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実はとっととアンタルヤへ戻ってきてしまいました。クルマに乗って、そのままアンタルヤまで8時間。深夜1時ごろにはアンタルヤへ着いてしまったので、休暇は終わりです。出張のときの癖がそのまま休暇にも出てしまいました。そりゃ、一緒に行く面子が仕事仲間じゃねえ・・・・・。エーゲ海のビーチリゾート。天気がよくて暑いぐらいだったけど、なんだかホテルも落ち着かなくて、最後は「アンタルヤが一番だねえ」って、家を目指してしまったのです。ほかの都市に暮らしている人たちから見たらアンタルヤに住んでいる、なんて「羨ましい~」の世界ですからね。でも一言言っておきましょう。今年の夏は一度も地中海で泳いでいません。地元にいて、観光地で商売していたりすると、余計、いつでも行ける、目の前は地中海、なんて思って、夏が過ぎてしまうのが毎年のこと。陽に焼けて黒いのは、ビーチで焼けたのではありません。鏡を見て、改めて思ってしまいましたが、見事な土方焼け。しかも出張の車中で焼けたもの。腕と顔と首の周りだけ焼けているの・・・・。出張体制が普通になっているもんだから、仕事抜きの休暇に出てもなんだか落ち着かないってこのことね。というわけで別段楽しい話もないのだけど、いつものエーゲ海→地中海ルートをすっ飛ばしてきて、時間の新記録を作ったぐらいかな・・・。
2005年10月29日
ちょっと遊びに行ってきま~す。ラマザンバイラムの混雑を避けて、トルコの友人たちと3晩4日のドライブ旅行に出かけてきます。帰ってきたら働きますからね。・・・口ばっかり・・・・。
2005年10月26日
収入に対する食費の割合をエンゲル係数とか言ったっけ?では暖房費の割り合いは・・・・?北国じゃないのです。市内には冬でも雪も降らないし、冬でも昼間は比較的暖かいアンタルヤ。先日、訪れる冬を想定してセントラルヒーティング用に燃料を買った。古いビルなのでビルごとの設備はないから、我が家は個人宅用を設置した。ビル全体なら、みんなで費用を負担するから、1か月1万円前後らしいけど、個人宅用は高くつくと聞いていたし、覚悟もしていた。でもやっぱり高すぎ。点検に来たメーカーの人の話では1時間で2リットル消費するから、約400円。1日のなかで朝2時間と夜5時間だけ付けているんだけど、7時間で1日の暖房の燃料費は2800円ってこと。単純計算で1か月で約84000円。3月までの5か月間使うとして、年間の暖房費420000円か・・・。12か月で割っても1か月あたりの負担は35000円・・!?円で書くと、たいしたことないじゃない、って思うかもしれないけど、アンタルヤで35000円あったら、3LDKのアパートが借りられる。高い高いと思っている息子の保育園の費用に迫っている。ってことは、私は暖房費のために働かなきゃいけないってこと・・・。寒いのはいやだからがんばるけど、なんだか納得していいのか悪いのか。燃料費が安くなる天然ガスがこの地区に導入されるという話もいったいいつになることやら・・・。かと言って寒いのはいやだし、結局つけるんだけどね。この時期、働くわけがないミフリ社長が働いているとしたら、全ては暖房費のためだと思ってください。パソコンの問題は1枚のCDを残して無事解決。メールは本日より通常とおりに使えるようになりました。関係者のみなさまにはご迷惑をおかけいたしました。
2005年10月21日
またまた大げさなんですけど、実は買って1年半になるパソコンを修理に出しました。パソコンが熱くなって調子が悪い・・・。アンタルヤにTOSHIBA製品中心に修理を受け付けてくれるところがあって、持っていったら、なんてことはないファンの出口の目詰まりだった。掃除機で掃除してもらって終わり・・・・。ついでにプログラムのちょっとした問題もあったものだから、リカバリしてもらうことにした。大切なものは保存して、きれいさっぱりスタート地点。ところがミフリ社長はメモをとるとか、そういうことをちゃんとしない性格なもんで、今、いろんなもののIDとパスワードで頭を悩ましているところ。ついでにいくつかのソフトはCDが見つからなかったり、他人の手に渡っていたり、日本に置いてきちゃっているもんだから、さあ大変。CDは保管場所を決めておくこと。そしてIDなどは次回からはちゃんとメモするよ、って反省しているところなんだけど、どうせまた同じ過ちを繰り返すのだろうなあ・・・。楽天日記はなんとか入れたので、今書いているけど、メインで使っているメールアドレスはどうしても入れない。そしてパスワードの変更をしたのにもかかわらず、それでも入れない・・・というわけですので、メールはしばらく・・・もしかしたら永久に読めないかもしれませんので、この日記でも読んでいたら、左の私書箱にでも連絡ください。別のメールアドレスをお知らせします。当然なんですけど、みなさまのメールアドレスもわかりませんので、よろしくお願いいたします。しばらくはIDとパスワードの解明と、ダウンロードの日々です。
2005年10月19日
絨毯屋の仕事・・・・外周りに関しては暇になってきたもんで、今週末は土曜・日曜と休みにした。(店は予約客がいないと開ける気がない・・。これではトルコの絨毯屋としては失格である)これでゆっくり寝ていられる・・・なんてわけはないのだけど、家でダラダラしていられるだけでもかなり違う。土曜日はダラダラした。照明の工事をしてもらう予定だったけど、どこもかしこも忙しいらしく、なかなか来てくれない。別に来ないならそれでいいや・・・と。日曜日もダラダラしていた。昼過ぎに新聞記者のフセインから電話。「どうして電話にでないんだ!」だって聞こえないんだもん・・・。実は今日、フセインのニュース取材に空港までつきあう予定があった。時間が決まらないから、朝連絡すると言われていたが、私はケイタイは持っているけど、ほとんど気にしない。約束の時間が1時らしく、その時点で12:40。まだパジャマ。息子も着替えさせないといけない。急いで用意をしてクルマでフセインのオフィスまで、そこから空港へ。雨が降る中、すっとばした。「違反キップ切られたら、フセインの新聞記者の身分証明書でなんとかしてよね!」って昔はそれも通用したけど・・・・。元ダートラ嬢(・・・って何か怪しげな響き・・・4輪のダートトライアルの女性選手って意味)の腕前で1時ピッタリに到着。フセインは助手席のドアのとってにしがみついていた。飛行場のVIP待合室で20分ほどの取材。日本関係で力を持っている国会議員某氏へのインタビューが目的であった。飛行機の時間が迫っていて、フセインは思う内容のインタビューができなかったみたいだけど、テーマは日本人の不動産取得に関すること、日本人の就労許可に関すること・・・・現時点でトルコに滞在する日本人でこの二つの問題を抱えている人は少なくないと思う。日本人だけでなく実際は外国人に対してなんだけど、これが日本人の場合、具体的にどうなるのか・・って内容での取材。それでいつものことなんだけど、私がダシに使われたわけである。でもこれらの問題は日本国籍でトルコに暮らす私としても他人ごとではないのである。というかとても重要なテーマである。近く法案が提出・可決されると思うが、外国人にとってはここ数年の理不尽な扱いと問題が解決へ向かうという内容であったので、これを聞きにきただけでもよかったと思ったのである。ってことで週末のダラダラ生活は終わった・・・・。
2005年10月16日
何だか急に寒くなったみたい。今でも半そでで出歩いているし、それで寒いわけではないのだけど、朝と夕方はちょっと冷える。そろそろ暖房の用意かな・・・・。って先日、アドナンの妹夫婦の家にイフタル(断食月の陽が沈んだあとの最初のご飯)に出かけた。アンタルヤから約80キロの田舎町に住んでいる。断食月の習慣で、家族や親戚がお互いにイフタルに呼んだり、呼ばれたり。夕方に出て、18時37分のその日のイフタル時間に間に合うようにクルマを飛ばし、その日のうちにアンタルヤへ戻る計画。アドナンのお父さん、お母さん、お姉さん、妹、お姉さんの息子、私と息子とアドナンでクルマ2台に分乗した。夜遅くなるから、と一応息子には上着の用意をしたんだけど、クルマをおりたとたん、空気が違っていた。爽やかと言えば爽やか。でも寒いといえば寒い・・・って。アドナンの家は断食しているのは、田舎に住んでいるこの妹夫婦と、お母さんのみ。断食を口実にした家族の集いだと思ってください。この妹は料理に凝る性格で、いつご馳走になってもうまい。この日のメニューはメルジメッキのスープ、マントゥ、なすのひき肉詰め、サラダ、ファスリエのトマト煮、その他いろいろ。珍しいものといえば、山羊の乳のヨーグルトを食べた。トルコのヨーグルトは普通に牛乳からである。山羊の乳のそれは、喉越しなめらか、少し粘り気があり、青臭い。デザートはエキメッキカダユフ。コーラとチャイとトルココーヒー。その後に西洋ナシとリンゴとメロン。マントゥなんて普段は家では作らないし、外でも食べないのに、我が息子は何度もおかわりを欲しがった。ヨーグルトがかかった料理が好きなんだってえ・・・・。スープもパンを千切っては浸して食べるし、見た目には日本人なんだけど、日常の行動・仕草は全くトルコ人・・・。我が家は家では日本語しか話さないし、息子はトルコ語に関しては保育園で勝手に覚えてくれた。トルコ語を教えた覚えは全くないもん。ネイティブでない私が変な発音のトルコ語を仕込むより、何も教えないほうがいいと思ってそうした。授業で英語とドイツ語を毎日やっているらしい。歌も日本語、トルコ語、英語。数を数えるときもそのとき、そのとき。テレビ番組はどういうわけかフランス語を選んでみているし、これは言語として覚えるかどうかわからないけど、耳ははっきり聞き分けいる。教育ママじゃない私にとって、黙っていても4か国語+αを覚えてくれているのから、文句はないけど。不安は英語の発音。教えているのがトルコ人の先生で、トルコ風な英語。私が教えるよりはマシだけど、「グッドモ-ニンキ」って覚えないように願うばかり・・・・。これで言葉が混乱しないかと周囲に心配されるが、実は混乱しているのだと思う。日本人には日本語だけ使って話そうとするし、トルコ語として覚えた部分を頑張って日本語に訳してから話している。どういうわけか意地でもトルコ語単語を使わないで話すのである。だから日本語訳の部分は変な日本語で、聞いていて、トルコ語からの直訳なのがよくわかる。トルコ人の日本語もそうだし、自分もそうだから、余計に・・・。たぶん息子は自分が何ものなのかもわからなくなっているのだと思う。その点はかわいそうだと思う。両親のどちらかがトルコ人であれば、トルコ語も日本語も母国語だし、トルコに暮らす意味も、自分が何ものかも理解するだろう。でも息子はトルコで生まれ、育ち、ここで生まれたトルコ人の子供と同じように成長したのにもかかわらず、周囲からは外国人扱い。そのせいかトルコ語も話すのに日本語を話せる場所では意識して日本語を使う。たいして日本に滞在もしていないのに、5歳にして自分は日本で暮らすのだという意識が強い。日本で生まれて育ってトルコに来たのなら、しばらくの間は日本を恋しがる気持ちはわかるけど・・・。日本の「に」の字も知らないのに、日本びいきである。親の私たちがそれほどでもないのに、どういうことなんだろう、と考えてしまう。そんなにトルコが辛いのか・・・?でも暮らしたら日本の方がおとなしく引っ込み思案の息子にとっては大変なんだと思うのだけどなあ。きっと周囲にトルコ人としては認められず差別される自分を、日本人だという意識で支えているのだと思う。言葉のことを言えば、私たちは日本人家族だから家庭内は日本語で話せるので、忘れはしないけど、実は私もトルコ語の方がラクになっている。日本語を話しているはずなのに、直訳日本語だったり、ときに外での出来事を夫に説明するときは、とくに日本語が変である。って日記も書いていて、嫌になることがある。一応、以前はモノを書いてお金をいただいていた身分なので、わざと言葉を開いて易しく書くコツは知っている。文章はバカっぽく書くのも、硬く書くのも技術である。書き分けるのと、それしか書けないのは別の話。硬く書いたからって偉いわけじゃないのだよ~。実は開いてわかりやすく書く方がよほど難しい。(これも言い訳)でもこの日記は内容も文体もただ頭が悪そうなだけなんだけど、開いて書いているのじゃなく、ただただ日本語がわからなくなっているだけなんだよ、とお断りをしておこう。ついでに単語も忘れているから頻繁に使い方を間違っていることも・・・・。(またまた言い訳)寒くなってきた・・・地中海地方でもアドナンの妹夫婦の暮らす村ではすでにストーブを炊いているという話でも書くつもりが、トルコ語も日本語も中途半端な自分への言い訳日記になってしまった。いつものこと・・って。なんだかよくわからない。
2005年10月14日
日本はこの週末3連休とか。トルコにいると暦の上の行事、祭日、祝日の感覚がなくなって、これらに疎くなっている。もっとうっかりしていたのが、自分のところの催事。気がつくとあさってからではありませんか・・・。なのにすっかり忘れていた・・・・。(おみごと!)10月11日(火)~16日(日)11時~18時(最終日17時終了)都内小田急線経堂駅北口から徒歩5分、ギャラリ・カタカタでトルコキリムとそれ以外の伝統的な手仕事もの、雑貨などの展示・販売をいたします。お時間のある方もない方ものぞきに行ってみてください。詳しくはお気に入りリンクから入れる、弊社ミフリのHPかギャラリ・カタカタのHPをご覧ください。さて、先日から使い始めた酢貝腐、なかなか好調。パソコンを使っていない実家や夫に、有料でも安いので、最近、用もないのに毎日毎日、電話をかけている。相手側にパソコンがあれば通話も無料なんだけど、これからパソコン設置のいろいろを考えたら、別に無料にならなくてもこの料金ならいいや、って感じです。20ユーロ分のチケットを買ってしまったので、それを減らすために毎日かけているけど、また19ユーロを切らない。世の中本当に便利になったもの。またまた昔を(って、たいした昔じゃないんだけど)振り返ってしまうけど、10年前は日本に電話をかける、って金銭的にも精神的にもかなり勇気が必要だった。普通電話だといったいいくらかかるか不安だったから、テレフォンカードを買って、公衆電話からかけていた。カードの金額分だけかけたことになるから、それが一番安心な方法だった。当時700円~1000円ぐらいのカードで日本に2分間だけかけられた。それがいまや、まあ・・・・・・って、まるっきり年寄りのつぶやきであるが、それぐらいトルコの変化が激しいってこと。話がそれたけど、都内のキリム展の方もよろしくどうぞ!・・・・って、上の画像にはキリムはバックに写っている赤色のボロキリムぐらいしかないのですけど・・・・。下の2枚の織物らしきものは、1枚はトゥルといって、起毛しているけど、結び目の合間にキリムの段が2段以上あるものでキリムと絨毯のハーフ。素材はウール。1950-60年代にカラプナールで織られたもの。もう1枚はマラティアの村で見つけた絨毯のパーツ。家の人が切って使っていたものだけど、年代は100歳越している。草木染めでこれがパーツじゃなかったらなあ・・・・って代物。小物はパラケセ(ビーズの貴重品袋)、手編みの民族手袋、ワンネコ柄のオリジナルキリムバック、ホーローの水さし、トルココーヒーの皿(トルコ向け輸入品)、ビーズの縁飾りのついたガーゼスカーフ、ランプ台、民族衣装の金属ベルト、絨毯用ハサミ、寝具用の刺繍布。
2005年10月09日
今はアンタルヤの秋・・・なんだろうか。日中は相変わらず暑い。半そで、もしくは袖なしで十分である。でも夕方や明け方はかなり涼しくなり、過ごしやすい。湿度が高い日以外はエアコンを使うこともなくなった。週末・・・・お客さんもいないことだし、またまたサボり癖が出てきて、今週末は店は勝手にお休み。ゆっくり寝たいところだけど、デスクワークは終わっていないし、夫が単身赴任中だから育児と家事も私の仕事。睡眠は1時間、2時間と細切れでなんとかとっているけど、眠くてたまらない。これも気候のせいか・・・はたまた年のせいか・・・・。でも子供とゆっくり過ごせる時間がなかったから、かえってよかったかも・・・なんて思いながら、子供に遊んでもらっている。
2005年10月08日
世の中が変わった、人が変わった・・・・って、朝、アドナンと話をした。というのも、断食月になって、こんなに周囲を気にしないで飲食できる自由、自由に飲食しているトルコ人たちの姿を見て思ったことなんだけど。私は実はカレイチっ子である。トルコ生活のほとんどをカレイチですごしてきた。不夜城の華やかな観光地時代から、観光業不振で店やペンションが次々と閉まったいった時期、ホテルや有名店の栄枯、夜中の酔っ払いの喧嘩、発砲事件、殺人事件まで・・・・見てきた。カレイチというのはアンタルヤの旧市街地で、城壁に囲まれた地域のこと。以前は普通の住宅があったらしいけど、今ではホテル、レストラン、ショップなどがあって、観光客が歩くところ。アンタルヤへ来て、ここで(しかも店を3回移転したけど同じ通りだし)商売して10年。そのうち住居もカレイチ内だった時期が6、7年ある。朝も昼も夜も夜中も・・・わずか10年の間だけど、カレイチの変貌を見てきた(つもり)。そのなかで断食月の10年前と今との差は、私の中では激しい。10年前、アンタルヤへ来たばかりのころ、断食月でも外国人観光客の多いカレイチではレストランは開いているし、外国人は自由に食事をしていた。それでもレストランではカーテンをかけ、外から食事する人が見えないように配慮していたし、断食月の間、閉店する店もあった。(もちろん今でも田舎や宗教色の強いところなどではそれが当たり前の地域もあるだろう)無宗教の私には誰も断食を強制しないし、好きなときに飲食はできた。でも、みんなの見えるところでは食べにくかったし、外を行き来する人でも手に食べ物や飲み物を持つ姿はほとんどなかった。食事をするときは、断食している人たちに見えないように、部屋のなかで食べたり、間違っても目の前に食べ物や飲み物をさらすこともなかった。それが2、3年経ったころから、カレイチを行き来する学生たちが手にハンバーガーやコーラを持って、外を臆せず歩く光景を見ることになった。世の中、変わったねえ・・・なんて驚いた。それから10年経った今年はどうだろう。私もアドナンも断食はしない。店で朝食のトーストとチャイを頼んで、運んできた人が「中に置く?外に置く?」って聞くから私の方が気を遣って「中にしようか」って聞くと、アドナンの返事は「外で構わないよ」。15年ぐらい前に(正確にはいつか忘れた)イスラム教徒になったはずの夫は、絵の個展(と、ついでにキリム展示会)のために単身赴任先の日本で豚肉でも食うことだろう・・・。店の階下のチャイ・ガーデンでは、断食月に入ったからお客は減るか、なんて思ったのは私だけで、若者たちが集まって、水タバコ、チャイ、コーラ。周囲の目はいっこうに気にしていない。(もちろんなんだけど、信仰は個人の心の中にあると思うし、トルコは政教分離の国だから、断食をするもしないも個人の自由で、断食しない人が責められたり、後ろめたい思いをするということは本来ないのである)チャイ屋のお兄さんも「断食している」らしかったけど、「明日からは断食しないよ」と、堂々と宣言。イベントとして初日と最終日だけやる人も多い。意味はないけど、イベントだから・・・・・って。気を遣うのは断食をしてそうな人には一応「断食していますか?」と聞いてから、飲み物をすすめたり、すすめなかったり。それぐらい。昨年も思ったけど、こんなに気を遣わなくていいのか・・・って。今年は本当に断食月をかんじない。これって何だか、日本で年末年始の慌しさ、忙しさ、スーパーが1週間ぐらい休みになるからと、買出しに行ったり、なんだか正月用品が高くていやになったり、それでもやたら高い紅白のかまぼこを買わなくちゃ、とあちらこちらと探しまわったり・・・・そんな興奮が、最近なくて、寂しいのと似ている・・・。台風の前には、川が氾濫して、停電して、断水するから・・・・と、雨戸に板を打ち付けたり、ろうそくを用意したり、水をくんでおいたり・・・っていう緊張感が最近ないけど、その感じ。時代の流れはトルコでも止められなくなっている。だんだん普通の国になっていく。おかげで私は今年も気も遣わないし、ラクしているけど。ここまでくると、私が断食でもしようかな、って思ってしまう。目の前にはモスクのミナレット。エザーンの声。アンタルヤの青い空・・・。お断り:実際に断食している人はたくさんいるはず。カレイチでも断食している人、たくさんいるはず。でも、していない人が普通にいるから、飲食することを隠さない人が増えたから、いつもと変わらない生活行動の人が増えたから、なんだかそんな風に思ってしまうのです・・・・・。
2005年10月05日
毎度いい加減なこと書いていますが、今日、スーパーで配られているチラシを見て、明日10月5日のイフタルの時間はアンタルヤは18:45分だそうです。下の日記では17:30頃? なんて書いていますが違いますので、ご注意ください。(・・・って誰が何のための注意だ!?)それからサマータイムが終わり、日本との時差が7時間になるのは10月30日(日曜日)。毎年9月の最終日曜日だっけ? 10月だっけ? って混乱するのですが、13年もいて、いい加減に覚えろ! って思ってます。でもいい加減だから覚えないのです・・・・。なんて大げさなんだけど、実はたいした話ではないので、いつものバカ話だと思って流してください。今年は10月5日から断食月が始まる(らしい)。地中海気候のアンタルヤも、このところ朝夕は涼しくなって、過ごしやすくなったとはいえ、今日あたり水を飲むたびに汗がダラダラ。暑くてだるいよ~の世界であった。これで断食月がはじまるわけである。まあ、我慢できない暑さじゃないけど、断食っていうのは日が昇ってから落ちるまで、食事はもちろん、水、タバコ、薬、唾も飲み込んじゃいけない(らしい)。断食カレンダーを見ると、イフタル(食事がとれる夕方の時間)は5時30頃だった(気がする)ので、それほど大変じゃなさそうなんだけど、私が心配で心配でたまらないのは、数年後にやってくる真夏の断食。アンタルヤの真夏の暑さを知っている人には、昼間、水分をとらずにいることがどういうことか、よくわかると思う。私たちは食事の時間に、1.5リットルのペットボトルを一人ひとつずつ抱えて飲み干す。1日3~4リットルの水は軽く飲む。それでトイレに行かずにすんだりするのだから、毛穴から水分がそれだけ蒸発しているってこと。しかも日が落ちるのが夜の9時過ぎだったりする。真夏のアンタルヤでの断食。断食しない人がほとんどの私の周囲で、ちゃんと断食をするのは新聞記者のフセインとビルの管理人の元軍人ハムディおじちゃんぐらい。フセインは前回の真夏の断食月のときは、まだ赤ん坊だったか、産まれていなかったか、だから経験してないけど、ハムディおじちゃんは人生60年以上生きているから、一度は経験済み。で、何度か尋ねたことがあるのだけど「できる!」という返事が返ってくるだけ。私は「そうか、できるのか・・・」と思うだけなのだが、数年後にやってくるだろう断食月のことを考えて、ハムディおじちゃんの身体のことを心配しているのである。・・・・全く余計なお世話である。個々の信仰に基づくことなんだから、他人があれこれ言うこっちゃない。私が心配する必要は全くないのであるけど・・・ね。トルコでの私が体験した最初の断食月はたしか1993年で3月だった(気がする)。あれから13回目の断食月を体験するわけだが、13年経って10月になったのだから、3、4年後には真夏の断食月がやってくる。
2005年10月02日
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