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帰国して雨のない日を過ごしたけど、やっぱり梅雨でした。昨日は都内でも雨に降られ、今日も雨・・・。午後から雨があがる予報ですが、アンタルヤの夏は空が青いのだろうなあ・・などと思い出しながら、東京の雨空を眺めている。先日、東京タワーに上った。周囲のビルが高くなって、以前ほど高さを感じなくなっていた。晴れていたので、夜景はさすがきれいである。東京を一気に見渡せて、これで東京見学は終わり・・・!?あとは日光・那須、鎌倉、浅草観光、近場ではディズニーランド、葛西の水族館と観覧車にでも観光に行こうかと思っている。・・・って。一体いついけるのだろうか? でも行こうとしないと、いつものごとく何もできない日本滞在になってしまうから、今回はちょっと頑張る。
2005年06月30日
ただいま~!インターネットにつなぎました。いま、日本です。着いた日は食事に行ったり、少しゆっくりできたけど、翌日からは朝夕、都内まで通勤したり、打ち合わせにいったりしています。以前は通勤電車に乗っていたのに、トルコモードの身体には電車に揺られる往復2時間がかなりつらい。まあ、そのうち慣れるでしょう・・・。では今日はここまで。
2005年06月27日
もうすぐ帰国。暑いアンタルヤから抜け出して、やはり暑くて梅雨シーズンの日本へ一時帰る。で、荷物はまだなにも用意していないし、月末〆の原稿を夫も私も書いていない。ギリギリにならないとやらない根性は、生まれつきなので仕方がない。(一応夫婦ともギリギリでしたが書きましたのでご安心ください!)飛行機の移動は1日なんだけど、その後、仕事でゆっくりする間もないので、インターネットはしばらくつなげそうもない。早くて7月1日、遅くて7月4日にメールの返信ができるようになると思う。だから急ぎの用事の方は明日までにメールいれてね。7月1日(金)から3日(日)の3日間 東急・田園都市線の駒沢大学から徒歩7分の伊佐ホームズ株式会社様の駒沢住宅・ギャラリーでキリム展を開催。絨毯、キリム、雑貨類の販売します。目黒区東が丘2-13-25 お問い合わせ TEL03-5712-5513(伊佐ホームズ) 11~17時。ミフリ社長は3日間時間内はいる予定。http://www.isahomes.co.jp/こちらはミフリの展示会じゃないのだけど、お友達の展示・販売会をちょっと手伝いに行ってきます。ミフリ社長は正午から15時ぐらいまでいます。6月25日(土)、26日(日)、27日(月)、29日(水)。元麻布ギャラリー 港区元麻布3-12-3 TEL 03-3796-5564(元麻布ギャラリー)http://www.shotoku-s.com/gallery/ではではみなさんお元気で! 日記も1週間ほどお休みです。日本でお会いできる方は楽しみにしております。催事にはアポなしで構いませんので、お気軽にチャイでも飲みに来てくださいね。鹿沼の店は6月27日ごろから斎藤店長がいますので、そちらへもどうぞ!
2005年06月21日
トルコでは日本人でも自分名義で不動産を持てる。外国人には制限しようとか、なんとか言う話もあったりしたけど、現在は買えるのである。日本人は以前は制限があったが、昨年だったかAランク入りしたおかげで、かなり簡単になった。それまではトルコで不動産を買う理由が必要であった。それで大変苦労して名義をとったこともあった。でも今はトルコ在住者以外でも購入できる。(ただし、いつ在住者以外が購入できなくなるかわからないけど・・・)そしてその不動産を理由に、正式な滞在許可を取ることもできる。そうすれば、就労、就学、トルコ人との結婚とは無関係に滞在する許可を得ることができる・・・・とはうちの弁護士の話。将来、会社をつぶしても、就労ビザをとらなくても、自分名義の家があればトルコに住めるってこと・・・。それが一番いいかも・・・なんて最近思ったりしているわけである。外国人の場合、買う場所が問題になる場合がある。どういうことかというと、軍事施設に近いと制限されることがあり、許可は軍隊の指令本部(訳が正しいかどうかわからないけど、他に訳し方がわかりません)からもらうことになる。これに2週間~3か月ほどかかる。普通は売り手はこの期間を待つことはできないので、先にお金を払い、買い主は指令本部から許可がおりるまでの期間を、いくつかの方法でブロックしなければならない。不動産は登記をしなければ、その人のものではないわけである。許可がおりるまでは前の売主のものであるし、悪意のある人で、お金は受け取った、でも名義がそのままなら別の第3者に売ることも合法でできる。公証役場で誓約書を書く場合もあるけど、これでは売り主がこっそりキャンセルしたらどうにもならない。一番安心なのが、弁護士を入れた状態で、お金を払う前にブロックする書類を銀行を交えて製作することが考えられる。これが相手が詐欺師でも裁判で守れる確率が高い。でももちろん相手が詐欺師なら100%というわけにはいかないし、この方法をとらせないだろう。だいたい弁護士のところで書類にサインをしたがらない輩はあやしいから取引しないけど・・・・・。指令本部からの許可がおりれば、あとはパスポートのトルコ語訳とそれを公証役場で書類にしたもの、顔写真2枚を持って、登記所に行くだけである。登記自体は書類に問題がなければすぐにできるけど、役人がたまった書類を前にイライラしてとにかく仕事をしてくれない。自分でもできることだけど、市役所、軍隊、登記所へ行ったり来たり、面倒なので私は1万円ぐらいで代行業の人に頼んでしまった。あとは報告を待つだけである。・・・とはアンタルヤで日本人が家を購入するときの例。他の地域ではどうなっているか、私にはわかりません。実はもうすぐ帰国。この不動産の件についての続きはこれから購入を考えている人もいて、リクエストがあるためトルコへ戻ってきてから詳しくお知らせしたいと思います。
2005年06月20日
温度と湿度、さらに虫の繁殖期であるため、この時期、絨毯屋としてかならずやることがある。それは殺虫剤と防虫剤の散布である。自分たちでやるわけじゃない。業者を呼んでやってもらうのである。でももちろん立ち会わなきゃいけないし、ちゃんとやってもらうためには手伝いもする。絨毯、キリムの主な素材はウール。ウールは手入れをしないと虫がつく。虫にウールを食われたら、細かいけど修復が大変だし、それよりなによい絨毯、キリムそのものに害があるわけである、わが社も絨毯、キリムを扱うので、それはそれは気をつかう。自分のことにはちっとも気を遣わないミフリ社長であるが、絨毯、キリムのためなら昼夜問わず、お金も問わないのである(・・・意味不明)。わが社のショップの絨毯、キリムは古いものがほとんである。私がかならずすることは、外から来た絨毯、キリムはまずクリーニングに出すことである。殺虫・防虫効果のある薬入りの水で洗ってもらい、それからじゃないと店に入れない。・・・いままで虫に気をつかって来た日々が、たった1枚の虫つきキリムで店の商品すべてがダメになってしまう可能性があるからである。この方法で洗った商品は3~6か月ほどの防虫効果がある。それでも空中から何が飛んでくるかわからないし、ウール商品があれば危険と背中合わせ。だから年に2回、全ての商品に薬を散布してもらうのである。現在の店は新しい店なので、古い材木に虫がついていることはないが、古い家屋を店にしているところは店の天井から、屋根裏から木の柱から全てに気をつかう。トルコでウールを食う虫は大きく2種で、ガの一種の幼虫、毛だらけの小さな飛ばない虫である。ガは卵を産み付けると、成虫が飛び回るまでウールの被害がわからない。毛だらけの虫はいい糸の染めのないものだけを食べるので、注意を要する商品は限定される。いまのところ、虫らしいものは見当たらないけど、友人たちがよそで買ってきたものを店に置いたりすることがないわけではないので、今年も帰国前に1枚1枚、散布した。ウールの糸など虫がタマゴを産んだら悲惨であるし、ウール、シルク素材のものはあるもの全てに散布する。保管のときにナフタリンをつかうが、これは虫が逃げるだけで、殺虫効果はほとんどないらしい。よく絨毯、キリムには虫がつかないと説明する絨毯屋がいると思うが、手入れを怠ると虫はもちろん発生する。新作の油がまじった機械紡ぎの糸はまずいらしく、危険度は低いのは確かである。ウールのセーター、シルクの着物を虫が食うのと全く同じ条件である。では個人で使う場合、どうしたらよいかというと、とにかく風通しをよくする、日光消毒する、しまいっぱなしにしない。保管するときはナフタリンを入れる。虫にも好みがあるから、全てのウール糸を食うわけではないが、どれを食うのかは食われてみないとわからないだろう。と書いてみたものの、家庭で使っている分にはこういうリスクは実は少ない。でも店となると別である。それでもトルコのように、絨毯、キリムのクリーニングが身近で格安なら、気軽に出せるので問題はそんなにないんだけど・・・・。休日の日曜日。手袋とマスクをして、朝から作業。社長の私は、外で待機。これだけウール商品をかかえながら、薬の散布をする絨毯屋はあまり多くない。4000~10000円ほどのお金をケチっているのである。ああ、文章にしただけで、身体がかゆくなってきた・・・・。と、普段大雑把なクセに、虫には敏感なミフリ社長であった。
2005年06月19日
って思ったのだけど、アンタルヤは昨日から暑く、外にでるのも苦痛な状態。どんなときでも、食いしん坊のミフリ社長が、食べ物が喉を通らないというのだから、かなりのものである。だから日本へ帰ったら、あれ食おう、これ食おうという気持ちがおきらない。そうめんでも買い込んでトルコへ戻ろうか、って考えたけど、アンタルヤでホテル向けの食材屋で日本のそうめんが手に入ったりするんですなあ・・・これが。まあ、みなさまには寿司でもおごってもらいましょう。(この暑いときに!?)今回、都内の催事は7月1日から3日までの駒沢だけなので、雨がゴウゴウ降っているようですが、どうぞ遊びにいらしてください。チャイでもいれてお待ちしております。弊社のホームページにも掲載しますが、案内ハガキを送れ! という方は私書箱にハガキの送り先でもいれておいてください。帰国次第お送りします。秋以降にキリム織り、仕入れなどにいらっしゃる方もお時間があれば、打ち合わせを兼ねてどうぞおこしください。買い物じゃなくて、キリムのことトルコ滞在のこと、話を聞きたい、聞いてもらいたいという方も遠慮なくどうぞ。
2005年06月17日
前述の日本人の友人がいよいよ日本へ帰る。今日は朝から彼女のアパートの荷物の整理を手伝いにいった。ついでに必要なものを引き取ったり、公安に引き取ってもらうものを分けたり・・・。引越し当日でも何もしない私と違って、彼女はきれいに分別し、しかも梱包済み。実際は私たちが何もすることがない状態に片付いていた。さて、元私の預け物である長いすとテレビを私が引き取ることにして、お金になりそうな家具・家電の処分に近所のリサイクルショップの人を呼んだ。彼女の話ではまだ新しい冷蔵庫と洗濯機を400YTL(約32000円)で買い取ってくれるという話であった。新品でその倍はするものであるが、まあそれで買い取ってくれるならいいか・・・と口を出さずにいた。ところがリサイクルショップの夫婦、友人が今日、バスに乗ることを知ると「300YTL(約25000円)なら買い取る」と急に話を変えてきた。「400YTLって言ったのに・・・!?」と反論しても、そのときはそう言ったかもしれないけど、今は300YTLだと言う。あと数時間で家を出ることだし、それでもOKするだろうと見込んでそんなことを言ってきたのである。私たちも友人もそのやり方に不快感を抱いて、とりあえず、あとで考えてから連絡するといったん彼らを帰した。友人はお金の問題でなく、足元を見て、急に約束を変えたことに怒っていたし、私たちも同じだった。冷蔵庫も洗濯機も日本人ならではに、きれいに使用しているし、それなら私たちが買って、次に来る日本人の友人のために保管しておいてもいいや、と思って私がそれを口にした。「私がお金を払うよ。いくら払ったらいい?」彼女はとりあえずの必要経費で200YTL(約16000円)もらえればいい、と答えた。それを聞いた大家さんは、200YTLなら私たちが買い取るわ、と言い出し、私の出る幕はなくなったが、200YTLなら何も迷うことはない。リサイクルショップの人に残りの家具類を引き取ってもらうことにしたが、ほぼ新品のダブルベットマット、ベットの枠、鏡台、タンス、テレビ台、ソファーセットの1人用椅子2点、アンテナ、掃除機で75YTL(約6200円)。このうち鏡台は同じリサイクルショップから50YTL(約4200円)で買ったものであった。本当に倉庫があったら、アンタルヤでの生活を考える人にそのままとっておけたらなあ・・・という金額であったが、仕方がない。ちなみにトルコでは、以前に比べてずいぶん安くなったとはいえ、家電製品は高い。日本の安売り店に比べてもなんでこんな値段でこれを買わなきゃいけないのか、というぐらい高価である。トルコと日本の一般的な月給の差を考えるとますますそう思う。トルコで約11年前に買った洗濯機は約90000円した。これは当時の1か月の最低金銀の約7~8か月分の価格だったと記憶している。1年前に買った洗濯機はメーカーの一番安いもので約32000円だった。これは現在の最低賃金の約1か月分である。トルコは全体の物価は日本よりは安い。でもモノによっては日本よりずっと高い。そしてこの数年はトルコリラが外貨に対して強くなっているため、実質値上げが続いている。最低賃金もそれに合わせて増えているといえ、物価はそれ以上の値上がりだと感じる。5,6年前にトルコを旅行された方は、現在のトルコがいかに高くなったかその差を体感するだろう。トルコリラの桁の問題でなく、外貨に換算したときの価格が問題である。バックパッカーがトルコに少なくなった理由もそのあたりにあると思う。たしかに便利で何でもある国になってきた。でも安く滞在できるとか、安く観光できるとか、安く買い物ができるとかという得点は前ほどないし、貧乏旅行を目指す人には魅力がなくなったのだろうな、と思う。あとはトルコらしさ、トルコの魅力で戦うしかないわけだけど・・・・。頑張れ! トルコ。
2005年06月16日
友達宛のメールの内容ですが、なぜか配信不能になってしまうので、こちらに書きます。トルコ滞在のヒントにしてみてください。あくまで旅行者の延長上で中・長期滞在をされる方向けの参考情報ですので、就労、就学目的などの方はちゃんとビザを取ってくださいね。アンタルヤの夏の到来が今年は遅いようです。店でも家でもまだエアコンなしで生活できるほどの余裕です。トルコ生活自体はRも経験しているから、環境などはわかっていると思いますが、まず住むところですね。旦那さんと2人ですし、期間が長いのでアパートを借りるのがいいでしょう。不動産手数料が1か月間、光熱費の未払い防止のためにデポジットなど500ドルぐらい要求する大家もいますが、基本的には敷金、礼金の類はありません。アンタルヤの場合、家賃は家具なしで30000円前後からと考えたらいいと思います。最低の家具、電化製品を買って生活できます。家具つきは結構高く、60000円~という相場。古い家具つきでデポジットが何百ドルとかで、あとで壊した、なんのと返してくれない例もあるようです。光熱費はガスが2000円、水道が1500円、電気が2000円ぐらいと計算したらいいと思います。エアコン、ストーブなどを使う季節はそれにいくらかプラスです。アンタルヤのトルコの会社で働いていたお友達が、来週、日本に引き上げるのですが、彼女が借りていたところは大家から直接借り、2LDKで家賃が300YTL(約25000円)。次に借りる人は30000円ぐらいになると思いますが、家はとてもきれいで台所なんか広いし、ほとんど新品。料理が楽しくなる台所です。面積は全部で150平方mはあると思います。2人暮らしには十分なスペースだと思います。カレイチやトメルまでもドルムシュで1本。ドルムシュは今、いくらで乗れるのでしょうか? 80円ぐらい?彼女は家具なしで借りて、私や友人たちがあげた家具とテレビ、あとは大きいものとして電化製品を冷蔵庫と洗濯機を買ったぐらいでした。その家具も私が引き取れるものは引き取りますが、ほとんどが公安に無料で引き取ってもらう予定です。家具などとっておけば、Rが使えるのになあ、なんて思っています。あとは市内やララ方面にアパートホテルというのがあります。月600ドル~ぐらいで、最低の設備と電化製品などはついています。自炊もできるようになっています。トメルは月3時間クラスが360ドル、4時間が480ドルで、本当かどうか確認しないとわかりませんが、トルコ人配偶者がいなくても、3、4か月分前納すると半額になるそうです。表立っては掲示していない内容ですが、こちらでトメルに通っていたTさんがそんな話をしていましたよ。そうなるとかなりお得ですね。ゆっくり田舎の暮らしを体験したいのなら、Aくんの村の家を借りるというのもいいかもしれません。3LDKで家具もあります。古い田舎の家ですが、改装してあるのできれいです。ただ何もない田舎ですので、退屈するかもしれません。それにキリムは習えないですよね。ここでは・・・。さてキリムを習うとしたら、Rの場合、一度習っていますから、とにかく織るしかないです。織り機で縦糸をはり、織り方は教えていきますが、基本的には以前やったことが理解できていれば、あとは作品を作っていくだけ。たまに村で染色やら糸紡ぎやら、私の出張に同行するなど、もしくはキリム以外のことをしたくなったら、手芸の先生に習いにいくなど、やる気さえあればすることはいくらでも出てくると思います。旅行者として長期滞在となると、3か月に一度、警察に滞在の延長ビザを発行してもらうか、国外に出ないといけません。地元の警察に3か月間の滞在期間が切れる直前にいき、申請書を出すと、通常3か月の延長をしてもらえます。1か月あたりのビザは約8000円、3か月であれば24000円ということですか・・・・。これも警察で2か月間延長したTさん情報です。そのお金を払うぐらいだったら、2人でコス島でもキプロスでもブルガリアでも旅行に行った方がいいかもしれません。旅費だけでビザ代はいりませんからね。それで自動的に3か月の延長になります。こちらで3か月以上の滞在をする日本人旅行者のために、警察に問い合わせることがありますが、「近いところでコス島かキプロスにでも行ってきてくれればいいよ」と言われます。キプロスなら飛行機も出ていますし。お金の保管対策ですが、東京三菱、みずほなどインターナショナルカードが使える銀行にお金をいれておいて、こちらで引き出したらいいです。アンタルヤならドゥシュ銀行で、1度に外貨で2000ユーロ、または2000ドルまで降ろすことができ、1回の手数料は210円です。もしくは直接アンタルヤへ入るようでしたら、現金を持ってきて、こちらの銀行に(最近はガランティ銀行がおすすめ)口座を作って入金しておくことです。トルコリラが強いので、外貨よりもトルコリラでの預金がいいかもしれません。利息つけるのなら。口座をあけるには税務署に行って、パスポートのコピーと申請書で納税番号をもらいます。それを持って銀行にいけば外国人でも口座を開くことができます。インターネットで送金もできるし、全国の支店で引き出すことができますので、便利です。こちらでの生活はどんなものになるのでしょう。朝起きて、朝食にフルンにパンを買いにいき、移動市に買い物にでかけたり、スーパーに行ったり、海に行ったり、町をブラブラしたり・・・。そんな感じで過ぎていくでしょう。そうそう夫がこれが難点だと言っているのが、画材、文具類が高くて質が悪いことです。これらは日本から揃えてくるほうがいいようです。もちろん日本画の材料はとなるとなおさらです。また日本からトルコへ荷物を送るときも、かならず税関で開けられて検査をされます。予想以上の関税をかけられることもあります。完全に個人使用というものならいいですけど、先日もある人の高級時計、携帯などが抜かれて無くなってしまいました。貴重品は送らないようにしてください。生活用品はこちらでも十分買えますので、特別必要ないでしょう。日本食より、新鮮で豊富な野菜類、フルーツをたっぷり食べるチャンスです。クルマも購入しなくても月貸しというのがあります。必要なら日借りしてもいいですしね。免許書はローマ字で書いてあるものなら、そのまま使えますが、日本の免許書は日本語で書いてありますので、1年未満の滞在なら日本で国外免許を発行してもらったらいいと思います。左ハンドルですし、市内は一方通行が多い上に、車線があってないようなものですが、郊外に出ると交通量がグンと減り、運転はラクチンです。クルマに乗れると行動範囲が広がります。こんな感じですか・・・・ね?細かいことでもいいです。また何か質問があったら連絡ください。
2005年06月13日
ご存知の方はご存知だと思いますが・・・・。ついでに書けば、ご存知でない方はご存知でないと思いますが・・・。8月中旬ごろまでミフリ社長は恒例の夏休み休暇をとらせていただきます。というわけでアンタルヤの店に間違ってミフリ社長に会いに来ないようにお願いいたします。お店に来ていただいても構いませんが、ミフリ社長は不在、日本にいますからね。リゾート地アンタルヤは夏こそかきいれどき、だと思うでしょ?そうなんです。夏仕事しないと収入が得られないというものです。アンタルヤで商売する意味がないというものです。でも7月8月は暑いのに加えて湿度が高いので、日中外を歩くと倒れてしまいそうになります。だから日が暮れかけるころからがそぞろ歩きの本番なんですが、就学前の子供を抱える母親であるミフリ社長は、夕方どんなに遅くとも7時には店を閉めていますので、夏は何もやることがないのです。・・・・なんて、暑いのに仕事場に出かけるのが面倒なだけなんだけど・・・・。日本の夏もクソ暑い。(失礼・・・!?)でもアンタルヤの夏に比べたら鹿沼の夏の方がマシかな・・・って。エアコンが効いている場所も日本の方が多いし・・・。日本では7月1日から3日まで都内で展示会。7月12日から17日まで宇都宮で展示会。7月20日から25日まで横浜で催事出店・・・予定です。もちろんその間、鹿沼のアクチェは営業します。加えて、トルコに家も買ったことだし、トルコでの仕事も忙しく、日本の店まで手が回らなくなりそうですので、今年の8月10日ごろまででアクチェを移転、現在の店を閉店させる予定でいます。事業所は残ります。よって今年の夏は移転一掃セールをします。とくに新しいキリムと雑貨類は片付けてしまいますので、個人のお客さまはもちろんですが、まとめて引き取ってもよいという業者さまがいたらお待ちしています!コンテナでまとめて送ったものですから、小ロッドでトルコから取り寄せるより安くあがると思います。キリム用の糸もあるだけですが、処分します。なぜかビーズとかもあります。ついだから8月中旬以降のミフリの予定を書いておきます。9月に入ってから、村での伝統的な草木染めを始めます。植物採集からやりますので、そのころに植物が採れるようになるからです。興味がある方はそのころどうそ。1色に2日を予定してください。それからキリム織り、絨毯織り、糸紡ぎ、縦糸はりなども涼しくなるころから始めます。研修に来られる方、ご希望の方は早めに日程などをお知らせしてください。今年は東部の村への長期訪問を計画しておりますので、その調整をしたいと思います。・・・・と一気にご報告。あ~疲れた。
2005年06月11日
実はもう一人、日本へ引き上げる日本人の友人がいる。彼女は2年半、日本と貿易をしているアンタルヤの会社に勤めていたが、会社がある場所がリゾート開発地区になってしまたため、会社自体の存続が不可能になったようである。その前の滞在期間もあり、トータル4年間トルコにいた彼女はトルコ語も英語も流暢で、トルコの生活習慣にも慣れており、ここでの職種と経験から、次の仕事を探すのはそう難しいことではなかったが、あえて日本へ引き上げる道を選んだ。会社から出してもらっていた就労ビザの都合もあって、急な帰国になった。私にとってはトルコでは数少ない日本人の友人であった。自分の足で立っている人だったので、私は彼女を尊敬していた。義理人情の厚い人である。人を裏切らない人である。それで日本人にもトルコ人にも好かれていたのだと思う。彼女が帰ってしまうことでますます短期旅行者やお客さん以外の日本人との接触がトルコではなくなってしまう。彼女の帰国に寂しさを感じずにはいられない。でもトルコに滞在することに意味をもてなくなったのであれば、帰国するという選択は正しいだろうし、30代半ば、まだまだ日本で何かをやっていける年齢である。このままダラダラとトルコにいて、何かを積み上げることなく、ただ歳だけとり、日本へ戻れなくなるよりはいいのかもしれない。トルコに夢を持つTさんと全く逆の立場であるが、帰れるものなら私も日本へ帰ってもいいと思わないわけではない。でも私の場合、40を過ぎ、ここで全ての足場を持ってしまい、日本で何かを新しく始めるのが面倒である。ズバリ言えば日本で私ができる仕事だってない・・・。トルコ好きにはいくつか段階があると思う。やみくもにトルコが好きで、トルコ人、トルコファン、トルコ関係の団体と積極的に接点を持ちたがる時期。しばらくするといろんなことを体験し、トルコ人にも日本人にも疑心暗鬼の時期。自分の足場が安定してくると、それを守ることを優先する時期。etc.etc.昨夜、彼女に招待されて私たち家族とMちゃんと、イスタンブルから遊びにきていたHちゃんと、アドナンとフセインと日本食パーティーに行ってきた。久しぶりに日本食らしい日本食を食べてみんな満足であったが、貸していたものを返してもらったり、日本食をもらったりしているうちに、ああ、彼女は本当に帰ってしまうのだな、と実感した。迎え入れ、見送り・・・・・。彼女の帰国まであと1週間ほどである。動揺せず普通にしていたい自分がいるけど、実は心境複雑でもあったりする。我が家の場合、日本でも商売をしているので、少なくとも年に2回は帰国するのでトルコに取り残されたという気持ちは昔ほどないにしても、私たちもこのままトルコにいていいのか・・・という疑問はいつでも出てくる。トルコ生活も10年をとっくに越えた。ここで一生を送るつもりのない私にとって、それに終止符を打つタイミングを計る時期も遠くはないのかも・・・・と思いつつ、たぶんそれは口だけで、やっぱり私はトルコに少なくともあと10年はいるのだろうな、とあきらめつつ・・・・・。
2005年06月09日
4か月間のアンタルヤ・トメル(語学学校でのトルコ語コース)での勉強を終え、Tさんが帰国する。朝6時半のバスで途中、ブルサの友人に立ち寄り、イスタンブルから日本へ飛ぶ。彼女は昨年の秋にキリム織り研修にきて、今年はトルコ語を勉強するために4か月間、トルコ人家庭にホームステイしながら、生活した。結果、トルコの一般的な生活に慣れ、トルコ語も初めて習ったとは思えないほど上達した。彼女自身が勉強熱心で、人との交流を望む性格であったことも、もちろんプラスになったと思う。いつの日か、またこの地へ戻り、トルコ語の勉強を続けること、そしてトルコでの生活を夢見る。お別れであるが、彼女がまたアンタルヤへ戻ってこれるために、さりげなく別れよう。またね、って。朝の6時に近所であるホームステイ先に行った。彼女とお別れするついでにバスターミナルまで送る約束をしていた。家に行くと、ホームステイ先のお母さんとお父さんが起きていたが、「このまま日本に帰るって本当か? ブルサに遊びに行って、またアンタルヤへ戻ってくるんじゃないのか?」と私に尋ねる。家族はTさんのフライトまでまだ4日あるので、戻ってくるのだと思い込んでいたようだ。そしてこれがお別れになると知って、驚き、突然のことに声も出ないというのが実際であった。すっかり娘として家族に受け入れられていたTさん。涙の別れとなった。とくにお父さんは直前まで笑おうとしていたのだが、耐えられなくて顔をくしゃくしゃにして泣き出した。この家の息子であるアドナンは事情を知っていたが、あとの家族はTさんが今朝行ってしまうことを知らなかったのである。私とアドナンでTさんをバスターミナルまで送り、もうすぐ帰国予定の私は彼女と日本で会う約束をして別れた。優しい家族と密に暮らした4か月のトルコ生活。Tさんに何を与え、何を考えさせたのか・・・。「またここに戻りたい」と言ってくれたその言葉に、私たちは大切な任務を終えたような気がしている。
2005年06月07日
某地方都市の中心地に布関係の問屋が集まっているビルがある。Sさん夫妻の探し求めているものがあるかもしれないと、そこを尋ねた。古いタイプの螺旋通路の建物で、そこが小さな店に区切られて8階まである。この地方で有名な生成りの布、テーブルクロス、クションカバー、ハマムのチェックの腰巻布、カーテン、レース、タオル、シルク製品、なんでも揃うし、こんなものもあったのか・・・と初めて目にするものも少なくない。さすが、地元だけに価格も安かった。小売もするが、ある程度まとまれば卸価格になる。同じものがアンタルヤの小売店でも売られているが、ここで買えば約半額。カーテンなど数がまとまるものはずいぶんトクになる計算である。・・・というわけでS夫妻と私の目の色が変わっていく。完全なショッピングモードである。しかも布関係は、キリム・絨毯と違い単価が安いものなので、山のように買ってもしれている。それは楽しい時間となった・・・・・。ところで、ショッピングモードに入る前に、一度何があるのか全店を下見することにした。8階までエレベーターで上り、螺旋通路を地下階まで下った。そのときになぜかほとんどの店が閉まっている。開いている店も留守番の女性がいるだけで、値段を聞いても「今、店主がいないからわからない・・・」という返事である。このビル内にある店は約80店舗。いったい店主たちはどこへ消えたのか・・・・。アンタルヤにいるとすっかり忘れてしまうけど、ちょうどイスラムの昼のお祈りの時間であったのだ。店主たちはみな、近くにあるモスクに出かけてしまっていて、留守であったのだ。この都市は保守的な人が多いことでも知られている。お祈りの時間になると、いっせいに男たちはモスクへと消えてしまうのである。ギリシャ領でお昼寝の時間がある。その時間になると店が閉まり、店主、店員たちは消えてしまう。シエスタである。観光客はその時間が終わるのをジッと待つしかないわけであるが、なんだかそれによく似た状況になった。しかし、地方都市でこれだけの店舗があるビル内で、かなりの確率で(ざっと見たところ95パーセントの人が)モスクに祈りに行くなんて、最近では見たことがなかったので、ちょっと驚いた。本当にアンタルヤにいると忘れる。でもなんだかイメージの中のトルコっぽくって、ちょっと感動。
2005年06月06日
新聞記者のフセインの写真が、アンタルヤ・ウスパルタ・ブルドゥル地区のマスコミ関連の団体の2004年コンクールで3位になった。知らせを受けたのは2週間ほど前のことであったが、その授賞式が昨日行われた。そこはアンタルヤの母親であるミフリ社長が、フセインの晴れ舞台を祝いにいかなければ・・・とアンタルヤに滞在する日本人計6人と出かけた。カレイチに近いビルの最上階の会場で、アンタルヤの県知事、各区長などお偉いさんがコメントをのべに来ていたせいで、報道関係者で隙間がないほど人が集まっていた。暑いわ、人集りで授賞式も何も見えないわ・・・・昨年の授賞式に比べたら、どういうわけか人が集まりすぎて、でもフセインのためだ、と窓からカレイチを眼下に望みながら時間が過ぎるのをジッと待った。「賞金がもらえるかも・・・・」と期待をしていたフセインだったが、賞状と記念のタテをもらって、でも報道陣に囲まれながらうれしそうであった。フセインが賞をもらった写真というのは、コワンルックの村の地下水プールに気持ちよさそうに浸かるおばあちゃんを写したものである。その写真の前でみんなで記念撮影。フセインはこの暑い日に背広を着て、顔も身体も滝のような汗をかいて、少しは痩せたかもしれない・・・などと思いつつ・・・・。
2005年06月05日
実は先日のボドルムからの帰り道、クルマの事故に遭いそうになった。アドナンと中華屋のオーナーのペリン、私と夫と息子。私は後部座席で半分寝ていた。助手席にいたペリンの「あーぶつかる~!」という声で目を開けると、わが社のFIATパリオくんの直前を1台のクルマが横切った。アドナンがすばやく反応してブレーキをかけたのと、相手のクルマのスピードがかなり速かったので、そのままぶつからずに通り過ぎたけど、私もパリオくん、絶対絶命!って思った。私たちが青信号でロータリーを直進しているときに、左で1台クルマが赤信号で停まっていた。その後部から信号無視のクルマが飛び出してきたのであった。・・・というわけで、恐怖の一瞬を体験したものの、何事もなくアンタルヤまで帰ったのであったが・・・・。さて今回の出張の帰り道。ブルサから一気にアンタルヤまで戻ることになり、昼過ぎに出たので、アンタルヤまで急いでも0時までに着くかどうか・・・という時間であった。夜の10時ごろ、幅の広い道を走っていた。このあたりは山の中で外灯がなく、真っ暗である。左から道路を横切ろうとする黒のクルマが無灯火のまま飛び出してきた。クルマのガラスに私たちのクルマのライトが反射して、ようやくクルマの存在を確認できた。ブレーキをかけたが、クルマがそのまま停まらずに前を横切ろうとし、ああ、ぶつかる!と思ったところで、そのクルマが停まったので、鼻先スレスレでぶつからずにすんだ。絶対飲酒運転である。警察に報告するために、相手のクルマのナンバーを読もうとしたが、相手もライトを消したり、前にも後ろにもすすまず、私たちのクルマの真横を走る。こちらが停まると相手も停まる。ナンバーを読ませないためにそれはそれは・・・・。面倒になったので、そのままその場を立ち去った。無事であったころを喜ぼうとアドナンと話していたところ。目の前に今度は白い大きな犬が飛び出した。ああ、ついに犬をひくのか・・・と、犬の命とクルマへの損害を考えてしまうほど、危険な距離であった。なんとかぶつからずにすんだが、なんと犬はクルマを怖がる様子もなく、急ブレーキをかけた私たちのクルマに向かってくるのである。そして眉毛のある顔をこちらに向けて「ニヤっ」とまるで人間のように笑って、そのまま姿が見えなくなってしまった。外灯もない、真っ暗な寂しい道でのことである。今見たのは、本当の犬なのか、なんなのか・・・・。アドナンがブレーキをかけた以上、犬の存在を確認したことであるが、私たちは声も出せないまま、5分ほどクルマを走らせた。先に口に出したのは私で、「言ってもいいかなあ・・・・・あの、さっきの犬・・・笑っていた・・・・」バカバカしく思いながら、言うと、アドナンも「うん、笑っていた・・・」同じことを言おうと思ったけど、犬が笑ったなんて言ったら、私にバカにされると思い、口に出せないでいたという。実は出張の2日目に日中。前を走るクルマの荷台が開いていて、そこから鉄の棒のようなものが転がり落ちた。幸い、棒だったのでクルマで踏みつけて通りすぎたが、それが踏めないような大きなもの、もしくは厚みのあるものであったら・・・と思うと身の毛がよだつ。近くにいたパトカーに通報して、捕まえてもらったが、この出張中に事故になりそうな出来事が3件も続いたわけである。しかも最後は犬。笑う犬・・・。アンタルヤに戻ってから、ハムディおじちゃん、ペリン、会う人、会う人に犬の話をしたが、誰も信じてくれない。犬が笑った意味を知りたかったのであるが、誰も信じないので回答が得られないのである。唯一ハムディおじちゃんが「それは精霊が犬に乗り移ったものだ」という。つながれたままの犬に、精霊が降りて、夜中に散歩に出るという話はよくあるらしい。さらにハムディおじちゃんが言うには、人間の形をしていた場合、足元を見ろ、と。悪意のある精霊の場合、足がつま先が後ろ向きについているそうだ。精霊、トルコではジンと呼ぶが、ジンに関して話をすると話題がつきない。私は何も信じないのであるが、なぜかその手のものによく遭遇する。現在の店に引越しする前に店にも、ジンが住んでいて、私だけでなく、他の人にもよく目撃されていた。ハードスケジュールのなかで、さらにイスタンブルまでの6日間の出張で、しかも長距離走行、ついに頭がおかしくなったか・・・と思われても仕方がない。でも犬は私たちに向かって笑ったのである。
2005年06月03日
今回の旅のスタートはアンタルヤ。アンタルヤから高原地帯にクルマを走らせる。暑くなり始めたアンタルヤ市内に比べたら、涼しくさわやかな高原の空気。カラコユンル系の遊牧民のテントがあったので、停まってテントから出てきた母娘に挨拶。母親が私と日本からきたS夫妻を指して、アドナンに訪ねている。「外国人かい? 両親と、アレが娘か・・・」アドナンが笑っている。・・・!? 私は「誰が娘だって!?」と聞きかえす。「だからあんたが母親で彼女が娘・・・」。S夫妻は50代である。しかし日本人の私でさえ、年齢を聞くまで私より年下、つまり30代後半だと信じていた。それぐらい見た目にも話題も若く、しかも無理がないのである。53歳のS夫が父親で、一応「まだ」42歳の私が母親で、50歳のS妻が娘・・・・。遊牧民の母娘にそう思われたわけであるが、まあ、当然と言えば当然である。母親に言わせるとS妻は25歳ぐらいだと。私が彼らの本当の歳を告げると驚き、「信じられないよ。私も50歳なんだよ」という。さらに私に歳を聞くので42歳よ、というと、「あんたが年寄りなのが明らかだ」という返事なので、それでまたウケてしまっって、私の笑いもとまらない。予告。この旅でまた同じようなことを尋ねられるに違いない・・・・。今回は私が母親でS夫が父親でS妻が娘ですんだけど、私が母親でS夫妻が娘夫婦だとでも思われたらなんて返事をしよう・・・・・。それより行く先々のトルコ人相手にまずは年齢あてクイズだな・・・・と。
2005年06月03日
トルコ時間では2日になる前になんとかアンタルヤの家まで辿り着きました。お疲れ様でした!出張途中の笑える話はまた後日・・・・。
2005年06月01日
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