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最初にお断りをさせてもらいたい。驚かせたり、怖がらせるためでなく、安心してもらう目的で書きたいということ・・・・。実は今日の夕方4時30分ごろ、アンタルヤのカレイチのレストラン街向かいで爆弾による爆発があった。私たちはちょうどペリンの中華屋の冷房の効いた室内で涼んでいたところだった。突然、レストランの窓ガラスが大きく揺れ、大きな音がした。風圧でガラスがボンと揺れた。爆発だ、ととっさに思った。あっという間に人が集まり、私たちは2つめの爆発を考え、レストランに留まったが、様子を見にいったアドナンやジャンによると、すぐそばのレストラン街の向かいの市庁舎のビルの前で爆弾が爆発し、レストラン街のガラスは割れ、そばを通っていたクルマの窓も割れ、なかにいた運転手は呆然として何もできないでいた。ニュースの速報では死傷者は死亡4名含めて16~20名ということである。昨日のイスタンブル、深夜未明のマルマリスに続いての爆発であるし、国際ニュースになる可能性を考えて、とりあえず、私たちも周辺にいる人たちも一緒にいる人たちも元気であるので、心配しないでほしいと伝えたかったこと・・・・・。それと、今回の事件で思ったのが、爆弾の仕掛けられた場所、時間帯を考えると、自分たちが被害者になりえたこと・・・。気丈なペリンでさえ、ニュースを知った知人たちからの電話を受けているうちに、泣き出した。「自分があの中にいたかもしれないことを考えたら、怖くなった」という。爆発を近くで聞いた人、見た人たちもパニックになり、泣いていたり、呆然としていたり、手が震えていたり・・・・。私とペリンはフィットネスに行くところだった。たまたまお客さんがいて、すぐに出られなかったので、その瞬間、そこを通ることはなかったが、あのままレストランを出ていたら・・・と思うとぞっとした。朝、ちょうどその道のところにあるATMでお金をおろした。時間がズレていたらどうなっただろう・・・・。私自身でなくても、アドナン、ペリン、Rちゃん・・・・知人・友人の誰かが日常的に通る場所である。実際、今日も誰もがそこを通ったし、また通る可能性があった。フィットネスも行く気がしなくなったし、みんなで家に戻ることにした。噂で5つ星ホテルのある大通りで2つ目の爆発があった・・・なども聞いたが、そのあたりは新聞記者のフセインに確認してもらい、爆発はカレイチだけで2つ目は疑いがあるところを調査中のための封鎖であると知った。日常的に歩く場所での出来事で、心理的な影響を受けてしまったのであるが、この愛すべきトルコという国で、このような出来事が早くなくなってほしいと思うのである。無事であることの報告まで。
2006年08月28日
先週末から今日を含めての25日~27日はイスタンブルでF1トルコGPが開催されていた。その関連で、先週頭からとにかく混んでいた。F1の会場はイスタンブルのアジアサイドにあるサビハ・ギョクチェン空港のさらに先であるが、宿泊場所がないため、ほとんどが別の場所に宿泊し、移動するという方法をとっていたようである。スルタンアフメットではホテルもたくさんあるし、なんとかなるだろうと、予約なしで来た客が、ホテルが見つからず、大きなカバンを持ったまま外で夜を明かしたり、ペンションによってはホテルが見つからない客のために自分たちの部屋を明け渡し、ベランダやクルマで寝るオーナーもいた。私たちは事前から予約をしていたので、困りはしなかったが、こんな混雑したイスタンブルは初めてみた。私は24日の朝から3日間の予定で日本のお客さんと一緒にテキスタイル関連の工場まわりをしていた。正午には日本へ遊びに行っていたアドナンと息子がイスタンブルの空港に着き、その日の夜、ホテルで合流することになっていた。さて夕食でもと外へ出たが、まあ、見事にたくさんあるレストランの席に空きがない。それほど客がいたわけである。レストランを選ぶのではなく、席が空いているところに座るしかなく、それでもどこも似たようなものなので、とにかく座って食事。レストランによっては英語のメニューしかないわけで、それもらしくて面白い。でもイスタンブルの知り合いが言うには、「もっと景気のいいときはこんなもんじゃなかったよ。近年は人が少ない」ということである。さすがイスタンブルである。アンタルヤのカレイチの人気のなさ、これで商売しているカレイチ商人は偉いぞ。というか商売できているのか、心配になった・・・・。26日に無事、今回の任務を終え、アンタルヤへ戻る。私にとっては8日ぶり、アドナンと息子にとっては24日ぶりのアンタルヤ。雲ひとつない青空から雲り空に変わっていて、アンタルヤの夏も終わったのか・・・・と、ちょっとおセンチになった一瞬であった。(アンタルヤの夏はまだまだ終わらない・・・・)メールのお返事遅くなって失礼しています。アンタルヤへ戻りましたので、しばらくは通常通り営業いたします。よろしくお願いいたします。
2006年08月27日
今日から2泊、アンタルヤに長期滞在している日本人のお友達とイスタンブルにお買い物に行く。彼女の目的地のひとつはエジプシャン・バザールの裏手にあるらしく、私の今回の目的地のひとつはグランド・バザールのハンの建物の上の迷路のどこかにある。そのあとは彼女とお店を冷やかしつつ、お客さんから頼まれている調べものもあるので、実際は真剣にモノ探しをする予定。仕事ではあるのだけど、お友達もいることだし、ノリはすっかり観光客である。ちょっと商売から離れた立場でのお買い物。おいしいものも食べて、観光しながら、楽しい2日間。エジプシャン・バザールとかグランド・バザールとか、今まではさっさと通り過ぎるだけだったけど、観光客の目でゆっくり眺めてみると、いままで知らなかった風景が見えてきそうで、それも楽しみである。
2006年08月19日
私は「絨毯屋」を名乗るのが気に入っている。自分でも「絨毯屋」だと思っている。会社として言えば弊社の基本は「貿易会社」である。その内容の1番目に来るのが、絨毯、キリム、その他手工芸品、及び関連したものであり、他に加工食品、花卉、野菜、果実なども項目にある。実際にやっている項目もあれば、現状で不足している項目もある。で税理士と相談して、今回、会社の業務内容を多少変更することにした。この業務内容の変更に伴い、新しいルールで社名も変更しなければならない。新しいルールでは業務内容が社名に反映しなくてはならなのである。。以前からも妙に長い社名というのはあったけど、今後は義務になってしまったので、好もうが好まざるが業務内容が社名になる。今の社名は整っていて、きれいで気に入っている。税理士もいい名称だから変えずにできないだろうか、と考えてくれたが、お役所の方でOKがでない。で仕方がないので出した案が日本語の直訳だと「ミフリ 手工芸・テキスタイル・食品・輸出・輸入・関連商業・有限会社」という名称。なんでもあり、って感じなんだけど、仕方がない。(といっても現行に業務内容から最低限のテキスタイル・食品を加えただけなんだけど・・・・・)お役所からはついでに「絨毯、キリムも入れろ」と言われたけど、それは手工芸のなかに含まれるとして勘弁してもらった。で、内容はというと、絨毯、キリム、手工芸品、雑貨類の取り扱い、その修復、洗浄、輸出・輸入。様々な種類の衣料、布、タオル、靴、カバン、帽子、アクセサリーなどの製品及び素材、各種食品の取り扱い輸出、輸入。関連した業務の他社との提携、アドバイス業、サービス業・・などなど。変更の手数料は同じだから、ついでにホテル業、飲食業、電気、水道、マーケット、不動産、観光・・・・なんでも入れてしまえっ! って話になったけど、それはそのときに追加すればいいから、今は必要ない。やっていない業種を並べても意味ないもんね・・・。さて現地法人であっても、外国資本会社(経営者が外国人)であるから、以前はこれらの変更だけでもアンカラ(つまり中央の省庁)から許可をもらわなくてはならず、金銭的にも時間的にも面倒であった。業種をひとつ増やすごとに、最低50000ドルの資本を提示しなければならなかったし。しかし、今は簡単である。トルコ人の会社と同じように、地元で簡単な書類の提出と手続きと、費用を払うだけで2日もあれば出来てしまう。というわけで弊社の名称が変わりました。業務内容はほぼ同じですが、税理士の趣向で、どういうわけか「靴」に関する項目がやたら多くて具体的です。別に靴屋になったわけではありません。アドバイス業、仲介業。代理業。輸出のインボイスの取りまとめ、及びご希望により実際の輸出業務もやっていますので、トルコとの取引をお考えの方がいましたら、どうぞご相談ください・・・って、これ以上仕事増やしてどうなる・・・・!?
2006年08月18日
さまざま・・・ではありません。さまさま・・・です。来週、またイスタンブルに出張ででかける。それでホテルの予約などを以前からしているのだが、どうも日程がF1トルコGPと重なるようで、どこで聞いても誰に聞いても「ホテル代は2倍になるよ・・・」って言われていた。いくらなんでもそんなこたあ、ないだろうと思っていたら、やはり高かった。知り合いのツアー会社を通して予約してもらって、なんとか差額なしで抑えてもらったけど、それとは別の用事で早めに行くため、もう少し経済的に泊まれる前回利用したホテルに空き部屋があるかどうか聞いてみた結果・・・・。週末はいっぱい、しかもF1のある週は料金が2倍だという。電話で応対してくれたホテルのスタッフですら「この時期、信じられないぐらい高いんですよ・・・・」とすまなそうに料金を言ったけど、ここのホテル通常は80YTL(約6500円)。この間は知り合い料金で50YTL(約4000円)。F1週間は160YTL(13000円)になるそうで、すぐには返事が出来なかった。仕方がないので、スルタンアフメットはあきらめて、いつも会社で利用しているホテルに連絡をいれた。そこはバスタブエアコンもついて、こじんまりとしてはいるが、160YTLといったホテルより設備は充実していて、とてもきれいである。ただ場所がスルタンアフメットではないというだけ。慣れたところだし・・・・。F1週間でも会社料金で50YTL(約4000円)というので、迷わずそこに予約を入れた・・・というわけである。さてF1。日本にいるときは興味があったからTVで見ていたし、実際に見にも行ったけど、トルコでの盛り上がり度はイスタンブル以外はさほどでもないかな・・・なんて感じている。周囲のトルコ人はF1の影響でホテル料金が倍に跳ね上がることを言うと「そんなの見にくる人がいるの?」と全く興味も示さないし、だいたいF1がなんだかわかっていない。かくいう私にとっても今やかなり遠い存在。誰が走っているかもしらない。それより出張中のイスタンブルのホテル代金が高いことの方が重要・・・・。ま、それでもその前後は観光客も増えることだろうし、F1影響でイスタンブルの観光関連の景気が盛り返すことを祈ろう。
2006年08月17日
カレイチ・プロジェクトに新たな動きがあった。マリーナを取り囲んだ、すり鉢状のカレイチには、クルマの出入口が7か所ある。いずれは、そこにゲートを設置し、一般車は有料でカレイチに入ることになり、商人の指定車はカードか何かを保持することで自由に出入りできるというシステムになるらしい。有料となるとカレイチに入るクルマが減って、商売に影響が出るというのが商人たちの心配であるが、今の県庁のあるところに駐車場を作り、通常はそこにクルマを停め、徒歩でカレイチを散策してもらうというプランになっているらしい。といっても2年後、3年後になることは間違いないんだけど・・・・。さて、駐車場問題が解決しないうちから、ドネルジレル・チャルシュス(レストラン街)の横の出入口が出口のみになることになってしまった。入口はというと、さらに海の方へ向かったタクシー停留所の脇から入る道なのだけど、普段は空港方面から戻るときは私もそこを使っているが入り組んだ細い路地で、知らない人がこの路地に迷い込んだら、どこに出ていいのか、また細いためクルマをユーターンさせることも、ひょいと右、左に曲がることも難しい。工事は昨日中に行われるというので、影響を受ける近隣の商人たちが工事をやめるよう、市に直談判に行った。カレイチにきた観光客がこの路地に入って、標識もないのに、どうやって出口のあるレストラン街まで出られるのか、はっきり言って出られるわけがないのである。市のプランは結構だと思う。カレイチがきれいになり、システム化されたら、観光するほうも気持ちがいいだろう。でもカレイチのシステムを作らないうちに、また駐車場を考えないうちに、まずは出入口を制限して、というやり方に、カレイチの一部の商人たちの怒りが爆発しているところ。今が最後のかきいれ時なのに、クルマを入りづらくして、お客さんが来づらくして、商売の邪魔をする気か~! そうじゃなくても景気が悪いのに~! って感じ。以前、道路にカパン(とげとげがついていて、逆走しようとするとタイヤがパンクしてしまう装置)をとりつけて、それからタイヤがパンクして大喧嘩とか、カレイチで道に迷うクルマとか、しまいには誰も来なくなってしまったとか・・・・やはりカレイチ商人が市に直談判を繰り返し、結果、すぐに取り外されたが、今度の出入口制限も、じきに撤去されるのだろうとも思う。「設置するのは構わないけど、なにもかきいれ時の今じゃなくてもいいだろう。クルマの進入経路をシステム化してから、オフシーズンにやってほしい」というのがカレイチ商人の要求である。外から見ているカレイチと、実際を知っているカレイチ商人から見たカレイチはかなり差があると思う。市との戦いが続いているのはこのあたりに問題があるわけだ。カレイチに店を持ち、丸11年が経つ。この間、3回移転をしたが、同じ通りの近所での移転である。カレイチの古い家にトータル7,8年は住んだだろう。私にとっては、トルコ=カレイチ生活なのであるが、正直な気持ちを言えば、以前の賑やかなのに、ゆったりしたカレイチの様相は今はないし、作り物の空間になっていくだけに思えて仕方がない。それを言ったら、私が来る以前のカレイチはもっと雰囲気のある素敵な場所だったかもしれないし、時代の流れに逆らえないってことなんだろうけど・・・・。新しい建物が建っても、それは上っ面だけのことで、元の住民たちは家を売り、外へ出て行く。逆に他所の都市からやってきてカレイチに店をオープン。でも最近の不景気のさなか、新規ではなかなかうまくいくわけがなく、すぐに消えていく、出入りの激しい商人たち。そのなかで、どういうわけか古くからいる商人たちの仲間意識が異状に強いというのも、新しいものを受け入れないというのではなく、長年、その出入りを見てきた結果なのだろうな・・・などと、わけのわからない結論を出す、ミフリ社長であった。
2006年08月16日
見学って書いたけど、心の中では(ウィンドゥ・ショッピング)と小さくつぶやく・・・。博物館を見るのは好きである。歴史的なことよりも、繊維関係や小物の古いものを見て、ただただ興奮する。今回、せっかくイスタンブルのスルタンアフメットにきたのだから、トプカプ宮殿でも見ていくか・・・と赴いた。前回、いつ入ったかというとたぶん、7,8年経ったと思う。そのあと、4、5年ほど前に出張できたときに入ろうとしたら、やたら入場料が高いときで今の40YTL(3000円ちょっと)ぐらいしたものだから、同行した従業員のスーザンが驚いて引いてしまったということがあった。最近、安くなっているとは聞いていたので、チケット窓口を見たら10YTL(約800円)。一人で見るのもつまらないから(博物館は一人で見るものだという説もあるが・・・)、友人を呼び出して一緒に入る。一人で見たくないというのは、単に講釈を述べる相手、つまり感動を共有する相手が欲しいだけなんだけど・・・・。私は基本的には固いものには魅かれない。トプカプ宮殿で有名なダイヤとかエメラルドもすごいなとは思うけど、石類にはほとんど興味はないのである。衣類、刺繍、織り布・・・・。それはそれは素晴らしい・・・こんなにコンディションよく、しかも仕事量が違うのである。当時の支配者のものであるから当然なんだけど、トルコ人本当はやればできるのじゃない、っていう技術がある。今の不器用さ大雑把さからは想像できないけど・・。ここに展示されているようなものは手にしたくてもできないわけだけど、私もこれより身分の低い方々や一般庶民のもの、もっと近代のものなら多少持っている。ハマム館に展示してある刺繍入りのタオル、手ぬぐい類になると、私の持っているものの方が上だな、と思えるものもある(そんなことを考えて一人喜ぶわけであるが・・・・)。でもやはりため息が出てしまう。ガラスに顔をくっつけて立ち止まってしまう。ため息というか、身体が興奮して振るえ、鳥肌が立つ・・・・。こういう現象ってお客さんのキリムコレクターたちにもある。たとえば私がある場所で、絶対出るはずのないアンティークキリムを見つける。目垢がつかないように隠しておく。密かにコレクター間や業者間に噂だけが流れる。このキリムを見たいという人が訪れる。でももちろん、とぼけなくてはならない。そしてこの人・・という人にだけ見せるのであるが、この人・・というのはお客さんになりえる人はもちろんであるが、このキリムの素晴らしさを共有できる人・・・という意味である。見せても業者の場合「これは○○さんにいくらで売れる」と値踏みするだけの人がいるけど、そういう話はおいておいて、キリムのすばらしさを共有したいのである。見せた瞬間、たいていの人は声もでなくなる。見入る。立ち尽くす。しばらくすると、キリムを撫で回しはじめる。キリムに身体をつけてさらに撫で回す。そしてもう一度立ち上がって見入るのである。鳥肌がたつ程度はごく当たり前で、なかには髪の毛が立ったり・・・こうして書いていると作り話みたいだけど、事実である。話がだいぶそれてしまったけど、そういう意味で博物館見学は好きである。固いものには興味がないと書いたけど、アンカラ考古学博物館の展示物のなかには実は欲しいものがある。毎回、見るたびに「まだ売れてない、よかった」とわけのわからない気持ちになる。(売れてなくなるわけはないのだけど・・・)お金で買えるものならどんなに高価でも買いたい・・・(どんなにお金があったとしても、買えるものではないわけだけど)。収集癖って困ったものだと思う。時々これを手に入れて、持っていてどうするんだ・・・と思う。私の場合、商売もしているから、お客さんにいったん見せてしまったものは「売ってもよい」という決意のもの見せる。「売らない」と決めているものは見せないことにしている。売らないものは私以外の目に触れることなく、私だって毎日見るわけでなく、長持ちや戸棚の中にしまわれるわけである。私が死んだら、これらはどうなるのだろう・・・って思わないわけでもない。でも死んだあとのことは知らないもんね。それでも欲しいものを見つけると欲しくて欲しくてたまらない。洋服が欲しいとか、クルマが欲しいとか、宝石が欲しいとか・・・て全く思わないのだけど、キリム、絨毯、その他手工芸品の骨董は別の話。最近は以前のように、よい骨董も見つからないし、その分欲しいものが見つからないから、欲しい欲しいモードもあまり出てこないのだけど、トプカプ宮殿で見たようなものが世の中に存在し、見ることができることに興奮する。トプカプ宮殿見学で久しぶりに鳥肌が立った・・・ってことを説明するだけでずいぶん長い日記になってしまった。
2006年08月14日
いやいや先日、日本へ休暇にでかけるアドナンと息子を見送りにイスタンブルまで行ってきた。ついでに郊外やアジアサイドの絨毯関係や絨毯無関係の知り合いをまわり、最後にスルタンアフメットに住む日本人女性を訪ねる目的もあって、久しぶりにブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿、地下宮殿と行った歴史的建造物が残る観光の中心地スルタンアフメット地区のホテルに滞在することになった。商売上の話なのでほとんど書くことはなかったけど、イスタンブルへは2~6か月に1度は用事(絨毯関係でない貿易会社としての仕事)で出かける。今年に入って頻繁で、アンタルヤーイスタンブルの飛行機の中じゃ顔見知りのスチュワーデスさんも増えて、いまじゃごく普通にトルコ語でしか話しかけてもらえない・・・・。さてイスタンブルへ行っても、よほどのことがない限り、過去10年、スルタンアフメット地区には泊まったことがない。観光目的ではないし、ホテルは他の地区の同程度のものに比べて高いし、それになんといっても「ハヌッチュ」と呼ばれる絨毯屋の客引きとのやりとりが面倒である。客引きってものが禁止されて、一時期それほどでもなかったりしたようだし、知っている人は知っているから、私に声をかけてくることもほとんどなかったのだけど、今回、久しぶりにスルタンアフメット界隈をぶらぶら歩いたらかなり大変だった。相手にも無駄な時間を過ごさせないように、すぐにトルコ語で返答するし、私相手じゃ商売にならないよ、と言うのだけど、「ユズスズ(図々しい)」の彼らにとっても彼らなりのプライドはあるから、はいそうですか、と戻るわけにはいかないらしく、少なくとも何分かは時間を潰されることになる。普段は、周囲を気にしないし、見ない。誰か知り合いが通っても全く気がつかないミフリ社長であるが、あの界隈を歩いていて、あまりにも客引きに声をかけられたものだから、周囲に少し敏感になってきた。どこかでお茶をしているときなど、彼らの行動が目に止まることもあった。客引きはだいたいいくつかのポイントで観光客が通るのを待っている。目はキョロキョロと止まることなく、観察を続ける。目星をつけたら後ろからついてきて、タイミングを見計らったところで、いったん通りすぎて戻ってくる。そして英語、もしくは日本語で「すみません、ちょっと聞きたいことがあるのだけど・・・」とか「日本人ですか・・・」とか「どこか探しているの」とか「あれがブルーモスクで、今なら見学できるけど、行った?」とか・・・・。とにかく話をするきっかけを作ろうとする。高度になると、本当は狙いをつけて追ってきたにも関わらず、ものすごくさりげない。とくに日本語ペラペラで、経験から日本人気質までつかんでいる人たちは見事である。携帯電話を使用した連携プレーもある。最終的に目的地である絨毯屋に連れていけば任務完了であるから、きっかけやそれまでの過程はそれぞれの工夫がある。具体的に書いてしまうと、商売の邪魔をしていると思われてしまうから、書かないことにする。でも客引きという職業的にはあまり良い印象はないけど、プロ根性というか意識、そしてテクニックもここまでくると立派だと思ったりもする。嫌がられることが多いのであろうが、個人的に思うのは、職業としての行動であるからその人自身まで嫌っては気の毒である。彼らだってお金を稼がなければならないから、必死なのである。それに声をかけられたときに、「ところで○○に行きたいのだけど、どこか知っている?」なんて尋ねると、それはそれは丁寧に案内までしてくれる人も少なくない。こちらが普通に反応している分には嫌な態度や言葉を吐き捨てられることもないし、客にならないと思ったら、その後は無視してくれる。客引きをやっている、もしくはやっていた知り合いが何人かいる。彼らは「ユズスズ」であるが、個人的に話をする分には気のいい若者たちである。商売柄、外国人のガールフレンドはたくさんいるのだが、心の中では「本当は誰かとちゃんと恋愛をしてみたい」とか「時期が来たら普通の仕事をしたい」とか「声をかけて、こんなことを言われて、傷ついている」とか「どうしたらこの生活から抜けられるのだろう」とか密かに思っていたりもする。簡単に日替わりの外国人のガールフレンドができるし、そのために嘘をつくこともいとわないけど、若気のいたりというか、たいていある年齢に達すると落ち着いてきて、そういう生活もバカバカしくなってくるものだと思う。ところで話を元に戻すと、彼らの特徴であるが、なわばり意識が強い。どこからどこまでは俺のなわばりで、この客は俺の客で・・・・という感じ。そのため、他の客引きが連れ歩いていた客には手を出さない・・・・。だからね、逆にいうと客引きが面倒だなあ、と思ったら、誰か特定の人と主なポイントを1時間ほどグルグル歩けばいいのである。あとは自動的に情報が伝わる。その後、見事に他の客引きグループからは声をかけられなくなるものである。なんにせよ、見ず知らずの人に声をかけてくる以上、彼らには何かの目的があるわけだから、用がないのであれば無視するしかない。彼らも無視されるのもわかっているから、気を引くためにわざと怒らせるようなことを言ってみたりもするけど、反応したら思うつぼ。わざわざこちらから嫌な態度や言葉をなげかける必要もないし、なかには稀であろうが、客引きじゃなくて純粋に日本人に興味があって声をかけてくる一般の人もいるはずである。お互い嫌な思いをしない、させない、それにこしたことはないのだと・・・・は思うのだけど・・・・それも難しいな、などと思ったり・・・・。アンタルヤでぼおっと商売していると、この手の話とは無縁であるが、スルタンアフメット界隈で久しぶりに外国人観光客気分を味わったミフリ社長であった・・・・。「客引き編」は終わり、次回「観光編」へ続く。観光編と言っても期待しないでください(誰も期待していないって・・・)。イスタンブルに詳しい人はいくらでもいるのだから、私は個人的なバカ話をさせてもらうだけ・・・。
2006年08月13日
絨毯屋の社長の前職はフリーランスのライターである。有名じゃないけど、仕事はいっぱいあったし、忙しかったけど、楽しかった。連載で署名記事も書いていたし、やりがいもそれなりにあった。物書き願望は全くと言ってなかったけど、その延長線上で本も出させていただいて100万円ほどの印税も手にした。絨毯屋になってからはきっぱり前職は忘れて、未練は残さない・・・。それに正しい日本語はもうわからないから、今でも時々、トルコ関係とか、それ以外でも書かせてもらう機会があるのだけど、正直言って自分で書いた日本語に自信はない・・・。・・・って威張っていても仕方がないのだけど・・・・。さてライター時代の思い出と言えば、フリーランスだから仕事は家。まだ20代だったし、1週間ぐらいの徹夜なんていうのもあったと思うけど、乗り越えられた。当時はありがたいことに、とにかく仕事は山積みで、取材に行っては、メモやテープを起こしながら書くわけである。同時に何件かの仕事をするわけで、資料はぐちゃぐちゃ、部屋もぐちゃぐちゃ・・・。そして眠ることができない分、食べ物に走る・・・(それでも今よりはずっと細かった)。この時の相棒もフリーランスのライターで、その後、名が出る人になってしまったけど、深夜のコンビニで仕事の合間に立ち読みデートをしたもんだ。話はズレたけど、この仕事には常に時間との戦いがあるわけで、あと1時間、あと10分・・・とあせればあせるほど、時間はどんどん経っていくし、手は進まないし・・・どこかに逃げ場があれば、このまま逃げてしまおうかなあ・・・なんて一瞬思うほど、つらい夜もあったわけで・・・・。お金だけはあるけど、遣う時間もない、寝る時間もない・・・(最後だけは今でも同じか・・・)。ただ今の寝る時間がない・・というのは、自分の仕事だから締め切りというのがない分、ラクである。やっただけ仕事につながるし、やらなければそれだけのことだし・・・。でもよそから来た締め切りのある仕事はしんどい。守らないとその後の信用にかかわるしね。・・・って生活を20代のころ続けていて、このままでは死んでしまう・・・と逃げたのがトルコであった・・・今、明かされるミフリ社長の秘密・・・って全く秘密じゃないのだけど。それからパソコンとか、ワープロとか、時計を見ながら、最終入稿時間を逆算するとか、そういう生活はなくなって、よかったなあ・・・って思っていた。寝る時間が少ないのは今も同じなんだけど、時間時間に追われる恐怖はないもんね。・・って思っていたら、つい最近(って言うか今、その真っ只中)、ライター時代の悪夢が再び・・・。大げさですみませんね、単に締め切りのある、しかもとっても急ぎの仕事を請けただけ。でも久しぶりに時計とにらめっこ、家から1歩も出ずに、丸2日間半はただパソコンの前にいただけ・・って生活を味わった。完全徹夜2晩・・・。一応送ったけど、まだ訂正箇所もあるし、寝れないので、今は今晩、ベットで寝られる幸せを味わおうと夢みている。追われている間は、コレさえ終わってくれたら、私の人生、あとは何もいらない・・・って、心から思ったもの。ジムやプールに通う日がまるで遠い昔のように思ってしまったし・・・。まあ、今後はこんなに時間に追われた仕事はないと思うし、やることもないと思うので、2006年の夏の思い出として大切にしよう・・・・。夏の思い出がこれじゃ、情けないなあ・・・。あと何時間かで開放される・・・って喜んだところで、もう1件締め切りのあるものを思い出し。た。
2006年08月11日
ヨーロッパに自分磨きの修業にでかけていたRちゃんが、久しぶりにアンタルヤへ戻ったかと思ったら、今度は弊社の若い者が休暇で日本へ出かける。その若い者について、息子も日本へ休暇にでかける(ついこの間、戻ったばかりなんだけど・・・)。それを見送りにミフリ社長もちょっと出かけてきます。すみませんね。戻ったと思ったら、またトンボです。どこでもドアが欲しいって切実に思う、今日このごろ・・・。追記:ホームページが見れなくなっているようですが、ちょっとした手違いらしいので、もう少しお待ちください・・・・。
2006年08月03日
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