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1993~94年にかけてのエーゲ海の町での滞在記からある日のこと、友人のヤセミンが真剣な顔で言う。「どんなことがあっても、あなたが誰でも私はあなたを愛しているから・・・・ね」「ありがとう・・・?」とお礼をいってみたものの、どうしてそんなことを急にいうのか、不思議に思った。ヤセミンはどんなに私を好きか、親友だと思っているかを続けたあとに、「だからね、本当のことを言ってほしいの」と。私はますますなんのことだかわからなくなって、困って笑っていると(困ると笑うのは日本人の悪い癖ですか)、ヤセミンが私の耳元でささやいた。「イクミはアジャン(スパイ)なの?」??? 何の冗談を言っているのかと思ったが、ヤセミンは冗談で言っていなかった。誰かが仕事もしないでブラブラして、でもお金にも困っていない。しかも滞在の理由がよくわからない外国人はスパイに決まっている・・・と忠告したらしかった。笑うしかなかったけど、私はその前にヤセミンが本気でそんなことを思っていると考えもしなかった。「スパイって・・・? この町で、トルコで、私がいったい何をスパイするの?」と返事をしたけど、ヤセミンの疑惑を解くことにはならなかった。最近は外国人も多いし、どんな小さい町にもいたりするから、それでいちいち「あの外国人はスパイに違いない」なんて噂話は聞かなくなったけど、10年以上前ぐらいまでは、働くでもなく長期滞在している外国人は全て「スパイ」だった。アンタルヤに住む日本人女性も一人でアパート暮らしをしていたら、近所の人からスパイだと噂されたと言う。なかには「あなたはスパイなの?」と聞きにくる人もいたらしい。でもテレビを持っていなかったため「スパイならテレビぐらい持っているはずだから、違うみたい・・」という話になり、容疑が解けたようだ。テレビのあるなしでスパイかどうかという感覚は、つまり「スパイはテレビから情報を得る」ということである。公共放送で流されている内容ならわざわざスパイしなくてもなくても手に入る・・・って思うけど・・・・。「スパイか!?」と聞かれたことは何度もある。私だけではなく、10年ぐらい前までに滞在したこともある人ならたいていの人が言われた経験があると思う。当時は外国人の小娘が何もしないで外国に滞在するという感覚を理解できない人たちがいて、「どうやって暮らしているのだ」「お金はどこから来ているのだ」「働きもしないでなんのためにいるんだ」から「国からお金がでているスパイに違いない」という発想になるようだ。ヤセミンは約束通りに「スパイ」らしい私を、その後も変わらず友人として愛情とともに接してくれたが、彼女の疑惑は解けたのだろうかどうなのかは最後まで聞いたことはなかった。10年たった今もそうだと思っていたりして・・。この話を思い出して最近のことだけど冗談で自分から言ってみた。「あのね、実は隠していたけど、私スパイとしてこの国に来たの・・」新聞記者のフセインは言う。「そりゃおもしろい。あのねえ。スパイは自分でスパイって言わないよ」会計士のメフメットは言う。「スパイって、リゾート地で何を探っているのだ?」管理人の元軍人のおじちゃんが言う。「スパイの仕事っていうのは絨毯を輸出してトルコに外貨をもたらすことかい?」世の中変わった・・・。
2004年07月31日
絨毯畑の画像です。http://www.mihri.org/halitarlasi.html某地方の3週間にわたるキリム織り修行からから戻ってきたばかりのRちゃんだが、次はアンタルヤの村へ絨毯修行のためにおこもりする。期間は約5週間。で、昨日の夕食にお別れパーティーをした。アンタルヤのはずれにあるフルマ村に焼肉を食べにいった。フルマ村の焼肉は知っている人は知っている・・・という穴場である。なにが特徴かというと山からの湧き水がレストラン内を流れていて、涼しいのである。テーブルによっては脚もとに水が流れ込むようにできていたり、お座敷席があったり・・・。しかも村への道には看板があるわけではなく、しかもこんな村の奥にレストランがあることすら、辿り着くまで信じられないような道のりなのである。アンタルヤに住むトルコ人でも知らない人が多い。焼肉はテーブルまで炭用のコンロを持ってきてくれて、焼いてくれる。自分で焼いてもいい。ラムチョップが1キロで1250円ぐらい。スーパーで売っている価格と同じぐらいである。5人で行って、2キロ注文したが、前菜やらヨーグルトやらで十分お腹がいっぱいになった。満足・・・。帰りがけに市内の有名お菓子屋さんでドンドルマを山盛りオーダーして、食べ切れなかったのは私です・・・。トルコのドンドルマは濃いのと、粘り気で見た目より腹にたまる。これがイタリアンアイスとか日本のさっぱりアイスなら1キロは食べられるのだけど・・・・。今日はRちゃんを村まで送っていった。ついでに新聞記者のフセインがニュースを撮りにいくというので、連れて行った。Rちゃんが滞在する村に湧き水のプールというのがある。簡単な作りで村のはずれに湧き水をためるプールが2つあり、村の女性や子供たちが水あびに来ていた。水は水量豊富でかなり冷たかった。上高地の水ぐらい冷たかった。手を長い時間つけることができない。でもこれだけ暑いと気持ちいいのかも・・・・。もうひとつは隣村での、絨毯、キリムの日干し産業。これは何かというと、色のきつい絨毯、キリムを太陽の光に1週間ほどさらして、色をパステル調にするというもの。古く見せる・・・というよりは、パステル調になるといい感じになるものがある。全ての絨毯、キリムが太陽にさらしてよくなるわけではないので、ある種のものが対象である。広い土地に絨毯、キリムが40000枚広げてある光景は圧巻である。これを管理している人たちが一番気にしているのは雨。雨によって濡れてウールが痛んでしまう。天気予報をチェックし、雲の様子を観察し、雨が降りそうになると、40000枚の絨毯、キリムを倉庫にしまうのである。フセインはこの2本のニュースを取材して、Rちゃんはアイシェの家に落ち着いて、私たちはアンタルヤへ戻った。店についてあまりにも暑いので、「今日はよく働いたからもう仕事は終わり」って勝手に考えて、帰宅。よく働いた・・・って、Rちゃんを村に連れていくだけで働いた気分になっている・・・。だからお金が稼げないのだってば・・・・・。
2004年07月29日
今日の日記は2004年7月27日版。なんだか忙しく、あわただしく、何があったのかわからないうちに夜になっていたという日。朝は店の管理人の元軍人のおじちゃんから電話で起こされる。「もう3日前からキミのことを待っている日本人女性が来ているぞ~!」おじちゃんは彼女、Kさんにお茶をごちそうし、ガイドブックの後ろのトルコ語会話を広げながら、世間話から彼女の年齢まで聞き出していた。3日前というのは、本当に3日も待っているわけではないのだけど、3日前から毎日、店を訪ねてくれているのでそういうのである。それにしてもおじちゃん、そのうち、日本語でも話しだすのじゃないかとドキドキしてしまう。クリーニングからあがってきた絨毯を、日本に送る。その手続き、書類作り。今日も袖の下が大好きな税関のN氏と対決か!? と思っていたら、当人はいなく気が抜ける。イスタンブルに荷物を送らなければならない。朝から宅配便会社に連絡しているのに、取りにこない。夜になっても来ない。ちょっとキレつつ、催促の電話をすること10回。それでも来ない。「もし間に会わなかったら、あなたたちに日本まで送らせるからね!」Kさんが今晩、エフェス方面にバスで行きたいというので、チケットを探す。ところがどういうわけか、エフェスもイズミール行きも、どこの会社も満員でチケットがとれない。知り合いの知り合いまで引き出して、いろんな会社に頼んだが、本当に席がない。あとは予約してチケットを時間までとりに来ない人を待つことになったが、それでも席がない。最近、アンタルヤからのバスがどこも満員で乗れないことがやたらと多い。それだけトルコ各地から観光客が来ているのか・・・。やっとアイドゥン行きのバスで席を見つけて予約。アイドゥンまで朝つけば、そこからエフェスはミニバスもあるし何とか辿りつけるだろう。店でエアコンをつけながら、3日間も待っていてくれたKさんとお話。そこへ某地方にキリム織りのためにおこもりしていたRちゃんが帰ってくる。アンタルヤは暑い・・・とRちゃん。某地方では夜は毛布をかけて寝ていた・・・と。本当に夏は山にこもっていた方がどんなにラクか。村から大学入試を終え、結果待ちのブルジュが遊びにくる。彼女は4年制大学選択資格を得て、希望大学と学部を提出したという。1か月後に大学が決まるわけである。私は自分の経験も踏まえて、大学に入るだけじゃなく、卒業したあとに何の仕事をやりたいか、できるか・・・を考えなさい・・・っていつもアドバイスをしているのだが、彼女は看護婦か介護士か、医療にかかわる仕事、もしくは理科系の教師の資格を得られる大学を考えたと・・・・。絨毯、キリム問屋が集まる某地方の絨毯問屋のHさんが遊びにくる。取引はない人だが、アンタルヤに来たときは店によってくれるし、私が行ったときも遊びにいく。「どうせキミは何も買ってくれないし、商売と友情は別ものだ・・・」とは彼の弁。夕方、中華レストランにKさんとRちゃんと遊びに行く。レストランに遊びに行く・・・というのは変なのだけど、食事はしたし、食べにいったわけじゃなく、レストランの女主人のところに遊びに行って、お茶をごちそうしてもらう。この日はカメラマンがレストランと中国についての取材をしていた。私たちにも中国人の服を着せて、写真を撮りたいという。本物の中国娘が1人と、中国人になった日本人KさんとRちゃんの図。夜10時。家に帰る。
2004年07月27日
1年間の滞在中、約2か月間ホテルに泊まり、その後地元の新聞記者の紹介で、別荘を1年間の契約で借りた。この町でのアパート探しは困難だった。というのも町自体は近郊の小さい町や村を合わせても人口2万人程度で、でも夏のシーズンになるとトルコ人、外国人観光客でその10倍以上に膨れ上がるリゾート地という土地が柄のため、地元の人の多くは自宅を改装してペンションやレストランを経営したりしていた。そのため普通の人が暮らす住宅やアパートというのが皆無といってよかった。やっと見つけたのがイズミール在住で、町の新聞記者の同僚にあたるトルコ人の1軒家の別荘。近々売却予定で1年間なら貸そうということになった。月約35000円ぐらいだったと記憶している。確かトルコリラで当時3500000TL。町でアイスクリームを食べて10000TL。500リラ硬貨がまだ流通していた。今考えるとかなり高い家賃であったが、1泊約1700円のホテルに泊まり続けるよりは安いし、日本で当時借りていた狭いマンションの家賃が12万円ぐらいだったから、安く感じてしまった。それに台所が自由に使える便利さを考えて、即決した。別荘といってもオリーブ畑を持つ農家の家族と親戚が同じ敷地をわけあって、個々に計4軒の別荘を建て、ある人は自分たちで住み、ある人は人に貸し・・という具合であった。間取りは1階が玄関に通じるサロンと台所、トイレ、2階にベッドルームと子供部屋、バス、3階がテラスになっていてオリーブ畑の間からエーゲ海が見えるという、日本人にしたら贅沢な環境だった。最初の2か月ぐらいを日本人女性と住み、彼女が帰国すると、それ以後は一人で住んだ。家具つきということだったけど、洗濯機はあるけど壊れているし、風呂のガスも使えない。テレビはない。電話はあるけど雨が降ると通じない。それでも外国で家を借りて住むということで舞い上がっていたので、ちっとも苦痛ではなかった(今だったら大家に文句言ってると思うけど。その前にこの家賃で家を借りない)。窓のカギは壊れていて、どの窓もまともに閉まらなかった。なのに日本からもってきた現金100万円を平気でベットの枕の下(・・・もう少し考えて隠せばいいのに)に置きっぱなしで、毎日毎日出かけていた。村に行き来するようになってからは1週間ぐらい留守にすることもしょっちゅうだったのに、相変わらず現金はベットの枕の下・・・。泥棒もまさかベットの枕の下に現金が束になっておいてあるとは思わなかったでしょう。町のはずれにあって、でも歩いて10分ぐらいなのでいい散歩になった。夏はビキニを着て、テラスで日光浴。夏にはすぐそばのオリーブ畑の中に屋外の映画館ができて、暗くなる22時に開演深夜1時頃に閉演。暇なときは一人で夜中に映画を見にいった。あまり細かいことは気にしないほうだから、他の人に比べたら初めてのトルコ生活も気楽だったと思うけど、それでもたまに一人で静かに過ごしたい・・・なんて思うときもある。一人で家にこもっていると、つけっぱなしの地元のFMラジオから「愛する日本人のイクミへ、この曲を贈ります。あなたの親友より」なんてメッセージとともに、当時流行っていたタルカンの曲やらがかかる。一人がリクエストすると、それを聞いていた他の友人がまた別の曲を私のためにリクエストしてくれて、なんだかうれしくなって、翌日には友人たちのところへ出かけたり、村へ泊まりにいったりした。いいことばかりではなくて、大変なこともたくさんあった。悲しいこともたくさんあった。外国人ゆえにキズついたこともたくさんあった。でも今ふりかえると、懐かしい気持ちでいっぱいになる。そしてこれを経て、私のトルコ滞在が今も続いているんだな、と思う。
2004年07月26日
アンタルヤに住む前にエーゲ海沿いの小さな町に1年ほど滞在をしていたことがあります。1993年~94年にかけてのことです。トルコに住みたいなあ、と思い始めたときに、何をしたらいいのかもわからないし、とりあえずブラブラしてみようと考えたのです。アンタルヤに来たきっかけもそうでしたが、このエーゲ海の町に来たのも、別に友人も知り合いもいたわけではありません。「雪が降らないから」とか「海がきれいだから」とか、深く考えることなく適当なことを思って来るのですから、我ながらあきれます。そのときの体験はある編集者のすすめで、94年に執筆、98年に「AMAN-トルコの恋人たち」(日地出版社)という本として日本で出版されたのですが、肝心の出版社が1年後には潰れて再版されることなく絶版になりました。初版で1万部発行してもらい運がよいことに5冊を残して売り切れたそうです。この本は執筆と出版にタイムラグがあるので、よく誤解されますが、アンタルヤに住む前に日本で書いたもので、絨毯屋がらみのネタではないのです。出版社の意向で海外生活シリーズものの1つとしてで、内容は94年当時のまま、現在の私には責任はとれません。内容がトルコ初心者向けのなのも・・・。あしからず・・・。残りの5冊と印税100万円ほどをもらい、1週間で書いた原稿としてはギャラがよかったわ、などと単純計算して私としてはとりあえず満足。こうして私の短い作家生活(?)は終わりを告げたのです。話を戻しましょう。当時、私は日本での雑誌記者の仕事を辞めて来たばかりですから、懐は温かい、1年ぐらいなら働かなくても大丈夫という状況でした。暖かいエーゲ海の町で文字通りお気楽生活を始めたのです。ところがお気楽だと思っていたのは最初だけ。私はこの時のトルコ滞在で、これまでの人生で一番多くの涙を流すことになりました。これも近郊のある村と関わりを持ってしまったせいです。それだけこの村に住む友人たち、その家族と深く心をつなぎ、それだけ情を持ち、それだけトルコとトルコの人々、そしてトルコに住むことへの思いが強くなったのです。この村での出来事を含め、私の最初のトルコ滞在記を少しずつですがご紹介していきたいと思います。
2004年07月25日
絨毯屋をやって10年目になります。それ以前はトルコにいても、キリム、絨毯などを見ることはありましたが、買ったことはありませんでした。興味を持てるようなものを持っている絨毯屋がみつからなかったということもあります。絨毯屋は絨毯を売る商売です。ミフリの場合、98年に貿易会社を創ってからは日本の業者・個人への卸し、輸出がメイン業務で、店頭売りは見本程度に、または知り合いが来たときぐらいしか売りません。ラクなもんです。怠け者社長にピッタリです。商売をしているので、来てくださる方は「何も買わなくてすみません」とおっしゃってくれますが、私にしたらトルコまできて会いにきてくれただけでうれしいのです。気にされると、私の方が恐縮してしまいますので、とにかく「お店」に買いものに来たのではなく、「ミフリの社長の個人宅」に遊びに来た感覚でお越しください。お茶を飲みにきて、お話しにきてくださるだけでも私には楽しみになります。話がそれましたが、10年の絨毯屋家業で、私のキリム、絨毯、手工芸品のコレクションは今や6畳の倉庫に入りきらないほど。商品ではないですよ、売らない分、つまり自分用のものだけ、でです。キリムの骨董品はほとんど処分してしまってヨーロッパのコレクターの手にあります。今は当時のものに比べると骨董などと呼べるようなものがトルコにないので、骨董集めはあきらめています。私のコレクションの多くはキリム。自分用がザッと数えても200枚、絨毯は20枚、オスマン朝時代の服、刺繍布、フェルト、ビーズ、帽子、靴下、木製品、手織り布、レース編み・・・あとは名前をなんてつけていいかもわからないようなもの。後半はトルコものが手に入らないので、中央アジア、ブルガリア系トルコ人の民族衣装、布などにも手を出しました。古いものばかりです。キリム、絨毯の骨董品は10点を切りました。資金に困ったときに少しづつ売りました。でもそれ以外のものは木箱にいくつもにわけられて入っています。当時は手に入ったものでも、今になってはないものばかりなので、自分の収集癖を誉めてあげたいぐらいですが、とにかくそれだって商売を考えたら売らないのだから、何にもなりません。私のコレクションは誰かに見せることはほとんどありません。商売をやっていないならともかく、商売をやっているのだからお客さんに売れないものを見せるのは無意味です。見せびらかされておいて「コレは売らないんだよ~ん」なんて言われた日には、私だったら怒りまくるかもしれません。その代わりといってはなんですが、店にあるものなら私物であろうが夫であろうが(冗談ですよ~)売りましょう。自分の自己満足と、いつか全部使えるほどの家に引っ越せたら引っ張り出してくるつもりです。老後の楽しみ。そして死んだあとは息子に二足三文で売り払われるか、ゴミとして捨てられるか・・・なんでしょうが、自分が死んだあとのことは知ったこっちゃないです。ただ消えていく伝統手工芸品として、なにかの形で誰かの手元で存在していってくれたらうれしいですね。
2004年07月24日
私がキリムを織りを始めたのは、アンタルヤで絨毯屋を開業してからのことです。それまでは興味があっても織物や染色を経験したことはありませんでした。もとい、絨毯織りはアンタルヤで商売を始める前のこと。ミラスの村に通っていたころに、結婚前の娘が家の小屋でチェイズ(嫁入り道具)用の絨毯を織っていたので、しばらくの期間一緒に織ったことはありますが、まさかこれで商売するとは思っていませんでしたので、ただそれだけのことでした。本格的に覚えるようになったきっかけは商売で村の女性たちに草木染めキリムを織らせるのですが、その管理に行くさいに女性の織り機のそばに座り、見ているうちに、織らせるためには、そして買っていただく方に織物の説明をきちんとするには自分が習うしかない・・・・と思ったからです。村の女性たちには、まず自分が織り方をしらないとオーダーも指導もできないですし、何ができて何ができないことかもしらなければなりません。キリムを買ってくれるお客さんに対してもそうです。これらがどういう過程を経て織られるもので、どれだけ大変なのか、何が大変なのか、やってみなければただの売り口上になってしまいます。そこらの絨毯売りが何もしらないで(それこそ新しいか古いか、染めが何か、産地がどこかも知らない絨毯屋多い)やっているように、客が喜ぶ決まりきった作り話をして売るようにはなりたくなかったのです。それから時間が許せば、近郊の村の女性に店まで来てもらって経糸の組み方を習ったり、村へ行ったときは女性たちの手を見て、一緒に織らしてもらったり、そのうち店で自分で織るようになったり・・・。自分で一通りのテクニック(キリム、絨毯、ジジム、スマック、ジリ)を織れるようになったころから、観光客からのリクエストで小さな木枠をつかってキリムを教えるようになりました。教えるといってもキリム織り教室ではありません。糸代を負担してもらい、教えるのは無料。しかも店にいる間はお茶をごちそうしたししますので、完璧な赤字。でも作る楽しみ、キリムへの興味を持ってもらうことが、間接的にはトルコの手工芸の伝統を守ることになると(なんと気の長い保証のない話・・・)思って、続けています。これにはトルコ人たちもかなり興味を持つようで、テレビ、新聞の取材は日記にもあるように30回。テレビのトーク番組にも2回ほど出演しました。キリム織りを覚えたおかげで、商品をみれば糸の質、糸のより方、染色の違い、織りの違いがわかるようになりました。糸の良し悪しは触れて覚えるのが手っ取りばやい方法です。現在では本格的にはやりませんが、キリムの修復のテクニックもなんとか覚え、時間があるときは自分でやりますし、教えることもできます。少なくとも修理職人への注文の仕方や、できあがりへの判断はラクになりました。今後の課題は染色です。トルコの草木染めは村レベルではほとんどやっていなく、現在の草木染め糸は工房での職人作業です。使う材料にも、色にも限度があります。でも私が知りたいのは伝統的な草木染めなんです。村で何度か見た草木染めは、山に葉や根を取りにいき、それを炊き火で煮出します。植物によって、釜への置き方(並べ方、重ね方)が違い、媒染剤の使い方も独得です。しかもこれらをきちんとこなせて、しっかりした草木染め糸を作れる村の女性は私はいろいろな村を周りましたが、その中ではただ一人だけです。彼女が働けるうちに、なんとか習得したいものだと思っています。でも私自身は芸術志向ではなく、あくまで商売人。製作する時間もないし、製作で生活していこうと思っていません。できることなら、私が覚えたようなことを体得して日本でキリム作家が誕生してトルコキリムの存在を広めてくれたらいいなあ・・・なんて考えています。
2004年07月23日
好きで仕事にして、仕事をしているうちにますます好きになってしまっています。最近はいろんな人が、日本へも紹介するようになっていますが、まだまだトルコ各地には知られていない伝統的な手工芸が存在します。しかもトルコ人ですら、知らない、忘れさられたものが増え、テレビ番組ではこれらの紹介番組、村訪問番組が異常に流行りです。わがミフリを訪れるトルコ人観光客、ご近所さんたちがトルコの地方の手工芸をみて「これは日本のものか?」と聞いてきます。それほど遠いものになっているのです。カルチャーセンターや市民センターでは、これらの手工芸を講座として教えるようになっていますし、ましてやキリム織り、絨毯織りを知っているトルコ人女性は村でもすでに消えつつあります。伝統工芸の職人さんたちも仕事が減ることでやめたり、後継ぎがいないので、引退後は店を閉めることになっている人たちもいます。・・・それらをなんとか食いとめたい、保存していきたい、という気持ちがあっても今の私には何もできません。せめて紹介すること、そして縁があれば存続させられる可能性を求めたい・・・ということぐらいです、私ができることは。
2004年07月22日
6月26日の日記です・・。日本から初めてトルコへやってきたRちゃん。キリムを織りながら3週間が経った。一方、先日Hちゃんのご招待で日本食を食してから、急に日本に興味を持ち始めたトルコ人のオズギュル。この二人がそれぞれに人待ちをして同席していたときの話。Rちゃんが買ってきたコーラをコップに注ぎオズギュルにすすめた。オズギュル「どうしてRちゃんはコップに半分しかコーラを注がないの?」日本人のRちゃんはお上品にコップ7分目ぐらいにコーラを入れた。日本ならごく普通の光景。ところがトルコ人のオズギュルからみたら不思議で仕方がない。トルコではコップのふちギリギリまで飲み物を注ぐ。じゃないとケチだと思われるか、飲ませたくないのだろう・・・・と思われててしまう。日本ではふちまで注がないのだよ、と説明したがオズギュルにとってはひたすら「不思議な」こと。かくいう私もトルコ式に慣れてしまっているので、日本でこの失敗を繰り返す。「ここは日本だった」と気がつくこともあるけど、最近は気がつくこともなく、鹿沼の店に来た人にコップのふちまでお茶を注ぎ、困った顔をされてはっとすること度々である。もしくは出されたお茶が茶碗に半分ぐらいしかないと・・なんだかガッカリしてしまう。Rちゃん「フィルターの根元まで吸うなんて驚きです」これはトルコ人のタバコの吸い方の話。タバコ吸いが多い国である。しかも収入から考えたらタバコは高い。マルボロは約300円。日本と変わらない!?だから吸えるだけ吸う。身体に悪いなんて考えたら、吸わないはずだから、吸うなら徹底的に吸う。そういわれてオズギュルも。「日本人ってタバコを半分ぐらい残して消すから、もったいないなあ、って思っていた」Rちゃんはタバコは吸わないが、帰国してしまったKちゃんがタバコを吸っているのを見て、いつもどうして途中で消すのだろう・・と思っていたという。飲み物の注ぎ方とタバコの吸い方以外にもいろいろある。まずkちゃん、Mちゃんがアンタルヤ滞在中の話。40度の暑いアンタルヤ。タンクトップを着ているトルコ人男性の腋毛がないのに驚いていた。「剃ってお手入れしているんだよ」というと、またびっくり。さらに「下の毛も剃っているんだよ」というと「うそーっ!?」とまたまたびっくり。宗教的慣習である。体臭の違いや、衛生的環境、はたまた水洗いをするトイレ習慣の影響だと思うが、男女問わず陰毛と腋毛は剃る習慣がある。実際、その方が清潔であるし、夏はとくにすっきりする。「日本で陰毛剃ったら違う商売していると思われるよ」なんて言ってしまいそうだけど、トルコ人にしたら「陰毛ぼさぼさにしているなんて、なんて不潔な!」というところ。デートの前は陰毛剃りも念入りになるのだ。女性の場合はハマムで全身脱毛をしてくれるので、試してみるといいかもしれない。「アーダ」と言えばやってくれます。男性はお風呂のときに自分で剃ってください。ところ変わればいろいろで、トルコ生活が長くなった私にはあまり気がつかないことでも、日本からきたお客さんにとっては風変わりなことがあるという話。郷に入っては郷にしたがえ・・・変だと思う前に、同じことをやってみるのも、海外生活の楽しさだと思うのだけど・・・。(特に頭髪以外の全身脱毛はおすすめ!)ところで陰毛は剃るのに、胸毛はボウボウじゃないか? というご意見があるかと思う(そんなご意見はあるかどうかしらないけど)。これについては調査をしているのだが(調査するなって!)、胸毛は男の象徴なので剃らないわけ。では胸毛と陰毛がつながっている人はいったいどこを境界線としているのか・・・・という疑問が出てくる。1.好きなところ2.パンツの線という答えが多い。この質問を新聞記者のフセインにしたところ、丸い顔をますます膨らませて、真っ赤になりながら「う~っ! ワルイ ニホンジン~!」
2004年07月21日
普段はあまり口にすることはないのですが、日本へのお土産に喜ばれるのが「ドライいちじく」と「ドライナツメヤシの実」。前者は貧血気味の人や、お通じが悪い人に効果があるらしく、とくにお通じに関しては1個食べればお腹スッキリ! と評判がよいのです。こちらでは小売でも1キロ400円ぐらいで買えます。後者のナツメヤシは高血圧の人によいというので、夫の両親へのお土産として続いています。ナツメヤシは断食月のときのイフタル(日が沈んでの食事)で、空腹にいきなり食事を詰めこむのはよくないと、まずナツメヤシを食べてそれから食事を始める人もいます。味は干し柿に似ているなんて言われています。トルコはドライフルーツがいろいろあります。バザールで並んでいるものを挙げてみましょう。リンゴアプリコット(黄、黒)いちじく桑の実さくらんぼぶどう(黄、黒)ドライフルーツではありませんが、ナッツ類。ココナツアーモンドへーゼルナッツクルミピスタチオドライフルーツではありませんが、加工品。クリのシロップ漬け(ピューレ)お菓子作りや、アイスクリームの材料に使えそうなものがたくさんありますね。もちろんそのまま食べてもおいしいです。アンタルヤで有名なものを忘れてはいけません。それはゴマ。日本にも輸出されていてラーメン用に使われたりします。最近のおすすめはアーモンド。国産は見た目には粒揃いが悪く形もイマイチ。でも大粒で甘味があります。おいしくてつい食べ過ぎてしまいますが、ほどほどに食べたら身体にいいと、日本のテレビ番組で言っていたそうですが、本当ですか?ちなみにアーモンドの花は、ぱっと見た目に白っぽい桜の花かと思ってしまいます。
2004年07月20日
ミフリのHPが開かない? とご心配をおかけしておりますが、実は社長のうっかりでドメインの期限が切れてしまっただけです。今週末には過激に(!?)復活しますので、もう少しお待ちくださいね!以下、本日の日記・・・・。トルコに興味がない、なんて豪語していますが、これも好きなあまりの裏返しです。本当に興味がなければ、人生の中盤の一番大切なときを12年もトルコで過ごしたりしませんよ・・・!?トルコで好きなもの(こと)を上げてみました。1.キリム、絨毯、その他手工芸品なんでも、とくに古いもの、伝統的なものは大好き。そしてそれを好きなだけ(お金に限度はあるけど)集められる自分の立場も気に入っている。2.村。仕事の都合で村行きは当たり前のことなんだけど、村の人ほどピュアな人たちはいない。私がトルコを好きになった理由の一番がコレ。何も見返りをのぞまない温かい心。人情。・・・でもだんだん都会との差がなくなってきているんです。3.食料品を買いこむこと。物価が高くなっているトルコだけど、食料品、とくに農産物や菓子類などは日本に比べて安い。大型スーパーで1週間分の食料を思いっきり買い物したつもりでも10000円いくことは滅多にない。(うちはエンゲル係数が高いのです。日本でなら食費は月15万円超えます)我が家はスーパー専門で、ほとんどいかないけど、地区のバザールにいけば野菜をキロ単位で山のようにかっても我が家では1000円使うのは大変です。でも最近聞く話では物価も上がってそれじゃ何も買えない・・・てことですけど・・・。4.郊外でのクルマの運転。街は渋滞があったり、道が狭くて一通が多かったり面倒だけど、郊外に出たらまっすぐ一本道。景色はいいし、快適だし。ガゾリン代が約170円と高いのが難点だけど・・。5.知人、友人宅に連絡なしで遊びに行けること。よほど上流階級の家庭はダメです。でもお友達のところなら、食事時間に行って、ご馳走になってくるのもOK。行けば食事時間以外でもかならず「お腹すいていないか?」と食事を用意してくれたりもします。6.カレイチに住むこと。店と自宅のあるところ。城塞跡に囲まれた旧市街で観光施設が集中している。普通の家はだんだんなくなってきている。明け方までライブハウスやディスコの音がうるさいし、酔っ払いがクダまきながら歩き回っていたり、売春婦ともめていたり、人が住む環境としては最悪なんだけどここに9年(しかも同じ通りから動いたことないのだ)いると、故郷になる。7.ネコ。カレイチはネコだらけ。しかも大きい顔してうろつきまわっている。人に慣れないのだけど、図々しい。私は動物が好きなのでつい餌場(うちの台所)を提供してしまっています。8.スープ。トルコの食べ物はあまり好きじゃないかも(本当か!?)。でもスープだけは別。日本で言うと飲んだあとのラーメンみたいだったり、朝ご飯だったりします。スープでも私が好きなのは「イシュケンべ」胃袋が入っているのと、「ケッレ・パチャ」羊の顔の部分の肉が入っているもの。これに脳みそプラスしてもいい。でも羊の脳みそに物忘れを促進する物質があるとか・・。9.トルコ各地のゴミ屋。これが私の仕入れの秘密兵器。ゴミ屋というと御幣があるんだけど、私はあえてゴミ屋と呼ぶ。これが村などの不用品を集めて、本当にゴミのごとく積み上げている。99%はゴミです。でも1%に本物の骨董が混じっているんです。売り手はものがわかっていない人がほとんどなので、いままでもゴミ屋周りで結構稼がせてもらいました。でも稼ぐことより、それを見つけた瞬間の喜びですね。しかもただ同然の値段で譲ってもらうために、絶対うれしい顔してはいけないんです。10.クネフェ。トルコのデザートのひとつなんですけど、トルコの甘味はとにかく砂糖づけで甘過ぎる。だからほとんど口にしないのですが、例外がクネフェ。細長い小麦粉から作った乾燥菓子の中に、とろけるチーズが入っていて、それをシロップで煮る、温かい甘味です。甘過ぎますよ、でも私はこれに目がないのです。
2004年07月19日
大学時代に免許をとってからクルマなしの生活は考えられません。トルコに住むようになってからも、もちろんクルマは私にとって必需品。今乗っているクルマは、息子の誕生記念に購入したフィアットのパリオ。だからもう4年になります。普段は家と店が50メートルしか離れていないので、クルマの必要はないのですが、仕事柄、地方への出張、バス路線のないところへの出張、輸出だなんだとお役所まわり、博物館鑑定のために学芸員に来ていただくため・・・・などクルマは仕事に絶対必要なのです。ところが実際には荷物を積む必要もあるので、ワンボックスカーがいいのですが、パリオを買ったときは、そのときのあるお金でエアコンがつけられて、一番安いクルマという条件で選んだため、選択の余地がなかったというのが事実です。トルコのメーカーのクルマならもっと安いものもありましたが、エアコンが積めないものばかりで、かと言ってトヨタの日本で70万円台で買えるクルマを何がうれしくて150万も出して買わなきゃいけないのか・・・・と結果、フィアットの一番安いクルマにしました。フィアットと言っても輸入車ではありません。トルコのトファッシュという大手メーカーがライセンス生産しているもので、トルコ産です。そんなこんなでそろそろ買い替えを考えているのですが、トルコのクルマに関するいい点は「売るときも高い」ということです。うちのクルマで例えると、購入したときのレートで言うと約130万円でした。ところがつい1週間前にクルマを見せて売れる価格を聞いたら、4年おちのパリオで約120万円というのです(ただし今年の新車価格は180万円)。トルコリラのレートを円に換算してのことですが、日本では考えられないですよね。おもしろいのがトルコリラだけで言うと、購入したときの価格が約2000000000TLで、中古として売れる価格の相場が15000000000TLです。数字上では13000000000TLもトクしているのです。トルコの人がクルマを投資の対象に考えるのはこういうところにあるのですね。ところで一般の外国人がトルコで自分名義でクルマを購入するのは可能です。ただしナンバーが外国人ナンバーになり、売ることはできません。最後に国を出るときに税関に放棄していく形になります。でも私のクルマのナンバーは色の違う外国人ナンバーではなく、普通のトルコ人と同じ白地に黒文字です。これはどうしてかというと、会社名義で買ったからです。私は外国人、でも会社は外資系の現地法人ですから、国籍があるとしたらトルコの会社になるわけです。その会社のクルマもトルコ国籍なのです。追記・昨年秋の日本の第1リスト入りで、日本人は普通ナンバーでクルマを購入できるようになったそうです。
2004年07月18日
わかっている方はおわかりだと思いますが、最近の日記は過去の文章の焼き直しです。仕事が忙しすぎて、何か書こうという余裕がないのです。40代に入ってちょっと仕事をしただけで疲れてしまいます。20代~30代半ばまで徹夜をしても、なんともなかった身体が懐かしいです。でもうちの社長(私のこと)のいいところは、年齢を受け入れているところです。若作りもしない、まだまだ若い・・・とも思わない。年寄りなんだから、若い者がやってくれ! と平気で言って、店の管理人で元軍人のハムディおじちゃんに「自分で自分を年寄りにしている!」と怒られる。周囲の人たち、特に新聞記者のフセインとか、ジェムとか私のことを「テイゼ(おばさん)」と言ってからかうのだけど、おばさんならまだマシ。どうせなら「ネネ(おばあさん)」と言ってくれ!それで先日、商売上、私のことがよほど邪魔らしい日本人とトルコ人にしつこいいやがらせをされて、かかわるのもバカバカしいので削除した(・・・じゃなくて引越しした)文章を少しづつですが、こちらの日記に復活させる予定です。もともと一般公開していたものですから当然なんですけど・・・。いやいや、本当にいやがらせをする時間のある暇な方が羨ましいです。ネットを使って匿名でしかいやがらせをやれないのですから、相手にするほどのこともありませんけど・・・。よほど私を陥れたくて仕方がないのでしょうが、別にいまさら何をされても困ることはないので、好きなだけ続けてください(ミフリの宣伝を・・・!?)。でもなんだか無駄なことに大切な時間を費やして、気の毒だなあ・・・と思ったりもします。面識のない私のことをこんなに気にしてくれてすみませんねえ・・・とも。日記はうちの社長(私のこと)の密かな(最近、ちっとも密かではないが・・・ライコス時代の1日2~10アクセスのころは良かった)楽しみなので、やめることはないでしょう。・・・が、忙しいときは手抜きをさせていただきますこと、ご了承くださいませ。
2004年07月17日
日本を出てみて、日本の暮らしやすさ(社会的なシステム)がわかった気がします。それでも日本はまだまだ世界から見て遅れているなんて言う人もいいますが、少なくてもトルコで暮らしてみると、日本がすごくよく見えることがあります。実際はそれほどではないかもしれません。でも外国に住むと、民族意識が強まったりすることがありますよね。自分の国や故郷のいいところばがり思い出されたり。つまり贔屓目、ひいきめ・・・です。トルコのシステムも10年前に比べたら、かなりの進歩があったと思います。とくにイスタンブルやアンカラなどの都市部ではヨーロッパの都市と変らない生活が送れていることでしょう(えッ!? それほどでもないって?)。昔のことはおいておいて、最近のアンタルヤでの困ることをあげてみます。1.銀行の列が長すぎる。早朝に行かない限り、2時間待ちなんてザラ。最近は番号札があるので列で待っていなくてもいいけど、以前は窓口の前に列になって2時間も立って待っていたんだよ。列を抜けるとまた後尾につかなければならないので、トイレもいけなかったのです・・・。でも数年後には解消されるかも。カードで振り込み、引出しができるところが増えたもの。あとは光熱費などの自動引き落としが自分の名義以外でもできるようになるともっといいのに・・・。2.雨が降ると断水と停電になる。このところ続いているロドス風の影響。ここ数年はアンタルヤの断水、停電はほとんどなかったんだけど、あまりにもの大風と雨で断水、停電が続いた地区があったようだ。カレイチも断水になったけど、数時間程度で済んでよかった。では数年前まではどうだったかというと、夏は毎日断水と停電。日課のようにありました。もっと昔の話をすると、エーゲ海地方の小さな町に住んでいたこと、雨が降ると(大雨でなくても)電話が通じないというのが常識でした。電話線の管理が悪いので隙間から水が入るのが原因だと思うけど、雨で電話が使えないというのは結びつかない。テレビ局も雨が降ると映らなくなるところがたくさんある。3.値段がころころ変る。トルコリラのインフレが激しかったころ、毎年1年後には価値が半分になっていた。例えば1ドルが100000トルコリラだとしたら、1年後には200000トルコリラになっているのが普通。それが3年ぐらい前から無理しているとは思うけど、1ドルに対するリラか1300000~1500000トルコリラの間を上がったり下がったり。でも物価はどんどん上がるので、外貨換算するといっそう物価が高くなっている。外国人がトクをしない国になってしまったのです。年があけると便乗値上げが増える。昨日まで1500000トルコリラだったスープが翌日は2000000トルコリラになっている。しかもドルの下落で日本円に換算すると、115円から169円になった計算になる。1日で変る。しかも予告なしに変る。来年からは0が6桁カットされる。デノミ。1000000TLが1TLになるわけである。ややこしい・・・。これで切り上げをするところが増えて、また実質的な値上げが行われることになるのだろう・・・・。関連して家賃の値上げが毎年ある。1年経つと、大家と交渉する。これがまた面倒臭い。何%の値上げというのを決めているところは少なく、交渉で決まる。それによっては高くなりすぎて、家を出ることになる場合もあるのです。私はこれでいままで家を10回変わりました。1年にほぼ1度のペースです。つまり大家と話が合わないのです。
2004年07月16日
アンタルヤはトルコで6番目に人口の多い都市・・・・だったと思います(いい加減!)。数える・・・イスタンブル、アンカラ イズミール、アダナ、ブルサ、アンタルヤ・・・?いまではアンタルヤにも日本人が両手で数えられるほどですが住んでいます。1995年にアンタルヤに初めて来たときには独身の女性が一人いるだけでした。私は2番目の住人になり、今では古株になってしまいましたが、イスタンブルやアンカラなどに比べると本当に住んでいる日本人は少ないです。・・・というわけで自然とトルコ人とのおつきあいが多くなります。仕事関係はもちろん、大家、店の管理人、キリム織りを習いに来る人、なんだかわからないけど店に出入りする人たち、夫のトルコ人の友人たち、大学の教授、顧問弁護士、会計士、新聞記者・・・・それらの友人、知人、家族。地方にも仕事柄知り合いは多く、町でも村でもどこへ行っても食うことと、泊まるところには困りません。何か困ったことが起きたり、自分たちで処理できないようなことがあっても、電話一本で助けにきてくれる友人たち。そういう意味ではトルコ人の友人、知人たちには本当に助けられています。そしてすっかり甘え上手頼み上手になってしまった私がいます。過去の日記を読まれた方はわかるでしょうが、できることは自分でしよう・・・という気持ちが普段から全くない私。ここは外国、私たちは外国人、できることは人にやってもらおう・・・という主義(!?)なのです。でも無理をしないことがトラブル回避への道であることも多々あります。最近あったいくつかのトラブルも全て友人たちの手で簡単に解決してしまいました。内容は詳しくは書けませんが、ひとつはある役所の役人がやった私への過ちについての抗議に関連するものです。この件に関しては一番の功績者は新聞記者のフセインです。まだ若いのですが、仕事歴も10年近くなり、アンタルヤでは顔が利きます。正義感が強く、行動力もあります。マスコミの影響力が強いのはどこの国でも同じかもしれません。すぐにその役所のトップから「約束」を取り付けて、私の仕事は支障なく終了したわけです。以下、身内ネタ・・・・。某地方にキリム織りに出かけていた日本人のRちゃんが、ギョクハンとドライブがてらミフリに遊びにきました。ギョクハンとは日本語、トルコ語でなんとか会話をしているようで、ホームステイ先の女性たちともうまくやっているとのことです。来週にはアンタルヤへ戻ってくる予定ですが、肝心のキリムの進み具合は・・・というとまだ15cmぐらいだそうで、来週末までどれだけ進むか・・ちょっと心配です。でもマイペースで作業するRちゃんのことですから、私が一人で心配することもないか・・・・とも思うのです。
2004年07月15日
私は日本国籍を持つ日本人です。夫も上に同じ、息子も左に同じ。ということで外国人としてトルコに滞在しているわけです。日本に住むのと違い、当然ですが滞在するために許可を取らなければなりません。現在、トルコにたくさんの日本人が住んでいます。それをおおまかに分類すると1.トルコ人の夫(もしくは妻)がいる人2.日本の企業・団体の海外出張、赴任とその家族3.トルコの企業に就職している人4.大学などの留学5.理由はいろいろだけど観光ビザで3か月ごとにギリシャ領の島やキプロスに出入りしながら、観光ビザを延長し続けている人ということになります。では私たち家族は・・・・というと、外資系企業のオーナーとその家族という滞在と就労の許可です。そりゃそうですよね。会社を創らせて、投資させておいて、オーナーは働いてはいけません、滞在もできません・・・とは言わせません。昨年から不景気のトルコに外貨を落としてもらう対策として、外国人の会社設立、不動産購入枠をかなり広げ、日本もその対象になりましたので、私が会社を創ったときよりはかなりラクになっているはずです。実際、ドイツ系、ロシア系などの企業はたくさんあります。でも私の会社のような小規模ではなく、それなりの資本力があるところがほとんどです。さておき、いくら滞在許可、就労ビザをもらったところで、外国人であることには変わりないのですが・・・・。正式な滞在で5年以上経過した場合は、申請すればトルコ国籍をもらえる特典もありますが、将来EU圏内で暮らすことを考えると、日本国籍を失うのは現時点では躊躇します。でも外国人だから、日本国籍だから・・・トクをしていることもあると思うのです。とくにお役所関係、地元のお偉いさん方と知り合いになる機会が多いし、マスコミに取り上げてもらいやすい・・・など。親日国家ならではのことかもしれません。商売上はかなり役に立っていますよ。困ったときはトップに会うか電話する・・・です。
2004年07月14日
アンタルヤはトルコの南、地中海沿いにあるリゾート都市です。普通の人が普通に暮らす地域と、外国人、トルコ人観光客が集まる観光地が同居する不思議なところです。私たちが暮らし、仕事をしているのは「カレイチ」と呼ばれる旧市街。城塞の内側と呼ばれるこの地域は、古代の城壁に囲まれ、石積みの遺跡とオスマン様式の木造家屋が見られます。近年になって観光地として開発され、オスマン様式の建物を改築したホテル、ペンションや、シーフードを食べさせるレストラン、お土産物屋などが並びます。マリーナにはバーやディスコがあり、海水浴ができる5月から10月の観光シーズン中は明け方まで街は賑わいます。アンタルヤへはトルコ航空で日本からイスタンブル経由で同日着が可能。イスタンブルから飛行機で1時間(約13000円)長距離夜行バスで12時間(約2500円~5000円)カレイチへはアンタルヤ空港からタクシーで20分(約3000円)。深夜は5割増し。バスターミナルからバス会社の無料バス、またはドルムシュ(乗合バス)で30分行き先を「カレイチ」または「カレカプス」「サートクレシ(時計塔)」と告げてください。そこがカレイチの入り口です。
2004年07月13日
なんていうほどのことはないのだけど、トルコの人は不思議がっていることだろう。店で仕事している妻と、家で家事・育児をしている夫と・・・。トルコにいるときは・・・。夫は普段は家にいて、掃除、洗濯、買い物から食事の支度、そして育児をしている。その合間に日本での個展や展示会の準備として絵を描いている。絵を描くことには私はいっさい口出ししない。「絵を描かないと死んでしまう」というので描いてもらう。そして絵を描いているだけで満足している。彼にはお金も必要ない。物欲は全くない。絵の材料買うのは絵の具と筆ぐらいで、あとはゴミ箱や廃屋から拾ってくればいいし、絵を描き始めたら本人は飯も食わない。お茶だけ飲んで生きている。経済活動は妻の私の役目。だってもともとトルコで商売をしていたのは私で、会社の社長も私なんだもん。夫の出番は全くないのである。トルコでは男が家庭で女が仕事・・・なんて不思議で仕方がないと思うけど、向いている人がやればいいのであって、夫にトルコで絨毯屋をやらせたら、1週間ももたないことは保証付きである。そして日本に帰ると立場が逆転する。実は日本にも店がある(実は・・・なんて言わなくてもみんな知っている)。店長は夫で、私はミフリの仕事の延長上のことはやるけど、店はほとんど夫任せ。日本なら芸術家でおっとり屋の夫でも趣味の話で会話ができる。店も趣味の店としてやっているので、興味を持つお客さんが来てくれるので、そんなに問題ないのである。その代わり、日本では育児と家事は私が80%ぐらい担当する。残りの20%はなぜやらないか・・・というと、夫がやってしまうので私の出番がないのである。夫はトルコでの家事・育児に慣れると、私のいい加減な家事・育児が気になって仕方がないのである。食事も自分の方がうまく作れると思っている。子供とのかかわりも自分の方が上だと思っている。だから20%は育児でも家事でもやらせてあげる。・・・・と言って、手を抜かせてもらっている・・・ありがたいことである。ただひとつ、トルコであろうと日本であろうと私が100%やらなければならないことがある。それはクルマの運転。夫は免許を持っている。しかもゴールド免許である。・・・運転していないから無事故無違反ってことだけど・・。一度、運転をさせたことがある。「私が運転したらクルマはまっすぐしか進みませんよ」と言っていたけど、本当にその通りで、正面に障害物があってもハンドルをきらないのである。そのまままっすぐ・・・。そのわりにはアクセル吹かすし、ブレーキを踏まない。いつもギリギリのところで止まって、事故にはならないけど、本当にまっすぐしか走らないのである。「家族の安全のために、イクミさんが運転した方がいいのです」・・・と言われて、クルマの運転だけは私の仕事。最後に良心の呵責・・・ちょっと訂正・・・。日本での私の家事・育児の割合は多めに見て50%ぐらい・・かな・・・?
2004年07月12日
5月中旬に日本からトルコへ戻ってからというもの、休日がなかった気がする。わがミフリは日曜日はお休みをいただいている。店は休みでも、長期滞在のお客さんがいたり、修理の勉強をしている人がいると、なんのかんのと店にモノを取りにきたりする用事があって、日曜日も店の近辺にいることになる。または出張続きで日曜日は旅の空の下・・・というものあった。で、久しぶりの店に全く行かなくていい日曜日。出張中でもないので、家でゴロゴロしていられる日曜日。買い物に行って、掃除をして、ご飯を家で作って食べた。自分でご飯を作ったのも久しぶり。テレビでも見て、ぐーたらしていよう。明日から2週間、輸出とその他の細かい作業で忙しい日々になることだし・・・・。
2004年07月11日
人に頼まれて、急遽、大きいキリムを何十枚か集めなくてはならなくなった。だからどうした・・・!?って思うでしょが、キリムを集めるのは簡単である。でも条件に見合ったキリムを探すのは難しいのである。今回の条件は大きさ、好み、そして問題は価格。大きさも一番数が少ないタイプ。かなり価格帯設定が低くて通常では集められない。難しい。でも一度受けてしまったからには、どうにかしなくてはならないので、社長、突然はりきるの図、である。自慢ではないが(実は自慢だが)、私はそこらのトルコ人絨毯屋よりキリム、絨毯を安く買うルートをいくつも持っている。同じ商品を安く手に入れているのでいつも驚かれる。さらに「普通」の値段では買わない。倒産しそう、金を立替えてくれ・・・そんな話を聞くと飛んでいく。そしてニコニコ現金取引。だからどんなに「安くしか買わない」と評判が立っても売りたがる人はあとを立たないのである。この不景気、安く買って安く売らないと儲けはないのであるから、仕方がない。それでも、今回の条件はかなりきつかった。どうしよう・・・・期限もある。・・・・でどうしたかというと、事情を説明して、知り合いの絨毯屋から何点かずつ譲ってもらって、なんとかなった。実際の価格からいうと、卸しでも私の提示する価格の倍はするだろうキリムであるが、うちの社長は普段の行いと心がけがいいから(自分で自慢する)、みんな快く譲ってくれたのである。景気が悪くて、損をしてでも、今日のお金が欲しいという事情もあるだろうが、最後は真心である(何のこった!?)。これでお客さんは喜んでくれるだろう。ところで私の儲けは・・・・?と考えると、送料などの諸経費を差し引くとゼロである。正確には中華レストランで1回、家族で食事が出来るぐらいは残ったかな?というわけで今晩は家族で中華料理を食べながら、今日もご飯が食べられる喜びをかみしめるのであった・・・・(本当になんのこっちゃ!?)
2004年07月08日
ありがたいことです。何があったのかわからないけど、いろんなことが急展開。運が向いてきた・・・・っていうことなのかなあ。それにしては宝クジもロトも当たらないけど・・・・。運が向かなくても別に構わない人生なんだけど、人に頼られたり、仕事の話が増えると、なんだかやる気が出てくる。怠け者社長・・・変身する・・・か!?変身はしないのである。やっぱりあまり働く気はないのである。暑いし、ダルいし・・・更年期障害だし・・・・!?もともと積極的に商売をしようという性質ではない。来るもの拒まず、去るもの追わず・・・的なところがある。私は好きなことをやっているから、一緒にやりたい人見たい人はどうぞ・・・。来たい人は来るし、来たくない人を無理矢理引っ張ってきてもしょうがない・・・ってもんである。生活があるから稼がなくてはいけないけど、とりあえず家族で飯が食えればいい。あとはうちの会社関係で飯を食っている人に給料なり、代金なり、家賃なり滞ることなく支払いができればそれでいい。トルコにもちゃんと税金を払わせていただいている。怠け者だけど、商売をやる上で決めていることがひとつ。相手のある仕事はすばやくしっかりやる。それだけは絶対。朝から働いた働いた。電話をかける、相手に会いにいく。手配いろいろ・・・。トルコの・・・は知らない。でもアンタルヤの観光業は大手ツアー会社系をのぞいて閑古鳥。家の下の絨毯屋も廃業するみたいで、商品を安く手放すと連絡が来た。大家は空いた店舗の店子探しをしなくては・・・と頭を悩ませる。「キミが借りてくれるとうれしいのだけど・・・」と言われるが、アンタルヤだけで2店舗も持てないよ。この不景気に仕事があるということに感謝しよう。
2004年07月07日
今日も暑くてたまらない一日だった。暑い、暑い・・・・ってそれしか書くことがないのか!?って・・・・それしか書くことがないのである。だって暑いんだもん。家の温度計で40度目前。外はもっと高いだろう。昨年はこれほどではなかった気がする。今年は特別暑いようである。店でエアコンかけてもなんだか涼しくない。下のチャイバフチェも風が通るけど、熱風なので座っているのもつらい。太陽のもと、出歩くのは倒れるだけだから日陰にいるのが一番なんだけど、日陰も涼しくないから、今日はフラフラと涼しい場所を求めてさまよった。でもどこに行っても「暑いよお」と叫ぶ人たちしか見当たらない。実際暑いのだから仕方がない。あいさつは「暑いよお」。結局涼しい場所は見つからないので店に戻る。そこへ新聞記者のフセインがやってきた。彼も汗でドロドロである。「この暑さをニュースにしなくちゃ」というので、昨年やったネタ。「道路にタマゴを落として目玉焼きを作る」をまたやるのか?と尋ねた。それじゃあまりにも能がないので今度はサラミを焼くのはどうだ!?と提案した。一笑されて終わったが、サラミもやける暑さである。そこで思った、うちの社長(私のこと)。チャイバフチェに放し飼いにされているウサギに油を塗って太陽の陽で「ウサギの丸焼き」が出来るかどうか実験してみよう・・・・。その提案はすぐに却下されたが、みんなが本気にしてすぐにウサギを私から遠ざけた。(ウサギ年の私がこんなにかわいいウサギを食うわけないのだ)暑いと脳みそが普通に働いてくれないから、考えることも普通でなくなる。(いつもと同じだってば!?)それにしてもこの暑さでもやせない、私とフセインはたいしたものである。(その方がよほどニュースになるって)
2004年07月05日
出張先の某地方都市は、日中は暑かったがさすが夜になると涼しく、ホテルのエアコンも必要がなかった。窓を開けておくと気持ちいい、というより寒いぐらいで、こんなに寒暖の差が激しいと風邪をひいてしまうかもしれない・・・・と思ったほどである。この時期の日中の移動は厳しい。クルマのエアコンを全開にしても、日差しの方が強すぎてあまり効かない。涼しくなってから・・・と遅くアンタルヤに戻ることにしたが、夕方5時半でも太陽の位置が高くてあまり意味がなかった。途中の地方の町で友人が家を建てているので、寄ってみた。古い家を改装してアパートにしようというプラン。小さな町である。旧市街の方は古い家が残り、村と言ってもいい。夕方になると吹く風は心地よいし、家の中は涼しい。夕食とトルココーヒーをご馳走になり、アンタルヤへ向かう。アンタルヤの暑さが怖い・・・・。最後の山を越えたとたん、気温が変わる。アンタルヤへ入ったのが夜の11時ごろ。でも空気が熱いのである。熱風。クルマから降りたとたん、オーブンの中に入ったように感じるほど、夜なのに涼しくないのである。アンタルヤの暑さは特別である。
2004年07月04日
地方出張というのは、日本からキリム織り研修に来ているRちゃんをトルコの某地方の村へ送っていくこと。ついでにゴミ屋をまわり、何かないかと探して見つけたのが、ドイツのホテルの名前が入っているシルバー混のポット。形と古びた感じがなんとも言えずいい。あとは手織りの布、しかも最近の厚めのではなく、一昔前の薄めのもので、シーツとして保管されていたもの。それから地元の女性の民族衣装の金属製ベルト。1930-1940年代のものである。金具もしっかりついていて、使用可能なのが気にいった。私の腹にもはまったので、さらに気にいった。クルマでアンタルヤを出てから約10時間。最終目的地の某地方へ到着。Rちゃんの織り機を置く場所、お世話になる人、教えてくれる女性との引き合わせ、ホームステイする家庭などをまわり、そのままRちゃんとお別れ。オーダーしていた、とある目的の変わったキリムの進行状況を確認、点検。まあ試作品としては上出来でしょう。村の絨毯クリーニング屋に仕上げに出す。ホテル泊
2004年07月03日
午前中はコンヤの絨毯屋さんがやってきたので、新商売についておチャを飲みながら懇談会。なるほどなるほど・・・と聞いているが、実は朝早くに電話でたたき起こされたので、朝食抜き。腹が減って話が脳まで伝わらない。お昼に近くの食堂にトマト味のマカロニの出前を注文して、「この暑い中、マカロニなんて食べられるのは私ぐらいのものだろう」と自慢する。どういうわけかトルコでは「暑いときはマカロニとかスパゲティは食べられない」という人が多い。午後はたまっていた商品の選別とラベルはり。エアコンを効かせた店内での作業なので、ラクチンラクチン。ミフリの社長(私のこと)は座っているだけ。社長はどんなときも働かないのが決まりである。夕方になると店のある建物の管理人のハムディおじちゃんが呼びにくる。最近トルコ麻雀、オーケイにはまっている。今日は夕食にピザピザ(30分以内に持ってこないとタダになるって店)の特大ピザをかけて勝負。ハムディおじちゃん、最近毎日遊びにくるジェムとアドナンと・・・。明日、キリム織りのおこもりのため村へ向かうRちゃん、我が新聞記者のフセイン、夜番のアーディム、下のチャイ屋のセラミにも食べてもらおうと、特大サイズを2枚オーダー。おかげでみんなが腹いっぱいになった。明日から地方出張。社用車パリオくんに乗って山を越えます。内陸に向かうので少しは涼めるかも。
2004年07月02日
ってわけがわからないタイトルだが、うれしいことがあったので単純に喜んでいる。まずは個人的なことであるが、ずっと声を聞きたかった相手から突然連絡があって、話をしたこと。それからどういうわけか、急に商品への問い合わせや取引の相談が何件かあった。この不景気にありがたいことである。誰かが私の代わりに宣伝でもしてくれているのか!?・・・ってそんなことはありえないか・・・。なんにも考えないトリ頭でいるときに限って、こういう話の展開になる。昨日のコーヒー占いで「アッラーは君をとても愛している。天使が君の肩にいるよ」と言われたけど、(イスラム教徒ではないけれど・・・・)これがそうなのかしら・・・と思ったり。日記は、絨毯問屋が集まる某地方都市の、ネットショップをやっている在住日本人女性とその愛人であるトルコ人絨毯屋のいやがらせが面倒くさいので削除した(正確には引越しした)。理由はわからない。だって会ったことも話をしたこともない。商売上、よほど私の存在が目障りなのだろう。いやがらせもいやがらせになっていなかったけど、面識のない相手なのでどうでもいいし、弁護士も警察も「事実じゃないことを告げ口されたのだから逆に訴えることもできるんだよ」と言うのだが、やっぱりどうでもいい相手だし、今日はいいこともあったので、何をされても許そうじゃないか・・・って気分である。今日は用事で忙しい一日だった。しかも暑いし、のどが渇くので水を飲めば飲むほど汗がダラダラと流れ、体力を消耗する。夕方にコンヤから知り合いの絨毯屋が2組やってきた。アンタルヤに絨毯、キリムを売りに来たようだが、さっぱりなのでうちに寄って、オーケイして帰っていった。絨毯屋が集まれば景気が悪い、金がない・・・という話になるが、不景気に不景気な話をしても仕方がないので、そういうときはゲームでもしてチャイを飲んで、バカ話をして笑っているのが一番である。
2004年07月01日
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