贅沢な質素生活

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2006.08.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
娘を妊娠したとき、産婦人科はネットで探して家の近くの病院にした。助産院にしようとおもったのだが電話したときの感じが私を少し不安にさせたのでやめてしまった。

12週になったころ、血液検査の結果が出た。そのときの医師の言葉が「トキソプラズマの値が陽性です。奇形が生まれるかもしれません」だった。私は目の前が真っ暗になり、胸がドキドキして何も考えられなくなった。再検査をして4週間後に来るようにいわれた。そして4週間後。診察室ではなく院長室に呼ばれた。再検査も陽性であった。院長先生は資料をコピーしておいてくれ、さらに「中絶する必要はないと思いますが、そんなに心配であるなら東大の研究室を紹介します。ただし、結果が出るのは4週間後です。」と言った。

家に帰り、ネットで「トキソプラズマ」のことを調べた。私は毎日家に帰ると泣いていた。そのときの私が相談出来うるすべてのところに電話をかけてみた。最後に市の保健所に電話をしたところ「トキソプラズマの検査は最近やるところが少ないんですよ。S産婦人科はやるんですね。」という話だった。私は「えっ。じゃあ私はしなくてもいい検査をして、陽性 だったからこんなに苦しい思いをしているの?もし他の病院だったら知らなくてもすんだこと?」と思いS産婦人科のことを怨んだ。保健所に電話をしたからといって私の気持ちが落ち着くはずもなく、私は一人になると泣いていた。そんな私を見て主人が言った。「僕のおふくろも悩んだと思うよ」と。主人は32週超未熟児で生まれたのだ。目が見えなくなるかもしれないといわれ1ヶ月入院していた。今はそんなことを感じさせることもなく元気であるのでその話を聞いても「丈夫に育ってよかった」としか思わなかったが、おかあさんは自分を責めただろう。悲しかっただろう。苦しかっただろう。そして主人は続けた。「もし万が一のことがあっても、誰も何も思わないよ。生まれてくるのは間違いなく僕と君の子供なんだから」と。私はまた涙が出た。それまでお腹の赤ちゃんには謝ることしかしていなかったが、このとき初めて「あなたのお父さんはとてもすばらしい人よ。お母さんは弱虫ですぐに泣いてしまうけど。そんなお父さんの子供であるであなたは幸せね」と。私は転院すること決めた。紹介状をもらうためS産婦人科に向かう途中、お腹がキリキリと痛くなった。私は「もう二度とこの病院には来ないから安心してね」とお腹の赤ちゃんに話しかけた。次の病院は総合病院のなかの産婦人科であった。待合室で待ってる間『私は大丈夫よ』といわんばかりにお腹が動いた。そこの先生は「トキソプラズマの検査は何年か前までやっていたが今はしていない。あなたのように陽性と出て悩む人がいるが結局は何もないので。大丈夫ですよ。そんなに苦しいのだったら薬を出すので飲んでください」といわれた。やっと苦しみから抜け始めた。思えば4週間の間私は泣き続けていた。

娘が生まれ、アーユルヴェーダの勉強を始めていかに妊娠時の妊婦の気持ちのあり方が大事かということを学び、私は愕然とした。私がしていたことはお腹の中の娘を苦しませていたのだ。さらに陣痛が長引き心音が下がったため帝王切開で生まれたのだが、これも娘にとってバーストラウマになっていることがわかり、私は娘に対して申し訳ないことばかりをしていたことがわかった。産後十分な休養を取らずに実家から帰ってきてしまった私は「産後うつ」になってしまい、出ている母乳にさえ「出てない」と思い泣いている我が子をかわいいと思えなくなっていた。産後3ヶ月頃までウツウツとした生活を送っていた。そんな私を変えたのは一人は市から訪問してくれた助産師さん。赤ちゃんへの接し方を教えてくれて私の気持ちを軽くしてくれた。もう一人はBEBORNのたつの先生。なかなか寝ずに困っていたのでベビーマッサージ教室に通ったのであるが私の体をトリートメントして「今までがんばってきたのね。こんなに体が固くなってる。つらかったでしょう」と。私はうれしかった。私の体のことをこんなに心配してくれた人がここにいる。今までどこに聞いてよいかわからなかったようなことを聞いてもきちんと教えてくれる。こんな人がいるんだと思った。それから半年近く私の体をトリートメントしてもらい私は徐々に元気になっていった。

妊娠前からもっと妊娠・出産について知っていれば産後すぐから育児は楽しいものになっていたかもしれないが、私はそれができなかった。娘に長く母乳を飲ませたのも、それがせめてもの償いになればと思ったからである。






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Last updated  2006.08.14 20:45:21 コメントを書く


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