりも、紫音を助けた当然の結果だった。
「歩こう」
「え? 」
「止まってても始まらないだろ。歩いてるうちに服は乾くだろうし。行こう」
「うん」
歩きはじめる二人。
まだ見ぬ冒険の海を見るまで、二人の旅は終わらない。
ジリジリジリジリ――
見えてきた。二人とも、もう疲れていた。
夏の日暮は遅いと言う。
じゃあ、もう夕日が沈みそうな今この時間は一体何時なのだろう。
親は心配するだろうか。怒られるだろうか。
そういった不安がなくはなかった。
けれど、冒険に対する期待のほうが大きい二人は、どこまでも歩いた。
そして、見えてきた。大きい海。
浜辺に出た。
これまで海に来たことのある二人でも、歩いてくるとやはり違った。
今まで歩いた道は、どこまでも続いていた。
遠くが見えないくらい。
しかし、今目にしているこの広大な海は、今までの道のりよりも更にずっと遠くまで繋がっているのだ。
「――俺、感動した」
しゃがみこんで砂浜に日付と名前を記すこなえに、彼は語りかけた。
「感動した」
「わたしもだよ」
「これ、ずっと遠くまで繋がってるんだよな」
「そうだね」
「俺たちが通ってきた道では全然見られないヒトやモノに、繋がってるんだよな」
「また、詩的なこというね」
「馬鹿の戯言だよ」
ゆっくりと、雲が流れ、そして日が沈むのが二人にはわかった。
「ねぇ、紫音。あの雲もさぁ、きっと遠くから流れてきたんだよ」
「うん」
「それでさぁ、私たちも、ここまで来られた」
立ち上がって、風を両手で受けて、こなえは言う。
紫音は、まだ少し濡れているシャツに風が当たり、少し寒そうな顔をした。
「最初ね、海なんて絶対無理だと思ったの」
「そりゃそーだ」
「でもさぁ、楽しかったんだ。久しぶりに紫音と歩くの」
「……うん」
「で、夏休みなにもしないで十数日過ごしたわたしも」
「わたしも」
「何かしようと思えば、できた」
「……うん」
「結構色々諦めてたんだ」
「勉強とか。友達とか。紫音も――」
こなえ言いかけて、それを紫音が継いだ。
「うん、俺も。野球、諦めてた。練習しても、全ッ然上手くならねーし」
「はは」
「練習のおかげで勉強も全然しなかったし」
「そっか」
こなえは、もういちどしゃがんで、水をすくった。
「今はさ、どんだけつかもうとしても、目標の『海』はこんなにするするすり抜けちゃうの」
水をすくった手を空に、ぱっと放す。
雫1つ1つに夕日が映った。
「でもさ、目標にたどり着こうとする前に、諦めるはちょっとやめてみる」
「俺も」
「悩むのは、後からでだって遅くないしね」
「そうそう、冒険中は、精一杯できっと悩めないし」
「帰る? 」
「帰ろう、俺たちの町に」
「中学校、ばらばらだね。寂しい? 」
彼は彼女のの質問に答えなかった。
駅に向かって歩き出す。浜辺に地図看板があったから、帰りは安全を考え電車にしようと話していたからだ。
電車に揺られ、二人は帰った。
偶然再開した幼馴染と水無月こなえは旅に出た。
電車が町につく頃には、辺りはもう夜になっていた。
月が出ている。とても綺麗な月だ。
手を振って、お別れをして、裏庭からこっそり部屋に入る。
月明かりが、眩しい。
めんどうくさく怒られるのと、今日の分の宿題は明日にして、こなえはそのままぐっすり眠った。
眠った手に握り締められているのは、「寂しいに決まってるだろ」の言葉とともに綴られた、彼のメール・アドレス。
―――ある夏の日の、とある少年と少女の物語。
彼らの夏休みはまだ、残っている。
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