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安倍首相落選をした候補者に失礼だ第956回 2007年7月30日安倍首相●落選をした候補者に失礼だ 第21回参議院選挙は自民公明の惨敗で幕を閉じました。 早速、安倍首相の責任が問われ、多くの国民からは辞任をもって責任を執ることが当たり前という声です。しかし、安倍首相は続行の意向です。 閣僚の不手際が多かっただけに、任命をして首相の責任を感じているのは意外に自民党員たち、特に候補者たちだと想像しています。 これでは落選した候補者にも、応援をしてきた有権者たちにも、失礼というべきではないでしょうか。 お役人のような言い訳にしか聞こえない安倍首相の答弁にイライラするばかりです。 ■(文中の敬称を略させていただきました)安倍首相 ●落選をした候補者に失礼だつづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第31回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月30日
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訃報 ●神様カールゴッチ&流血大王キラートーアカマタ第955回 2007年7月29日訃 報●神様カールゴッチ&流血大王キラートーアカマタ プロレスの神様カールゴッチさん(82歳)と流血大王キラートーアカマタさん(70歳)が亡くなられたと、ヤフーで先ほど知りました。 力道山時代の日本プロレスから来日し、日本プロレスのコーチとしてアントニオ猪木に卍固めなどを教えました。 アントニオ猪木の新日本プロレス旗揚げに協力し、外人選手のブッカーや自らストロングスタイルのプロレスを新日本に定着させた功績はとても大きいと思います。 プロレス新団体が旗揚げされるごとに、カールゴッチ認定のような形で協力し、その団体にストロングスタイルの格を市民権していたような存在でした。 でも、みんなに利用されたようなゴッチさんは、私から見てもお気の毒のように思えてなりませんでした。 もし、ゴッチさんがジャイアント馬場と一緒に行動されていた場合は、もっともっとコーチとしても活躍されたのではないかと思うのは私だけでしょうか。 トーアカマタさんの試合は全日本でしか観たことはありませんが、国際プロレスが一番カマタさんには向いていたのではないでしょうか。 ラッシャー木村やアニマル浜口を血だるまにしたあのファイトが懐かしいです。 お二人のチャンピオンに合掌。 ■(文中の敬称を略させていただきました)訃報 ●神様カールゴッチ&流血大王キラートーアカマタつづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第31回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月29日
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選挙に行こう! ●護憲派議員を当選させましょう!!第954回 2007年7月29日選挙に行こう!●護憲派議員を当選させましょう!! 今日は参議院議員選挙です。みなさんは投票には行きましたか。 今回の選挙の争点は「憲法の護憲か改憲か」だと思っています。 衆議院議員選挙でないだけに、社会保険問題や教育改革などへの批判票で終らないようにしなければなりません。 将来の日本の方向性を決める大事な選挙だと考えます。 地方区、比例区共に護憲派議員を選択しましょう!! 政党内でもいろいろな議員がいるだけに、どの政党も護憲派議員候補を当選させるのです。 そのためにはあなたの一票がそれを決めるのです。 さあ、選挙に出掛けましょう!! 追記:天皇制問題はちょっと横においての護憲と考えてください。■(文中の敬称を略させていただきました)選挙に行こう! ●護憲派議員を当選させましょう!!つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第31回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月29日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第30回 手塚治虫からの相談第953回 2007年7月27日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第30回 手塚治虫からの相談 村上からの電話はまだ続いた。 「井上クン、あのな、真崎守先生がアシスタントを探しているんだ。それで先生と話をしていて思ったんだけど、ぐらこん山形からアシスタントをおくり込んではどうかな?」「はあ?」 井上には村上のいう意味がよく呑み込めなかった。「村上さん、おくり込むってどういう意味ですか?」「たかはしクン!たかはしセンセイをどうかと考えたんだ」「たかはしよしひでセンセイを真崎先生のアシスタントにですか?」「そうだよ!」 村上は明るく答えた。それは展望があるような声だった。 村上さんって、すごいことを考える人なんだと、井上は一瞬思ったが、それはおもしろいと同調した。「村上さん!支部長としても賛成です。最近のたかはしセンセイの絵は真崎先生の影響が強いですし、たかはしセンセイならいま直ぐでも(アシスタントとして)使いものになりますよね」「おいおい支部長としての発言は流石に自信にみなぎっているなあ(笑)。井上クンもそう思うんだったら早速たかはしセンセイに話してみるよ」 電話の向こうの村上が、あのやさしくニコニコした笑顔が一層ニコニコしているようだった。「それから井上クン、8月8日に山形で手塚治虫先生と会う件だけどね。ぼくは残念ながら行けないから支部長のキミとたかはしセンセイに任せるのでよろしく頼むよ。石井編集長からは、参加人数はぐらこん山形の幹部だけにしてほしいということだった。理由は手塚先生が井上クンらとじっくり話をして、今後のことを相談したいらしいんだ」「相談?ですか……」「そう、実は先の真崎先生のアシスタントの件もそうなんだけど、石井編集長からはいろいろ相談があってね。追々に話すけど、手塚先生も井上クンに話があるらしいからしっかり聞くようにね」 村上はたかはしセンセイにアシスタントの話をするからと言って電話を切った。 井上が茶の間にある電話の受話器を置くと、祖父の長吉が扇風機を背にして団扇で浴衣の中をバタバタと仰いでいた。「はじめくん、なにがあったのが?酒田の村上さんからのようだげど……」 長吉は井上に訊いた。「ウン、中山のたかはしセンセイをプロのマンガ家のアシスタントにどうかって?」 井上が答えた。「おおっ、いい話じゃないかあ。あの人だったら大丈夫だろう。身体も丈夫そうだしな!はじめくんはダメだな。まだ高校生だし体力がないからな」 長吉は何かを警戒するように井上に言った。「たかはしセンセイだって高校生だよ」「あの人は来年春に卒業だべ?」「8日に手塚治虫先生と山形で会うことになった」 井上は長吉の傍に座りながら言った。「おお、手塚先生とまた会うのか?」 ビックリするように長吉が言った。「ウン、なにか話があるって。今後のことを相談したいって」 井上のその言葉に長吉はお茶をブワーッと噴出した。「なにしてんのよ~汚いごとなあ!!」 いつの間にか祖母のふみが現れていた。そして傍に置いてあった手拭を長吉に投げた。「ばさま(婆様)!投げて渡す奴がいるかあ~」 と長吉はふみを大きな声で怒鳴った。「冗談じゃないぞ、ばさまよく聞け~手塚治虫先生がはじめくんに相談にくるってよ~」「なんだって~、それはいけない!!はじめ、どんな相談か知らないが話しに乗ってはいけないよ」 長吉もふみも興奮して井上に言い寄った。 井上はただキョトンとしてその光景を見ていた。 一九七〇年は東京が一層近く感じてきた。今度は東京の方からぼくたちに近付いてきた。井上はそう思った。 2006年12月24日 日曜 記 イラスト・たかはし よしひで■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第30回 手塚治虫からの相談つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第31回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月27日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第29回 マンガ家 真崎守第952回 2007年7月23日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第29回 マンガ家 真崎守 村上彰司は電話の受話器を握って考えた。 いや、峠あかねの発言というより、マンガ家真崎守としての発言だったんではないだろうかと、村上は昨日の真崎守との対面を思い出した。 COM編集長の石井文男に連れられた村上は、田んぼや畑の中に作られた簡素な住宅地の間をとぼとぼと歩いた。 町の中には樹木が所々にあり、ミ~ン、ミ~ンと元気にセミが鳴いていた。 ミンミンゼミの鳴き声が東京で聞けるとは夢にも思わなかった。「東京都北多摩郡久留米浅間町一丁目とはずいぶんな田舎町だなあ」 と、村上はつぶやいた。「エッ、暑いって?そうだね。今年の夏はやけに暑いね」 と、村上の前を歩いていた石井が応えるように言った。 それは木造のひっそりとした住宅だった。 東京の住宅らしく庭にも家にも無駄がない。すべてコンパクトでギリギリに建ててある。雪国の山形では考えられない。それだけに村上の目にはやけに上品にも見えるのだった。 石井が玄関をガラガラと開け、「こんにちは!コムのイシ~イです!!」 と、大きな声で奥に向かって呼んだ。 しばらくすると、ホットパンツにTシャツ姿の細い女性が出てきた。 どうぞ、と、低い声で石井らを家の中に手招きした。 その女性はテレビで見るようなタレントのような美しさなので村上は呆然とした。「真崎さんの奥さんだよ」 と、石井は村上に言った。 応接室は六畳あるかないかの狭いところだった。 石井と並んで椅子に腰掛けていると、髪を短くしてメガネをかけた無精ひげの三十歳位の男が入ってきた。「やあ、石井さん!?」 それがマンガ家真崎守だった。 石井は真崎に村上を紹介した。 そして「山形まんが展」の成功や「ぐらこん山形支部」の結成に至るまでの経過を丁寧に説明をした。 その間、真崎は黙ってタバコのホープを吸っていた。 村上は流れる汗を時々ハンカチで拭きながら、石井の説明にうなずいていた。 真崎は、おおっと言って立ち上がり、傍にあった扇風機のスイッチを入れた。「真崎さん、お願いがあるんだ。彼らの顧問になってくれないか?」 と、石井が切り出した。「ボクが?」 と、驚いた表情で真崎は石井に問いただした。 村上もびっくりした。 そうだったのか、ボクを真崎先生のところに連れてきたのは、ぐらこん山形の顧問就任をお願いするためだったのか。 村上は心の中でうなづき、石井の計らいに感謝した。 「ぐらこん全体にも顧問なんていないし、しかも、この山形支部という県レベルでのぐらこん支部結成だって異例なのに?」「それはそうだけどね。これには手塚治虫先生のの思惑もあってのことなんだけど……」 と、石井が言いかけると、真崎は、「ようやくCOMに石森さんが帰ってきて『サイボーグ009』を描いている。ダンさん(永島慎二)も糖尿病でも掲載をしたじゃないか。もう、オーナー雑誌でのゴタゴタはなしにしないとね。 今度はボクが巻き込まれるのなら断るよ」「そんなことはないから。真崎さんには迷惑はかけないし、虫プロダクションのアニメ仲間の北野英明さんだってCOMに描いてもらっている。ぼくが責任を持つからね」 石井がそう言って手塚をカバーしていた。 村上はどんな事情かわからないが、手塚治虫先生とCOMに描いている他のマンガ家の間に何かがあったことは察しがつく会話だった。 「手塚先生は世間を気にし過ぎると思うよ。マンガが文部省推薦でもしてくれればいいと考えているのか、と言いたくなるね。例のジョージ(秋山)さんの『アシュラ』とか、手塚先生の『やけっぱちのマリア』が有害図書指定をうけたからって、どうだっていうの!? マンガは時代を先取りするものであり、愛がある内容であれば表現は自由であるべきだろう?ボクはそう思っている。 マンガ界全体がもっとプライドを持っていかなきゃ、世間に押しつぶされちゃうよ。 キミたちがプライドを持ってぐらこんをやるんだったら、顧問を引き受けよう」 真崎守はプライドを持っている。マンガ家としてすごいプライドだ。 村上はそう感じ、その熱い迫力に圧倒された。「お願いします!」 村上はその一言だけを言って頭を下げた。 2007年 5月18日 金曜 記 イラスト・たかはし よしひで■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第29回 マンガ家 真崎守つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第30回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月22日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●秘話 ひろみさんの個展第951回 2007年7月22日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●秘話 ひろみさんの個展 昔のマンガ同人会の仲間のお一人で、酒田在住の曽根啓視(そね・ひろみ)さんの「曽根啓視 油彩画・版画展」は7月18日から23日まで 大沼米沢店 3階ギャラリーにて開催されました。 会場を訪れるとボクと同じ太っちょのおじさんがおりました。 その方があのマンガ少年だった曽根啓視さんでした。 痩せていていつも神経質そうに難しい顔をしていた曽根さんが、穏やかそうにおっとりとした口調になられ、しかも、画家として一本立ちされているとは誰が想像したことでしょうか。 そういうボク自身も痩せていて神経質で口数が少なかったなんて、いまのボクから誰が想像できるでしょう。 他人のことは言えないものです。 さて、作品は油絵や版画が主ですが、版画は鮮やかなコントラストを基調にしていますから、どこの応接室や個室にも合う絵柄に仕上げられていました。 どちらかというと白っぽい描き込みの少ないマンガを描かれていた曽根さんらしくない作品です。 世界を旅しながら絵画を勉強したという曽根さんは来春には自伝を出版されるそうです。 マンガ少年がどうして画家になったのかが描かれているとのこと、とても楽しみです。 夜にはボクの友人らと会食をしてもらいました。お酒は一滴もダメだという下戸でした。食事中に山形のたかはしよしひでさんや四日市の村上彰司さんに電話をして、曽根さんと電話を通して37年ぶりの再会を果たしていただきました。 「曽根啓視 油彩画・版画展」はいよいよ明日までです。 みなさんもぜひご覧ください。絵・「ひまわり」油彩画 曽根啓視■~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●秘話 ひろみさんの個展つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第29回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月22日
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~『幼幻記』 19 ~●祖母の生誕100年 佛光寺第950回 2007年7月17日~『幼幻記』 19 ~●祖母の生誕100年 佛光寺 今日は亡き祖母の生誕100年だ。 祖母の名前は「荒木フミ」といった。 祖母は明治41年7月17日生まれだった。 樺太西海岸イシトロ町から六里の山の中で生まれたという。 両親は山形県天童市生まれだった。イシトロ町で木材商を営み、多くの従業員を雇っていたという。 樺太ではアイヌとも仲良く遊んだという。 尋常小学校に入学の時に、両親の実家だった山口家に預けられ天童の小学校に入った。長い船旅はとても辛かったという。その時は大きな箱に入ったお雛様も持参したという。 フミは祖母に可愛がられ、菩提寺の佛光寺によく泊まったという。 本堂に寝ているとたまに夜中に釣鐘を鳴らす音が聞こえてくる。それから誰かが本堂の入り口か、または勝手口から入ってくる。廊下を歩く足音が聞こえてくる。 フミは怖くて、布団の中で震えながら祖母に「ばんちゃん、誰か来た!」 と言う。 祖母は「大丈夫だ。お客様が来たんだからな。おフミさあ、寝ろ」 と答えたという。 足音は本堂の中央に行き、大きな鐘を鳴らすのだった。 ゴーンという音が本堂に響き、フミは怖くて怖くて祖母にくっついていったという。 そんな夜を過ごした朝は必ず知らせがやって来たという。 檀家の者が死んだ知らせだった。 男が死ぬと本堂から客が来る。 女が死ぬと勝手口からお客が来る。 不思議なこともあるもんだと祖母はフミに語ったという。 この佛光寺の本堂に向かって右側には、細くて背丈も大きくない白い木があった。 その木をフミは「こちょぐったい木」と呼んでいたという。その木を撫でると、木は動くのだ。しかも左右に。その格好がくすぐったく動いているように見えるから「こちょぐったい木」と名付けたようだ。 佛光寺は屋根が大きく、遠くから見た人々は屋根が燃えているように勘違いする人もいたという。 屋根は銅で出来ていたからと夕焼けが反射して、町からはそう見えたのだと、フミは想い出を私に語って聞かせてくれた。 フミの両親はフミが天童に住んで引き取られてしばらくして、雪崩にあって亡くなった。 フミの好きな天童の祖母が亡くなると、フミの人生は一転して苦労の連続だったという。 私は小学校4年生の秋に天童温泉に招待されて行った時だった。 早朝に靄の中を、祖母フミの天童の実家に連れて行かれた。 家の中には羊を飼っていた。その臭いがとてもきつかった。 家の中には上がることもなく、立ち話程度の来訪となった。 会話もとても白々しく感じた。 その後に佛光寺に連れて行かれた。そして私は祖母と一緒に「こちょぐったい木」を恐々に擦った。すると木はしばらく左右にゆれていた。 びっくりする私を見て、祖母はやさしい目で笑った。そして言った。「なあっ?ホントだべ!?」 靄はすっかり消えて、空は明るくなっていた。 2007年 7月17日 火曜 記
2007年07月17日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●秘話 画家になったマンガ少年第949回 2007年7月17日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●秘話 画家になったマンガ少年 昔のマンガ同人会の仲間のお一人で、酒田在住の曽根啓視(そね・ひろみ)さんは現在画家をされています。 1954年生まれの53歳の曽根さんとはもう37年もお会いしていませんが、昨年から時々電話程度のお付き合いをさせていただいていました。 数年前の毎日新聞に彼の画家としての活躍と地元にギャラリーを開設した記事が掲載されていました。それの記事を保存していました。ここ数年間、私がシナリオ小説「山形マンガ同人会 はじめちゃんの東京騒動記」の仕上げに入って、第二部「旅立ちの歌」を書き、当時の酒田のマンガ同人の件で彼に質問の電話をしたことが、その後に連絡を取り合うきっかけになったのでした。 その彼が私の住む米沢で個展を開くと連絡がありました。 案内をみると曽根さんのご両親は米沢出身とのことです。そのご縁がこの度の個展なのでしょうか。 さて、マンガ同人活動で知り合った人は100人は下らないと思います。その中で絵描きになられたのは曽根さんはどのような絵や版画を発表されてきたのかは知りません。今回の彼の個展をきっかけに再会を楽しみにしたいです。 「曽根啓視 油彩画・版画展」は7月18日から23日まで 大沼米沢店 3階ギャラリーにて開催します。絵・「ひまわり」油彩画 曽根啓視■~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●秘話 画家になったマンガ少年つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第29回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月17日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第28回 峠あかねと真崎守第948回 2007年7月12日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第28回 峠あかねと真崎守 翌八月一日の夜、村上は井上に電話を入れた。「もしもし、井上くん?村上です。そう昨日上京して今日酒田に帰って来た。」 村上の声がやけに弾んでいた。「村上さん、どうしたんですか?とてもうれしそうじゃないですか?」 と、井上が言った。「そうか?わかるか?あのな、ぐらこん山形支部の顧問にな、真崎守(まさき・もり)先生がなって(就任)くれるって!!」「ホ・ン・トですか?」 井上は朗報に驚き、そして自分の耳を疑った。 真崎守といえば六十年代後半に、コムや青年劇画誌に突然現れた青年マンガの売れっ子マンガ家だった。 学生運動や七十年前後のベトナム戦争を背景に、政治的闘争が脈々と若者たちの身体に血となって流れているような物語を描いていた。 ヨコハマやヨコスカを舞台にして日米の騒音がロックとなって響いてくるような絵と擬音だった。 鋭角的なコマ周りと動きのある人物、そしてペン画タッチの背景はとても新人とは思えなかった。 たかはしよしひではこの真崎守の絵を見てすぐにこう言うのだった。「虫プロのわんぱく少年探偵団や佐武と市捕物控の絵に似てないか?」 たかはしの言うとおりだった。 真崎守とは虫プロダクションでアニメの動画を描き、後に演出家として活躍をする「森柾(もりまさき)」と同一人物だった。 真崎守がコムに連載を始めると、たかはしのマンガの背景の描き方に真崎の影響が次第に出てくるのがわかった。 また、別冊少年マガジンには、多感な少年少女の思春期を描いた「ジロがゆく」が連作されると、真崎の影響は井上にもあたえるようになっていた。 それだけに真崎守はたかはしや井上にとっても「時の人」だった。「石井編集長がわざわざボクを真崎先生宅に連れて行ってくれたんだよ。あの売れっ子で忙しい真崎先生が時間を割いて、同人会のあり方やぐらこんの今後の展望のある話を聞かせてくれたんだ」 村上は物静かに言葉を選ぶように慎重に話をした。「へーっ、それじゃ峠あかねさんになって話をしてくれたんですね!?」 と、井上が言った。「そうそう……マンガ家真崎守というより、ぐらこん企画者の峠あかねそのものだったノ」 と、村上が答えた。 コムには「ぐら・こん」というマンガ投稿と同人誌の専門ページがあり、その担当が「峠あかね」だった。 峠あかねとはマンガ批評や、コムの読者が応募してきたマンガや同人誌を辛口で批評していた、コム専属のマンガ評論家であった。 その峠あかねが後にコム誌上でマンガ家真崎守として登場した。 つまり真崎守のもう一つの顔が「峠あかね」であった。 その真崎守がぐらこん山形支部の顧問に就任するということは、当時としては画期的な出来事だった。 「オレの周囲ではなにかが起こっている……これが一九七〇年ってことかな!?」 高校二年生の井上には驚きとしかいいようのない心境だった。 2006年11月18日 土曜 記 2006年11月19日 日曜 記 2006年11月24日 金曜 記 2006年12月 6日 水曜 記 真崎守(まさき・もり) 本名 森柾(もりまさき)1941年横浜生まれ。 マンガ家・アニメ演出家・マンガ評論家の顔を持つ。 貸本屋向け「街」でデビュー。 その後、63年に虫プロダクションに入社し、「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などに関わる。虫プロで演出を行う。代表作「わんぱく探偵団」、「佐武と市捕物控」など。 峠あかねのペンネームでCOMで「マンガ評論家」、「ぐらこん」担当者として活躍する。 1960年後半からマンガを発表する。代表作「ジロがゆく」で第二回講談社漫画賞受賞。「はみだし野郎の伝説」、「共犯幻想」、「キバの紋章」など他多数。 1980年代はアニメ映画の演出家として活躍。代表作に「浮浪雲」、「はだしのゲン」、「時空の旅人」の監督など。 イラスト・たかはし よしひで■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第28回 峠あかねと真崎守つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第29回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月12日
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~俳優・田中邦衛映画祭~第947回 2007年7月6日~山形ファンのの熱い想い●7月14日米沢市 伝国の杜・置賜文化ホールで大公開つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第28回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年07月11日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第27回 情熱 その2第946回 2007年7月6日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第27回 情熱 その2「村上クン。手塚先生はこれからのマンガ界に対して、大変危機感を抱いているんだ。自分が作った虫プロダクション、虫プロ商亊、そして手塚プロダクションですら、手塚マンガ離れをしている」 石井文男は率直に村上に話をはじめた。「手塚プロもですか?」 マンガ好きな村上には虫プロダクション、虫プロ商亊の手塚マンガ離れはその制作作品や、出版物で感じられた。しかし、手塚プロもとは意外だった。「村上クン。手塚先生が『やけっぱちのマリア』や『アポロの歌』を本当に描きたいマンガだと思うかい?手塚マンガへの読者離れは相当なものだから、いろいろな理屈を付けて時代の流行を追っているだけだ。 手塚先生は時代を創る人だから、時代を追ったときにはほんとうに詰まんない作品になってしまう。一部の地域では有害マンガに指定されたじゃないか。 先生は最近『別冊少年マガジン』に『がちゃぼい一代記』なんて自分がマンガをこころざそうとする少年期を描いているだろう?『火の鳥・鳳凰編』といい、読者に対しての手塚マンガの挑戦状としかいいよのない『もがき』のような気がしてならないんだ」 石井の歯軋りするような悔しい表情がサングラスをとおしてもわかった。「石井さん、そうはいっても、どこの雑誌にも手塚マンガが連載されているのは人気があるからでしょ?」 と、村上が訊ねた。「村上クン、ホケンだよ」 石井ははき捨てるように言った。 村上にはその意味がわからなかた。「つまり、手塚マンガを載せていることで、雑誌には『格』と『社会的良心』があるように見えるんだ。だから、多くのファンが望んでいなくても手塚マンガは一般社会に向けての『保険』として掲載されるんだよ」 石井には、そんな利用のされ方をしている手塚治虫の存在を悔しく思っていた。「村上クン。手塚先生は商業主義を否定はしていないよ。でもね。売れていればなんでもいいという、商売にだけ迎合する出版界やスタッフには拒否反応を感じているんだよ。 手塚治虫先生の考えや作品を理解して、目指す方向性を共有化できるスタッフがどれだけ育てられるか、手塚先生はこれに賭けようとしているんだ」「石井さん。スタッフは手塚先生の考えを理解していないんですか?」 村上にすれば不思議な話だった。 手塚のスタッフは、手塚マンガを理解している者たちの集団とばかりだと思っていたからだ。 石井は頭を横に振りながら、「どの会社も急激に大きくなってしまったから、なかなか本当の意味での手塚マンガのスタッフは育っていないんだよ。 『巨人の星』がヒットすれば、こういうアニメを作りたいっていう者も出てくるぐらいだからね。ボクですら、こいつはなにを考えているんだ?って思うことがあるんだから、手塚先生はもっと不満を持っていると思うよ」 と、さみしく言った。「石井さん。ボクたちの『ぐらこん山形支部』とそのことがどのようにつながっていくのですか?」 村上は再び訊いた。石井は前かがみになって顔を村上の前に出して言った。「手塚先生の頭の中には、COMの読者、極めてぐらこんの中から企画のできる者や編集者などのスタッフを発掘していきたいようなんだ」「………それがボクなんですか?」 村上は静かに訊いた。 石井は黙ってうなずいた。 村上のアイスコーヒーの氷がまた解けてカランと音を発てた。 石井は話を続けた。「手塚先生はなにも自分を理解しているスタッフばかりを作ろうとしているんじゃないんだ。ぐらこんをとおして、いろんなマンガ家やアニメーターのスタッフを発掘しようとしているんだ。それだけこのマンガ業界は大きくなっていく速度と人材が追いついていないのが現状だということなんだよ」 流石、マンガの神様 手塚治虫先生の考えていることは違う!と、村上は感心した。「ボクがキミたちに『ぐらこん山形支部』を認可したのは、あの暑い米沢の夏よりも、もっと熱いキミたちの情熱に打たれたからだよ。 そして手塚先生も熱い情熱を持つキミたちにもう一度会いたくて山形に行くんだ。 村上クンが先ず虫プロ商亊に勤めて、COMのぐらこん担当としてそれを仕掛けてほしいんだ。 きみは山形県のマンガ同人会の活動の中で、人材を発掘したじゃないか!?そうだろう? きみが先駆けになって、ぐらこんからマンガ界の幅広い分野に人材を送ろうじゃないか!?」 石井は力強く、村上を誘うのだった。「石井さん、お話の内容はよくわかりました。ぼくを高く評価していただき、とてもうれしいです。 予想もしていなかったお話なので、正直戸惑っています。 でも、よく考えてみます」 村上は丁寧に感謝の気持ちを込めてそう言った。「そのとおりだね。よく考えて答えをだしてください」 石井はそう言うと、「村上クン、これから真崎守さんのところに行こう!!」 と、言って、喫茶店の伝票を持って立ち上がった。 村上は返事をすることもできないまま、石井の後を着いて行った。 喫茶店から外に出ると、炎天下だった。それに負けないぐらい熱い情熱が村上の胸に燃え上がっていた。 2007年 5月13日 日曜 記 2007年 5月14日 月曜 記イラスト・たかはし よしひで■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第27回 情熱 その2
2007年07月06日
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