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旅立ちの歌 ●第14回 夕立の中で第859回 2006年9月30日旅立ちの歌●第14回 夕立の中で旅立ちの歌14 第五中学校にもポスター掲示の依頼を終え、井上はじめと生徒会副会長の近藤重雄が帰り道を急いだ。夕方ではあったが空は雨雲で真っ暗になってきていた。雨が降らないうちに帰らなければと必死で自転車を走らせた。二人は蒸し暑さに全身汗びっしょりだった。 日の出町、信濃町をとおり、大町にさしかかった時、雨がドーッと降ってきた。その瞬間に二人は頭からバケツの水を浴びたようにずぶ濡れになった。 二人はすぐに自転車を下りて、民家の屋根の下に雨宿りをした。「いや~ついに降ってきたな」 と、近藤は言いながらハンカチで頭と顔を拭いた。 井上は近藤を見ながら謝った。「近藤先輩、全身びしょ濡れになってしまいすいません」「いや~気にすんな。予定のポスターを全部配った後だったからよかったな」 近藤は井上に要らぬ負担が掛からないように言ってくれた。 まもなくピカッと大光をして雷の大きな音が地面にも響いた。「先輩、オレは雷が大嫌いで、おっかないから大嫌いだあ」 と、井上が言うと、近藤は間を空けないで井上に訊いた。「井上、お前、好きな女(ひと)はいないのか?」「先輩、何を言うんですか、いないよ」「そうだろうなあ、いたら手塚治虫に会いに行く時に、オレとか小山絹代が見送りに行くくらいだもの、好きな女(ひと)なんていないよな!」「…………」 大きな雨の音で井上の声が時々かき消された。「先輩は好きな女(ひと)はいんな?(いるの)」「いる。今度付き合ってくれって言おうと思っている」「すげえ~なあ先輩は。オレなんてそれが言えないからどうしようもない」「なんだ、井上も好きな女(ひと)がいんなが!(いるのか)」「同じ学校でないから、いないと同じで……」「うちの高校にはいないのか?例えば話してもいいとか、コーヒーを飲むとか」「…………」「バカだなあ~顔を真っ赤にして、照れてんのが!? ハハハハッ」 井上はこの時に、近藤の人間らしさを感じた。そしてやさしさがうれしかった。 近藤は自らポスターの依頼担当を申し出てくれた。そして生徒会副会長という立場で各中学校にまんが展の意義を説いて歩いてくれたこと、第三中学校の対応が悪かった教師の時も一緒に腹を立ててくれたこと、最後は一緒に大雨に濡れながらも、恩着せがましいことをひとつも言わない近藤の態度に、井上は後輩思いと先輩としての真摯な態度を感じるのだった。 雷の音が小さくなってゴロゴロが遠くなっていった。そして雨が上がた。「井上、いまのうちに帰ろう」 近藤は自転車を跨ぎ、道路に出た。井上はそれを追うようにして自転車に乗った。 突然後ろから来た自動車が二人に泥を掛けた。 「井上!大丈夫かあ~。雨の後に泥に汚れるなんて、今日は本当についていねえな。アハハハッ……」 近藤は自転車のペダルを踏みながら井上に言った。 「この先輩は尊敬できる人だ」 井上はニコッと微笑んで、心の中でそう言った。 2006年 6月 8日 木曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第14回 夕立の中で 完つづく 「旅立ちの歌」第15回にご期待下さい!!
2006年09月30日
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旅立ちの歌 ●第13回 自由と励まし第858回 2006年9月23日旅立ちの歌●第13回 自由と励まし旅立ちの歌13「胸糞わるいなぁ……!」 近藤が言った。「セ・ン・セ・イって言ってもいろんなタイプがいるんだね。先輩が一緒でなかったら、オレはどうしていたことか、考えただけでも嫌な気分だなあ!」 井上が言った。「井上、お前は見かけと違って短気だから心配したぞ。まっ、お前でなくてもあのセンセイでは頭にくるさ。井上、この学校にもいろんな先生がいるが、あのセンセイから比べたらまだマシさ」 自転車で走る二人は、早くも自分たちの高校の側を通っていた。「先輩、オレはこの学校が好きだ。先生も好きだ」「ほう、どうして?」 近藤は校舎を見上げながら井上に訊いた。「この学校には自由があるもの」「ジ・ユ・ウ?自由が?」「生徒の自由を認めてくれている。だからオレたちは同人会も作れたし、こうやって生徒会と美術部の協力を得ながらまんが展を開催できるんだ」「それは井上たちの実行力だよ」「でも、提案をすればそれに応じる土壌がこの学校にはあるから。うちのおじいちゃんが言っていた。椎野学園は初代理事長椎野詮(せん)先生時代から生徒には自由に伸び伸びとさせていたって」 校舎を過ぎて立町通りをとおり、松川橋の手前の土手を南に自転車は走り、住江橋を渡った。そしてその橋のすぐ側にある第一中学校に行った。 第一中学校は校舎は古いが、戦後アメリカ進駐軍が使用していただけあって、いまもその建物には歴史を漂わせる雰囲気を充分に持っていた。 井上は美術部顧問を呼び出すのに氏名でお願いをした。 饅頭がしなびているような顔をして、その顧問教師が現れた。その名は「今泉清先生」だった。 井上と近藤が一通り話を終ると、井上から今泉先生に話を切り出した。「今泉先生、覚えていますか?あれは一昨年(おととし)でしたが、先生が中条病院に入院されていた時に、帰宅途中のぼくが病院前を通ったら、先生がぼくを呼び止めて、ぼくが持っていたスケッチブックを見せてみろと言い、絵を一枚一枚丁寧に批評してくださいました」 頭を傾げて考えていた今泉は、しばらくしてから、「おお……おっお覚えている、覚えている。石膏デッサンと茶色と紫色の濃い静物画や風景画がだったなあ。あん時の四中生がお前かあ!?」 少しせっかちな言い方の今泉は、細い目を一層細くして井上に笑顔を返した。「まんが展とはおもしろい企画をしたな。よし、このポスターは預かった。貼っとくからな!頑張れよ!!」 真っ黒い雲がモクモクと空を覆ってきた。ゴロゴロと雷の音が強くなってきた。今泉先生の励ましが井上たちの嫌な気分をかき消していた。 2006年 6月 8日 木曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第13回 自由と励まし 完つづく 「旅立ちの歌」第14回にご期待下さい!!
2006年09月23日
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旅立ちの歌 ●第12回 教師の偏見と暴言第857回 2006年9月20日旅立ちの歌●第12回 教師の偏見と暴言旅立ちの歌12 翌日、生徒会副会長の近藤重夫と井上はじめは、各中学校にまんが展のポスター掲示をお願いに歩いた。ふたりは婦人用自転車に乗って、まずは井上の母校である第四中学校からスタートした。 国道十三号線沿いにある第四中学校には、井上の知っている先生たちが在籍しているから、まんが展の企画そのものを喜び、そして励ましてくれた。依頼する先生は美術部顧問の教師であるが、生徒会の副会長が直々お願いにくるほど、このまんが展は新しい文化活動と捉えて、生徒会も全面的にバックアップしていることを近藤は強調するのだった。 今日の暑さも半端ではない。盆地という地形のせいで三十度近い温度がなかなか下がらない。米沢西駅に近い第三中学校に行くころは、ふたりの背中は全面に汗がおおいつくし、汗はランニングシャツと白い半袖のワイシャツから表面にあふれ出てくるほどだった。 正面玄関から上がって、事務所前で立って待っていた。あいにく美術部の顧問教師はいなかった。するとメガネを掛けた猫背で、がに股の五十歳代後半に見える男がズカズカと現れた。 丁寧に挨拶をする井上らに向かって、「なにや、おまえだぢ(どうしたんだ貴様ら)」 と乱暴な言い方で寄ってきた。 井上と近藤はびっくりした。ふたりは顔を合せて、「これが先生か?」 と目で話した。 井上と近藤が交互にまんが展の説明をして、ポスター掲示をお願いすると、「マンガだべ、こがいなもの生徒さみせらんにッ(こんなものは生徒には見せられない)!」 と語尾を強めて吐き捨てるように言った。 さすがにこの先生の態度には井上も近藤も驚いた。井上は反抗するようにこう言った。「先生、マンガは今では文化として、表現のひとつとして注目を集めています。特に中学生の多感な時期に読むマンガの影響は大きいと思います。先生、ぜひ先生も鑑賞に来てください。すばらしい作品ばかりです」「オレはマンガは嫌いだ。冗談じゃねえ。マンガなんてとんでもねえぞ!フン!!」 井上が反論しようとした時に近藤は井上の腕をつかんで言葉を止めた。 井上は先生がマンガに対して偏見を持っていることではなく、吐き捨てるような乱暴な言い方には黙っていられなかった。悔しさが井上と近藤の心を襲った。 校門を出ると空は曇っていた。「井上、あまり気にすんなよ。いろんな人間がいるからいろんな先生もいる。生徒もそうだ」 近藤は自転車をふみながら井上に言った。 空からはゴロゴロと雷の音が遠くから聞えてきた。井上の体中に汗が噴出してくる。その汗を拭おうとはしなかった。それよりも怒りと悔しさで無口になって自転車のペダルをふんだ。近藤も黙って自転車を走らせた。 2006年 5月18日 木曜 記 2006年 5月21日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第12回 教師の偏見と暴言 完つづく 「旅立ちの歌」第13回にご期待下さい!!
2006年09月20日
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旅立ちの歌 ●第11回 手作りポスター第856回 2006年9月9日旅立ちの歌●第11回 手作りポスター旅立ちの歌11 暑い暑い日が続く。そして夕立も多く、特別に動かなくとも汗がシャツをびしょびしょにした。 まんが展の準備も次々に進んでいく。特に美術部と生徒会の有志らの手助けはまんが展の大きな戦力になっていた。 井上の自宅には次々とまんが展PR用のポスターが送られてくる。 それらのポスターはみんな米沢漫画研究会や山形漫画研究会、そして山形漫画予備軍の会員の手作りだった。 それぞれに工夫がしてあり、個性豊かなポスターが揃っていった。そんな中でも山形漫画研究会のたかはしよしひでからのアイデアとPR作戦は奇抜であった。「もしもし、オッ、井上センセイ!? たかはしです。ポスターを今日発送したんで、そのポスターは書店や学校関係に持っていくように。そうだよ。それ用に作ってあるから」 と電話で指示があった。 翌々日にたかはしが作った「書店と学校用ポスター」が届いた。 包装を解いてみて井上はビックリした。 その「書店と学校用ポスター」はマンガ雑誌のトビラ(カラーの表紙)を利用したもので、特に百万部を突破した「週刊少年マガジン」の「あしたのジョー」や「巨人の星」、虫プロ商事の「COM」(コム)の「火の鳥」、「ジュン」などの人気作品を惜しみなく全面に出して作ってあった。 ポスターの作り方は、大きな模造紙に「山形まんが展」と日時会場をカラーのマジックインク書き、紙面の正面にトビラを斜めに貼り付けるのであった。なかにはトビラを手でやぶいた跡があり、やぶき散らかした状態で貼り付けてあった。その工夫が意外にも新鮮な効果をもたらした。 また、トビラそのものに直接ポスターカラーで文字を書いてあるものもあった。 当時は印刷でのカラーポスターがようやく普及し始めていた頃だけに、たかはしが作ったトビラを応用したカラーポスターは目立ち、強力な印象を与えた。注目度という点では、人気マンガのトビラで注目を集める作戦は、他の会員の手作りポスターでは味わえない迫力があるだけに、「これを『書店と学校用ポスター』に貼るとは考えたもんだなあ。学生や一般人も絶対に注目するポスターだ。さすがたかはしセンセイだ」 井上はたかはしの発想の豊かさにあらためて感心をした。 ポスターを各所に張り出す仕事は美術部のメンバーが引き受けた。展覧会時に数回行っていたので依頼先がどんどん出てくる。「彩画堂に米沢楽器店、吾妻スポーツ店、米沢書房、それから…」 宮崎賢治と鈴木和博が紙に書いていく。美術部の林部長がさらに頭をひねって店や掲示する場所を述べた。傍に立っている二年生の田中富行が思い出したようにまたカバーをした。 井上はたかはしが作った「書店と学校用ポスター」を早目に張り出すことを提案した。生徒会の副会長近藤重雄が率先して学校回りを引き受けた。 井上も同伴して市内の中学校と高校を三日間で完了することにした。「井上、他校にはまだまだお前たちの主旨を理解してくれる者は少ないと思え。いいか、オレが生徒会役員としてお願いするから主旨はお前が述べるんだぞ」 近藤の申し出はありがたかった。井上は地元マスコミを回ってみて、その反応のなさを意外に感じていたから、近藤の考えはもっともとだっだ。 中学校も高校も夏休みまで日にちが迫ってきているだけに、早速明日から学校を回ることにした。宮崎らも明日から三日間でポスター掲示を終ることにした。 ゴーッと大粒の雨が学校の屋根を叩いた。「おっ、夕立だぁ。最近多くないか?」 近藤が言った。蒸し暑さが屋根の低い生徒会室を一層襲っていた。 2006年 5月14日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第11回 手作りポスター 完つづく 「旅立ちの歌」第12回にご期待下さい!!
2006年09月15日
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旅立ちの歌 ●第10回 清田先生第855回 2006年9月9日旅立ちの歌●第10回 清田先生旅立ちの歌10 清田先生 井上は教育委員会を出るとその足で近くの米沢新聞社に行った。それからさらに足を延ばして山形新聞社置賜支社に行く。まんが展を新聞で紹介をしてもらうためだ。 両新聞社は夕方で締め切りの時間に追われていたせいか、まんが展の案内文を見ても「ハイ、お預かりします」 とだけ言い、質問もなにもなかった。「あまり関心がなさそうだ」 それが井上の印象だった。それにしても、中央のマスコミは新聞やテレビでも「マンガブーム」、「劇画ブーム」と毎日のように報道され、社会現象になっていた時代だった。 しかも大学紛争では全共闘の学生たちにとっては講談社の「少年マガジン」と朝日新聞社の「朝日ジャーナル」が必読書のようにいわれてもいた。米沢のマスコミの対応に時代遅れを感じる井上だった。 それはわずか一日の上京であったが、手塚治虫先生やコムの石井文男編集長との出会いや東京の体験をとおして、時代の変化や流れのようなものを体感したからだった。あれ以来、米沢の空気や時間の流れにゆるやかさと時代とは別な世界を感じるのであった。「これが米沢の現実か……」 ため息に似た言葉が井上のひとり言流れた。 夕方というのにまだ空は明るい。そして暑い。 井上は汗を白いハンカチで拭いながら歩いた。側をバスが土ぼこりをたて走っていく。 バスは中央待合所に止まる。井上はその待合所の十字路を東に曲がって、郵便局の向かい側に十字路をまた渡る。洋服屋の隣にある小さなビルには「米沢日報社」と看板が掲げてあった。 井上は急な階段を昇り、米沢日報社と書いてあるドアをノックした。「ハイッ」 という返事と同時にドアが開いた。「あら、はじめくん!井上はじめくんじゃないの」 小太りの若い女性が親しそうに声を掛けてきた。 井上はビックリした。そしてその女性の顔を見た。「あっ、清田先生……」 若い女性は顔を傾げてニコニコして井上を見つめた。「清田先生はどうしてここにいるんですか?」「ビックリした?アタシは今ここに勤めているのよ」 清田厚子は井上が第四中学校の臨時教師を勤めていた。まだ二十代の初めの清田は情熱的に生徒に接していた。中学二年、三年生の時には国語を担当していたがクラス担任の補佐もしており、井上らのクラスとは特に親しかった。 新聞社の中には清田のほかに年配の男が無愛想に座って、伝票を数えていた。記者らしい男が一人で机に向かって書き物をしていた。清田は井上に近くの椅子に座るようにすすめた。「清田先生、まんが展をします。紹介の記事を書いてもらいたいんです」「まんが展?すごいわね~ はじめくんたちが開くの?はじめくんはマンガが上手だったからね」 姉が弟に話しかけるように清田はやさしく言った。 井上はひと通り内容を説明した。「手塚治虫ははじめくんがあこがれていた人よね。すごいことじゃない!?楽しみだね。成功するようにきっと紹介してあげるわ」 清田は終始笑顔を絶やさなかった。「清田先生、よろしくお願いします!」 井上は深々と頭を下げた。急な長い階段を降りていった。清田はドアを開けて目を細めて井上の後姿を見送った。 2006年 5月 8日 月曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第10回 清田先生 完つづく 「旅立ちの歌」第11回にご期待下さい!!
2006年09月09日
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旅立ちの歌 ●第9回 いい人たち第854回 2006年9月2日旅立ちの歌●第9回 いい人たち旅立ちの歌9 7月9日になると中山町長崎のたかはしよしひでから電話が毎晩掛かってくるようになった。「第二回山形まんが展」の段取りと進捗状況の確認であった。「今日は会場の文化会館の正面に備え付ける看板をみんなで作りました。鈴木和博くんの家業が建具店なので、ベニヤ板とサンワリ(角材)で看板の枠を作ってもらい、色紙を貼りました。乾いたら大きく『山形まんが展』って文字をゴシック体で書きますから」 井上の報告に対してたかはしは、「原画を張り出す大判用紙に原画の四隅を入れていく作業はどうする?」 と準備を心配をして訊いた。「生徒会の有志と美術部のみんなが手伝ってくれます。先ずは四隅を切るだけにして、原画は会場入りしてからにします」「了解、了解……それで私とかんのセンセイら数人で19日の日曜日にそちらに応援に行くので、それらの作業はその日にまとめてしましょう」 たかはしの電話が終ると、今度は酒田の村上彰司から電話がきた。「ああ、井上クン?村上です。どう、元気でやってる?フンフン……。ところでな、会場申し込みを正式にしてくれなあ、そして担当者の名前をきちんと訊いとくこと、いいね。それと地元のマスコミ関係に案内状を持って、そうそう、たかはしくんが作ってくれたあの画用紙刷りの案内状なあ……」 井上はそれをメモして、明日対応することを述べた。 山形マンガ界の二大巨頭からの指示や確認には、井上も緊張を隠せない。祖父の長吉は電話のある茶の間でそっと声を潜めて様子を見守っていた。 電話が終ると井上はお茶を飲んだ。頃合いを見て、長吉は孫の井上はじめに声を掛けた。「はじめ、まんが展の準備は着々とすすんでいるか?」「うん、何とかかんとかだけどね」「何か困ったことはないか?」「いまのところは何が困っているのかもわかんねぇ」「……」 沈黙の時間が続いた。ふたりは黙ってお茶をすすった。 翌日になると鈴木らが準備を任せて、井上は教育委員会に出掛けた。教育委員会は「まんが展」会場予定の米沢市文化会館の北側にあった。受付の窓口に行くと二人の男性職員が現れた。 「おお、山形まんが展だったね。おもしろい企画だね」 と髪を七三に分けた目がちょっときつそうな方が言った。「米沢漫画研究会?おもしゃ(面白)そうだな、オレんどごもはめねが?(私も仲間に入れないか)」 と背の低い目がキョロッとした方が言った。「遊びじゃないんです」 と井上がまじめに答えた。すると背の低い男は笑いながら「わり~い、わり~い(悪い)なあ、そんなつもりで言ったんじゃねえがら、気にすんな(するな)。教育委員会には社会教育課もあって、青年団や文化活動をしている団体を支援しているから、本当に興味があったから訊いたんだから」 と愛嬌のある顔で言った。「すいません」 と井上が言う。 書類を渡されて、そこに記入すると会場費用の金額がはじきだされた。支払いを終えると、また二人は井上に質問をしてきた。「どんなマンガを展示するの?」「プロとアマチュアのまんがです」「プロって誰の?」「手塚治虫先生、赤塚不二夫先生らの原画を250枚ほどです」「て、てづか、手塚治虫センセイの原画だって、ヒ~ッ」「キミたち凄いことするんだね」「オレたちも観に行くからな。頑張れよ」「あの、この会場の担当の方はどなたですか」「オレは山口っていう、山口昭だ。みんな山ちゃんって呼ぶ。よろしくなはじめちゃん!」「どうして僕の名前を知っているんですか?」「だって、この申込書に書いてあるだろう」「私は鈴木って言います。よろしく」「オレたち二人が担当だ。何かわかんないことがあったらいいな」 山ちゃんこと山口は親しげにそう言った。「いい人たちだな」 井上は二人に安心感を持った。 2006年 5月 6日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第9回 いい人たち 完つづく 「旅立ちの歌」第10回にご期待下さい!!
2006年09月02日
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