16.拒絶

 16th Section. 拒絶

「─────気が付いた?」

寝台の上で目蓋を開けた少女を見下ろし、フランソワーズがそう声を掛けた。
残りのメンバーはそれぞれで壁に寄り掛かったり、用意された椅子に腰掛けたりして、その様子を静かに窺う。
少女は暫く、どこか霞がかったようにぼんやりとした目付きでフランソワーズを見詰めた後、突然弾かれたように上体を起こした。
「あ、待って!まだ休んでいないと……」
慌ててフランソワーズが肩に手を置いて少女を宥める。
少女は明らかな動揺の色をその顔に滲ませ、目の前のフランソワーズを、そして同じ部屋にいる他の人間を見回した。
「………え?」
少女が、呆然と声を漏らした。
「え。……え、え?あの、え?えっと、その、な、………なに?えっ?」
ひたすらに「え?」を連発しながら、少女は毛先の不揃いな前髪を掻き揚げる。
「落ち着いて。大丈夫、私達は何もしないわ」
フランソワーズが微笑みを浮かべて、少女に言葉を掛けた。それを何度か繰り返すうちに、少女は徐々に冷静さを取り戻していった。
何とかまともに話し合える状態になったと見て、フランソワーズが口火を切った。
「……さっきは…危ない所だったわね。怪我とかはしてない?」
少女はどこか戸惑い気味の表情で、首を縦に振る。
「そう、良かった。………あの、ここは…私達の家。昨日、あなたが1度来た所の地下にある部屋なの。驚いたでしょうけど」
「地下なんて……造ってたんですか、この家は」
意識が戻ってから、初めて少女が声を発した。フランソワーズは頷く。
「あなた…覚えてる?あの後気絶したのよ。色々と……ショックだったというか、びっくりしたでしょう?───私達の事も含めて」
最後の部分で、少女の顔に新たな色が広がった。
疑いと、警戒の色が。
予想通りの反応に、一同は僅かに表情を歪めた。
「………私達は……怪しい人間じゃないの。信じてもらえないかもしれないけど、あの時の…公園にいた『あれ』とは違うわ。でも、あなたのような普通の人間とも……違うのよ……」
続ける内に、フランソワーズの声が徐々に尻すぼみになっていった。
その理由を誰もが悟っていた。彼ら00ナンバーサイボーグにしか分からない、その理由を。
彼女の脇に立っていたジョーが、その細い肩を叩いた。
「………ごめん。僕が話すよ」
フランソワーズは肩を叩いた掌の主を見てから、諦めたように黙って俯く。
ジョーは肩に乗せた手を下ろし、一呼吸置いてから、頭の中で選びながら言葉を紡ぎ始めた。
「……僕達が…何者かっていうと─────」
言い終わるその前に、冷ややかな一声が地下室の沈んだ空気を貫いた。

「ちょっと待って下さい」

驚いて、ジョーが言葉を詰まらせる。俯いていたフランソワーズが再び顔を上げ、他の面々もそれぞれで表情を変えた。
一同はその冷ややかな声の主……寝台の上に起き上がった少女に、怪訝な視線を送る。
少女は警戒の色を浮かべたまま、続きを述べた。
「─────勝手に話を始めないで下さい。誰も『打ち明けてくれ』なんて頼んでないじゃないですか」
その慇懃無礼な口調は、昨日と全く同じ。投げ掛けられる視線には鋭い刺が含まれている。
「……全く…昨日といい今日といい、どこまでもありがた迷惑というか、身勝手というか…」
呆れたように呟き、少女はぼさぼさの髪の毛を片手で掻き回した。
「君は────」
その反応に、ピュンマが思わず口を出していた。
「君は……気にならないのか?僕達が何なのか」
素朴な質問だった。そう思っていたのは無論、彼だけではあるまい。
すでに、自分達が“一般人と違う”力を発揮している場面を目の当たりにしているのだ。それをなかった事にするなど、信じられなかった。
少女はピュンマの方を一瞥してから、答えた。
「気にならないと言ったら、嘘になる。でも、だからってわざわざ事情を聞き出そうとは思いません。………好奇心だけで動くような馬鹿な人間に見えましたか?私が」
理論派に属するはずのピュンマが言葉を失った。
ここにいる少女は彼以上の理論派で、やはりとんでもない毒舌家だった。
しかし、納得は出来ない。
「……ど、どうしてアルか?気になってはいるのに、『話を聞こうとは思わない』なんて言えるのヨ?」
張々湖が、やはり素朴な疑問を提示する。
少女は今度は彼の方に顔すら向けずに、ぼそりと言い放った。
「……………下手くそな日本語ですね」
そのさり気ない一言は、自他共に認める明るさで暗い憂鬱を吹き飛ばす張々湖の、意外にデリケートな心を確実に打ちのめした。
同時に、彼を取り巻く仲間思いなメンバーの中に明らかな反感を植え付けた。
地下室に一瞬、殺気に似た緊張がさっと走り抜ける。だが、相手は生身の人間なのだという理性が、それを押さえ込んだ。
少女はその緊張を知ってか知らずか、どこまでも冷徹な科白を吐き続ける。
「『自分達が何者かを、こうしてきちんと打ち明けてやった。だから今度は、そっちが話す番だ』────そんな事を言うつもりなんじゃないですか?世の中ギブアンドテイクって言いますからね。自分達が辛くも色々事情を話した代わりに、私がどこの家に住む家出少女かぬけぬけと聞き出して、そこに帰す。………御免ですね、そんなのは」
ふん、と苛立たしげに顔を背けた。
「私は、自分の事を話す気なんてさらさらありません。だから、あなた達の事も聞こうとは思いません」
「……な……ま、待ってくれ」
ジョーが慌てて後を継ごうと制止をかける。
「違うんだ。僕達は別にそんなつもりじゃ─────」
「信用出来ませんね」
また言い終わる前に遮られた。少女の意思は竹を割ったようにはっきりとしていた。
「どういう事を考えていようと、私には無関係です。信用出来ない限り、私は死んでも話しません。あなた達の事も聞きません。それが答えです。………何度も言わせないで下さい。面倒臭い」
眉間に皺を寄せて、睨み付ける。
その目に射抜かれたジョーは、一瞬その場に立ちすくんだ。
そこへずかずかと割り込んだのはジェットだった。
「じゃあ、どうしたら信用するってんだ?言ってみろよ、おい!」
「落ち着け」
熱くなっているジェットを、アルベルトがいつものように宥める。
紛れもない怒りの感情を立ち上らせる彼を見据えて、少女は更に言った。
「………少なくとも、あなたみたいに言葉遣いがなっていなくて強引で低レベルな人間は、何をどうしても信用に足りないですよ」
それは間違いなく、挑発以外の何でもなかった。直情的なジェットは、それで一気に頭へ血が上った。
「────んだと、このアマ! さっきから聞いてれば好き勝手言いやがって……!」
「だから落ち着け。やめろ!」
下手すると胸ぐらに掴み掛かりそうな彼を見かね、アルベルトが後ろから羽交い締めにして引き下がらせる。
その様子を少女は無表情で眺めていた。
「…やっぱり、信用出来ませんね」
所詮はこの程度か。
実際の科白とは裏腹に、少女がそう言っているように感じられた。
他人を見下した、あまりにも傲慢な態度だった。その傲慢な態度で最初に傷つけられた張々湖は、露骨に落ち込んだ顔をしている。
少女は軽く溜め息を吐き出してから、不意にその寝台を降りた。
「え?……待って、何する気なの?!」
少女の行動に驚いて、フランソワーズが問い質す。少女はそんな彼女とジョーの間を素通りし、部屋の中央に配されたテーブルの上に置かれていた自分のスポーツバッグを見つけて、そちらに歩み寄った。
そして告げる。
「話は終わりです。私はあなた達に言う事も、あなた達から聞く事も何もありません。用もないのに他所様の家へいつまでも上がり込んでいるのは失礼でしょう?」
「待て!ちょっと待ったそこのお嬢さん!」
グレートが声を上げた。そんな彼に向かって、少女の口での反抗は続く。
「……『お嬢さん』?随分と古臭いお世辞ですね」
もう、ただ者ではなかった。
相手が差し向ける言葉のあらゆる部分に漬け込んで、その相手を攻撃し、どこまでも追いつめていく。どんなに優しい態度も容赦しない。この少女は、そういう人間なのだ。
しかし『会話での取り引き』には自信があると確信しているグレートは、まだ引き下がらない。
「そのー……まあ、機嫌を損ねたのは無論分かっているつもりなのだが。君を、そう簡単に外へ出す訳には……いかんのだ」
慎重に言葉を選びながら、事実を伝える。
少女の見せる瞳の奥に、底冷えのするような鋭利な光が宿った。
「………その理由は?もし『言えない』なんてはぐらかしたら、無理矢理にでも出させてもらいますよ」
その応対の仕方は、ある種の脅迫にも似ていた。
グレートは大袈裟に片手を振って否定する。
「いやいや、とんでもない。ちゃんと理由はありますとも。………君が、狙われている可能性がある…という理由が」
と、苦笑を浮かべた。すると少女は、ああ、と思い出したように声を漏らす。
「…さっきの公園の、『あれ』の事ですか?」
「ご名答。なかなか頭の回転が速いですな。賢い人でいらっしゃる」
「胡散臭いお世辞はその辺にしておいてくれます?鬱陶しいだけですから」
にこり、と少女が笑みを返しながらにべもない言葉を吐き捨てた。笑顔がその言葉の凄みをかえって際立たせている。
グレートの顔から苦笑が一瞬にして失せた。
「……まあ、そうですね。そういう事も考えられますね」
少女は反対に、意識して笑みを引っ込めた。他人事のような落ち着いた口調。
「確かに…『あれ』みたいなのが、また襲ってきたら大変ですね」
「そう、その通り。大いに考えられる事だとは思いませんかね?」
「だから、外に出るのは危ないと。ここにいるのが安全だと。……そういう意味ですか」
「あー……ええ、まあ」
だんだんと調子が崩れ、グレートの返事がしどろもどろになってくる。
自分のペースに巻き込んで話の方向を運んでいくはずが、逆に自分が少女の方に巻き込まれつつある。焦りが生じた。
「………ご親切にどうも。それは多分、無駄な心配だと思います」
少々の時間を置いてから、少女ははっきりと言い切った。
グレートだけでなく、一同はぎょっとした。
彼女は自分の身の危険を承知していながら、それでも忠告を受け流すつもりなのだ。
「確かに、私は襲われました。でも、狙われたとは限りません。……さっきの『あれ』が私を標的にしたのは、向こうの単なる気まぐれだったのかもしれません」
「……き、気まぐれ?」
「本当は誰でも良かったんじゃないですか?どこかにいいカモはいないかなって探している内に、偶然私に出くわした。だからそのまま襲ってみた。むしろそっちの方が辻褄が合うと思いますけどね」
少女はテーブルの上のスポーツバッグのファスナーを開け、中身を確認し始める。
「……一応聞いときますけど、あなた達は…私が何者か分かってるんでしょう?」
がさがさとその中身を漁りながら、少女は問う。数人が眉根を寄せた。
「何者か……って…」
「私が、例の秋桜寺学園の生徒だって事です」
あまりに率直な言い草に、誰もが動揺した。
「ええ、その通りですよ。ちなみにあの行方不明になってた川田さんと兵頭先生の事も、それなりに知ってはいます」
「本当か?!」
ジョーが驚いて聞き返す。
彼の予想通り、この少女は例の行方不明者達と繋がりを持っていたのだ。ということは、殆ど必然的に……変死を遂げた5人の女生徒達とも何らかの関わりがある、という結論が導き出される。
「けど、驚きましたね。その行方不明になった2人が、あんな所であんな悪趣味な化物にされていたなんて。あのまま捕まって好き放題されていたら、私も同じになっていたかもしれないですね」
相変わらず、無関心な言い方。
一通り中身を確認し終わったのか、少女はバッグのファスナーを閉めた。
「誰が何であんな化物作ったかはこれっぽっちも知った事じゃないです。でもやっぱり、あの川田さんと兵頭先生は単に運が悪かっただけだと思いませんか?たまたま2人は化物を作ってる張本人と何らかの形で鉢合わせて、不本意だったんだろうけどそのまま気色の悪い化物に仲間入りした。………私は2人と同じ、その化物を作っている奴の気紛れな標的の1人として襲われた。それだけの事じゃないですか?」
────何が『それだけの事』なのだ。
事情も全く分からないまま、得体の知れない敵に襲われた事のどこが『それだけの事』で済むというのだ。
口に出さずとも、その場にいた誰もが同じ事を考えた。
この少女はどこかがおかしい。どこかで何かが、妙な事になってしまっている。
だからこんな傲慢な態度や、普通の筋道とはかけ離れた意見を堂々と言ってのけるのだ。
この少女は果たして、そういう自分の状態に気付いて発言しているのだろうか。
徐々に変化しつつある一同の見る目を無視して、少女はいそいそとスポーツバッグを肩から下げた。
「…で、その気まぐれに襲った標的に1度逃げられて、またわざわざ追ってくるっていう可能性があると思います?ましてや、あなた達の余計で多大なご親切のお陰で、かなりの被害を受けたっていうのに」
どこまでも辛辣な口調。
少女は、00ナンバー達が自分を助けたという事に対して感謝すらもしていないようだった。
「私としては、そんな事は有り得ないと思いますね。こうしている今でも、どこかでまた別なカモを追いかけて仲間を増やしているんじゃないですか?気まぐれに狙った私の事なんかとっくに忘れて」
ふう、と溜め息を吐き出す。
グレートは表情を固くしたまま、反論する事を忘れてしまっていた。
少女は昨日と同じ、冷ややかな目で全員を見回してから、言った。
「─────という訳で、私がいつまでもここに居留まる筋合いはどこにもありません。……色々とご迷惑をおかけしました。非常に申し訳ありません。それではさようなら。私はさっさと帰らせてもらいます」
殆ど一方的に捲し立て、少女は形だけのおじぎををした。
そのままくるりと踵を返し、地下室の扉へ真っ直ぐに向かう。
誰も少女を止めようとしなかった。
彼女を止められる術が思い付かなかったし、ある部分では「このまま行ってしまえばいい」とすら思っていた。
少女の片手が、扉の取っ手を握る。
その時だった。

「───────帰る場所がないから、街にいたんじゃないのか」

低い、厳かな響きを持った声が少女の背中に降り掛かった。
途端、ぴた、と握った取っ手を回す寸前の手が動きを止めた。
しん、と数秒の静寂を挟んでから、少女は振り向いた。降り掛かった声の主の方を。
「……随分と……嫌な事を言ってくれるじゃないですか」
皮肉を込めて言う少女の表情は、心なしか先刻よりも頑さを増しているように見えた。
そんな少女にゆっくりと近付いた声の主───今までただ1人、沈黙を守っていたジェロニモは、自分を睨み付けてくる彼女を何をするでもなく静かに見下ろす。
少女が、すっ…と目を細める。
「どこまでも、お節介を焼くのが好きなんですね」
「……………」
ジェロニモは、無言で通した。
少女が面倒臭そうに言葉を紡ぐ。
「ええ、ごもっとも。確かに私には“帰る”所なんてないですね。『さっさと“帰らせて”もらいます』っていうのは、言い方が間違ってました」
「……………」
「それじゃあ訂正します。『さっさとここを“出て行かせて”もらいます』。これで満足ですか?」
「……………」
あくまで無言を押し通す相手に、見上げる少女の目元がぴくりと引き攣った。
「…言う事がないんでしたら、退散させてもらいますよ」
「それは出来ない」
痺れを切らしたように恫喝を仕掛けると、ジェロニモはその口を漸く開いた。
少女の細められた目が僅かに見開かれる。
ジェロニモは更に続けた。
「お前を、外に出すわけにはいかない」
これ以上ないほどに、はっきりとした宣言。少女がまた髪に手をやってから、応対した。
「それは…どうしてですか?」
明らかな嫌悪の色を含んだ質問。ジェロニモはその嫌悪をものともせずに、言い続ける。
「お前が狙われている可能性があるからだ」
「………さっき別の人が言ったのと同じ内容ですね。聞いてなかったんですか?私の話」
「聞いていた。確かにお前の言う通り、『あれ』はお前を狙って襲った訳ではないのかもしれない。だが、2度と襲わないとも言い切れないはずだ」
「…そうでしょうかね」
「恐らくお前は、『あれ』に襲われかけて唯一無事でいられた人間となるだろう。だからこそ、お前を放っておく可能性の方が低くなってくる」
「どういう意味です?」
話の展開を傍聴していた残りのメンバーが、ジェロニモが何を言いたがっているのかと互いの顔を見合わせた。
そして、簡潔な一言が添えられる。
「─────証拠隠滅だ」
そこで全員が納得と驚きの表情を浮かべた。少女も同様だったが、意味を察したようにすぐ元の無表情へと戻る。
「……なるほど。目撃者を始末しに来る……って事ですか」
「そうだ」
「だから私も危ない……って事ですか」
「ああ」
「余計なお世話です」
すぱん、と少女が言い放つ。ジェロニモが静かに口を噤んだ。
「誰が『助けてほしい』とか『匿ってほしい』とか、そんな図々しい事をあなた達に頼んだんですか?あなた達自身は単なる良心からのご親切でやっているだけでも、私にとっては迷惑以外の何でもありません。………赤の他人にあーだこーだって指図されたりするのが、大嫌いなんですよ。私は」
ジェロニモは沈黙する。それは反論が思い付かないから、という意味での沈黙ではなかった。
少女が、苛立たしげに呟いた。
「いい加減にして下さい。無駄な時間を平気で潰せるほど、私は無神経じゃないんです」
「お前は、」
ジェロニモの語調が変わった。少女が継ごうとした残りの言葉を詰まらせる。
ジェロニモは普段だと口数が少ない。しかしそれでも、彼が告げる科白の一つ一つの重みは馬鹿に出来ない。
彼はただ単純に単語を連ねて話しているのではなく、もっと別な部分で気持ちを訴えているからなのだ。
それはむしろ、口だけで伝えるよりも遥かに鮮明に心を伝達させてくれる事さえある。
そして今、少女はそのジェロニモの“言葉”に、圧倒され始めていた。

「………お前は、何を恐れているんだ?」

直後、少女の動作全てが凍り付いた。肩から下げたスポーツバッグの紐を、無意識にぐっと握り締めるのが何人かの目に入った。
「お前は……俺達の事も、公園で自分を襲った『あれ』の事も、恐れていない。なら─────」
彫りの深い顔立ちの中にある双眸が、少女の事をしっかりと見詰める。
「────お前が恐れているのは……何だ?」
沈黙が、降りた。
そのジェロニモが投げかけた科白の内容だけ見れば、ある意味『支離滅裂』としか形容出来ない。
第一、それよりも以前までの会話と脈絡が一致すらしていないのだ。
しかし、ジェロニモの言葉の圧倒的な存在感がその齟齬を全て拭い去っていた。
饒舌だった少女の言葉が、止まる。少女はジェロニモとまともに目を合わせられなくなったのか、徐々に視線を下ろし始めた。
黙り込む2人を、傍らの面々が緊迫した空気の最中で固唾を飲みながら見守る。
そして──────

「………もういい」

不意に、ぽつりと少女が言い、沈黙を破った。
きょとんとしていると、少女はおもむろに頭を左右に振って、肩から下げていたスポーツバッグを床に置く。
「……もういいです。分かりました。言う通りにすればいいんでしょう」
疲れ切ったように吐き出された科白に、誰もが目を見張った。
「言う通りって……じゃあ…」
フランソワーズが、彼女の言葉を反芻する。
少女は前髪を掻き揚げながら答えた。
「…ここにいますよ。不本意ですけどね」
地下室内に動揺が走った。あれほど「ここにいる筋合いはない」と言い張っていたこの毒舌少女が、ジェロニモの前であえなく説き伏せられたのだ。
おたつく一同の様子を見て、少女がいかにも不機嫌そうに表情を歪めて、皮肉を披露する。
「………すみませんねえ。『出て行く』って言ったり『いる』って言ったり、面倒臭い人間で。さぞかし迷惑でしょうね」
「いや、そんな……迷惑なんて」
反射的にグレートが取りなしかけた。
少女は床に置いたスポーツバッグを持ち上げて、また部屋の奥の寝台の所へ戻って行き、その上にどさりと載せた。
「寝泊まりは、ここでいいですよね」
「え?」
驚いた数人の声が見事に重なった。
「……あ……いいえ、違うの。上の方に別な部屋があるから、どうせならそっちで───」
「結構です。ここで構いません」
フランソワーズの気遣いをきっぱりと断る。
本来なら診察や実験に使うこのじめじめした地下室で一晩過ごそうとは、やはりこの少女はただ者ではない。
「えっと……じゃあ、お風呂は────」
「面倒なので遠慮しときます」
どこまでもつっけんどんに突き放す。
とうとうフランソワーズは口を噤んで、何も言えなくなった。その様子を見計らってから、少女は部屋にいる全員に向けて言った。
「すみませんけど、出てってくれます?……これで話は一通り終わったんでしょう。用がないのなら1人にして下さい。狭苦しくて、気が散るんですよ」
心の底から鬱陶しそうに感じている。昨日と寸分も違わない慇懃無礼な言葉がそう告げていた。
その言い方に羽交い締めにされたままのジェットが再度暴れたが、アルベルトの腕は解けず、代わりに彼はこう呟いた。
「言う通りにしてくれるのはありたがいんだが、一つ約束してくれないか」
少女は怪訝そうに彼の方を見て「…何ですか?」と訊ねる。
「不本意なのは分かっているが、くれぐれも勝手な行動は取らないようにしてほしい」
「……と、言うと?」
補足を求める少女に、アルベルトが口元を歪めてみせた。
「俺達は随分と嫌われてるらしいからな。色々な意味で賢いあんたなら、自力でここを逃げ出そう…なんて企んでるんじゃないかと思ったのさ」
「………………」
少女が口を噤んだ。
これまで──ジェロニモが相手の時を除いて──3秒と置かずに言葉を返し続けていた彼女の急な沈黙で、メンバーの数人は唐突に悟らされる。
────この少女は、アルベルトが言う通りの思惑を密かに頭の中で巡らせていたのだ。
理解が出来なかった。
どうしてこの少女は、そこまでして1人になろうとするのだろうか。
単身で外に行けば、あの妙な敵が待ち伏せをしている可能性は大いにあるというのに。
「自分を狙ったのは単なる気まぐれ」という意見も、確かに頷けない訳ではない。
しかしジェロニモが指摘したように、あり得る可能性はそれが全てとは限らないのだ。
理論的な行動を取るこの少女もそれを十分に分かっているはずである。
それでも彼女は00ナンバーサイボーグ達を冷ややかに突き放し、ここを離れようとしている。
危険を承知で、自分の安全を冒してでも1人で行こうとしている。
その意図が全く理解出来なかった。
本当にこの少女は、一体何を考えて行動しているのだろうか?
心の中だけで混乱し始めた一同を差し置いて、漸く沈黙していた少女が口を開いた。
「ご親切なご忠告、ありがとうございます。でも大丈夫です。そんな事これっぽっちも考えてませんから」
嘘だ。────脳裏だけでそう叫んだのは、全員同じだった。
だが、次の科白に多くが度肝を抜かれた。
「信用出来ないのならこの部屋に鍵かけて、私を閉じ込めたっていいんですよ?」
「……………」
一瞬の間。
「────なにぃっ?!」
グレートが素っ頓狂な声を上げた。ジェロニモとアルベルトを除く一同も間抜けな表情で唖然としている。
少女は相手の反応に眉も動かさずに、
「それなら安心でしょう」
平然と言ってのける。
「け……けれど!閉じ込めるなんて、僕達がそこまでする訳には────」
「私が『監禁された』って、裁判所に訴えるとでも思ってるんですか?」
顔を向けながら、ジョーの科白を先刻と同じようにぴしゃりと叩き切った。
「私は、少なくともそんな馬鹿な事をするような質じゃありません」
攻撃的な視線に耐えられず、ジョーが先に目をそらす。
少女は冷静に尋ねた。
「どうします?…閉じ込められても、私は文句は付けません。自分で言い出した事ですから。それだけは約束します」
数秒の沈黙。
「…………そうか」
アルベルトが不意に呟いた。
「…なら、そうさせてもらおうか」
「アルベルト?!」
ピュンマが驚いて声を上げる。視線が彼の方へ一気に集中した。
「本気なのか」
ジェロニモが落ち着いた風情のまま訊く。
「ああ、本人がそう言ってるんだ。それなりに考えがあるんだろう」
彼の方を向いて答えながら、アルベルトは横目で少女をちらりと見やる。
少女は何にも動じない頑な表情のまま、承諾を下したアルベルトをじっと睨んで、
「………そうですか」
と無感動に言った。
アルベルトはジェットを取り押さえたまま、地下室の扉へ少しずつ寄った。そして他の面々に告げる。
「…そろそろ退散だ。話はおおよそまとまったし、これ以上機嫌を削ぐわけにはいかないからな」
「おい、待ちやがれ!オレはあのアマにまだ用があるんだよっ!」
なおも不平を喚き散らすジェットを無視し、彼は地下室の外へと無理矢理引きずり出した。
その後に続いて、不安げな表情のフランソワーズとジョー、まだ落ち込んでいる張々湖とその肩を押して退室を促すグレート、どこかやりきれない顔のままポケットから1本の鍵を取り出すピュンマ、相変わらず無表情のジェロニモが、順々に部屋を出て行く。
少女はその様子をじっと無言で見届けている。
「………食事は…ちゃんとこっちへ持って来る。何かあったら、大声で言ってくれないかな」
扉を閉めようとして、ピュンマが補足した。少女は「分かりました」とだけ答える。
ピュンマは取っ手を握り、扉を閉ざしていく。金属製の蝶番が、ぎいいと大きく軋んだ音を上げた。
ばたん、と地下室への入口が完全に塞がれ、ピュンマは取り出した鍵を取っ手の下の穴に差し込み、右へ回す。
かちゃり、という僅かな金属音。
─────こうして00ナンバーサイボーグ達は、自らが助けた1人の少女を、地下に閉じ込めた。


「────ったく、いい加減放しやがれ!」
地下から続く階段を上り、リビングに入ってからジェットが強引にアルベルトの腕を振りほどいた。
直後に、はー…とアルベルトが呆れたように息を吐く。
「馬鹿野郎、あんな簡単に挑発に乗ってどうする」
「うるせえ!」
開口一番に突き刺された責めの言葉にジェットは怒鳴り返した。しかし叱責の言葉は止まない。
「気持ちは分からんでもないがな、相手は仮にも普通の一般人だぞ。怒るのも相手がどんな奴かを考えてからにしろ」
「うるせえんだよ!分かってんだよ、そんな事は……!」
ジェットは乱暴にリビングに配されたソファの上へどっかと座り込んでから、言った。
「腹立つんだよ、あの女子高生!有名校だか何だか知らねえけど、いい気になりやがって……『下手くそな日本語ですね』だと?『言葉遣いがなっていなくて強引で低レベルな人間』だと?ふざけんな!……昨日といい今日といい、何なんだよ。自分を助けた相手に、あんな態度が取れるかよ?!恩知らずもいい所だってんだ!」
「落ち着けよ、ジェット」
ピュンマがそう宥める脇で、フランソワーズが心ここにあらずといった表情の張々湖に「大丈夫?」と声をかけている。
張々湖は
「…心配ないアル……自分でも前々から少し、気にしていたとのコトよ……」
と、覇気の感じられない弱々しい笑みで答えた。
自分でも気にしていた─────だったら尚更ショックも大きかったはずだ。
ジェットほどに怒ってはいないが、それでもやるせなさや不満が募っているのは皆同じである。
「……とんでもないお嬢さんを…連れ込んじまったな……」
グレートが呟いた。
「ああ、とんでもねえよ。普通じゃねえよ。どうかしてる。根本的に間違ってやがる」
ジェットが続いて捲し立てる。
「…それでも、ここにいてもらわなければならない。どんなに気に入らない人間でも、そうしなければ話は進まないんだ」
アルベルトが客観的な結論をはっきりと述べる。納得するしかないその結論に、全員で揃って口を閉ざした。
「彼女……ジョーが睨んだ通り、例の学校の生徒だったんだな。それに、あの行方不明者2人も知っていた」
「でも同じ学校にいるんだから、少なくとも先生の名前くらい知ってても不思議ではないと私は思うけど…」
ピュンマが告げた新事実に、フランソワーズがそう意見を挙げたが、
「いや、そうでもないんだ。高校の教師って結構人数が多いんだよ。自分のクラスや教科を担当している教師ぐらいしか、名前も顔も覚えられないのが普通でね。……しかも秋学は中等部が融合しているから、その分職員数も増えるはずだし。だからやっぱり、彼女はあの行方不明になっている教師の名前だけを知ってたんじゃなくて、それなりに関わりを持っていたんだ」
ジョーが補足してそれを否定する。
「……確かに、色々あるかもしれない。けど、また襲われるっていう可能性も考慮して、あの子にはここにいてもらう必要があるよ」
静かに視線を動かしながら言う彼の表情に、科白とは裏腹の僅かな嫌悪の色が浮かんでいる事にフランソワーズは気付いた。そして意外に思った。
ジョーは誰にでも優しい。それがいけないとは言わないが、その性格のために要らぬ悩みを抱いた事も否めない。
闘いの最中で出会った一般人を気遣う。そこまでは許せる。
だが彼の気遣いは、無条件だった。
相手の得体が知れず、下手したら敵側のスパイであるかもしれないという可能性があっても、構わず無条件に親切を伴う。
そのせいで自分達の身が危険に晒された事すらある。
こうして共にいるメンバーの中にも、ジョーの優柔不断で警戒心を欠いた他人への態度に、内心辟易している人間もいるはずだ。
フランソワーズは特に、ジョーが他の女性に対して優しくする場面を見る度、やるせない気持ちが湧き上がるのを抑えられなかった。嫉妬に似た自分の心に気付いて、自己嫌悪に陥った時もある。
──────昨日も、そうだった。
買い出しに出かけていたジョーやジェット、ピュンマの3人が帰ってきて、そこに学生服を着た少女がくっついてきた。
本人は眠っていたが、ジョーが親切で連れ込んできた見知らぬ少女に、フランソワーズは苛立ちのような感情を募らせた。
ところが後で、ジェロニモから「前日に彼女と会った」という話を聞き、それから実際に自分が言葉を交わしてから、その感情は知らぬ内に影を潜めていた。
そして今、あの少女を気遣っていたジョー自身が、彼女に対して嫌悪を抱いている。
意外だった。
あのジョーでさえ「親切にしよう」という気が失せてしまうほどに、彼女は歪んだ性格をしていたのだ。
無理もないだろう、と思った。
フランソワーズ自身も、本音では彼女と対等に付き合ってやれそうにないと感じ始めていた。
理由は簡単である。
あの少女は、この世でたった9人である自分達の仲間の1人を……メンバーの中でも特に明るさを振り撒き、和みを与えてくれる張々湖を、その冷徹で無遠慮な言葉によって確実に傷付けたのだから。
仲間を傷付けた人間と何もなかったように慣れ合う事など、不可能に近い。
「それにしても驚いたよなあ………あのお嬢さん、能力を使ってる所まで間近に見たってのに………おれ達がどこの誰かとか、聞こうともしないなんてな」
グレートがふと、思い出したようにぼやいた。
確かにその通りだ。あの少女の発言で、どれだけ驚いたのかまるで計り知れない。
あの少女は、00ナンバーサイボーグ達の正体を知る事よりも、自分の事情を黙秘する事を優先した。
同時に、危険に対する自らの保身よりも、彼らとの関わり合いを避ける事を選ぼうとした。
普通の人間が取る行動としては、矛盾だらけだった。
だが普通の人間と違うのであれば、それでも当然なのかもしれない。
「………この先、苦労が多そうだな」
ピュンマがぽつりと呟いた。
誰もそれに答えず沈黙していたが、それは肯定を意味していた。
それぞれで密かに溜め息を吐く一同の姿を、ただ1人落ち着いているジェロニモの目が見詰めていた。
少し薄暗いリビングの片隅で、何も知らないイワンが安らかに寝息を立てている。

────そしてこの時、窓の外に生えた木の枝から1羽の黒い鴉がリビングの様子を窺っている事に、誰一人気付きはしなかった。


BACK15th Section to be continued……STOP



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