みみ の だいありぃ

みみ の だいありぃ

私の初恋


両思いという言い方をする関係になったこともありましたが、かわいらしいものでした。
でも、心が本気で痛くなるほどの大恋愛をしたことはありませんでした。

私の初恋。
心が痛くなるほどの経験は、高校留学中の時でした。

留学へ行く前は、「金髪、ブルーアイズの男の子と恋におちるの!」とニューキッズオンザブロック(古~)好きの私は思っていました。
でも、行ってみたら、違っていた。
学校でモテた男の子たちは、ブラック系。
モテる男の子たちは、なんていっても、自信に溢れていて素敵。
で、私もブラック系にはまったのでした・・・。

あえてブラック系と書いているのは、全員がアフリカンアメリカンじゃないから。
プエルトリコ人、ケープバーディアンと呼ばれる、島出身の人、などいろいろいたから。
しかも、クールに見られたい白人の男の子までも、ブラック系の格好をしていました。
で、私が恋に落ちたのは、プエルトリコ人のママとアフリカンアメリカンのパパをもつ、Rでした。

彼は、そこらへんの女の子のあこがれの的。
キュートな(lil bow wowにちょっとだけ似ている)顔に、50セント並みの体を持っていました。
目の色が淡い茶色で、とってもキレイでした。
そして、なによりもオシャレ。
ある時、私はRは本当にいい男だと思う、と女友達にもらしました。

留学生のイノセントなmimiが男の子を気に入った~!
チアリーダーなど、目立つ女の子たちと私はつるんでいたので、彼女たちは行動が派手。
すぐに、私がRをカッコイイと言ったことが学校中に広がりました。

すると、Rの友達も騒ぎ出しました。
なにしろ、私は留学生というスペシャルの立場から、私は学校ですごく注目を浴びていたのです。
そんな私が気に入ってるとは、ということで、周りにひやかされまくり。
Rには彼女がいたらしいのですが、なんだかさっさと別れたみたいで、私にアプローチ。

一緒に学校のバスケの試合を見に行ったり、かわいらしい事を放課後、しはじめました。
そのうち、ホストファミリーにも紹介して、毎日私に会いに来るようになり、本格的に付き合うことになりました。

放課後、私は女友達といったん家に帰り、ダッシュでホームワークを仕上げる。
で、晩御飯を食べた後、男友達とつるみおわった彼がうちに来る。 (おーいって窓の外から手を振るから見てみたら男友達10人ほどもいてびびったことも)
で、10時過ぎまで一緒にTV見たり。
その時もいっつも片方の手を肩にまわし、もう片方の手で私の手をにぎり、というアツアツぶり。
で、彼が帰る。
で、また次の日、繰り返す・・・。

週末は、昼はそれぞれの友達と遊び、夜は一緒にいる。
昼も一緒の時もあったな。
運転する時もいっつも肩を抱いていてくれた。
いっつも私のことを考えてくれていた。
本当に幸せでした。

彼のおうちは貧乏だったので、電話線を引いていなかったで、一日何回も公衆電話から電話をくれたり。
で、そのうち、電話線をひきました。
私とデートするため、車まで買ってくれました。

学校でも暇さえ見つけたら私のところに寄ってきてくれる。
アメリカの学校では、あっちこっちで濃厚なキスが行われていますが、Rはそれさえも試みてくる・・・(テレヤのわたしにゃ、ムリだったから、かわしてたけど)
放課後、カッコイイ男の子たちは、上半身裸になりバスケをするのですが、女の子たちが「いいなー、あんな彼がいてー」と言うたび、ちょっと得意になったりしていました。

彼はプレゼントもたくさんしてくれました。
指輪、私のイニシャルのついたネックレス。
でも、彼は私をクイーンのように扱ったので、私はだんだんそれに慣れてきてしまったのです。
高飛車クイーンのお出ましでした。

プロムも、ジュニアの方は彼と行き、シニアの方は他の男友達と行ってしまったりしました。
プロムの間中、引っ付き魔だった彼。
友達にひやかされるし、彼は気にしないし。
だから、シニアは友達だけで行きたかったんです。
でも、シニアプロムに迎えに来るって言い張ったんで、「えー、いいよ。遠いでしょ」なんていったりして。

そんなうちに、私の帰国が近づいてきました。
私は、Rにそのうちにあえなくなるという寂しさもあったのか、女友達とあえなくなるという寂しさがあったからか、ただ、私がおかしかったのか、なぜか分かりませんが、Rを避けるようになってしまいました。
しかも、Rだけにはまっていたら日本に帰ったら辛くなるって思ったのかなんなのか、Jという男の子がかわいいとか、あほみたいに騒いでみたりしました。

Rの落ち込みように加え、あまりの私の態度に、女友達と男友達がつるんで、帰る一日前、私をバーガーキングのパーキングで彼に合わせるよう、仕組みました。
彼は目に涙を浮かべていました。
どうして、もう時間がないのに、会ってくれないのって。
私は、無表情で、分からないってこたえました。

その夜、私も泣きました。
で、手紙を書きました。
愛してしまいそうだったけど、そうしたら辛いから、自分で訳分からないことしてしまった。ごめんなさい。って。
そこで、初めて、Rの存在に感謝するようになったのです。
でも、遅すぎました。
もっともっと一緒に思い出を作っておけばよかった・・・。

失ってから気がつく・・・
良く言われる言葉ですが、16才にして身をもって体験しました。

そんな後悔だらけの別れをしました。7月でした。
帰国後、彼から何通か手紙がきました。
電話もきました。
ミリタリーに入って、日本に行くから、待っててって言われました。

でも馬鹿な私は、Rとのことを嫉妬していた女の子(Rを狙っていた子)にうっかり「一緒に勉強したりしている男の子がいる」と書いてしまった・・・。
すると彼女は「mimiには彼氏が出来たって」ってRにいってしまいました。
12月ごろ、「彼氏が出来たって聞きました。仕方ないよね。僕もあきらめます」と手紙がきました。

泣きました。本気で、泣きました。
全ては私のせい。
ものすごく後悔しました。
馬鹿な私・・・。
思い出のキーススウェットの歌を聞いては、毎晩泣きました。
毎晩毎晩泣きました。
それが受験の冬。
受験どころじゃなかったですね。

その春、Rから電話がありました。
大学の入学式に行っている間。
あわてて電話したら、もう電話番号は使われていませんでした。

アメリカの女友達から聞いた話しによると、私が帰ったばっかりの頃、RはいきなりJに殴り掛かったそうです。
私が帰ってからのRは荒れてたって。
新学期になり、転校生が入ってきたそうです。
一人のゲトールッキングな女の子がRを異常に気に入ったらしく、机やトイレなどに、Rが好き、と書きまくってたそうです。
ケンカっ早い私の友達は、私のことでケチつけてきたその子と、殴り合いのケンカをして、休学くらったそうです。
ま、冬が終わった頃、Rはその子と一緒になり、その子はさっさと妊娠しました。
でも、Rとその子は上手く行っていなかったらしく、その子は警察を呼んで、BABY’S DADDYが暴力をふるうっていって、Rは刑務所に行ったのです。
すぐに出たらしいのですが。

あんなに優しかったR...
信じられません。
女友達はその女の子はおかしかったから、うそをついたんだろうって言っていました。
実際、別れるくらいなら、刑務所へ入れてしまえって思う人もいるそうです。
そのニュースを聞いたのは大学2年生の頃でした。

大学4年生の夏、留学先を3週間、訪ねに行きました。
女友達と散々会いました。
男友達にも散々会いました。
でも、Rには会えませんでした。
一応、探してみたのですが、会えなかった。
家は引っ越してたし、友達も今の家は知らないっていってたし。
それより、当時、Rがどんな生活をしてたか分からないから、奥さんいるかもしれないし、きちんと探せなかった。

運命のいたずらか。
私が帰った次の日に、女友達はRと店であったそうです。
mimiが来てたんだよ。昨日帰ったよ。
彼は涙を浮かべて会いたかったっていってくれたそうです。

あの時、会っていた方がよかったか?
それは分かりません。
お互いにもう別々の道を歩んでいるのだから。
でもきっと、心に火はついたでしょう。
会ってしまって、恋に再び落ちてしまっても、遠距離だったし、辛いだけです。

でも、Rとの思い出は、せつなく甘い思い出です。
苦い思い出でもあります。
でも、彼との関係で学んだことは、自分の気持ちに常に正直になるということ。
とても大事なことを学ばせてくれました。

ちなみに、数年後、Rと同じ誕生日の人と付き合ったことがあります。
生まれた場所も、NYのブルックリンと、そこまで同じでした。
占い好きの私は、同じ星回りのRと似ているに違いないと勘違いして、付き合うことに決めたのです。
あほでした・・・。
やっぱ、別人でした。
その人とは3ヶ月のみ一緒にいました。
なぜか、その人に、その数年後、再会して、またごちゃごちゃしたけど・・・。
それもそれで運命か?(いや、違う)

私は乙女座。Rも乙女座。
乙女座の季節が始まる時、そして終わる時、なんとなく、初恋の彼を思い出します。

今、アメリカの反対側で生活しているだろうR。
幸せであることを願います。

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