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プール通いができる余裕があると思っていたら、また睡眠時間2時間の日々になってしまった。睡眠時間が2時間というのは明け方の6時に寝て8時には起きて出勤する・・・ということなのであるが、それでも息子との約束があるのでプール通いも続けている。朝から外回りをし、店へ行き、夕方からは空港そばのホテルまで行き、プールで泳いでハマムで身体を洗う。その間にも携帯に電話がかかり、「ホテルで泳いでハマムに入るところ・・・」なんて応えると、「優雅でいいねえ」なんて言われるけど、現状は優雅じゃなくて義務、疲れが限界のときなどほとんど拷問。ハマムに入るから、家で風呂に入る時間を考えなくていいってだけ。暗くなる前に(9時ぐらいにならないと真っ暗にならない)家に帰り、疲れた身体で居眠りしながらパソコンを打つ。気がつくとパソコンの上によだれが・・・・ああ、あぶない、あぶない。そして忙しいときに限って、用事が立て込む。暇なときは思いっきり暇なのに、どうしてうまい具合にいかないものだろう・・・・。店で5分、10分の爆睡。もう帰国なのに、まだ何も用意ができていない。家の中ぐらい掃除したいけど、手をつける時間がなくて、気だけがあせる。ああ、また着の身着のまま帰国。髪の毛もボサボサ、せめて眉毛ぐらい美容院で揃えたかったのだけど・・・・。今日はただのボヤキである・・・・。
2006年06月27日
アンタルヤで25日(日)に爆発事件があったそうである。このニュースをどこで知ったかというと、出勤前に目を通すインターネットの日本のニュースであるのだが、「トルコの保養地」と書かれているので「またか・・・」と思って開いたら、「アンタルヤ」。しかもトルコ人2名、外国人2名の死亡者も出ている。「えっ!?」と思って読んだら、アンタルヤの公園にあるレストラン・・・・・・。アンタルヤの公園ってカラアリオール公園か・・・!?(ミフリ社長の頭は単純である・・・公園と言えばそれしか知らない・・・)どこであったのだろうと、店にいるアドナンに電話で聞いたら「・・・(事件があったこと)知らない・・・・」。出勤してからレンタカー屋の親父に会ったので「爆発事件ってどこであったの?」と尋ねたら、「マナウガット・・・でもテロじゃなくて、レストランのプロパンガスが爆発しただけらしいよ」。・・・・以前にもアンタルヤの観光地でエアコンが爆発して死者がでたことがあったし、ゴミ箱のスプレー缶が暑さで爆発して負傷者がでた事件もあった・・・・。アンタルヤの夏は異状に暑いですからねえ・・・・。店に来ていた新聞記者のフセインなど、「マナウガットで悲しい事件があった・・・」と言うので「それってレストランの爆発事件のこと!?」と詳細を聞こうと思ったら、「新聞記者仲間が暴行にあって、機材なども壊されたらしい・・・・」と違う話。それ以後、誰の口からもこの爆発事件の話題は出なかったのであるが、それも不思議である。アンタルヤでも、市内ではなくマナウガットであるから私たちのいるところからクルマで1時間離れているとはいえ、(日本の報道によると)テロとの関連もありえるかもしれないのにカレイチ商人の間ではほとんど話題にのぼらなかった・・・。(マナウガットでは騒いでいるかもしれないけど・・・・。)死傷者30人ほどの大きな事件なのに、不謹慎なことをあえて言わせてもらうと、不景気に加え、ジャスト観光シーズン前に爆発事件で、今年の観光もダメージを受けるのだろうか・・・・という不安な気持ち。過去にも同じような事件で何度も繰り返し味わってきたために、できるだけ穏便に騒ぎたくない・・・という感覚が無意識にあるのかもしれない・・・・。日本で「アンタルヤ」と報道されているとしたら、親兄弟、親戚、知人・友人も心配していることだろうと思い、連絡を兼ねて書いてみた。どうぞ心配しないでください・・・えっ、誰も心配していない・・・・。
2006年06月26日
カレイチっていうのは、アンタルヤの旧港を囲んだ旧市街のことで、以前は普通の家屋もたくさんあって、住民もいたらしいけど、今ではプチホテル、ペンション、土産物屋、レストランなどが並ぶ観光地区になっている。弊社ミフリもカレイチにある。観光地区なんだけど、このところ、郊外にできた大型リゾート施設に押され気味で(・・っていうか、完全に負けている)、観光客の姿が以前に比べて見事に少ない。観光不振でつぶれていったり、夜逃げする商人が続出なんだけど、このままじゃいけない、っていうので市がなんだか計画しているらしい・・・と言う話は聞いていた。そのプレ計画として、カレイチへのクルマの乗り入れ口の限定と、一方通行、進入禁止の立て札を立てまくり、クルマの行き来を制限した。今までも標識立てたり、いろいろしていたが、所詮標識じゃ、無視して逆行するクルマはあとを絶たないわけで、余計、混雑したり、路上での喧嘩の原因になっていた。今回、強制手段として道路にカパンを設置した・・・・・。カパン(KAPAN)・・・日本語ではなんていうのでしたっけ?ほら入り口などに設置されていて、クルマが逆行できないように、金属製の爪のあるものを道路に埋め込み、逆走しようとするとタイヤがパンクするやつ。これが立て看板で「カパンあり、注意」ってあるのだけど、気がつかない。私は知っているから気をつけるけど、これでタイヤをパンクさせるクルマが続出して、ちょっと問題になっていた。ついにはパンクを巡って口論から殺傷事件にまで起きた。さらにカレイチの商人たちにとっては、ただでさえ観光不況なのに、さらに観光客が入りづらくなり、来る人が減ったという問題も出た。アンタルヤの場合、観光客といっても外国人観光客ばかりあてにしているわけではなく、地元もしくは各地からのトルコ人のリピーターがいる。とくにレストランやバー、レンタカー屋はこのカパンのせいで大打撃。もし昨日までにカレイチにクルマで入ったことがある人ならわかるだろうが、このカパンのせいでカレイチ迷路に迷い込んだネズミ状態になる。はじめてくる人にとっては、入ったはいいが、カパンのせいで後戻りはできないし、道は狭いし、どこに出たらいいのかわからないし、どこへ行っても進入禁止と一方通行の立て札だけで、ほんの目の前の目的地にいくために、カレイチを一度でて、グルっと周って、また同じところから入らなければならないなんて事態もあり、である。カレイチで商売をしている私の場合、カレカプスから入ってすぐのところに店がある。そこから駐車場にたどりつくまでがまるで迷路で、いままで使っていた道が全て進入禁止になり、50メートル先、目の前にある駐車場に行くのに、まず一度カレイチを出て、外壁の外の道路を進み、もう一度別の入り口からカレイチに入り、そこから細い道をクネクネ進み、駐車場へ。50メートルで済んだところが、1キロはかかる。それよりもっとひどいのが、店の前が一方通行になってしまったため、荷物を積みに店に戻るために、一度市内に出て、グルっと周って、カレカプスから入らなければならなった。荷物なんか積まないから別にいいもん・・・って思ったわけだけど、それだけですまないカレイチ商人はたくさんいる。カパンのおかげでカレイチのクルマは減って歩きやすくなったが、その分、人も激減。中華屋のペリンはおかげで暇になり、毎日、私とプール通いができるようになったが、これがこのかきいれどきに続いたら、それこそ死活問題である。で、ペリンが被害をこうむっているカレイチ商人たちの署名を350名分集めて、市役所に提出、現状を訴えた。それが昨日、そして今日、カパンはあっさり撤去されていた。(事前に多方面に根回しはしたが・・・・。)これでみんながほっとしたところなんだけど、このカパン設置に関する費用総額、ペリンが言うところによると5000000YTL(約3億5千万円・・・・!?)。えっ・・・!?計算間違い・・・って思ったんだけど、そんなもんですか?これが無駄遣いになったわけ。だいたいカパンを取り付けた時点でこうなることはわかっていたのに、もったいないことをしたもんだと思うわけ。市いわく、カレイチに関する開発計画があって、カレイチをクルマ進入禁止にし、クルマはカレカプス前に作られた駐車場に置き、カレイチの道路は花を植え、歩行者専用道路になる・・・・計画自体はとても素晴らしいものである。それこそ、以前からカレイチ商人たちがこうなってくれたらいいな、と話していた内容である。でもその計画の前準備であったカパン設置が、逆効果になり、ますますカレイチ商人を苦しくしてしまったのである。それにしてもあっさりと取り外された(刃が収納されただけなんだけど・・・・)カパン。明日には一方通行や進入禁止の交通標識も取り外されて、すっかり元の状態に戻るかも・・・・なんて思っているところ。
2006年06月24日
アンタルヤのここ数日の暑さは異状である。湿気はまだないのだけど、外は熱風、夜も熱風、気温が下がっていないような気がする。私のことだから、天気予報を見て正確なことを言っているわけではない。体感温度で語っているだけだから、どこまで正しいことを言っているからはわからない・・・念のため。でもこの暑さで私たちの身体がいかれかけているのは事実。社員のアドナンも食欲がない。このところ、何も食べない。店にエアコンをバンバンかけて、マクドナルドの宅配便でもオーダーすればなんとか食べてくれるが、水分ばかりとっている・・・やばいなあ・・・と思っていたらやはり具合を悪くした。夫も食欲はあるが、頭が痛かったり、ダルかったり、かなりバテている。アトリエにはエアコンがないので、作業は主に深夜。日中はエアコンをかけた部屋で寝る生活。十分な睡眠がとれなかったり、生活のリズムが突然狂ったりするから、身体にいいわけない。私と息子は元気である。連日のプール通いで、日に当たりすぎて、今日あたりは少々疲れが溜まっている気がするが、それでもプールに行けと言われれば、たぶん行けるであろう。3日連続で日中行ったら、日焼け止めをしっかりして、焼かないようにしていたつもりだけど、気がついたら顔も身体も黒い。昨年までの運転焼け(片腕と顔だけが黒い)に比べたら、マシ・・・・か。もはや、アンタルヤ脱出しか方法はない・・・・・!?というわけで来週あたり梅雨の日本へ帰ります。
2006年06月21日

実は最近、フィットネスクラブをサボっている。サボっているというか、シーズンに入って、中華レストランのペリンが忙しく、私は朝は暇なときも多いけど、徹夜仕事が増えて、午前中はヘロヘロでスポーツどころではない。このクソ暑いなか、ベルトで汗をかきかき、歩く気もおきないし・・・と。それでも時間があるときは、フィットネスは置いておいて・・・・・ホテルのプールへは通っている。さすが、中心地から離れたホテルだけあって、人が少ない。午前中は広々としたプールが、私たちのためだけにあるわけで、人目を気にせずゆったりできる。午後になってホテルに滞在している家族などがプールサイドで日光浴したり、遅めのランチをとったりするが、先日、初めてこんなにたくさんの人をみた。といっても多くて10人程度である。週末には子供水泳教室が開催されているらしい。日本じゃ、私たちのお財布では、なかなかこんな体験はできないなあ・・・・。とトルコに住む利点を存分に味わいつつ、泳いだあとは、敷地内のハマムで洗って、さあ出勤。今日も一日働くぞ・・・・(本当か!?)画像右のペリンは実は学生時代水泳競技の選手だったそうで、トルコ人には珍しく、バタフライでもクロールでも平泳ぎでも背泳でも全てパーフェクトである。私は・・・ダラけた平泳ぎがやっとである。・・・・。
2006年06月18日
先週のイスタンブル出張中に、2006年5月以降の就労ビザがアンカラから届いていた。その前後に管轄の警察が職場を訪問して、本当にそこで働いているか、なんていうようなことを調べていくのだが、もう何度も繰り返している就労ビザの延長なので、警察の質問も家の住所と夫と子供の名前だけの簡単なもので1分で「問題なし」と帰っていった。話を元に戻すと、届いてから30日以内に、就労ビザを持って地元警察の外国人課に行き、滞在許可証の延長をしてもらう。知り合いがいるので、空いている時間にいって、さっさと手続きしてもらい、終わったけど、この数日、申請者の数がすごくて大変らしい。普通なら滞在許可証は当日か翌日、戻してもらえるのだが、今回は申請者の数が多くて1週間後でいい?・・・と言われた。ロシア、アゼルバイジャン、ウクライナ・・・と申請者の出身国はさまざまだが、申請書を見ると、就労ビザではなく、観光滞在の延長申請で、なかには不法就労者もいるのだろうな、という感じであるが、夏のアンタルヤではそれだけ需要があるのだろう・・・と想像する。さて、就労以外の滞在の延長申請は現在、とても簡単である。日本人の場合、最初の3か月はビザなしで滞在できる。以前は延長は3か月間まで、などという制限があったが、現在は多くの国を対象に好きな期間の延長ができる。他の国はあまりよく知らないけど、Aランク入りした日本人は、就労しない、という条件で1回に限り、5年間までの好きな期間、特に理由なく延長できる。その後も延長したければ、一度出国して再度同じ手続きをとればよい。申請のさいに、銀行通帳、または外貨をトルコリラに崩した本人の名前入りの両替証明書が必要。1か月の申請に対して200ドル。1年延長したかったら、2400ドルが入っている通帳、もしくは2400ドル分の両替証明書を見せればよいのである。ただし銀行で通帳を新規につくるには、税務署に行って「納税番号」をもらってくる必要がある。簡単な申請書とパスポートのコピーだけ(トルコ語の翻訳も必要なし)でいい。銀行通帳のコピー、もしくは両替証明書が手に入ったら、警察の滞在延長の申請書類は窓口でくれるので、それに手書きで記入すればよい。以前のようにタイプで打ってこい、とか面倒なことは言わなくなった。それと証明写真、パスポートのコピーがあればよい。ようは月あたり最低200ドルの生活費を持っているのなら、トルコに滞在させてあげよう・・・というわけである。(もちろん月200ドルでは生活はできない・・・)。申請費用は1年間で約4万円である。1か月間からあり、費用は長いほど高くなる。私の場合、就労ビザでの滞在延長であるから、銀行にお金がなくても、就労ビザの期限まで滞在許可をもらえる。あとはそれを延長していけばいいだけである。6年経てば、期限なしの就労ビザをあげるかもしれない・・・という建前上の法律があるのだが、トルコ人の妻と子供がいて、本人は大型ホテルのオーナーで、自分名義の不動産もある外国人男性が12年経ってもまだ期限なし就労ビザをもらえていないので、夫がトルコ人でもなく、投資額も小さい私は一応6年以上経っているわけだけど、期限なし就労ビザの期待はしていない。それでも延長してもらえるので問題はないのである・・・・。今回、就労ビザを発行する管轄のお役所が変わって、そこでのはじめての申請で、多少手間取った。たぶん、この件では私以外にもたくさんの外国人就労者が苦労したことと思う。シゴルタ対象の会社に雇われている外国人はそれほどではなかったようだが、バークル対象の自営業者(オーナー)はとくに戸惑ったと思う。だっていままで問題なく、就労ビザをもらえたのに、急に条件が変わったのであるから・・・。私の場合2つの条件があらたに加わったことで、その書類を整える必要があった。1.過去に遡ってバークル(年金)を納めなければならない・・・結果、100万円以上の支払いが発生したが、これは日本で年金に加入している証明書を添付して、バークルが「あんたは加入しなくてもいいよ」と許可をくれ、この問題はクリア。支払いをしなくて済んだ。2.外国人はトルコでは大学の専攻と同じ職業につけない。私は農学部森林工学科卒である。でも日本でも関係した職についたことがないし、はっきりいって専門的なことはすっかり忘れている。ところが弊社の業務のひとつに「果実、花卉、野菜などの栽培」というのがある。これが森林工学科の仕事に当たる・・・と文句がついた。厳密には森林工学科ではダムや高架の設計や、造園などを学んだ。果実、花卉、野菜の栽培は園芸学科の仕事である。これは以前なかった条件であるが、これで引っかかっている人は少なくないはず。でも会社はすでに存在するのだし・・と、就労許可を発行するお役所の好意で、口頭説明とトルコの「森林関係の技術者協会」に登録していない、また私自身はこの職業の専門家ではないという手書きの誓約書でOKが出た。・・・・というわけで、就労ビザはとるのが面倒だけど、普通に滞在するだけなら特に問題がない限り、日本人には5年間まで許可してくれるトルコ。滞在期限を気にしないでできる、中期・長期滞在でトルコ生活を体験してみてください。
2006年06月14日

キリム織りや絨毯織りをするとき、糸というものが用意をされている段階から始めるのが普通になってしまったこのごろ。でも本来は、羊の毛を刈り、原毛をわけ、それを糸に紡いでいくという作業がある。トルコでも30年ほど前までは糸は手で紡がれてきた。ところが機械の参入で、現在では99%に機械で紡がれた糸が使われている。機械糸と手紡ぎ糸のそれぞれの特徴がある。機械糸は大量生産ができる。細くて均一な糸ができる。コストが低い。手紡ぎ糸は紡ぎ手がほどんといない。現代では均一な手間隙かけた糸が手に入りにくい。紡ぎ手がいないので、今後、コストが上がる一方。でも手で紡ぐ糸にはそれだけの価値がある。どう違うかというと、縒りの強さが違うので、強度の点で優れているし、機械の油が混じらない分、汚れがつきにくい。またよりの強さが違うので同じ大きさの玉を手にしたときにずっしり重さが違うのがわかる。また使えば使うほど光沢が出る。ウールでも手で紡がれた良い糸はシルクのように光るのである。ところで、使えば使うほど光沢が出る・・・という言葉は全ての織物に当てはまらない。手紡ぎ糸でなければ、現れない現象である。だから我々が言う「アンティーク」という定義も、古いからアンティークなのではないということ。100年を越えるとアンティーク、というのも間違った考え方である。私がアンティークを説明するときに、100年という目安を言うのも、今から100年ほど前まで、染色が天然染めが使われ、糸も高度な技で(例えば貝殻ボタンの穴が通るかどうかを基準に糸をよっていた)極細の手紡ぎ糸が使用されていた。その条件が揃って、古くなったものがアンティークであり、例えば、現在の機械紡ぎの糸で織られたものは草木染めであろうと、極細糸であろうと、100年たったとしても価値としては「アンティーク」、つまり骨董的価値を持つものにはなりえないのである。手紡ぎ糸が一般的だったのは前述にあるとおり、トルコの場合、今から30年ぐらい前までである。今でも村などでは糸を手で紡ぐ人、それを内職としている人がいるけど、極稀である。最近、見つかるのは過去によったものの在庫であったり、娘のために絨毯を織ろうとためておりたけど、織る機会がなかったから譲る・・・なんて具合で、糸そのものを集めるのは本当に大変である。しかも少量ではどうしようもない。ある程度の量、例えば絨毯1枚織るのに10~20kgは必要になる。さてトルコで手紡ぎというと、キリマンと呼ばれる単純なスピンドルを使う。欧米で見られる円形ではなく、十字型である。夫の手作りだったりする場合も多い。小さく持ち運びも便利なので、どこでも手軽に使えるのがいい。原毛を毛の方向にあわせて細くひいて、編みこみながらトルコのリングパン、シュミットのようなわっかを作る。(画像ではわっかなしで、先に細く整えた原毛を染めたものを巻いただけ)それを片方の手首にかけ、もう片方の手で毛をひきながら、キリマンを回す。糸ができたら、それを十字の部分に巻いていくのである。キリム用には回転数を多めに、絨毯には少なめにかける。セーター用のふかふかしたよりとは全く異なる。とくにキリム糸の場合、ときには細い綿糸かと思うほどのよりをかけることもある。絨毯は回転数が少ない分、また織るときの作業で2本を1度に使うため、通常2本よりである。そのために、大き目の「ビュクム」と呼ばれるスピンドルで、回転をかけながら、よった糸を2本により直すのである。(そのうち気が向いたら続きを書きます)この村で、手で紡いで草木染めをした糸をご覧になりたい方はミフリ&アクチェの「トルコでお買い物」専用ページでご覧になってください。キリム糸・絨毯糸の最後の方にある緑、赤、紫、黒、ゲチキの手紡ぎ・草木染め糸がそれです。
2006年06月12日
日曜日から木曜日まで4泊5日の出張。地方なんだけど、行き先はトルコで一番の大都会。首都じゃないのに人口が一番多いし、知名度も首都アンカラより高い・・・。隠す必要がないから言うけどイスタンブルである。ここに絨毯屋の用事でくると、スルタンアフメット近辺で済んでしまうので、あまり他の地域にはいかない。でも今回はイスタンブルがいかに都会で、アンタルヤがいかに田舎かと思い知らされた。イスタンブルで何の仕事かは書かないけど、普段村とか田舎にしか用事のないミフリ社長。都会に揉まれて(!?)帰路の飛行機ではぐったりしてしまった。アンタルヤに戻ってみると、やはり故郷(!?)はいい・・・。田舎だけど、でもそれがいいところ。のんびり、ゆったり、青い空と海を見ながら暮らせるもんね・・・・。穴のあいた靴下はいていても、恥ずかしくないもんね・・・・(う~ん、それはどこであろうと恥ずかしい・・・)。都会の一部、外国人相手にスレてしまっている人たち相手に駆け引きありの、都会で高飛車な相手に余計な口を開かせない術とか・・・・。疲れたけど、久しぶりに刺激のある日々であった。
2006年06月10日
今日から5日間の地方出張。現地でお客さまと待ち合わせなので、飛行機で飛んでいく。このごろ暑くてたまらないアンタルヤであるが(我慢できず朝までエアコンつけっぱなし・・・)、北上するから少しは涼しいのかな、なんて期待していると、どうやらトルコ全体が暑いらしい。夜は自由時間があるので、久しぶりに散歩しながら、店でも冷やかしてみるかな、なんて思うのだけど。暇そうな友人を呼び出して、ライトアップされたモスクでも見にいって、アイスクリームでも食うか・・・。というわけで、金曜日までメールの返信などできないかもしれませんが、店はアドナンが開けていますからね。詳細は以下をご覧ください。ミフリ&アクチェ次回は村の伝統的な織物シリーズ(!?)の続きで、簡単な道具スピンドルを使った糸の手紡ぎ。
2006年06月04日
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