ちょこっと掛川
1
中学生の頃父が再生不良性貧血なるもので急逝した家計が気になる年頃だったので、商業高校にでも行って高卒で働こうと思ったりしたが頑として反対されたので普通に県立の高校に通い、なんか家って多分お金無いんじゃないの?という感覚から無料で行ける学校を探した。これまた頑として反対されたが、看護学校に入学した。そこは全寮制の名古屋の学校(今は仕組みが違うらしい)早速名古屋弁の洗礼を受けたのだがえらい、とか今普通に使ってる言葉だけど異文化の様に感じられた。学校に行くのに必要なお金は、食費と教材費のみ。奨学金が貰えたので、超安上がりで国家試験免許を貰った事になる(^^ゞしかし、看護師、更に全寮制というのは完全な縦社会。寮の外には有刺鉄線、守られてるのか脱走防止なのか分からないなぁ・・・ってぐらい規則規則、また規則。門限は19時、消灯は21時、それ以降勉強したい人は自習室というものが存在した(1回しか行ったことないけど)寮長、指導長、という人が存在し、卓上電気を点けていたとしても消灯時間を越えていたら勿論アウト、減点対象。見回り、というのもあって制服やらをクローゼットの外の柄の部分に掛けてても、それもアウト、これまた減点。3点で罰掃除、7点で1週間の外出禁止外泊するなら親戚か実家しか認められておらず相手先が書く書類にハンコを打って申請するのだがまぁ、たまたま名古屋に親戚が居たので、そこの住所を借りてハンコはこれまた勝手に使いなさい、で貰って皆で遊びに行っていたしかしまた帰宅して良い時間というのが決まっていて朝までの時間を超もてあますのだ・・・皆一斉に帰るのもヘンだしという具合だ。減点をくらったら、とりあえず寮長、指導長 等等にひとしきりお説教というのを受けるのだが私達が最上級生になったときに、その制度は至極甘くなった。だって自分達の首を絞めたくないんだもの何かと窮屈に感じられる全寮制という響きだが私は友達という得がたい存在を多数手にした。色々な地方から来ているので、屋上から遠くを通るを眺めて、帰りたいなぁ・・・って、言ってる子が1年生の頃は多かったかな。今、こんなのは全く流行らないから廃絶されたんだと思うけど同じ時期に寮に居た先輩には実習の時に可愛がって貰ったし通り過ぎれば、戻りたくても戻れない場所である。そして、国家試験当日に寝坊して起こしてくれたのも友達だ。「私、怖いよ・・・」って泣きながら入ってきたのだがすっかり寝惚けてる私は、大急ぎで支度&励まし。教務も受験する場所である大学まで応援に来てくれたっけ。他県からも来ていて、意外と自由そうなのに驚いた。全寮制というのは井の中の蛙なのだからしょうがない。看護学校というものには戴帽式というのがあるのだけどその時ばかりは親も呼ばれる。そして教師と2者面談。私は笑わないから看護師に向きません、と言われたらしいがうちの親は嫌いな相手には笑えないでしょう若いんだからと成績を見せようとする教員にそれも拒否。うちの方針は後悔の無いように遊んでおきなさいですっと、猛者ぶりを発揮していたのはかなり後で聞く事となった。当の私は、ナースキャップってこんな仕組みになってんのかえ・・・だ。今はナースキャップ廃止してるのにこの儀式だけは行われる。蝋燭を1本ずつ持つのだが、これが消えるとその数だけ国家試験に落ちる、というジンクスは何処にでも存在するようだ。そうやって、エスカレーター式に同病院に就職した私には就職活動、という経験が無い色んな人のブログを勉強になるわぁ~と眺めている。そして、国家試験の免許が届くのだが実物を見たこと無かった私はもっと、こぉ車の免許証ぐらいのそんなモノを想像していたら、賞状と同じ大きさで本籍地と名前と、その時の大臣の名前が入っている。そして厚労省とすかしが入っているシロモノだ。コピーを取るまで長いこと気付かなかった・・・更に、家は株を持っていたのでそこまで貧乏~ってな訳じゃなかったというのもかなり後日知る事になる。うちの母は私が居たら絶対反対されるであろう事をやっていた。まず、バイクの免許を取り、次は車の免許を取りある日突然車に乗って登場したそして何年かしたら家を建てていた・・・やり手だな、おっかさん(笑)今お父さんが生きてたら、どうなってると思う?という会話がよくあるが、結論はコバンザメじゃなぁい?だ。早く死ぬという事は年数経つとこれだけケチョンケチョンに言われるものである、愛情のけちょんけちょん。
2007年12月21日
閲覧総数 6