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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第5回 びる沢湖第901回 2007年2月24日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第5回 びる沢湖 四人は、大通りから左の坂道を道なりに歩いていった。 いつでも雨が降ってきてもいい曇り空だった。「いつまで歩くんだよ~」 と、まさよしが大声を上げる。黙って着いてこい、と近藤が言う。小山と井上は黙って歩いていた。 坂道は山に向かって続く。緩やかなカーブが数回続き、大きな看板と売店が見えた。 看板には「びる沢湖」と書いてあった。「着いたぞ!さあ、一休みしよう」 近藤が言った。井上らは額の汗を拭きながら、周囲の景色を見渡した。 そんなに高くない山並みの中に、その湖はあった。ただ、連日の猛暑のためか湖の水量は大幅に減っていた。湖のあちこちが日干しになり、底には黄土色の土が見えていた。 売店から中年の女性が出てきた。売店のおばさんだった。そして四人に声を掛けてきた。「いらっしゃい!あんたたちどこからきたの?」「米沢です」 と、小山が笑顔で応えた。「あいにくだね、この雨雲だし、湖の水はいつもの三分の一しかないんだもん。これから雨が降っても知れたもんだげど、田畑のためになるがら雨は欲しいよ」 と、売店のおばさんは言った。 四人はそれぞれビン入サイダーを買った。売店の長椅子に腰掛けて、景色を見ながら休憩をした。「まんが展の成功と慰労を兼ねたミニ遠足だが、こんなに淋しい湖だとはちょっとがっかりだな」 と、近藤が言った。「でも、本当に猛暑が続いたから、しょうがないんじゃない。それより井上くん、まんが展お疲れ様!」 と、小山が言った。「お笑止な!(ありがとう)なんだかアッという間の出来事だったなあ」 井上は、まんが展が終った一昨日までのことが数ヶ月前の出来事のように思えてならなかった。ただ身体に少しだけ疲れが出てきたようなので、相当の働きをしたのだと思った。「あんなにたくさんの人が観にきたんだからすごいよな」「私も手塚治虫や、大好きな石森章太郎のサイボーグ009の原画を時下に観ることができたんで、とても楽しかった」「準備もみんなと仲良くできたしな」 と、近藤と小山が言った。「ああ、オレは迷惑だった。なんで生徒会役員があんなごとしなんねなよ~(しなければならないのか)」 まさよしだけが異論を言った。「まさよしなんて、一、二回しか手伝わないくせに大きな口を利くのね」 と、小山がきつい口調で言った。「小山さんだって、なにしたなあや?ただ居ればいいってもんでねえ~べ」 まさよしの反撃に小山は感情を害した。「だから、まさよしなんか連れてこなければいいのに……」 と、言った。「うるせ~。先輩だからって威張るなよ!」 と、まさよしが懲りないで言い張った。「まさよし!言い過ぎだ。後は止めろ!!」 と、近藤が注意をすると、まさよしは亀のように首を縮めて、サングラス越しにバツの悪そうな顔をした。 売店のおばさんは他に客もいないこともあってか、四人の前でひとり言のようにびる沢湖の位置や湖にまつわる話を始めた。話が終ると、「あんたたちせっかくきたんだから、ボートに乗っていったらいいべ」 と、ボート乗りを誘った。 よし、行きましょう!と、小山が一番最初に反応した。近藤も行こうと言った。井上とまさよしは困った顔をして黙っていた。「井上、まさよし、二人ともどうした?ボートは嫌か?」 と、近藤が訊いた。井上はボートを漕いだことがないと言った。まさよしは泳ぎに自信がないと言った。「アハハハッ……、二人とも男のくせにだらしないのね」 と、小山が母親のような口ぶりで二人を笑った。「大丈夫だから、先ずはボートに乗ろうよ」 と、近藤と小山は井上とまさよしの背中を後ろから押して、ボート乗り場に向かった。 売店のおばさんは井上とまさよしを一隻のボートに強引に乗せた。「なんで、オレが井上と乗るんだ~、オレはまだ死にたくない~」 と、まさよしが大声で怒鳴った。「近藤先輩!オレもまさよしとは嫌だ~」 と、井上は鳴き声に近い声を出して、ボートから飛び降りようとした。「ホラホラ立ってはダメだろ~。二人とも男なんだから、覚悟を決めろ!」 と、売店のおばさんが二人を制止した。 2006年 9月10日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第5回 びる沢湖つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第6回にご期待下さい!!
2007年02月24日
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月刊少年ジャンプが休刊第900回 2007年2月23日月刊少年ジャンプの休刊のニュースが入ってきました。 インターネット情報によると、6月6日発売の7月号で休刊する。部数がピーク時の3割程度に落ち込んだためで、「業績不振ではなくて発展的解消の形で時代に合った新雑誌を今秋をめどに創刊する」(同社広報室)という。公称発行部数は39万部から42万部という。 1970年に創刊され、ちばあきおさんの「キャプテン」や本宮ひろしさんの「硬派銀次郎」などの長期連載マンガで人気を集めた。1989年は140万部の発行部数だったという。 私は、ながやす功の「その人は昔」(松山善三・原作)などの短編マンガが印象的だった。想い出のマンガ誌が37年の歴史の中で消えるのか。
2007年02月23日
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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第4回 まほろばの里 高畠第899回 2007年2月17日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第4回 まほろばの里 高畠「熱い夏の日~山形マンガ少年~」4 まほろばの里 高畠 七月三十日は朝から曇っていた。 井上はじめは二階のでんごしから空を見た。久々に雨が降るかもしれないと思った。 朝食を終えて間もなくに近藤重雄が迎えにきた。 「井上、まんが展は見事に成功したなあ、いがった(よかった)なあ」「近藤先輩にはいろいろお手伝いしてもらって助かりました。お笑止な(ありがとう)!」「井上、たいへんだったなあ、でも楽しかったなあ」 二人は話しをしながら門東町の小山絹代の家に向かった。 小山は高校三年生で生徒会役員会計係だった。この間、小山は近藤と一緒に、まんが展の準備や裏方をして井上を助けてきたのだった。 小山は既に準備をして、近藤たちを待っていた。「こんなに曇ってきても出かけるの?」 と、小山は近藤に訊いた。「まんが展の慰労も兼ねてだから、いちおう行こうよ。折りたたみの傘をもって行けばいい」「三人分なんてないわよ」「いいよ、オレたちは……」「お昼はどうすんの?」「ホラ!オレのばあちゃんがみんなの分のおにぎりを作ってくれた」 そう言って、井上は手提げの紙袋を差し出した。紙袋からは海苔とまだ温かいおにぎりの香りが漂ってきた。 じゃあ、行こうか、と小山が言った。 三人は米沢駅に向かって歩いた。三人は取り留めのない話をしていた。「こんなこといっちゃ悪いけど、アタシはまさよしが一緒でない方がいいなあ。だって世話が焼けるんだもの」 と、小山が言い出した。「そんなこと今頃言っても、アイツは米沢駅で待っているじさ」 と、近藤があわてて言った。「どうして人選しなかったのよ」 小山はプンとふくれて言った。「だって、急な話だからなかなか人がいなかったんだ」 近藤は言い訳がましく言うのだった。「まさよしだったら、いない方がいいよ」 小山は語尾を強くして言った。 井上は、二人より少し遅れてやり取りを聞きながら後を追うように歩いた。 米沢駅までは二十分近くかかった。 すでにまさよしが待っていた。まさよしは顔が隠れるぐらいのサングラスをかけていた。「まさよし~、なんていう格好をしているのよ~」 小山は呆れたように言った。「小山さんに言われる筋合いはないなあ、いいごで、どんな格好しても、オレの自由だべ。民主主義っだべ。七十年安保だべ」 と、まさよしは反撃した。「だからアンタと一緒は嫌なのよ!恥ずかしいわねえ」 小山は完全に頭にきた様子だった。「お前な!フーテンか?ヒッピーかあ?」 近藤も呆れて言った。「副会長に言われだぐないなあ。オレは自由な社会の中で生きているんだごで!」 まさよしは一考に自分の姿の滑稽さを改めようとしない。「私たちから離れていなさい!」 小山が命令をした。まさよしはブツブツ言いながら三人から離れてホームに入った。 近藤たちは奥羽本線下りの電車に乗った。 近藤、井上、小山は一緒の座席で向かい合って乗った。まさよしだけが少し離れた席に座った。「井上くんはびる沢湖には行ったことがあるの?」 小山が訊いた。「高畠だって、初めてだよ」 と井上は答えた。「小山は行ったことあるかい?」 近藤が訊いた。「ないわ。副会長は?」 と、小山が近藤に訊いた。「ない、ない、初めてだから行きたかった。まほろばの里高畠町だ」 近藤は仕草を混ぜて答えた。まさよしは首を長くして三人の様子を見ていた。大きなサングラスは外さなかった。まさよしの様子はまるで映画の中から出てきたような、うだつの上がらないチンピラそのものだった。 田んぼの緑が濃く見えた。あいにくの天気になりそうな、いまにも雨が降ってきそうな空だった。 置賜(おいたま)駅を過ぎ、糠の目駅(現・JR高畠駅)に着くと、そこは高畠町だ。今度はここで山形交通高畠線に乗り替えた。わずか一両の電車だった。しかし、高畠町の通勤通学ではなくてはならない民間鉄道だった。 田んぼの中をのどかに走る。乗車人数も十人はいないだろうか。近藤も小山も山なみの風景に目をとられ、話もしないで乗っていた。 糠ノ目、一本柳、竹ノ森と駅は続き、三人は高畠駅で降りた。 高畠駅から数キロ歩いた。ただでさえも暑い夏だった。それに雨を持った空だからムンムンと湿気も手伝い、三人のからだからは流れるように汗が噴出していた。「二年前まではこの高畠線は二井宿まで走っていた。びる沢湖の近くを経由していたんだって。でもクルマ社会になってきたから乗る人が年々少なくなって、高畠駅までになったようよ」 小山がポツンとひとり言のよう言った。 三重塔が見えた。安久津八幡だ。 三人は珍しい三重塔に見とれながら歩いていく。その後をまさよしが追ってきた。「古典的な感じの町だなあ……」 近藤がポツンと言った。「三重塔があるなんて知らなかった」 井上が言った。「びる沢湖はどっちかしら?」 小山が周りを見渡しながら言い、すぐに大きな観光看板を見つけた。小山が看板に駆け寄っていく。「ここを道なりに昇っていくのね」 右手をまっすぐに伸ばして小高い山を指した。 2006年 9月 5日 火曜 記 2006年 9月 6日 水曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第4回 まほろばの里 高畠つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第5回にご期待下さい!!
2007年02月17日
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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第3回 優柔不断第898回 2007年2月10日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第3回 優柔不断「熱い夏の日~山形マンガ少年~」3 優柔不断 自宅に着くと井上は休むことなく、マンガ原画の荷造りを始めた。 虫プロ商事「コム」編集部から借りてきたプロのマンガ家の原画が二百五十枚。他にも旭丘光志、東映動画から借りてきた原画を返却しなければならない。 井上は原画を一枚ずつ丁寧に点検した。そして作者毎に封筒を入れ直した。この封筒もプロダクション毎にデザインやロゴマークが入っており、それはプロのマンガ家とは個人でコツコツと描いているのではなく、会社組織で動いていることを感じさせるのに十分だった。 封筒はさらに大きい油紙で包み、大きな小包用の丈夫な紙(紙の中に糸が入っている)で包む、そして太い小包用糸で数ヶ所を縦横に結んだ。 再び自転車に乗り、立町にある米沢郵便局に向かった。原画は書留小包で送る。局員は住所を見て、東京都目白なら明後日か、三日後には確実に届くという。 自宅に帰るころになると珍しく風が吹いていた。夕日は陽炎のようにきれいに揺れていた。 井上は夕日を見ると、しばらく美智江の言葉を思い出していた。 「はじめくんは何をしたいの?絵が描きたくないの?マンガを描きたくないの?そのための美術部でしょ!漫画研究会でしょ?違う?はじめくんは役員とかまとめ役は合わないからね。もっと自分の描きたいことをどんどんすればいいのよ」「的を得ている」 井上は自転車にまたがるとポツンと言った。 「オレって何をしたいんだろう?いつも、周りを気にして、その勢いにおされて、自分のしたいことがどこかに飛んでしまい、別なことで日の目を浴びている」 そんな自分がこれからぐらこん山形支部長なってできるのだろうか? 忙しさと有頂天になっている自分に対して、不安が襲ってきた。 夕食が終ってしばらくすると、酒田の村上彰司から電話が掛かってきた。「井上くん、予定通りに原画は送ってくれたかい?」「夕方になりましたが送りました。遅くても四日後には届くそうです」「ありがとう。ボクは31日には上京してお礼を言ってくるからね」「コムにですか?」「そう、石井編集長にね。井上くんも一緒に行くかい?」「まだいろいろやり残しているんで……」「そうだね、たかはしセンセイも誘ったけどふられたよ(笑)」 村上は今年になってこれで通算四度目の上京になろうとしている。まもなく三重県四日市に転勤になるから、私生活でも本当は忙しいはずだ。なんと律儀な人だろうと井上はあらためて村上を尊敬した。 一方で井上も上京したいのが本音だった。井上には不安が先にあった。ぐらこん山形支部長を勢いで引き受けたものの、できれば美智江がいうようにマンガを描きたい。ぐらこんなんて、どう運営したらいいのかわからないから、石井編集長や村上らに相談したかったのだ。 でも、経済的に二回目の上京はたいへんだったから、断らざる得なかった。 茶の間の畳に寝っころがって扇風機の風をあびながら、つくづく自分の優柔不断な性格に嫌気がさしてきた。 また電話が鳴った。今度は先輩で生徒会副会長の近藤重雄からだった。「井上、疲れていないか?あのな、明日、高畠町に行こう。びる沢湖でボートに乗ろう!な?小山絹代と仲山まさよしを誘ってある。たまに気晴らししような」 そう言って近藤は電話を切った。 夜空には星もなく曇ってムンムンする蒸し暑い夜だった。夕日がきれいだったのがウソのような天候になってきた。 2006年 9月 3日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第3回 優柔不断つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第4回にご期待下さい!!
2007年02月10日
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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第2回 犠牲第895回 2007年1月27日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第2回 犠牲 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」2 犠牲 マンガの原画二百五十枚の撮影が終ると、井上は原画を丁寧に風呂敷に包みなおして、河村家を出た。行く時は上り坂だった道が今度は下がり坂になり、井上を乗せた自転車はスピードを出して走った。 青空に入道雲がモクモクと下から上に向かって伸びていた。気温は暑く、再び汗が井上の全身を覆っていた。 舘山、矢来、御廟、城南、松ヶ岬を下り、東に向かう。丸の内に入ると井上は急に上杉神社の周囲を回りたくなった。自転車は大通りから丸の内映画館の角を右に曲がり南側に入った。すぐに城跡の石垣とお堀が見えた。 お堀を西から南へ折れ、さらに東に走り、図書館と元上杉邸の中央公民館を南側に出たところを反対側の北に折れた。すると上杉神社の正面が西に見えてきた。お堀は緑に彩られ、そこに空の青い色と雲の白い色が浮かぶように映っていた。 自転車を停めて片足を着いて、その上品で落ち着いた風景に見とれていた。 井上はこの景色が大好きだった。小さい時からいろいろな思い出がある上杉神社だった。 小学校の写生大会では上杉神社の正面入り口を描いては入選をしていた。小中学校時代にはお堀に釣りにもきていた。 そして城跡には児童遊園地があった。そこから見る上杉神社の周辺の風景にはいつも見とれてしまう井上だった。 「あらっ、はじめくん!?」 上杉神社の傍にある松が岬神社側から女子高生が井上を呼んだ。井上が声の方を向いた。 女子高生は道路を横切って井上に向かって早足で寄ってきた。「み、み・ちえ ちゃん!」 と、井上は女子高生の名前をポツンと言った。 女子高生は中山美智江だった。 美智江は井上とは中学時代の同級生で、高校は違ったがいつも井上に対して協力を惜しまない親友の一人だった。井上が米沢漫画研究会を作ったときや山形まんが展を開催するときも、美智江は呼び掛けポスターを貼り、校内放送で宣伝をしてくれた。 また、一学年後輩の安藤悦子を米沢漫研に紹介し、自らも得意の詩を米沢漫研に送るなどしてまんが展を華やかに飾ってくれた。「やっぱりはじめくんじゃない!まんが展よかったわよ」 と、美智江は言った。「協力アリガト!お陰で女子高からたくさんきてくれた。それに美智江ちゃんの詩には仲間が喜んでいた」 井上はお礼を言った。美智江は一緒に帰ろうと井上に言った。 井上は自転車から降りて一緒に歩き出した。 美智江は夏休みにもかかわらず学校指定のブラウスとスカートを着ていた。生徒会の仕事をした帰りだという。井上も生徒会で企画担当をしていたので、生徒会の話をしながら二人は丸の内街を歩いた。「はじめくんは将来マンガ家になるの?」 と、美智江が訊ねた。「そんなこと考えたこともない」「だって、上手だったよ『ああ学園』に『灰色の青春』」「あれしか描いていない……」「ど~してよ~、もっと描けばいいじゃない!?」「漫画研究会を作って同人誌を発行するようになったら、描く時間がなくなってきた。事務や手紙を書いたり、機関誌をガリ版で作る時間が膨大なんだ」「もったいないじゃない!」「…………」「美術部はどうしているの?」「油絵は一年生の時だけかな」「描いていないの?」「うん」「どうしてよ!中学時代から、あんなに一生懸命絵を描いていたじゃない!?」「生徒会もしてるだろう。そっちもあってね。放課後はほとんどが生徒会かなあ」「どうして生徒会なってしているのよ~はじめくんは生徒会なんて似合わないよ!」「………美術部の活動予算が少ないから生徒会役員になったんだ。つまり、これからは文化の時代だから、もっと文化部に予算を増やさないと時代に取り残されるってことで…………」「それではじめくんは自分の好きな絵を犠牲にしてるの?」「ギ・セ・イ?」「すべてそうじゃない?絵が描きたくて美術部に入ると、予算獲得で生徒会でしょ?生徒会をしながら、好きなマンガが上手になりたくて漫画研究会を作れば、他の仕事で描けないなんてオカシイ!!!」 井上は歩くのを止めた。「どうしたのよ?」「…………」「なんか言いなさいよ!」「……おかしくないッ」 と、井上は震えた小さな声で言った。「オカシイ!!!」 と、負けないで美智江は繰り返した。「はじめくんは何をしたいの?絵を描きたくないの?マンガを描きたくないの?そのための美術部でしょ!漫画研究会でしょ?違う?だから、はじめはおかしいの!!!」 二人は粡町(あらまち)交番所が角にある十字路まできた。「はじめくんは生徒会役員とかまとめ役は合わないからね。もっと自分の描きたいことをどんどんすればいいのよ。わかった?じゃあね、バイバイ……」 信号機が青になると美智江は北に向かって早足で去っていった。井上は美智江の後姿をジッとみていた。自分がぐらこん山形支部長になったことは、とても美智江には伝えられなかった。 2006年 9月 2日 日曜 記2006年 9月 3日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第2回 犠牲つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第3回にご期待下さい!!
2007年02月03日
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黄色い涙が映画で登場第896回 2007年2月1日 朗報です!ご存知の方も多いと思いますが、懐かしの昭和を舞台にした映画が4月4日に公開されます。あの永島マンガの名作「若者たち」の映画化です。 スポーツ報知の記事は下記のとおりです。嵐が映画「黄色い涙」主演…故永島慎二さん青春漫画原作 人気グループ「嵐」の5人が、漫画家の故永島慎二さん(享年67歳)原作の映画「黄色い涙」に主演することが9日、発表された。犬童一心監督(45)がメガホンを執る。 「黄色い涙」は「漫画家残酷物語」「フーテン」など永島さんが60年代に発表した青春漫画のシリーズ名で、74年に市川森一氏(65)が脚本を担当し、NHK銀河小説でドラマ化された。映画脚本も市川氏が手がける。64年の東京を舞台に、夢を持って生きる若者の希望と挫折を描いた群像劇。 嵐5人での主演は04年の「ピカ☆☆ンチ」以来。小説家志望の若者を演じる櫻井翔(24)は「高度経済成長期の日本に生きる若者の生きざまが、元気のない現代に新鮮に映ると思う」と話した。ヒロインに香椎由宇(19)。12日クランクイン。来春公開予定。(2006年5月10日06時06分 スポーツ報知) テレビでは森本レオさん主演でした。同時代に生きてきたおじさんには楽しみがもう一つ増えました。映画「黄色い涙」ホームページhttp://www.kiiroi-namida.com/
2007年02月01日
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