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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第44回 喫茶店ポールの中で第981回 2007年10月27日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』>●第44回 喫茶店ポールの中で たかはしよしひでが井上らに長岡孝子を紹介した。 長岡はSFクラブ時代からたかはしらと漫画同人会のメンバーだった。「そういえば、ステップにイラストを描いていましたね!」 と、井上が言った。「井上はじめくんって、米沢漫研だったけど今回のぐらこん山形支部結成にあたり支部長になったんだ。長岡さんも面倒みでやってなあ!」 たかはしが言う。 はい、っとやさしい声で長岡が返事をした。 続けて、宮崎賢治と鈴木和博を紹介した。 後は、たかはしは長岡と話を始めるのだった。 井上らは、長岡孝子と会うことなどまったく聞かされていなかったから、ただ呆然としていた。「オイ、はじめよ。お昼だから何か食べようか」 鈴木が言った。「いやあ~悪い悪い。腹減ったべえ~?長岡さん、なにが食べっかあ?」 たかはしはそう言ってサンドイッチとアイスコーヒーを五人前注文した。 なんとなく居心地がよくないと井上らは思った。 長岡はおとなしく、たかはしの質問に答えるように話をした。 東京の大学生であること、就職活動が忙しくなりそうなこと、そのためなかなかマンガを描くことができないこと、ぐらこん山形にも積極的な関わりができそうもないことをたかはしに話した。「い~っす、い~っす、できるようになってがらでい~っす。在籍だけしてください」 たかはしはやさしく長岡に言った。「はい!」 と、意志を表明する長岡だった。 三人はたかはしと長岡のやり取りを黙って見ているだけだった。「きれいなひとだなあ……」 鈴木がポツンと言った。 井上もそう感じていたが、漫画同人誌「ステップ」で見ていた写真よりもずっときれいになっていたのには驚いた。 ポールモーリヤやフランス映画のテーマ曲が喫茶店ポールの中に流れていた。それが一層、長い髪の乙女を引き立たせていた。 運ばれてきたサンドイッチを食べながら、井上らは「こんな乙女のような長岡さんでもサンドイッチをたべるんだなあ」と、感動して見とれるのだった。 井上らはたかはしの変化に気付いたのは、そのあたりだった。 いつものたかはしなら、マンガ談義の中では特に冗談と厳しさを交互に出しながら話をしているが、長岡との会話ではそれがない。完全にカッコイイ二枚目になっていた。 たかはしセンセイもきれいな乙女には弱いんだなあ、と思いながらも、これから手塚治虫先生に会うのにたかはしセンセイのこの余裕はなんだろうか。特に手塚先生からは大事な話があるというのに。 井上はたかはしのほぐれた態度にびっくりしながらも、怒りと違和感さえ持つのだった。 「長岡さん、これから八文字屋書店で手塚治虫先生と会うんだけれど、一緒にいかないかあ?」 たかはしが誘った。 あらあら大丈夫なのか?大事な話があるから会う人数は絞るように言われているのに……井上は心の中でそう言い、たかはしをにらんだ。「私はこれから用事がありますからご遠慮します。ごめんなさいね」 と、長岡は丁重に断るのだった。「残念だっス!こんなチャンスはないのになあ」 と、たかはしは顔をしかめた。「ホントね。でも、またのチャンスのときに誘ってくださいね」 乙女は大きな目を細めてそう言った。 喫茶店ポールから外に出ると気温がガーッと暑く、井上は一瞬めまいに襲われた。「わあ~、アッチチチッ……」 と、たかはしが言う。「今日はどうもありがとうございました。みなさん、お元気で」 長岡はそう言って颯爽と歩いて行った。 いつまでも後姿を見ていた四人だった。「オレたちは何のためにここにきたんだっけ?」 宮崎が言った。「昼食をするためだよ!」 鈴木が答えた。「ああ、きれいになって!!」 たかはしがポツンと言った。 2007年 8月19日 日曜 記■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第44回 喫茶店ポールの中でつづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第45回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月27日
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内藤ベビーフェイスが亀田家族をKO修正版第978回 2007年10月23日内藤ベビーフェイスが亀田家族をKO修正版
2007年10月23日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第43回 長い髪の乙女第979回 2007年10月19日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』>●第43回 長い髪の乙女「ああ、がっかりだなあ~っ」 井上はじめは映画館から出ると開口一番に言った。「なにがやッス?」 たかはしよしひでが井上に訊いた。「だって、たかはし先生の好きな石森章太郎先生の原作だっていうけど、キャラクターデザインから内容から、石森先生の作品とは関係ないじゃないですかあ。おまけに動きがリミデットでは、テレビアニメと同じでしょう?東映動画の名に恥じます」 井上は歩きながら大きな声で言った。「んだがしたあ?(そうかなあ)井上センセイは東映動画の革新を理解していないだけだべえ?タイガーマスクとひみつのアッコちゃんはどう批評する?」 たかはしが問う。「あれはすばらしいよね。タイガーのあの太い線はアニメにはなかったことだし、プロレスなのに動きをぎこちなくすることで、スピードと迫力を強く感じさせた画期的なアニメだ!」 と、井上が答えた。「アッコちゃんもテレビアニメにしては絵が安定しているし、内容も完成度が高く、申し分ないよ!」 と、続けて言った。「んだべっす!東映動画は虫プロと違って絵にも物語にも安定感があるんだっす。虫プロは斬新な分だけ未熟で不安定な作画だべえ~」 たかはしの分析は確かなものだった。 「タイガーマスク」と「ひみつのアッコちゃん」はテレビアニメをそのまま映画版にしただけだが、大きなスクーリンに映し出されても画面の汚れや作画の雑さは目立たない。 虫プロの「千夜一夜物語」とはあまりにも出来映えとしては対照的だった。「東映の底力だったなネ!?」 笑いながらたかはしは言った。 映画館のある七日町を大通りに向かう途中に喫茶店「ポール」があった。 たかはしはそこで昼食をしようと井上らを中に入れた。「ここがポールかあ!?」 井上と鈴木、宮崎は同時にそう言った。 山形放送ラジオで毎週日曜日の午後からリクエスト番組があり、その番組提供がこの喫茶店ポールだった。 毎週のようにこの番組から流れてくるポップスの曲は、当時の高校生には新鮮であったから、多くの若者に支持されていた番組だった。 この番組では席番号が抽選され、その当選番号の席のコーヒーや食事が無料になるコーナーがあった。また、リクエスト者の中から抽選でコーヒー券のプレゼントがあったので、それらとても耳障りがよく、若者たちには一度は行ってみたい喫茶店になっていた。 ポールの中に入るとお昼時のせいか、二十席位の席はほぼ満席の状態だった。 たかはしがキョロキョロしていると、奥の窓際から白い人影が席を立ち上がった。 たかはしはその白い人影に軽く右手を挙げて、大股で歩いてその席に行った。 井上らもたかはしに続いた。「どうもッス、どうもッス!!」 と、ニコニコ顔のたかはしはその白い人影に声を掛けた。「こんにちは!お久しぶりです!!」 白い人影がそう言った。 喫茶店のボーイが水の入ったコップを持ち、「五人様ですね?それなら、こちらの席にどうぞ!」 と、窓際の向かいの席に居る二人の客の六人席を案内した。 二人はちょうど帰るところだったから、すぐに席を移ることができた。 窓際で強い逆光だった白い人影が席を移った。 その瞬間、いい香りが流れた。 そして光を浴びた瞬間に、白い人影の正体が現れた。 背中まで伸びた黒髪に大きな二重の目。Vの字の口元。白いスーツでミニスカートを上品に着こなした乙女がその正体だった。「あらためて、こんにちは!長岡孝子です」 少女はそう言って微笑んだ。 2007年 8月14日 火曜 記 2007年 8月18日 土曜 記イラスト・たかはし よしひで■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第43回 長い髪の乙女つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第44回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月19日
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内藤ベビーフェイスが亀田家族をKOイジメがなくなることを願う第978回 2007年10月16日内藤ベビーフェイスが亀田家族をKOイジメがなくなることを願う ボクシング界も揺れている。 ついにJBC(日本ボクシングコミッション)は亀田親子の反則行為に対して処分を下した。 TBSが亀田親子のヒールでボクシング復興を狙っていたのだろうが、今回ばかりは亀田親子の一連の言動と反則が視聴者や国民にはうけなかった。 この批判はどうして起こったのだろうか。 亀田親子の行為に対しての怒りだけだったのだろうか。 私はこう分析する。 もし、フライ級王者内藤大助ではなかったら、こんなに挑戦者亀田大毅たちが反則をし、視聴者たちからも批判を浴びただろうかと考える。 つまり、試合前の記者会見といい、試合後の王者のリングでのインタビューでの内藤大助があのように誠意を感じさせるのキャラクターでなかったら、つまり、ボクシング界の通常の不良あがりや猿人に近い感じさせるキャラクターなら、亀田大毅たちのヒールはあれほど光らなかったのではないだろうか。 つまり、王者内藤大助のベビーフェイスが光過ぎた結果として、亀田親子は大ヒールになってしまったのだ。 そして内藤大助にはイジメられっ子を連想させる雰囲気をも持っている。 だから亀田にどんな反則や罵声をくけようと、ひたすらに守り攻撃をする内藤大助に観ている者は応援が行ってしまったのではないだろうか。 亀田親子をこれほどまでにバッシングする結果になったのは、あの内藤大助の誠実なベビーフェイスによるものなら、TBSはまったくの計算違いをしてしまったと言わざる得ない。 亀田親子の一連のののしりを観て、確かに彼らには虚しさを感じてしまう。それはプロレスのようにヒールはそれなりの実力があり、十分に受身ができる実力者ならまだしも、キャラクターとしてだけのヒールでは底が浅く、しかもテレビという媒体がやらせている不良の雄たけびにしか感じないからだ。 ヒールはやはり奥が深く実力者でなければ詰まらん! それにしても王者のベビーフェイスは本物なので、これまた新しいキャラクターの誕生だ。 この王者を観て少年少女がイジメに強くなる、イジメがなくなることを願ってやまない。 2007年 10月16日 火曜 記■(文中の敬称を略させていただきました)内藤ベビーフェイスが亀田家族をKO イジメがなくなることを願うつづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第42回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月16日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第41回 東映動画「海底3万マイル」第977回 2007年10月13日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』>●第41回 東映動画「海底3万マイル」 井上はじめ、鈴木和博、宮崎賢治は普通電車に乗り、山形に向かった。 電車の窓は全開していても、朝からの暑さで入ってくる風も暑かった。「手塚先生にサインしてもらう本は持ってきたか?」 鈴木が二人に訊いた。「オレは手塚先生の自伝の『ぼくはマンガ家』だ」 井上はザック袋から出してその本を見せた。「あれ?本を白い紙で包んでんながあ?」 と、宮崎が井上に訊いた。「大事な本は障子紙をカバーにしている。汚れるともったいないからなあ」 ニコニコして井上が答えた。「オレは現代コミック9の『手塚治虫集』だ!双葉社で出したんだ」 鈴木がザック袋からそれを出した。 当時はマンガブームだった。筑摩書房から現代漫画全集が発行されると、その形態を真似マンガ集が各出版社から発行された。その中に双葉社の現代コミックがあった。 形態とは箱のカバーに入り、文芸小説風にさらにビニールカバーを掛けた厚い豪華な表紙だった。 月報が付いており、文芸評論家や映画監督らが必ず拡張高い批評と解説が掲載されているのだった。「宮崎は?」 鈴木が訊いた。「オレは色紙を持ってきた」 宮崎がポツンと答えた。 山形駅の改札口を出ると、大きな紙袋を両手で持ってたかはしよしひでが立っていた。「どうも、どうも、ご苦労様で~す!」 色白の顔には既に玉のような汗がキラキラ光っていた。「おはよう~ござ~いま~す」 三人が挨拶をすると、たかはしは、「朝早くから悪かったねえ。早速、映画を観ましょう。東映動画の『海底3万マイル』だっス」 と、言うと先頭を切って駅を出た。 三人は追いかけてたかはしの後ろに並んで歩いた。「確か石森章太郎先生が原作だった」 と、宮崎が言った。 三十分は歩いただろうか、まだ八時三十分だというのに映画館前には子どもたちの行列ができていた。「この映画館は東映専門館で宮崎チェーンがやっている『シネマ旭』っていう映画館だあ」 たかはしは自慢げにそう解説をした。「米沢では夏のまんがまつりの映画は年末年始に(上映が)なってしまう。でも山形は東京と同じに上映されるなんてうらやましいなあ」 いままでで、東京と同時上映になったのは日活の「鉄腕アトム」だけだった。だからマンガファンの井上には、同時上映がほんとうにうらやましく思えた。 「東映まんがまつり」と称されたこの映画は「海底3万マイル」を目玉にしながらも、テレビの東映作品がそのまま上映されるのだった。 「タイガーマスク ふく面リーグ戦」 「ひみつのアッコちゃん 涙の回転レシーブ」 「もーれつア太郎 ニャロメの子守唄」 「柔道一直線」 いずれも25分間の番組だったが、当時はまだまだカラーテレビが普及されていなかったので、カラーで観ることができるだけでも映画館に足を運ぶだけの希少価値だった。 しかし、「海底3万マイル」を観た井上はがっかりするのだった。 上映時間はわずかの六十分。しかも作画はテレビアニメ風のリミテッド・アニメーション(Limited animation)だった。リミテッドとは動きを簡略化しセル画の枚数を減らすアニメーションの手法だった。低予算で制作時間をあまり掛けられないテレビアニメはほとんどがこのリミテッド・アニメーションだった。 井上の観てきた東映動画の劇場用アニメーション「安寿と厨子王」、「西遊記」、「シンドバットの冒険」、「わんわん忠臣蔵」などはフルアニメーション(Full animation)だった。その動きの滑らかさは美しかった。 昨年公開された虫プロダクション「千夜一夜物語」も部分ではあるがフルアニメを屈指していたが、やはり東映動画には叶わないと井上は思っていた。 それとは逆にこの「海底3万マイル」の東映動画のリミテッドアニメは虫プロのリミテッドアニメから比べると感性的に負けていると思った。 伝統ある東映動画の劇場用アニメーションはもうダメだなあ、とがっかりする井上だった。 2007年 8月14日 火曜 記■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 >●第41回 東映動画「海底3万マイル」つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第42回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月13日
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~結いのき物語~●芋煮会と誕生会第976回 2007年10月11日~結いのき物語~●芋煮会と誕生会朝の冷え込みが厳しくなりましたが、今日はグループホーム結いのきでは芋煮会をして楽しみました。「グループホーム結いのきを支える会」の会員らが昨日から自慢の料理作りに励み、美味しい芋煮を食べました。また、入居者6人のおじいさんとおばあさんの誕生会も行われ、市内のボランティア組織の踊りが披露がありました。午後からは東部小学校の26人の生徒さんたちが草むしりに来てくれたお陰でグループホームの周囲はきれいになりました。今日はまさに結いの一日でした。 2007年 10月11日 木曜 記 写真・ノンた すねオ■~結いのき物語~ ●芋煮会と誕生会つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第41回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月11日
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映画「力道山」にみるイジメとリンチ金属疲労の大相撲界第975回 2007年10月10日映画「力道山」にみるイジメとリンチ金属疲労の大相撲界 相撲界は揺れに揺れている。 大相撲の八百長事件から外国人横綱朝青龍の一連のスキャンダル、そして時津風部屋の力士死亡事件と、どの問題も今までタブーとされていた鎖国的「国技」への社会的メスが入れられた。 朝青龍の行動と高砂親方の確執などを見ていると、ひとりの力士が浮かんできた。 それは戦中戦後活躍した関脇「力道山」だ。 戦火に燃えた国技館を再建するために寄付を集めに多大なる力をみせ、丁髷姿に革ジャンでオートバイを乗り回す「ハイカラ力士」だった。 日本植民地統治下の朝鮮半島の相撲のチャンピオンは長崎県大村村の百田家の養子となり、日本人「百田光浩」となり、二所ノ関部屋に入門し1940年に初土俵を踏む。 母国の山「力道山」から四股名をとる。 実力者でありながら朝鮮人だから、大関や横綱にはなれないという協会からの暗黙のルールに悩み、ついに髷を切る。 国技は既に戦中から戦後にかけてインターナショナルなプロフェッショナル格闘技「大相撲」の草分けとして存在していたことを、この力道山の問題から見え隠れしている。 この「力道山」が2004年に韓国と北朝鮮で映画化され、日本では2006年に韓国ソン・ヘソン監督「力道山」が公開された。 この映画の冒頭には部屋での兄弟弟子による力道山へのリンチが度々描かれている。 布団の中や日常生活でのリンチといじめ、そして練習中でのシゴキを超えたいじめとリンチが続く。 しかし、それに負けないで力道山はプロとしての知恵と非凡な能力を使い、親方や兄弟弟子を超えてタニマチ(部屋のスポンサー)を見方にしてしまう。 今回の一連の事件やスキャンダルは国際化する大相撲の過渡期における「金属疲労」であってほしい。 そして旧態依然の体質を変えて、インターナショナル・プロフェッショナル格闘技「大相撲」と大発展を遂げてもらいたいものである。 「力道山 - オフィシャルサイト」のホームページ「韓国映画情報 力道山」のホームページ 2007年 10月10日 水曜 記■(文中の敬称を略させていただきました)映画「力道山」にみるイジメとリンチ 金属疲労の大相撲界つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第41回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月10日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第40回 ぼくはマンガ家第974回 2007年10月8日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第40回 ぼくはマンガ家 暑い朝だった。 寝苦しさとあこがれの手塚治虫先生に会えるうれしさに、井上はいつまでも眠れなかった。それでも外からの眩いばかりの朝の明りに目を覚ますのだった。 白いワイシャツと学生ズボンに着替えた井上は、正座をして味噌汁とご飯にきゅうり漬けや塩辛い焼いた鮭をおかずに朝食を取った。 傍には祖父の長吉と祖母のふみが孫の井上をしっかり見守っていた。長吉とふみは、兵隊の出征に行く息子を見送るような心情だった。「おじいさんもご飯にしたら?」 ふみはそう言って、この雰囲気を壊そうとした。「オレはまだいい!ばあさんこそ喰え!?」 長吉もなんとか自分の緊張を取り除こうとして、そう言った。「お代わり!!」 井上はふたりの心情も知らずに大きな声で言った。「はじめクン大丈夫かあ?そんなに喰って?」 長吉が言った。「おじいちゃん。いつもならたくさん食べてもっと太れって云うくせに今日はなんでそんなこと言うんだ」 はじめが訊いた。「だって、今日は手塚治虫先生と会う大事な日なんだから、少しは緊張しているかと思ったら、いつもより喰うんだからよ~っ」 びっくりしたと長吉は言った。そして、「はじめくん!誘われたら断れよ!!いいがあ!?」 長吉は本音を吐くのだった。 しかし、井上はその意味がわからないから顔を傾げた。 茶碗にご飯のお代わりを持ってきたふみまでもが、「はじめ。マンガ家になるなんて考えるなよ。いいがあ!?」 と、井上の前に座りながら言った。「マンガ家って?誰が?」 井上は誰のことを言われるのだろうと、不思議がって訊きなおした。「はじめだよ!」 ふみが言った。 キョトンとする井上だった。「はじめクン、正直に言えなあ?手塚先生と今日会う用件は、はじめクンがマンガ家になる話なんだべ?」 長吉は迫るように井上の傍に寄って言った。 井上はますます不思議なことを言うものだと、ふたりの顔を見比べた。 茶碗と箸をおいて井上はふたりに言った。「おじいちゃんもばあちゃんもなにか勘違いしてないがあ?今日、手塚先生から大事な話があるってはいわれたけど、それがなんでオレがマンガ家になることになるのや?オレはマンガ家なんかなるつもりはないし、そんなこと一度だって想ったこともない!!オレは高校を卒業したら市役所に入って、二十五歳になったら市かい、……とにかくそういうことだから!!」「ほんとだべな?」 長吉は言った。「おじいちゃん!しつこいなあ~。オレはウソなんかついたことないべえ」 と、井上は言って立ち上がった。「ホントにおじいさんはしつこいなあ!んだがら(そうだから)、みんながらうだでがられんなださあ(みんなから嫌がられる)」 と、ふみが立ち上がりながら言った。「コラ~!!婆様!お前裏切んながあ!?婆様がはじめクンがマンガ家になるんでねえがあって心配してだがら、訊いたんだべえ?いいカッコすんなず!!!」 長吉とふみの言い合いを横に、井上は「山形まんが展」の写真アルバムと手塚治虫の自伝「ぼくはマンガ家」(毎日新聞社刊)をザック袋に入れた。 2007年 7月30日 火曜 記2007年 8月14日 火曜 記 イラスト・たかはし よしひで■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第40回 ぼくはマンガ家つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第41回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月08日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第39回 暑い山形の夜第973回 2007年10月1日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第39回 暑い山形の夜「いまごろ、手塚先生は花笠踊りをしているんだがい?」 電話先で鈴木和博が言った。「ちょっとイメージに合わないなあ…… 井上が答えた。「んだべ!?あの手塚先生だぞ!ベレー帽を被って踊るなんて信じられない」「いよいよ明日だな……」「そうだ。明日手塚先生に会えるんだ。朝は宮崎(賢治)がオレん所に迎えにくる。そしてオレたちがはじめんちに行くから待っててくれ」「オーケーッ。今夜は眠れそうもないなあ」 そう言って井上は受話器を置いた。 受話器を置くと続いて酒田の村上彰司から電話があった。「手塚先生とキミたちとの面会は重要な話になりそうだから、よく話を聞いて慎重に話し合いをすすめるように」 そう言って村上は電話を切った。「ずいぶん今夜は電話がくるなあ」 井上の祖父長吉が珍しく笑顔で言った。「手塚先生と会うんだもの、みんな緊張しているださぁ」 井上が卓袱台のところまで歩きながら言った。 長吉は風呂上りのためか汗をダラダラと頭と顔に流して、顔もゆで蛸のように真っ赤になっていた。「はじめくん、こんなことを言ってはなんだが……」 扇風機からの風だけでは汗が止まないから団扇でも慌しく扇いだ。「誘われても着いていくなよ」 長吉は思い切ってそう言った。「どこさ?」 井上は訊いた。「どごさって?手塚先生さだ」「なんで?」「だって明日大事な話があって会うんだべ?」「そうらしいけど……」「だからお前たちを東京さ連れて行くんださ!!」 あまりまじめに話す祖父に井上は笑ってしまった。「おじいちゃん、そんなことないよ」 そう言って井上は風呂に向かった。 花笠踊りが終って旅館に着いた手塚は同行のスタッフに部屋に閉じ込められた。「さあ、先生!原稿を描きましょう。アポロの歌の下描きです」「大村ちゃんに佐藤氏は花笠踊りができますか?」「できません!」「じゃあ、ボクが教えましょう!その前にお風呂で汗を流させてください」 井上は痩せた身体に湯をかけた。 しばらく湯船に浸かっていると、村上や石井文男の電話のことが気になってきた。……手塚先生が大事な話がある……「まさか、ないよなあ」 ポツンと言った。 そして風呂の中で顔を洗った。 手塚は旅館の湯船に浸かって、「ヤッショ~マカショ~シャン!シャン!!シャン!!!」 と、花笠踊りの手付きを繰り返した。 今夜の花笠まつりは手塚にとっても、とても楽しいひと時だった。おまつりの余韻が手塚の心と身体を包んでいた。それは子どもの無邪気な気分と同じだった。「先生!?手塚先生!そろそろ原稿を描いてください」 脱衣所から佐藤の声が聞こえた。 手塚は、ハッとした。 これで原稿がなければ最高なんだけどなあ……と急に現実に戻された瞬間でもあった。 手塚は風呂場の窓から夜空を見上げた。 頭から汗が湧き出るように流れていた。「山形は暑いなあ~」 手塚がポツンと言った。 夜空は満天の星だった。この日は本当に暑い夜だった。 2007年 7月23日 月曜 記 この回の物語は作者の創作です。 イラスト・たかはし よしひで■(文中の敬称を略させていただきました)~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第39回 暑い山形の夜つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第40回にご期待下さい!! 「山形マンガ少年」まとめてご覧いただけます。 第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページ第二部「旅立ちの歌」のホームページ
2007年10月01日
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