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昨日の国費留学生の応募に関する講演会で、日本の食文化に関するスライドによる説明があった。寿司も紹介されて、それにつばのむアドナン。講演会が終わって、寿司を食いたいモードに入ってしまった。そして再び寿司パーティーをすることになった。朝、店に行って、約束のあるお客さんと会った後、さっさと店を閉めて、アドナンと買い物にでかけた。スーパーでチュプラを3匹、約2kg、海老を少々。あとはツナマヨネーズの海苔巻きをすることになった。今回はアドナン、セルカン、ウール、オスマン、私と息子の6人。オスマンは初めての寿司で食べられるかどうか、わからないのに、お米を2kg炊いて、太巻きを4本、握りをチュプラと海老といくらで約120個作った。加えて特大の生春巻きもどきを15本ほど・・・・。時間が遅くなってしまったせいもあって、アドナンが握りを50個ほど食べた以外は、ほとんど食べる人がいなく、今回はずいぶん余ってしまった。家に持って帰ってもらうことにしてお土産にしたが、今回の教訓は食べたいからって人間が食べられる量には限度があるってこと・・・・・かな・・・!?
2007年03月30日
アンタルヤの国立大学、アクデニズ大学で日本への国費留学生の応募に関する講演会があるというので、希望する日本語講座の生徒たちと出かけてきた。会場には日本大使館のF氏、ジャイカのシルバーボランティアでアクデニズ大学に派遣されている3人の日本人男性、他にアンタルヤの日ト友好協会の会長であるシャーヒン先生ほか、日本関連の人たち、アクデニズ大学の学生たちが集まっていた。スライドを使った2時間ばかりの講演だったが、日本人の講演は一度も通訳を使うことなく、トルコ語または英語、F氏はトルコで覚えたという流暢なトルコ語で話を終えた。一緒に行った日本語講座の生徒たちは、留学について情報を得たかった人と、日本人が講演をするので、もしかしたら生の日本語が聞けるかもしれないという期待があったようだが、日本語での会話は一度もされず、それよりもトルコ語を話す日本人たちに圧倒されてしまったようだ。その分、自分たちも日本語の勉強をがんばらなくちゃ、という気持ちにもなったようだけど・・・・。トルコからの国費留学生は大学卒業者対象の場合は1年半から2年で、年齢制限は35歳以下、英語か日本語のレベル試験結果を持っていること、日本では6か月の日本語授業を受けること、13名の募集で、月に17万円以上の支給金があることなどが説明された。話によるとやはり有名校の学生たちの応募があるようで、地方大学では語学力の問題が出てくるようである。個人的に英語または日本語を勉強している人は別にして、学校だけのレベルだと難しいのだろうなあと思う。それにしても、地方の大学であるにも関わらず講演を聴きに来た学生は多くはなかったが、少なくもなかった。ジャイカの日本人先生たちとの関わりで、日本に興味のある学生がいるのだろうと思う。トルコは急成長している国のひとつである。でも一部の裕福層をのぞくと、庶民の生活は実はなかなか厳しい。就業が困難という点、文化的な生活に十分な収入を得られる人が少ないという事実。日本と関わることによって得られるだろう何かへの期待が大きいのがわかる。日本語を覚えたら、就職面、収入面で一歩前進できるのではないか、と考える人もいる。実際はそんなに簡単なことではないし、ある程度の時間が必要なことなのだろうけど、私も自分のことを考えたら、今、トルコ語を不自由なく使えることで、得られていることもあるわけで、何かを学んだり、体験することによって損することはないと思う。ただ、単純に習ったことがすぐに収入になるとか、それで生活できるとか、というのはあまりにも短絡的だが、本人の希望があれば、努力と実績を重ねることで、いずれ何かに結びつくということはあるだろう。人生はそれぞれである。人生への考え方もそれぞれである。日本語講座の生徒たちをみても、地道に歳月をかけて目標に向かって努力を積み重ねている人もいれば、「いいよ、このままで」と満足しているようで、単に結果が得られないかもしれない恐怖から逃げている人、なにをしていいのかわからないまま時が過ぎている人・・・・。庭付きの一戸建てと高級車が欲しい人、一緒に過ごしてくれる恋人が欲しい人、寝て食べていられる人生が欲しい人、人生の目標もいろいろである。私はこれから何をしたくて、何をしなければならないのか・・・とりあえずは息子を成人されることが一番目の任務であるが、自分自身の人生もあるわけで、人生の後半に入ってそんなことも考えている今日このごろ・・・・(本当か!?)。
2007年03月30日
市民講座の講師をしていると、授業だけでなく、定期的な会議のほかに、講師のためのセミナーというのにも参加しなければならない。今日あったのが4回目のセミナーで、マルマラ大学の医学博士の女性によるものだった。「変化」をテーマにした人生論、生き方論みたいな内容で、講演者の舞台風の話し方、動き方で、参加者の評判はかなりよかった。講師だけでなく、市の職員たちも多数聴きにきていた。午後は授業があるので途中で抜けて、教室のある市民ホールに戻ったが、なんでもそうだが、一人で自分だけの考えに引きこもるのではなく、ときどきはこういう専門家の話を聴いたり、他人の考え方を聴くだけでも、そうだよね、とか、自分が考えていることがたいしたことじゃないと思ったり、気分が変わるものであるなあ・・・・と。影響を受けるかどうかというのは、人それぞれなんだろうけど、内容でわかりやすかったことのひとつに、ある絵(心理テストでよくつかう向かいあった顔と花瓶の白黒の絵)を見たときに、Aグループは「顔」といい、Bグループは「花瓶」という。お互いに人生のベースが何色かで見えるものが違う。そしてお互いに「あいつらはわかってないなあ」と考える。でも正解は「顔であり花瓶である」ことだという。違う見方や立場で違うものが見えるということを「知る」ことだという。そんなような話が舞台風に続いていく講演だった。最近、商売以外の場に出る機会が増えて、それによって知り合う人の数も増えると、人間関係もそれだけ複雑になってくる。そして馴れ合いになると、お互いに親密さと不敬をごっちゃにしてきて、親しければ親しいほど、相手に対する要求が増え、それが果たされないと不満となる。トルコ人としてはすごく一般的な話なんだけど、親しくなると何でも聞いてくれなきゃ、友達じゃない・・・みたいなところがある。つまり境界線を簡単に踏み越えてくる人が多い。なかには理不尽な要求をしてくる人がいて、話をしていると、すごい理屈で「私の考え方や道徳観念の方が間違っているのかしら・・・」と洗脳しかかりそうになったりする。具体的にはとても言えないが(でもここではよくある話)、それで私も頭に来たり、気持ちがもやもやしたりするのだけど、ふと思ったりもするわけ。自分が正しいということは自分で信じるとして、相手の考え方も私にとっては変だけど、まあ、そういう考え方もあるんだな・・・・。そう思うと、相手の考え方を受け入れるかどうかは別にして、認めることができるから、自分の考えも相手の考えも否定しなくてすむので、気持ちがラクになる。もうひとつ、火傷をして「手が痛いよ~」と泣いている子供には、こう接したらいいんだよ、と講演者が言っていた。1.「手が痛いの~?」と繰り返して事実を肯定する。そうすると子供は「うん」と言う。 2.「それは大変だったねえ」と気持ちを代弁してあげる。3.「こっちにおいで痛いのが治るおまじないで、キスしてあげる」これをしてあげないで「そんなに痛いわけないでしょ」とか「自分でやったんだから我慢しなさい」とか一見正しいことを言ってみても子供は愛を感じることができないけど、たったこれだけのことで愛を感じて育っていけると言う。「今、自分は大変なんだ」「こんなに辛いんだ」「助けてくれ~」と言っている周囲の「子供たち」にも、これをやるべきなんだな、って思ったんだけど、どうしてこうも甘ったれが多いのだろう・・・って。ああ、一人でマイペースに誰にも邪魔されす、骨董集めやっている方がどんなにラクチンだったか・・・・今はそんなことも思ったり。でも人生それだけじゃないってこと。講演者の弁によると人生は20%の知識と80%の人間関係から成り立っているそうだから・・・・。
2007年03月26日
出張と言ってもクルマで小1時間のアンタルヤ県内なんだけど、一泊だから一応お泊り出張。某リゾート地の5つ星ホテルへ出かけてきた。日本とのリアルタイム作業なので、時差が7時間。トルコ時間の朝3時から7時半。そのあと寝ずに朝食をとって、家に戻ったけど、身体が時差ボケしているみたいな感じで、眠たいというよりは、なんだかふわふわする。時差のせいもあるけど、失敗が許されない本番1時間の緊張で、それが解けた瞬間に精神的な疲れがどっと来たようである。いろんな状況を考えて、万端の準備で望んだつもりだけど、なにがあるかわらない・・・ここはトルコ。しかも田舎に開発されたリゾート地で周囲には何もない。夜中だからホテルの専門スタッフもいない。機材が壊れた、インターネットがつながらない、電話回線がつながらない・・その他諸々、そんなことが起きた場合は、どうするか、なんどもなんども自分の頭の中でシュミレーションを繰り返していたもんだから、久しぶりにストレスで胃が痛い(普段はストレスのない仕事ばっかりしているもんね・・・)。・・・・でも、24時間、食って飲み続けていたから、胃が痛いのは食いすぎのせいか・・・!? って気もするけど。無事に済んでよかった、よかった。まずはそんな状況である。
2007年03月22日
最近、仕事をしていなんじゃないかって心配されていますが・・・(誰も心配していないって)、ちゃんと仕事をしているミフリ社長です。働かないと飯食えないもんね。商売上の話は書けるものと書けないものがあるもんなんだけど、最近、書けない内容が多いので、どうしてもあたりさわりのない日本語講座話が多くなってしまう。というわけで今日も日本語講座話。4月に日本からわが講座にお客さんがある。日本語講師資格を持つ日本人男性で、アンタルヤで2週間ほど滞在するということで、ぜひ教室に参加してくださいとお願いしてみた。日本から筆と墨も持ってきて、習字も教えてくれることになり、そのことを生徒たちに話をしたら大喜び。最近はインターネットのおかげで情報だけは入ってくる。日本語講座の生徒たちは、勉強しているうちに日本に関する情報を自主的に集めているようで、いろんな知識を持っている。ときには偏った変なものもあるけど、全く情報がなかったときに比べたら格段の差である。特に若者は私の知らないアニメやアーティストにまで詳しかったりして、「先生、この歌手知ってる?」と聞かれても、私の方がわからなかったりする。習字も情報としては知っている人は結構いる。でもアンタルヤじゃ筆も墨も手に入らない。ちょうど初級クラスも6週12回の授業で、ひらがなが終わって、漢字も50字ぐらいやったところなので、生徒たちは文字を書くことに非常が興味がある。普段から書き順の重要さや、ハネやトメ、ハライなど説明しているけど、生徒たちは「なんで順番に書かなきゃいけないの?」とか「ハネがどうしてもわからん」とか。これは筆で書いたときよく理解できるよ、と説明しているけど、それを実践してもらおう。先生が来たら、週末ピクニックやらお家にご招待やら、それぞれなにやら計画しているようである。普段授業に熱心でない生徒まで「○○○、ってどう言うの?」とか質問が増えた。ところで明日は中級クラスの漢字テストである。息子の小学1年生の国語の教科書から74文字の書き方と読み方。どうも生徒たちは漢字になるとはりきる人が多い。漢字はパズルみたいなもんなのかなと思う。そういえば今トルコで「sudoku」というのが流行っている(らしい)。生徒にも「先生、スドクって日本から来たんだってねえ」と言われて、なんだかわからなかったけど、新聞のパズルのページに書いてあるのを見て「数読」ってわかった。ヨーロッパから入ってきたのでしょうか?追記:先生からメールをいただいて、sudokuは「数独」と書くようなので、訂正します。
2007年03月18日

話だけ出たまま2、3か月延びていた日本語講座有志の「ピクニック」の日。日本語講座の9名と私の息子のあわせて10名で、学校前で待ち合わせをしてケメルへ行く途中の海岸沿いの有料ピクニックエリアへ行った。今日は天気はよかったが、海へ入るにはちょっと寒いかなという天気ではあったが、泳いでいる人もいた。夏の週末や真夏に入ると、ここも座る場所が見つからないぐらい満員なるのであるが、今日はまだ人も少なく、マンガル(バーベキュー)をしているのは私たちだけであった。参加したのは、元放送局員のジェンギズ、、元公務員のニガル、主婦のヌライ、フリーの化学技術者セブギュル、生物学教師のギュルブズ、公務員のセルカン、自営業のウール、そしてミフリのアドナン、彼らの日本語クラスの先生である私と息子。今朝はちょっと早起きをして、梅おにぎりとツナマヨネーズときゅうりの太巻きを作った。アドナンは食べる気満々だったけど、他の生徒は海苔の匂いで食べないだろうと思って、太巻きは2本分しか作らなかった。しょうゆとわさびを添えて出したら、なんと好評であっというまになくなってしまった。授業でよくおにぎりや寿司の話をしていたおかげかなあとも思ったり。まだ食べたりなそうだったので、もっと作ってくればよかった・・・という結果になったが、なにごともほどほどが一番である。メインのバーベキューは鶏肉とキョフテを6KGほど。それとトマトとビベル。おにぎりと寿司で結構お腹がいっぱいになってしまったので、半分だけ焼いたところで、ギブアップ。ラクとビールとコーラ。それよりパンをどういうわけが12本も買ってあって、1人1本以上の割り当てであったが、これも残った。あとはサッカーしたり、フリスビーをしたり、ボール投げをしたり、海にちょっとだけ入ったり、木登りをしたり。アンタルヤの中心部からクルマで15分ほどのところだけど、家に着いたら7:30。帰路のクルマの中でも大音響で音楽をかけ、踊りまくった。
2007年03月10日

昨年末は日本語講座の生徒と2回寿司パーティーをした。2007年に入って今回が初寿司。息子の誕生日パーティーで、息子の好きないくらとレブレッキを握ってみた。いくらはモスクワの空港で買ってきた缶詰。軽くゆすいで、しょうゆをちょっとたらしただけなんだけど、全く臭みがなくてうまかった。もう何年も昔、グルジアで買ってきてもらったものに比べたら、全く問題なし。また機会があったら買ってきてもらうか・・・って感じ。レブレッキはスーパーで皮まで剥いてもらったので、今回はちょっとラクをした。そして、これは何かというと・・・・白身の魚で作った「ちくわもどき」。ちくわなのは、筒状に長くした形だけ。それを切って、握った寿司飯の上に載せてみた。それ以前にちくわって材料なんだっけ? って今さら思ったりするわけである。ちょっと重たい感じだけど、味はうまくできた・・・・と思う。マグロが入ったら、今度は本格的な寿司パーティーをする予定だけど、生魚がたべらるのはアドナンぐらいなんだよな・・・・。
2007年03月04日
実は息子の誕生日は2月29日である。29日に生まれてしまったけど、これは出生届けでは2月28日か3月1日にするのかと思っていたら、そのまま29日でいいということであった。生まれたその日が29日なんだから、それも当然だと思ったけど、誕生日パーティーをするのには、今年のようにうるう年でない日は結構不便である。はっきりした日がないから、誕生日は28日か3月1日にしよう・・・・って思うわけだけど、両方ともなんだか違う気がして、今年は私の仕事の都合もあって3月2日にすることにした。たいしたことじゃないのだけど、なんだかしっくりこない。29日のない年は。まっ、来年は29日があるか、などと呑気に考えたりもするのだけど。仕事を抱えて徹夜をしなければならない月末~月頭。本当に奥さんが欲しい・・・・。せめて子供の誕生日にケーキを一緒に作るぐらいの余裕が欲しいなあ・・・と思うのだけど、あと3か月は無理だろうな・・・・と。夏になったら働かないぞ・・・・と思って、また働くのである、どうせ・・・。
2007年03月01日
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