2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全23件 (23件中 1-23件目)
1
昨日、日本滞在最期の日記・・・かな、などと書いてみたけど、もう一日チャンスが増えた。日本に未練を残しつつ、でも気持ちはアンタルヤへ。アンタルヤのお友達からのメールを読んで会いたいなと思う気持ちや、3月、4月の仕事のスケジュールを考えているうちに、村訪問の手順や、東部への民族衣装の調査のこと、友人たちのトルコ訪問などを思い浮かべてワクワクする気持ち・・・。アンタルヤに一人残してきたTさんのトルコ語コースの授業はどうだろうか、進級テストは今週末だったな、とか。来週末はアドナンの親戚の結婚式が、村で3日間にわたって、行われる。クナゲジェシ、女性だけの披露宴パーティー、本番のパーティーと、3日3晩寝ずの大イベントになる。ちょうど、国内出張から戻ってすぐなので参加できる。これも楽しみ。新婚家庭にチェイズ(嫁入り道具など)のお披露目もぜひ行きたい。どんな手芸品を嫁入りのために用意したのか、地域的な差も楽しみである。もちろん、披露宴で花嫁のドレスにお金を下げてくるのも楽しみである。日本にいながら気持ちはトルコモード。時差も戻さず、そのまま夜更かししているけど、とにかく戻ったら出張。トルコモードになってなきゃ、やってられない。さあ、戻ったらまず、何を食べようかなあ・・・。やっぱり食い気か・・・!?
2005年02月28日
あっ! というまの10日間だった。お友達、キリムのお客さん、トルコ関係のお客さん、楽天日記仲間と・・・お会いしてお話ができたこと。充実していたおかげで、暇している時間もなかったし、テレビやビデオを観る時間も、ゲーセン行く時間もほとんどなかった。なくてよかったのだけど・・・。詳しくはまたアンタルヤへ戻ってから、書かせていただくことにして、日本滞在中の日記はこれが最後・・・かな?差し入れの栄養ドリンク飲みながら過ごした日々。アンタルヤに戻ったら・・・やっぱり栄養剤飲みながら、絨毯屋の仕事をするのである。そうそうカメラとイヤホン、マイクを買った。これで日本とトルコがますます近くなるか・・!?
2005年02月27日
私の夫が日本で使っているケイタイ。もう3、4年経つだろうか・・。日本で3、4年と言ったら、機械モノでは大昔。もうこんな形のケイタイ、ないだろうな、ってタイプである。だってカメラがついていない・・・・。今なら安くてカメラがついているタイプのも、いくらでもある。買い換えたらいいのに・・と言っても、機械はパソコンでも触ると感電する!? と思っているぐらいだから、ケイタイを換えるという希望はないようである。電話がかけられて、受信できればいいし、機能がついていても使えない・・・というのが理由。私が使っているのは、一応カメラもついている。二つ折りにできるタイプ。無料のケイタイだから、性能は良くないにしても夫のよりはかなり新しい。・・・・って、カバンに入っているトルコで使っている私のケイタイ。トルコじゃ、まだまだ多くの人が使っている、2年前の人気機種だから、人前にだせるけど、日本人のお客さんやお友達がいる前ではちょっと恥ずかしい。デカイし、カメラがついていないのである。もちろん、トルコでだって、お金さえだせば、小型のでもカメラ付きでも、なんだかわからないけど最新モデルでもある。持っている人もいる。でも日本での価格を知っていると、とてもじゃないけど、買う気がしないのである。それほど高価。だからトルコではケイタイは使えればいい・・・・と、ごっついのを持っている。でも実はトルコでも、この大きさはもう恥ずかしいのである。買い換えてもいいのだけど、そうすると、使い方をまた一から覚えなきゃいけないし・・・・・。ケイタイなんて電話がかけられて、受信できればいい・・・・。って・・・似たもの夫婦。
2005年02月26日
夕べは鹿沼にも雪が降った。クルマの上にちょっとだけ積もっている。道路には何もないから外出には問題なさそうだけど、また冷え込むって話だから凍結注意ってところ?アンタルヤはもう温かいのだろうか。何を着て、帰ったらよいのだろうか。こちらにいると、セーターとオーバーを着込む生活だけど、その格好で帰ったら、邪魔なだけなのだろうなあ・・・。何年か前に、やはり日本の冬にアンタルヤへ戻り、空港からのタクシーの中に買ったばかりのコートを忘れてきたことがあった。アンタルヤが温かいので、コートを忘れたことも、あとで気がついたぐらい。戻ってからの国内出張は、伝統的民族衣装を身にまとっている村への訪問、調査。トルコでもこういう村は珍しくなったけど、某地方にはまだこれらの伝統が残っている。民族衣装も最近まで手作りされていた。今回、特別にお願いして、村人に特別な日の民族衣装を着て迎えてくれるように頼んである。それからイーネオヤ(縫い針によるレース編み)の名人何人かのもとを訪ねる。その家庭に残っている昔のイーネオヤつきスカーフも見せてもらえるかも・・・。日本滞在に未練もあるけど、これらのことを考えると、一日も早く戻りたいという気持ち。これが楽しくてトルコで商売しているのだから、もっともなんだけど。また今回の滞在で鹿沼に戻ってからも毎日、訪問者があって話をしたり、モノを見たり。トルコでの話しになって、これを探してきてくれ、あれが欲しい・・・などという注文も入る。そこらで売っているものではなくて、探さなきゃいけないもの、しかもあるかどうかもわからないもの。・・・・・だから楽しいのだけど・・・ね。地中海の春はもう来ている?
2005年02月25日
滞在が短いので、時差を無理になおさなくてもいいや、と思っている。というか、時差をなおさない方がいい。大人である私たちはなんとか自分で調整していけるけど、問題は息子である。まだ片手の指の数以下の年齢である。時差をなおさないと、どういう生活になるか・・・・というと、夜更かし、朝寝ぼうになる・・・ということである。日本とトルコの時差は現在7時間。東にある日本が深夜24時のときに、トルコは17時、つまり夕方の5時である。だから深夜の3時ごろに寝て、朝10時起き。トルコ時間でいうと20時に寝て朝3時に起きているようなもので、午後に昼寝をしたりするので、日本時間でもそれほど差がないし、これで帳尻があっているかな・・・・って。アンタルヤへ戻る準備をしなくてはならない。まだ来てから何もしていないのに、もう戻るのか・・。
2005年02月24日
歯医者さんに行った。帰国のたびに点検してもらいつつ、悪いところを治療してもらうようにしている。食いしん坊だから、歯だけはできるだけ自分の歯でいたい。そのために歯医者さん通いはかなり重要度が高いのである。ところで今回虫歯ができたかと思っていたのは、私の思い違いであった。何も見つからなかった。冷たくて甘いものを食い過ぎて、歯に浸みたものだから、虫歯ができてしまったかと心配してしまったのである。でも何もなくてよかった。・・・というわけで、とりあえず、アイスクリームは思いっきり食べています。新製品の飲み物もほとんど試したし、明日は宇都宮のカレー屋でまたまた思いっきり食ってくる予定。ああ、いい歳して、腹八分目がわからないミフリ社長である。とくに帰国してからヒドイものである。自分であきれる。苦しい・・・・もう食えない・・・というラインに達してから、さらにデザートで〆ないと落ち着かないのである。当然、体重は増加するのみ・・・・。今回の帰国の目的は、食いまくること・・・だったかな?って思ってしまう。だから今回、服は全部、大きいサイズコーナーで大きめのばかりを買ったのだけど・・・。身体を甘やかすから、ますます増長する。トルコへ戻って、身体が重くてつらいのは自分である。日本で食いたいものリストのうち、また食っていないものはいくらの醤油漬けライスバーガー・・・いくらの醤油漬けはなんでもいいわけじゃなくて、こだわりがあるのでスーパーじゃ買えない。ライスバーガーはモスバーガーで食うから、鹿沼じゃ食えない。宇都宮まで行くか、実家方面でか。最期にお礼を。ここには一件一件かかないけど(プライバシーの保護と個人の名誉のため!?)、お店に遊びに来てくださったり、お電話くださったみなさま、ありがとうございます。うれしく思っています。ミフリ社長は今週末(日曜日)までしか、みなさまとお会いすることはできませんが、今年、アンタルヤへキリム研修、トルコ語留学などに来られる方、またはお考えの方、この機会に一度、ミフリ社長の顔でも見に来てください。
2005年02月22日
何もしないうちに滞在の半分が終わり。そうこうしているうちにアンタルヤ行きの飛行機に乗っている自分がいるわけで、なんだか虚しい帰国である。今回は温泉もディズニーランドもいけないこと間違いなしである。今朝は鮭のハラミを食べた。これで日本で食べたいもの、さらにひとつ消化。地元のお友達に精米したてのお米をもらった。それもさっそく食べた。薬とハブラシを買いに行き、今週中に歯医者さんで歯の点検もしてもらわなきゃ。この歳で歯と目だけは健康である。何もできない、虚しい帰国・・・・。でもそういっても、久しぶりに懐かしい顔を見て、戻ってきてよかったなと思っている。さっそく電話をかけて来てくださったFさん。こちらの店では、初お披露目になる古いキリム何点かを見ながら話が弾む。ついつい私のコレクションにするつもりで見せないはずのものまで見せてしまう。こういうのは本当に楽しい。次回もFさんをどうやって驚かせようか楽しみになる。キリム仲間のBさんとは店が宇都宮にあったころからの知り合いで、こちらに戻ったとき、必ずお会いすることになるが(というか、来てくださる)、自分の親をのぞけば、日本滞在でもっとも多く会っている人の一人である。親戚でもこんなに会っていない。明日もアンタルヤでのキリム同士で宴会仲間の二人が遊びに来てくれる。ミフリ社長の滞在があまりにも短く、会えない人も多いが、きっと普通の生活をしていたら、会えなかった人たち、出会えなかった人たちなんだろうな、って思って感動したり。人との出会いは大切である。それによって人生変わることもある。勇気がでることもある。若いころ、どうしてもっともっとお友達関係、人との出会いを大切にできなかったのか・・・悔やんでも仕方がないことだけど、私も歳をとって丸くなってきたということか・・・・。(体型もかなり丸くなった)今日は夕方、Bさんが帰られたあと、店で寝てしまった。いつ寝たのかも記憶がないが、そのあと、どうやってクルマを運転して家に戻ったのかも覚えていない・・・(そんなわけないですけど・・・)。まあ、それぐらい異常な睡魔に襲われて、家に帰ってきてもそのままバタンキュー。(って言い方が古過ぎる!?)明日は免許センターと歯医者の予約。午後はお友達の訪問があるのでお店にいます。夕方はお友達がお店を出したので、そこを訪問&いろいろ打ち合わせ。テーマの一貫性がない、今日の日記(いつものこと)。まあ、書けただけで、よしとしましょうよ。
2005年02月20日
トルコで働いて、日本に戻ってみたら、こちらはこちらでの店を開けて・・・。普通はここで休暇、って考えたいところ・・・。今回、短期なので山積みの用件を済ませることが目的だけど、それすらも実は怪しい・・・どこまでやって帰れるかが問題である。今日は店の点検。最期は昨年の11月に夫が閉めたから、そのころの飾りつけはみていなかった。夫がペンキを塗ったり、商品の場所の移動をしたり、デコレを変えてみたり、いい感じで店内を作っていっていたのでちょっと感動。この店と置いてある商品を見るたびに、1年間を通してせいぜい3分の1ぐらいしか開けられないのが、もったいないなあ・・・って自分たちの店ながら思う。誰か店を経営してくれるパートナーが日本にいたらなあ・・・って考えることもあるけど、実際はそれも難しいかなあ。パートナー探しはそう簡単ではない。仕方がない、自分たちでやれるだけやっていこう、って結論でいつも終わる。そうすると、期間中に仕事を詰めるから、かなりきつい。暇そうにしているときもあるけど、それはその数時間だけで、あとは用事を片付けるのに手一杯。毎度毎度騒いでいるが、帰国したときぐらい、ゆっくり温泉にでも浸かりたい。いつも何もできないか、1泊温泉が限界である。温泉も残した仕事を心配しながらだから、あまり心がゆっくりしないし・・・。今回はそれすらもできない日程。気がついたら、明日は週末だし、お役所関係はお休み。肝心のDMはまだ書いてもいないけど、知っている人は来てくれるだろうから、明日は店に出る予定。本当に何の意味があってあっちでもこっちでも働き続けているのだろう。日本へは休暇で戻れたらよかったのに・・・・。・・・ってグチってみたけど、自分で好きでやっていることだもん、仕方がない。それに私たち以上に働いている人たちだっている。身近にも両国を行き来して頑張っている人もいる。その人たちを前にグチるのは情けないのでこれぐらいにしておこう・・・っていったって、またグチりますけど。とりあえず、食べたいものはかなり食べた。今回は食べたいものをリストにして(・・・ってリストにするなって!)意地になってノルマを果たしている。(なんのノルマ!?)でも思ったの。以前ほど食べられないし、甘いものやこってりモノを食べたいのだけど、胃が受け付けない。もうこの辺でやめておこう、という限界が出てきて、リスト制覇まで予想以上に時間がかかりそう。歳を感じてしまった。(・・・・・って、コレだけ食ってて、それはないでしょう・・・・。)ではせめて今晩は「特命係長」でも見ながら、宛名書きでもしよう。仕事柄プリンターでやってしまうのも手なのだが、どうも昭和30年代夫婦はそれが嫌なのである。夫がイラストと文字で版下を作り、時間があるときは印刷屋に出すし、今回みたいに時間がなければそれをコピーしてスプレー糊でハガキに貼る。そして宛名は一人ひとりの顔を思い出しながら必ず手書き。・・・決してプリンターを買うお金がないとか、使い方を知らないからとか、ではない・・・・(であるか?)休暇が欲しい・・・とつぶやいてみる。新聞の国内旅行広告を見てみたりもしたが、期間的に無理なので、見るのをあきらめた。ああ、なんだか帰国するたびに、毎回同じこと言って、同じことになって、同じようにグチ言って、トルコへ戻ることになるミフリ社長・・・・。そしていつもと同じようにトルコに戻った翌日には、クルマで約2000キロの国内出張が待っている。
2005年02月18日
飛行機に乗ったのは14日だが、直行便利用で15日に日本到着。15日は実家でとりあえず睡眠をとり、16日は細かい用事をすませ、17日の夜に実家から我が家へクルマで移動。日付が変わって18日の早朝っていうのか深夜というのか、我が家について、ちょっとゆっくりしたところ。さっそくインターネットの申し込みをして、今、日記を書いています。2日も何をしていたかというと、母と買い物にでかけたり、クルマが1か月ほどエンジンかけてもらっていなかったらしく動かなくなっていたので、バッテリーの交換をした。母は愛犬がいなくなって言葉では言わないけど、寂しい思いをしていたようで、私たちが帰ってきたことで少しは気がまぎれたと。無駄にならなくてよかった。さてアンタルヤを出るときに、下にいた大家に「どこに行くのか?」と聞かれたので、「母のペットが死んだので葬式に急に行くことになった」と半分冗談で言ったら、大家は真面目にとったらしく、心配してくれ、お気の毒にと言ってくれた。本当にいい人である。お土産に大好きな緑茶を買っていこう。メールが3つのアドレス合計37件。普段よりは少ないが、これでも返事は書ききれないので、急ぎの分だけ、まず書いた。あとはこれからゆっくり・・・・。店は明日から開けてみます。ミフリ社長の滞在は実は26日まで。27日ももしかしたら居られるかもしれない。店でお待ちしておりますよ~ん。K&Rの宴会にはラク var。しかもテキルダーラク。これは一緒に行ったギリシャで買ったウゾのおいしいのがあったよね、あれに近いかも・・・しれない。唯一空港の免税品店で買えたお土産。というわけで、帰国報告。
2005年02月17日
からしいっぱい納豆ご飯握り寿司(はまち、大トロ、鮭トロ)とんかつおにぎりクリームいっぱいのケーキ焼き魚&大根おろしシュークリーム汁が透き通った塩ラーメン焼肉(カルビとロース山盛りと大盛りご飯)いくらの醤油漬けライスバーガーイタリアンジェラード生たらこ鮭のはらみカップ焼きそば・・・・ミフリ社長が肥えている理由、そして早死にしそうな理由は食にあり・・・・。
2005年02月14日
帰国が急だったのと、期間が短いため、トルコサイドでは社員のアドナンと、トメルに来ている日本人のTさんぐらいにしか言っていなかった日本行き。っていうか、言っている暇もなかったし、とにかく期間が短いから、トルコ国内出張に行っているのと変わらないので、わざわざ言うこともないかな、って思っている。それはそれでいいのだけど、日本サイドにはそういうわけにはいかない。帰国を知らせ、迎えに来てもらわなきゃ行けないし、用事がある人とは会う約束。それで困ったのが、お土産である。トルコに来たことある人はいまさら欲しいものもないだろうし、あればリクエストがあるだろうし。実家など何も欲しがらないから、買ったことないし。買ったところで何年も置きっぱなしにされることだろうし。じゃあ、これなら喜ばれる、っていうものもないし。でも大家さんとか、用事を頼んでいた人には何か買わなきゃいけないと、一応思っているし。でも大げさなものだと気を遣われてしまうし。・・・・と悩んだあげくに何も買わない、もとい何も買えないで帰国する。子供がいるから荷物もたくさんはもてないし。そして逆にお土産をもらうミフリ社長。図々しいのは重々承知の上、今回もお土産ないです。欲しいものがある方は、最期のリクエスト受付。日曜日の日本時間正午ぐらいまでなら、なんとかなりますので、ご連絡ください!2月18日より鹿沼店「アクチェ」開ける予定です。お越しをお待ちしております。女社長に用事のある方は25日ごろまでどうぞお越しください。では短い期間ですが、みなさまにお会いできること、楽しみにしております。
2005年02月13日
帰国前に、細かい作業で明け方まで徹夜の連日。いままで宝の持ち腐れにしていた、パソコンの機能を使ってみようと、新しいデータを入れている。キーボードの打ち込みはかなり早いほうだと思う。それでもなかなか終わらない。もちろん家の掃除も全くしていないし、荷物の用意もしていない。いつものことだが、これで出発の前日はまた徹夜か・・・。昨日、今日と、イスタンブルの大学に交換留学で来ている日本人の大学生が2人遊びにきていた。短い期間に、十分理解しあえるトルコ語を話せるようになっており、さすが若いと頭の構造が違う・・・と感心するばかり。吸収力があるうちに、勉強はするべきである。私など5分前に覚えたことをもう忘れている。頭にあるのは10代、20代に覚えたことだけ。脳細胞が音をたてて「プチプチ」と、つぶれていくのを感じる・・・。トメルに通い始めて1週間の日本人女性のTさんの上達ぶりも目をみはる。彼女は自分では覚えが悪い・・・などとつぶやいているが、そんなことはない。はじめてトルコ語を学んでいるわけであるが、この1週間で単語だけでも最低100個、現在形、未来形、過去形の人称変化、疑問形まで覚えてしまった。トメルの授業を先進みしたわけだけど、ホームステイで身につけた会話があるので、文法とのてらし合わせが思ったより、簡単にいくようだ。イスタンブルの大学生2人とTさんのトルコ語の勉強ぶりに比べて、わがフセインの日本語は情けない。フセインには日本語をマスターした後は、通信社の社員として日本の駐在の道が開かれている。いままでも何度かオファーがあった。上の人たちがフセインが日本語を知っていると思っているからである。フセインの日本語は8年目にして、あいさつとわかりません、わかります。いくつかの単語・・・である。これで語学学校の日本語コースの修了書をもらえないか、と私に聞くので、しらん、と返事した。勉強したり、努力しないで何かを得ようというのは虫がいい話。そういえば人の力を借りてとか、人に便乗して稼ごうという輩も少なくない。よく持ちかけられるのが、私と共同で仕事をしようという話。聞いてみたら、オレの絨毯売ってくれ、儲けさせてくれ、客を紹介してくれ、日本へ連れていってくれ・・・。いいけど、私がこの人と共同で仕事をすることで得られるものは・・・・なに・・?友達じゃないか、一緒にやろうよ・・・ちっとも返事になっていない。しかも金はないから、君が出してくれ。もうかったら、そこから引いてくれていい。・・・あまりにも都合のいい話ばかりしていないで、自分で何かしなさい、って言いたくなる。努力もしない、投資もしない、それでお金を稼ぎたい。そんなことができるのなら、私だってやってるよ、って。(ミフリ社長の場合、努力したくないから、儲けることはとっくにあきらめてるもんね!)勉強はしない、でも日本語覚えたい。都合のよいことばかり言っていないで、勉強しようよ。またまた説教ババアになっているミフリ社長。勉強しているTさんの横で、椅子に座ってチャイ飲んで「どうしてオレは日本語を覚えられないんだ」って言っているフセインを見て、思ったこと・・・・。チャンスだけでうまく生きている人もいるけど、それはそう見えるだけで、努力を積み重ねたから、頑張ったから、チャンスをつかめた・・・ということだと思う。宝クジが当たるのを待つだけっていうのも、なんだかねえ。そうは言ってみるものの、最近のミフリ社長もロト頼み。ロトが当たらない限り、私の今後の人生に持ち家も新しいクルマもありえない。1日5時間以上の睡眠時間も・・・。でもロトが当たっても当たらなくても、穴のあいた靴下とサンダルは変わらないだろうけどね。
2005年02月12日
日本の友人とチャットをやっていて、日本時間で朝の8時半。普通なら友人は出勤しなきゃいけない時間のはずである。「今日はまだ出勤しないの?」と書いたら「お休みです」と返事がきた。ああ、そうでした。2月11日は建国記念日だった。日本から持ってきてもらったカレンダーが赤字になっている。さて3日後の2月14日はバレンタインデー。こちらは祭日でも祝日でもないけど、やはり日本ではイベント日。トルコでは2月14日は「恋人たちの日」と呼ばれ、男女がお互いにプレゼントをする日になっている。最近はトルコでも、この日に合わせてプレゼントを見込んだ商戦が繰り広げられているよう。12、13年前は恋人たちの日のイベントもこんなに盛り上がっていなかった。プレゼント交換も高価なものではなくて、本当にちょっとしたプレゼント。お花とか、甘いもの(チョコレートではないですよ)、とか、下着とか、せいぜい安い香水とか・・・・。それに当時このイベントに参加する人も少なかったと記憶する。さて、この恋人たちの日に向けて、最後の週末、それぞれが何かを考えていると思う。トルコ人男性は、なかなかムード作りがお好きなようで、アドナンなどは彼女が住んでいるマンションの階段にカーネーションで絨毯を作ろうか・・・などと計画しているらしい。この間、お花屋で働いている友達に、カーネーションの卸しの値段を聞いていたから、本当にやるかもしれない・・・。やったらやったでアドナンらしい・・・って思うだけだけど・・・・。恋人たちの日に恋人がいたためしのないフセインは、今年も恋人なしで2月14日を迎える。コンヤ出身なので、異教徒のお祭りごとには無関心を装ってはいるものの、新聞記者としては「恋人たちの日」を無視することはできないだろう。プレゼント交換をする若者たちを見れば、同じ若者として羨ましいと思うだろうし・・・。ペリンは中国人の夫に聞いていた。「恋人たちの日」に何をプレゼントしてくれるの?答えは「ボクたちは恋人じゃなくて、夫婦だからプレゼントはなし」って。でもそれは私たちの前で言ったジョークであって、本当はちゃんとプレゼントを用意しているに違いない。そして私たち夫婦は、今週の月曜日の結婚記念日も忘れていたぐらいだから、日本に着いてから、バレンタインデーが終わって、売れ残った半額チョコレートでもプレゼントすることになるのかなあ・・・とか。きっと母が夫と息子にチョコレート買って待っているのだろうな・・・とか。
2005年02月11日
税理士との細かい打ち合わせのあと、知り合いの外資系法人の社長のところへ遊びにいった。ここは弊社と同じ、外国人オーナーの有限会社。近況についてお互いに話をしているときにでたのが、外国人に対する就労ビザの話題であった。ここで働いている男性は、オーナーと同じ国の人。商売の都合上、トルコ人には勤まらない内容なので就労ビザをとり、本国から呼び寄せた。彼の就労ビザが昨年12月に切れるので、その数ヶ月前に、アンカラのお役所に延長の申請をしたそうだ。それで先週、電話で確認したところ、「問題なしです。ビザは取れますよ」という話で安心していたが、今日、書類が発送されたかどうかを聞くために電話をしたら「ビザは不許可になりました」との返事で呆然としているところだという。理由も教えてくれない、ただ「不許可」の返事。その話をしていたら、別の外国人の知り合いから電話。電話の相手も外資系企業のオーナー。昨年7月に本人の就労ビザの延長を申請して6か月経っても返事がなかった。彼らの国は日本と違い、観光に来るにもビザのいる国である。ビザが切れてからは実質、不法滞在期間になってしまう。出国の際に罰金は払うわ、二度とトルコへ渡航するチャンスがなくなるらしい。それでかなりあせっていたようだが、結果、今日、取れたという連絡。取れたといっても約75万円の支払いをしたそうだ。この支払いはなにかというと、日本で言う「年金」の未支払い分である。トルコでは企業オーナーは年金に加入することが義務である。ところが以前は外国人は、例えオーナーであっても、年金に加入したくても、させてもらえなかった。ある時に法律が変わったらしいが、告知されたのをほとんどの人が知らなかったのである。だから申請のときに、年金の未払いが発覚する。でもそんな話は突然すぎて、みんなビックリなのである。申請のときの必要書類には年金の支払い証明書というのはなく、これもあとから言われる。これが許可、不許可に影響するなら、最初から必要書類として書いてくれたらいいのに。まとまるから金額がデカイ。そしてどういうわけか、年金に加入できなかった期間の分もさかのぼって5年間分を請求される。これは誰かがいずれ、裁判を起こすだろうと予想されている。年金に加入できなかった時期まで請求されるのってどう考えてもおかしな話。しかも本国でも年金を支払っている人たちにとっては二重の支払い。国間にその合意があれば、どちらかの国で支払っていれば必要ないはず。でも合意のない国(日本もそのひとつ)では支払いが強制される。それに将来、私たち外国人もトルコで年金・・・もらえるのだろうか?いろいろと疑問がでてきたので、アンタルヤで外資系企業とかかわりあいの多い、商工会議所に相談に行った。商工会議所の弁護士である女性も、こんな話は聞いたことはない、という。私も一応、自分のことでもあるので、商工会議所以外にも、新聞記者のフセインと一緒に各お役所や専門家に話を聞きにいったが、正確な情報は得られないまま。現在、外資系企業のオーナー、外国人労働者に対する就労ビザが申請してから送られてくるまでの期間が数ヶ月にわたるため、問題を抱えているところは少なくないと思う。就労ビザを取り扱う役所が昨年だか一昨年に変わったため、作業をするお役人が慣れていないというのもある。システムが変わり、必要書類を確認しても、最初に言われるものをちゃんと用意しても、あとからあとから、いろんな書類を送るように言われる。言われたものを送っても、それでもまたあとからあとから出てくる。イスタンブルの日系企業で働いている日本人も就労ビザがなかなかこない、とボヤいていた。最近こんな話をあまりにも多く聞くもので、トルコが外国人を拒否しているのかと思ってしまったりもする。こういう状態で活躍するのが、口きき屋である。手数料(ときにはワ○○になるのだと思うけど)で魔法を使う人たちのことである。でもこの魔法は知らないだけで実は法に反することだったり、安くあげたと思ったらもっと高い買い物になったりすることがあるので、私は近づかないことにしている。うまい話にはなにかがあると思っていい。これはどこの国でも同じことだろう。日本での欧米人以外の外国人にやっていることを考えたら、トルコのは、まだ緩やかなのかもしれない。少なくとも日本人である私たちは、どうであれ、椅子に座ってチャイを飲んでいられる立場である。でも就労ビザを巡る話になるたび、みんながとても疲れてしまう。なんでもそうだが、許可を待つ期間は本当に精神的に辛いし、その状況が鏡張りでないため、ただ不安な日々を過ごすことになる。もちろん私にとっても他人ごとではない。トルコに全財産も人生をも投資し、何年もかけて築きあげたものが一切否定されたとしたら・・・・それはもう、単なる就労と滞在のためのビザの話ではなく、これまでの自分の人生をも、いきなり取り上げられてしまうことになるのだから。
2005年02月10日
母の飼い犬が死んだ件で(!?)なんとなく、帰国してもいいかなあ、なんて思っていたのだが・・・本当に帰国することになってしまった。今月中旬頃に、日本からアンタルヤへ来る友人のために、チケット会社にいった。そこで予約していたイスタンブル-アンタルヤのエア・チケットの代金を払う目的であった。ところがその場の勢いで、ミフリ社長は日本までのチケットを買ってしまった。う~ん、毎度のことであるので誰も驚きはしないけど・・・・。夫には事後報告。予定なく○○万円の出費。払えるのか!?家に帰ってから「チケット買っちゃったよ」という私の言葉に、夫は「そうですか」の一言で終わらせた。夫がこの人じゃなかったら喧嘩しているだろうな、と思う。私たち夫婦は年も年だし、どちらもあんまり物事を気にする性質ではないので、喧嘩するネタを探すのに、いつも苦労する。ありがたいことです。周囲には「この金のないときに、よくやるわ」と呆れられたけど、私にクレジットカードを持たせているのがいけないのであって、私に罪はないぞ!さて、帰国することが決まったら、それはそれで忙しくなった。なにせ短い期間である。夏の本格的滞在の前の準備をしなくてはいけない。日本の店の方の確定申告もある。日本の店は私たちがいないときは閉めっぱなしであるから、久しぶりにあけて、掃除をしなくてはいけないし、その間にお客様にも来ていただかなければならない。みなさん、鹿沼の方でもお待ちしておりますよ。さあ、商売商売!?(たまにはそんなことも言ってみる)全財産はたいて帰国しますので、何度も言うけど、飯はおごってね。無計画な帰国なので、DMも送っていないし、なにもやっていないけど、まあ、帰ればなんとかなるでしょう・・・!?お土産のリクエストは小さくて軽いものにしてくださいね。では。
2005年02月09日
Tさんのトルコ語の授業が2月7日からはじまった。朝の10時から午後1時まで、1日3時間で、月曜日から金曜日。これが4週間で1クール。60時間の授業である。60時間4週間の授業料が外国人は240ドル。トルコ人と結婚している人は半額の120ドル。卒業するまで12段階になったそうで、証書を貰うには最低12か月間、通うことになる。以前は6段階だったので、アンタルヤの場合は最低6か月で卒業。他の都市ではコースによっても変わるが、基本的には1段階を終えるのが2か月間だったのでやはり12か月間かかると聞いたことがある。アンタルヤも他の都市のトメルと同じ基準にした、ということなのか。Tさんのクラスは、最終的には15人。アンタルヤ・トメルにしたら多いほうだと思う。イギリス人、アメリカ人、フランス人、ベルギー人、スペイン人、ロシア人、ウクライナ人、日本人、ドイツ人の男女。若い人もいればおじさんもいるという。先生はトルコ人女性。さすが慣れているらしく、15人の外国人生徒を前に、ものおじすることなく、堂々としているらしい。1段階目のクラスなので、トルコ語を全く知らないという前提で授業がはじまる。絵を描いたり、指で指したり、ゼスチャーでトルコ語を説明するのだから、勘違いもあったり、理解していない人もいるに違いないけど、言葉なんてそうやって覚えていくものなのだと思う。今日はあいさつから、私の名前は○○です。あなたは何人ですか? 私は○○人です。単語いくつか。を習ってきたそうだ。簡単なことから始まるが、今日やったことを今日のうちに覚えるのは、それなりの復習時間も必要である。店でアドナン相手にトルコ語会話の練習。アドナンもそれに対する日本語の確認。明日は私が日本人向けに文法の初級を教える約束をした。トルコ語の初級文法は規則があって、それを覚えてしまえば、あとはそれに合わせて変化させていくだけなので、わかりやすい。さて、私は来週からアンタルヤを2週間ほど留守にします。留守中は社員のアドナンがいますが、商品に関することなど、ご用の方は今週中にご連絡ください。日本でお会いできる方は、ぜひ飯でもおごってください。ところで日本は寒いと聞きますが、栃木県宇都宮、鹿沼の天気はいかがでしょうか?都内から東北自動車道はスタッドレス・タイヤは必要ですか? 来週頭の天気予報はどんなものでしょう?ご存知の方がいたら教えてくださいな。一応、心構えとして・・・。
2005年02月08日
ジェフ千葉のクロアチアとの練習試合は、宿泊先のベレックではなく、クンドゥ村のトプカプパレス、クレムリンなどの大型リゾートホテルのサッカー場で行われることになっていた。私がトプカプパレスに行ったのは、もうだいぶ前のことであるが、まだ道もできていず、クンドゥ村の奥にある・・・というイメージであった。でも時は確実に経っていく。ララの延長に新しい道路ができ、そこはトプカプパレスに通じる道であった。そしてその道沿いに、同じように(悪趣味の)ホテルが何軒も建設されていた。さて、わが新聞記者のフセインは「急がば周れ」だよ、という年長者である私の言葉を無視して、「新しい道を行こう!」と言うので、道を知っているのなら、とそれに従った。ところが辿り着いたのは丘の上で別荘地の敷地内である。みればホテル群は眼下にある。この遠回りで時間に遅れた。すでに選手たちはグラウンドでウォーミングアップの最中で、当然監督にインタビューなんてやっている時間はないわけである。トルコタイムでいつもは試合の5分前にでも1、2分のインタビューで終わらせているわけだけど、相手は日本のチームである。ダメなものはダメである。で、試合が終わるのを待ってからなら・・・という広報のお返事であったが、フセインの仕事はこのあとも何件か詰っているもので、残念に思いながら監督へのインタビューはあきらめた。さて試合が始まって、フセインはビデオの撮影とカメラの掛け持ちで行ったり来たり。さすが職業としているだけあって、フセインはそれなりの画像を押さえていた。それには感心。それに比べて私の写真はいい加減・・・だって寒いのだもん。手が寒さでパンパンに膨れ上がった。初めての経験だったのでビックリしたが、最初から指は太かったのであまり差はないか・・・。さて、ここでミフリ社長の秘密をひとつあかしましょう・・・・。実は千葉での高校時代、引退までの2年半、サッカー部のマネジャーをやっていたのである。サッカーでは有名校ではなかったが、在学中は強豪高校がひしめくなか、県ベスト4(3位)になったのがいい思い出。まだJリーグはなく、社会人サッカーの時代であったから、現在の日本のサッカーに関しては全くの無知である。話がそれたが、試合観戦を途中で切り上げて、トプカプパレスのサッカーチームのキャンプ・プラン担当者に取材に行く。取材内容はフセインに任せるとして、私の興味は別のこと・・・・。冬なのに、お客はたくさんいた。週末にでも泊まってみようかと値段を聞いた。2人で約16000円。一般価格だから、フセインを通してお偉いさんに頼むと、特別価格を出してくれる。それでも、この価格で食事は3食といわず何食でも好きな時間に食べ放題、飲み物もフリー。部屋でゴロゴロしているのにいい。でもこれは「トルコ人対象の価格です」と言われた。外国人は直接来ると、これより20~50%増しの価格らしい。「ツアーを利用されたり、ツアー会社の宿泊プランを利用されると安くなります」と、ホテルへの直接申し込みより、ツアー会社の利用をすすめられた。変な話であるが、そんなもんかね・・・・。そこでひっかかったのが、やはりトルコ人価格と外国人価格があること・・・。じゃあ、トルコでトルコ人同様税金払って、トルコ人たち同様の生活を送っている我が家はどうなるんじゃ・・・!?って聞いたら、「もちろんあなた方にはトルコ人価格ですよ」と言われたが、ちょっと気分が悪くなってしまった。もっと突っ込んで「日本人の友人と一緒に来たら、どうなるの?」ホテルの担当が答える代わりに、フセインとアドナンが口をそろえて「そのときは外国人価格だろう」。トルコ人価格と外国人価格・・・・これで納得してよいものなのだろうか・・・。まあ、いいか。アンタルヤでトプカプパレスに泊まることもないだろうって。クンドゥ村といえば、アンタルヤでカーネーションやトマトの温室があるところである。素朴な村であったが、このトプカプの建設をはじめ、今、大リゾート地として動き始めていた。このリゾート開発のため、クンドゥ村の温室はなくなり、近い将来、一帯が観光のための地区になると聞いている。日本人のお友達が勤めているお花の輸出業者の事務所もここにあり、温室もここにある。多くは他に場所を移して経営を続けるようだけど、これをきっかけに農業から手を引く業者、個人もたいさんいることだろう。農民はホテルで勤めたり、レストラン、お土産屋、レンタカー業、もしくは土地を売って贅沢な引退生活・・・をはじめることだろう。海岸沿いの湿地帯であるクンドゥ村に高層マンションの姿も・・・。地盤のゆるい土地にこんな建物を建てて、ビルが沈むなんて事故がないこと・・・祈るばかり。
2005年02月07日
ってのぼりを作るつもりが、作らず今日まで来てしまった。そしてのぼりを作らなかったことを後悔したのである。今日も日中は天気がよく、建物の前の出入り口のところに椅子を置いて日向ぼっこをしていた。Tさんは昨日の日本語学科の学生さんとその妹が遊びにきていたので、一緒におしゃべりの最中。私はキリムの修理をしようと思って、糸を抜く作業中。突然、Tさんが立ち上がった。「ジェフの選手たちですよ!」店の前をスポーツウエア姿の日本人団体さんが歩いていく。Tさんがかけよると、マネージャーらしき男性が立ち止まってくれた。明日練習試合があるので見にきてください。と言ってくれ、さらに宿泊ホテルに練習を見にこられるときは私の名前を告げてくだされば大丈夫ですよ、と、ご丁寧なことに名刺までくれた。通りすぎる選手たちも挨拶をしてくれたり、Tさんの「頑張ってください!」という掛け声に答えてくれて、とても好印象。海外に住んでいる身としては、自国のサッカー選手が歩いているのを見るだけで突然愛国心が芽生える。Tさんと二人で、ミーハーになり、明日の試合を見に行くために、新聞記者のフセインに取材に行こうと誘いの電話をかけた。本来はもっと早く取材をするべきだったのに、フセインが言うには、受け入れのトルコ側のマスコミが正しい知識を持っていなかったようで、重要視されていなかったというのが言い訳。日本でも知られていないチームらしい、と上から言われた。とか。2部リーグのチームなんだろ? とか。全く失礼な話である。サッカー音痴の私だって、知っている。それに地元のテレビ局はカメラまわしに行っていた。各新聞紙に配信する立場のフセインが取材していないから、新聞記事は見ていないけど・・・。フセインには責任とって明日の試合、もしくは来週中に取材をしてもらおう。今日はのぼりがなかったけど、心の中では「大歓迎! ジェフユナイテッド千葉ご一行様!」って叫んでいたからね。そして翌日の日曜日。フセインを説得したかいがあり、朝、フセインの所属する通信社から連絡。今日のクロアチアとの試合前に撮影とインタビューをするというので、Tさんとアドナンと夫と息子とドライブがてら行ってきま~す。
2005年02月06日
朝、店に行くと、アドナンとTさんはすでにいて、もう一人お客さんがいた。お客さんとはトルコ人の若い女性で、トルコ国内にある大学の日本語学科の学生さんであった。まだ1年生だが(教養終えて2年目)、日本語の理解度は高く、漢字も300文字は読み書きができるという。この大学の教育システムが充実しているのは聞いていたが、学生のやる気もあるだろう。彼女はかなり優秀な生徒と見えた。私とアドナンは仕事があったので、落ち着いて座ってはいられなかったが、Tさんが相手になって午後まで日本語で話しをしたり、お茶を飲んで過ごして帰った。大学の休暇で戻ってきているらしく、また遊びにおいで、と言ったら、喜んでくれた。こういう日本語使いは歓迎である。さてTさんのホームステイはどんな具合であろう。初めての経験だというので、心配していたが、アドナンも家族も気を遣ってくれているようで、今のところ不便はないようである。お湯も沸かさないアドナンが、オレンジの皮をむいてくれたり、チャイを入れてくれたりするらしい。Tさんのためにやっているのはわかってはいるが、この調子でご飯作りも覚えたらいいのに・・・なんて思っている、ミフリ社長である。お互いの言葉の勉強にも役立っていることだろう。昨晩はアドナンのおじさんの家にご飯を食べにいき、みんながTさんに興味を持ち、質問攻めにするわけだけど、「アドナン、説明してくれ」「アドナン、これを尋ねてくれ」とアドナンを通訳に使う。通訳は現在のアドナンには重たい仕事であるが、これをきっかけにもっと勉強するようになるかもしれない。Tさんは自分用にトルコ語単語のカルタを作っている。ついでにアドナンやアドナンの甥っ子がわかるように、日本語の単語カルタも同じだけ作った。これは勉強できる環境になるね。イスタンブルで発行している、トルコ語日本語辞書を頼んだ。日本語も書いてあり、単語数は少ないけど、かなり現代生活では使える辞書である。・・・というのも今ある日本でのトルコ語辞書は古く、使われないような言葉があったり、誤訳も多い。大学などで専門的に勉強している人たちにはいいかもしれないけど、私たちみたいに日常会話のためとか、初心者には、無意味に使いにくかったりする。さらにニュースなどで使われているような現代の言葉が載っていなかったりするので不便を感じていた。(・・・・なんて不便を感じるほど辞書をつかわないのだけど)アドナンが持っているのを見て、Tさんが購入したいというので、ついでに私も買うことにした。銀行振り込み手数料、宅配便代を含むと、1冊購入は高くつく。で、来月に1年間の予定でトルコ語を勉強しにくる日本の友人にも共同購入のお知らせ。こういう機会がないと、辞書を買おうなんて気がおきないけど、手元にあったほうがいい。こうしてTさんが来てくれたことで、周囲の環境も変わりつつある。もちろん刺激を受けて、みんながいい方向に向かっている。もっともっと刺激を受けよう。
2005年02月05日
昨日、わずかな晴れ間がのぞいたかと思ったが、今日から再び雨天気。ときには強く、ときには弱く。家の隙間から雨がぽとぽと。隣の建物の修復のさいに開いた隙間から雨水が入り込んでいるようだ。家の階下の絨毯屋が店を畳んで、どこかへ消えた。私がおそい出勤をしたときには、アドナンとTさんは店にいて、日本語トルコ語の勉強中。それから昼ごはんを食べにいき、ほかにやることもないので、早々の帰宅。アドナンとTさんはアドナンのおじさん宅に夕食に招かれているそうで、雨の中、少しはやめだが出かけていった。私は家に帰り、仕事をして、もう寝ようと思っているのだけど、日記を書いていないと思って、今書いています。雨だとやれることが少ない。実は日本行きのチケットを探しはじめているのだけど、本当に帰国している余裕があるのか・・・それが心配。
2005年02月04日
景気が悪くなったり、観光客が減ったりすると、決まって絨毯屋は絨毯屋を辞めて、他の仕事をする。と言い出すものである。「ブティックを始めるんだ」「絨毯売るのは辞めて、不動産を売る」「絵を売ることにした」「田舎に戻ってマーケットを開きたい」「引退して家賃収入で暮らす」などなど。今年も景気が戻ってきたのかと思っていたけど、そうでもないみたいで、いつの間にか店がなくなっていたり、商売替えをするから商品を引き取ってくれ、という話が来る。素人に近い絨毯屋はそれで終わるけど、昔からの絨毯屋はどういうわけか気がつくと、再び絨毯屋として復活するのが常である。短くて1年以内、長くて数年以内に再び絨毯屋に戻っている。これは絨毯業者にキリム、絨毯病の人が多いからである。採算取れないから商売をやめる・・・・これは普通によくあること。絨毯屋のオーナーの多くは、商売を長く続けているうちに大なり小なり、絨毯好きになる。商売といいつつ、どこか自分用に絨毯、キリムを分けていたりする。商売としては辞めたつもりでも、いいキリム、好みの絨毯を見ると、我慢ができなくなる。知り合いの絨毯屋が、いいものを手に入れた、と聞くと、自分とはもう関係ないと思いつつ、ついつい見に行ってしまう。・・・・私も絨毯業界から足を洗おうと何度思ったことか(嘘)。とくに骨董業界は商売であって、商売でない。趣味の世界で、いわば世界中の絨毯、キリムおたくの集まりである。辞められるわけがないのである。最近、アンティークキリムを探し求めている自分がいて、時々、ハッと我に戻るのだが、ブツを見てしまうと、やっぱりこれだよな、もう手に入らないかもしれない・と思うと、余計に深入りしてしまう。アンタルヤでは、絨毯屋として変わらず営業をしているところは両手で数えられるほどしかいない。大昔はカレイチだけでも100軒を越える絨毯屋があったらしいけど、毎年毎年辞めたり、つぶれていく店、もしくは1年で逃げていく新参者がいるから、やはりシーズン末に残っているのは同じメンバーである。かれこれ10年、つぶれず、なんとかやってこれている自分を誉めつつ、そろそろ商売をやめて隠居しようかとも思うのだけど、キリム探しは辞めないだろうから、やはり絨毯屋でいるのが一番なのかな・・・・・とか。久しぶりにちょっといいと思う骨董キリムに出会ったものだから、興奮して、意味のわからない日記です。でもいいの・・・。今日は夕方、Tさんをアドナン宅に連れていき、お母さん、お父さん、兄弟たちに紹介した。紹介と言っても、以前もご飯に招待されたことがあるので、家族はTさんを覚えていた。Tさんのために弟とお父さんの部屋を空けてくれ、お姉さんはTさんの荷物を入れる引き出しやタンスを空けて用意してくれていた。お母さんもお父さんも「もう一人娘が増えた!」と大喜び。仕事場に連れていこう、お友達の家に連れていこう。一緒に散歩しようと張り切っている。今日はまだ言葉が通じなかったりで私が通訳したが、来週からは授業も始まることだし、Tさんのトルコ語の上達を期待しよう。家で唯一、日本語が理解できるアドナン。彼の日本語もこれを機会に上達するのか・・・・!?
2005年02月03日
Tさんは無事にアンタルヤに着き、昼ごろ大きな荷物を抱えて店へやってきた。私たちへのお土産と、村の貧しい人たちにあげるための服である。トルコで村へ行くときにお古の服を持っていき、配ってもらうことがある。という話をしたのを覚えていてくれて、今回日本から着なくなった服をわざわざ持ってきてくれたのである。日本人は丁寧に着るし、ほとんど新品であるので、村の貧しい人たちに大変喜ばれる。アドナンにはなんとミニ盆栽の本、ミフリ社長の日記を読んでアドナンの趣味を知っていてくれたのであろう。なんと気がきく・・・。もうひとつのお土産はお習字セットらしい。これはまだアドナンには内緒である。Tさんと会ってみると、日本から来た、というよりは近所に住んでいて、3か月ほど会えなかったねえ、という感じ。日本に住んでいたって、会えない人はたくさんいる。さてTさんは、来週の月曜日から始まる語学学校のトルコ語コースへ行くことになっている。5人以上集まらないと開講しないので、その確認をする。なんと11人いて、彼女は12人目。これなら4か月間、開講しないという悩みはないかもしれない。ところが彼女が日本からインターネットでアンカラの本部に申し込みをしていたにもかかわらず、アンタルヤの学校には連絡がいっていなかったようである。彼女の名前がパソコンのデータに載っていないと言われた。アンカラ本部に連絡したが、アンカラでもそういう記録がないと言う。なんといい加減であろう。私たちはアンカラへ電話をして、申し込みの確認をしていたというのに・・・・。ただ申し込み金の100ドル分は、私がアンタルヤから銀行を通して払っていたので、その振込み証をファクスすることで、確認がとれ、彼女の入学手続きはOKになった。明日はTさんと一緒にカレイチから歩いて7分ほどの学校に見学にでも行ってこよう。私も11年ほど前に、1か月半通ったことがある。編入試験を受けて途中から入った上に、先生の都合である日、突然クラスがなくなったものだから、実はまだ卒業していない。現在は同じ通りに新校舎ができて、それからは一度も行ったことがなかった。払い込んだ残りのお金もそのままだし。そのうち、私もトルコ語を習いに通おうと思っているのだけど・・・・(冗談です)。午後にはTさんを連れて、夫の絵描き仲間である女流画家のアトリエへ行った。アンタルヤでは有名な人で、アトリエで近所のお金持ち夫人たちを相手に絵画教室を開催しているが、大盛況である。座る場所もないぐらいで、あわただしく面会をして、私たちは店へ戻る。Tさんの滞在後半のホームステイをお願いするためであったが、久しぶりに会った女流画家は相変わらず精力的で若々しかった。ホームステイの件も快く引き受けてくれたので、私たちも一安心した。ペリンの店へ行き、再会を喜び、柿ようかんとジャスミン茶のおやつ。スーパーに買い物をしにいき、それぞれに住処に帰る。おやすみなさい。
2005年02月02日
イスタンブルに着いたころだろうか。いまごろアンタルヤ行きのトルコ航空の出発までの待ち時間。昨年秋に約1か月、アンタルヤにキリム織り、キリム修復の勉強に来ていた日本人女性のTさんが、今度はトルコ語の勉強と修復の勉強のためアンタルヤへ来る。約4か月間のスケジュールで、アンタルヤの語学学校のトルコ語コースに通う。その間、本人の希望でトルコ人家庭にホームステイ。最初はTさんも訪問したことがある、アドナンの家族と暮らす。アドナンの家族は大家族である。お母さん、お父さん、お姉さん、その息子、妹、弟、そしてアドナン。来客も多い。人の出入りも激しい。日本じゃなかなか経験できないかもね。大家族との生活。語学の勉強の場合、ホームステイこそが上達への近道であることは、現在アンタルヤでトルコ語を勉強しているMさんの例をとっても間違いない。私も賛成である。トルコ人家庭での生活は、慣れないうちは、一人になれない、いつも誰かがそばにいる・・・と、日本人の生活を考えると難しいことが多い。でも慣れると誰かといる安心感・・・一人になると不安を感じて人恋しくなる。アンタルヤに着くのが深夜の1時過ぎ。今夜はカレイチのホテルを予約してあるので、そこに直行。Tさんと会えるのは明日のお昼ごろであろう。夕方には私たちの友人のトルコ人Gもアンタルヤに来ていた。Tさんとの再会を楽しみにしていたが、帰路が雪天気で、深夜のドライブを避けるため、会わずに戻ることになった。知っている人の再訪は、何度でも書くけど、本当にうれしいことである。「お久しぶり!」って言おうか、それとも「お帰りなさい!」って言おうか・・・。彼女が忘れていったキリムが1枚、店にある。メールで連絡したら「そのうち取りにいきますから、預かっておいてください」って言葉がこんなに早く現実になった。Tさんも、これからの4か月間のアンタルヤ滞在に、ドキドキ、ワクワクなのだろう。そして私たちもTさんとの再会と滞在にドキドキ、ワクワクしているのである。
2005年02月01日
全23件 (23件中 1-23件目)
1


