碧山窟

里山の旅人(鉄・2)


七輪の上には、底を抜いた植木鉢を置き、山から掘って来た粘土を準備しました。
「ミニたたら」のできあがり。
植木鉢の底から炎があがります。
いよいよ「鉄づくり」が開始されました。
夏休みの自由研究は、これでキマリです。(笑)

*

「川の中州をみてごらん。砂と黒いものが縞になっているネ。黒いものが砂鉄だよ。」
私とタクミは、黒い砂を園芸用のスコップで集めてバケツ3杯とりました。
「おもぃ~。。」
ちょっと離れた自動車まで運ぶのも大変です。

*

竹を縦に2つに割って節を抜いて、ゆるやかに水が流れるようにしました。
水道から少しずつ水を流します。砂鉄と砂は、また分離します。
砂鉄を古いスピーカーを壊して取り出した、大きな磁石で集めます。
バケツ3杯から茶碗1杯ほどの砂鉄が取れました。

*

朝から始まって、夜9時まで、砂鉄と炭を交互に入れます。
親戚からもらった、袋いっぱいの炭は一日で消費されました。
その日は、おしまい。
結果は明日のおたのしみ。。

*

さあ、できてるかなぁ~。タクミの鉄。。
ミニたたらを、金槌で「ボカッ」と壊します。
「無いよ。なんにもない。。」
タクミは悲痛な声をあげました。
「ちょっと待って、磁石持ってきてごらん。」
タクミは走って磁石を持ってくると、「はい!」と私に差し出しました。
「磁石を灰に近づけてごらん。」
私は、タクミに言いました。

おおっ!!
小さなカケラからぴしぴしと、磁石に吸い寄せられました。
「ボクの鉄ができたよ!!」
玉鋼にはなりませんでしたけど、タクミの鉄ができましたぁ!!
それにしても、沢山の炭を使いました。戦国時代の日本の風景はどうだったのかナ。

*

彼は、東京から訪ねてきました。
ふきのとうが、黒い土からぽつぽつと顔を出しています。
峠の雪が溶け、山越えドライブができるようになっていました。
まだ二歳のタクミは春の光と自動車の振動がここちよいのか、チャイルドシートですやすや眠っています。
「タクシーで行こうなんて、バカなこと言っちゃったナ。」
カトリックの彼は言いました。
細い山道を、登って下って、登って下って、まだ道は半ばです。
「カケルさんの説はあたっていると思うよ。間違いなく。」
筆甫=ひっぽ=ふぃりっぽ
フィリピンと同じ語源です。
日本語を加えると5ヶ国語を操れるという、元、ホテルマンの彼は、うんうん。。と、噛むょうに、言いました。

*

「あっ。あそこに、いい粘土の層があるよ。」
十歳になったタクミは、自動車の窓を開けて夏の朝の風にふかれています。
「わかるのかぁ。」
近眼で乱視の私が尋ねると、タクミは鼻をふくらませて、フッと息をしましたよ。
「わかるよ。」
自動車は、最後の峠を下りはじめました。

*

春の光の水田にはタネツケバナの白い花が一面に咲いていました。
「あそこにマリア観音の祠があるんですよ。どこから見ても屋根が見えないんです。」
マリア観音を守っているお宅の手前で、一度自動車を停めました。
タクミは熟睡しています。1時間ぐらいだいじょうぶでしょう。
それに、村の人たちが大勢集まって、祭りの準備をしています。
「ごめんください。」
私たちは、挨拶をしました。
「東京からよくきたなぁ。」
私は、菓子を出しました。
「キモチばかりですが。。」
祭りの準備を抜け出したSさんは、にこっとしました。
「今、資料みせてやる。」

*

東北大学の教授が書いた筆甫の製鉄に関する文献です。
カトリックの彼は、そんなことより、マリア像をみたくて、ウズウズしています。
「それでこれがマリア観音の写真だ。」
そこには、仏像の姿をしたマリア像がありました。
カトリックの彼は、ちょっと残念そうな顔をしています。
「ま、実物を見せていただけますか?」
私たちはご主人の案内で、祠に向かいました。
扉が開かれました。
カトリックの彼は、ためいきをつきました。
「ほぉ。。」

*

「ごめんください。」
十歳のタクミと私は何度か玄関先でくりかえしました。
誰も出て来ません。留守のようです。
祠に向かいました。鍵はありません。
心の中で、(ごめんください)と言って、開けてみました。
顔料の塗装ははげ落ちていますが、かすかにマリアの色の「赤」と「緑」が残っています。

「どうして手がないんだろ。」
マリア像の腕はざっくり、切り落とされています。
「子供を抱いている姿を隠すためだよ。」
「こけしみたいだ。」
まさかネ。赤と緑。腕のない像。マリア観音が「子消し」は大胆すぎるよ。
腕のないマリアは厳しい宗教弾圧の証人でした。
仏像の姿になって手を残し、キリストを抱いたのです。

*

「多分、一番古いのが大きいやつだ。仏像の格好をしているのが一番新しい。」
興奮した彼は、Sさんの了解を得ると、何枚も写真を撮影しました。

*

伊達藩に年貢を鉄で納めていたのです。
そのため、信仰を黙認してもらえたようです。
しかし、いつまでも続くわけではありませんでした。やがて、詮議が厳しくなり、その家の嫁は遠く仙台まで連れて行かれ、首をはねられました。
その犠牲があり、また、信仰は守られていったようです。
間違いありません。江戸末期まで、信仰は確かにありました。

*

その後5年ほどして、カトリックの彼は突然天に召されました。
ガンでした。
最後の電話は、少し酒に酔っていました。
「また、チョコエッグ交換しようよ。。。トノサマバッタあげるから、アオバトちょうだいよ。。」
家族のためにホテルマンを辞めた彼は、最後まで、少年のような彼でした。

*

「先祖は、今の広島あたりの人だったようだが、伊達政宗に連れられて酒田を経て、ここに落ち着いたらしいんですよ。」
家計図を見せてくれました。
初代から江戸時代末期まで、その家を継ぐ人たちの名前には、すべて「十」の字がついていました。「十衛門・・十・・十・・ 十・・・」
信仰を持った技術者集団は、海と沢山の山を越えて、ここを「ネオ・エデン」にしたのです。
私は、鳥肌が立ちました。
奇妙な地名の由来を確信した瞬間でした。

*

夏の透明な午前の光の畑から、トラクターが現れました。
多分、Sさんです。
「おおい!!」
私は手をふりました。私の声は届かないようです。
タクミは、手をふりました。
「おおぃ!!」
少年の声は、里山によく通ります。
トラクターの音がとまりました。
チッチゼミがなきはじめました。

タクミの自由研究は「金賞」でした。おめでとう!!でも、半分は代筆だけどネ。(笑)。。人気blogランキングへ。<




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