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同じところに3年もいたもので、捨てるべきものが山ほどあった。子供の成長に合わせて、いらなくなったもの。服、服。服・・・ミフリ社長は同じ服を着るので、実際は5枚ほどあれば年間を通して足りるのだが、なぜかタンスの中は洋服でぎっしり。だから出すのが面倒だし、きれいな服を着たところで、絨毯屋だもの、汚れるだけ。汚れることを気にして仕事するぐらいなら、汚れてもいい服を着ているほうがどれだけ気が楽か・・・・。家具は半分は人にあげたり、捨てたり処分したけど、まだ使えるベットや、調理器具・・・・。リサイクルショップに売ることもできるけど、ここは簡単に公安に引き取ってもらおう・・・。公安の知り合いがいて、こういう不用品を回収しては貧しい人に配るシステムがあるらしいことは聞いていた。いままでは服などは村へ持っていって、配ってもらっていたのだが、今回はベットが2台、その他、服も家電のダンボールに2箱あって、子供のチャイルドシート、椅子、おもちゃなど山のようにあったものだから、村へ持っていくのは無理。それで公安に持っていってもらった。実際に引っ越して荷物を解いてみると、まだまだ不要品の山・・・。とくに洋服である。今回はかなり思いきって処分した。3年着ていないものは捨てる、ではなく、昨年着なかったものは高い服であろうが、なんであろうが、処分箱へ。本もかなり捨てた。こちらは日本語だから人にあげるわけにもいかず、ダイレクトにゴミ箱行き。それでも本のために本棚を2台買ってきた。片付けているところだけど、入りきらない。推理小説、外国文学、日本の軽い読み物・・・など文庫本は捨てるか・・・・。そしてなぜかマンガはとっておく・・・。雑誌など資料としてとってあるものも少なくない。これは捨てるわけにいかず、困ったものであるが、とっておく。そしてトルコの家庭のような食器の数。いったい何人家族で、まるでお客さんがよく来るみたいな・・・・。まだ開けてもいない箱がある。文房具・・・これはトルコに住みはじめてから、文房具の不足と値段の高さから、日本でまとめ買いをするようになり、持ってきては引き出しに入れて、そのまま忘れ、また買い足し・・・・いつのまにか文房具屋さんのようになんでもある。でもペンなどは使えなくなっていたりする。これも未使用のままだいぶ捨てたけど、まだなんだかある。それからテレビのアンテナをまだつなげていない。衛星アンテナをつけようと思っているのだけど、テレビ・・・ビデオばっかり見ているから、今のところ困っていない。シーツとか、毛布とか・・・・。これまた何人家族かわからないほどあった。捨てた・・・でもまだ捨てきれない。新品だし、もったいない・・・と、とってある。でもシーツはベットを買い換えたので、もうサイズがあわない。捨てるしかない・・・・。なぜか20枚もあった、新品の枕カバーは捨てた。もしくは雑巾につかった。・・・無駄なものをよくこれだけ持っていたな、とあきれるしかない。外国だから、余計、すぐに手に入らないものはとっておこう・・・と残してきた。でもつかわないものを持っていても仕方がない。工具も捨てた。フセインに「これを捨ててきて」と渡したら、もったいない、とっておけ、と店に持ってこられたので、置き場所ないし、使わないから、いいのだ、と説得。結局、ハムディおじちゃんの部屋に置かれている。教訓・・・無駄なものは買わない、増やさない。
2005年04月30日
家の引越し・・・途中だったのがあと5%のところまで進んだ。まだ税理士のところへ行けないでいる。3月末だからいろいろ用事がある。博物館鑑定と通関をしてキリムを送りだした・・・とある事情(郵便局内での盗難騒動)があって、通関はフリーパス状態・・・税関の役人もとっても丁寧で親切。仕事でこの2日間はトルコ全土へ電話をかけまくり。約130件。まるでテレフォンアポインターのバイトでもしている感じ(したこと。ないのだけど・・・)。これも残り50%のところまできたか・・・!?急ぎのじゅうたん、キリムの洗いが11枚あって朝から連絡しているのだけど、とうとう取りに来なかった。持っていっている暇もなし・・・。忙しいのは私だけじゃないのだけど、このところ、誰かと落ち着いて話をする時間もない。座っていられる時間もないから当然なんだけど。返事を忘れているかもしれない・・・・そしたらごめんなさい。あと少し・・・・あと少しの辛抱である。
2005年04月29日
って状態です。忙しさで・・・・。1週間、日記がかけなかった。理由は引越しと来客で忙しく、そのあとは先週から4・5日間(4日か5日ではなく、4日+半日)の国内出張。1時間前ぐらいに家に戻ったところで、自分で言っちゃいますけど、本当にご苦労さま。お疲れ様でした。1週間分のメールの返事はたまっているし、そうじゃなくたって、仕事が押していて、アップアップだし・・・。やはり私にはもうひとつ身体がなければ、やっていけない。メールでお問い合わせいただいたみなさまには、ここでお詫び。1週間、メールを見ることができませんでした。返事がなく、お困りだったことと思いますが、そういう事情ですので、どうぞご勘弁ください。お返事は急いで書いております。怠け者でいたいなんて、しばらくはいいません。時間がある限り、仕事を処理していきますので、もう少しお待ちください。個人的なことを言ってもいいですか?今月は子供の顔をまともに見れたのは、いったい何時間あったか・・・考えてしまった。今回だって子供に会えたのは1週間ぶりである。それぐらい時間を惜しんで仕事してます。本当に高度成長期のお父さんと同じ状態である。お父さんたちのその後がどうなったか・・・・。わかるだけにとても辛い立場であるが、あと1週間。
2005年04月26日
今月中には無理だと思っていた引越し。なんとかメドがついた。みんなのおかげである。今日は何をしたか・・・・まず、会社名義の電話の移転のために、一番に商工会議所へでかけ、書類をもらう。ちょっと違う書類みたいだけど、まあなんとかなるだろう。午前はキリムの送付のため、博物館と簡易通関に出かけ、そのまま車検場に向かったけど、混雑しているのであきらめた。午後はエアコンのとりつけと、ソーラーシステムのとりつけ。我が家のだと思っていたソーラーが、実は他人ので、うちのは全くなかったというおまけつき。どちらにせよ、真新しいのを買ったので、それをつけてもらうだけ。不動産屋さんにまた文句を言う項目が増えた。階下からは水がもっているからどうにかしてくれ・・・と苦情。水道屋を呼んでみてもらったら、うちではなく、隣家のトイレからの水もれ・・・。クーラーのとりつけには気をつかった。いい加減なつけかたされたら、見た目が悪い。なんとか2台をつけてもらった。足りない分のカーテンを買いにいった。半端モノの安いのを選んだのだが、5枚となるとなかなかない。5点揃うのを買った。レースが入った綿の白のカーテン1枚200×200cmで15リラ。5リラしかおまけしてくれないし・・・。なんだか高いなあ・・・。家に関する本日の出費。古いクーラーの点検と移転・・・70リラ(約5800円)他人のソーラーシステムをはずしてまたつけた費用・・・20リラ(約1600円)エアコンのとりつけパーツ・・・いくらかカーテン5枚・・・70リラ(約5800円)
2005年04月19日
家の引越しに関連して、今日、やったこと。電話の移転。住所が近いので、同じ番号が使えそう。その手続き。会社名義なので、それに関する書類を揃えに、商工会議所へ。時間に間に合わず、1枚は明日の朝に・・。エアコンの移転。・・・と思ったら、サロンに大きめのエアコンを買うことにした。今使っているのは小さいけど日本のメーカーで、寝室に十分。で、広いサロン用に。金属ドアの取り付けに立ち会う。今なら中味のセメントが固まっていないから、ドアごとはずれるかも・・・・。水道のメーターの確認と、地下の倉庫の確認。倉庫がやはりあったので、持っていくものが少し増えた。Tさんに怒られそうだけど・・・・。家に関する本日の出費エアコン825リラ(約68000円)倉庫の掃除代金10リラ(約800円)商工会議所の会社関係の書類2枚6リラ(約500円)
2005年04月18日
帰国するS氏をアンタルヤ空港まで送り、今日は、来週の引越しに先駆けて、ソーラーシステム、ベランダの鉄格子、金属ドアの設置予約をしてきた。あとはエアコンの増設と引越し。洗濯機と湯沸し器の引越し。そういえば、今月は車検もあった。忘れずに・・・・。家に関する本日の出費金属ドア・・570リラ(約48000円)ソーラーシステムちょっといいやつ・・550リラ(約46000円)ベランダの鉄格子と窓の鉄格子4点・・750リラ(約63000円)
2005年04月17日
来週中には引越しを予定。そろそろ仕事が一段落着くので、引越しの準備を始めることにした。1.ベランダに柵を発注。防犯のためにベランダ全体に囲いをする。一般的なのは鎧戸だけど、せっかく明るい家なので、暗くなるのでこれは却下。次に窓を作って、ベランダも部屋にしてしまおう作戦。でもこれも窓ってガラスだし、防犯にならない。って却下。それで仕方がない。柵をめぐらせる。柵の面積が25平方メートルほどなので、それをイメージよく、安く上げるためにはどうしたらよいか、思案中である。下が膨らんで、途中に円形や尖がりのモチーフが入ったものもいい。防犯だけに重点をおいて、2cm角の鉄棒で格子にするのもいい・・・これはちょっと牢屋っぽいイメージがあるけど・・・。2.セントラルヒーティングの設置。配管はできているので、パネルと機械を購入する。3.ドアの交換。現在のは木製なので、金属ドアに変える。下は3万円~上は40万円まである。もちろん、安いのでいいのだけど。4.水道、配管の点検。今日、水道屋を連れていって、点検してもらったら、ついてあると言われたソーラーシステムが見当たらない・・・!?これは売り主に文句をいいに行く。5.カギの点検。6.エアコンの取り外しと取り付け。エアコンの引越し。7.洗濯機と湯沸し器の取り外しと取り付け。洗濯機と湯沸し器の引越し。8.電話を引く。電話はあるけど、地区が変わると番号を持っていけないので、新たに加入する。ADSLも新たに加入しなきゃってことか・・・・。しばらくインターネット使用できません。あしからず。以上が引越し先の準備。今日はこれらに加えて、引越し屋さんにきてもらい、見積もりを出してもらった。トラック1回では納まらないから、2回運ぶといわれた。これは仕方がない。毎回2回運んでもらっていたし・・・・。これでも家具、半分は処分したのだけどなあ・・・。運送代200リラ(約16000円)。明日の午後から引越し荷物の整理を始めよう。いらないものはどんどん捨てる。いらない服は村で配ってもらうから捨てない。リフォームしたばかりの家なので、これでもペンキだ、修理だというのがなくて仕事が少なく助かった。さあ、無事に引越しできるのであろうか・・・・。諦めかけていた引越しをする気になれたのもアドナンやペリン、フセイン・・・トルコ人の友人たちのおかげである。もう、忙しくて、絶対引越しなんかできないよ・・・・と、言った私に、「大丈夫! 私たちが引越しをさせてあげるから」とペリン。なんだか気が楽になったし、そこまで言ってもらって、引越しができないと、私自身がなさけなさすぎるから、もうやるしかない・・・!?そして大切なのが、家の名義を取ること。現在トルコでは、トルコに住む人はもちろんトルコ国外に住む日本人を含めて不動産の取得が可能(法律が変わらない限り)。パスポートのコピーと、不動産登記書のコピー(これは売主が用意)を、手続き代行人に渡すだけ。手続きは自分でも出来るが、区役所へ許可を取りにいったり、その後、軍隊から許可をとったりするため、その行き来、やり取りが面倒。代行業は約1万円でそれらを全てやってくれる。家に関する本日の出費家全体の水道、配管の点検とトイレの部品交換・・・・25リラ(約2000円)
2005年04月16日
新聞記者のフセインの希望があって、日本人のSさん、Hさん、Mちゃん、私、トルコ人のフセイン、アドナンで村のアイシェのところへ遊びにいった。クルマは5人乗りなのに、乗った人数は6人。「これは違反だよ、停められたらどうするの?」と気弱なふりをするミフリ社長に、フセインは言う。「大丈夫、取材のための緊急自体だからね」「じゃあ、○○の名前(勤めている政府系の通信社)を出して言ってくれるのね」「もちろん任せておけって!」・・・・って話だけで、別に何もなかったのだけど。意味のない導引部分。村に入ったところで羊飼いがいた。羊はこの時期ぐらいしか見られないから、フセインがここで羊に囲まれる日本人たち、というほのぼのニュースをやろう、と全員が外で出た。ところが羊は寄っていくと逃げていくし、この群を守る子犬に吠えられて、フセインはビビッているし、撮影をあきらめかけたところ・・・・・。誰かのケイタイが鳴っている。でも聞きなれない音・・・・。「アリョー?」電話を取り出し、話を始めたのは、なんと羊飼い!?この村で、羊飼いがまさかケイタイを持っているなんて、日本人もトルコ人も思ってもみなかったので、ビックリ。そしてタイミングのよさに笑いがとまらない。フセインはさっそく仕事。「村の羊飼いにもケイタイ電話!?」というタイトルのニュース記事をさっそく作った。さてアイシェのところへ行く。先日、焼いたというユフカとボレキで朝食をとる。時間のなかで、アイシェが現在の悩みを打ち明けはじめる。毎度のことである。私のコーヒー占いがよくあたるもので、それに便乗して悩み相談室である。悩みその1 村で孤立していること。「誰も私を手伝ってくれない」という。どうしたのかと話を聞くと、女性たちのやきもちである。私たちが時々遊びにくることで、周囲の人たちは、まるでアイシェが外国人相手に金儲けでもしているかのように思っている。そしてどうしてアイシェだけ、ってやきもちやいて、嫌がらせをするのである。ドイツ人観光客中心のツアー会社から、村の生活を見てもらうために、アイシェに団体を受け入れてくれないか、という話がある。団体さんにユフカ、ボレキを焼き、ランチでアイシェ宅に立ち寄らせるというのである。そりゃ、お金を稼ぐためにはいい話ではないか、と思ったけど、アイシェは「一人でそれだけのことはできないから、断ったのだけど・・」と言う。ユフカを焼くだけでも、下準備のほかに、お皿大に広げる人、さらに大きなお盆大に広げる人、鉄板で焼く人・・・・と最低3人は必要になる。加えて、ボレキを出し、飲み物を出し・・・・団体さん相手となると5人は必要になるだろう。近所の娘で誰かいないのか? と聞いても「誰も私を手伝ってくれない」と悲しそうな顔をするだけ。私たち(は儲かる仕事ではないけど)、加えてドイツ人の団体さんの週2日の相手・・・これはもう周囲がやきもちやくのは目に見えている。団体さんの話など、どうして一緒に村を盛り上げよう、とか、そうでなくてもバイトで収入を得ようとか、前向きに考えられないのだろう。村の閉鎖的な部分である。さて、もうひとつの悩みは、アイシェの義理人情に厚いことから来る問題ひとつ。彼女にしたら「筋」を通したい。あなたがいるからこその、日本人たちとのつきあいだから、あなたに不義理をする相手を心から受け入れるわけにはいかないと言うのである。そう思ってくれることには「ありがとう」って言うしかないけど、そんなことを考えてくれるのはアイシェぐらいだから、気にするな、と言っておいた。人を頼って、利用して、最後は全て自分でやったかのように錯覚している人。自分で積み上げたものではなく、他人が努力して積み上げたものの上に座っただけの人。自分が作ったものだと思うのなら、堂々とやればいいのに、やはり後ろめたいのか、コソコソやっている人。でもね、話はみんな筒抜け。ここはトルコ。私も含めて、自分ひとりでここまで来ていない。誰かの助けを借りて、なんとかやってきた。だからこそ、もう一度、振り返ってほしいけど、そんなことがわかる人なら、現在の状態はないわけだから、やっぱりどうでもいいって・・・・。最後に新聞記者のフセインのもうひとつの取材は「村でお婿さんを見つけた日本人」。お婿さんとはロバである。ロバに近寄ったところ、思いっきりキスされてしまったので、このタイトル。
2005年04月15日
シルバーの問屋がカレイチのそばから引越したというので、人に聞いて、引越し先を訪ねていった。場所は空港方面のアウトレットショップが集まったところで、建物自体は通るたびに見ていたけど、どうせ外国人の団体ツアー専用のショッピングセンターなんだろうな、って思って立ち寄ったことはなかった。ところが行ってみると、これまたおもしろいところであった。ブランドの服、靴、スポーツ用品、ガラス製品、貴金属のショップが並んでいて、しかもミグロスより価格が安い・・・気がする。レストランやファーストフードコーナーもあり、しかも建物がゆったりしていて、居心地がよいし、ショップも見ていて楽しかった。エアコンも効いているし、子供の遊び場もあった。こりゃいいところを見つけたな、と喜ぶミフリ社長。同行した新聞記者のフセインが「本当にここを知らなかったのか?」と驚くけど、空港近辺は観光客向け、って思い込んでいるから思いもよらなかった。アンタルヤに住んでいたって、知らないものは知らないのである。でも観光客目的でもあるわけで、建物の入り口で日本人4人を従えたフセインを観光ガイドかなにかと思ったらしく、案内の人が「あちらで手続きをしてください」とカウンターを指した。フセインは「こいつらはタタール系のトルコ人だし、俺は観光ガイドじゃないよ」と笑うと「まあ、外国人ツーリストだと思ったから・・・」と言っていたし・・・・。ってことはガイドが観光客を連れてくると、何か特典でもあるのだろうかって。アンタルヤの都市遺跡の近辺にある団体向けの絨毯屋や貴金属屋は、クルマで外国人を連れていくだけでガソリン代をもらえるって聞いたことがあるし、それが目的で観光客をクルマに乗せて立ち寄るトルコ人もいるらしい。話を戻すと、このアウトレットショップ。やや郊外なので、クルマがないと行き来は面倒かもしれないけど、パンフレットを見ると、一応無料サービスバスもある。明日はアイシェを訪ねて村へ行く。
2005年04月13日
購入予定の家のカギを売主である不動産屋からもらった。引越ししていいよ、ってことである。お金はまだ全額払っていないのに、こういうところは適当である。で、先日1時間ほどの時間を見つけて、家の点検に行き、何が必要で何が必要でないか、サイズを測ったりした。ここにコレをおいて、ここに棚を作らせて、ここにこんなカーテンをかけて・・・・・。もちろん絨毯、キリムは190平方メートルの室内に重ねて敷いても敷いてもあまるほど社長個人所有のものがあるから、敷きつめるのも楽しみ・・・なんだけど。・・・・実は引越しをしている暇がないのである。実際の引越しは引越し屋に頼むつもりではあるが、それだって、細かいものをまとめるぐらいはしておかないといけないし、エアコン、湯沸かし器、洗濯機、電話などはそれぞれに引越し手配をする必要がある。・・・・誰だって、新居に越したい。倉庫にしまいこんでいた、絨毯、キリムの出番を喜びたい。・・・・でも時間がないのである。なんだか家を購入した喜びとか、新居への期待とか、そんなことを考える自分を想像したのに、それどころじゃない。今月末には、今のカレイチの家を出る予定ではいるが、今のままだと3か月後もここにいそうである。家を買ったことも忘れてしまうかもしれない。そういえば、村の別荘だって、半年以上経つのに、泊まれたのは片手の指ぐらい・・・!? そろそろ別荘の存在を忘れそうである。新しくつけた湯沸し器・・・まだ一度も使っていないし・・。こちらは夏がメインだから、これからなんだ、って自分にいい聞かせながら、庭にとうもろこしの種を植えるはずだったのも、まだ出来ていない。仕事があることはありがたいことである。好きでやっていることだから、お金が儲かろうが、損をしようが、働くこと自体には文句を言わない。怠けモノでいたいけど、私から仕事をとったら何も残らない・・・きっと。少なくとも、これで世間様とトルコに税金、年金などの支払いをして、家族で3度の飯を食わせてもらっているのだから、走るのをやめるわけにもいかない。生活を楽しむために働いているトルコ人の友人にしたら、働くのが楽しくて働いている私は、女のくせに実は無理しているのじゃないか・・・って思えるらしい。でも無理っていうのではない。働きたいから、好きだから、この仕事をしているし、働くことで自分の存在を確認している気がする。・・・だから、お金を考えないとも言える。稼げない商売を平気でしていられるし、それに対してストレスも苦痛も感じない・・・。働いて働いて、家にはただ疲れて戻り、家族が寝ている間に残業もする。マイホーム主義にもなれないし、なんだか高度成長期の日本のサラリーマン、仕事虫のお父さんみたいだな、って・・・。
2005年04月13日
疲れた理由・・・・それはズバリ、今日の暑さ。日本じゃ、これを夏と呼ぶだろう。朝、店へ行くと、日本から来たばかりのSさんはTシャツ姿。Mちゃんも半そでの服をお買い物。そういう私は暑いだろうな、と思いつつ、トルコ人感覚だから、長袖シャツ2枚の重ね着。おかげで暑い暑い。週末行った地方都市・今夜など、天気は良くシャツ1枚で十分な温かさだったけど、まだセーターやレザージャケット着ていたりして、いったいどうなっているのだ、と思ったけど、実は私もそれを笑えない・・・!?半そでを着ればいいとわかっていながら、う~ん、まだ早い、と自制してしまった。だって夏になれば気温は40度50度。いくら暑くても裸になるわけにはいかないから、それで半そでかノースリーブを着るわけでしょ?30度前後の気温で半そで着たりしたら、真夏を過ごせなくなるもんね。今日は午前中にアンタルヤ空港まで帰国するEの見送りをし、午後には購入する家の引越し準備で外へ出かけたり、その支払いのために銀行めぐり。クルマでの移動なんだけど、暑いからエアコンをバンバンかけて、涼んでいた。夫には「暑苦しい服装ですね」と言われ、でも夕方になって涼しくなるかもしれないじゃん、と頑張った。結果、体力消耗。疲れたのである。今日はキリムの修復の打ち合わせの続き。クリーニング屋との打ち合わせ。そしてなんだか知らないけど、地方からのキリムの売り込みが続いて、それを見たり、話をしたり。西日はきついし、せめて1枚脱げばよいのに・・・・。・・・・夏服はまだ早い。こうしてアンタルヤの人間になっていくのである。
2005年04月12日
週末は某地方都市へ、お友達とお客さんたちと総勢8名で行ってきた。仕事で死ぬほどキリムを見て、しかも今回は満足度がかなり高い。運だからね。いつもあるとは限らない。数だけあってもなんだ、って思うときの方が最近は多いしね。一緒に行ったメンバーもすっかり満足したみたいで、アンタルヤへ戻ったところだけど、今、レストランでビールで乾杯。強行軍でものすごく疲れたけど、疲れが心地よい。ホテルも定宿の監獄ホテルはやめて、シェラトンの次にいいホテルというところに泊まった。大昔にツアーでトルコに来たときに、泊まったことのある4つ星ホテルだが、改装されていて、きれいだった。ベットもしっかり硬くてぐっすり眠れたし。ああ、楽しかった。これだから絨毯屋はやめられない。
2005年04月10日
成田からアンタルヤへのトルコ航空の乗り方が変わったのは、1週間ほど前の日記に書いた(よね?健忘症・・・)。では帰路はどうなるのか。いままではアンタルヤの国際線ロビーでチェックインし、パスポートに出国のスタンプを押してもらい、イスタンブルでスルーで乗り換え。荷物もアンタルヤで預けたら、成田までそのまま行っていた。今回、アンタルヤの国内線ロビーからイスタンブルまでの飛行機に乗り、イスタンブルで荷物を受け取る。それからイスタンブルに降り立つ人、トランジットをする人わかれる。荷物を受け取り、トランジットの人は国内線で再び預けるそうだ。国際線への移動路は、手ぶらで行けるとのこと。そして国際線でパスポートに出国のスタンプを押してもらい、成田行きの飛行機に乗る。・・・・イスタンブルで荷物を一度受け取らなければならないのは面倒だけど、またすぐ預けられるらしいと知って、ちょっと安心。でも知らなかったら、帰路でアンタルヤで国際線ロビーに行ってしまって、あわててしまうところだった。というわけで、友人は無事日本への飛行機に乗ることができたのである。トルコ航空でアンタルヤへ来られる方、日本へ直接戻られる方は、どうぞご注意ください。
2005年04月08日
明日あたり週末で、店はお休みか・・・などと考えてしまった。まだ水曜日。それだけ休日がないってことなんだけど。「明日は土曜日だったっけ?」と言ってみたらうちの社員のアドナンも「同じようなことを思っていた」と言うので、そりゃそうだろうなあ、と納得・・・。だって同じだけ働いているのだし、行ったり来たり、力仕事はアドナンの方が多いぐらい。何をしたのか、って言われれば、毎日たいしたことはしていない気もする。だけどたまった疲れを解消していないから、なんだかだるいし、働いた気になっている。加えてアレルギーのせいで、鼻炎と目のかゆみ。アレルギーと慢性寝不足のせいなんだけど、もと軍人のハムディおじちゃんに「オレは軍人をやっていたから、人を見れば何をしていたか、よくわかる」と前置きをされてから「目の色が変わるのはクスリをやっているのだろう。クスリはよくないやめておけ」と言われた。私はクスリと言えば具合が悪いときに飲む日本から持ってきた風邪薬ぐらいしか思い浮かばないけど、「クスリをやる」と言われるときの「クスリ」って何だろう・・・って。これまで健康体でこれたけど、歳には勝てない。そろそろ栄養剤でも飲むべきか・・・。今週末はお休みだっけ? ってカレンダーを見てみる。店は休みだけど、お客さんと外周り中の予定。・・・・ああ、なんだかグチの多いこのごろ。そんな気分をちょっと明るくさせてくれたのが、修理職人の子供が産まれた知らせ。本人が妻の出産のために田舎へ帰っていたのだが、10日間ぶりにアンタルヤへ戻ってきた。よくもまあ、これだけ変わるものだというぐらい、父親の顔をしていた。彼にとっては初めての子で、彼の年齢は35歳だから、決して早いほうではない。いままでは観光地で働いて、それなりの遊びも低堕落な生活も送ってきた。ところが3年半前の結婚を機に、すごく変わった。仕事に熱心になり、がむしゃらに働くようになった。そして嫁さんの妊娠で、さらに睡眠時間2、3時間にしても、働いて、出産準備のための資金作りをした。わが子の顔を見て、すっかり父親の顔になっていた。子供の写真を見せては顔がユルユルのダレダレになる。まるで映画やマンガに出てくるキャラクターのようだけど、彼がとても輝いて見えたし、心から子供の誕生を祝いたい。それにしても結婚、子供の誕生が、これほど人間を(いい方向に)変えるものなのか、と驚いた。そして本人もそれを肯定している。きっと数か月後には「娘は嫁にやらない」などと言っているかもしれない。疲れているのと、作業をしながらの日記なので、まとまりがないものになってしまったけど、今日はこれで精一杯。(えっ!? 疲れているとかいいながら、十分長いって?)
2005年04月07日
いろいろ、いろいろ、仕事が忙しくて、眠る時間もない様。4月末まで息が抜けませんが、もちろん、眠る時間を削ってでも日記は書くことでしょう。それだけが人生の楽しみ・・・!?キリム修理職人の子供が生まれ、職人不在。貯まる修理。家購入、登記の手続きでバタバタ。そのうち引越し。このままでは絶対無理。オーダーの承り、荷物の発送。その前にクリーニング、修理。1枚1枚の点検。コンヤへの出張。私の仕事が終わらない都合、延期が続く。お客さんが続く、宿泊先の手配、チケットの手配。周囲の結婚、離婚問題。こう忙しいときに限って、掘り出し物キリムが出たり、処分に呼ばれたり。行きたいけど、行けない。時間がない。どなたか、ぐうたら、いい加減女社長のスケジュール管理と事務処理の手伝いをやってください。ついでに引越しの手伝いも・・・。
2005年04月06日
日本から友人がアンタルヤへ遊びに来たので、夜中のアンタルヤ空港へ迎えにいった。明日が大学の卒業がかかっている大切な試験日で、でも勉強を全くしていないフセインと、社員のアドナンと3人でパリオを走らせた。トルコ航空で日本から直行で来る。当然のことのように、いつものように国際線で待っていた。アドナンが見にいくと飛行機は到着済み。パスポートに入国スタンプおしてもらって、荷物をひろって、そろそろ出てくるかな、っていうタイミングだった。ところがいつまでたっても出てこない。到着から45分が過ぎたころ、こりゃおかしいなあ、と思っていると、ケイタイがなった。彼女からで「出口で待っていたのですけど、いないのでまた中に入って電話をかけました」という。「ずっと出口で待っていたんだけど・・・・。じゃあ、また出口に来てくれる?」「出口ってこの前のときに待っていたところですよね?」待つこと10分。これまたおかしいな、と思い、アドナンが中に入り、探したが、出口から出てきたのはアドナンだけで、彼女はいない。そこでもしや、と思った。「この前のときに・・」というと、この前はシンガポール航空でイスタンブルまで来て、そこからトルコ航空に乗ったので、国内線に迎えにいった。とあわてて国内線に行くと、そこにいた。「パスポートにスタンプ押してもらった?」と聞くと「イスタンブルで押されました。入国の方法が変わったみたいなんです」という。いままでもなんども方法が変わるので、戸惑う。通常は日本からアンタルヤまで来て、入国スタンプを押し、荷物を受け取る。ところが今回はイスタンブルで入国スタンプを押され、荷物も一度受け取ることになったという。そして改めて国内線に乗り換える。・・・これじゃ、アンタルヤ国際空港の意味ないじゃない、なんて思ったのだけど、ということは帰路もアンタルヤからは国内線に乗ってイスタンブルへ行き、そこで出国をして日本へ飛ぶ・・・ってことになるのか・・・?チケット価格の高いトルコ航空をわざわざ使う利点は、荷物が発着地から到着地までスルーで行くことなのに。これなら安い他の会社のチケットを買って、国内線だけオヌル航空とかのこれまた安い飛行機を使うほうがいい、ってことになってしまう。・・・って、しばらくすると、もとの通りの入出国システムに戻っていたりするわけだけど・・・・。
2005年04月02日
狙っていた物件が、メルテム地区の高層の2階。3LDK。セントラルヒーティング、24時間温水。140平方メートル(約42坪)。つくりつけのタンスが3つ。収納は十分である。さらに管理人がいて、出入りをチェック。セキュリティーは問題なし、というか完璧。83000リラ(約664万円)値段的にはもう少し安かったらなあ・・・というところだが、この地区では他にこの価格では見つからないし、不動産として値上がりが期待できる場所なので、手を討とうと・・・。でも、ちょっとした売主の言葉に、買うのをやめることにした。安い買い物ではないし、気分が悪いまま、もしくはこの家を買うときの印象が悪いまま、住むのはいやになった。そう思っていたら、別の物件が浮上してきたので、それを見に行くことにした。メルテムよりずっと町の中心に近いところ。中層ビルの1室。エレベーターつき。見て、これはいいなと思った。そして友人のお母さんである、住宅アドバイザーの女性を呼んで、一緒に見てもらったら、彼女も見た瞬間「これは買いよ!」と目配せした。何が気にいったかというと、まず広い。190平方メートル(約57坪)。ベランダも広いのがふたつ。ひとつは鎧戸で囲まれて部屋としても使える状態。しかもリフォームしたばかりで、風呂の浴槽と台所の流し以外はピカピカである。床は板ばり。廊下はタイル貼り。3LDKだけど、どの部屋もゆったりとしていて、これならうちの大家具も入りそう。さらに不動産屋の自分の物件なので、不動産手数料3%が不要であるとのこと。(もちろん価格に含まれているってことなんだけど)。・・・というわけで即決。交渉もして仮契約をした。あとは外国人の不動産購入であるから、軍部からの許可が必要である。それに45日間ほどの時間が必要になる。それから不動産登記を自分の名義でとることができる。その帰り道、ラジオで先のトルコ国外に住む外国人への不動産売買の制限がキャンセルになった、というニュースが流れた。ちゃんと聞いていなかったから詳細は知らないけど、そりゃそうだよね。文句がでたのだろう。またまたお金の話になってしまうけど、本当にお金がない。今日は仮契約として持ち金全部かき集めて、なんとか1000リラ(約80000円)。なさけないけどこれしかないんだから仕方がない。もちろんローンなんて組めないし、組む予定もない。ニコニコ現金払いである。このあとは来週の夫の戻トルコと、今月のお客さんへの売り上げと、お客さんの支払いと、う~ん、それからどうしよう。ロトの発表待ち・・・・か。まあ、なんとかなるだろう・・・って、本当にいい加減である。
2005年04月01日
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