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認知症とは、認知する能力が低下すること。これはいったいどういう事??例えば、白い折り紙(昔からよく使っている大きさのもの)があったとします。認知能力がある人はそれを折り紙と認識します。しかし、認知能力に低下がある方は、それを折り紙と認知するかもしれませんが、認知しないかもしれない。折り紙を食パンと認知するかもしれないし、白いはんぺいと認知するかもしれません。ハンカチと認知するかもしれんませんし、どんなものを認識し認知するかは、四角く白いものなら、どんなものでも認知する可能性があります。物凄く認知能力に低下があると、色も認知できないかもしれませんし、四角という形も認知できないかもしれません。そうなると、この世に存在するありとあらゆるものと見間違える可能性があるという事です。虫に見えるかもしれませんし、炎や火などに見えるかもしれません。その方を安心させるケアをしようと思うと、この方が、今、見ている物にどんな認知をしているのか、認識をしているのか、その認知したもので、不安を増幅しているのか、安心感を得ているのか、特に気になっていないのか、その見極めが大切になってくると思います。今日、送迎中の事ですが、怖いなと思った事があります。利用者の事でなく、自分の事です。利用者を全員送り、帰っていたのですが、道をよくわかっていなくて、この道をまっすぐに行けばいいのか?どうだったかな?と考えていました。自分の眼に赤信号が映りました。信号が赤だ!という意識もありました。でも、赤信号という認知ができていおらず、危うく信号無視をするところでした。スピードも出ていなかったし、赤信号と認知できていませんでしたが、停止線を越して、横断歩道の手前で、赤信号だ!という認知が出来たので止まることができました。今日の体験は、物凄く考えさせられる出来経験でした。自分の眼に、網膜に赤信号が映り、更に信号が赤だ!という意識があったのにも関わらず、それでも認知はできていない。冒頭の話ではありませんが、もしかしたら白い折り紙を見ても、そこに何もない!と認知する可能性もあるのかなと思いました。このような体験をひとつひとつ積み重ねながら、よりよいケアができるように努力していきます
2008年12月24日
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認知症高齢者を抱えるご家族の方が、どれだけの思いで、本当に身を犠牲にして支援に当たっている方が多いと思います。僕の介護の経験やその方に対する思いは、ご家族の方を凌駕するとはとても思えません。ご家族の方よりも僕の方がいい面といえば、それは、認知症の方をご家族よりも、冷たい目で見る事が出来ることでしょうか。それと完全に離れた時間がはるかに多いということです。その時間的な面が自分の心に余裕を持たせるものだと思います。ご家族の方は、時間的に無理な事もあると思います、やってあげたくてもやってあげれない苦しみで涙を流すこともあるだろうし、懺悔の気持ちや情けに気持ちにぶつかることもしょっちゅうだろうと思います。そんな気持ちになった時、本当に信用できる人に愚痴って下さい。家族の悪口を公のHP進めるというのは、いささか後ろめたいという心もありますが、心に思っている思いを全部吐き出しましょう。心の重荷を一度下ろしましょう。また、しょわないといけませんでも、毎日毎日とても重い荷物をしょい続けることはないのです。少し休憩して、一旦荷物をおろして水でも飲んで下さい。あと、同じ境遇の仲間を友達を作って下さい。辛い時は辛いと泣きごと言いましょう泣きたい時は何時間でも泣きましょう笑えない時は無理して笑わなくてもいいと思いますイライラしてはけ口がない時に、認知症の方に当たったり、言い方が強くなってしまうのも致し方がないと思います。認知症状が一番強く出る人は、ご家族の中でも一番本人が信頼している人、嫁とか娘とか認知症の方が一番信頼している人に一番ひどい認知症状が出ると言われています。その人は認知症の方から、ドロボーと呼ばれたり、本当に泣きたくなるようなひどいこと言われたりされたりするでしょう。でも、それは、あなたの事を心の底から愛していて信頼しているから、出来る行為なのです。その事が頭でわかっていても、腹が立つのは抑えられないし、憎らしいとも思うでしょう。こちらは身を粉にして面倒を見ているのにと、つい、手が出てしまう、出そうになることもあるかもしれません。でも、そうしたことで、自分を責めないでください。自分を責める事は、面倒を見ている認知症の方を責めているのと同じですから。介護者と介護されている認知症高齢者とは一心同体です。うまく言えないけど、ごめん。まめおさんや認知症を抱える家族の方々の役に立てるように頑張っていきますので、これからもよろしくお願いします
2008年12月10日
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認知症介護の考え方で「その人らしさを取り戻す」援助が良いとされ、その人が過去にどんなものに興味があり、どんな事をしていたのかという事を調べて、手続き記憶(身体で覚えている事)に訴えていく援助。たとえば、主婦ならば家事全般の事ですが、洗濯物をたたみましょうと言っても、理解できないほどの認知症だったとしても、洗濯物をその人の前に置いて「手伝って」というと、たたんでくれる。そのような身体が覚えている内容の事を手続き記憶といいます。その人らしが何かを考える前に、自分らしさとは何か?と思うわけです。自分らしさ??この問いは、自分とは何者かという問いになるかと思うのですが、この問いに明確に答えることが出来る人は少ないのではないでしょうか?今、書いている自分でさえ、自分とは何者かと、すぐに答えることはできません。この自分らしさが答えることが出来ずに、自分が、自分らしさを分らず、考えもせずに、本当に他人の、その人らしさを見つけることが出来るのかと思うわけです。それと、その人らしさを取り戻すということは、忘れてしまっているものを思い出すということになるのではないのかとも思うわけです。思い出すことが出来るというのは、忘れていないということになるわけです。完全にきれいさっぱりと忘れているわけでなく、脳で忘れていても、心ではしっかり記憶されているということです。その心の記憶を呼び覚ます援助というのが、その人らしさを取り戻すということに他ならないと考えています。僕は、脳と心は別のものであると考えています。心は脳の中に存在しているのでなく、別の世界に存在していると考えています。僕は、脳というのは翻訳機と考えています。心で考え付いた事を、三次元世界に分るように、言葉として、行動として、思想として翻訳するものが脳であり、脳で考えているものはひとつもないと思っています。全て心が考えていると思っています。そして、心がいつも考えている事それが自分と思っています。自分らしさとは、心がいつもいつも考え続けている内容それが自分ではないかと思います。 その考えが、思いが個性というものになるのではないかと思います。 認知症によって物忘れが続き自分に自信をなくし、自分はダメだ!生きていても仕方がない、どんどん忘れていく、生きている意味がない!と意気消沈してしまっている人に、あなたはまだ出来る!という事を思い出させるような援助をしていく、責任感が強く、世話好きな人で、婦人会などで世話役をやっていたなどの経験があるのなら、デイサービスなどで、例えば、朝の挨拶をしてもらうとか、ご飯の準備や片づけを先頭に立ってやっていただく、しかし、その方が分からないように、その人が混乱しないように、スムーズに準備ができるように、職員が拵える。下の下準備を水面下で行い、その方が手動で食事の準備ができるように配慮しながら、自信をつけていってもらう。 責任感が強く世話好きというのは、人々を正しい道に導きたいと考えているのではないかと思います。そんな事をいつも、いつも考えて自分はどう表現したらいいのかと思っているからこそ、責任感を強くして、他者の失敗は自分の失敗と思い、大きな心で包みこみ、大きく成長してほしい!という教育者的な思想があるのではないかとかんがえました。 その人のフィールドで、はじめは小さなことから、自信がついてきたり、その行なう内容がある程度、昔から行っていた手続き記憶が使える内容かという事を調べて、その方に責任感のある仕事をやってもらう。その方が失敗して、自信を失う事がないように、完璧に下準備をしておき、見ていて失敗しそうな状況になったら、さりげないく失敗の原因になりそうな因子を潰していく。そのような援助することで、その人らしさがよみがえってくるのではないかと思います。その人が輝く個性を更に輝けるような援助をしていくことで、認知症になる前のような明るさが出てくるのではないかと思いますし、そう信じています。
2008年12月07日
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今日、タレントの山口美江さんだっかな。お父様が認知症になった壮絶介護体験の番組がやっていました。すぐにチャンネルを変えてしまったので、全部はしりませんが、ショックだったショックだったとおしゃっていました。他のタレントの方も認知症の介護体験を話したりしていますけど、どれも重い内容で、認知症はもう終わりみたいな番組構成なんですね。それが少し気になるんです。アルツハイマーをテーマにした映画で私の頭の中の消しゴムや折梅、他にもありますが、どれも重い、何か未来がないという後味が残ってしまうのです。そのストーリー構成が僕はどうしても、嫌なのです。認知症の介護が大変なのはわかります。その介護を丸11年やってきているのですから。僕は自分の家族の介護をしたことがないので、家族が認知症になった苦しみや悲しみ、やるせなさがわかるはずがない!と思われるかもしれません。そう言われると、何もいえませんが、でも僕は思うのです。介護の仕方、接し方、しゃべりかたや眼差しなど、こちらが気をつけるべきことや注意をすべき事をしっかり認識して一緒に生活すれば、大変、悲しみ、苦しみ、両親に祖父母に対する憐れみに似た感情(かわいそう)の占める割合よりも、本人が喜び、楽しみ、充実した毎日を過ごし、その姿をみる家族も喜ばしく、微笑ましく思えるような割合の方が大きくなると思うのです。で、認知症という病気は、大騒ぎするような病気じゃない。ちょっと風邪をひいた程度くらいの感覚になってほしいと思っています。認知症の未来は普通の人同じように光り輝いて、明るい未来が開いている。そいうメッセージを後世の方々に伝えたい!そんな風に考えています。僕は、ご家族の方々が、こんな風に思ってもらえるような介護ができるように、的確なアドバイスができるように、認知症の勉強をしています。まだまだ、僕の言葉や体験は説得力がないかもしれません。でも、僕の言葉や経験が家族介護の支援になることができるように、努力していきます。認知症の人も認知症でない人も、屈託なく笑う事ができますように。ただこのHPの読者は信じてほしい。認知症は脳の病気、脳が心の情報を的確に伝える事ができなくなる病気だという事を。脳と心は違うという事を。唯脳論という脳と心は同一とう考え方があります。それは間違っているという事を。娘の顔を忘れる。会社の情報を忘れる。認知症による物忘れはすべて、心から忘れてしまうわけではない!心には生まれてから死ぬまでの人生、自分の行動や考えたことすべて、自分が忘れてしまっことも全部記憶されている。だけど、認知症になることによって、心からの情報を受け取ることができずにいるために「忘れた」という現象として出てくるのです。だから何もかも忘れるというのは、三次元的には忘れるという事です。心の世界四次元的には記憶いされている。例えて言うなら、テレビでもラジオでもいいですが、テレビ局、ラジオ局(心)が情報を流します。受信する家庭用テレビ、ラジオチューナー(脳)が壊れている為に、テレビ、ラジオの映像や音声が乱れる、もしくは映らない、聞こえない!という事になるのです。ですから、ご家族の方は絶望しないでください。心から忘れていないのですから。全部覚えているのです。心は、すべて分かっていて、現在自分が何をしているのか、その家族は、どんな思いで生活しているのか、その苦しみ悲しみ、やるせなさ、疲労、すべて分かっています。その思いを心から脳に伝える事が出来ないのです。そして、心がわかっている分、認知症の方も自分が原因で最愛の家族を苦しめているという事実に悩み苦しむのです。そんな不幸な状況を打破するために頑張ります。
2008年12月03日
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