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こんばんは!さえきです。 先日1年ぶりに経過観察のため脳神経外科行ってMRI撮ってきました! 普通にMRI撮影して、そのあと造影剤入れて2回目のMRIを撮りました。 大丈夫そうみたいです(*'▽'*) 左側が先日の画像で 右側が病気発見の時の画像です まだちょっと水溜まってる?穴空いてる?らしいけど大丈夫だそうです(^。^) 経過観察ってどのくらい頻度で行くべきか?はたまたもう行かなくていいのか?分からなかったので先生に聞いて「お財布的にも年一のMRIが厳しくなければ1年に1回くらいおいで」とのことなので、年1行くことにしました!先生よろしくです! そして、こっちは先日皮膚科に行ってとってもらった脂肪腫?の縫い後です うーん、痛々しい( ´△`)! 先生からは「当日と翌日はシャワーだけにして」と言われただけなので多分もう湯船に浸かってもいいんでしょうが怖いので抜糸まで我慢します涙 もうすぐGW! お仕事頑張るぞ〜!(ほどほどに)
2021.04.25
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こんにちは!さえきです。 マスク生活のせいで私の顔の肌荒れ(主にニキビ)半端なくて昨年の秋から皮膚科に通っています。 昨日も皮膚科に行ったのですが、先生とお話の最後に 「他に質問はないですか?なんでもどうぞ」 と言われたので 「冬くらいからお腹に黒い出来物?出来てるんですけどこれなんですかね?」 と伝えたらその場で取る(手術)することに!! え!?仕事終わりの20時に行ったのに今からやるんす!?? いやぁ、お腹に麻酔の注射痛かったです! 「いたい〜〜〜!!!!」 って言ってました(・∀・)笑 痛いし怖いし汗だくになりました。 GW後に抜糸に行きます。 怖くてお腹の縫い後見れない…… 明日は会社の健康診断です。 健康かしら?
2021.04.22
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週明けに脳腫瘍の手術をして1年が経ちます。 去年の今頃、転職決まりたての会社を辞めて、緊急入院して、って感じでした。 ご飯も食べれず、延々と吐いて、歩くのも困難で、もう大変でしたね〜 もはや懐かしいですが、よく覚えてます。 ずっと病院内でしたが、神戸はいいところでした。 今月と来月は健康月間として、健康診断に行ってきます。 正直どこかしらは毎年引っかかってるので(前は乳ガンと脂質異常などは精密検査でした)今年こそはって感じですね😅 涼しくなってきましたね、体調崩さず、健康に生きましょう(*´-`)
2020.09.18
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最近ちょっと傷口が痛む気がするさえきです。といっても筋肉痛みたいな感じですけどね。気にするほどではないです。 先日退院してから半年が経過したので、症状が出た時に最初に行った病院にMRIを撮りに行きました。 前回行った時は造影剤入れないで撮るって話だったけど、今回行ったら「もう大丈夫だということを判断するためにも、やっぱり今日は普通にMRI撮るのと、造影剤入れてMRIも撮ります」と。 2回撮ったんで合計40分間くらいMRI入ってガンガンピーピー爆音で鳴ってましたわ(^ν^)笑 結果、もう通院しなくていいそうです(*'▽'*) 「よく頑張ったね〜」とか「お疲れ様でした」とか先生は言ってくれたけど照れ屋だからなにも反応返せなかった笑 記念にか何か知らないけど最初に撮ったMRIの画像と、今回撮ったMRIの画像をパワポにまとめてくれました!身バレしちゃいそうだけど…… 左側の上2つが脳腫瘍だって診断された時に撮ったやつで、右側の上2つが今回撮ったやつです。下の2つは今回の造影剤入れて撮ったやつですね。 このピンクが腫瘍と腫瘍のせいで袋に水が溜まって大きくなり、水頭症の原因になったやつ。このせいで小脳の反対側が押しつぶされて、脳浮腫になって脳が大きくなって吐き気とか歩行障害などなどを引き起こしていたわけです。 そして、こちらが今回撮ったやつ。水色の丸が手術で腫瘍を摘出して、ぽっかりあいた穴がここまで小さくなりました。 手術した大学病院では、教授に「脳腫瘍はね〜再発すると思っておいた方がいいよ!しばらくは大丈夫だろうけど。はっはっは!」 って脅されていたけど、こっちの先生曰く「外科医はそういうこと言っちゃうタイプの人間が多いから、気にしない方がいいよ。腫瘍も全部手術で取れてるよ」と。。。 芽ってつく腫瘍は予後が悪いものだけど、君がなったのは芽がつくけど良性の予後がいいものだからって言われたから、「いい腫瘍の種類で良かったです」って言ったら「そういうことじゃないよ、いいことはないけどねー」と言われました^_^笑 でももうちょっと遅かったら意識失っていたと思うよと言われました笑 神大病院の教授のことを「やっぱりすごいね!流石◯◯先生だね!あの先生はね〜◯◯が、得意でうんたらかんたら〜」ってものすごく褒めていたけど、私としたらどの先生が手術してくれたのか分かりません^_^ 担当医の教授がやってくれたのか、主治医の先生がやってくれたのか、手術室に入ったときは主治医の先生がニコニコしながらいたし、母が手術が終わって病院に呼ばれたときは教授がホルマリン漬けの腫瘍を持って「終わりましたよ〜」って言っていたらしいし、多分どちらもやってくれたのだと思いますし、もっと色んな人が関わっていると思います。(手術室は人いっぱいいたし) 皆さん本当にありがとうございました💕 私みなさんに本当に感謝していますし皆さん大好きです(*^_^*)笑 とにかく、もう通わなくていいそうで、1年に1回絶対MRI撮らなきゃいけないとかじゃないらしいんで、当分行きません。 と言いつつ、再発が100%しないわけじゃないだろうし、やっぱり早期発見が大切だと分かったから多分1年に1回はMRI撮ると思います。 とにかく、これでおしまいです! どうか同じ病気の人に少しでも希望がわきますように。勇気づけられますように。。。 頑張りましょうね(*´-`)
2020.04.12
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お久しぶりです。 気付けば2020年になってました。 病気になった去年ですが、退職と転職活動と入院とで働いていない期間がかなりあり、退院後お金が究極になく、退院してからすぐアルバイトしながら転職活動してました。 リハビリに、頭使うバイトしよ〜と思って百貨店のお歳暮の受付してみたりしてたんですけどね、まぁ難しい!笑 その時も転職活動してて、1社から内定をもらえたんですけど、給料面と通勤面で納得できない箇所があり、辞退して、引き続き転職活動することにしました。 その後も雑貨屋の販売バイトしながら転職活動してて、空白期間がまぁまぁあるから、面接では毎回「昨年病気になりました。」と正直に言ってましたわ。 それでも雇ってくれるところって、あるもんなんですねぇ(笑) 正直私は自分のやりたいことやって生きてきたから、ちゃんとした職歴もあんまりないんだけど、それでも雇ってくれるところって、あるんですねぇ………感謝です。 今は内定を貰った転職先で普通に働いています。 前職は企画営業だったから、たとえ身内の葬式で休んでいようが、土日祝だろうが、深夜1時だろうが関係なく取引先から電話はかかってくるわ、部署の連絡がLINEでくるわ、トラブルが起きたと店から連絡がはいるわ、日々超忙しかったけど、病気を機に事務職になりました。ちゃんと休めるところで自分を大切にしようと思いました(^。^) そういえば、前職の同期で鬱で急に会社来れなくなってそのまま退職した女の子から超絶久しぶりに連絡が来てご飯食べました。元気そうでよかったです。相変わらずの脳内お姫ちゃんでした。 東京に戻ってきてからも、脳外科は月1で通っていて(といっても先生と1分位お話しして、念のため吐き気どめの薬出してもらってるくらい)、再来月ようやくMRIを撮ります✌︎('ω'✌︎ ) 退院後初ですね!4月に半年経つからそこで撮ろうとなりました。 心配だけど、ちょっと楽しみ(^。^)笑 みなさんも健康に生きていきましょうね^ - ^ ばいばい!
2020.02.23
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こんばんは! あまり心配をかけたくないし、私自身そこまで大ごとだとも思っていなかったから、祖母や親戚には特に脳腫瘍になって手術したことを伝えてなかったんですが、この前母が祖母に「そう言えば〜」と私が脳腫瘍の手術した事を伝えたたころ、大変叱られたそうです笑 ごめんね、おばあちゃん°(ಗдಗ。)°. 仲間外れにしたわけではなく、そこまで考えが及ばなかっただけなんだよ〜〜 最近祖父が亡くなって、その後すぐ私も脳腫瘍が分かって手術してと、不幸続きだったからか、そんな祖母がこの前、高野山で数珠を買ってきてくれたそうです。あら〜〜 南無大師遍照金剛〜 私も外来のために先日関西に帰り、暇だったので高野山に行ったところです。 お天気はそこまででしたが、綺麗に紅葉してましたよ〜^ - ^ とてつもなく寒かったですが 父に半ば騙され授戒も受けてきましたよ! 前情報何もなく、一人で高野山行ってたから、授戒が始まった時真っ暗闇でお経を唱えさせられるとは微塵も思ってもみなくて一生懸命お坊さんの「南無大師遍照金剛」の後に続いて「なむだいしへんじょうこんごう〜」と唱えてました笑 みなさんも機会があれば是非! 本題です。この前関西に戻って大学病院へ外来に行ってきました!毎回「MRI撮るのかな?」と思ってスッピンで行くけど、毎回先生と数秒話すだけで終わる笑 それなら電話でいいです笑 東京から関西まで毎回ホントに無駄な交通費笑 でもそれも終わりました〜!! もう大学病院じゃなくて、最初に診てもらった東京のクリニックでこれからは診てもらってとのことで! 相変わらず薬は1日に一錠は飲まないと気持ち悪くなるけど、これから先、日にちぐすりで良くなっていくことを祈っとります〜! あとは再発の恐怖に怯えながら日々を過ごします! みなさん、一緒にがんばりましょうね( ´ ▽ ` ) では!
2019.11.19
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退院して3週間くらい経ちました。 前回の外来で、先生に薬を飲まなければ吐き気が出ると訴えたときは、もう吐き気は出ないはずなんだけどと対して気にもしてもらえなかったけど、取り敢えず薬を出してくれました。 その後、私も薬を飲まないでもいいようになりたかったから、1日2回、1日1回とどんどん薬を飲む回数を減らしていきました。 が、飲まないようにしようと思うと、吐いてしまう。 先週と今週で2回吐いてしまった。 外来の時、先生に「吐き気は他に原因があるんじゃない?腫瘍は手術で取ったしもうそれで吐き気は起こらないはずだよ」と言われたけど、じゃあ原因は何なんだ? 薬を飲まないと吐き気がするんだが、他に原因は何なんだ? 人体のスペシャリストじゃないんで原因とか私には分かりません…(´・_・`) 手術の影響だとしても、再発してたとしても、他に原因があるとしても、私には分からないんで、私の望みは原因を突き止めて治療をして治したいだけです。 なんで吐くんだろう…。
2019.10.28
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退院後初の外来に行ってきました! このために東京から関西に戻ってきました!交通費が〜(ToT) MRIも撮るかな?と思って化粧せずに行ったら問診で終わった(笑) 手術後に起こっていた障害も、今は全くないことを告げて、傷口も見て終わりって感じでした。 薬飲み終わったらまだ吐き気もあることを伝えたら、もうないと思うんだけどな。とのことでしたが、私が訴えたから薬出してくれました(笑) いや、私も薬飲まないようになりたいですよ先生〜吐き気が出たら飲むようにしていこうとなりました。 仕事も再開して大丈夫と言われました。 美容院は、髪染めたりはあと1ヶ月はダメだそうで。もっといっちゃダメなのかと思ってた!不安だから術後3ヶ月は様子見ます(笑) 病理検査の結果は、術前と同じく血管芽腫でした!血管芽腫は良性なんで、取り敢えず良かったです。転移性かどうかも、入院中に色々検査した結果、どこにも問題はなかったそうです。 私が心配してた甲状腺も特に問題なし!いぇい!いぇい! その日はそれで診察終わり。 さて、退院の日に事務が休みだったから「計算が出来てないから後日」と払えなかった入院&手術にかかった費用の請求書をもらいます。 計算ができてないから、費用もこの日初めて分かります。 どれくらいなんやろ…とドキドキしてましたが、14万円くらいでした。入院が月をまたいでいたので2ヶ月分かかったけど、高額医療費制度のお陰で思っていたより安く済みました! 保険とか関係なしに実際にかかった入院&手術費はなんと228万円!高すぎぃ!! 日本の医療保険制度が整ってるおかげですね…国ありがとう( ; ; ) 皆さんも、絶対入院の前に、高額医療費の申請をしましょうね。私は事前に申請してたから、自己負担分だけの支払いで済みましたが、申請してなかったらと考えると保険きいて60万円は…たとえ一時負担だとしても恐ろしいですね\( ˆoˆ )/ 先生曰く「小脳腫瘍は再発の可能性はどうしてもあるけど、しばらくはまぁ大丈夫やろ〜」だそうです笑 当たり前やろ、大丈夫にしてくれ笑 次の外来はネットで調べた感じ、3ヶ月後くらいかな〜と思ってたら何故か1ヶ月後でした。 東京に住んでるから、関西帰ってくるだけで往復交通費がかかるんだよなぁ… でも、手術したところで責任持って予後観察してほしいし、もし再発してもそのときもまた神戸大学病院がいいと思ってるんで、文句言わずに行きますよろしくお願いします(^-^)
2019.10.18
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退院してから10日が経ちました。 安静期間でとても暇なので、出来る限り早く普段通りに戻れるように、毎日近所の公園を散歩したりする様にしてました。 退院してから直ぐの頃は相変わらず右に引っ張られるような感じで真っ直ぐ歩くのも意識しないといけなかったけど、今ではその感じもないです。手術のために剃った髪の部分を手で触り、髪の毛って直ぐ伸びるんだなということを実感してます(笑) 今は毎日、処方してもらった吐き気どめの薬を朝昼晩欠かさず飲んでます。 本来なら、術後1週間で薬も終わっていたはずだったのに、薬が切れた2日後の退院前日に、猛烈な吐き気と気持ち悪さが出てきた為、先生が次の外来まで吐き気どめを追加で処方してくれました。 もうすぐ退院後初めての外来です。 外来まで薬を欠かさず飲んで、外来で元気ですと答えて、薬が切れた外来後に万が一まだ吐き気と気持ち悪さが出て来たら嫌だなと思い、昨日の夜まで薬を飲み、今日は朝から飲むのをやめてみました。 結果、まだ吐き気と気持ち悪さが出る事が分かりました(´・_・`) 夕方、吐き気が出てきて何回もえづいてしまい、気持ち悪さも出てきたので、仕方なく薬を飲みました。 思えば、昼も気分が悪くて体温計で熱を測ってみてました。熱はなかったですが。 私としてもいつまでも薬を飲み続けるのは、体にとってもどうなんだろうと思うので、出来れば何も飲まなくても良いようになりたいと思っています。 もしかしたら、今日、たまたま体調が悪く、気持ち悪くなり、吐き気が出てきただけの可能性も捨てきれない(そうであってほしい)ので、さっき飲んだのを最後に、明日も薬を飲むのを一旦やめて様子を見てみようと思います。 それでも、また気持ち悪さが出るようなら、外来で先生に相談しようかなと思います。 あと、昔かかりつけ医に言われたことがある甲状腺の腫れも(その時は様子見ということでなんの処置もなし)入院中に出て来て、手術前に先生たちも「もしかして甲状腺腫れてない?」と気づいてくれたので、入院中に甲状腺も検査すると言ってくれていたけど、しつこいくらい毎日訴えていたけど、絶対忘れてる気がするので、それも聞いてみようと思います。 しつこいかな?と思って訴えるのやめたけど、もっと訴えればよかったかな。人のこと安易に信用できない性格なんで不安です。 もし忘れられていたら、とても悲しいですが、大人しく近所の病院行きます…最近また腫れてくるようになって苦しくなることが多かったから早く検査してもらいたいんですわ……。もし忘れられていたとしても、出来ればそのまま大学病院の他の科と連携して診てもらいたいんですけどね! あと、大事な病理診断結果ですね。これはちょっと怖いですけどね……術前は良性って言われたけど、腫瘍を検査してから結果が分かりますもんね……良性でありますように………! 数々の血液検査とかの結果も聞けるようなら聞いてみます。 いつになったら薬を飲まなくても平気になるんでしょうか…… 早く普通に戻りたいです。
2019.10.15
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抜糸してから3日が過ぎた。 入院生活15日目。 今日は朝から体調が悪かった。熱っぽいというか、ダルいというか。 それでも手術後、頭の中の違和感でスッキリと起きれる日はなかったから、それがちょっとひどいだけだろうと思い、朝の先生たちの回診の時も「元気です」と答えた。 朝ごはんを食べ終わると、吐き気がするようになった。単に胃もたれしているだけだろうと思うようにした。 昼前に眼科に呼ばれて、眼科検診に行った。 私が初めて大学病院の脳外科の外来に来た時、待ってる人は4組くらいしかいなかったが、眼科はそんなレベルじゃなかった。 何人待ってるかは分からないが、ものすごい数の人が待っていた。外の待合室も、中の待合室もギュウギュウに人で溢れかえっていた。検診に来ていたおじさんが、看護師に「ものすごい人だね」と驚いたように言っていた。同感だった。 元々両目とも裸眼で視力2.0と目が良かった私は普段眼科に行くこともなく、眼科ってこんなに混んでるのか…と思った。 目の検査を色々してもらって、待ち時間と検査時間合わせて1時間半〜2時間かかった。 眼科の先生に「ものすごく目がいいね!全く何の異常もなし!」と言われた。両目とも上限の1.5だった。目の良さしか取り柄がないから目の良さは自慢だった。 「絶対1.5以上見えたと思うよ」 と笑って言っていた。 病室に戻って、昼ごはんを食べた。 やっぱり吐き気がすごい。どんどん気持ち悪くなってきた。 看護師に訴えたが、その時ちょうど看護師が忙しくて検温もしてもらえなかった。 そうこうしてるうちにリハビリの時間になってリハビリに行った。 リハビリの先生に 「今日は体調が悪いんです。自称ですけど…でも自称体調不良なんで頑張ります!」 と言って、普段通りリハビリをしたけど、途中で先生に 「顔色悪いから今日はリハビリやめよう。血圧はかるよ」 と言われたから「体温もついでに計ってほしい」と伝えて両方リハビリ室で計ってもらった。 先生忙しいのに、私なんかのためにどうもありがとうございます…涙 結局熱もなく、血圧も先生はちょっと低い気がすると言ってたけど、普段とそんなに変わらなかった。 病室に戻ってしばらくしたら先生たちの回診が来た。吐き気がすごいことを訴えた。一昨日で吐き気どめの薬の処方が終わっていたから、まだ薬がないと吐き気がすごい出てくることがわかった。 次の外来まで吐き気どめの薬を出してくれることになった。 先生たちは明日休日で休みだから、この日にお礼を言おうとずっと思っていたが、吐き気と気持ち悪さとダルさがすごくて、とにかく何とかして欲しくて、とてもお礼を伝えられる精神状態ではなく、結局お礼を言えなかった。とても心残り…。 先生たちに助けて頂いたおかげで、私は元気になりました。本当に本当に、本当にありがとうございます。 ずっと伝えたかったが伝えられなかった…。 そのあと、CT検査をして、夜に薬剤師が吐き気どめを持ってきてくれた。 手術前と同じくらい吐き気も気持ち悪さもだるさもあった為、薬剤師さんが来たとき安堵して、すぐ飲んだ。 吐き気どめを飲んで2時間くらいしたらちょっとずつ楽になってきた。 次の日の朝、無事に退院した。 入院期間は合計で16日でした。入院初日の入院計画では2週間って言われてたから妥当な入院期間でした。 退院の前日に仕事をいつから始めていいか先生に聞くと、次の外来の時の私の状態で決めると言われた。外来までの2週間は安静にすることだった。 病理検査の結果も、外来のときに伝えるとのことだった。 入院費と手術費も、退院の日が土曜日だから、計算が出来なくて、次の外来のときに請求書をもらい、その日に払うことになった。 どのブログにも入院費について書いてなくて参考にできなかったから、入院費と手術費がいくらかかったのか分かったらまたブログに書こうと思います。高額医療費制度申請してるけど、一体いくらになるんだろう…おーこわ。 脳腫瘍は再発が怖いけど、とにかく外来までは近所の公園を散歩したり、安静&自主的にリハビリしたいと思います! 脳腫瘍の手術をされる方は後遺症が怖いと思いますが、私は今のところ頭の中の違和感、ちょっとクラクラする、歩くときに右に引っ張られて真っ直ぐ歩けない(気をつけて歩いたら真っ直ぐ歩ける)くらいです。 あと、頭を縫ってるからつっぱり感はありますね。名探偵コナンの鈴木園子みたいな硬いきつめのカチューシャをずっと付けてる感じ(笑) 脳の手術の影響での部分も大きいと思うから、日にち薬でこの後どれくらいこれが改善されるかですね!出来る限り自分で散歩したり体を動かすようにして、もし治らなくても慣れるようにしていきたいと思います。 あとは、この病気のせいで折角の転職を失ったことですね!あんなに頑張ったのに!笑 タイミングが悪すぎる!! 病気になったことによって、転職も不利になるだろうし、転職したてだった私はブランクの期間超長くなってしまったけど、めげずに頑張ります\( ˆoˆ )/ 大学病院のみなさま! 東京でかかった脳神経外科の先生! なにより、手術をしてくださった主治医ならびに先生方! 本当にありがとうございました╰(*´︶`*)╯
2019.10.09
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術後7日目。入院12日目。 ついに抜糸の日がやってきた。 手術の時の傷口は、ホッチキスの針みたいなもので留められていた。何個かは正確には知らないけど、見舞いに来た姉に見てもらった時は10個以上はあるんちゃう?と言っていた。 主治医が「抜くよ〜」って病室に来た。 こわいこわいこわいこわい(涙) 緊張しすぎて超汗かいた。 ものすごく怖くて、頭にホッチキスの針刺さってるんだからそんなん抜く時絶対痛いだろ涙 と思ってたら、いざ抜いてみるとまっっっっったく痛くなかった。 え?抜いてます? 抜いてるよ〜 って感じだった。たまにちょっと痛い箇所もあるけど、それでもその痛さは髪の毛を一本抜く時と同じ感じの痛さだった。「この医者神かよ…」とまたしても思った。 「こっちで終わりじゃないんだよね〜手術中頭固定する為に何箇所か頭にホッチキスの針残ってないかな?」 って先生に言われた。 え?そうなの?そういえば頭は全体的に何箇所も痛かったけど、私てっきり何日間かシャワー入ってないから頭にニキビいっぱい出来たのかと思ってたわ。だから頭何箇所も痛かったのか… 抜糸してからはもう無敵って感じで完全に元気になった。 この日にようやく退院について話があった。病理検査の結果待ちと、金曜日に眼科の検査かあるから、週末の退院にすることにした。 「土曜と日曜どっちがいいかな?」 と聞かれ迷わず 「土曜で!」 と答えた。 退屈で仕方なかった。
2019.10.09
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入院9日目。術後4日目。 点滴も外れたことだし、この日はシャワーに行くことにした。看護師さんに包帯も外してもらって、5日ぶりにシャワーへ行った。 本当は術後3日を過ぎた日から先生にシャワーに入っていいよ。傷口も清潔にしないとね。と言われていたが、点滴ついてる状態でシャワーに行くのも面倒くさくて、傷がしみるのが怖くて怖くて、毎日毎日看護師に「しみますかね…?」と聞いていた。その度に看護師に「しみません」と言われていた。 術後、傷跡を毎回看護師が確認してくれたが、そのたびにみんな「傷跡すごい綺麗だわ」と言っていた。「髪が伸びたら全く分からないようにしてくれてる」と言っていた。頭の切ったところは傷口に沿って極一部だけ剃られていた。看護師みんなが言うということは、本当なんだろうなと、先生に感謝した。実際、耳後ろの生え際の部分が傷跡だったから、上から髪で隠れて、はたから見ると全く切ったことはわからなかった。 シャワーは怖くて怖くて仕方なかったけど、いざ頭にお湯をかけてみると全くしみなかった。というか微塵も痛くなかった。シャンプーで傷口以外は普通にごしごし洗っていいと言われたけど怖くて力が出なかった。 お風呂から上がったが、包帯も巻かなくていいようになった。包帯のせいで耳が痛くなってたから地味にありがたい。 この日は点滴も外れて自由になったから、同じフロアの食堂まで歩くことができた。リハビリを兼ねて、トイレも部屋の中を使わずに、極力病室の外のフロアの共有トイレを使うようにした。できるだけ歩いて、できるだけ早く元の感覚に戻れるように努力した。 見える景色がおかしいということも、あれ以来なかった。 入院10日目。術後5日目。 この日は特に何の検査もなく、ただただ暇な時間を過ごした。日曜日だから先生方もお休みで、リハビリの予定もなく、小説を読んだり、食堂まで歩いたりした。 そう言えば、数日前から本も読めるようになったし、携帯も見れるようになっていた。 この日から睡眠導入剤は貰わず、自分の力で眠るように頑張った。まぁ、眠れないけどな! 入院11日目。術後6日目。 今日も採血があり、注射嫌いだから毎回本当に嫌だったが、その日の担当看護師が上手かったのか、びっくりするくらい痛くなかった。人生で一番痛くない採血だった。「この看護師神かよ…」と思った。 CTの検査をしたり、リハビリに行ったり、シャワーに行ったり、もう普通だった。気持ち悪さも全くなく、視界がちょっとぼやける、頭の違和感を除けば元気そのものだった。 この日に大部屋に移動になった。
2019.10.09
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入院8日目。 相変わらず、今日も元気だった。薬に頼るのは嫌で飲まないようにしていたが、流石に眠れてなさすぎかなと思い、夜寝る前に睡眠導入剤を貰ったからか、いつもよりは眠ることができた。 頭の傷を無意識にかばうために、右肩と首がとてつもなく凝っていた。 この日も先生たちの朝の回診があった。 「どうですか?」と聞かれ 「先生たちのおかげで元気です。本当にありがとうございます」と言った。 本当に、心の底から先生たちに感謝していた。 今日はMRIもあった。車椅子で連れて行ってもらった。放射線技師もとっても優しい。終わってから迎えの看護助手を待っている間、寒いからとタオルケットみたいなものをかけてくれた。 今日からリハビリが始まった。 リハビリといっても、そこまで酷い後遺症も無かったし、リハビリの先生と話して、退院までに体力をつけること。出来るだけ真っ直ぐ歩けるようになること。を目標にリハビリに通うことになった。 リハビリの先生もいい人だった。いい意味で誰に対してもフランクで、気を遣わないで話すことが出来た。この病院には良い人しかいないのか?と思った。 リハビリは30分くらいだった。 夕方、教授回診があった。 私の元気な姿を見て、「大部屋に移動になっても良さそうやな!」と笑顔でお話しした。私も個室はもっと重症の人に使って貰いたくて、ここに元気な自分がいつまでもいるのが大変申し訳なくて、「そうしてください」と言った。 術後の抗生物質の点滴も終わり、脳の腫れを抑える薬も前日からだんだん少なくしていたし、ご飯も食べれるようになったら、この日の夜には、点滴も外れた。 薬も口から飲めるようになったから、夜から酔い止めを錠剤で飲むことになった。 ついに完全なる自由がやってきた! 手術前、ネットで色々調べている時に、記憶障害が残るかもと見たから、出来るだけ頭を使って、出来るだけ手も動かそうと思い、持ってきたノートに、ひたすら、さんずい編の漢字を思い出しては書いたり、山手線の駅名を外回りの順番に思い出しながら書いたり、東京23区を思い出しながら書いたり、1人クイズをした。 全く問題なさそうだった。 夜寝る時、相変わらず、寝転びながら左を向くと目がくるくる回るから、仰向けと右向きで寝た。今日も睡眠導入剤をもらっていたから、今までで一番眠ることが出来た。
2019.10.08
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夜、ちょっとずつしか眠れず、何度も目が覚めた。 右耳の後ろの傷をかばうために、左側を向いて寝てみようと思ったが、左を向くと目が回って世界も回ってしまった。 これは無理だと思い、右側を向いてみたら、こちらは目が回らない。傷が怖かったけど、気にせず横になっていいと昨日病室に来た先生に聞いていたため、少し痛いが右を向いて目を閉じることにした。 様子を見に看護師さんが部屋に入ってきた音で目が覚めた。自分がどこを向いているのか分からなかった。平衡感覚がおかしかった。看護師が壁を歩いている。そんなアニメのような話がある訳ないのに、頭では分かっているのに、何度見ても、看護師が壁を歩いているのである。その感覚が元に戻ることはなく、いけない!と思い、仰向けに眠ることにした。 1時間後くらいに、また目が覚めた。 正面の壁にかけてある時計が見える。 でも、それがおかしかった。 時計の"9"が下にあり、"3"が上にあった。 仰向けに寝てるはずなのに、本来左側にある壁や棚が下にあり、反対に右側の壁が天井にあった。自分がどこにいるのかも分からなかった。 世界が90度左側に回転していた。 え?そんな訳ない。 そうだとしたら、私は壁に地面から浮いた状態でベッドに寝ていることになる。でも重力で左に落ちない。おかしい。と混乱した。 とにかく、そんな訳ない。左は地面じゃなくて左だ!右は天井じゃなくて右だ!本当の重力は時計の6だ!6が本当の下だ! と何度も何度も自分に言い聞かせて、少しずつ本来の向きに戻ってきた。 朝が来た。入院7日目。 相変わらず眠れず、4時ごろ起きていた。 昨日の辛さが嘘のように元気に思えた。 看護師の提案で歩いてみることにした。 手伝ってもらって体を起こしてベッドに座ってみたが、吐き気もなく、気持ち悪さもなかった。立ち上がると右に倒れそうになり、流石に1人ではまだ立ち上がれないなと思った。看護師に付き添ってもらいながらだけど、フロアを一周歩くことができた。 看護師さん、どうもありがとう(^-^) 先生は手術で頑張ってくれたんだから、ここから先は私が頑張るしかない!少しでも早く回復するために、体を動かそう。 と思えるように気持ち的にも回復していた。 病室に戻ったら、「歩けるようになったら、マッサージ機も取れるし、尿の管も取れます。ご飯が食べれるようになったら、点滴も抜けます。」と看護師に言われた。 朝の検温の時には、心電図も外れて、脚のマッサージ機も取れた。 8時には朝ごはんがやってきた。 全部食べることができた。点滴も早く外してもらいたくて、量が多かったが無理して完食した。 昨日が嘘のように元気になった(笑) そうこうしてるうち、先生たちが朝の回診でやってきた。主治医が「あれ!?座ってる!?」ととても驚いていた。そりゃそうだ(笑)昨日を知ってる人からしたら驚きの回復だった。昨日はご迷惑をおかけしました〜( ´ ▽ ` ) 他の先生たちも私の状態を聞いていたらしく、驚いていた。「どうですか?」と聞かれ、「元気です。」と答えた。 起きたら平衡感覚がおかしかったことを言った。「それはそうとうおかしいね」と言われた。「若いから回復も早いのかな?」と主治医が言っていた。 目に光を当てたり、先生の指を追ったりして、見えにくいところはある?と聞かれ右が違和感があること、ぼやけて見えること、歩いたら右に引っ張られる感じになることを言った。 後々わかったが、右眼ではなく、左眼が見えづらかった。 看護師がやってきて、ついに尿の管も抜けて、点滴のスタンドを補助にしないとフラフラで歩けないが、1人で部屋の中のトイレに行くこともできた。 それから1時間後くらいに主治医がやってきて、頭の傷を消毒してくれた。痛いんじゃないかとビクビクしたが、そこまで痛くなかった。 「付けなくても全然いいんだけど、消毒したし取り敢えずガーゼを付けたいんだけど…」 と、とても雑にガーゼを付けて、看護師と入れ替わりに出て行った。本当に取り敢えずだった。先生が出て行った瞬間にはガーゼがずれ落ちて取れていた。もはやガーゼは意味がなかった(笑)私はそれがなんだか可笑しくて笑えてきた。 看護師さんに、傷はどうですか?と聞かれたから、先生が取り敢えずガーゼを付けてくれたがズレ落ちて意味がないのでは…と伝えると、ほんとだ!意味ないね!これならまだ看護師の方が上手くつけれる!と言って、包帯で頭をぐるぐる巻かれた。本当は先生ガーゼも別にいらないって言ってたんだけど、なんだか大袈裟に病人みたいになってしまったな…と思った。 主治医まさか不器用なのか?と思い、また面白くなって笑った。
2019.10.08
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術後1日目。入院生活でいうと6日目。 私は一般病棟に戻ってきた。 と言っても、手術前の大部屋ではなく、重症患者用の個室だった。2、3日したらまた大部屋に移動になるかもですけど…と看護師さんに言われた。 しばらくしたら母がお見舞いにやってきた。 一般病棟に移動したら、早い人だとすぐ尿の管が取れると、手術前に看護師に聞いていたし、同じ脳腫瘍の人の体験ブログでも一般病棟に移動したら尿の管が取れた。と書いてあった為、私も移動したらすぐ取れるものと思っていた。 が、頭を動かすだけで酷い吐き気に襲われ、嘔吐した。それでも管を外してほしかった私は座ってみたいと看護師さんに言い、手伝ってもらって、体を起こしてみた。 無理だった。とてつもない吐き気に襲われ、嘔吐が止まらなかった。手伝ってもらわないと、体を起こすことも出来なかった。 ずっと看護師さんが背中をさすってくれた。ここの看護師さん達は本当に優しい。入院中何度も嘔吐したが、その度に皆んな背中をさすってくれた。 ベッドに横になることにした。それでも暫くは嘔吐が止まらなかった。 先生に吐き気を抑える点滴を処方していいか確認してくると言ったっきり看護師がなかなか戻ってこず、母が先生がつかまらないのかなと呟いた。 とてもじゃないが、今日尿の管を外すのは無理だと判断して、外すのを諦めた。 その日は時間が過ぎるのがとてつもなく遅かった。 夕方頃、主治医の先生が様子を見に来た。ICUは、1日だけ我慢すれば楽になると思って頑張っていたのに、今は何を目標に頑張ればいいのか分からなくて、何で自分が病気になってしまったのか。私だって好きで病気になったんじゃない。頭も痛くて、吐き気も嘔吐もするし、ずっと気持ち悪いし、いつまでもこの状態が続くんじゃないかと思って、本当に辛くて辛くて、先生と母親の前で号泣した。恥ずかしいとかもうどうでもよかった。 忙しいのに、先生を足止めして悪いなと分かっているが、泣くしかなく、先生にずっと「助けてください」「いつになったら良くなりますか?明日には良くなってるんですか!?」と泣きながら訴えていた。 それでも先生は私がもういいですと言うまで病室にいて、母と一緒に私の泣き言を聞いてくれた。 「看護師も、よく頑張ってるって言っていたよ」 と先生に言われた。 先生もいなくなって、母もいなくなって、1人になった。1人になったら泣けなかった。誰かに代わってほしいとは微塵も思わないが、誰かに辛さを分かってもらいたいと思っていたんだと思う。 その日は昼からご飯が出る予定だったらしいが、とても食べれる状態ではなく、昼も夜もご飯を断った。気持ちも絶望的な気持ちになっていた。 私にとってはICUにいた日より、この日が何よりも地獄だった。
2019.10.08
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ICUは辛いと、色々な人の体験ブログを読んで覚悟していた。 手術前の先生の説明でも、手術で腫瘍を取って水が抜けたら、いきなりあったものが無くなるから脳が勘違いして、術後に頭痛や吐き気がしばらく続く。とも言われていたから覚悟していた。 手術後ICUに運ばれる時も、手術ベッドからICUベッドに移る時も、ちょっとの振動で頭が揺れるものだから気持ち悪くて仕方なかった。また、枕が硬いのなんの! 頭切ったところが痛くて怖くて、でも動かしても気持ち悪くて、右も左も向けなくて、結局そのまま仰向けに横になっていた。痛いと言っても切った為の切り傷のような痛さではなくて、頭にたんこぶができた時のような痛さだった。 ICUに来た時には、心電図、指先に何かを図る線、酸素マスク、尿管が付いていた。またエコノミー症候群予防だと手術前にメディキュットみたいなキツめの長い靴下を穿かされたが、その上から更にマッサージ機のようなものが付いて一定のリズムで膨らんだり萎んだりしていた。 点滴も新たにつけ変わっていたり、左手首の大動脈の場所にも一箇所付いていた。 何よりも辛かったのが尿の管だった。トイレに行かなくても、管を通って勝手に排尿されるのだが、ずーーーーーっとトイレに行きたい。という違和感があって、それが不快で不快でたまらなかった。何回も看護師さんにトイレに行きたい。膀胱に尿が溜まっている気がすると訴えていた。 その違和感で寝れるわけもなく、また、喉が渇いて渇いて。水を飲みたいと言うが、水はその日は飲ませられないと看護師に言われた。 氷なら舐められるが、まだ許可が出てないから氷も舐められない。と言われ、しばらく我慢して、ようやく氷を舐める許可がおりた。 しかし氷も3個までしか舐められないらしく、辛かった。 寝れもせず、酸素マスクはすぐ外れて鬱陶しいくせに意味がないし、何度も自分で付け直していた。ずっと気持ち悪かったが、「ICUが一番辛い。今日一晩乗り越えれば、解放される。看護師さんも、尿の管は早ければ手術の次の日には取れると言っていた。」と信じて、一生懸命耐え、ただ時間が過ぎるのを待った。 ICUでの一晩は本当に本当に長くて、時計を見て「今2時か…」と思うが、次に時計を見ると3分しか経っていなかった。それを繰り返した。 ひたすらに時間が過ぎるのを耐え、6時ごろ、看護師に「寝れましたか?」と聞かれ「全く」と私は答えた。 何かを目標にしたくて、 「いつ一般病棟に戻れますか?」 と聞くと、 「CTの検査をして、その後先生の許可が出たら一般病棟に移る。11時くらいになるかな。」 11時(泣)長過ぎる(泣) ひたすら耐えた。 CT検査の前に、大きい機械を持ってレントゲンを撮りに来た。 その後、CTに呼ばれたらしく、ベッドのままCTを撮影する場所まで移動することに。その前に、酸素マスクが取れた。 運ばれるのだから、当然ベッドは揺れる。ただただ気持ち悪くて吐きそうで仕方がなかった。 CTのベッドに移る時も気持ち悪くて気持ち悪くて。 CTの撮影が終わったらまたICUに戻る。またベッドが揺れて気持ち悪くて気持ち悪くて。 ICUに戻ってきたら、大動脈についてた点滴のチューブも取れた。また指の先に付いていた線も取れた。 先生の許可がおりたら、一般病棟に移りますね。と言われたが待てども待てども連絡がこない。 隣の部屋の患者さんの方がCT検査とかも私より遅かったのに、私より先に先生(別の先生)から許可がおりたらしく、看護師さん達が 「〇〇さんの方が早く一般病棟に移る許可がおりたんだけど(笑)さえきさんの主治医誰?〇〇先生か…」 「電話したんですけど出なくて…」 と言う会話が聞こえてきて (おい〇〇、ふざけんなよマジで) と私はこの時だけ心底主治医を憎らしく思った。 「俺がもう一回電話するわ」 と別の看護師さんが主治医に電話をかけてくれ、そこでようやく繋がり許可がおりた。 (ついに一般病棟に戻れる時がやってきた。私はICUを耐え抜いたんだ!これで辛いのが少しは楽になる!) と、この時私は思っていた。
2019.10.08
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手術当日になった。 昨日の晩、手術前に腸を空にしようということで座薬を入れたが、待てども待てどもお腹も痛くならず、全く便が出なかった。手術中に便出たら悲しいな~~とか思っていたら朝に無事お腹痛くなって出た。あーよかった。 夜から水も飲めていなかったが、アミノバリューとかいう飲み物は早朝まで許可された。看護師さんは美味しくないと言っていたが、まずいわけではなかった。 4時半くらいに手術前の採血をしに看護師が来た。朝ごはんは手術前で勿論出なかった。 そうこうしてるうちに家族が来て、昼頃先生に説明のため別室に呼ばれた。担当医と主治医が説明してくれた。 この時まで脳腫瘍の詳しい種類が分からなかったため、やっぱり不安だった。 私の腫瘍の正体は【血管芽腫】というものだと知った。血管芽腫は脳腫瘍の中でも非常に珍しいもので、脳腫瘍のうちの1.7%しかならないらしい。ただ、血管芽腫は良性のものらしく、手術で取ってしまえば改善するとのことだった。 私は右の小脳に腫瘍があったため、右耳の後ろの生え際の部分から切って、頭がい骨も割ってあける開頭手術だった。 丸坊主にするのもやむおえない…くっ…!と私は覚悟していたが、手術箇所をちょっと剃るだけで済むと知ってほっとした。 ただ、小脳腫瘍はできた場所が小脳であるため、手術で神経などに触れてしまい、歩行障害や視力障害、運動障害、失語などさまざまな後遺症が出る可能性もあると説明された。 多少の障害が残ってしまうかもしれないことを事前に覚悟していた私は、この気持ち悪さが治り、生きれることのほうが重要であったため、即承諾した。それに、先生たちを信頼していた。 手術は私は何も頑張れない。先生たちに任せるしかない。でも先生たちも頑張って手術してくれる。病気を治せるのは私ではなく、先生たちしかいない。私が頑張るのはおそらく術後だろう。私からしたら担当医も主治医も、神様のような存在だった。 大学病院だから、症例をレポートにしたり、学生の勉強のために使うこともあるとも説明された。私なんかで役に立てるなら是非大いに活用してくれと思った。 なんで仕事の話になったのかは忘れたが、私の前職が365日中360日働いていたことを話したら、ブラック企業だね。僕たちと同じだね。と教授が言っていた(笑) いや、ほんと、お医者さん達の方が大変ですよ。 色んな同意書に署名をした。 信じてますよ、先生。 14時から手術になった。 病室で手術着に着替え、車いすに乗り、看護師さんに手術室まで運ばれる。手術室のあるフロアで「ばいばーい」と、家族と別れた。 手術は怖くはなかったが、やっぱり緊張した。 「手術は先生が頑張るから何も頑張らなくていいですよ。術後は頑張らないといけないけど」 と看護師に言われた。私も全く同じ意見だったから、その看護師さんが一番好きだった(笑) 「手術は先生が頑張るから私ができることは何もないし、先生たちを信頼してるから不安はないけど、やっぱり緊張しますね」と看護師に言った。 そんなこんなで手術室についた。 手術室にはたくさんの人がいた。手術室のベッドは狭かった。ベッドに寝転がって、いろいろ質問をされた。 「生年月日はいつですか?名前は何ですか?血液型は何ですか?何の病気で手術しますか?今日は何月何日ですか?」 ひとつひとつ答えていった。 全身麻酔が初めてではなかったため、麻酔はとくに怖くはなかった。 看護師が同意書を忘れたらしく、私のことで誰かが怒られるのが嫌だった私は 「私、同意書全部書きました!だから看護師さんを怒らないでください!」 と言った。 主治医に笑いながら「大丈夫だよ〜怒らないよ〜」と言われた。 なんて穏やかで優しい人なんだ…この人が主治医でよかったな…と私は思った。 医者のうちの一人に頭にカチューシャみたいなものをつけられた。また、他の医者に酸素マスクみたいなものを当てられ 「普通に呼吸してくださいね。点滴の場所がだんだん痛くなってくると思うけど、そのまま呼吸を続けてください。」 と言われた。 言われた通りに呼吸したら言われた通りに点滴の場所が痛くなってきた。 (あぁ、本当だ。いたい。いたい…いたい…いたい…) で意識がなくなった。さすが全身麻酔。本当に早い。 次に意識が戻ってきたときは、いろんな人の声が聞こえた。 あぁ、お医者さん達だなと思った。でも目が開かない。このまま寝ていてはいけないと思ったが全然目が開けない。例えるなら、金縛りにあって、一生懸命声を出そう、動こうとするが全く声が出ない、動かない。その感覚と一緒だった。それでも一生懸命目を開こうとして、ようやく目が開いた。 手術後、私はとても体が震えた。ガタガタと大きく全身が震えて自分の意思では止めることが出来なかった。 「寒いの~?」と先生に聞かれて 「いや、寒くないんですけど震えてしまうんです。」 と答えた。手術後に震えることはよくあるらしかった。 この時のことは詳しくは覚えていないが、震えはICUに着いた時には治まっていたと思う。 そのままICUに運ばれた。 しばらくしたら母と姉が来た。ICUでの面会時間は10分しかできなくて、すぐ帰って行った。 ずっと私は「頭が痛いです。しんどいです。助けてください。」と繰り返していたらしい。 時計を見ると18時だった。私が勝手に予想していた手術時間が6時間くらいだったから、4時間と予想より早い結果になった。 ICUでの一晩は地獄だった。
2019.10.08
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入院2日目。 携帯の画面を見るのもしんどくて、昨日は全く触れなかった。脳の腫れを抑える薬も点滴してくれてるから、幾分かはマシだけど、ダルさも気持ち悪さも治らなかった。 病院の夜は21時消灯と早かったが、気持ち悪くてそれどころではなく、昨日は20時には寝る体制に入っていた。 病室は大部屋で、他に3人のおばあちゃんたちがいた。病気ごとにフロアが別れていて、私の病室があるフロアは脳疾患の患者さんばっかりのフロアだった。 夜も看護師さんが様子を見に来たり、点滴をかえてくれたり、他の患者さんの様子を見たり、1人でトイレまで行くことが出来ないおばあちゃんを車椅子に乗せトイレまで連れて行ったり、おばあちゃんが大きい声でひとりごと言っていたりと、全く寝れなかった(笑) 病院は朝も早いらしく、6時半には電気をつけられた。 朝ごはんが出た。病院食が物珍しいのか昨日の夜ご飯が出たときに母が携帯で写真を撮っていたから、写真を撮って母に送っておいた。 朝ごはんを食べ終わったくらいに、すごい数の医者たちがぞろぞろとやってきた。朝の回診らしい。白い巨塔で財前も回診していたな。ドラマみたいだな、本当にあるんだなとちょっと興奮した。 脳の腫れを抑えてくれる点滴のおかげか、ほんの少しだけ体調がマシになっていて、姉がオススメだと貸してくれた小説を読んでみた。貸してくれた小説は、整形外科手術のストーリーや、脳をいじって記憶を改竄するストーリーの小説たちだった。 何故よりによって脳の病気で入院する私にこの小説たちを貸したのだ姉よ……あとで聞いたが、自分が面白いと思った小説を貸してくれただけで、全く何も意図してなかったらしい。笑った。 結局その日は、気持ち悪くてとても文字を読める状態ではなかった。頑張っても10ページくらいしか読めなかった。 担当医師が2人いるが、そのうちの1人の先生がやってきて、「週明けに治療方法一緒に考えようと言っていたが、週明けに手術をする」といいに来た。 小さい頃に鼠径ヘルニアで全身麻酔での手術をした経験がある私は、手術が怖くなかった為「嬉しいです!ありがとうございます!!」と感謝した。 前の人の手術が終わり次第だから、何時に手術になるかわからないがと言っていた。 この気持ち悪さを1秒でも早くなくしたかった私はとても嬉しかった。 昼からCT検査になった。 造影剤を点滴から入れてCT検査をする。 「造影剤入れたら体が熱くなりますけど、異変ではないので安心してくださいね」 とCTを取ってくれる先生に言われた。 本当に体の内側が熱くなった。びっくりした。 この日はトイレにも看護師を呼ばずに一人で行く許可をもらえた。嬉しかった。 入院して初めて分かったが、看護師さんは本当に激務であった。点滴をしたり、検温とか血圧とか計る以外に、トイレの付き添いや、ごはんを食べるお手伝い、おばあちゃんたちのトイレの処理等、身の回りのことを24時間交代で常にやってくれていた。私も本当に優しくしてもらった。どの看護師さんも本当に本当に優しかった。頭が上がりません。本当にありがとうございます。 どの業界も大変でブラック企業があると思うし、私自身、休みなく働くブラック企業だったが、人の命にかかわることではなかった。人の命に係わる医療業界は本当に大変だと思った。せめて看護師さんにはいい給料をあげてください。 手術までの4日間はいろいろと検査をした。 その間もずっとしんどくて、なんだかんだ嘔吐していた。このころの私は「たすけて」が口癖だった。
2019.10.08
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東京の脳神経外科の帰りに、母に 「ずっと体調悪いって言ってたのは、脳の病気だったらしい」 と連絡したら、驚いて電話がかかってきた。心配かけてしまった。しまった。 後日、区役所に行って、保険とか高額医療費の申請とかを済ませて、大学病院に予約をしようと電話したら、「診断してもらった診療所の先生からじゃないと予約を受けれない」と言われた。 ちなみに先生から予約してもらったら明日とかでも予約できるんですかね?と質問したら、いきなり明日とかは無理ですね。と言われてしまった。 こんなにしんどいのに、いつまで待てばいいんだと、とても悲しくなった。 受診した脳外科の先生に電話したら、じゃあ僕が病院に電話するよと言い、5分もたたないうちに折り返し電話をくれた。「先生と直接話して、明日予約取ったから。早く治療したほうがいいよ。」と、次の日の午前で外来の予約を取ってくれた。先生には頭が上がらないです。本当にありがとうございます。よい先生に出会えて本当によかった。 その日に関西の実家へ帰った。 晩御飯に途中のコンビニでおでんの大根を1つ買い、家で細かくして食べたがやはり嘔吐した。 この時には何も食べられなくなっていた。1日に5回も嘔吐するようになっていた。 次の日、大学病院へ行った。母もついてきてくれた。大学病院はとても広かった。 受付でMRIデータと紹介状を渡して自分の番が来るまで待った。ケータイを見るのも、文字を見るのも、呼び出し番号が表示されるモニターを見るのも気持ち悪くて無理で、しんどくてしんどくてたまらなかった。 自分の番が来て診察室へ行く。 先生に自分の自覚症状について話す。私の自覚症状としては、頭痛、吐き気、嘔吐、めまい、歩行障害、視力障害、字が上手くかけない、気持ち悪さ、食欲不振等があった。 持って行ったMRIを見て、説明してくれた。 「ここに腫瘍があって、それによって脳の水がせき止められて脳の中に水がたまっている状態。腫瘍自体は1.5cmくらいだけど、水頭症でそれが4cmくらいある。」 私の症状を話すと、先生が 「外来で通ってもらうのもしんどくて無理だと思うから、今日入院しよう」 と、その日に緊急入院させてくれることになった。 病室準備してる間に検査に行くことになって、採血やレントゲン、呼吸機能について検査をした。その途中でも気持ち悪くて我慢できずにトイレに駆け込み嘔吐した。 そのあと脳外科に戻ると、車いすが用意され、なんと車いすで病室まで行くことに。は、恥ずかしい…。歩けます…。 点滴してもらって立ち代り入れ替わりにいろんな看護師さんや看護師長さん、主治医があいさつに来た。 担当医師と担当看護師、主治医というのがつくということを知った。主治医の先生は外来で見てくれた紹介状の先生と違う若い先生だった。 MRIの検査も受けた。 いろんな検査で週明けにどんな病気か詳しくわかるから、週明けに治療方法について説明すると言われた。 夜ご飯が出た。ほとんど食べれなかった。 病院食ってどんなもんだと思っていたが、普通の定食みたいだった。味が薄いということもなく、普通の味付け。ただただ量が多い…… 点滴も途中で急に腕が痛くなってきて、別の場所に刺しかえることに。 でも私もともと採血でも血管が細いのか浮きにくいのか失敗されることが多くて、新しく刺したとこは痛くて痛くて、青あざになった。 看護師さんに「ごめんなさい…」と言われ申し訳なくなった。 結局刺す場所がなくて、別の看護師さんに交代して手の甲に刺された。手の甲は痛いらしく、細い点滴の針にしてくれた。「どこに刺しても痛いです」と思った。注射が苦手な私は注射のたびに怖くてつらかった…。 その日は、消灯した後トイレに行くのも念のためナースコールで看護師を呼んでと言われ、気つかいの私は苦痛でしかなかった。大丈夫です…トイレ一人で行かせてください… 点滴でいっぱい水分入ってるからその分トイレに行く回数も多くて、そのたびに看護師さんを呼ぶのが、申し訳なくてつらかった。
2019.10.08
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9月中旬。 実家でいくらゆっくりしても”自称”自律神経の乱れは全く良くならなかった。 どうすれば良くなるのか分からなくて、とにかくしんどくて、藁にもすがる気持ちでネットに無料で医者に相談できるサービスがあることを知り相談してみた。 そこで、相変わらずストレスというお医者さんもいたが、脳神経科に行ってみては?という回答があり、二件目の心療内科でも言われたことを思い出した。 「そんなわけないだろう。行って何事もないならそれに越したことはない」 来週にでも東京に戻ったら脳神経外科に行ってみるか。と悠長に思っていたが、次の日の朝、あまりの気持ち悪さに耐えられなくなり、ネットで検索し、東京で評判の良い脳神経外科にMRIの予約の電話を入れると、運よく18時なら空いていると受け入れてくれた。 東京に戻り、予約した脳神経外科へ行った。 待ち時間に初診の時に渡される病院からの症状等の記入用紙に、体調不良について具体的に書いた。 順番になり、看護師さんに呼ばれる。 診察室に入ると先生に「大丈夫…じゃないよね?辛かったよね。」と言われて、今までどの病院に行ってもそんなこと言われたことがなくて、自分の辛さをわかってくれる人がいたことに嬉しくて泣きそうになる(笑) 心療内科で処方された薬を持って行っていたので、先生に見せる。まったく効かなかったと訴える。 「今からMRIで詳しい検査をしようか」 とMRIに人生で初めて入る。 MRIで検査されながらも 「何かあるわけがない。あっても神経に何かが触れてしまっているレベルだろう」 昔なったことのある、肋間神経痛みたいな感じだろうと思っていた。脳に異常なんかあるわけがない。 MRIは工事現場みたいな音がしますよと言われた。本当に工事現場みたいだった。うるさかった。そして長かった。 検査が終わり、しばらく待っていたら私の番になり再び看護師さんに呼ばれた。 診察室に入ると先生に 「何が原因か分かったよ。」 と言われて、喜んだのを覚えている。原因が分かったというのがとても嬉しかった。これで明確な治療ができる!と。 MRIで撮った自分の脳の画像を見る。初めて自分の脳の画像を見た。画像をみながら先生が説明してくれた。 「脳に水がたまっていて、それが脳の中にある神経とか、眼球とかを押してて見えづらかったり、頭痛や吐き気をもたらしてる。」 なるほど。ふむふむ。 どうやって治療するんだろう?薬かな?とのんきに思っていたら看護師さんに 「ご家族に連絡はできますか?私からしましょうか?」 と言われ、きょとんとする。 え?なんで?水がたまってるらしいって言えばいいだけだよね?と思う。 先生が 「紹介状書くから、ちゃんと治療しておいで。東京か地元の関西かどっちで治療したい?」 と言われ、どうせなら地元がいいなと思い関西を選んだ。通院して治療していくのかなと思っていた。 「関西の大学病院に僕がお世話になった人がいるから、僕がその先生にお手紙書くよ。大丈夫。いい先生だから、心療内科とか行っててここに来るのちょっと遅くなってるけど、まだ大丈夫。絶対よくなるよ。」 と言われ、病院の閉まる時間が迫っていたから、ほかに待っている患者さんを先に診て、その間に大学病院の先生を調べて待っといてと言われ、待合室で調べることにした。 何が何だかわからない。と呆然として、とりあえず言われた通り調べてみた。よくわからなかった。どの先生がいいとか、何をどう治療するのかとか、とにかくいきなりすぎて何も訳が分からなかった。実感が全くわかなかった。そういえば、病名聞いていないなと思った。 再び呼ばれて、また看護師さんに「ご家族にやっぱり私から説明しましょうか?」と言われて、 「え?家族に連絡するくらい自分でできます。そんな大きい病気でもないですよね…?え?いうだけなら自分で全然できます」 と言ったが、相当強がっているように見えたのか、はたから見たら強がってるのがみえみえだったのかはわからないが「もう!この子は!」と言われた。とっても優しい看護師さんだった。私とそう歳も変わらないだろうに本当にやさしい看護師さんだった。 先生が紹介状を書きだした。 仲のいいお医者さんあてに書いてくれるのかと思ったが、文面的に本当にただの知り合いレベルだったが、わざわざ教授宛に紹介状を書いてくれた。「全然ただの知り合いレベルなんだけどね」と。それでもわざわざ教授宛に書いてくれたのが嬉しかった。 その時に病状も書いており、私の病気は【小脳腫瘍】だということが分かった。 「もしご家族が詳しく知りたいって言ってきたら、後日でも全然いいから僕宛に電話してきてもらって。僕にできることがあったら何でも協力するから」 と先生に言われ病院を後にした。本当に優しい先生だった。 私が病気になるなんてまだ信じられなかったが、帰り道、悲しすぎて一人泣いてしまった。
2019.10.08
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7月後半、ひどい頭痛になる。 今思えばこれが最初の自覚症状だったんだと思う。 8月に入ると頭痛、だるさ、吐き気、たまに嘔吐するようになる。 このとき、転職活動をしていてなかなか上手くいかないストレスや環境の変化の為に、自律神経が乱れているものと思っていた。転職が決まれば自律神経も戻って元気になるだろうと思っていた。 8月中旬、無事に企業から内定ももらい、転職活動も終了した。 でも、体調不良は全く治らない。 それどころかどんどん悪くなる。 目が見えづらくて、まっすぐ歩けなくなる。 それでもまだ自律神経の乱れと思い込んでいる私は、心療内科に行くことにした。 いろいろ問診されて医者に「さえきさんは精神には全く異常がないよ。片頭痛じゃない?」と呉茱萸湯という片頭痛に効く漢方薬を処方された。 「心の病でもなく、片頭痛だったんだ!よかった!」 処方された漢方薬を飲むが、それでも体調不良は何も改善されない。 このころには、ひどい吐き気によってご飯もちゃんと食べれなくなる。 調子のいい時に、恐る恐るおかゆとゼリーを晩に食べる、1日1食生活になる。 9月に入り、新しい職場での仕事が始まった。 勤務初日、いろいろ書類を書くとき、字が上手くかけなかった。自分の名前すら「あれ?どうやって書くんだっけ…?」と思い、いざ書いてみても自分の名前すら普段通り書けない。画数が少なかったり多かったりする。他の字も上手くかけない。 そこでも私は「字なんか久しぶりに書くからだな!恥ずかしい!」と思っていた。 いきなり耐えられない吐き気に襲われ、なんとか我慢をしていたが我慢ができず、トイレに駆け込んで嘔吐する。「本当に片頭痛か?絶対違うだろ。ストレスからくる自律神経の乱れなんだ」と思い込んでいた私は、慣れたら治ると思っていた。 最初の土日にかかりつけの内科に予約の電話をするが、今日はいっぱいでと断られる。症状的に内科じゃなくて消化器内科をすすめられる。 何でもいい。早く楽になりたい。と、とにかくしんどかった私はそう思い、消化器内科にも行くが、そこでも先生に「ストレスからくるものじゃない?」と言われる。 本当にしんどくてつらくて、泣くようになる。9月に入ってからは毎日嘔吐している。判断力もどんどん悪くなってきて、何のやる気も起きなくなってきて、仕事にも支障をきたすようになる。 一刻も早く新たな心療内科に行きたかったが、時間的に仕事終わりにも病院には行けず、次の土曜まで待とうと思っていたがあんまりにも体調が悪くて、すぐにでも行きたかったが転職したてで、気弱な私はそんなこと言えるわけもなく、体調もどんどん悪くなっていく。 迷惑をかけるわけにはいかないと、ついに仕事を辞めることにした。 その日は早退をして、新しく心療内科に行くことにした。病院に行けることがただただ嬉しかった。 新たな心療内科でも、「精神的には全く問題ない。鬱とかではない。ストレスかなぁ?もしかしたら脳とか神経系の病院に行ったほうがいいかも」といわれる。とりあえず抗鬱剤をすごく薄くしたものを気休めに出してくれた。 まだストレスからくる自律神経の乱れと思い込んでいた私は、都会に疲れたんだと思い、ゆっくりするために実家がある大阪に帰ることにした。よくなるだろうと信じていた。
2019.10.08
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はじめまして、さえきみどりと申します。 20代のどこにでもいる平凡な女です。 まさか自分がこの歳で病気になるとは、微塵も思っていませんでした。 小脳腫瘍になって、入院中不安で、ネットで脳腫瘍について検索する毎日で、その中でも同じ脳腫瘍の人のブログにはとても勇気づけられました。 脳腫瘍にはたくさんの種類があるらしく、私が患ったのは血管芽腫という珍しいものです。 なかなかこの病気についてのブログがなく、私が入院中に勇気づけられたように、私でも、少しでも不安な気持ちを和らげたり、勇気づけることができるんじゃないかと思いブログを書くことにしました。 また、この経験を忘れない様にするためにも書き残すことにしました。 脳腫瘍になった本人が一番つらいはず。 そしてご家族も心配でたまらないはず。 少しでも私の経験が役に立てますように。
2019.10.08
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