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アンタルヤの遊牧民は山羊の群が多い。暑さに弱い羊はアンタルヤに向かないからである。暑さで肉の味が落ちるので、アンタルヤでは犠牲祭に羊を買うぐらいなら暑さに強い山羊を買う、と言う人が多い。実際、アンタルヤの高原に行くと、遊牧風景を見ることができる。90%は山羊の群れである。そして、アンタルヤといい、ムトゥといい、アナムルといい、ケレスといい、全国的に遊牧民の織り物に山羊毛を使っているものが多いのは、山羊毛は撥水性が高く、テントや屋外で使用するチュワル(穀物袋)などに適しているためである。また染めていない山羊の毛はさそり避けになると言われている。アンタルヤ高原の遊牧民のテントの一部。1年間を通してここで生活する遊牧一家のもの。さて、山羊というと、日本では白毛のイメージがあると思うが、実に様々な色がある。トルコでは主に濃いこげ茶色が中心で、茶色、黒、白、グレー、グレー茶などが見られる。そして毛足も長く、これをキリマンで紡ぎ、さらにビュクムでよりをかける。これだけ色があればわざわざ染めずにナチュラルウールの織物ができる。トルコ東部のシ―ルト地方の織物も、山羊のナチュラル毛のみを遣い、織る際にブラシで毛に流れを付けながら隠れモチーフを作っていく。(続く)にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月30日
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旅の話をちょっと休憩して。お知らせです。イーネオヤ関連商品、またイーネオヤ、トゥーオヤ、メキッキ、フィルケテなどのオールド・オヤスカーフ(お土産ものとして作られたものでなく、家の長持ちから出してもらった各地のオリジナル品)などの処分市を開催しています。いままでなかなか手が出せなかったものも1000円というお手頃価格で放出しています。在庫限りですので、お早目にどうぞ~。トルコキリムと伝統手工芸ミフリ&アクチェ弊社「ミフリ」は外資系トルコ現地法人の貿易会社です。絨毯、キリム、手工芸品全般のほか、ファッション関連、ファブリック関連、食品、家具、キッチン用品、日用品、各種機械などの輸出・輸入、関連したアドバイス業、代行業などを行っています。にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月29日
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ここはどこでしょう。おじさんは何をしているのでしょう。そしてミフリ社長は何を見ているのか・・・・・。(あ、あそこに古いフェルトがある・・・・)困ったことに、ミフリ社長は古いものにしか興味がない。言いかえれば古けりゃ何でもいい、とも言える。それはさておき・・・・・・。トルコに有名フェルト工房はいくつかあるが、地域の産業として発達し、今でも何軒かで職人たちが伝統的かつ実用向けのフェルトを作っているのがこの町。(ただ来るごとに職人さんの数も工房の数も減っているけど。)伝統的かつ実用向けのフェルトって・・・・いったい何だろうと思うことだろう。フェルトのバックや帽子とか・・・じゃなくて・・・。テントの中の大きく長い敷物や、遊牧民が寒い冬にコートとして着るケペネッキなどである。テントの中に敷物は、アンタルヤの遊牧民のテントの中でも実際使われていたし、コンヤの土壁の家屋の床にも敷かれているのを見た。オールドフェルトはその後、カットされて「フェルトのお守り」やフェルトのバックなど観光客向けのお土産品に変わってしまったが・・・・・なんともったいないことだろう。でも使う機会がなくなったということなのだろう。私も個人的に古い大きなフェルトを持っていたけど下に敷いているだけで温かい。ただ保管が難しいのでやはり処分してしまったけど・・・・。ケペネッキは民俗学系の古い写真などでも見ることがあるだろうが、私はアフィヨンやキュタフュヤの遊牧地で冬に遊牧民が(イカ姿になって)実際に着ているのを何度も見たことがある。本当に使っているのだなあと感動したものである。最近では東部の寒い地域からわざわざオーダーがあるらしい。今でもちゃんと使われているということ。東部の遊牧を寒い時期に見にいかなくっちゃ・・・・と思う。ケペネッキの話と画像は別の機会に長々としたいので、(もったいぶって)とっておくことにする。(続く)にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月28日
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アイシェはアンタルヤ郊外の村に住む。今年44歳で、8歳のときから絨毯を織っている。羊の毛を刈り、糸を紡ぎ、村周辺でとれる草木で、自分流に草木染めをする。昨年、年金退職した47歳の夫と、農業技師として会社で働く24歳の娘、高校を卒業してオリーブ畑の手伝いをしている18歳の息子の4人暮らし。かつて絨毯織りで有名だったこの村では、約70戸のほとんどの家に織り機が置いてある。しかし、現在では常時織る人も3人に減り、木製織り機は外に放置されたまま朽ち果てているか、農具置き場と化している。アイシェは目が悪くなったと、以前ほどは織らないが、今でも途切れることなく絨毯を織っている。自分が織らないときでも、他の2人が大きい絨毯を織るときには手伝いに行く。彼女の家の中には、自身が織った絨毯がどの部屋にも敷き詰められている。これらとは別に、来年嫁ぐ予定の娘のためにも、もう何年も前から織り、数枚の絨毯も用意した。こういった光景は、以前ならまだしも、現代のトルコではなかなか見ることができない。絨毯の織り手がいなくなったこと、自分たちのために織る人たちがいなくなったこと、かつてあったものは売ってしまい、手元に残らなかった・・・・・などの理由で、トルコの田舎でも観光客のための博物館や、展示室以外ではなかなかお目にかかれない。「織ることが生活の一部だし、好きだから織り続けてきたんだよ」と彼女は言う。トルコ生活でくじけそうになったときは、いつも彼女の笑顔と彼女の織る絨毯を見て元気なってきた。もうかれこれ13、14年の付き合いになる。トルコの伝統手工芸に私がこれだけ魅せられて、「本物」を知りたいと思うようになったのも彼女の存在があったからこそである。(続く)にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月27日
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こちらはエーゲ海に近い手織り布で有名な町。古くはシルク糸の製糸工場・工房と、織りの工房があったらしい。地域独特のスタイルをとった、男性用、女性用の手織りシルクスカーフやショール、民俗衣装の下に着るシルク、またはシルク・コットン混の生地などが織られ、襟や袖口にイーネオヤがついたシャツが骨董品としてかろうじて見ることができる。ただ、この地ではすでに過去のものとなっているものたちへの地元の人たちの評価は高すぎて(つまり自分たちの母、祖母など、強いては地元のもので、思い入れが強すぎる場合)、手に入れられるような価格ではないのが残念である。何年か前も訪れたことがあるが、今回、ちょっとしゃれた雰囲気で、センスの良いお店が新しく開いていた。まだ若い青年であるオーナーが語るには、祖母がこの地でシルク糸を紡ぎ、祖父が水平機で織りをしていたという。父親も幼いころから織り一筋で来た人らしい。今でも自宅で織る人たちがいるので(ほとんどが年配の男性らしい・・・・)、下請けに出してシルク糸、コットン糸、ウールなどで手織り布を生産している。見た目には予想外のちょっと変わった動物の毛の糸でおもしろいものも織っていた。(ヒントはキリムの糸にも極稀だけど混ぜることがある動物の毛・・・・・)量産していないのと、PR不足のせいか、国内でもほとんど知られていないと言っていいと思う。シンプルで地味だけど質の良いシルク混のスカーフ風の染めなしの手織り布など、手触りも風合いもよく、興味をそそられた。ただシンプル過ぎて、素材の良さや本物の織りをわかる人以外には難しいかなあ・・・・とは思う。またオスマン時代からの古い家屋や建築物が残る町で、町探索だけでも楽しいところである。(感動のあまり、写真を撮るのをすっかり忘れていた・・・・・)そしてシルク糸を生産していたところには、やはり伝統としてのイーネオヤがあるのであった・・・・・。(続く)にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月26日
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トルコ国内のシルクの里のひとつ。でも地元の人ですら、知らなかったぐらいだから、国内でもほとんど知られていないのだと思う。(そういう私もここへ来るまで知らなかったのであるが・・・・)シルク関連の工房は、現在はこの町に1軒、ここからクルマで1時間ほど先の町に2軒、合計3軒しかないと言うから、それも仕方がないことなのだろう。私も他の場所で偶然見かけた小さな看板に「シルク布、シルクスカーフ」と書かれていたのをヒントに探してやっとたどり着いた。水平機で手織りでシルク布を織っている。織られたシルク布はかなりしっかししたもので、質的にはかなり上質である。布としても売っているし、オヤスカーフを作るのにちょうどよい正方形、また長方形などの厚めの無地のスカーフもあった。イーネオヤを作る人でスカーフを目指している人は、こんなの欲しいだろうなあ・・・と思いながら見入った。シルクのスカーフの柄ものも、よく見ると手書きであったり、そこらに売っているものとはちょっと違う、おもしろいものがいろいろあった。しかも生産者価格だから、普通に買っても安いのである。ヘラにふわふわの毛を巻いて、それをスピンドルで紡ぐのであるが、羊毛のスピンドルとは反対に、錘の部分が上になり、錘の先に針金がついていて、そこに糸をかけて回転させる(らしい)。このスピンドル欲しいなあ・・・・どこで手に入れられるのか・・と尋ねたが、持っていた人は特別に作ってもらったものだからこれしかないのというので、次回にかけることにした。養蚕から、糸紡ぎ、機織りまで全て国産(しかも地元産)である。女社長がデザイナーということもあり、100%シルク製品だけでなく、シルクとコットンのショールなどもオリジナルで作っていた。これならこれからの時期、ちょっと巻くのにもいいかなあ・・・と、いくつか見本を手に入れた。織りも手織りで、柄も色もハンドプリントものである。シルク糸の質もよいので、シルク糸だけ譲ってもらえないかと尋ねたが、こちらも工房で使用する分で終わってしまっているので糸だけの販売はしたことがないという返事。う~ん、残念。次回は時間をたっぷりとって、養蚕から糸取り、糸紡ぎ、織り、染めまでじっくり見学させてもらう約束で、この地を後にした。ちなみに、シルク糸のあるところにはイーネオヤがあるはず・・・・というミフリ社長の説は、やはり正しかったのである。(何が言いたいかわかる人にはわかってもらえたと思う・・・・)(続く)にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月25日
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仕事上でも個人的にもお世話になっているエシメ村の女性たち。かつては自分たちで毛を刈り、紡ぎ、染色をし、エシメ独特のキリムを織っていたが、近年はもっぱらその技術を活かして、絨毯屋からのオーダーキリムを織っている。糸紡ぎも染色も、村ではある時期から途絶えてしまったので、今の若い世代は全く知らない。現在は絨毯屋が用意したウール糸を用いて、写真や現物からキリムを再現していく。エシメ村は緩やかな山を進んで進んでやっとたどり着く。村というよりは10軒前後の集落が点在するだけ。道も途中までで、そこからは何もないところをクルマで強引に進むか、徒歩になる。集落のたいていの家に木製の機があり、大きなもの、たとえば幅3m超のものが作れるように家の柱をそのまま利用した機もある。エシメのキリムは大きなものは、この村で作られるのが通常である。玄関マットサイズなどの小さめのものからセッジャーデサイズは、町中で作らせる。町中では1年を通して織らせることができるが、村では農閑期の冬場中心になる。たばこ栽培が盛んなこの地では夏場は畑作業で忙しく、たばこ栽培に比べてお金にならないキリムを織っている余裕はない。大きなキリムのオーダーがあり、本来なら村に作らせるところであるが、今の時期、多くが農作業に出ていて織り手がいないため、町中の女性たちに作らせることになる。大きなキリムを織ることがない町中では、大きな機もないので、こちらで用意をし、経糸も張ってから渡す。当然、こんな大きな機、家のなかに入らないので、外に置く。(続く)にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月24日
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シリフケからムトゥ経由でコンヤ方面に抜ける道がある。その途中から分岐する東に向かう道に、ウズンジャブルチュがある。都市遺跡である。ガイドブックでも紹介はされているし、ドルムシュも出てはいるが、本数も少ないし、行く人も少ないので、気合を入れて行かないと行く機会もないところである。以前ガイドブックの仕事で入口の前まで行ったけど、時間の都合で中はちゃんと見学していなかったので、シリフケまで行ったついでに寄り道することにした。人もほとんど来ることがないらしいが、実にもったいない・・・・。シリフケというと、遊牧民ムトゥの地である。かつてヤギの毛を地にしたジジムが多く織られていた。上の画像にある畳まれている織り物も、かつて織られたヤギ毛を使用した手織りジジムである。今でも家にヤギ毛のキリム、チュワルなどが残っているが、ここ数年は織っている人がほとんどいない。家に織り機があっても、捨て置かれているか、水平機で古い布でさき織りをしているかぐらいしか見られない。3年ほど前のこと、ムトゥで村々を訪ねて織りの現状を調査したときも、さき織りはしていたが、キリムを織っている人は一人もいなかった。なんてキリムを織らないの? と聞くとキリムは買う人がいないけど、さき織りなら町の青空市に出せば売れて多少でもお金になるから・・・・・という返事であった。まったくその通りである。今回も家に遊牧系の敷物として独特なヤギ毛の織物は見るけど、人に尋ねながら織っている家を探すとないのである。でも村道ではこんな風景をまだ見ることができる。(続く)にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月23日
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とある村で、花嫁のチェイズの展示が、花嫁の家であった。チェイズとは嫁入り道具のことである。長持ち(チェイズ)に入れられて運ばれることからそう呼ばれる。翌日は花婿側で結婚式と披露宴が行われるため、この日の夜に行われるクナゲジェシを最後に展示は全て外され、花婿の家に移動される。その直前に見ることができた。花嫁の家にはおばあさん、お母さん、花嫁が揃い。最後の家族の団欒を過ごしていた。展示はイーネオヤスカーフ、イーネダンテル、刺繍を施した寝具、食器から日用雑貨までありとあらゆるものが揃っていた。イーネオヤはおばあさん、お母さん、花嫁、またその親族たちで作りためたものに加え、おばあさん、お母さんが嫁入りのときに持参した古いものまで。古いイーネオヤを、おばあさんとお母さんが1点ずつ名称と意味を説明してくれた。何度も通っているところなので名称は知っているものが多かったが、ナスの花、とうがらしなどの代表的なもの以外は人によって多少名称が異なるのがおもしろい。最後には親族や近所の女性たちが「これは○○よ」と言えば「違う××」と喧々諤々。こういった伝統もトルコでは消えかけているが、この村では今でも伝統に則りこうして娘を嫁に出す。この家では二人の娘と高校生の男の子がいる。長女を嫁に出し、今回は二女の嫁入りである。女の子をたくさん持つと母親も大変である。(続く)にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月23日
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ブルサで日本人とトルコ人の共同出資でシルク製糸工場が設立された。1929年のことである。先日それに関連したイベントがブルサで行われた。ブルサというとシルクの町として知られるが、それは過去の話で、現在はシルク糸を作っていた工場も工房があった地域もひっそりと寂しい。その跡地に製糸工場が再建されるらしい。また隣接してシルク関連の学校が作られていたが、近々開校予定のようである。中国、インドからの輸入と、中国での製作にすっかり押されてしまっているが、これをきっかけにシルクの町としての復建を目指してほしいところである。さて、一足先にブルサでシルク糸製造を復活させた小さな工房がある。数か月前にオヤ用のシルク糸を紹介したが、それを作ってもらったところである。トルコでは現在、糸巻きの状態でシルク糸として販売されているものは、実は「シルク糸」と通称になってしまっている自然素材による人絹であり、残念ながら本物ではない。アンカラ県内にある、もとシルク糸製造所がたくさんあり、有名イーネオヤ産地として知られる某所で使用されている糸もこの「シルク糸」である。これは嘘というより地元の人たちの間で通称になってしまっているためである。だから「これはシルク糸だよ」と言って売っていても「でもちょっと違うかな・・・・これ本物じゃないよね?」と聞くと、「もちろん違うよ。人絹だ」とちゃんと答えてくれる。話が横にずれてしまったが、シルク糸工房がどんなところか・・・・・・。実はこんな殺風景なところなのである。繭から糸を引き、糸を紡いで、6本よりの糸にするところまでは、家でやってきて、ここで糸によりをかけるのである。手で糸を引き、工房の端から端まで走り続ける。かけた糸を糸より機で12本にしてよる。それをさらに太さや目的によりまとめてよる。この木製機も手動式で、80年前から使われているもの。その他の道具も現在は作られていないので、30~40年前に最後に作られたものを使っているそうである。1日30kmを行ったり来たり、走るそうである。最後に糸を巻き取り、染めは家で行う。今はオーダーによって刺繍糸、オヤ糸を作っているが、その以前はヘレケからのオーダーでシルクの絨毯用の糸を大量に作っていたそうである。まさに職人仕事であるが、彼ら二人もこの一帯がシルク製造が盛んだったころに働いて仕事を覚え、それを今に引き継ぐ生き残りなのだそうだ。(続く)
2010年09月21日
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未公開のミフリ社長コレクションから、骨董のアイドゥンオヤをちらっとお見せいたします。今回のは上級編です。チューリップは極薄の上に、蕾と葉と茎がついている、かなり珍しいタイプです。野の花7種というタイトルのオヤも、同じタイプよりかなり上質です。 赤と白の星のオヤは、ミニ・エフェ。馬の尻尾の毛が1本ずつ芯として入っています。1か所に2個ずつオヤがついていて、全体的にはかなりボリュームがあります。最近の単体の新しいオヤでは見るけど、オリジナルの古いものとしては稀少です。 そして一番左の星のオヤ。中心にふわふわのシルク糸をほどいたものがついています。エフェの一種です。オヤ自体は古く、馬の尻尾でもテグスでもない、細い針金のようなものが芯に使われています。花の形もいくつか種類が混ざっています。ヤズマは付け替えたらしく、新しめ(といっても約30年前のですが)がついています。取り外し可能なタイプなので、古いシルクの布を見つけて付け替えたら最高です。 公開したということは、覚悟の上ですので(なんの覚悟だ!?) 詳細をご覧になりたい方はミフリ社長へメールを。画像をご覧いただけるページをお送りいたします。
2010年09月20日
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エサット・ウルウマイ氏に会ってきた。オスマンの民俗衣装を中心にした個人コレクションを展示した博物館のオーナーである。 各地の博物館にも民俗衣装関連の展示はあるが、これだけ上から下まで揃った形で、様々な展示をしているのはトルコでもここだけだと思う。 すごく勉強になると思うが、残念ながら写真撮影はいっさい禁止されている。過去に無断で流用され、損害を受けたことが理由である。パンフレットなど他の形で資料としてのお持ち帰りはできる。 今回は特別な事情があり、ウルウマイ氏が自ら撮影の案内をしてくれた。公開も承諾してくれているので、ここでいくつかご紹介したいと思う。 民俗衣装もさながら、装飾小物なども充実して、ないものはないというぐらい揃っている。素晴らしい・・・・の一言である。 先々週の南トルコ編(シリフケ~ハタイ~ムトゥ)と、先週のエーゲ・マルマラ編の報告はこの続きでぼちぼちと・・・・・・。
2010年09月20日
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地中海ルートの報告を書けないまま、エーゲ海・マルマラ海ルートのキリム、絨毯とオヤ、民族衣装の旅に行ってきます。
2010年09月15日
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旅の話の合間に・・・・・。 9月13日から息子の学校が始まった。日本で言う小学5年生になる。トルコの初等教育は小学校・中学校の8年間一環教育で、息子の学校では5年生以上は受験に向けて教育システムも変わってくる。 トルコの学校ならゆったり、のんびり過ごせて、受験戦争に巻き込まれることなく進学できるるのだろうなんて勝手に思っていたけど、日本もトルコも実情は変わりない。これから望もうと望まないと学校の補習や予備校とかも無視できなくなるのだろう。親も大変だけど、子供も大変である。 さて新学期の初日は父兄が各自子供たちを連れていき、教科書や制服などを購入する。毎年、結構な出費になるので覚悟はしていたけど、今年は教科書代が690TL,文具代が40TLで730TLの支払い。日本円で言うと円高のおかげで41000円ぐらいでかなりの割安感はあるものの、通常の感覚的には73000円である。公立の学校では無料で配布される教科書と同じものであっても、私立では有料になるそうだ。教科書代だけでトルコの最低賃金の1か月分を超えている。 息子のためなんだけど、まるで学校のために仕事をしているようなものである。あと最低11年間は元気で働かなくっちゃ・・・てこと。 ああ、隠居生活はまだまだ先である。
2010年09月14日
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メールを書いても返事がないぞ・・・とご心配をおかけいたしましたが、アンタルヤに4日ぶりに戻ってきました。 今回は大急ぎの2000kmクルマの旅。最低1週間から10日間は費やしたい内容だったけど、時間が4日間しかなかったから仕方がない。その4日間だって、断食明けの祭日で官公庁や取引先の会社がお休みで作業ができないから出発できたようなもの。帰路は1日でシリア国境からアンタルヤまで、しかもムトゥ、カラマン、ボスクル経由で戻ってきた。でもすごい収穫で興奮状態。 で、時間がない割には遺跡も手あたり次第見てきたので、その報告も。有名なところだけど、ほとんど人の行かない場所だから話のネタにご覧いただければ幸いです。
2010年09月12日
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ベイシェヒールには湖から流れ出る河川にかかる「新しい橋」と「古い橋」がある。古い橋は「タシュ・キョプル」と呼ばれ、1914年に完成したもので、湖の水量調整ができるシステムになっている。 ホテルの部屋からライトアップされた橋が見えたのでイフタル後(って断食しているわけじゃないんだけど・・・・・)に行ってみた。市民も夕涼みにきていた。 河川の水がアーチ型の橋げたを通って、渦巻いている。ライトでブルーに見えて、とてもきれいである。 ここはアンタルヤやコンヤよりも標高が高いので、日が沈むと涼しく過ごしやすかった。それでも例年にない暑さだという。
2010年09月05日
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コンヤからクルマで(コンヤの人には)約1時間、(それ以外の人には)約2時間。 ベイシェヒールはベイシェヒール湖の畔、人口5万人弱の自然豊かな町である。古い建物がまだ残り、手工芸では木造家具、民具と編み物が、かつて盛んだった。 ここへは仕事はもちろん、友人・知人を連れて観光へ何度か訪れている。ここの一番の見ものは木造モスクである。外観は普通のモスクと変わらないけど、内部は木製。 最近修復されて(木製の柱や梁、天井にペンキを塗ったらしい・・・・)、オリジナル性が失われ、地元の人の評判はあまりよくないけど、私個人としては重厚になって、悪くない・・・・と思っている。 写真の囲いの中は穴になっている。この穴は何かというと、雪が降る地方なので、天窓から集めた雪を穴に詰め、夏場に使用したり、木造のモスク内の湿度を上げ、木を乾燥させないようにという工夫らしい。 だから、このモスクには屋根に登れる場所がある。 このモスクの外に、靴下売りのおばちゃんたちがたむろしている。時折、観光バスが来るので、観光客相手に商売するためである。ただ、おばちゃんたちが売っているのは(自分で編んだ)化繊糸の靴下とか、問屋から買ってきたお土産ものの靴下である。 私の目当ては、この地方でかつて編まれていた、細い手紡ぎのウール糸の手編み靴下である。近隣のいくつかの村で編まれていて、村によってモチーフがはっきりと異なる。例外があるが、大きくは10パターンぐらいに分かれていて、色の組み合わせも各村独特なのでおもしろい。今どき、家の長持ちを開けてもらっても、最近の化繊糸のものがあるか、全くないかってぐらいで出てこない。それでも運よく隠し持っていたものを40点ほど見つけて大満足。これらカラフルなモチーフものは基本的には女性用であるが、男性用はナチュラルウールのシンプルなデザインのものになる。なかに、80年前に戦争の際に履いたという男性ものがあり、こちらは穴あり、ほつれありだけど、使用済ものとしては状態もよく、もちろん手に入れた。 これらを家に持ち帰り、さて長持ちに入れようとして、隙間がないとあきらめた。長持ちの中には以前集めたベイシェヒールの古い靴下でいっぱいであった。 ベイシェヒールの旅はまだ続く・・・・・。
2010年09月03日
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ベイシェヒールに行く道の途中なので、ちょっと見てみようと立ち寄ったのが新しくできたショッピングセンター。3階建ての専門店とスーパーが入った建物と、その隣に42階のオフィスビルがある。なぜ42階かというと、コンヤだから「42」なのである。(・・・・わかる人にはわかるだろうけど) 42階ビルの最上階はレストランになっていて、眺めがいいらしい。オープンビュッフェのメニューが書いてあったので、今度、食事の時間に来たら食べに行こう・・・・・。 とベイシェヒールに行くだけの話なのに、ずいぶん引っ張ってきた。そろそろ前進することにしよう。 (続く)
2010年09月02日
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