絨毯屋へようこそ  トルコの絨毯屋のお仕事記

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2005年03月19日
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カテゴリ: 社長の一人言
今日、古くから知り合いのトルコ人絨毯屋Bに誘われて、ランチを共にした。

囲炉裏端焼きとでもいいますか?

そこででた話が、私とBの共通の知り合いである「ペテン師」くんの話。

簡単に言えば、人のものを自分のものにしてしまう名人である。
国内業者間ではかなり有名な話であるが、Bはそれが本当なのかどうか事実を知りたいという。
というのもペテン師くんこと、Pくんは、Bを始め商売仲間には自分の潔白を長々と説明するので、Bも最初は話を信じたという。でもいくつかの矛盾点や彼の地元の業者から聞く話に差がある・・・。それにまつわる噂話を延々と聞かされた。
本当はどうなんだ・・・? という話であった。

どうなんだ・・・と言われても、私にとってはどうでもいい話だし、絨毯屋間の噂話ほど、みにくいものはないので、Pくんのことはさておき、私がトルコで体験してきた一般的な話をしてみた。


という60歳過ぎのハジュ(メッカ巡礼の義務を経た人への呼び方)がいた。
何度か会って、さすがハジュだという周囲の評判も納得できた。

ある日、彼の家のリビングで二人きりになる時間が10分ほどあった。奥さんは台所にいた。
するとハジュが私に言う。
「これは悪いことではないのだよ」
「へっ?」
「キミならわかってくれると思うけど」
「なんですか?」
「みんなやっていることだから」

・・・・と、まわりくどい言い方。
要するに私に、愛人になってくれる日本人女性を紹介してくれ、という話である。


でも奥さんがいるじゃないですか?
と言うと、ハジュは
「私の奥さんは病気で、ほら、わかるだろ? 夜の相手ができないんだ」
と。そうじゃなかったら、こんなことは言わないよ、と言う展開であった。
奥さんが病気なのが悪いのであって、愛人を求める自分は悪くない。


それよりなんで日本人の愛人なんだかわからない。
「お金を払うから」とか。
「週に3回でいいんだよ」とか。
「本当はこんなことはしたくなのだけど、奥さんが病気だから、仕方がないのだよ」とか。

で、私が言うわけ。
「それは奥さんも承知していることなんですか?」
「もちろんだよ。病気で夜の相手ができないことは本人が一番よくわかっている」

私はポン引きじゃないんだから、ハジュに日本人女性の愛人を見つけるなんてことは考えないけど、ハジュなんて言って、ただのエロ親父じゃないか、って。

だって奥さんが台所から戻ってきたら
「今の話は内緒だよ」って言う。
で、私が「奥さん、身体がわるいのですってね?お大事に」
と奥さに言うと、奥さんはいったい何のこと? って顔をしていた。
ハジュはあわてた顔していたし・・・・。

愛人紹介しろ、しかも日本人女性・・・なんて、日本人をなんだと思っているのだ、と気分も悪かったので、この話を周囲の人に言った。
でもほとんどの人が言う。
「彼はハジュだし、人間的にも立派な人だ。奥さんを大切にしている。そんなこと言うわけない。キミの聞き間違いだよ」

・・・ってわけで、私が「嘘つき」にされてしまうのである。

男性世界で見せる立派な人の顔、そのかげで女性をモノ扱いする心、平気で嘘をつく口・・・抑制されている人ほど、裏側のひずみは大きいのだと感じる。

某地方都市。
これは私たちだけでなく、トルコ人たちも言う話だけど、宗教家の顔と実際の行動(ただし隠れた行動)の差がこれだけ大きい地域はないだろう・・・と。
厳しい社会だから、家族、親戚、知人、地元の友人間では
「私はお酒を飲みません」
「私は断食をしています」
「私はモスク出のキリムを扱いません」などと言うのだけど、地元から離れたり、知っている人がいない場所では、その行動は全く逆。

ようするに自分の確かな信仰、信念より、他人に見られるか見られないか。なのである。
自分の信念であれば、他人がいようがいまいが変わることはないはず。
彼らのは、誰かに見られていなければ、何をやっても構わない、っていうヤツである。
だから外国人になら何をしても周囲にはバレないだろうとか、って話になる。
外国人が何か訴えたところで
「あの外国人は嘘をついている。私はムスリマンだから嘘をつかない」
って言えばいいんだもんね。


積極的な詐欺師でなければ、人を騙して、自分がつらくなると思うのだけど、都合のよいように「私は悪くない」と自分自身を騙す。
いろいろ言っても自分が罪人になるのは宗教上、こわいみたい。
そこでどういう言い方をするかというと、自分がこうなったのはあいつのせいで、自分が悪人だったら、500万円だけじゃなくてあいつの親の財産まで全てとっていた・・・・って実際にそう言っていた男がいたけど。

もしくは「自分は家を1軒もらっただけで、オレの知り合いの○○は女から家とクルマと現金をとった。だから自分はそいつよりいい人間だ」とか。

・・・ね? 自分の信念がないわけ。
「自分は人を騙さない」
「人のものを自分のものだとして奪わない」という自分の心のルールが。

だから「あいつよりはいい」とか。
「根こそぎとらなかったからいい」とか。
「誰にも知られていないからいい」とか。
「騙された方が馬鹿だから、オレは悪くない」とか。
しまいには「相手がオレに騙されなかったら、オレもこんなことをしないですんだのに」とか。


日本で普通に生まれ育っていると、のほほんとして、こういうことに出会う頻度も低い。(もちろん事件はいっぱいあるけど)。
いまはトルコで日本人を見ると、日本でも良い悪い、いろいろあるにしても、世界的には日本人はピュアだし、信じやすい性格なんだと思う。
それが日本人のいいところなんだけど、世界はいろいろ、感覚の差も、思考の差もあるわけで、日本での常識は世界の非常識って言葉の意味も今はすごくわかる。

そんなことが理解できないうちは、私自身だってトルコで金銭的な被害で痛い目にあったこともある。(そのせいで未だに賃貸でない家も店ももてないし、自慢じゃないけど銀行にもどこにも蓄えもない。そして相手は一文無しだったのに、なぜか自分名義の店と豪華な家を持っている・・・グチっているわけである)。

その話になると、たいていの人が
「あいつは信用できない人間だ。そういう人間だってわかっていてやらせたキミにも罪がある」という。
・・・ちょっと待って、私がどんなに間抜けでも最初からわかっていたら関わらないよ。信用したからじゃない。って思うけど、これは私が平和な時代の日本で生きてきて、人を簡単に信じてしまうピュア(場合によってはバカと言われてもしかたがないけど)な日本人だったせいで、まったくその通りなのである。

その経験から周囲に注意をうながすこともあったけど、余計なお世話って思われるのが関の山。
あとで体験されて「その通りでした」と言ってくる人もいたけど。
自分で体験しないとわからないことなんだろう。
まあ人間ってそんなもの。

・・・キツイ言い方をしたけれど、そういうトルコ人男性たちを見てきた(対して女性は純粋な宗教家が多い気がする)。
宗教を盾に自分がいかにいい人間かを説明する人ほどそうなんだろうな、って思っている。
(いい人かどうかは自分で説明するものじゃなくて、相手が言動、顔つきを見て理解するもの・・・・)
これもトルコに10年間いると、それを間近に見つつ、感じつつ、でもそんなものかと諦める気持ちになっているので、強い非難、批判はもうしない。

トルコ人の一般的なイメージが日本でも固定されつつあると思う。
いい人たちが多いなか、悪いイメージの方が先行してしまうのは仕方がないことなのか・・・。
とても残念なことだと思う。

各地のつきあいの長い友人たち、村のおばさんたち、私はいやな思いをしたことないし、いつもどうしてこんなにピュアなんだろう、正しいのだろう、って思うこと度々。

これほど優しくて温かい人種はいないと思うのに、パーセンテージでいえば、ほんの僅かな人たちのために・・・・。

で、Bとの話に戻るけど、トルコ人、日本人って話でなくて、人間には二面性があるのだよ、って話。
とくに世間向けの顔があり、でも他人にはわからないもうひとつの隠れた顔もあったりする。

あなたにとっては「信じられない、まさか彼がそんなことを!」って話でも。
私にとっては「そういう人なんだよ」って。
とくに外国人で女であり、トルコ人のクセとトルコ語を理解する私にとっては、普通のトルコ人や、日本に住む日本人が見えないものを見ることになる。それが見たくないものであっても。


というわけで、信じるか信じないかは自由なんです。

おまけの話・・・・。
日本人女性の愛人が欲しいハジュの話を、似非ムスリマンの夫にしてみた。

「それは宗教的には普通ですよ。面倒みれるなら4人まで妻を持てますからねえ」
納得していいのか、どうかわからないけど、
「なるほどねえ」と答えてしまった私です。





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Last updated  2005年03月20日 07時14分01秒
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