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朝3時出発でエーゲ海地方の村パザールへ出かけた。早朝だからレーダーを気にしないで飛ばしたとはいえ、途中からショートカットのつもりで初めて使う山道に入ったら、「道はいいよ」と説明されたのと違ってがけっぷちの狭い道で行っても行ってもたどり着かない。「急がばまわれ」である・・・・。出発から7時間半。目的地に着き、クルマを停めてパザールへ。顔なじみのオバちゃんやお兄さんたちと挨拶したり、買い物したりして2時間ほど過ごした。今回日本に行ったアドナンの代わりに同行したのはウールとセルカン。クルマの運転はもちろん、二人とも185cm以上、90kg以上という体格で、ボディーガードとしても優秀である。バザールの後は、商談もあるから二人もワイシャツとネクタイ姿で。それから山越えをして、オリーブ畑を見ながらイズミールへ向かった。予定以上に早くついたので、絨毯問屋の友人を訪ねて、それからイズミールの別の友達宅へ行き、みんなで泊まらせてもらった。翌日と翌々日は今回の目的である。オリーブ工場の見学とオリーブとオリーブオイルの勉強。今はまだ時期ではないので、工場は稼動していないところがほとんどであるが、保存してあるので工場の中はオリーブのちょっと塩酸っぱい香りが漂っていた。トルコでオリーブは朝食にかかせないもののひとつである。ブラックオリーブ、グリーンオリーブ、村では家庭で漬けることも多いが、水を取り替えたりかなり面倒なので、町の生活では買ってすませる人がほとんである。日本で言うと梅干しみたいなもんかな・・・。スライスしたものはピザに使ったり、料理に使ったり。マニサの小さいけど、社長さんがとても協力的な工場があり、電話をすると日曜日にも関わらず開けてくれた。改めてオリーブの塩漬け製造に関する説明を受けてみると、なるほどと思うことがたくさんあって、興味深かった。私のクセなんだけど、商売をするときは、ゼロから全てをみないと気がすまない。実際にオリーブの実が工場に入ってきたところから頭の中で絵を浮かべながら、疑問的などを確認して、ピン詰めされるまでを追った。最後に社長親子と記念撮影。取引条件や価格、梱包などはその後の話である。これを翌日、大手のオリーブオイル工場へ行ったときも同じように聞いたけど、大手だと仕事が分散されすぎて、輸出担当者は製造についてはほとんど何も知らなかった。質問をしても誰でも知っている一般的な返事だけで、詳しく聞くと返事ができないのである。それなら製造担当または各地にある製造工場へ行くから紹介してくれと言っても、11月の製造シーズンに入ってからね、と終わらされてしまって、大手に関してはかなり欲求不満のまま面談が終わってしまった。
2007年05月26日

週末に予定していた日本語講座の初級クラスのお食事会。私の仕事の都合で、週末はいないもので、平日の夜になった。場所はチャールのコンヤルラル・レストラン。あれっ? コンヤルだっけコンヤルラルだっけ? まっいいや・・・・。ここはコンヤ名物のフルンケバブ、クイマルエキメッキなどの他に、羊の脳みそとか、○玉とか、変わったものも食べられる。生徒のネスリンさんがすすめてくれたミックスグリルを食べたのであるが、量の多さにまず、びっくり。そして、これがアイラン。ヨーグルトドリンクってやつです・・・・。食った食った・・・・と思っていたら、かぼちゃのシロップ煮(正確にはオーブン焼き)に、生クリームと砕いた胡桃が山盛りのデザート。これが甘すぎないかぼちゃに、生クリームが絶妙でぺロリと食べた。それからフルーツ、チャイ、トルココーヒーと続き。確実に体重が増えているこのごろ・・・・・。それにしても最近のトルコ人て、昔に比べてみんなあまり食べないように思う。太るのを気にしている人が多いのと、若者はなんだか偏食である。またまた老後の楽しみ、記念撮影。来週の表彰式と展示会でまた会うことになるのだけど、今日でお別れの人もいれば、まだまだご縁が続きそうな人もいる。初級クラスは4か月だけだったので、これからもっと上達するのにな、ってところで終了になったけど、また来年に初級合格者が集まれば中級クラスの開講も実現する。そのときまでどうか日本語を忘れないでいてね・・・・。そして初級クラスの生徒には知らせていなかったけど、今日は私の誕生日でもあった。何人かの友人たちからメッセージやプレゼントをもらった。ゾロ目になったわけだけど、なんだか早いね、時が経っていくのは・・・・。
2007年05月24日

2期、8か月間に渡る日本語講座が今日でとりあえず終わった。午前の中級クラスでは、前もって食べ物を持ち寄ってお別れ会をしましょうね、と話をしており、女性陣は家庭で作ってきたボレキやパンや甘いものを、男性陣はスーパーで飲み物を買ってきた。授業をするつもりだったけど、食べ物を目にして、みんなそちらに気が入って、勉強にならない。これは彼女の直筆、日本語ひらがなテーブルクロス。そしてみんなと記念撮影・・・・。これは私の老後の楽しみになるんだよ~。今日が最後なんだけど、あまり実感がわかない。それは生徒たちも同じで、きっと水曜日になって、授業にいかなくていいんだってわかったとたん、気が抜けるのだろうなあ・・・って思う。午後の初級クラスも驚くほど大きな花束をプレゼントしてくれた。重たくて一人で持ち上げることができないぐらい大きな花束である。まだしばらくは生徒たちと食事会や勉強会、文化会館での修了証授与式などもあるから、これで二度と会えないというわけではないけれど、やはり慣れ親しんだ教室で慣れ親しんだ顔に会えなくなるのは、ちょっと寂しい・・・・。
2007年05月21日

トルコの名産としてローズ・ウォーターがある。水とバラの花だけで作られているものであるが、香りが結構独特で、私は人工的な香料を入れているに違いないと思っていた。ところがトルコの一番のバラの産地ウスパルタのバラ畑に行って、ローズウォーターの香りはバラそのもの、天然の香りだということを知った。今、ウスパルタはバラのシーズンである。郊外のバラ農家では、毎朝5時から8時ごろまで、その日に開いた花を摘む作業を行っている。G村でも早朝から家族総出で、バラ摘みをしていた。近づくと、なつっこい笑顔で「ようこそ!」とトルコ語で話かけてくる。バラの花を摘んで束にしてくれる。3,4歳の子供が自分で花を摘んでは受け取れと、差し出す。もらった花で手がいっぱいになる。(摘んだバラの花を袋づめにして集める)(村ごとに集荷され、トラックで工場に運ばれる)もらった花はクルマに置いておいた。乾燥して、ますます香りが強くなった。アンタルヤへ戻って、クルマに乗ったトルコ人の友人たちに「ほら、ローズウォーターの香りって、このバラの香りと同じでしょ?」と、香りをかがせた。みんなが「あっ、本当だあ」と驚いていた。
2007年05月19日
5月13日は母の日。トルコでも母の日。朝からいろんな人からメッセージや電話をもらった。一応、私も「母」だもんね。でも自分の子供からじゃなくて、友達から祝ってもらうってなんだかおもしろい感覚・・・。友達の一人が私の息子となにやら相談して、私にプレゼントを贈ってくれた。カーネーションとバラの花束と・・・・。ピアスである。ビアスってことは耳にピアス穴がなきゃ、つけられないってことで・・・・。私はこのウン十年、穴を開けるのが怖くて、ピアスとは無縁の人生だったわけで・・・。でも息子が選んでくれたのだから、これを機会にピアス穴を開けるか、ってことになった。ピアスを買った貴金属屋で開けてくれるというので、そこへ行った。無痛の穴開けで、簡易ピアス込みで5YTL(約450円)だと言う。みんなしていることだから・・・と思いつつも、実はビビリまくっているミフリ社長。息子と友達に連れられて、店に行く。「本当に無痛なんですよね?」としつこく聞く。店の主人は今までに一度もピアス穴を開けたことがないというのに、ちょっと驚いていたけど、いろいろ言葉をかけてくれて、息子も手を握ってくれて、私といえば、穴開けマシンから目をそらし、できるだけ、わけわからないうちに終わってくれないかな・・・と、そればかり考えていた。一瞬の痛みで、鏡を見てごらんと言われて、見てみると耳たぶに小ぶりのピアスがついていた。1週間このままでそのあと、プレゼントしてもらったピアスに取り替えるといいよ、と言われた。私の言動があまりにもおもしろおかしかったのか、支払いをしようとしたら、「これは私たちからのプレゼントにしてください」と店の主人、代金を受け取らなかった。ピアス穴を開けて、いままでのこだわりが消えた。別になんてえこたあない。それでも私にしたら、ちょっとした冒険。今年の母の日はピアス穴を開けるという初体験をした日になった。
2007年05月13日

友人の甥っ子が通っている少年サッカークラブ。元トラブゾンスポル選手のイスケンデル氏をコーチに、7歳から10歳ぐらいまでの少年たちがサッカーを習っている。7歳児のグループといってもあなどるなかれ。とても上手な子が何人かいて、ゴールする姿や試合中の仕草はまるでプロ選手のミニ版である。かと思うとやっぱり子供・・・コーチに怒られて、泣いたりもする。かと思うと、試合に出してもらえず、くやし泣きをする子もいた。子供たちはもちろんトラブゾンスポルのファンか、親が熱心なファンである。練習の途中に、現役選手が二人遊びにきて、子供たちは大騒ぎ。一緒に集合写真を撮り、その後は選手たちにサインをもらっって喜んでいた。私たちもついでにその中に入ったが、私は選手の名前さえ知らないし、どれぐらい有名な人なのかもしらないもんね・・・・・。友人の甥っ子も息子と同じ7歳。一緒にサッカー習わせるかな・・・なんて思ったのだけど、ガラタサライのファンの息子は、無関心・・・・。ちなみにサッカークラブの費用は週2日で5000円。1か月4週で20000円である。
2007年05月06日
朝、日本語講座の教室に生徒たちのあとに入ろうとしたら、いつも開けっ放しのドアがなぜか閉められている。おい、おい私を閉め出してどうするつもりなんだ・・・・と、ドアを開けて教室に入ると、生徒たちがなにかコソコソ相談しあっている。「なんでもありません~、せんせい」と生徒たちが言うので、私もそのままにしておいた。さて、午前の授業が終わって12:10。さあ、みなさん終わりですよというときになっても、なぜか誰も席をたたない。その前に生徒の二人が授業終了30分前に「せんせい、どうしても大切な用事があって、ちょっと出かけていいですか」というので許可したところだったけど、その二人の生徒も帰ってこないし、いったい何をコソコソやっているのだろう・・・・と思っていた。「さあ、昼休みだから教室を出ますよ」と言っても、誰も出ない。「せんせい、ちょっと質問があります」とか、「ちょっと座ったらいいじゃないですか」とか、わけがわからない。なにか計画しているのはわかったけど、今日は私の誕生日じゃないし、なんか記念日だったかな・・・・と、でもまあいいや、と生徒たちにあわせた。日本語講座の教室のある建物の同じ敷地に郊外型の大型スーパーがある。なかにファーストフードコーナーなどもあり、私たちは昼休みはそこで過ごす。10分ほどして教室を出て、そこのテーブルに生徒全員に座らされて待っていると、授業中に抜け出した二人の生徒が手に大きな包みを抱えてやってきた。「せんせい、これみんなから、ほんの気持ちです」と、渡されたのは電子レンジであった。なんで電子レンジ・・・!? と思って、前回の授業を思い出して笑ってしまった。動詞+istemekの構文で、それぞれに例文を作らせた。食べたい、飲みたい、行きたい、したくない、来たくない、座りたくない・・・・などである。みんなの願望がそのままあらわれた例文になったが、最後に「せんせいは何をしたいですか?」との質問に「そうねえ・・・・・」と、思いつくこともなかったので「私は電子レンジを買いたいです」と、答えた、のを思い出した。トルコに来て15年近くなる。電子レンジのない生活を送ってきた。日本にいると電子レンジっていうのは、ごく当たり前にあるものだったけど、トルコではなぜかあまり必要と思ったことはなかった。料理を頻繁にしないせいもあるし、そのまま温める食事をしないからだと思うけど。でも確かにご飯があまったときには温めるのに電子レンジがあったらいいな・・・ぐらいには思っていた。忙しいときの冷凍食品の温めとか・・・・。ただトルコでは電子レンジは身体に悪い、と買わない人が多い。私も買おうと思ったときにはそう言われて、なんだか買わずに来てしまったのである。というわけで15年の間、電子レンジなしの生活を送ってきたわけであるが、生徒たちからのプレゼントで電子レンジ生活に突入することになった。いや、待てよ。ただでさえ手抜き料理で、食生活が貧しいのに、これじゃますますチンするだけの生活になってしまう。その前に、なんで今ごろプレゼントなんだろう・・・・って。「せんせいが電子レンジ買う前にって思ってだよ」というのが生徒たちの返事であったが、生徒たちの気持ちを素直にありがたく思った。最近、生徒同士で話をしているのが「日本語講座に来て生活や人生観が変わった」ということである。日本語講座の勉強そのものというより、ここで出会って、生徒たちはお互いにとてもよい関係を築いている。利害関係のない間柄で、しかも気の合う同士が集まって、ピクニックや勉強会なども楽しくやってきている。個人でも友達になって普段から行き来をしている人たちもいる。「日本語講座に来る前は、毎日が退屈だったし、何もなかった。でもここで友達ができて、授業に来る日が待ち遠しいって思うようになった」「将来の希望もなくて、なんとなく過ごしてきたけど、今は話合える友人がいて、悩みを打ち明けあったり、これからのことにも希望を持てるようになった」生徒たちが口々に今の気持ちを語った。私は人生は自分の本来の居場所を探し求める旅だと思っている。最終的な居場所はどこかわからないけど、そのときそのときに自分の居場所があるということはとても大切だと思う。彼らも自分たちの居場所を求めて、挫折して失望して、今、もしかしたらここが現時点での自分の居場所かと思えるところに来たのだろう。気持ちはわかる。私も商売抜きでつきあえる友人たちを得たし、生徒たちはこの国で誰もいない孤独な外国人である私を家族のように面倒みてくれるので、とても感謝している。生徒たちもお互いにそう感じているようで、あと5回の授業で講座が終了するということもあり、感傷的になっているのかもしれない。「講座が終わっても定期的にみんなで集まろう」と誰かがいいだして、私もこの出会いは大切にしたいと思いつつ、期待もせず、かといって否定的になることもなく、ただ言えるのは、日本語講座の講師をやってよかったなあ・・・という気持ちである。生徒たちの独占欲やらわがままやらにも振り回されたし、ついこの間はそれに一喝いれたばかりだし、早く講座が終わってくれないかな、って思ったこともないわけじゃない。でも授業最後の日は、いろいろ文句を言いながらここまで来たけど、私が一番感情的になって、きっと泣いてしまうのだろうな・・・今からそれが頭に浮かぶ。講座は5月下旬から夏休みになり次回は9月に生徒募集と登録で、授業は10月からになる。というわけで夏は本業に専念させてもらいますよ~。まずは地方のいくつかの村民パザールに出かけて、手仕事モノをかき集めてくる計画・・・・って、これは本業なんだけど仕事というより個人的な欲望だけじゃん・・・って。でもいいもんね、それが私の生きる力であり楽しみなんだもん。
2007年05月02日
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