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昨日の皆既日食はただただ感動もの。一晩明けた今日は、天気は曇り。薄暗く、生ぬるい風が吹いているかと思うと、急に冷え込んだり。そしてみんなが昨日から具合が変なのである。いつもなら11時ごろまで寝ない息子が、10時ごろにコテンと寝てしまい、そういう私も眠くて仕方がない。朝起きてもダルくて、出勤までの2時間ほど寝てしまった。起きてもすっきりしない。かといって風邪を引いているわけでもなく・・・・。そんな話をしたら、アドナンも実は昨夜はすぐに寝てしまった・・・という。会う人、会う人・・なんだか眠たくて・・・とか、ダルいんだよね・・・とか。皆既日食の影響か・・・・!? なんて考えてみたくなるのだけど、昨日はみんな興奮していたから、知らずのうちに疲れてしまったのだろうね。それにしても運がよかった。今日の天気だったら、昨日のような体験はできなかったかもしれない。昨夜の青空から一転して、今日は曇りときどき雨天気。しかも寒い。みなさん、身体にお気をつけください。
2006年03月30日
太陽が月に隠れる皆既日食。約4分間であったが、まさにこの場にいて見ることができてよかった、って思ったのが素直な感想。(詳しいレポートなどはいろんなところでごらんいただけるだろうから省略。画像も省略。)部分日食が始まって、約1時間10分後のできごと。天気はよく、太陽の位置もちょうど店のあるテラスから見ることができ、階下のチャイバフィチェシにも若者たちが集まった。多くの人はアタチュルク広場のイベント会場に集まり、店を離れられないカレイチの商人たちもそれぞれの店の前に椅子を並べたり、立ったまま観測した。観測用のメガネは最後の投売りをしていたり、無料で配られているものもあり、それらを手にいれ、カメラに貼り付けた。階下の若者たちはやたら興奮していて、私とRちゃんもテラスにテーブルと椅子をおき、ビールなど飲みながら、時を待つ。今日は仕事があっても、これが済まない限り、何もする気にならない。部分日食が始まって、周囲にかげりがでてくる。完全日食に入ると、夕方の風景に変わり、星が空に見え始めた。夕暮れ時の夕焼けが地平線沿いに現れ、街灯が点灯する。あれだけ暑かったのに、寒さが身体を襲う。カメラで撮るよりも肉眼で見た太陽は、中央に黒い月の影ができ、その周囲の光の関係か何重にもなった細い光の輪のようなものが渦巻いた。ただただ感動である。前回のシバスの皆既日食のときは、アンタルヤは部分日食で、多少薄暗くなったが、ここまでの体験はできなかった。今回は完全日食で、周囲が夜になり、その直前まで広がっていた青空が闇になり、そして光の輪を伴った太陽が真上にある状態。宇宙・自然の驚異、神秘体験である。4分間の闇が続いて、光がさしこみはじめ、序々に昼間の風景に戻ったが、この瞬間のためだけに世界各国から天文ファンが集まってくる理由がわかったような気がした。世界各国から集まった人たちにとっても、アンタルヤの人たちにとってもなんだか朝から興奮していた一日であったと思う。このイベントも終わり、あとは残った仕事を今週中に片付ければ、今度は1週間の旅の始まりがやってくる。
2006年03月29日
月曜日の朝。突然、携帯がなった。朝の7時にいったい誰だろう・・・・と見ると、息子の送迎バスからの電話。送迎はいつも8時頃だし、何かの間違いでかけてきたのだろう・・・・と、2分後。再び携帯がなった。そこで気がついた。昨日の日曜日からサマータイムの実施である。1時間時間が先に進んだのである。時計は7時のまま。でも時間は8時。あわてても間に合わないので、私が息子を保育園まで送ることになった。・・・って考えたら、毎年1回、同じことをしている。冬時間になる秋は1時間時間が遅れるから、送迎バスに乗り過ごすということはない。でも3月末のサマータイムの実施では、毎年恒例、送迎バスを乗り過ごす。まったくこれで4回目。誰も教えてくれないんだも~ん。って普通は知っていなきゃいけないんだよ。・・・・って思っていたら、私より遅く、サマータイムになったのに気がついた人がいた。夕方5:30ごろ「ちょっと銀行にお金をおろしに行ってきます」というので、カードでならおろせるだろうから・・・と見送った。そして戻ってくると銀行の窓口は当然しまっている時間だったから、やはりカードでおろしてきたのだけど「まだ5時前だと思ってました~」と。彼女の時計はまだ冬時間。「いつも16時に出勤するホテルの人が、15時に出勤していて変だなあと思ったんです~」彼女のことを笑えない。息子の送迎バスのことがなければ、私もきっとしばらく気がつかなかったと思う。カレンダーにでも大きく書いておいてくれたらいいんだけどねえ・・・。(テレビのニュースなどではちゃんと時間の変更を伝えていたらしいけど・・・。)
2006年03月28日
実は3日前から「カパル」なミフリ社長です。いわゆるイスラム教徒の女性たちがスカーフで髪の毛を隠している状態。家の中でも店でもスカーフをはずせなく、道で会う人、会う人「メッカに行くのか?」「改宗したのか?」と、笑うのである。本当の理由を言えば、もっと笑われるので「そうそう」と言ってやり過ごしているんだけど・・・・。理由は髪型を誰にも見せたくないから・・・・。アンカラに行く前に、髪でも染めて、気合を入れるか・・・なんて、フィットネスに行ったついでに、ホテルの美容室で染めてもらってカットもしてもらった。ところがカットのときに「毛先を揃えてね」と言ったきり、実は寝てしまった私・・・・気がついたときには遅かった。耳まで露出する短さ。本当は別にいいんだけど、この髪型を毎朝、ジェルをつけて整えるには、専属の美容師が必要である。面倒くさがりでずぼらな私には無理である。そして洗いっぱなしだと、ただの「野郎」である。それで帽子を被ろうと思ったのだけど、スカーフの方がラクなもので、スカーフを被り続けている。アンカラに行ったときも実はずっと「カパル」。しかもコートを着て、公園のベンチに座っていたら、同じようにカパルの女性たちから時間は尋ねられるわ、道を聞かれるわ、ナッツをわけてもらうわ・・・・。せめて耳が隠れるまで、2か月はスカーフを被らなければいけない計算だ。自分で思っているほど、他人は気にしていないのはわかる。でも今回は他人よりも自分で耐えられない。鏡に映る自分を見て笑ってしまうのである。だから誰もいない家の中でもスカーフをはずせないのである。・・・改宗していませんからね。でもそう思われても仕方がない状態である。スカーフ被っていると、服装もそれに合わせて、段々「カパル」ファッションになってしまう。そしてそれが自然になってしまうと、今度はスカーフをはずすことができなくなったりして・・・・。だけど思った。髪の毛を隠しているから、頭がボサボサでも全く気にならないんだよね。あ、こりゃラクだわ・・・なんて。
2006年03月24日
アンカラの日本大使館に用事があって、日帰りで行ってきた。アンタルヤからアンカラへのフライトは直行ではトルコ航空の1便だけ。朝の7:45にアンタルヤ発、8:45アンカラ着。帰りは21:00アンカラ発、22:00アンタルヤ着。一番安いときに買ったので、片道99YTL。(イスタンブル行きの最低価格はもっと安いはず、69とか、79YTLとか・・・いい加減で、すみません)トルコ航空の国内線チケットは、空き具合によって値段に100YTLぐらい差がでる。早めに買うと最低価格で買えて、席が埋まるにつれて、価格が上がってくる。トルコ航空のホームページで確認すると、今いくらなのかがわかるようになっている。だから国内線を買うときは早めに買ったほうが得することがある。さて、大使館へは日本の免許証のトルコ語訳の証明書のために行った。昨年の帰国時に免許の更新で、新しくなり、大使館でまだ翻訳をつけてもらっていなかった。その間は国際免許証を使用していたが、それも期限が来るので、今回のアンカラ行きとなった。外国の免許証はローマ字表記になっているので、それで通用していまうけど、日本のは日本語だけなので正式には通用しないそうである。だからトルコ語の翻訳証明書が必要になる。これを持っていれば、警察にとめられようが、軍隊にとめられようが、いつも誉められる。どうも国際免許証はわかりにくいようで、説明するのも面倒くさい。免許証の用事も済んで、アンカラのトルコ人の友人と待ち合わせてランチを食べ、それからせっかくアンカラまで出てきたからと、とある役所に行った。そこで1時間ほど担当の人と面会をし、空港へのサービスバスに乗った。アンカラでの用事としては4つだったが、全てが順調で、その分疲れたけど、充実した1日になった。空港での待ち時間と帰りの飛行機の中では、記憶がないほど寝込んでしまったが、予定通りにアンタルヤへ着いた。アドナンと息子がクルマで迎えに来ていたので、家についたのも22:30を過ぎていなかったが、そのままベットに倒れこんだ。アンカラはやはり首都だけあって、でかい。人も多いし、建物も多い。移動は全てタクシーを使ったけど、お役所を出てからは時間があったので、1時間半ほど歩いた。おかげで今朝は筋肉痛。フィットネスで同じぐらいはベルトの上で歩いているんだけど、実際に歩くと筋肉痛になるっていうのは、なんでだろう・・・。
2006年03月23日
出張先は内陸部で、寒いかもしれない・・・という予測のもの、冬服を用意していったけど、結果、それで助かった。アンタルヤを出るときは快晴で、しかも暖かい。地中海沿いを移動する車中も暑く、セーターを着てきたことを後悔するほどであった。ところが山間部に入り、標高が高いから当然気温が下がるのは覚悟していたが、予想以上に低いし、雨が降り始めた。周囲はこの冬に積もった雪が残り、その上にさらに3、4日前に降ったばかりの新雪が重なっている。目的の都市に下りると、上空は雲に覆われ、しかも寒い。寒さがそこから冷えてくる寒さである。幸いホテルは目の前で、歩いて移動する距離は短いので、寒いなか、歩きまわらなければならない事情はなかったが、セーターを着て、コートを着て、室内では暖房のそばにみんなでかたまった。アンタルヤがどんなに天気が悪く、寒いといっても、ここまでの寒さはもうない。久しぶりに冬の寒さを体験することになった。・・・・このころ、アンタルヤも天気が悪く、寒いよ~と友人からの電話で知ったが、山を越えて戻るころにはアンタルヤの青空も見えることだろう、と思いを馳せる。住んでいるとわからないけど、離れてみるとわかること。アドナンもよく口にするけど「アンタルヤのような場所は他にはない」のである。アンタルヤの住人になって10年が過ぎるが、トルコ人同様、自然と地元ひいきになるものである。私の中にアンタルヤへの恋慕はある。そして母国を離れてみて、初めて日本へも同じ思いを抱いている。3日間の出張で、かなりハードなスケジュールをこなしてきて、予定の作業はなんとか終わった。夜も食事が終わってホテルに入れたのが両日とも9時過ぎ。ヘトヘトの体に食べ物を詰め込んで、ホテルでシャワーを浴びるのも面倒なほど、みなが疲れていたけど、その分、充実と満足を味わったことになる。それにしてもこの都市の食事もうまい。高級レストランで食べているわけではないけど、いくところはいつもおいしい。同じメニューを食べてもあきない。帰りは山間部では昨夜降った雪がうっすらと積もり、またまた景色が変わっていた。路面も濡れていて、3月中旬でも深夜の移動は危険であるということ。そして地中海側に抜けたとたん、天気が一転。暖かさと青空。目の前には地中海。この見慣れた風景を見たとたん、ほっとするのである。作業もあと少し・・・・。
2006年03月20日
昨日、日本人のHさんがアンタルヤへやってきた。日本でもお会いするが、トルコでも会う。そして今日はアドナンの日本人の友達Aちゃんがアンタルヤへやってきた。昨年の夏に友人のWちゃんとアンタルヤに来て、アドナンと知り合った。今回、メールでアンタルヤへ来ることはわかっていたが、私たちの地方出張もあったので、どうなることかと思っていたら、朝、偶然道で出くわした。私は彼女と面識がなかったが、アドナンから話は聞いていたので、二人がお互いを見つけて「あ~!」と叫びあったのですぐにわかった。店にアンタルヤに滞在中のTちゃんとRちゃんもやってきて、日本人5人とトルコ人1人でおしゃべりの時間になった。TさんとHさんは昨年、ミフリで面識がある同士。話をしているうちに、「日本で会うよりトルコで会うほう簡単ですねえ」となった。リピーターが多かったり、中・長期滞在する人がいるから、お互い、日本で会うより、ミフリで会う確率が高いのである。そんなこんなで、学校のあるTちゃんをのぞいて、明日からのHさんとの地方出張にRちゃんもAちゃんも同行することになり、私たちの旅は賑やかになりそうである。
2006年03月17日
最近、停電が多い。しかも夕方6時から8時前後。夕食の支度をする時間である。せめて昼間にして欲しいと思うんだけど、どうもみんなが一番困る時間帯におきる。日本のように事前にお知らせなどなく、突然起きるから、準備をする暇もない。食事もできず、寒さに震え、やることもなく、息子とろうそくの灯りのもと、毛布にくるまってじっとしているしかないのである。それでも電気ならまだいい。今日は朝から水がでない。事前連絡なしの断水である。(事前連絡があったためしはないが・・・・)最初は誰かがまちがって我が家の元栓をしめたのかと思った。管理のおじちゃんに「この地区一体が断水だよ」と言われて、まあ、そのうち終わるだろうと思った。そしたらおじちゃんの言うことには「明日には水が来るっていう人もいれば、あと5、6日は続くだろうという人もいる」。5、6日~!?風呂もなし、トイレもなし、食器も洗えず、洗濯もできず、顔も洗えない。食事も作れない。ソーラーシステムにお湯はあるけど、熱湯である。シャワーもあびれない。事前のお知らせがあったなら、文句を言いつつも、水を貯めておくことぐらいできただろうに・・・。いまごろみんなスーパーで買ったミネラルウォーターでお尻を洗っているのか・・・・って考えたのは、きっと私だけではないはず・・・・。(下品な〆ですみません~!)
2006年03月15日
値上がりっていうか、格安の船便(SAL便)が廃止になって、日本に小包みを送るとき、飛行機便でしか送れなくなってしまったという話。今日日本の家族宛に好評のトルコフーズよりチャイとかドライいちじくとかを30KG分、郵便局から送った。いつもだったら船便(SAL便)で、と送るところ、今日は局員に「船便はなくなったのよ」と言われて戸惑った。2週間ほど前にも荷物を送ったところで、そのときは船便料金(SAL便料金)を払ったのに・・・と言うと、つい最近決まったのよ。との返事。局員は親切で、いろいろかけあってくれたり、聞いてくれたのだけど、どうしようもなく、航空便で送った。船便なら215YTL(20500円)ぐらいで送れるところ、459YTL(43700円)の支払いになった。荷物の中身が中身だけに、局員のほうが気の毒がってくれて、「日本にチャイやいちじくはないのか?」と、こんな大金を払ってまで送る意味があるのか、送るをやめたらどうだとまで言ってくれた。かと思っていたら、某地方都市から今日、送ってもらったものは旧料金で日本へ送れたとの連絡。日本に送る、というか外国に送る人がいるとは思えないところなので、情報がいきわたっていなかったのだろう。でもそれもいつまでか・・・。アンタルヤでも情報がいっていない局があるのじゃないかと、一応他2か所に聞いてみた。でもアンタルヤは地方都市とはいえ、某地方都市のようにはいかなかった。返事は同じで「船便はなくなったのよ~」とのこと。船便は実に安くて便利だった。船便といってもSAL便で、実際は99%日本へは飛行機に載せられていたので、1~2週間で届き、しかも航空便の半分以下の送料で送れた。それが廃止・・・・。というわけで、今後郵便局から荷物を送る方は送料を2倍~2.5倍ぐらいに考えないと、お金が足りなくなってしまいますよ。ってこと。というか、この料金なら郵便局まで運ぶ手間と荷造りの手間を考えたら、ドアからドアへの国際宅配便を使う方が得かもしれない。先日39KG国際宅配便で送って513YTL(約48900円)だったもの。なんかねえ、これじゃトルコから日本に気軽にモノを送れなくなってしまう。
2006年03月13日
卒業旅行のシーズンだし、季節もよくなり始めたことだし、旅行にでかける人が多いのだろう。わがミフリにも訪ねてきてくださる方が増えたようだ。普段、店にいないもので、あとで近所の人から「昨日キミを訪ねてきた日本人がいたよ」とか、知らされるのであるが、今日も、せっかく訪ねてきてくださった日本からのお客さまに会うこともできなかった。いくつか指示しなくてはならない洗いものもがあったので、絨毯クリーニングのために村まで行き、そのついでに、村のアイシェを訪ねた。Rちゃんの完成させた絨毯を取りにきただけだったのに、チャイだ食事だと気がついたら5時を過ぎていた。すると携帯がなった。カレイチの知り合いからである。「キミのことを探している日本人が3人、店の前で待っているから、すぐにこれないなら電話で話をしてくれ」電話をかわると「イクミさんですか?お会いしたいと思っていたのですが・・・・」と女性の声。これから戻るにも1時間かかる、雨の中、せっかく来ていただいたのに、やっと店を見つけたと思ったら、店はしまっているし、私はいないし・・・である。申し訳なさでいっぱいである。ツアーで来られていたため、時間の制限があり、今回、お会いすることはできなかった。わざわざありがとうございます。そして本当にごめんなさい。先日も急ぎの用事があって、店を閉めて階段をおりたところに、ちょうど日本人のお客さんがいらした。「やっと見つけました」と言ってくださり、30秒遅ければ、すれ違いになっていたところだった。アンタルヤ滞在中に3度足を運んでくださり、4度目にやっとお会いできたお客さまもいた。そんなに通っていただいて、もうそれはありがたいことである。たくさんお話をして、チャイを飲んで過ごした。今月の29日にはアンタルヤでの皆既日食に世界各国からたくさんの訪問者が予定されている。3月27日~4月2日まではアンタルヤ中心から東へ75キロの場所で、ミュージックフェスティバルが開催される。その期間、アンタルヤ空港からも直接バスが運行するし、アンタルヤ市内からもバスが出る。イベント会場では、店も出て、賑やかになるらしい。もちろんカレイチでホテルに滞在される方もいるだろうし、カレイチへ散策にこられる方もいることだろう。その期間にアンカラへの出張を予定していたけれど、それも日をズラして、できるだけ店にいることにする。せっかく訪問していただいて、いないでは本当に申し訳ない。というわけで、3月25日ごろから4月2日まではいると思いますので、どうぞチャイを飲みにお立ち寄りください。その前後は出張と旅行で留守にすることもあります。できるだけ、メールなどで訪問予定をお知らせください。以上、ミフリからのお知らせでした。アンタルヤの皆既日食に関するイベントの情報は以下の日本語サイトがあります。http://www.soulclipse.jp/ミフリの場所など、連絡先に関しては弊社のホームページをごらんください。アンタルヤやトルコに関するご質問など、またはこちらでのお手伝いなど、お役に立てることあれば喜んで。お気軽にお問い合わせください。http://www.mihri.org/
2006年03月09日
相手を本当に思っているのなら、引くことも大切であると思う。自分のエゴを満足されるために、愛情という名のもとに、相手の気持ちを振り回したり、結果、相手を追い込むことになるのに、続けることは、愛情でもなんでもないと思うのだけど・・・。トルコの人は優しい。特に地方の素朴な人たちは、相手を傷つけることを怖がり、はっきり「ノー」と言うことができない。それが愛情の押し付けであったとしても、面と向かって、断ることができない。自分だけで悩みを抱え続け、それでも相手に笑顔で対応し続ける。期待をして、待ち続け、でもその意味が期待通りのものでないということを後に知る。純粋に信じてしまうから、その連続で、期待しては裏切られ(もちろん彼らの感覚で)、はたから見ていても、つらそうである。すごく単純な例として、「日本においでよ」という一言を誰かが彼らに言ったとする。もちろん、トルコには日本人以上の経済力と知識を持ち、外国に気軽に行ける層の人たちもたくさんいる。でも一般的には国内旅行もままならず、ましてや海外、それも物価の高い日本に行ける人となると限られる。ここで言う彼らとは、一般の給料で仕事をし、家族を食わせていくのに、やっとの人たち。彼らにはその経済力も実現させる可能性はないわけである。もちろん言った方は日本人同士の感覚で「自分でチケット買って、滞在費を持って、遊びにきたら、友達なんだから何泊はうちに泊ってもいいよ。1回ぐらい飯をおごってあげるよ」ってぐらいのことであろう。でも彼らにとっては違う。最低賃金が3万円で、どうやって10万円もするチケットを買えるのか、滞在費だって日本の場合、安くない。それこそ給料の何年分ものお金が一瞬にして消える。誰がどう計算したって、できるわけがない・・・可能性のないことを言われて、傷つくだけか。もしくは場合によっては「日本に招待してくれた」と理解する。そして喜びと期待に胸を膨らませる。「インシャッラー(神のご加護があれば)」といいながら、期待していないようで、実はこの話を友人・知人に自慢する。そうこうしているうちに単なる可能性から、話が彼らの中で現実味を帯びてくるのである。トルコ風な感覚だと、招待してくれたということはチケット代から滞在費、全て持ってくれ、つきっきりで観光させてくれる、のだろうと思い込む。そしてこれは図々しいことというよりは、こちらではよくあることである。至れりつくせりの接待をし、お金があろうがなかろうが、「心配するな、俺がやる」である。そして実際は「仕事にも行けないし、金もどんどんなくなる。早く帰ってくれないかな」と思っていたとしても、そんなことは全く表面に出さず、「もっといろ、どうして帰るんだ」と世話を焼き続ける。自分たちは自分の時間とお金を惜しまず、来た人をもてなす。お客にお金を払わせることは「恥」であると考える。だから、相手にもそれを求める。当然のことだと思う。話はもとに戻る。本当に異国に住み、異文化を持つ彼らの人生を抱えていく気があるのだろうか。異文化を知らない彼らは自分たちの解釈でモノを見る。私たちにとって何気ない一言でも、期待に胸を膨らませ、待ち続ける。「そんなわけないよ! 期待するな!」と言えるぐらい世間ズレていてくれたら、いい。でも純粋すぎて言葉通りに信じてしまうのである。そしてそれが叶わないと、裏切られたと心を痛めて、でもそれを表面には出さず、密かに悲しむのである。私も含めて、いくら愛情だとか友情だとか思っていても、自分たちの小さい世界でモノを見て、考えていると、知らず知らずのうちに、相手を傷つけていることがある、って話。具体的に書けないけど、某トルコ人たちとの話で、彼らのストレスの原因が、ここにある、ってわかったから・・・。どうしてそうなったのか、ちょっと考えてみたのだけど・・・・。どうやら私にも彼らのストレスが移ってしまったようだ。
2006年03月08日
先日、トルコを旅行されている日本人のご夫婦から、遺跡や歴史的建造物の入場料が一時期に比べて安くなった、という話しを聞いた。そういえば、トプカプ宮殿の入場料が40リラ(約3600円、正確には覚えていないけど、そう言われた気がする)なんて時があった。それで私よりも同行したトルコ人のスーザンが「入るのやめようよ・・」と、価格に驚いていた。当時の彼女の給料が法的な最低賃金のちょっと上で約30000円。それで3600円の入場料と聞けば、ビビるよね、トプカプが今年は外国人には10リラ(約900円)らしい。それなら見学する気にもなる。でも10リラでもトルコの最低賃金から計算すると給料の40分の1。日本で給料20万円とすると、入場料が5000円相当。ディズニーランドならともかく、文化的な公共の施設で払わんでしょ。トルコ人の価格は別なのである。こういったトルコの入場料のトルコ人と外国人の二重価格は周知のところ。ところがホテルの宿泊料もトルコ人と外国人で違う!? 地域があるという話。実は4月に友人たち、トルコ人と日本人9人のグループで観光旅行にでかけることになっている。お年寄りもいるので、ホテルの予約はお早めに。って、今各地の知人などを頼ってホテル選びや予約をしているところである。知人と通してコンヤのホテルをおさえ、さらに今日はカッパドキアのホテル選びをしていた。アドナンがガイドブックを見ながら、ホテルに価格や空き状態を聞いた。最初は1人部屋と2人部屋の価格を聞くと返事がくる。某ネブシェヒールの中級ホテル。「朝夕食付きで1人部屋は60YTL、2人部屋は90YTLです」という。団体であるから、ここから値引き交渉をするわけである。「じゃあ、2人部屋2つと1人部屋5つだといくらにしてもらえるのかなあ・・・」「7部屋ですか?」ここからが問題。「泊るのは外国人ですか? トルコ人ですか?」「トルコ人も外国人もいるよ」「外国人の価格は○○○というところに問い合わせてください。ホテルでは価格を自由に言えないことになっています」「???」いくつかのカッパドキアのホテルに問い合わせると、同じ返事が返ってきた。最後のホテルに「○○○の連絡先を教えてほしい」と聞いて、電話をかけてみる。どうやらホテル協会、ホテル組合みたいなものらしいのだけど・・・?(今日聞いたら、ツアー会社とのこと・・・)ホテルのリストがあって、それで価格を伝えられる。前述のホテルで、外国人は1人部屋45ユーロ(約70YTL)、2人部屋60ユーロ(約95YTL)。「じゃあ、トルコ人価格はどうなるの?」と聞くと、「トルコ人の価格はホテルに直接聞いてください。こちらでは干渉しません」という。ホテルに問い合わせるとトルコ人価格は交渉後、50YTL。価格的には20YTL(約1800円)の差である。当然、外国人価格の方が高い。今まで知らなかった。仕事柄、各地のホテルに泊るけど、こんなことを言われたのも初めてのことである。いつからこのシステムが導入されたのか、何の目的でこうなっているのか、どのランクの宿泊施設に適用されるのか、全く私にはわからないのだけど、単純に価格のことで言えば「外国人からはとってやれ」って印象で気分はあまりよくない。何も事情がわからないから、なんとも言えないけど、もしこれが逆に外国人を守るために導入されたものなら、なんとなく理解できる。一律の価格で少なくともそれ以上はボラれないわけである。もしくはトルコ人、外国人をわけずに一律リストで値段を言ってくれるのなら、それもよくわかる。でも実際は今回のようにトルコ人だと安く泊れる、という結果になると・・・・・?これってカッパドキアだけなんだろうか?明日はパムッカレ方面のホテルに問い合わせと予約をするんだけど、どうなることやら。ただね、トルコの肩を持つと、リゾート地のホテルの場合など、「外国人だから安く泊れる」という例がたくさんある。ヨーロッパから個人ツアーで往復の飛行機チケットと3食付きの4つ星、5つ星ホテルに泊って、ホテル代金が1泊あたり1500~2000円程度。トルコ人が直接ホテルに尋ねると1泊あたり10000円、なんてよくある話。それでトルコ人たちが「ここはトルコなのになんでトルコ人がたくさん金を払わなきゃいけないんだ!」って怒るもの無理ない。それを考えたら、カッパドキアのホテル二重価格もたいしたことないのかも、って思ったり・・・。ちなみにトルコでの滞在許可がある日本国籍の私と息子はトルコ人扱いで、いいらしい。
2006年03月06日
週末から2日間、5人でコンヤへ出張。今アンタルヤへ帰ってきたところ。山では溶けて再び固まった雪が積もったままで、一面真っ白だった。空気もひんやり、でも道路にはなにもなく、クルマの通行には問題なし。ただ行きも帰りも大型車の事故があった。行きはブロックを積載したトラックが緩やかなカーブで、ブロックを落とした。それが道にあふれていて、しかもすぐに停まらなかったようで、かなりの量のブロックが道をふさいでいた。あきらかに限度を越えた積み過ぎである。帰りはタンカーのタイヤが爆発して燃え上がっていた。消防車が来て、消化していたが、煙がもくもくとあがっていた。上下道ども通行不可になっていて、しばらく眺めていた。この週末、天気はいいし、陽気はポカポカ。コンヤで2日間、知り合いにコンヤ名物の料理の数々をごちそうになり、お腹はいっぱい、帰路のクルマの中でうとうとしかけたのは私だけではなかったよう。
2006年03月05日
トルコってイメージ的には離婚って少ないのだろうな、って思っていた。世間体があって離婚しづらい雰囲気があるとか、貞操観念から離婚した女は色メガネで見られるだろうとか・・・・。ところが最近、やたらと離婚経験者と出会う。また聞いてみたら再婚だったとか、今の夫は3人目よ、とか。さすがトルコ。女も強かった。いろいろ世話をやいてくれる女流画家のKさん。年齢50歳ぐらい。彼女は知り合ったころから女手ひとつで二人の娘を育てていた。元夫とは離別。夫が家やらなにやら持っていってしまったため、借家暮らしから始まり、今では別荘を買い、絵画教室を2か所に持っている。社交的で活発で、若々しく、いつもきれいにしている。夫がいたとしても、彼女の影に隠れてしまうことだろう。今、TちゃんがホームステイしているおうちのHさん(43歳)も夫と離別組。娘が一人いて、海外の大学に留学中。娘が2歳のときに離婚した。夫と離婚してからもう15年近くたつようだけど、本人は医薬品関係の研究所に研究員として勤めており、日本に研修に行った経験もある。もの静かであまり個人的なことは話したことがなかったが、先日シングルであることを話してくれた。家事も仕事もしっかりこなす、聡明な女性である。私がフィットネスに行っているホテルのジムの管理職の女性も独身。8歳の娘がいる。フィットネスの管理職だけあって、足長体型で、ミニスカートでもなんでも着こなす。36歳とは思えない。肌もきれいで化粧も手を抜かない。彼女の給料は約15万円。自由な時間が作れるので、娘の学校の送り迎えなどがあっても、都合がつく現職に満足しているようだ。正確に言えば夫とは別居状態。もう6年になる。しかし夫は離婚に同意せず、住民票の都合上、別居は2年とみなされるため、裁判にもできない。あと1年別居が続けば、晴れて離婚できるそうだ。現在は恋人と同居中、彼女の母親も一緒に暮らしていて、籍こそ入っていないが、母、夫婦、娘の4人で家族としての幸せがある。同じくスポーツジムで働く女性。彼女はまだ20代だけど、前夫と離婚して、今の夫と新婚さん。前夫との間に子供はなく、自分から言わなければ再婚だと誰も思わないだろう。共働きをしつつ、両方の母親とも連絡をとりあって、「大変なのよ」といいながら楽しそうである。息子の友達のまだ若いお母さんも離婚して、実家に戻ってきていた。しかしすぐに仕事を見つけて、実家には留まらず、近所にアパートを借りて、娘と二人で暮らしている。娘は母親の仕事の時間は祖母のところへ立ち寄り、母親の帰宅時間に家に戻る。幼いながら、母親に負担をかけないように、と必死な姿を目にする。教師をしているFさんは、40歳独身。前夫とは21歳のときに結婚し、10年後に離婚した。理由は結婚1年目に、裕福だった夫が、他人の保証人になり、一夜で全財産を失ったため。といってもすぐには夫が離婚を認めず、9年間我慢した。今は8歳年下の恋人と恋愛中。「でも彼とは結婚はしない」ときっぱり。独身でいるのが一番よ、と。女医さんのMさんも、日本人男性と子連れ再婚だった。やはり職業を持っている人はどの国でも強いなあ、と思う。少なくとも経済面では離婚をすることを恐れない。それか職業を持っているから夫とうまくいかなかったのか、いずれも揃いに揃って、実年齢より若々しく、美しい女性たちである。以下はタイプとしては別であるが、再婚の例もごく身近にあるという話。先日、村へ行ったときに、出産をしたばかりの女性と知り合った。スカーフを被り、もんぺをはいた、典型的な村の女性である。子供が何人いるの? って話から、夫の子供が2人に自分の子供が1人でまた1人増えたのよ、という。再婚同士らしい。彼女の場合も離別だが、再婚はしないと生活ができない。そのための子持ちヤモメとの再婚であったが、暴力を振るう前夫に比べたら温厚な男性で、今は幸せであるという。村の女性で70歳のおばあさんがいる。彼女の家族構成は何度聞いてもわからない。というのも彼女の夫は3人目で、子供も夫の連れ子だったり、二人の間の子供だったり、合計10人の子供がいる。兄弟同士でも 母親が同じだとか、母親は別だとか、しかも夫は3人とも他界しているのだけれど、兄弟同士は血がつながっていようが、いまいが仲がいい。そして兄弟関係を何度説明してもらっても複雑すぎて私には覚えられないのである。これは本人ではないが、ある友人の兄弟が6人のうち4人が結婚歴があり、3人が離婚している。みんなまだ若いから、再婚のチャンスもあるし、実際には2人には新しい恋人がいて、再婚を検討中。日本に住んでいるトルコ人の知り合いの男性何人か。再婚相手の相談をされることがある。日本人女性と結婚して日本に渡り、もしくは日本で知り合って結婚した。習慣も風習も違い、それをフォローしてあげられる女性であれば、うまくいくのでだろうが、妻である日本人女性が、日本人男性相手のような振る舞いをしていると、マイナスのコンプレックスを刺激され、さらに男のプライドがズタズタになってしまうのだろう、そこから派生して浮気だ、働かないだ、と最終的には離婚という結果になった例がある。先日、ホテルで知り合った男性。日本語を話すので途中まで一緒に帰った。昨年まで日本に住んでいたけど、日本人の妻と5年目にして離婚して戻ってきて、今はここで働いているという。日本人はこりごり、でも日本が好きで住んで働きたいから、日本人と再婚するんだ、と。これには ? マークがつくけど、無邪気に正直であると思う。テーマとは関係ないけど、日本からのお客さんにも離婚経験者の独身女性がいる、いる。再婚して、さらに離婚している人もいるし、シングルで頑張っている人もいる。人の幸せってなんだろう、って思う。少なくとも結婚は最終ゴールじゃなくて、スタートである。誰も不幸になろうと思って結婚はしない、でも別れるときも誰も不幸になろうして別れない。これからの人生、幸せになるための決断だと思う。別れのために費やす時間とエネルギーは巨大なものだろうし、大変つらい日々を過ごすことと思う。そして(言葉はふさわしくないけど、あえて言うと)犠牲になるのは、幼い子供で、できればさせたくない経験をさせることになる。でも親が離婚しないことで、もっと不幸な境遇になることだってある。その逆に子供のおかげで夫婦間が修正されることもあるだろう。選択は人それぞれで他人が口出すことじゃない。そして独身でいることがラクであることもあれば、やはり誰かとひとつのことを分かち合いたいという気持ちになることもあると思う。その後のことは運命だし、人それぞれの価値観ですすむ道は変わるだろう。なんだか最近であった、離婚歴のある独身女性たちが(表面的だけだとしても)あまりにもあっけらかんとしていて、生き生きとし、若々しいもので、今日はこんな話になってしまった。
2006年03月03日
夫から電話があって、ふと思い出したのだけど、先週の土曜日の25日に鹿沼市国際交流協会の国際理解講座「トルコ」があった。講師は日本に滞在中の夫。内容もそうなんだけど、いったい人が集まったのかどうか、それが心配で尋ねた。なんでも20名定員のところ、30名の参加。しかも参加希望をされた方はそれ以上で、ずいぶんお断りすることになったらしい。なんにせよ、関心を持っていただいて、ありがたいことです。内容はどうだったのか、遠くはなれている私にはわからないのであるが、満足していただけたのだろうか・・・。心配である。次回のトルコ講座はミフリ社長が講師!? なんて話はあるのやら、ないのやら・・・。それから、このシーズン、ミフリを訪ねてくださるみなさまへ。なんだか知らないのですが、(消滅していたと思っていた)客引きのあんちゃんが声をかけているそうですが、ミフリに来るときはできるだけ自力でいらしてください。もしくはしつこい客引きに捕まってしまったら、ミフリまで来てくだされば、逃がしますので、心配しないでとりあえずいらしてください。私がいない場合でも、アドナンとチャイでも飲んでいってください。場所は時計塔の目の前にあるモスクの正面口を過ぎてすぐに左に曲がってください。右手にレザーショップ、絨毯屋があり、その隣に屋外のカフェテリアがあります。そのカフェテリアのある建物の2階です。ただこれから出張などが多いので、留守がちです。事前にメールやファクスなどでご連絡くださるとありがたいです。では、お待ちしております。
2006年03月02日
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