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フセインはほぼ毎日、ミフリに遊びにくる。仕事があるときは、夕方6時。遅くなるときは電話をかけてきて「7時には行くから」と、連絡してくる。まるでミフリの社員のようである。夜勤や休みの日は午後2時ごろから、来てはコーラを飲んで、ピザを食べて「また腹がでてしまう~」と。今日は土曜日で店は開けるけど、官公庁が休みなので、ミフリの仕事も、特別ない。で、朝ゆっくりしていたら、ケイタイが鳴って、誰かからメッセージ。「今日は新プランを立てないのか?」フセインである。「もちろんプランを練り直ししよう。今日で最後だし・・・」と私は返事を書く。するとまたメッセージ。「今日もプランの練り直しをするわけ?」「そうよ。今やっているところだから、あなたもすぐ来なさい。いったいどこにいるの!?」って。フセインは仕事の最中なわけで、これるわけないのだけど、そう書いて送る。「本当にプランを建て直しするのか!? いい加減、あきたよ~。もう開放してくれえ!?」って書いてきたかと思うと、30秒後。「今、仕事中だから夕方、最後の確認をしよう。行くから待っていてくれ」・・・・・。つまりフセインはいやだ! あきた! いい加減にしてくれ! といいながら楽しんでいるわけである。プランはすでに出来あがっているし、行く予定の各地の友人や骨董屋に電話もかけて、日曜日でも夜中でも、ちゃんと居るように約束もとりつけた。ホテルの予約もばっちりである。あと別にやることはない。彼女の到着を待つだけである。でもたぶん興奮して、落ち着かないフセインのために、最後の打ち合わせ会議を開こう。実はちょっとした「ビックリ」が隠されている。実行者はフセインである。そのために運転手つきのクルマまで手配したらしい。そう、夕方、彼女はアンタルヤにやってくる。
2004年09月25日
日本からお友達がやってくる。来訪日程がわかってからかなり経っているのだが、それに合わせて、ミフリの社長とその周辺は慌しくなってきた。彼女が来たら、一緒にクルマで北上する予定である。バス旅行では行きづらいようなところへ、行き、その地の名物を食べたり、骨董屋や市で買い物を楽しむのである。さてこの旅に新聞記者のフセインも同行することになっている。なぜ、フセインか・・・というと、彼女がアンタルヤへ来るようになってからのトルコ人の知り合いであり、実はフセインは密かに彼女を慕っている・・・・という内輪話があってのこと。もちろんフセインはそれを表には出さないし、彼女も知らないことだと思う。(・・・っと、ここでバラしてしもうた!!)そんな純なフセインが、私が彼女との旅を打ち明けたとき、「いいなあ・・・僕も行きたいなあ・・・」という顔をしたので、「もし休暇が取れるのなら、一緒に行く?」と尋ねた。そのときは「今の僕にはそんな長期の休暇は無理だよ」という返事であった。それからフセインは言葉にも顔にも出さないので、別に行きたいわけじゃないのかな・・・って思っていたら、ある日突然、「休暇をとった」というので、こちらがびっくり。通信社の正社員になって、まだ数ヶ月で、いきなり休暇をとるのはなんなのだけど、フセインの中で彼女との旅が最優先事項になってしまったようである。フセインのことだから、だからと言って、何かを望んでいるわけではないのだけれど、若者だもの、旅をしたい、リフレッシュをしたい、それが久しぶりに会える旧知の人となればなおさらのことなのだろう。そうしてミフリの社長は、最後の1週間は毎日フセインを呼び出して(呼び出さなくても、他に行くところがないので毎日ミフリに遊びに来るのだけれど・・・)旅のプランをたてては、修正して・・・の繰り返し。通常の国内出張では、計画というものは全くない。人を訪ね、その人からまた情報を聞き、西でも東でも行く。3日の予定が1週間に延びるなんて、当たり前。でも今回は計画をしっかり立てようと、道路地図とにらめっ子。短い休暇を利用して来る彼女のために、無駄な時間がないように、そして十分楽しめるように、何をして何を食べるかまでに頭を悩まして、しまいには頭が痛いのであるから、私たちミフリスタッフは本当に遊ぶことにかけては熱心である。今日も夜番のフセインは昼間からミフリに来ていた。ミフリの社長はフセインに「これが最後のプランだよ。さあ、どこに行って何をするのか言ってごらん」と、持ち物のチェックから食べるもの、行くところまで復唱させた。フセインも一生懸命をメモをとる。パンツは何枚で、靴下は何足で、歯ブラシも忘れないように・・・・って、ミフリの社長はまるでフセインのお母さんのようである。・・・・って、言ったら、「僕のお母さんはちゃんとした、まともな人間だ」と言われた。・・・いったいどういう意味なんだ・・・!?まあ、それもいいとして、なんだか私もわくわくしてきた。クルマの中はジョークと笑い声が途切れないことだろう。どこに行くにも、何をするにも、どうせするなら楽しいのが一番である。
2004年09月23日
デジカメからみの怖い話・・・ではありません。あしからず。先日、天気もよいし、カレイチの路地をデジカメで写真を撮りながら歩いていたときのこと。知り合いの絨毯屋で「ドラキュラ」というあだなの親父にあったので、どれどれ写真でも撮っておこう・・・とカメラを向けたのです。それまで調子良く、シャクルシャクル(こういう擬音はトルコっぽい・・!?)写真を撮れていたのに、親父を撮ろうとした途端、カメラのレンズカバーが開かない!「ドラキュラを見て、カメラが怖がってレンズ出さないよ!」と、バッテリーでもなくなったか・・・と思っていました。だってカメラ昨年買ったばかり、まだそんなに古くないと思うのだけど・・・。よほど怖かったのでしょう。ドラキュラ伯爵の風貌が・・・。そしてカメラは二度とレンズカバーを開けることはなくなったのです・・・・。デジカメが恐怖を感じた瞬間のお話です。カメラも壊れたドラキュラ伯爵に会いたい方がいたら、案内しますので、わがミフリへどうぞお立ち寄りください。・・・ってことでヌルセルやら、フセインやら、本屋さんやら、イズミールの絨毯屋、コンヤの絨毯屋、マラティアの絨毯屋、修理職人、自宅の古いジジムを持ち込んだ学生さん・・・など、来客はあったけど、暇な一日でした・・・・おしまい。
2004年09月22日
昨日は例のアトリエ予定の村へ行ってきました。村と言っても麓に町を抱えていますので、U市の村のように、どこまでも山奥へ入る・・・と行った感じではありませんが、木造と土壁の古い家が残り、ヤギを追う人はいたり、人々の生活様式も家の形式もちょっと昔の田舎暮らしの風情が感じられる静かな地です。家はほとんど完成していました。あとは細かい部分の補修、追加。古い家屋の骨組みを残しながら、窓やドア、台所、シャワー、トイレなどを新しく作ってあります。一応の家具や台所用品も置かれ、すぐにでも泊まれそうです。もちろん電気、水道も開通。織り機をどこに置こうかとか、庭ではバーベキューができるようにしたいなあとか、冬は薪ストーブをどこに設置するか・・・などを考えながら・・・。建物も大切だけど、その前に私がやって置かなければならないのが、村の女性たちへどのような協力を頼むか・・・です。絨毯織りのベテランの女性、レース編み、刺繍の上手な女性、家庭料理の得意な女性。村の女性たちは「任せておいて!」と楽しげです。「それはアイシェに頼めばいい」「エミネおばさんのところの嫁が絨毯織れたよね」・・・などと意見が飛び交います。暇で座っているだけの毎日だもの。私、どんなことでも手伝えたらうれしいわ。と言ってくれる若いお嬢さんたちもいます。村は日中は日差しは強いけど、湿気がなく、過ごしやすいのです。今日は女性たちと食事をしては座ってチャイ、トルココーヒー、また食事・・・でお腹が苦しいのです。そして彼女たちは私がトルココーヒー占いをするというのを誰かから聞いて、私は占いのために呼ばれては、実は人生相談、恋愛相談だったり・・・・。自分で言うのもなんですが、当たるらしいです。私の占い。アンタルヤへ戻るときには、外は真っ暗でしたが、おもしろいことにアンタルヤに近づくと、とたんに車内が蒸してくるのです。クルマの窓を開けるとムッとした空気が感じられます。アンタルヤはやはり暑いのです。アトリエ予定の家を見る・・・・という大義名分で、村で心の洗濯をしてきたわけです。村に暮らすということは、村ならではの窮屈さ・・・があるということも事実です。それでも私のように、週末を村で過ごすトルコ人たちが増えているとのことです。大学や、就職、結婚で町に出た人たちが田舎へ戻りたがったり、都会のお金持ちがかつてのようにリゾート地ではなく、何もない田舎に別荘を持ったり・・・。都市生活の快適さ便利さも否定しません。でもトルコにいて田舎を求めてしまうというのは、いかに都市生活の日常が乾いてきているか・・・てことなのでしょうか・・・?
2004年09月20日
アンタルヤへ戻ってきて6日目。戻ってきた日には仕事を始めて、毎日時差との戦い・・・。息子は明け方4時には目が覚め、夕方7時には眠気でヘロヘロです。私も息子に合わせなくてはならないので、朝は4時、5時。昼間は出歩くので、夕方の6、7時には眠気が襲ってきて、それでも来客や友人を待つ都合、目を赤くしながら店にいるわけです。一人だったら時差なんて飛行機の中で解消してしまうところだけど、息子が自分で何でもできるようになるまでもう少しの辛抱。でも何でも自分でできるような年齢になると、今みたいに「ママ、ママ」って来てくれないかもしれないし、それも寂しい・・・・。朝はエザーンの声とともに起き、これなら朝のお祈りもできるなって思いながら(お祈りしませんよ!)、夜は店を早めに引き、お風呂に入り、9時には就寝。私は12時ごろいったん起きて、2、3時間お仕事をし、1,2時間寝て、また起きる・・・。私の日常のつらいところは昼寝ができないことです。店にいっているんだもん、当然なんだけど、以前の6部屋+台所があった店では奥部屋にこっそりこもって15分、30分と昼寝をしたものです。(えッ? 2、3時間の間違いだろって!?)でも就寝時間と起床時間だけを見ると、なんて健康的な生活なのでしょう。5時起き、9時就寝。もうすぐ友人たちの来訪が始まりますが、旅に出ると身体がクタクタ、ボロボロになります。朝は8時起きとしても、夜の移動が続くので、ホテルに入れるのは深夜0時過ぎなんて当たり前。村に行ったりしたら、用事というより、おつきあいで帰れないし、トルコ人の友人に会えば、泊まらなくとも夕飯やお茶に呼ばれて断ることは不可能!(断っているけど・・・)・・・なんでこんなことを書いているかっていうと、今日は日曜日で店も息子の保育園も休みなので、ゆっくり寝られるかと思ったら、やっぱり5時起きだったなあ・・・・って・・・・・。今日は店には出ませんが、仕事で村へ行ってきます。
2004年09月19日
という思いで、以前から自分の中で計画だけは進んでいたのですが、それが実現されることになりそうです。ミフリの社長はごぞんじの通り、絨毯屋なのに絨毯を売ろうとか、お客さんをつかんでいたい・・・とか、どうも積極的な商売の姿勢が見受けられません。生活がかかっているので、仕方がなく商売っぽいこともやるけれど、実はあまりのっていない・・・・だって、自分のコレクションが減るだけなんだもん・・・って。で、何をやりたかったかというと、トルコの伝統手工芸の残像とできるかぎりくっついていたいのです。トルコといえども、伝統的な文化は日本同様、忘れられ、すたれつつあります。かろうじて村でその一部が残っているっていうのが現実で、それを求めて、日夜、仕事もせずに時間がある限りトルコ中をうろついているのです。で、それを実現させるために何をすべきか・・・。村に暮らせばいいのです。・・・といってもそれは無理な話。仕事もあるし、私が養わなければならない人たちもいる(またまたおおげさなんですけど、会計士とか、大家とか、秘書とか、運転手とか、広報担当とか・・・!?)。村の女性たちの自然な暮らしの中で、まだ彼女たちが続けている伝統手芸、織物などを見られないか・・・。そして、それを知りたい人たちとの交流の場が儲けられないか・・・・。ってわけで内陸の某所に、一般には有名ではありませんが絨毯を織る伝統があり、実際に織っている女性がわずかですが残っている村があります。縁あって、そこにアトリエ兼別荘を作ることにして、夏前に下見に行きました。どうしようかな・・・。どうすればいいかなあ・・・。一番重要なのは、村の人たちとどのように共存、協力関係になれるか・・・ということです。そして私たちが何を得られるか、何を与えられるか・・・。私たちがアトリエを構えることで、村の人たち、とくに女性たちに何かの形で貢献できるか。帰国の際に那須に通いながら、それを密かに考えていたのですが、よくわからないままトルコに戻ってきたところ。でも建物が完成したとの話を聞いて、しかも私のために空けておいてくれているとのこと。これはもうやるしかないのです。しばらくは村に通いながら、村人のハートをつかむところからはじめます。なぜか村人にはウケのいい社長のことですから、すぐに解け込めることでしょうが、何か新しいことをはじめるときは本当にドキドキの連続です(本当か!?)。貧乏なのに今度はアトリエ・・・。維持できるのでしょうか・・・。まあ、なんとかなるでしょう・・って。かすみを食って生きていきますか。
2004年09月17日
って、何の工夫もない(いつものことですが)そのまんまのタイトルです。アンタルヤは暑い暑い・・と思って帰ってきたら、なんだか日本よりも過ごしやすいなあ・・って思っています。今年の日本は記録的な猛暑だったということもあるでしょうが、湿度の差ですな。これは。日本だと店の中がエアコンかけても、除湿し続けても、キリムのウールが湿気を含んでしまって、重たくなっているのですが、こちらだとキリムが軽いのです。たしかに6、7月のアンタルヤは湿度も高く、じっとりべっとり・・・日本の夏の比ではありませんでしたが、今は9月。ピークを過ぎて、さわやかな残暑です。でも秋というにはまだ早いような・・・町を歩く人々の服装は真夏だし、やっぱり日中はエアコンかけまくり。コーラが恋しいし、チャイを飲めば汗タラタラ・・・。さてさて過ごしやすくなったアンタルヤですが、今月末からは日本からの友人たちの来訪を含め、予約のお客さんが続きますので、アンタルヤにいられる日は11月まであまりないかもしれません。飛行機チケットの予約、ホテルの予約、村のおばちゃんたちの都合を尋ねる、ルートの選定、最後の荷物の送付の準備まで、そのほかもろもろ、毎度のことなので、かなり慣れたとは言え、老化現象のすすむ頭にはかなりつらい。私のスケジュール管理をしてくれる、しっかりモノの秘書が欲しい・・・。(あと関係ないけど、家事をしてくれる奥さんも欲しい)何を好んですっかり涼しくなった内陸部や山間部にいかなければならないの・・・・って。この気候の変化についていけず、身体を壊すのが常ですが、今年は病気になってなんかいられませんので、栄養剤でも飲みながら頑張りましょう。・・・頑張る・・・なんて言葉が社長の口から出るなんて、いったいどうなっているのか。まあ、言ってみただけ・・・ってこともありますし。またまた時差ボケの頭でわけがわからない日記になりましたが、時差ボケが解消するまでお許しください。(・・・って誰に許しを請うのだ!?)
2004年09月16日
アンタルヤへ着きました。今回はインターネットの契約を更新する必要がなかったので、すぐにでも使えたのですが、留守中に電話料金の支払いが遅れたせいで、電話がつかえず、まずその復活作業からでした。(・・・といっても社長は偉いから?自分で手続きなどいかないのだ・・・)子供連れで重たい荷物を抱えて、本当に面倒なだけの空の旅。しかも飛行機の接続が、時差を考えると一番眠たい時間に乗り継ぎ、待ち時間などがあって、乗る前から「恐怖」の一言。普段も乗り継ぎ時間が3時間以上あれば、迷わず空港ホテルでシャワーをあびて仮眠をとるのですが、待ち時間はそんなでもない。ただただ眠たい時間に飛行機から降りて、手続きをしてロビーで待っていなきゃいけない・・・・。今回は自分でシュミレーションをしていたので、荷物の持ち方、預け方、万が一は19キロある子供を背負うつもりでおんぶ紐持参。しかも日本で子供とおんぶの練習までするという念の入れよう。O型の私がここまで考えるのだから、本当につらい子供連れの移動。これがイスタンブル終着なら、どんなにラクなことか・・・・。アンタルヤは距離の上でも、飛行機の接続の不都合の上の精神的苦痛(いつものことながらおおげです。ただ眠たいだけだってば!)でも、とにかく遠いのです。ドラえもんのどこでもドアが欲しい。せめてフライト時間が7時間ぐらいになって欲しい・・・。もしくは成田ーアンタルヤの直行便があったら・・・。飛行機乗りながら次回は専用機でアンタルヤに直行したいな・・・などということを大真面目に考えてしまったのですが、この気持ちで仕事に励めたら・・・・でも私のことだから思うだけでキリムだけがあればいい・・・ぐうたら何も手に入れない人生を送ることでしょう。次回の帰国の都合で、今回はアシアナの片道チケットと、トルコ国内で買ってあったトルコ航空の国内線を利用しました。トルコ航空との共同便のアシアナでは、またまた気の短いトルコ人乗務員と英語が全く通じないマイペースの韓国人旅客たちとのバトルが見れるかと楽しみにしていたのですけど、ツアー客が1組ぐらいしかなく、トルコ人旅客もたくさんいて、意外と静かな機内でした。でもやはり「ミート or フィシュ?」でだいぶ時間がかかっていましたけど・・・。それと思ったのですけど、韓国人は機内での散歩が好きみたいです。散歩ついでに乗務員用の座席に座って井戸端会議が始まり、トルコ人スチュワーデスに怒られていたり、離陸するっていうのに、立ち上がって散歩して「座ってください!」と怒鳴られているのに、まだ散歩している人とか・・・。それに比べてトルコ人旅客はおとなしいものでした。お酒を飲んであとは寝ているか、映画を見ているか。あとは子供を見るといじくりまわしたくなるぐらいで、息子は迷惑そうでしたが、トルコ人は若い人でも子供好きが多いので飛行機などの乗り物では本当に気がラクです。日本じゃ子供を連れていると異様なほどに周囲に気を遣わなければならないのが、いまだに謎なんですけど・・・。アンタルヤに着いたのは夜中の1時過ぎ。友人が迎えに来てくれていたのですが、その姿を見て自分がどこに来たかわかった息子は突然、大泣き。日本の行き来の回数が、この4年半でもうすぐ2桁に突入する息子は、滞在期間がトータルでも1年に満たないのに、なぜか日本が大好きで、アンタルヤに着いたのがわかったとたん、「鹿沼に帰りたいよ~! イトーヨーカドーに行ってムシキングのゲームをやりたいよ~! アンタルヤにはムシキングがないんだよ~!」と家に着くまで泣き続け。彼にとってムシキングはどうでもいいのだけど、鹿沼に帰りたい一心で鹿沼の良さを主張しているのでしょう。親の都合で振り回しているので、他のことにはとんと疎いミフリの社長も息子の「日本に帰りたいコール」にはちょっと弱い・・。と思ったら、店に行けば行ったで、トルコ人とトルコ語で会話して、地中海で泳ぎたいなあなどと言っているので、彼なりの日本への感傷だったのかなあ・・・・とか。5週間ぶりのアンタルヤは、日中の日差しの強さは相変わらずですが、夕方からは涼しく夜はもうエアコンはいらないかな・・・って感じです。というわけで、無事到着。留守中も大家さんと友人たちがしっかり監視していてくれたおかげで、問題なく全て順調です。時差ボケの頭で、支離滅裂、つながりのない、意味不明な内容の日記になっていることを除けば・・・ですけど。
2004年09月14日
短い日本滞在のなかで、お客さま、お友達・・・たくさんの方に訪問していただきました。あと数日ですが、フライトの前日まで訪問客ラッシュです。その合間をぬって、業者周り・・・集金、新規商談。トルコ旅行の相談・・・・その他もろもろ。昨日は織り機に縦糸はりまで・・・・。トルコで会った人と、日本で再び会うのは本当にうれしいです。その逆もまた・・・・。今日は、私が日本に帰国している間も、アンタルヤの村で絨毯を織り続けていたRちゃん、そしてやはりトルコでキリムを織り、地方周りを一緒にしたKちゃんが遊びにきてくれます。Rちゃんは村で絨毯を2枚織ったらしいので、その話を含めて私の知らない1か月の間の報告が楽しみです。なんだか不思議です。トルコで絨毯屋をやっていなかったら、出会えなかった人たちと、今こうして会って、話をして、時間を共有しているのですから・・・。もうすぐトルコ。実は飛行機に10時間以上も乗るのが、面倒で、このまま日本にいたいなあ・・・などとも思っているのですが、そういうわけにもいかないのです。トルコにいると、日本に帰るのが面倒になります。トルコと日本がもっと近かったらなあ・・・・って思うのです。
2004年09月10日
おはようございます。目を覚まして、ホテルでバイキングの朝食をすませ、ちょっと散歩にでかけましょう。ホテルの裏手にはバザールがあります。常設では商売人による野菜、衣料品などが並んでいますが、1週間に1度、村人が自分たちが作った手仕事ものなどを売りにくる日があり、ミフリ社長のお目当てもそれなのです。もんぺのようなだぶだぶのズボンに花柄のシャツを着て、頭にスカーフを巻いた村のおばちゃんが露店を開きます。オヤ(手編みのレース飾り)がついたスカーフや、テーブル用のレース、タオル刺繍・・・。ここは外国人が来るようなところではないので、もっぱらお客は地元のトルコ人。値段の安さは地方だけあって、都会や観光地の比ではありません。私がアンタルヤのトルコ人の女性に見せて、価格を言うと、みな安さに驚くほどです。このバザールに通うようになって6年。トルコリラがインフレで暴落しようとどうしようと、価格は同じまま。奇跡です。価格よりも、手作り品の質の高さもトルコの中では上位です。村人はまだ素朴で、みなが上質のものをつくるので、手を抜くということを知りません。このバザールには手作りのほうき、金物、フェルト、なんだかわからないけど面白いものがたくさんあって、見るだけでも楽しいのです。さてここでも用事も終わり、アンタルヤへ戻ることにします。でもその前にちょっと寄り道。伝統工芸の職人が多い町があります。実際には仕事をやめた人がほとんどですが、その分、古いものが出る可能性があるのです。町や近郊の村の家庭を回ると、出てくる出てくる。日本なら高値で売れるホーローが、犬や鶏のえさ入れになっていたり、台所に捨て置かれていたり。そういうものを譲ってもらいます。ゴミも多いけど、100点に1点はお宝がでてくるので辞められません。キリム、じゅうたんの場合もあるし、金物、陶器、民族服、手織り布、手刺繍もの、時計、電化製品・・・何が出てくるかはその日の運です。スカの日もあるし、お宝が多くて笑いが止まらなくなる日もあります。この場所は誰にも内緒。約束するならお連れしましょう。こういうより道を3か所、4か所、時間が許す限りまわります。見るだけで頭が疲れますので、あまり多く見るのもいけません。それにここはトルコ。行ったら、お茶だ、食事だ、なんだ・・・・となかなか立ち上がることができません。普段は暑くていやになるアンタルヤだけど、涼しい内陸にいると妙に懐かしくなります。アンタルヤが見えてくるころは、空も真っ暗で、高台から下るとき、町の明かりがとても美しく、戻ってきたんだな、とホッとします。運転手くんを家で降ろして、私たちはカレイチに向かうとしましょう。
2004年09月04日
最近、変なメールが何通かあった。どういう内容かというと、セックスフレンドを募集していましたが、まだ間に合いますか・・・・とか。月2回で15万でいかがでしょうか・・・・とか。あなたと私は合うみたいなので、会ってみませんか・・・とか。全て送り主は女性の文面で、メールを受ける私は男性・・・という設定。送り主のメールアドレスは全て@の以下はyahoo.co.jp。どこかに私のメールアドレスを使って悪さしている奴がいる。もしくはメールを送ってきている相手は一人・・・・。何が目的はわからないのだけど(いやがらせをしているつもり・・・ってやつですかね・・・!?)、これでメールを受ける私が傷つけばいいとでも思っているのでしょうが、私は女なんです。これらのメール見ても、ただただトンチンカンなだけで傷つくとかそういうことを目的にしているのなら、これじゃあ意味ないなあ。うちで男といえば夫と息子だけど、夫はパソコンは電源もつけられない上、メールが何であるかもわからないし、息子はブロック遊びに夢中・・・・。・・・やっぱりいやがらせになっていないよお!追記:こういうのを「何」メールというのですか?不特定多数に送ってくるやつみたいということで、安心しました。でもこれって最終目的はなんなのでしょう・・・・???????
2004年09月02日
お茶を飲んで疲れが取れたところで、さっそく村の織り機を見せてもらいます。私たちはクルマで道なき道を200メートルほど進みます。おじさん、おばさんは慣れたもので谷間を徒歩でひょいひょいと渡り、クルマでもたもたしている私たちより先に着いていました。そこは若い娘がいる農家です。普段はタバコ葉栽培で暮らしていますが、農閑期や特別なオーダーが入ったときは娘が織り機でキリムを織っています。今、ちょうどミフリ社長が頼んだ2×2mのキリムがかかっていますので、それを検査するついでに、この村での織り機の縦糸のかけかた、織り方を見てもらおうと思うのです。織り機はトルコ国内だけでも様々な形があります。基本的には同じ構造ですが、家屋、生活様式、織るものの差・・・などで大きさ、形式が変わります。この地方の織り機は定住型のもので、幅が3メートルほどもあるものもあります。こういう大きいものは織り機として作らないで、家屋の中に丸太と軸になる木を渡して、家屋と一体化織り機として存在することもあります。大型の織り機を使って、大きいキリムを織ってもらうわけです。・・・でここで気をつけてもらいたいのが、昨日、アンタルヤで張った縦糸の巻きと張り方と同じではないということです。張り方はアンタルヤへ戻ってからお教えしますが、今は違うということを認識しておいてください。さて実際に織らしてもらいましょう。娘さんが横に座ってくれます。言葉は通じないけど、手取り足取り教えてくれます。最初は娘さんの手の早さにパニックになってしまうでしょが、落ち着いて見たら難しいことではありません。あなたがキリムを織っていると、どこから聞きつけたのか村の全ての人が次々と訪ねてくることでしょう。人なつっこいといわれているトルコ人ですが、山奥の村ではまだまだシャイで、最初は遠巻きに、東の果てから来た日本人を珍しそうに見ています。でも恥ずかしくて声もかけられないでいるのです。「メルハバ!」あなたのそのひとことで、みんなうれしそうに微笑むでしょう。近寄ってきて、握手を求めるでしょう。「今晩は俺の家に泊まればいい」「いやいやうちのお客さまだ」村の5軒で奪いあいです。この村を訪れたことのある外国人はいままでミフリ社長と、あなただけです。もともとホスピタリティに富んだ国民性です。普通だったらこんなに親切にしてくれて、何か目的でもあるのじゃないか・・・って疑いそうですが、村人たちはそんなことが私たちの脳裏を過ぎったと知ったりしたら、悲しみで死んでしまうことでしょう。それほど何の見返りも求めない親切で情の厚い人たちなのです。泊まるかどうかはさておいて、近くの別の村でもキリムを織っているというので、教えてもらって行くことにしました。なんでもこのあたりの地区で一番キリム織りが上手で本人も美しい娘さんということです。道を聞くのに、道はないので、おばちゃんと一緒に高台に上り、遠くに見える集落を指さされます。「ほら。あの集落までクルマが通れそうなところを行くのよ」オリーブの樹の間の坂を上ったり下ったり、下が砂地でタイヤが動かなくなりそうになったり、泥にはまったり・・・・。集落は見えないのでさきほど見た山や大きな木を目標に移動します。ここも小さな村で10軒ほどの家がぽつりぽつりとあるだけです。クルマで村に入ると、家から女性たちが顔を出します。初めて会う人たちだけど、まずはあいさつから。「エミネの家はどこ?」自分が先頭にたって、家まで案内してくれます。「エミネ!お客さんだよ」中に入ると若い娘さんがキリムを織っていました。私たちにきがついて手をとめて「ようこそ、いらっしゃい」と立ち上がり、ほほ同士をつけるトルコ風の挨拶を交わします。娘の手をみながら、その速さ、確実さに感動。年齢を聞くとまだ16歳で、でも1か月後には結婚するのだといいます。そのための花嫁道具のひとつとして、今キリム織りをしているのだとも。お茶を入れてくれ、さらにご飯を用意してくれようとするので、「食べてきたばかりだから・・・」と断ると、せめてとうもろこしでもゆでるから食べてくれ、もしくはスイカを切るから待ってくれ・・・・。本当にありがたいです。突然押しかけた知らない外国人なのに。家に泊まっていけ・・・という誘いを「また来るから」と断り、ふもとの町に戻ります。まだ時差もあって疲れている上に、いきなりいろんなトルコ人と会い、いろんな経験をして、気も遣い、心身ともに疲れていることでしょう。今晩はみんなの誘いを断り、ゆっくりホテルで休むことにしましょう。ミフリ社長いきつけの町のホテルは改装したばかりできれいです。バイキングの朝食つきでシングル1500円。テレビもシャワーもトイレもついています。エレベーターも。
2004年09月01日
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