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旅立ちの歌第845回 2006年6月28日旅立ちの歌 予告●はじめちゃんの東京騒動記 第二部 まもなく連載開始!旅立ちの歌 予告●はじめちゃんの東京騒動記 第二部 まもなく連載開始!旅立ちの歌(予告) 「まんが」にとりつかれた三人の少年が、 1970(昭和45)年山形県米沢市で開催する「漫画展」と「ぐら・こん山形」の結成に向け奔走していた。 「昭和」という時代(1970年代)を疾風のごとく駆け抜けた山形の漫画同人の姿を熱く描く大河ドキュメント。 憧れの手塚治虫先生をはじめ漫画同人作家や著名人が実名で続々登場する井上はじめ版「まんが道」である。 これを読まずして山形の漫画の歴史は語れない。 …………………………………………たかはし よしひで■いよいよ次回から連載です。 第二部「旅立ちの歌」にご期待下さい!!
2006年06月28日
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はじめちゃんの東京騒動記第844回 2006年6月16日第76回 (最終回)●若者たちはじめちゃんの東京騒動記 第76回(最終回)●若者たち東京騒動記76(最終回) 夜行列車「津軽」はほぼ満席だった。村上は指定席を準備していた。三人は座席に着いた。三人は座ると流れる汗をハンカチで拭いた。「みんな疲れたろう。さあ、これを飲みなさい」 村上はビンに入った「ファンタオレンジ」をたかはしと井上に配った。たかはしは早速一口飲んで言った。「おお~っ、ファンタスティック!?」 三人は一斉に笑った。 井上は手提げ袋に入れた借りてきたマンガ原稿を抱きかかえていた。「井上センセ、緊張しているんでないスか。大丈夫だから。誰も手塚治虫センセや石森章太郎センセたちの原画があるとは考えてもいないスから」 と、たかはしが言った。「いやあ、でも責任があるんでこうしています。それにこんな光栄なことは滅多に味わえないんで……」 井上は答えて、顔を窓にくっつけ、目を込み合う上野駅のホームに移した。 雨は止んでいたが湿度が高く、ホームを歩く人たちはハンカチや手拭で首や顔を拭きながら歩いていた。夜汽車の客目当ての弁当売りが声を高くして足早に電車の傍で売り声を上げていた。 井上は今日一日の夢のような出来事を想い出していた。 早朝に手塚治虫先生の自宅に電話を入れて奥さんと話したこと、虫プロ商事に行ったこと、目白のコム編集室で石井編集長からプロのマンガ原稿を借りてきたこと、手塚治虫先生と直接話をしたこと、秋田書店「少年チャンピオン」の編集者に怒鳴られたとこ、虫プロダクションに行ったこと、手塚治虫邸の大きさにビックリしたこと、ちばてつや先生に会うことになったが家がわからなくってすっぽかしたこと、東映動画に行きあまりにも映画会社っぽくてびっくりしたこと、新宿西口の雑踏で漫画アクションをみかけたこと、新宿でマンガ喫茶コボタンに行ったことなどがスピードを増してよみがえってきた。それはすべてが今日の出来事だった。 1970年、昭和45年7月6日月曜日も後2時間で終ろうとしている。午後10時30分、急行「津軽」は上野駅を出発した。 三人は無言になっていた。しかし、三人は目はしっかりと開き、電車の窓から夜の灯かりを追っていた。三人は興奮がまだまだ覚めなかった。 井上はマンガの原稿が入って手提げ袋をしっかりと抱きしめ直した。額から汗がポトリと膝に落ちた。♪若者たち藤田敏雄 作詞佐藤 勝 作曲ブロード・サイド・フォー 歌♪君の行く道は 果てしなく遠いだのになぜ 歯をくいしばり君は行くのか そんなにしてまで♪君のあの人は 今はもういないだのになぜ なにを探して君は行くのか あてもないのに♪君の行く道は 希望へと続く空にまた 陽がのぼるとき若者はまた 歩きはじめる♪空にまた 陽がのぼるとき若者はまた 歩きはじめる 午前3時47分、急行「津軽」は米沢駅に到着した。まだ暗い朝だった。 「はじめちゃんの東京騒動記」完 06年 3月18日 土曜 記 ご声援ありがとうございました。 近日中に第二部「旅立ちの歌」を掲載します。どうぞ引き続きお読みください。■(文中の敬称を略させていただきました)はじめちゃんの東京騒動記●第76回(最終回)完 第二部「旅立ちの歌」にご期待下さい!!
2006年06月16日
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はじめちゃんの東京騒動記第843回 2006年6月10日第75回 ●長くて短い一日はじめちゃんの東京騒動記 第75回●長くて短い一日東京騒動記75「井上くん、サンドイッチがきたよ」村上が席から、漫画喫茶コボタンにあるコムのバックナンバーを見ている井上を呼んだ。 井上はSFクラブが紹介されたコムを手にして席に戻った。「井上センセ!なかなか美味しいサンドだ」 と、たかはしが言った。「たかはし先生、これを見てください。SFクラブが紹介されたコムです」 井上は向かい席に座っていたたかはしと村上に昨年(69年)の6月号のコムを差し出した。「んだっす(そうだったね)このコムに載ったんだ。そしたら井上センセから手紙が来た」 たかはしは想い出したように井上の顔を見た。 「村上さん!このコムでたかはし先生と知り合い、オレの人生がマンガに向いていったんです」「井上くん、このコムがマンガを好きな少年やマンガ家志望の青年たちにどれほど影響を与えてきたことか。ぼくだってこの雑誌に出会わなかったら、きみたち二人には会っていなかったかもしれないね。だって(ぼくは)酒田だろう、たかはしくんは中山町で井上くんは米沢だもの。出会うわけがない」「そうですよね、今日は夢にまで見た手塚治虫先生とも会え、こんなにたくさんのマンガ家の原画を手にして見ることができるなんて夢のようでした。今日を機会に決意も新たに『山形まんが展』を成功させなければと思っています」 井上は多少興奮していた。まだ16歳の井上にとっては、わずか一年間のまんが同人会の体験でマンガの神様手塚治虫に会えたことや、村上、たかはしの山形マンガ同人会の先覚者と一緒にいること事態がとても信じられないことだった。「村上センセ、オレは酒田ですき焼きをご馳走になったことが忘れられないッス。初めてでしたすき焼きを食べたのは……だから絶対「山形まんが展」は成功させなければなりません。成功したらまたすき焼きをご馳走してください!!」 と、たかはしも興奮気味に言った。「ああ、いいとも。今度は米沢牛のすき焼きをご馳走するよ」 村上は笑いながら言った。たかはしも井上も大きな声で笑った。 ミニスカートのウエイトレスもマスターのような三十代の男性が三人を見た。客たちも振り返って三人を見た。 外の雨はまだ降り続いていた。 新宿の漫画喫茶コボタンに長居した三人は、暗くなってから山手線で上野に行った。夜行で山形に向かうにはまだ時間が早く、上野駅近くの食堂「じゅらく」に行き、遅い夕食をとった。 井上はここの公衆電話から米沢の自宅に電話をした。電話に出たのは祖母のふみだった。「あっ、ばあちゃん!?手塚先生に会ったよ!うんうん、そうそう、とてもやさしかった。梅酒も渡したからね。うん、喜んでいたよ。頭?ベレー帽で分からなかった。でも額が広かった。ハゲてはいないと思うよ。村上さんもたかはしさんもすごく親切にしてくれてるから心配ないから。予定どおり夜行で帰る。明日の朝、一番に着くから。うん、うん大丈夫だから。今?上野駅の近くで豚カツを食べるとこ。生水はクスリ臭いから飲めない。コーヒーを飲んでるから。おじいちゃんは元気?ジョン(愛犬)の散歩はたいへんだけどよろしくって言ってて。じゃあ、10円硬貨がなくなるから、バイバイ……」 夜遅い上野駅は奥羽本線の夜行に乗る人と雨の持った湿度の高い暑さに蒸せていた。 06年 3月15日 水曜 記■(文中の敬称を略させていただきました)はじめちゃんの東京騒動記●第75回 完 つづく 第76回にご期待下さい!!
2006年06月10日
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はじめちゃんの東京騒動記第842回 2006年6月3日第74回 ●「ホップ」と「ステップ」はじめちゃんの東京騒動記 第74回●「ホップ」と「ステップ」東京騒動記74 同封された「ホップ」にはNo.29もあった。1969年5月25日発行と書いてあった。つい最近の最新号であった。山形漫画研究会と改めてからは第2号になる。 肉筆回覧誌「ステップ」3号の原稿締め切りが報告されていた。集まった原稿の紹介は次のように書かれていた。 会員合作SF漫画「大支配」で、9人の会員の力作、50ページの大けっ作となりました。 かんのまさひこくんのファンタジー野心作「雨上り」は8ページ たかはしよしひでくんの「SFパトロールシリーズ・3 β-108」は得意のSFスペース物。正田つとむ少年の活躍 16ページ 長岡孝子さんの作品、「永遠の幸」はファンタジー。18ページ。 COMでもおなじみ、福田達男くんの「戦国用心棒」は、時代物。 その他、水谷俊之くんの特撮、「地球の守り神」・岡部一くんの短編や、佐竹武彦くん、川崎博くん、田辺英治くん、林礼子、ごとうかず子さんなどのカット。 とにかく、「ステップ3号」は、漫画とカットだけで、130ページ位になる予定で、スタッフ一同喜んでいます。なお、回覧は原稿提出者のみ。それでは、6月初旬の回覧に、ご期待ください。 しかも、2ページ目には 「ステップ1号もどる」 と記事があり、前年の12月に発行した「ステップ1号」が半年かかって全国を回覧が終ったことが書かれていた。感想の記事が紹介されたいた。 この「ポップ」の中で極めて目を引いたのがかんのまさひこの小説「ショートショート白いえんとつ」だった。 現代版の童話に仕立ててあるが、えんとつさんから観た高度経済成長の日本の町並みが変わっていく状況と、ついに自らの存亡に見舞われるまでを描いていた。 特に井上はこの「白いえんとつ」に感動した。そして「かんのまさひこ」が描くマンガに惹かれるのであった。かんのの描いたイラストなどから「きっと詩情あふれるマンガ」を描く人ではないかと想像をした。 また、「水野重康=美津濃重康」の「SF復活論」などは、専門家や映画スタッフでなければわからない話題と批評を書いてあり、奥の深い文章に驚いたのだ。そして、たかはしよしひでの小説「SFパトロール」や会員による映画評論、マンガ評論にイラストがびっしりと誌面を埋め尽くしていた。 わら半紙にガリ版で印刷された「ポップ」には若者たちの熱気と知能があふれていた。 井上は機関誌がこんなにすごいのだから、同会で発行する肉筆回覧誌「ステップ」はすごい作品ばかりなのだろうと想像した。 「一刻も早く見てみたい」 そうの想いが日々強くなっていった。 そのためにもこの「山形漫画研究会」の会員になることだと決意し、入会申込書に記入して入会金と会費分の切手を送った。そして「スッテップ」を見せてほしい旨を便箋に書いて同封した。 たかはしからは丁寧に井上宛ての手紙が書いてあった。「ぜひ、会員になってほしいです。米沢から第一号の会員として。そしてあなたの作品も見せて下さい」 十日位たったら小包が届いた。厚手の油紙に包まれ、太い糸紐で横縦に数ヶ所グルグル縛られていた。送り先と送り主の住所氏名を書いた名札と称したモノを二枚付いていた。 急いで包みを解くと百科辞典のような厚さの「ステップ」1号が井上の目に飛び込んできた。そして墨汁の独特の油の匂いが部屋中に漂ってきた。 緊張しながら井上が「ステップ」1号を持った。そのどっしりとした重さに井上は「ステップ」を落しそうになった。 ※カット=イラスト ※肉筆回覧誌:原稿をそのまま紐などで綴じて、表紙を付けたもの。それを会員の間を小包や、手渡しなどで回覧するもので、青焼きコピー※が出てくるまでは、ガリ版刷り※と同じく同人誌としては一般的でした。会員数にもよりますが、手元に置けるのは、わずか2~3日でした。有名なところでは、石ノ森章太郎先生の『墨汁一滴』などがあります。(かんのまさひこ劇場「雨あがり」より) 06年 3月12日 日曜 記■(文中の敬称を略させていただきました)はじめちゃんの東京騒動記●第74回 完 つづく 第75回にご期待下さい!!
2006年06月03日
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