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某テレビ番組をきっかけに、メールでやりとりをしていたご夫婦が日本からアンタルヤへ来ることになった。トルコ航空でイスタンブル経由アンタルヤ入り、である。深夜1:10着の便で、以前なら国際線にお迎えにいくことになる便であったが、今年の春以降、システムが変わって国内線に迎えにいくことになっていた。でもそこはトルコのことである。知らないうちにまたシステムが変わっている可能性があるので、早めに行って、国内線のトルコ航空の案内カウンターで尋ねた。さっそく調べてくれて、返答は「日本からの荷物はスルーで国際線に到着するようになっています。ということは国際線でお待ちください」だったので、国際線の出口で待っていた。ところが待てども気配がない。もう少し、待ってみようかと思っていたところで親切な人が私たちに「誰かを迎えに来たのか?」「そう」「国内線に日本人の夫婦が待っていたけど・・・・」「国内線・・・!?」私たちはあわてて国内線に走った。たしかにそのご夫婦だった。「ああ。会えてよかった」でも荷物がない。国際線に荷物があるらしいと知らされて、それをとりに行こうと思っていたところだという。結果、荷物は国際線の荷物受け取り場に放置されていた。しかも勝手に入って勝手にとってこれた。荷物があったからいいものの、係りの人もいなく、私たち以外の誰かが持っていっても全くわからない状態であった。システムがころころ変わり、空港の方でも対応ができていないのである。ツアー会社からはイスタンブルで入国スタンプを押してもらい、いったん荷物を受け取り、国内線に再び預けるように言われたという。しかし成田空港で荷物を預けたときはスルーでアンタルヤまで荷物が行くと言われたらしい。実際はイスタンブルで入国スタンプを押してもらい、でも荷物はスルーでアンタルヤまで行き、人間は国内線に到着し、荷物は国際線に到着した。同様に外国からイスタンブル経由で来るはずの人を向かえにきていたツアー会社の人たちも、国際線と国内線を行ったりきたり・・・。荷物が無事に受け取れた(というか勝手に持ってこれて)よかったけど、本当に次回の誰かのお迎えのときはどうなるのか、戸惑う。
2005年05月27日
199○年12月7日。某レストランで結婚式の披露宴が開かれた。日本人の花嫁とト人の花婿。花嫁はもちろん真っ白なウェディングドレス。花婿も新調したばかりの黒の上下。友人、知人、主賓兼仲人として地元大学の教授夫妻2組、トルコ人、日本人約30名の会場となった。招待状は友人夫婦がプレゼントしてくれた。それぞれの名前が入った金の結婚指輪は大学教授夫妻から。花嫁の腕や胸には金のコインや腕輪。しかしその会場に花嫁と花婿の両親、兄弟の姿はなかった。それは花婿がこの結婚を内緒にしていたからである。実は男の両親は3年近くも一緒に暮らす二人のことを知りつつ、離婚した男の元妻と2人の息子を自宅に住まわせていた。それは孫を手放したくない一心でしたことだった。しかも日本人の女との結婚の条件として出したのは、元妻とも婚姻を結ぶ・・・つまり、もう一人の妻の存在を日本人の女に認めさせろ、というものであった。もちろん、孫をそばにおいておきたいだけのエゴでそんな条件を出す両親に、男は反発した。しかしカレの育った環境は、親に面と向かってNOと言えない。日本人の女にそれを認めさせることも無理な話であった。そこで男が考えたのが、秘密裏での結婚式。ただ親には日本人の女と別れて、元妻と再婚すると約束をしていたので、両親、家族、親戚、田舎の知人に知られないように、隠れての行動であった。ウェデングドレス姿を誰にも見られないように、日本人の女には嘘をついた。「トルコではウェディングドレス姿で外を歩くことは失礼なことなんだよ」美容院でベールをつけようとしたら「キミはベールをつけないほうが似合うよ」とベールなしにさせた。少しでも花嫁っぽく見えないための画策である。もちろん日本人の女はそんなことは知らない。クルマに「私たちは幸せです」のプラカードと花束の飾りをつけようとする花屋に「花飾りは好きじゃないから・・・」と。できるだけ結婚式に見えないように、でも日本人の女には結婚式だと信じ込ませるために嘘をつき、そしてその嘘を隠すためにさらに嘘を重ねていく。人のよい仲人の大学教授は男に尋ねる。「それで入籍はいつかね?」男はする気のない入籍の日を語る。「来週にはする予定です」「今日、この場でサインできたら最高だったのだが」「そうなんですけど、書類が間に合わなくて・・・」ひとつの嘘のために、永遠に嘘をつき続けなくてはいけないのである。結婚のための新居を日本人の女に買わせた。名義は男のである。でも結婚するのだから構わないと日本人の女は親からの約600万円の借金でマンションを買った。クルマも買い換えた。貯金の引き出しの権利者に自分の名前を加えた。あとは日本人の女を、この地から追い出す算段をするだけである。それも友人、知人たちには自分が悪人にならないための嘘をついて。日本人の女が、他の男と浮気をしたと、言いふらそうか・・・。それなら女の不貞のせいで入籍しなかったことにできる。日本人の女の罪はない。騙すつもりもない。ただ両親が元妻との復縁を望んでいるので、仕方がない。家とクルマは自分は買っていないけど法的には自分の名義だから、この際いただいていく。貯金もすぐにでもおろしてしまおう。あとはどうやって日本人の女を追い出そうか・・・。ボクは悪くない。両親と日本人の女との間で苦しんでいるのだから。ボクは悪くない。ボクは悪くない。日本人の女が二人目の妻を認めないから悪いんだ・・・。
2005年05月25日
朝の7時。日本からの電話。「お誕生日おめでとう」母からの電話であった。さすが母親。忘れなかったね。それ以外はどうせ誰も覚えてくれてないよね・・・・って思っていたわけである。今日と最近起きた不自然なできごと・・・。1、アドナンに「今日は私の誕生日なんだけど、どうせ夫は覚えてないに違いない。でも覚えているかもしれない」と言ったら、「何も言わないで待っていてごらん。きっと覚えているよ」。と言動が不自然でそわそわふわふわしているもんだから、何を隠しているんだ?って。2、フセインが遊びにきて、しかも帰りぎわにプレゼントの包みを渡してくれた。「フセインだけが覚えていたんだね~」とアドナン・・・・かなりわざとらしい。フセインは今晩、用事があるからと昼間店に来てくれていた。3、先日、用もないのに、カバンを持ってアドナンが「ちょっと出かけてきていいかなあ?」「・・・?どうぞ」。普段買い物やブラブラしてくるときでもカバンを持っていったりしないのに、帰りに何か入れてくるわけ?4、ケイタイのメッセージに友人から。「パーティーに参加できなくて残念だけど、お誕生日おめでとう!」。パーティーって?5、アンタルヤに滞在中のMちゃんが7時半ごろ、急に家に遊びにきた。「7時半集合って言っていたのに、まだ誰もきていないのですか?」・・・・誰が7時半集合だって?・・・って私は寝ようと思ってパジャマ姿で寝転がっていたところ。6、用事がないので早めに帰宅した直後、夫がベランダから不審物を隠すように部屋へ運んだ。大きなきのこの形をしたもの。・・・あれはいったい何?私に秘密のバースデーパーティーを催してくれる計画だったらしい。しかも1週間前から、計画していたらしい。忘れたら妻と社長から怒られるもんね・・・。なのに夫とアドナンの下手な演技と連絡の不統一で全てがバレバレ。でもちょっと感激。いまさら誕生日を祝ってもらいたいわけじゃないんだけど、祝ってもらったらそりゃうれしい。アンタルヤに滞在中で、もうすぐ帰国のTさんからは素敵な花束。Mちゃんからはハートのケースに入ったたくさんのチョコレート。フセインからは「ある女の自分探し」というトルコ語の本。よい女の人になってください。というメッセージとサインつき・・・・いったいどういう意味!? アドナンからはお金がたくさん入りそうなお財布。実は私は財布を持っていない。夫からはきのこ型のケースの中から、実は2か月ほど前にイスタンブルで選んだという腕時計をプレゼントしてもらった。日本の同じ歳のお友達からはファクスでメッセージが届いていた。いやいやみなさん、ありがとうございます。実は照れ屋のミフリ社長。本当はちょっとじゃなくて、かなり感激していることを、この日記だけに密かに記しておこう。(・・・ってここに書いたらみんな見るんだって)
2005年05月25日
って、毎年しつこいのですが、いったい誰が覚えていてくれるか・・・。それだけのために、自分の誕生日になると、なんだかんだとうるさいミフリ社長です。別にケーキも食べたくないし、お祝いしてほしいわけじゃない。欲しいものも何にもない・・・。一番最初に夫に誕生日を間違えられて以来の行事・・・・。夫は何年かの間、翌日の5月25日が誕生日だと信じ込んでいた。誕生日の24日の日に「今日は誕生日だったよね?」と聞かれ、「違うよ、明日が誕生日だよ」と騙した私がいけないのだけど・・・。年齢隠さないので書いてしまいますけど、42歳になりました。年齢を言うと、トルコ人は5歳の息子を見て「お孫さんはお一人ですか?」なんて聞いてくる。ついでに47歳なのに、若く見える夫をさして「息子さんは見かけるけど、お嫁さんはどちらに・・・?」なんて言われる。そういうときは抵抗せず、「嫁に逃げられて息子に再婚相手を探しているのですけど、誰かいい人いませんか?」と答えておく。引退まで、あとわずか・・・って、指折り数えているのに、その日が一向に来そうにないのが悲しい。更年期障害の訪れも待っているのだけど、こちらもしばらく来そうもない気配。それでサボろうって思っているのだけど、忙しくしているから元気なんですかね。ところでケーキはディヴァンのホワイトチョコがのっているやつにしてね・・・・。ってやっぱりケーキを食いたいんじゃないか・・・って!?
2005年05月23日
彼女は日本人の女を友人として大切に思っていた。日本人の女は短期の観光滞在できて、そのままビザを更新しながら暮らしていた。知り合って、仲良くなって、いい人だと・・・。ある日、日本人の女が靴磨きの青年とつきあっていることを知った。トルコに住むトルコ人の女性として、相手のことが気になった。いい人であればいいけど、外国人である日本人の女が、その男に利用されていなければいいけど・・・。話を聞くと、カレの友人という男が借金で困っていて約30万円を貸したという。さらにカレ本人の母親が病気になってお金が必要だといわれたので、やはり30万円ほど貸した、と。両者とも戻ってくる気配はないし、日本人の女は滞在にも事欠く始末。「それはお金のために利用されているだけよ」と感じた彼女は、日本人の女を助けたい一心で内緒で靴磨きの青年に会いにいった。「どういうつもりで付き合っているの? 結婚するつもりはあるの?」男はいやらしく笑って言った。「あの女に興味はないよ。普通の男が結婚を考えるような外見も中身もないだろ?」そのセリフを聞いて全てを理解した。「もう二度と近寄らないで」ところが翌日、日本人の女がものすごい形相で彼女のもとへきた。「どういうこと!? カレに何を言ったわけ?」彼女は日本人の女を好きだから、大切だから、彼女のために何かをしたかったこと、彼らの汚さをできる限りの言葉で説明した。でも最後に返ってきた言葉は「もしかして、私のカレと何かあったの? それでヤキモチ妬いて壊そうとしているんでしょ」彼女は思ったそうだ。私はこの女のためにいままで何を我慢してきたのだろう。男につぎ込んで滞在費まで無くした日本人の女を、家に泊め、食事を食べさせ、自分の少ない給料から日々のお小遣いまで渡していた。それも友達だと思っていたからやれたこと。いいことをしてあげれば、あげるほど、それが悪いこととして戻ってきた。自分の心のなかに悪意が全くなかっただけに、自分がしたことに対する日本人の女の言動はショックであったと。外国だからわからないことも、不慣れなこともあるだろうと、気にかける。その人のためと思って忠告したことも、悪意ととられてののしられる。知らないふりをするしかないよ、かかわるとあなたにも害があるから・・・・。「でもね、やっぱり黙っていられなかったよ、友達だもの・・・・」
2005年05月21日
臨月の妻を、知り合ったばかりの日本人の女のご機嫌をとるために、実家へ追い返した男である。日本人の女には独身だといい続けていた。でも周囲から妻の存在がばれることを恐れて、妻子がいることを打ち明けた。それもやり方が汚かったし、男として情けなかった。いいわけは「離婚の話し合いをしていたから、キミのこととは関係なく別れるはずだった」「妻とは長い間夫婦生活がなかった」「妻を女として見れなくなった」「親に決められた結婚だから愛情がない」などなど。その妻と5年も結婚生活を続け、子供を2人も作っているわけである。そして2人目がまもなく生まれるというのに、離婚するために無理矢理、実家に追い返し、離婚も不利にならないように、妻の悪行をでっちあげた。トルコの離婚は裁判で決定される。日にちが決められ、呼び出され、両者に問題がなければ、その場で終わることができる。しかし、決定されない事項があれば、さらに数か月待たされたあげく、再び裁判に呼び出される。そうなると長引くのである。離婚が簡単にいくように、男は妻サイドに脅しをかけた。「子供がいることは言わないように。そうしないと一生お前らを付け狙ってやる」妻は黙ってうなづいた。そして離婚裁判の日。妻は子供のことを触れなかった。しかし、傍聴人のご近所さんのおばさんが言った。「2人の子供のことはどうなるの?」そこで裁判官が妻に聞く。「どうして子供がいることを黙っていたのか? 養育費の取り決めなどもしなくてはならないよ」男は日ごろ言っていた。「妻は子供を連れて、さっさと誰かと再婚してくれれば、こちらの手間もかからなくていい。子供のことも知らないふりできる」妻への愛情が冷めるのは仕方がない。でも自分の子供へのこれらの言葉・・・もしかしたら自己中心の勝手で冷たい人間かもしれない。日本人の恋人には連日連夜の愛の言葉。一緒になってくれなければボクは死んでしまう。いいんだよ、いやなら去ってくれて、でもそのあとボクの人生は終わったと思ってくれ。長い手紙と自分がどれだけ日本人の女を好きか、ノートに夜な夜な詩を書いては朗読する。「ここの、このフレーズがすばらしいだろ? ボクは本当は自分で曲を作って歌手になろうと思ったんだよ」その間、妻との離婚話もすすんでいく。自分の勝手な都合で妻子を捨てるわけなんだから、いいじゃない。家電でも家具でもなんでもあげたら。だけど両家で争ったことと言えば「お前のところの娘は嘘つきだ」「お前のとここそ」「知っているぞ、2年前、叔母さんの家の小銭を盗んだだろ」「なんだって? うちの娘が盗みをするわけないだろ」どうでもいいことでお互いをののしりあったそうだ。そしてセコイことに、洗濯機は誰ので、応接セットは誰ので、皿や鍋まで取り合いをしたらしい。男は壊れかけたオーブン、ローンで買ったばかりの洗濯機、鍋と皿、布団類、ご飯用の布と刺繍糸・・・戦利品を抱えて日本人の女のところへやってきた。男の財産といえばあとは10年ものの古いクルマ。25万円ぐらいで買ったという。小学校を卒業してから働いて、でも貯金も家もない人生だった。その日のパン代を稼ぐ日々。産まれた子供の顔を見たいと思わないの?日本人の女は聞いたそうだ。「ボクにはキミがいればいい。子供は母親のところで大きくなる。愛情も感じない。ボクはキミと生まれ変わるんだ」自分の行動が後ろめたいのか、それをごまかすために、元妻への暴言、悪口。元妻がどんなに嘘つきで、そのために自分が不幸だったか・・・。そして日本人の女は思ったそうだ。これを自分への愛情ととるべきか、元妻にこんな仕打ちをできる男の冷たさととるべきか・・・・。
2005年05月21日
というのがその男の口癖である。そしてその以前の妻に言ったらしい。「お前はおばさんでブス」「おばさんでブス」な女も、カレにとって、以前は「若くてきれい・・・」だったわけである。私はカレが彼女を指して言った、その言葉を何度も聞いた。そういえば、その前に結婚していたときも言っていた。自分の妻は若くてきれい。でも今はおばさんでブス。だからね。言わせてもらうけど、カレは自分の妻が若くてきれいじゃなくなったら、また新しいのに交換するわけである。人間、年をとっていくものなのに、若くてきれい。だけに価値を見出している男にとってはそれが自然の行動だろう。相手に罵詈雑言を浴びせる・・・それは自分がやましいからで、悪口を言うことによって自分の非を隠そうとするずるがしこさ。そしてそれを疑うこともなく、騙されてしまう女の幼稚さ。(騙さなきゃ、カレの仕事がなりたたないけど・・・)どちらもどちらだから、どうでもなれ、なんだけど。本当に相手を信じられるのなら、本当のことを知りたいのなら、元妻たちとコンタクトをとって真実を確かめこともできるわけである。周辺の口裏を合わせさせられている人たちに聞いたって、何も出てこない。(カレは今までつきまくった嘘がばれるから俺を信じるだろ? なんだとほざいて絶対コンタクトをとらせたがらないだろうけど)元妻たちを悪く言う男を信じることで自分の立場を確実にしたいのであれば、真実を知らないことも幸せかもしれないけど。元妻たちは鬼でも敵でもない、いわば猜疑心がなかったために(悪魔の手にかかった)あなたの同類なのだ。元妻たちをおばさんでブスと言う男は、あなたのこともいずれ(5年後には)おばさんでブスって言うわけであるから・・・・。
2005年05月20日
昨日、今日とあったトルコの友人たちに関する話を2つばかり。ブルサの骨董ストリートで店を経営しているトルコ人男性で、夫の15年来の友人である。まだ若いが苦労もし、向上心のあるいい若者である。友達思いで、家族思い。私たちは家族ぐるみでお付き合いしている。先日、会ったとき奥さんが2人目の子供を妊娠したと喜んでいた。ところが数週間前から奥さんの具合が悪く、入院していた。家ではカレと息子の二人暮らし。それでも生まれてくる子のために、頑張っていた。2日前の夜、「娘が生まれた」という喜びの電話がかかってきた。奥さんの具合が悪いため、7か月での帝王切開による早産であったが、母子とも無事であるという知らせに、私たちも喜んだ。「近いうちにプレゼントを持ってお祝いにいかなきゃね」などと話をしていた。昨日、別の用事で店からアドナンに電話をさせたとき、話をしているアドナンの顔が急に曇った。どうしたのか、と電話が終わるのを待って聞いた。カレの娘が今しがた亡くなったという。電話の向こうでは話の合間にカレの嗚咽・・・。いたたまれなくなったので、私に電話を代わらなかったと、アドナン。早産のせいで生きる力がなかったらしい・・・というのが理由だというが、12時間前に誕生を喜んだばかりである。もっといえば2時間前に電話に出たカレの息子に「お兄ちゃんになったんだってね?」と聞いたばかりであった。奥さんが生きていること・・・それを喜ぶしかないのであるが、あの大きな身体のカレが今、どんな思いをしているかと思うと、それだけで胸がいたい・・・。今日、午後あまりにもだるいので、店で横になっていたら、突然入ってきたトルコ人女性。顔を見て、懐かしさでいっぱいになった。今から7、8年前のこと。地方から出てきて、アルバイトをして学費を稼ぎながらアンタルヤの大学に通っていた娘である。貧しい家庭の出て、父親がいないこともあり、大学に通うだけでもかなり苦労をしているのを知っていた。当時はほぼ毎日、ミフリに来てはおしゃべりをし、お茶を飲み、そんな風に過ごしていた。その後、外資系の会社に会計士として入社し、そこで知り合った今の旦那さんと結婚し、子供に恵まれ、今はリゾート地で7人の従業員を使うレストランのオーナーになっているという。学生時代の彼女の苦労と勤勉さを知っているだけに、心から彼女の成功を喜んだ。本当によかった。リゾート地で働く大変さ、そのなかで学んだことなどを話ながら、話題は当時の話になる。ミフリを通して知り合った日本人の友達の不義理で悲しんだこと。今になれば、あなたの言ったことがよくわかる・・・といい、あなたはあのころと変わらないのね・・・と。彼女がとある会社にアルバイトで入ったことがある。その日、学費の支払いの最終日で、それが払えないと大学を続けられなくなる・という状態であった。社長に学費分の前借りを申し入れると「俺の愛人になるなら出してあげよう」と迫られて、会社を飛び出した。そのあと知り合いもいないアンタルヤで、私に電話をかけてきた。私は彼女の性格も状況もわかっていたので、黙って学費の60ミリオンを渡したことがあった。今日、彼女からその話を聞くまですっかり忘れていたことであったが、そんなこともあったなあ・・・などと思い出した。私が彼女を好きな理由のひとつ。そのエピソード。ある日、店からの帰り、クルマに日本人トルコ人何人か乗って食堂にスープを飲みにいった。店について、ところが彼女はクルマから降りてこない。「私、お腹がすいていないから・・・」という。そんなわけがないことはわかっている。どうしたの? と何度も聞くと、最後に「実はスープ代がない」という。一緒に来たのだから、そんなことを気にすることないよ、どうせ私がおごるつもりで誘ったんだから、と言っても。恥ずかしいことだから、みんながスープを飲み終わるまでクルマで待っていると動かない。いいから、いいから・・・と強引におろして、テーブルに座らせた。そんなやせっぽちの彼女が一児の母になり、レストランを切り盛りする女社長になって、元気な姿を見せてくれたこと・・・・胸がいっぱいになった。
2005年05月19日
たかがクルマを売るだけのことが、会社名義となると、帳簿上、手続き上、面倒である。今日はそれに一日費やした。遠くにいる友人に売るので、名義変更のさいの委任状。これも会社の社長であることの証明書、ちょうど社長の就任期が終わるところなので、更新するために会社の会議を開き(って大げさだけど手続き上)、商工会議所で手続きと書類作り、さらにそれをもとにサイン証明書を公証役場で作成。これだけで費用が260YTL(約22000円)を越した。しかも今日も混んでいて、暑いし、待たされたり、割り込みされて不機嫌になっていく。いっそのこと、明日にしようと思ったけど、ここまでやったら終えるしかない。さらに税務署でクルマの未納の税金や罰金などがないことの証明書を発行してもらう。これであとは相手方が手続きを行うだけである。そして面白いのが(って、本当は当たり前なんだけど)、クルマを売ったので、会社として、その正式な領収書(税金を納めている証拠になるもの)を切ることになる。絨毯屋がキリム、絨毯を売るのは当たり前だけど、今回はクルマを売ったことになるのである。その分の税金があるわけだけど、次の会社名義のクルマも買っているわけだから、それで実際は負担は出ないのである。何事も正式にやるとかなり面倒臭い(・・・っていうほどのことはなにもないのだけど、気分的に・・・)。それにアンタルヤは暑い・・・・・。・・・ぐったり・・・。
2005年05月19日
・・・・って、トルコでそんなことを頼むのが無謀だった。どうなるかわかっていることだったのに・・・・。家具と言っても難しいものじゃなくて、簡単な家具。子供部屋の勉強机、本棚、洋服タンス、台所の戸棚、ベットの転がり防止の柵。この5点。さて家具屋が来るというので、私が店へ行っている間、夫に留守を頼んでおいた。実は家具は先週の火曜日に届くはずであった。こないので連絡すると、「週末、停電になって工房で作業ができなかった」という言い訳。できるだけ早く取り付けに行くから。というので連絡を待っていた。ところが1週間経ってもウンともスンとも・・・。昨日、家具屋に寄ったら、親父はしゃあしゃあと・・・・。「連絡しようと思っても住所と電話番号を聞き忘れて、届けることができなかったよ。家具はできあがって君たちから連絡が来るのを待っていたんだ」住所も電話番号も書いていったよ。絶対。家具屋の店員の女の子も「確かに書いていったと思うけど・・・」と言って、嘘つき社長ににらまれていた。さて、夕方家に帰ってみると、家具は確かに届いていた。でも、なんか違うんだよねえ・・・・。本棚はサイズがちょっと違うけど、使うのには困らないからこれでよしとしよう。勉強机・・・・意識して大きいサイズを頼んだ。120×80cmにしてくれと。ところがどう見ても小さい。多少のことならいいけど、これ、家具屋に置いてあったものをもってきたみたい。サイズが100×63cm。作らないであるものでごまかしたわけね・・・・。机の棚に仕切りをつけたら、いいよ、なんて親父、自分で言っておきながら、仕切りはどこ? って感じ。ベットの転がり防止の柵はなかった・・・・。洋服ダンス。横の棒があってそこにハンガーをかけるわけだよね。ところが棒がない。かわりに4つばかりフックのようなものがついている。このフックにハンガーをかけるだけなら、いったいこのスペースはなんなの?さて問題は台所の戸棚である。台所用とわかっているはずである。戸をあけたら、棚が全くない。高さ70cmのスペースがあるだけである。ここに何をしまうのであろうか?普通は皿とかコップとか入れる場所である。70cmの高さに皿を積み上げろというのか?というわけで、明日、嘘つき社長のところへ文句を言いに行く。残金の250YTLを払わないでおいてよかった。パターンとして、こんな問題が起きそうだったから、確認するまで残金を払わないようにしたんだけど、まさに正解。怒っているというよりは、笑ってしまった。やっぱりこんなもんだよな・・・って。
2005年05月17日
カロリーフェル(セントラルヒーティング)を迷ったあげく(本当に迷ったか!?)、先週取り付け工事をしてもらった。面積190平方メートルのうち、170平方メートルのスペースを暖めるために、パネル7つ。費用は3350YTL(今日のレートで約27万円)。今日、支払いをしに行ったときに、ところで使い方はどうなっているの?と聞いてみた。暑いから使うわけにはいかないのだけど、使い方知らないと困るもんね。で担当から言われたのが、カロリーフェルを使う時期になったら、係りのものが伺って説明するからご心配なく、ということ。そうだね、今から聞いたところで忘れるだろうし、試運転してみないことにはどうしようもない。結局軽油使用の大きなモーターのものにした。パネルもホテルなどで見るよりかなりデカイ。燃料タンクは場所にあわせて三角形ののっぽのものを作ってもらった。容量は予定の半分の270リットルだけど、場所をとらないのですっきり収まった。都市ガスが引かれたら、モーターとタンクは廃棄だけど、そのときはそのとき・・・って。アンタルヤに夏が本格的にやってきた。人が集まれば、暑いねえ、今年は特別暑くなるらしいよ・・・・などとご挨拶。確かに飯を食ったり、冷たいものを飲んだ瞬間、汗が出る。こういうときには熱いチャイがいいのだろうね。でもチャイを飲む量は自然と減ってくる。
2005年05月16日
ボドルムはエーゲ海沿いの小さな町であり、トルコ人外国人に人気のリゾート地である。ボドルムはボドルム・・・・。という言い方をされる。エーゲ海、地中海のリゾート地は星の数ほどあるのだが、ボドルムに代わる場所は他にはない、という意味である。リゾート地嫌いの私も、ボドルムに限り、同感である。週末、ボドルムに1泊してきた。我が家3人と、アドナンと中華料理屋のオーナー・ペリンと5人。ペリンは大学に入るまで、ボドルムで4年間暮らしていた。私も10年以上前になるが1年間ボドルムに家を借りていたことがある。不思議な町である。アンタルヤから山ルートで飛ばして約7時間。到着したのが夜中の12時過ぎだったが、町には原宿の通りと同じぐらいの人が歩いている。店も開いている。ビーチサイドのバーはこの時期でも満席で、夜中にウロウロしていても危険なイメージはないし、変な言い方だけど夜遊びが健康的である。バーでビールを飲み、2時にペンションに戻ったが、その時間でも人がたくさん。バーとか、ディスコが身近で、気軽に行けるものだと認識したのがボドルム生活の中でだった.町の大きさがちょうどいいのか、小さい場所に全てが収まっているからか、海沿いに平地で全てが並んでいるからか、クルマが進入禁止の場所がはっきりしているからか・・・・・。それを考えるとアンタルヤのカレイチは観光しにくい環境であると思う。アンタルヤという土地を指す場合、アンタルヤの中心地だけでなく、遠く離れたリゾート村も指すし、観光ポイントの都市遺跡などは20~40、50キロと離れているし、カレイチのショップやレストランは点でバラバラにはあるので、見て歩く楽しみが少ないし、クルマは道路をふさいでいるし、カレイチはすり鉢状で道に迷いやすい。カレイチの商人たちが、自分だけよければいい、一緒に何かやろう、盛り上げようという意識のなさも大きな問題であると思う。カレイチでトータル5年ほど住んだけど、夜遊びをしたり、散歩をする気にあまりなれなかった。観光シーズンに入ったボドルムへ行って、久しぶりに夜のそぞろ歩きが楽しいと思ったし、住んでいたころの環境を懐かしく思ったりもした。整備されて変わっていたし、観光地ならではの卑しい人もいる。でもボドルムはボドルムだなあ・・・・って思った。だけどね、ふと思ったのは、ボドルムでの生活は懐かしいし、楽しかったけど、別にあのころに戻りたいと思わない。それは今が一番幸せだと感じているからだと思う。ミフリ社長のいいところ(誰も言ってくれないから、自分で言う)・・・・どの年齢でもやりたいことをして、いいこと、悪いこと、いろいろ体験し、あの時に戻りたい、やり直せたらなあ。と思ったことがないこと。20歳のときも、30歳のときも、若かったし、仕事もあったし、経済的にも恵まれていたし、ボーイフレンドも友人もいて、それぞれ幸せだった。でも41歳の今、辛い思い、悲しい思いをしながらもいろいろあって、お金はないし、靴下に穴はあいているし、睡眠時間3時間以下だけど、トルコで絨毯屋を続けられ、夫と子供がいる今が一番であると思える。50歳になったときも、60歳になったときも「今が一番幸せ」と思えることが人生の目標であり、そういう自分でいたいと思う。ボドルムはボドルム・・・・。41歳の私は41歳の私・・・他に代わるものはないのである。ボドルムでそんなことを感じた夜であった。
2005年05月15日
なぜ日本の女性たちはトルコへ来るのか・・・・。このことを考えながら10年以上が経ってしまった。(本当に考えていたのか!?)最近わかりかけてきたことがある。(それは遅すぎるというものである)私自身を含めての話であるが、その多くは日本で得られなかった「何か」を求めに来ているのかもしれない。それは人間らしい生活環境かもしれない。密で温かな人間関係かもしれない。親日国での選民意識を持てる立場かもしれない。子育てに恵まれた環境かもしれない。広くて格安な住環境かもしれない。日本の男性にないトルコ人男性の紳士的態度かもしれない。情熱的な男女関係かもしれない。ここでなら何かできるかもしれないという期待かもしれない。そしてそれが日本の生活からの一時的な逃げなのか、それとも本物なのか。逃げが本物になってしまうのか・・・。それは当人次第であろう。外国で地に足をつけて暮らしていくことは、簡単そうで、実は簡単ではないことだと思う。異文化への戸惑いと期待と失望、試行錯誤の連続。考えすぎてもできないこと、でも考えなくてはいけないこと。現実世界と違う世界での一時的な夢の生活でも構わないと思う。でも夢はいつか覚めるし、現実世界へ戻る瞬間がある。でも夢の世界でも生き続けなければならない人たちもいる。トルコ人も人間であり、複雑で繊細な感情の持ち主である。そして彼らの現実世界はココである。いったい何が言いたいのかと言うと、できることなら、トルコへ来た人たちに後悔しない、幸せな時間を過ごして欲しいと、心から願っているということ・・・。もうひとつ、できることなら、再びこの地を訪れることができる人間関係と環境を残していってほしいということ・・・・。もちろん二度と訪れないから、ケツは拭いていかないというのも、ひとつの選択であるけど・・・・。実際にそうした人もいると思うけど・・・。またまた説教ババアになってしまった・・・・。(毎度のことである)
2005年05月13日
アンタルヤで暮らすなかで、出会った人である。冬のアンタルヤを愛し、1か月、2か月と滞在され、ときにはお一人で、ときには奥様と一緒であった。レディーフレンドの一人に加えてもらったこと、豪快な笑い声、トルコに対する熱い思いを語るときの表情・・・・思い出しては、すぐに飛んで行けないことを悲しく思う。賀幾美妹上梓少婦多情異俗親縦横遍歴意常新今成一巻披存念興趣無双肯万人少婦多情 異俗に親しみ縦横の遍歴 意常に新なり今一巻を成して存念を披(ひら)けば興趣無双 万人を肯(うなづ)かしむ平成10年1月にアンタルヤでいただいた先生の漢詩である。最後にお会いしたのはトルコ年のデパートの催事でだから2年前のことになる。名前を出しても構わないだろう。トルコ関係では知る人も多いことだろう。トルコ関係の本、寄稿など多数、鎌倉在住の赤松順太さんである。イスタンブル在住のマダムKさんからの電話で先生の訃報を知った。別のお友達からも先生のことを聞いて、今年の夏に帰国したら、必ず会いに行こうと思っていただけに、残念でたまらない。プライベートでもいろいろ心配をかけ、また助けていただき、それなのに時間に追われる生活で不義理ばかり。アンタルヤ滞在中に、もしくは日本で赤松先生にお世話になったみなさまへ、先生の訃報をお知らせするとともに、先生の愛したアンタルヤの空の下から、先生のご冥福をお祈り申し上げます。
2005年05月10日
絨毯屋の店というのはいつも開いているものと思うでしょ?我がミフリはいったいいつ開いているのか、社長の私でさえわからないし、それでどうやって仕事をしているのか不思議である。1つに地方周りの周期が早すぎ。1か月にいったい何日地方や村へ行っていることか。留守が多くて店を借りる必要がないじゃないか、とも思ったり。2つに外周りが多すぎ。せっかくアンタルヤにいても、店にじっと留まれる時間が少ない。用事でお役所周り、公証役場、税関、弁護士、税理士事務所、どこ、そこ、あそこ・・・と、忙しい。留守番がいれば問題ないのだろうが、そこは中小、いやいや極小企業の悲しいところ。人件費は社員一人が精一杯である。店にいても看板を出し忘れる。外に出ないで中でジットしている。最近は暑いから、外で座る気にもならない。絨毯屋なんだけど、最近多いのが人生相談。実はコーヒー占いがよく当たると評判になってしまい、トルコ人、日本人問わずコーヒー占いにかこつけ、悩み相談室の時間が始まる。村へ行くと、誰となくトルココーヒーを入れてきて、目配せで占いを催促される。一人に始めると、次の人、次の人・・・・。別室に呼ばれて、すごく真剣な話を相談されることもある。いくらミフリ社長でも占いなんてわかるわけない。それでもなぜか喜ばれる。いっそのこと、お金でもいただけるよう商売替えをしたほうがいいぐらい・・・!?(しないけど・・・)いよいよ夏シーズン。暑さとの戦いが始まる。絨毯とかキリム、ってウールなんだよ。本当は売っているのにこんなこと言っちゃいけないのだろうけど、暑苦しい、持ち上げるだけで汗をかいてしまう。夏は涼しいところでさわやかに過ごしたいものである。本当に商売する気があるのか、そのうち、このテーマで考えたいと思う。
2005年05月10日
久しぶりに週末2連休をとった。キリムの修復の作業が残っていて、本当は休んでいられないのだが、お役所関係の仕事はできないので、思い切ってアドナンにも休んでもらうことにした。それで引越し以来、まだ終わっていない家の片付けでもしようかと思ったのだけど、来週頭にセントラルヒーティングの設置と、子供部屋の家具の設置に来るのでそれまで片付けはお預け。で、テレビとビデオ三昧。お友達が遊びに来たので、特命係長を3本一気見して夕方になった。メールのお返事を書いたら、とくにすることもないので、風呂につかり、食ってはゴロゴロ。毎日がこれだとつらいかもしれないけど、たまのことだと、かなり幸せである。
2005年05月08日
クルマの購入やら、引越しでの電話の移転で、商工会議所に登録している弊社の職種内容などを改めて見る機会があり、つい笑ってしまったが・・・。弊社はキリム、絨毯、手工芸品、その他雑貨、その修復というのがメインであるが、プラス野菜、果物、ドライフルーツ、植物、花卉、加工食品などの生産と輸出入という項目も持っている。野菜でも作るか・・・せっかく項目にあるのだから・・・って。最近、さつまいもとハニーバンタム系のとうもろこしでも個人用に作って食べるかな、なんて思っていたら、とある人から中国野菜の生産を持ちかけられた。実は私、農学部出身である。といっても農業系ではなく、土木系の学科で、しかも卒業後は無関係の出版業界で働いていたものだから知識も技術も経験もない。とうもろこしぐらいなら、大学寮の花壇で作ったことがあるよ、ってぐらいである。だから農学部卒を期待されても困るのだけど、畑は将来やってみたいことのひとつであるから興味はある。聞くと、農地はずいぶん安いし、小屋つきですぐ畑と温室を使える土地がある。そこで売るためではなく、自分のための畑というのは楽しそうである。絨毯、キリムは趣味として続け、畑で働きながら、日が暮れたら眠る。そんなことをまた考え始めている・・・・忙しさのピークを越えて、怠け病が出てきたみたいである。忙しくしているのもわるくない。でものんびりしつつ、いろんな無駄なことを考えて、チャイを飲んでは、どうでもいい話をする時間がやはり恋しい。でも実際は畑仕事なんてはじめたら、規模が小さいだけに大変なんだろうな、と思うし、毎日のことだから気分次第でぶらぶらできるわけではなくなる。それでも土をいじる時間があること・・・・ちょっと憧れてしまう。今年は織り機に縦糸を張る時間も気持ちの余裕もないほど、忙しい。ピンクの織り機はかわいそうに、倉庫の一番奥に置かれたままである。
2005年05月07日
衝動買い第2弾。それはクルマ。昨日衝動的にクルマ屋に見に行って、FIATのドブロを買うつもりだったけど、あまりにもの評判の悪さにやめて、今日はプジョーにまっしぐら。ワーゲンはクルマとしては欲しいのだけど電話で値段を聞いて、あきらめた。でプジョーのパートナーを買ってきた。商談は早かった。ものの5分。先日、レンタカーで借りて乗ったのと同型だったので、試乗の必要もないし、簡単に言ってしまえば、選択の余地がなかった。社用車なので荷物が詰めて、ディーゼルで、30000YTL以下(250万円以下)。5人乗りでもいいけど、車幅が広目でゆったり席であること。26000YTL(約220万円)。昨年聞いた価格とあまり変わらないと思ったら、キャンペーンで価格が下がっていたので(FIATのドブロと同じ値段なので)即決した。話は変わって・・・テレビのアンテナをつないでいなかったので、こちらは大きなアンテナをあげた。JSTV(NHK)の無料放送分が見れるようになった。日本の他の放送が見れるようにするにはどうしたらいいのだろう?どなたかご存知でしたら教えてください。以上で今年のお買い物はおしまい。お金もすっきりなくなりました。ああ、気持ちもすっきり。お金は遣うために存在するものであるから、なきゃなくても困らないけど、あったらあるだけ遣うのがミフリ社長の主義!?。こんな買い物する前に、穴のあいた靴下と、サンダル履きをなんとかしろ・・・って言われそうである。
2005年05月05日
アンタルヤで滞在している日本人のお友達Aは、日本から持ってきたカード式の高価なケイタイを使っていた。カードだけはトルコのプリペイドカード。さて、このケイタイが歩いている途中、カバンから盗まれてしまった。直前に道端でリュックのポケットに入れたというので、それを目撃され、狙われてしまったのだと思う。その前にもトメルに通う日本人の別のお友達が、コートのポケットからケイタイをすられてしまうという事件もあった。いつ盗られたのかわからず、道で故意にぶつかってきた人がいたので、それとグルになっている人に盗られたのだろうという。トルコにいると普段の生活が安全なので、うっかり油断してしまうけど、最近はなんだか事件が多くて、警戒しなくちゃ、とも思っている。さてそれはおいておくとして。友人Aの不運は続いた。ケイタイがなくなってしまったので、日本の家族にケイタイ電話をEMSで送ってもらった。住所は私の店宛で私の名前宛になっていたので、郵便局にも私が受け取りに行くことになった。その前にEMSで送られたはずなのに、3週間近くたっても送られてこない。それでこちらから問い合わせをしたら、税関の職員が面会したいというのでぜひ来て欲しい・・・と言われた。Aの話によると、ケイタイのほかに、ブランド品の腕時計、サングラスなども入っているという。しかもクレジットカードも・・・。これはやばいなあ・・・と感じていた。やばいなあ・・・の内容は、関税をかけられるか、途中で盗まれてしまうか、である。予感はあたって後者であった。まず郵便の箱が一部壊され、そこから手を入れて、中にあったリュックの底をナイフのようなもので切られ、ケイタイの箱が壊されてケイタイ本体とCD、腕時計がまるごと盗られていた。クレジットカードはケイタイの説明書の間にあったので無事だったけど、ケイタイの箱ごと盗られていたら、それもなかったわけである。内部の犯行であると予想される。郵便局では日本からイスタンブルの間で行われたと主張する。日本でかもしれない・と言われたけど、トルコでなら売れるけど、日本でケイタイを盗む人はいるのだろうか? そんな疑問がわく。アンタルヤの簡易通関では、とにかくアンタルヤで起きた事件でないことを繰り返し言うだけであったが、あとは持ち主のAに説明して、発送元の日本に届けて、調べてもらうなり、保証してもらうなりするしかなかった。(アンタルヤでも届出をすることはできるけど、日本へ知らせた方が早いのである)この事件でアンタルヤの郵便局員、税関職員が言うには、箱の表に中身を記載するところに、ケイタイとか腕時計とか書いたのがよくなかったね、と言われた。見られて狙われてしまったのだと。それに関しては同じ意見だが、では書かなかったら、紛失したときに保証の対象にされないということも考えられる。こればかりは運であるので、書いたほうがいいか、書かないほうがいいか・・・・なんともいえないけど・・・・・。ケイタイをトルコで盗まれ、その代わりに送ってもらったケイタイも盗られ、これに関しては郵便局員たちはずいぶん同情してくれたし、彼女のトルコのイメージが悪くならなければいいけど、と心配もしれくれた。というわけでAは3台目のケイタイはトルコで買うことになった。それにつきあいつつ、私も衝動的に3年ぶりにケイタイを買うことにした。現金を持っていると、使い切るまでとまらない私の性分である。実は今日、これまた衝動的にクルマを見にいって、買ってしまいそうになった。というか、在庫があれば確実に買っていた。パリオ君も下取りで思ったよりいい値段でとってくれるというので、それもいいかと思ってしまったのである。今度のは荷物を大目に載せられるタイプ。FIATか、プジョーか、ワーゲンで考えているけど、FIATはみんなにやめろと止められる。タクシーなどでも使われている7人乗りタイプで、34000TL(約280万円)。同じ型で5人乗りだと26000TL(約220万円)。ワーゲンで同じ型のがあって、走行時の安定性などを考えればもちろんそれが欲しい。でもFIATよりは高いはずである。パリオ君の下取りは、事故なし目立つ傷なし5年落ちで11500TL(約95万円)。新車で買ったときが11000ドルで当時約130万円ぐらいだった記憶があるので、5年乗って、それなら今が買い替え時かな・・・と。昨年の夏に買い換えていれば下取り価格が15000TL(約125万円)だったので、もっとお得だったけど。インフレのある国は、こんなことで得したり、損したり、先が読めないので、それがおもしろかったり、不安だったり・・・・。と話がズレた。
2005年05月05日
コンヤの山の方で雪が降ったという話を聞いた。アンタルヤも今日はなんだか寒い。昨日はMちゃんが散歩中にカレイチのそばでダンボール箱に入った不審物が爆発して、すわ爆弾か!? という音を聞いたらしい。・・・が今日のニュースでは爆弾ではなかったと・・・・。税理士と面会し、いくつかの内容についてお勉強会。昨年からインフレ率を計算に含む特殊な会計をしなければならないため、いろいろ面倒がある。在庫管理も面倒になった。バーコードの導入でもしないと追いつかないけど、それも面倒。不動産屋と会う。明日弁護士と面会し、書類の制作をするため。子供部屋の家具を見たけど、有名メーカーの店へ行き、あまりにも高さにショックを受ける。そのショックがあったから、他のどこの店で見ても安く感じてしまう。結局オーダーをし、タンス、本棚、勉強机、台所の食器戸棚を作ってもらうことにした。おまけにアイロン台を無理矢理つけてもらった。それでも有名メーカーのタンス、本棚、勉強机の3点の合計額の半額以下。これでも実は高いと思うけど、比較の問題と、最近の支出額から、お金の感覚が麻痺して、どうでもいい、って買い物している。このままいくと、クルマも買い換えてしまいそうな勢いでコワイ。ワーゲンのワンボックスか、プジョーのディーゼルカーが候補。家の片付けは実は完了していない。忙しくてダンボール箱をまだ開けていなかったり・・・・。1か月後もきっとこのまま・・・。今年は7月1日から25日までの間に、都内、宇都宮、横浜と催事のため帰国。みなさま、どこかでお会いできたらうれしいです。お土産は梱包用のガムテープをお願いいたします。100円ショップのじゃなくて、ホームセンターで売っている150円とか200円ぐらいのが欲しいです。って、注文つけている・・・。それとお風呂用に小ぶりの足ふきマットとか・・・。台所用に細長いキッチンマットとか・・・。これがトルコじゃ意外と高くて種類が少ない・・・。ではおやすみなさい!
2005年05月03日
悩んでいます。寒い地方は暖房があって、当たり前。家の中はぬくぬく・・・。アンタルヤは中途半端に温かいものだから。そして寒い時期が短いものだから、暖房っていうのに、あまり気を遣っていない気がする。我が家も今までは電気ストーブとエアコンで問題なかったし、家の構造が夏は涼しく、冬は暖かいところが多かったので、暖房について考えることもなかった。が、今回はこれから夏だというのに、なぜか暖房のことを考えてしまっている。そして決断が下せない。ミフリ社長がこんなことで頭を悩ませるなんて・・・・。今度の家は東、西、北向きのアパートである。しかも普通のアパートより、ちょっと広め。だいたいアパートの床なんで足元から冷えてくるものだし、冬が短いとはいえ、寒さに凍えるのが目に見えている。家を買ったときから、どんなことがあっても、絶対、セントラルヒーティング(カトゥカロリーフェル)をつける、と決めていた。幸い、配管はされているので、パネルとモーターを設置してもらうだけなんだけど、ここで問題が・・・。アンタルヤは現在はプロパンガス。ところがみなが口を揃えて2年後には都市ガスが引かれる、というのである。となるとセントラルヒーティングシステムも安い都市ガスに移行するわけで、現在のプロパンガス用のコンビ、軽油用のカロリーフェルは、そのままでは使えなくなるってことである。コンビはガスだから、ちょっとお金をかけて部品を変えればそのまま継続できるだろうと思ったし、実際、そういわれるけど、カロリーフェルの大きな図体のモーターは都市ガスが引かれたら、全くの役立たずになる可能性が大・・・ってこと・・・なんだと思うわけである。かと言って、エアコンと電気ストーブで冬を越す自身はないなあ・・・なのである。ちなみにアンタルヤでの我が家で必要とされる暖房代は・・・。カトゥカロリーフェルは軽油で、1か月~1か月半で500リットル。約1000YTL(約8万円)。コンビならボンベ入りのガスを配達してもらい、1か月あたり8個。現在約2500円だから15000円(・・・違うよ、2500×8=2万円!)。・・・これは私はカトゥカロリーフェルを使用したことがないので、カロリーフェル屋に家に来てもらい測ってもらい、算出した数字だから、本当はもっと多かったりするかもとか、実際はそんなにかからないのかも・・・などと思ったりもする。エアコンと電気ストーブ2台を使っていた今年の冬の1か月あたりの電気代は約2万円・・・だった。ビル全体にカロリーフェルが入っていて、共同でもやしているところは月額50~80YTL(約4000~6500円)程度と聞いた。人に聞けば聞くほどわからなくなるのが現状で、ビルに入っているのは調整が効かないから、個人のカロリーフェルの方がいい、とか。個人のカロリーフェルは燃料代がかかるから、やめておいた方がいい、とか。設置するならコンビの方がいい、とか。いやいや薪ストーブをつかえ、とか。エアコンと電気ストーブで十分だ、とか。ところでカトゥカロリーフェルのお値段だが、寝室、アトリエ、子供部屋、サロン、台所、風呂につけてもらい、工事費込みで3350YTL(約27万円)。これで2年後に本当に都市ガスが引かれてしまったら、モーター分の約1500YTL(約12万円)が無駄になった上に、もう一度コンビ(約12万円)を購入しなければならない。そうは言いつつ、モーターなんて2年も使えば、それで元を取れるじゃないか、って考えもよぎる。・・・・もう何がどうトクで、何を購入すべきか、わからなくない。天邪鬼な私のことだから、結果、誰もがやめておけという、カトゥカロリーフェルを設置させるのだろうな・・・・と。・・・最近、仕事が多忙で、夏に向かうこの時期に暖房の心配をすることで現実逃避しているミフリ社長である。
2005年05月01日
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