やれば出来たお話/キューバの農業



 断っておきますが、これから書くのは環境保護をテーマとしているわけではありません。ましてや環境保護のために江戸時代の生活に戻れ、と言う話でもありません。

*以下、の引用は下記アドレスより、各著作者からの引用によるものです。
http://members.jcom.home.ne.jp/cuba/

かなりの情報量です。興味のある方は、是非のぞいてみて下さい。
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 新たな状況に対処すべく、その経済を再構築するという困難な仕事を遂行するため、国家により「平和時のスペシャル・ピリオド」が宣言された。輸入農薬、肥料、燃料を購入する資金がなく、キューバの農民たちは、いかにして有機的に農業を行うかをほとんど一晩のうちに学ばなければならなかったのであった。

 しかし、有機技術への転換が農業生産の落ち込みをほとんど完全に逆転させている。努力の先頭に立っているのは、Heriberto Gallartのような人々である。
 氏は、以前にハバナ大学の教育学の教授であったのだが、「仕事で得られる給料が日々の出費さえ払えなかったので、仕事をやめたのです」と語る。これはキューバの新しい都市有機菜園者たちの人種の一つである。
 1994年の後半以来、彼とその家族は、ハバナの住宅地区で2エーカーの菜園を借り、集約的な有機農法で20種の野菜とハーブを育てている。政府が、以前はゴミ捨て場だった土地を使うことを許可し、そして彼に農具や種子、他の資材を与えているのだ。
「これは、まさに私がやろうと期待していたことなのです」とGallart氏は語った。「家族と私は、以前よりずっとよく暮らしてますし、安い食物を得ているのです」。
 都市の農民市場は、国全体で協同組合や個人農家からの食料を販売する資本主義スタイルの食品市場なのだが、 Gallart氏とその家族は、食料の全部を畑の縁にあるストリートスタンドで販売している。彼らの値段は、3分の1ほど安いが、少なくともキューバの賃金のなかでは稼ぎがいい。彼の家族の各々が、菜園から月あたり550ペソを得ていると言う。約25ドルであり、キューバの平均賃金の二倍である。


 以下、首都公園プロジェクトの農業主任、アニバル・ザヤス氏の説明。
 「私たちは、ニームの木を圃場の北東側に植えました。吹く風を利用するためです。蒸発散の過程で、それらは天然の農薬を放ちます。そして、風が吹くとき、それは畑に広がるのです。それが私たちの生態的な防除方法の一つなのです」。
 我々が畑を横切る道を行くとき、彼は、椰子の並木の若木を指さした。
「私たちは、畑を抜ける道に沿って、ココナッツの木を植えました。作物の陰にはさほどなりませんし、また成熟したとき、美しい通りを創るからです。そして、食物も産み出すのです」。
 ハバナの中央にある畑をまわると、近くの大通りからの交通の騒音が流れてくる。住宅と工場がいくつか、土地を取り巻いているのだ。だが、農場は、トマト、緑豆、レタス、ホウレンソウ、キャサバ、グァバ、パパイヤ、バナナ、カーネーション、百日草、金魚草、マリーゴールドを含め、幅広い種類の作物の豊かな収穫を産み出している。
 この農場は、首都公園プロジェクトの鍵となる部分をなす9つの都市有機農場の一つである。農場のうちの三つは、再植林し、在来樹種を回復することに重点がおかれ、他の6農場は、人々に販売するための果物、野菜作物、花卉を主に育てている。生物多様性、輪作、生物的防除、肥料への堆肥の使用が、農場管理上の中心をなしている。


国全体にわたって、変革は劇的なものとなった。

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都市
 1991年以来、5,000エーカーに及ぶ27,000以上の有機菜園が、ハバナ首都圏で創設され、年間に100万トンと見積もられる食料を生産している。菜園の場所は、菜園者の自宅の隣にはないものの、たいていは同じ地区内にある空き地や未利用地にある。
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農村
 1993年に、政府がキューバの農業の80%を占めていた大規模な国営農場を解体する決定をしたことで、こうした農場のほとんどが、利益追求型の協同組合に転換している。結果として、1997年の実りの時期には、10~13の主な国内の主食品で生産水準の記録を出したのだった。
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市場
 こうした変革と平行して、米ドルの所有が法制化された。そして新しい協同組合は、国との契約量を満たした後で、その過剰食料生産物のすべてを新たに創設された農民市場でドルで販売することを許可されたのである。
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有機
 政府は有機的な技術を野心的に推進しはじめ、何百人もの農業普及科学者たちを仕事に割り当てている。益虫と天敵を生産するために200以上の工場が創設されている。
専門家は、政策転換が貧しい国にとってだけではなく、アメリカのような国にとっても良い事例になると語る。
 オークランドにあり、フード・ファーストとして知られる食料と開発政策研究所の代表、ピーター・ロゼット氏は「キューバの有機農法への転換は、発展途上国が、通常はそれしか適用できないと考えられているモデルを採用しなくても良いことを示している」と語る。フード・ファーストは、キューバの有機部局と広範囲にわたって協働し、アメリカの有機農業者たちとの交流プログラムを組織している。

「キューバの実例は、オルターナティブテクノロジーを基礎として、化学農薬を使わずに、小規模な農業モデルで国民を養えることを、そしてそうすることでより食料生産で自給的になれることを我々に告げているのです」。氏は語った。

 念のために書いておきますが、キューバのこれは実験ではなく実際に行われたことなのです。

 ロゼット氏は、何度もキューバへ旅をしているのだが、変革は明らかに確認できると言う。
「93年と94年には人々は痩せ、ほとんど痩せ衰えていました。ですが今は、誰の体重も多かれ少なかれ平常に戻り、また太鼓腹になっている人もいるのです。もちろん、いまだに問題はあります。例えば、新しく形成された協同組合の生産性は、非常に不均一です。ですが、都市の農業者たちと土地を所有した小農たちは、不景気を引き締めているのです」。

 また、経済危機によってもたらされた生存のための必死の戦いよって、ひどく打ちのめされた地区に、コミュニティの新しい意識をもたらしているのです。

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 燃料不足は再生エネルギー資源への転換を引き起こし、風力、ソーラーパネルとバイオマスによる発電が増加し、あたりまえになっている。国内の精糖工場のすべては現在、サトウキビ廃棄物の燃焼で動いている。

 もしソ連が崩壊したとき、アメリカが経済封鎖を弱めていれば、キューバは化学集約的な農業と外国からの食料輸入へ、依存し続けていたはずです。

 実践することの意味を改めて思いしらされる事実だと思います。

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