みみ の だいありぃ

みみ の だいありぃ

我が犬の歴史


ジョリー、キャッコ、シェイク、エース・・・
みんな私の大切な大切な家族だ。

私が小3の時、ジョリーが初めてうちの家に来た。
ジョリーはシェルティ。
でも、かなり大きいシェルティで、性格も「いい男」であった。
まだ私達兄弟もガキンチョだったから、ジョリーとは兄弟だったな。
兄弟3人とジョリーは一緒にいたずらをし、一緒に怒られて仲良く育った。
そんなジョリーは本当に犬の世界では力があるらしく、近所のでっかいシェパードですら、ジョリーにはかなわなかった。
そんなジョリーを私は誇りに思っていた。
私のジョリー。ジョリーがいたら守ってくれる・・・。
すっごく賢く、だまって家族を愛する子だった。
キャッコが9才の時に家族に加わったが、ジョリーは優しく、ときには厳しくキャッコをしつけてくれた。
私が親に締め出しをくらった時も優しく足元に来てくれて、一緒にいてくれた。
一緒にいて心強かった。
ジョリーは私の大好きだった祖父にすごくなついていて、祖父がなくなった時、一晩中悲しそうに泣き続けた。
今でもあの泣き声を覚えている。
ジョリーは19才まで生きた。
最後は老衰だった。
夜明けに男らしくひっそりと息をひきとった。
次の朝、私も弟ももう一人の弟も涙を流しながら電車に乗った。
父は家の庭にある梅の木の側に、ジョリーを大切にうめた。

キャッコは女の子。
ちょっとおばかがかわいいのよね~、って言ったら「キャン!」って答える、かわいくって弱虫のキャッコ。
悪さをしてしかられる時はジョリーの足の下に隠れたり。
ジョリーかキャッコかどっちが悪さをしたか分からない時だって、「あーあ。だーれ。これしたのは!」と怒ると、片足をあげ、震えたキャッコ。
家の庭に植えていたイチゴがすきで、いっつも鼻の頭に土とイチゴの赤い色をつけてたなぁ。
雷がきらいで、雷がなっている時は、必死に私達を呼ぶ。
そういう時だけ家の中にいれてあげた。
初めは玄関って思っていても、何時の間にかリビングの方にやってきて、不安そうにするの。
だから、いつも抱っこしてあげた。
キャッコはジョリーが天国へ行ってから、1年後、子宮蓄膿症でなくなった。
まだ11才だった。
最期は私と母で動物病院でみとった。
朝、二人で苦しそうな可哀相な痛々しいキャッコを連れて行った。
病院で一生懸命治療を施してくれている獣医の横で何も出来ず、ただただ突っ立っていた。
あまりに辛そうで見ていられなかったが涙が上手く邪魔してくれて、キャッコの苦しむ姿を直視しないですんだ。
ジョリーは老衰だったから、後悔はなかったが、キャッコはもっと早く病気に気付いてあげればってずっと後悔した。
というのもキャッコの病気はよく水を飲むのだそう。
夜中、玄関で寝ているキャッコが水を欲しがるので手に水をくんであげていた。
どうしてそれが病気のサインって気が付かなかったのか。馬鹿な私。
本当にキャッコには可哀相なことをした。
まだ若かったのに。まだこれから楽しいことがいっぱいあったのに。
キャッコは大好きなジョリーの側にうめた。

キャッコの死で家族全員毎日涙、涙、とやられかかったとき、シェイクを迎えた。
シェイクはイングリッシュセッター。
父はキャッコの四十九日を待とうといったが、気が滅入っていた母と私は我慢が出来なかった。
新しい子をかわいがってあげないと、キャッコを思い続けてると、キャッコも成仏できないよって。
キャッコの死因はもしキャッコが室内犬で目が届いてたらふせげていたかも、というので、セッターのデカイワンコだけど、室内犬にした。
ちょうど私がOLをやめた時にシェイクが来たので、私が育て親になった。
ウンチまみれのシェイクだって洗った。
毎日ブラシをして、お散歩にもたくさん連れて行った。
夜も一緒に寝て、友達と出かけている時もシェイクが気になったほど。
まだ手のひらに乗る頃、我が家に来たシェイクは、今では、前足を立っている私の肩にのせられるほど、でかい。
そしてベロベロと挨拶してくれるの。

アメリカ行きが決まって、正直一番辛かったのは、息子シェイクとの別れ。
涙が出たよ~。本当に。

アメリカに来ても、犬を見かけては涙。
両親にシェイクの状況を聞いては涙。

で、エースを迎えた。
エースはアダプトをした。
あんな可愛い子が、引き取り手を求めていたのだ。
まだ8ヶ月くらいのエース。
おびえた感じはなかったが、シェイクみたいに愛を今まで受けていなかったのかと思うと胸が傷んだ。
受けてたかもしれないけど。
でも、なんていったって、毛はもつれまくって、ぼっさぼさ。
食べてなかったのかカリカリにやせていた。

シェイクをあれだけ可愛がったんだから、この子を可愛がりたい!
旦那も(当時はただのボーイフレンド)あまりに私の犬病がひどいため、okしてくれた。
犬の飼えるアパートに引っ越してまで、エースを迎えた。

うちの家族に来たからには、おしゃれなリーシュにおいしいご飯もあげるからね!
私と旦那はエースを家族のように受け入れた。
本を買ってきたり、みんなに意見を聞いたりして、必死に育てた。
おしっこやウンチは外だけにしつけたが、初めはなかなか守れなく、何度も怒られたね、エース!
初めは私達に挑戦するかのように、ゲート内でダッシュで逃げまくったりしていたエースが、だんだん私達を信用するようになって、今じゃリーシュなしでどこにでも行けるよ!

エースは、私達がケンカしていると止めに入る。
ダディ、マミー、ケンカしないでって。
エースはダディが帰ってくると、もう本当に嬉しそうに喜ぶ。
ダディがでかけちゃうと、いつまでもベランダからダディを見送る。
エースはマミーが具合悪くって寝込んでいると、心配そうにそばにいてくれる。
マミーは僕が守らなきゃって感じでずっとそばにいてくれる。
いつでも私達を見ていてくれる。
いつも私達を幸せにしてくれる。

エースは私達とドライブに行くのが大好き。
3人そろっているのが本当にうれしいみたい。
もう得意な顔をしちゃいます。
僕はダディとマミーと一緒だよ~。どんなもんだいってね。

エースが来たおかげで、私達は子育ての予行演習みたいなことが出来た。
悪いことをしたらしっかり怒る。
ちゃんと出来たら誉める。
エースが具合悪くなったら慌てずにしっかり病院に連れて行ったり、エースが怪我をしないよう、健康でいられるよう、しっかり気をつかう。

私も犬は4匹目だったけど、エースは初めて、私の両親ぬきで育てたので、少しは不安もあったが、体当たりで育てた。

うちの旦那もサムという犬を飼っていたことがあったらしいが、まだ小さい頃死んでしまったらしい。
だから、しつけなんて全然わからなかった。

本当に体当たりで育てた。
愛情を持って育てた。
それで今では、とってもイイコに育ってくれている。
そして、エースは私達を育ててくれている。

シェイクとは今は日本に帰った時しか会えない。
シェイクは私を見ると、もう本当に嬉しそうにする。
で、私が出かけるたび、もう会えなくなるんじゃないか、と不安に思うみたいで、玄関で待ち続けてくれる。
私がアメリカに帰った後は数日間、私の部屋でじっと私を待ってくれたらしい・・・(涙)

こんな状況にシェイクを置いちゃってごめんね。
でも、シェイクはアメリカにいたって大事な大事な息子よ!
私はシェイクを心から愛しているから、その気持ちだけは分かってね。

ジョリーとキャッコ、たくさんのいい思いでをありがとう。
シェイク、日本で待っててね。
そしてエース、これからもよろしくね!

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