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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第10回 似顔絵第907回 2007年3月24日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第10回 似顔絵 井上は自宅に帰ると早速似顔絵を描き始めた。 鉛筆をケント紙を取り出して下書きをする。 井上がモデルの先生の顔を思い出しながら、描き易い顔から描いていった。一年生の時に担任の先生だった工藤修一を描いた。どうも童顔になり、流行(はやり)の巨人の星の星飛雄馬に似てしまう。次は新任の先生の二宮美夫を描いた。これも巨人の星の登場人物にどこか似てしまう。「どうしてオレは巨人の星を意識してしまうのだろう」 と、井上は自問自答するのだった。 先ずは下書きを完成させて、明日は美智江にチェックをお願いすれば、彼女のことだから「これはダメ、そこはこうしなさい」と言ってくるだろう。そう考えると気楽に鉛筆を走らせることができた。 この日は、春というのに夏のように朝から陽射しが強かった。 井上は三日間掛かって、美智江から依頼された似顔絵の下書きを完成させた。 寝不足の井上は七時になってようやく起きた。遅くても七時二十分には自宅を出ないと遅刻をする。着替えを済ませ、顔を洗って、食事を急いで済ませると、似顔絵の原稿を丸めてビニール袋に入れてカバンの中に入れた。 教室に着くと井上は美智江に声を掛けた。「……はよう」「はじめくん、いまなんて言ったの?朝からシャキッとしなさいよ~。そんなんじゃ今日一日生きていけないよ!」「……お、お、おはよう。これ下書き……」 井上は似顔絵の下書き原稿を美智江に渡した。「ハイ、おはよう!どれどれ……」 そう言って、美智江はビニール袋から原稿を取り出した。 井上は自分の席に腰を掛けた。美智江の席は一番前で、井上の席は美智江の席から二列後ろだった。美智江はすぐに井上の隣席に座って、下書きについて感想を話した。 「はじめくん!この二宮先生はそっくりだわ!工藤先生は星飛雄馬みたいだわ、もっと大人っぽく描いて。それからこの先生は現物よりカッコ良すぎるからもっと崩していいの」 そう言って一人ひとりについて率直に意見した。「…………」「はじめくん!メモしないで大丈夫?わかっているの?」「…………」 井上は黙って美智江の意見を頭の中に記憶した。(文中の敬称を略させていただきました)>~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第10回 似顔絵つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第11回にご期待下さい!!
2007年03月24日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第9回 美術部長第906回 2007年3月16日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第9回 美術部長 お昼休みの教室には春の暖かさも手伝って、みんなの弁当のおかずの匂いが空中で混ざり合って、教室の中にほんわかと漂った。たくあんの匂いが強く鼻をついた。「はじめくん!まだ食べてんの?なにをモサモサしてんのよ~」 そう言って、美智江が井上の机の脇に立った。 井上は、弁当をまだ半分しか食べていなかった。食べるのがいつも遅いのだ。 井上は黙って、弁当にふたをして、弁当を柄物の大きなハンカチに包んだ。「どうして残すのよ、ちゃんと食べないとダメでしょ!?それじゃ痩せてて、いつまでも太らないよ」「お願いってなんだよ」 井上がブスッとして言った。「なによ、その言い方は。私はお願いしようとしているのに!」「だから、なんだよ?」 お願いする側なのにこの命令調の態度はなんだ、オレはおまえの子分じゃないぞ……美智江にそう言いたかったが、怖くて言えなかった。「おっ……はじめくん。今日は強気だね?ハハハハハッ……」 こいつは完全にオレを子ども扱いしている。こんな奴の言うことは絶対聞くもんか!!と、井上は心の中で誓った。「はじめくん、今度、美術部の部長になったんだって?お前にお似合いだよ。そこでお願いなんだけど……」 お前だって?女の子が言うセリフじゃないだろう、部長なんてなりたくてなったわけじゃないと、井上は言いたかった。でも、言えなかった。「……」「なによ、なに黙ってんのよ!ありがとうって言いなさいよ。お祝いを言ってあげてんのよ」 美智江の傲慢さは鼻持ちならなかった。「美智江ちゃん、オレは好きで部長になったんじゃない。オレは部活で疲れている。だから美智江ちゃんのお願いは聴けないよ」「おっ、口ごたえするの?はじめくんは美術部で頭脳労働だから疲れていない。それにはじめくんは天才だから!」「えっ?……」 井上は美智江の顔を見た。美智江はニコニコ笑って井上を見ていた。 美智江は井上の左隣席に座った。「はじめくんにしかできないことだから、絶対、私のお願いを聞かないといけないのよ」 美智江は子どもに言いきかせる母親のような口調で、井上に命令をしようとした。「……なんだよ」 井上はボッソと、無愛想に言った。「なによ、その態度!……かわいくないわね!!」 なにを一人で言っているんだ……かわいくなくてもいい、と、井上は思った。「はじめくん、私が生徒会新聞委員会だって知ってるわよね。生徒会新聞って年に二回発行しているんだけど、新年度だから新任の先生の紹介を今回は似顔絵を入れてしたいのよ」「……」「だからはじめくん、生徒会新聞に似顔絵を描いてよ。これがモデルの先生たちよ」「エッ、オレが描くの?」 と、井上は驚いて問い直した。「当り前でしょ!後は誰が描けるのよ」 そう言うと美智江は、教師たちの名前を書いたわら半紙のメモを井上の目の前に置いた。 その用紙には「新任の先生」と「先生の横顔」などと書いてあり、傍には教師の名前が並べて書いてあった。「おれ描けるかな~」 と、井上はか弱い声で言った。「なにをいってんのよ~(笑い)あの掲示されている黒澤先生たちをモデルにしたマンガはそっくりだって~。黒澤先生が感心していたじゃないよ。はじめくんなら描ける、描けるから!」「でも、生徒会新聞って難しい話題ばかりで、誰も読まないよ。そこにオレのマンガを載せたら、絶対問題になる」「問題って、どこでなるのよ」「学校、また、校長先生から文句がくるに決まっている」「ああ、あのエンタープライズ入港反対の壁新聞のことを思い出しているんでしょ?」「……」「バカだねぇ(笑い)あれははじめくんがせ・い・じ(政治)?を学校に持ち込んだことで、問題になったんじゃないの。今度は先生たちの似顔絵だから問題はないし、はじめくんの考えは入らないから大丈夫だって」「そうかなあ?」「これは私の企画なのよ。はじめくんはあれだけ(マンガを)描けるようになったんだし、今度は先生たちからのウケもいいんだから、似顔絵を載せれば難しい紙面も少しは親しみやすくなるでしょう」「オレ、校長先生に怒られるのは嫌だから、下書きの段階でチェックを入れてくれるか?」「いいわよ、私がちゃんとするから、頼むよ、はじめくん!!」 と、言って美智江ははじめの肩を叩いた。同時にお昼休みの終っる知らせのチャイムが鳴った。 2006年 9月16日 土曜 記 2006年 9月17日 日曜 記 2006年 9月20日 水曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第9回 美術部長つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第10回にご期待下さい!!
2007年03月16日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第8回 素質開眼 その2第905回 2007年3月11日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第8回 素質開眼 その2「最近、自分行動がいろいろな形で周囲から評価されている」 井上はそう感じた。 「少年ブック」の赤塚不二夫マンガ教室での入選。「少年マガジン」「巨人の星」のテレビ放映記念主題歌募集の佳作入賞。そしていずれも誌面に井上の作品が掲載された。それを見た同級生からは「マガジンに載っていた『井上はじめ』ってお前だよな?」と質問を受けた。 それらの影響もあって、美術部の部長にも選ばれることになった。 井上は美術部に所属していたといっても、虚弱体質の体で学校生活の一日をようやく過ごしていたようなもので、部活はほとんど欠席していた。それでも先輩で部長だった桑野博や刈田先輩がよく面倒をみてくれたから、美術部には籍を置いていたのだった。それが三年生でいきなり部長とは本人が一番驚いた。 井上は二年生の終わりごろから校内で目立ち始めてきた。少し壁新聞にエンタープライズ入港反対のマンガを描いたときには、あの大人しい井上が政治的な動きをしたのかと、校長の寒河江直らが問題視することもあった。 井上が目立ち始めることで、部員たちは井上を部長に押し上げることになっていった。 それからもう一つ、美術部顧問の教頭小林勇が転勤になることになり、井上は送別の額を贈ることを部員に提案した。そして部員からお金を集めて額を贈ったことで部長に推薦する決定打になった。 井上はまさか部長になるとは思ってもいなかった。しかし、同級生の寒河江や長沢純一らに押し切られた格好で引き受けてしまった。「……部活にも満足に顔を出さないで、どうして部長なんだ」 そのとおりで、誰も美術部での井上の作品を見た覚えはなかった。作品をあまり描かない美術部の部長誕生だった。 いつも井上は優柔不断て、自分の考えや意思とは反対の方向や結果になってしまうのだった。 そんな矢先、同級生の美智江が井上に声を掛けてきた。「はじめくん!お願いがあるからお昼が終ったら、私の話を聞いてよ、わかったァ?」「……え~っ……」 井上はまた美智江に半強制的に用事を言いつけられるものだと思い、できるだけお願いは訊きたくはなかった。「いいね!」 美智江はそう言って自分の席に戻った。 2006年 9月16日 土曜 記 2006年 9月17日 日曜 記 2006年 9月20日 水曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第8回 素質開眼 その2つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第9回にご期待下さい!!
2007年03月14日
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~巨人の星の実況中継アナ死去~第904回 2007年3月11日さよなら 小林恭治氏 テレビアニメ「巨人の星」でナレーターや実況中継アナ役の小林恭治さんがお亡くなりになったことを新聞の訃報で知りました。 早速、インターネットを検索するとスポーツニッポンやディリースポーツで次のように掲載されていました。 毎週の巨人の星の中で、試合場面になると独特の緊張感をもたらし、一層の効果をもたらしたのが小林さんの実況中継でした。 手に汗握る場面やあの大リーグボールの場面は小林さんの実況をなくしては考えられません。 小林恭治さん。すばらしい演技をありがとうございました。やすらかにお眠りください。*************************************************声優・小林恭治氏死去 声優・小林恭治氏(こばやし・きょうじ)氏が8日午前1時2分、くも膜下出血のため東京都世田谷区の病院で死去、75歳。東京都出身。葬儀・告別式は14日午前10時から東京都渋谷区、代々幡斎場で。喪主は妻晴美(はるみ)さん。 NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」のダンディーやアニメ「おそ松くん」のイヤミの声、アニメ「巨人の星」のナレーターなどを務めた。
2007年03月11日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第7回 素質開眼 その1第903回 2007年3月9日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第7回 素質開眼 その1 井上のマンガはしばらく教室の後ろ壁に掲示されていた。 英語の時間だった。「これから単語テストをします。いいですか、前回までに学習したものだから決してむずかしくありません。気軽に受けてください」「ええ~っ」 生徒たちが声を上げた。 教師の黒澤志郎が問題用紙を配った。 黒澤は白髪交じりのごま塩頭で黒ぶちのメガネを掛けていた。痩せていて、骸骨が動いているようだった。生徒がどうのこうのというより、常にマイペースだった。不思議に生徒たちも大人しくしていた。突然の豆テストに対しても声は上げるが、生徒たちは「黒澤先生だからなあ……」仕方がないと言って素直に従うのだった。 テストは静かに行われた。黒澤は静かに骸骨が歩くように生徒の机の間を通るのだった。 黒澤は教室の後ろに行くと井上のマンガに気付いた。何枚かのマンガをジッと眺めていた。ずいぶん時間が経った。それでも動かないでマンガを鑑賞していた。生徒たちが次から次へとテストが終っていった。黒澤は背を向けて動かないので、生徒たちは隣同士で話をはじめた。「みんな、少し静かにしなさいよ!」 級長の色摩美子が言った。その声にハッと我に返ったように黒澤が振り向いた。「この絵を描いたのは誰かね?」 と、黒澤がみんなに訊いた。誰かが「井上だよ」と答えた。 すると黒澤は井上の傍に行った。「あなたの絵はすばらしいねえ。あなたがこんな絵を描くとは思いもしなかった」 井上は黙って顔を下げていた。「マズイ……」 一瞬そう思った。このマンガには黒澤先生もモデルになって登場していたからだ。「黒澤先生、どうもすいません!」 井上は椅子に腰掛けたまま謝った。「どうかしましたか?」「黒澤先生も(マンガに)登場させました」「よく描けていました。そっくりです。ありがとう」 黒澤がやさしく言った。「あれだけ描けるのなら絵の勉強をして画家になったらどうですか?」「が・か?」「私の弟は画家です。弟も小さい時からよく絵を描いていたものです。あなたも絵が好きなら将来は画家になればいい」 井上は顔を上げて黒澤の顔を見た。そして井上は訊きなおした。「黒澤先生の弟さんは画家なんですか?」「そうです。画家です。好きなことを職業にすることはとても大切なことです」「なんでだべ(どうしてですか)?」「人は生まれた時からいろんな環境に束縛されているもんなんです。私の青春時代は戦争だったり、米屋の息子は跡を継がなければならなかったり、多くの人はそういうもんだと受け止めたり、あきらめたりします。」「……」「でも、決まった職業がなかったり、食べられない家の子どもは自分で仕事を開拓していくしかないのです。その時に好きなことがあって、それを追求していけば職業になるかもしれないじゃないですか。あなたは親の仕事を継がなければなりませんか?」「いいえ…」「だったら好きな道に進みなさい。あなたは絵描きの素質があるかもしれませんよ」 校内にチャイムが鳴り響いた。 ■(文中の敬称を略させていただきました)>~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第7回 素質開眼 その1つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第8回にご期待下さい!!
2007年03月09日
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~山形マンガ少年~ 第三部 『熱い夏の日』●第6回 きっかけ第902回 2007年3月2日~山形マンガ少年~第三部『熱い夏の日』●第6回 きっかけ 井上はボートを漕ぐ羽目になった。もちろんオールを持つのは初めてだった。 近藤と小山は、井上とまさよしがボートに乗ったのを確認してから、もう一隻の方に二人で乗った。 先頭の井上らのボートは、近藤たちの乗ったボートにぶつからないように先に進まなければならない。しかし、どう漕いでいいのか井上もまさよしもわからなかった。 近藤は井上らのボートに自分たちのボートをぶつけて、井上たちのボートを押し出した。 ボートはぶつかるとガタン、ガタンと音をたてる。そして揺れる。揺れるたびに井上とまさよしはキャー、キャーと悲鳴を上げた。「井上、ボートはこうやって漕ぐんだ。見てろよ!」 近藤が大きな声で言い、オールを両手で廻し上げた。静かな水しぶきが起こりボートは進んだ。井上も真似をしてオールをつかんで両手で廻そうとした。その瞬間、バシャーンと水しぶきが大きくはねた。それが乗っていた自分たちに降りかかった。「なにすんだ?井上!へだくそだなあ!!」 と、まさよしが怒鳴った。「お前はマンガを描いてだほうがいいさっ」 と、まさよしが軽蔑したように言った。井上はその瞬間に湖に拡がった水しぶきの輪に目を落した。 「井上くん、これはいけるね!」 第四中学校の教諭、亀岡博が言った。 それは中学三年生の春、国語の授業中のことだった。 美術の教科も担当していた亀岡は、「コミュニケーションの種類」を絵で表現する宿題を出した。その何種類のコミュニケーションを井上は得意のマンガで表現した。しかも、マンガの中にはこの中学校の教師たちが登場していた。 「ケント紙に製図用インクでペンを用いて描いたんだね」 亀岡は美術も受け持っていたから、井上の描いたマンガの原画を見れば何を使って描いたのかがすぐにわかった。「……」「きみはいわゆるカットやイラストではなく、マンガを描くんだね」 亀岡は井上がマンガを描いていたことなど、まったく知らなかった。美術を担当して三年目にして初めて井上のマンガを見たことになる。「意外だったね、キミがマンガを描くとはね。想い起せばキミの描く絵の構図はダイナミックだったり、目線が変わった所から表現していた。きっとマンガを描いていたからなんだね」 亀岡は微笑を浮べ両手で四角や丸の構図のポーズを作りながら、井上に淡々と話し掛けた。「いつからマンガを描いていたんだい?」「小さい時から……」 井上は小さい声で答えた。「井上くん、これはなかなかわかりやすい。きみのこのマンガを教室の後ろの壁に貼っておこう!」 亀岡は自分で画鋲を持って、井上のマンガを壁に貼っていった。この時から井上の四中内マンガ家としての一年間が始まった。 国語の授業が終ると三組の級友たちが壁に貼ったマンガを見た。「井上!なかなかいいじゃないかあ~。お前マンガ家になるのか?」 とニキビ顔で油性の佐藤一彦が言った。井上はモジモジしながらかぶりを振った。「照れるなよ、手塚治虫先生からもハガキをもらったんだって?すごいよなあ」 佐藤修一がニコニコして言った。井上は顔を真っ赤にして顔を伏せた。 井上はいつの間にか、級友の輪の中にいた。 「これは黒澤先生だろう?」「アハハハハッ……」「このブッチョウ面は春日先生だな!?」「オホホホホッ……」「あっ!ヒゲダルマだ~勝広センセイ~!!」「そっくりだ~はじめ、お前上手だなあ」 級友のみんながマンガを見てワイワイガヤガヤとなった。 井上は困ったと思った。このマンガがこんなにウケルとは考えてもみなかっただけに、汗が流れてきた。井上は顔を真っ赤にして自分の席に着いた。 級友たちも席に戻っていった。 美智江は一人だけマンガを見つめていた。そして腕を組みひとり言を述べた。 「う~ん、これはいいかもしれない!」 2006年 9月12日 火曜 記 2006年 9月14日 木曜 記 2006年 9月16日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>~山形マンガ少年~ 第三部『熱い夏の日』 ●第6回 きっかけつづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第7回にご期待下さい!!
2007年03月02日
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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第5回 びる沢湖第901回 2007年2月24日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第5回 びる沢湖 四人は、大通りから左の坂道を道なりに歩いていった。 いつでも雨が降ってきてもいい曇り空だった。「いつまで歩くんだよ~」 と、まさよしが大声を上げる。黙って着いてこい、と近藤が言う。小山と井上は黙って歩いていた。 坂道は山に向かって続く。緩やかなカーブが数回続き、大きな看板と売店が見えた。 看板には「びる沢湖」と書いてあった。「着いたぞ!さあ、一休みしよう」 近藤が言った。井上らは額の汗を拭きながら、周囲の景色を見渡した。 そんなに高くない山並みの中に、その湖はあった。ただ、連日の猛暑のためか湖の水量は大幅に減っていた。湖のあちこちが日干しになり、底には黄土色の土が見えていた。 売店から中年の女性が出てきた。売店のおばさんだった。そして四人に声を掛けてきた。「いらっしゃい!あんたたちどこからきたの?」「米沢です」 と、小山が笑顔で応えた。「あいにくだね、この雨雲だし、湖の水はいつもの三分の一しかないんだもん。これから雨が降っても知れたもんだげど、田畑のためになるがら雨は欲しいよ」 と、売店のおばさんは言った。 四人はそれぞれビン入サイダーを買った。売店の長椅子に腰掛けて、景色を見ながら休憩をした。「まんが展の成功と慰労を兼ねたミニ遠足だが、こんなに淋しい湖だとはちょっとがっかりだな」 と、近藤が言った。「でも、本当に猛暑が続いたから、しょうがないんじゃない。それより井上くん、まんが展お疲れ様!」 と、小山が言った。「お笑止な!(ありがとう)なんだかアッという間の出来事だったなあ」 井上は、まんが展が終った一昨日までのことが数ヶ月前の出来事のように思えてならなかった。ただ身体に少しだけ疲れが出てきたようなので、相当の働きをしたのだと思った。「あんなにたくさんの人が観にきたんだからすごいよな」「私も手塚治虫や、大好きな石森章太郎のサイボーグ009の原画を時下に観ることができたんで、とても楽しかった」「準備もみんなと仲良くできたしな」 と、近藤と小山が言った。「ああ、オレは迷惑だった。なんで生徒会役員があんなごとしなんねなよ~(しなければならないのか)」 まさよしだけが異論を言った。「まさよしなんて、一、二回しか手伝わないくせに大きな口を利くのね」 と、小山がきつい口調で言った。「小山さんだって、なにしたなあや?ただ居ればいいってもんでねえ~べ」 まさよしの反撃に小山は感情を害した。「だから、まさよしなんか連れてこなければいいのに……」 と、言った。「うるせ~。先輩だからって威張るなよ!」 と、まさよしが懲りないで言い張った。「まさよし!言い過ぎだ。後は止めろ!!」 と、近藤が注意をすると、まさよしは亀のように首を縮めて、サングラス越しにバツの悪そうな顔をした。 売店のおばさんは他に客もいないこともあってか、四人の前でひとり言のようにびる沢湖の位置や湖にまつわる話を始めた。話が終ると、「あんたたちせっかくきたんだから、ボートに乗っていったらいいべ」 と、ボート乗りを誘った。 よし、行きましょう!と、小山が一番最初に反応した。近藤も行こうと言った。井上とまさよしは困った顔をして黙っていた。「井上、まさよし、二人ともどうした?ボートは嫌か?」 と、近藤が訊いた。井上はボートを漕いだことがないと言った。まさよしは泳ぎに自信がないと言った。「アハハハッ……、二人とも男のくせにだらしないのね」 と、小山が母親のような口ぶりで二人を笑った。「大丈夫だから、先ずはボートに乗ろうよ」 と、近藤と小山は井上とまさよしの背中を後ろから押して、ボート乗り場に向かった。 売店のおばさんは井上とまさよしを一隻のボートに強引に乗せた。「なんで、オレが井上と乗るんだ~、オレはまだ死にたくない~」 と、まさよしが大声で怒鳴った。「近藤先輩!オレもまさよしとは嫌だ~」 と、井上は鳴き声に近い声を出して、ボートから飛び降りようとした。「ホラホラ立ってはダメだろ~。二人とも男なんだから、覚悟を決めろ!」 と、売店のおばさんが二人を制止した。 2006年 9月10日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第5回 びる沢湖つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第6回にご期待下さい!!
2007年02月24日
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月刊少年ジャンプが休刊第900回 2007年2月23日月刊少年ジャンプの休刊のニュースが入ってきました。 インターネット情報によると、6月6日発売の7月号で休刊する。部数がピーク時の3割程度に落ち込んだためで、「業績不振ではなくて発展的解消の形で時代に合った新雑誌を今秋をめどに創刊する」(同社広報室)という。公称発行部数は39万部から42万部という。 1970年に創刊され、ちばあきおさんの「キャプテン」や本宮ひろしさんの「硬派銀次郎」などの長期連載マンガで人気を集めた。1989年は140万部の発行部数だったという。 私は、ながやす功の「その人は昔」(松山善三・原作)などの短編マンガが印象的だった。想い出のマンガ誌が37年の歴史の中で消えるのか。
2007年02月23日
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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第4回 まほろばの里 高畠第899回 2007年2月17日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第4回 まほろばの里 高畠「熱い夏の日~山形マンガ少年~」4 まほろばの里 高畠 七月三十日は朝から曇っていた。 井上はじめは二階のでんごしから空を見た。久々に雨が降るかもしれないと思った。 朝食を終えて間もなくに近藤重雄が迎えにきた。 「井上、まんが展は見事に成功したなあ、いがった(よかった)なあ」「近藤先輩にはいろいろお手伝いしてもらって助かりました。お笑止な(ありがとう)!」「井上、たいへんだったなあ、でも楽しかったなあ」 二人は話しをしながら門東町の小山絹代の家に向かった。 小山は高校三年生で生徒会役員会計係だった。この間、小山は近藤と一緒に、まんが展の準備や裏方をして井上を助けてきたのだった。 小山は既に準備をして、近藤たちを待っていた。「こんなに曇ってきても出かけるの?」 と、小山は近藤に訊いた。「まんが展の慰労も兼ねてだから、いちおう行こうよ。折りたたみの傘をもって行けばいい」「三人分なんてないわよ」「いいよ、オレたちは……」「お昼はどうすんの?」「ホラ!オレのばあちゃんがみんなの分のおにぎりを作ってくれた」 そう言って、井上は手提げの紙袋を差し出した。紙袋からは海苔とまだ温かいおにぎりの香りが漂ってきた。 じゃあ、行こうか、と小山が言った。 三人は米沢駅に向かって歩いた。三人は取り留めのない話をしていた。「こんなこといっちゃ悪いけど、アタシはまさよしが一緒でない方がいいなあ。だって世話が焼けるんだもの」 と、小山が言い出した。「そんなこと今頃言っても、アイツは米沢駅で待っているじさ」 と、近藤があわてて言った。「どうして人選しなかったのよ」 小山はプンとふくれて言った。「だって、急な話だからなかなか人がいなかったんだ」 近藤は言い訳がましく言うのだった。「まさよしだったら、いない方がいいよ」 小山は語尾を強くして言った。 井上は、二人より少し遅れてやり取りを聞きながら後を追うように歩いた。 米沢駅までは二十分近くかかった。 すでにまさよしが待っていた。まさよしは顔が隠れるぐらいのサングラスをかけていた。「まさよし~、なんていう格好をしているのよ~」 小山は呆れたように言った。「小山さんに言われる筋合いはないなあ、いいごで、どんな格好しても、オレの自由だべ。民主主義っだべ。七十年安保だべ」 と、まさよしは反撃した。「だからアンタと一緒は嫌なのよ!恥ずかしいわねえ」 小山は完全に頭にきた様子だった。「お前な!フーテンか?ヒッピーかあ?」 近藤も呆れて言った。「副会長に言われだぐないなあ。オレは自由な社会の中で生きているんだごで!」 まさよしは一考に自分の姿の滑稽さを改めようとしない。「私たちから離れていなさい!」 小山が命令をした。まさよしはブツブツ言いながら三人から離れてホームに入った。 近藤たちは奥羽本線下りの電車に乗った。 近藤、井上、小山は一緒の座席で向かい合って乗った。まさよしだけが少し離れた席に座った。「井上くんはびる沢湖には行ったことがあるの?」 小山が訊いた。「高畠だって、初めてだよ」 と井上は答えた。「小山は行ったことあるかい?」 近藤が訊いた。「ないわ。副会長は?」 と、小山が近藤に訊いた。「ない、ない、初めてだから行きたかった。まほろばの里高畠町だ」 近藤は仕草を混ぜて答えた。まさよしは首を長くして三人の様子を見ていた。大きなサングラスは外さなかった。まさよしの様子はまるで映画の中から出てきたような、うだつの上がらないチンピラそのものだった。 田んぼの緑が濃く見えた。あいにくの天気になりそうな、いまにも雨が降ってきそうな空だった。 置賜(おいたま)駅を過ぎ、糠の目駅(現・JR高畠駅)に着くと、そこは高畠町だ。今度はここで山形交通高畠線に乗り替えた。わずか一両の電車だった。しかし、高畠町の通勤通学ではなくてはならない民間鉄道だった。 田んぼの中をのどかに走る。乗車人数も十人はいないだろうか。近藤も小山も山なみの風景に目をとられ、話もしないで乗っていた。 糠ノ目、一本柳、竹ノ森と駅は続き、三人は高畠駅で降りた。 高畠駅から数キロ歩いた。ただでさえも暑い夏だった。それに雨を持った空だからムンムンと湿気も手伝い、三人のからだからは流れるように汗が噴出していた。「二年前まではこの高畠線は二井宿まで走っていた。びる沢湖の近くを経由していたんだって。でもクルマ社会になってきたから乗る人が年々少なくなって、高畠駅までになったようよ」 小山がポツンとひとり言のよう言った。 三重塔が見えた。安久津八幡だ。 三人は珍しい三重塔に見とれながら歩いていく。その後をまさよしが追ってきた。「古典的な感じの町だなあ……」 近藤がポツンと言った。「三重塔があるなんて知らなかった」 井上が言った。「びる沢湖はどっちかしら?」 小山が周りを見渡しながら言い、すぐに大きな観光看板を見つけた。小山が看板に駆け寄っていく。「ここを道なりに昇っていくのね」 右手をまっすぐに伸ばして小高い山を指した。 2006年 9月 5日 火曜 記 2006年 9月 6日 水曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第4回 まほろばの里 高畠つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第5回にご期待下さい!!
2007年02月17日
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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第3回 優柔不断第898回 2007年2月10日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第3回 優柔不断「熱い夏の日~山形マンガ少年~」3 優柔不断 自宅に着くと井上は休むことなく、マンガ原画の荷造りを始めた。 虫プロ商事「コム」編集部から借りてきたプロのマンガ家の原画が二百五十枚。他にも旭丘光志、東映動画から借りてきた原画を返却しなければならない。 井上は原画を一枚ずつ丁寧に点検した。そして作者毎に封筒を入れ直した。この封筒もプロダクション毎にデザインやロゴマークが入っており、それはプロのマンガ家とは個人でコツコツと描いているのではなく、会社組織で動いていることを感じさせるのに十分だった。 封筒はさらに大きい油紙で包み、大きな小包用の丈夫な紙(紙の中に糸が入っている)で包む、そして太い小包用糸で数ヶ所を縦横に結んだ。 再び自転車に乗り、立町にある米沢郵便局に向かった。原画は書留小包で送る。局員は住所を見て、東京都目白なら明後日か、三日後には確実に届くという。 自宅に帰るころになると珍しく風が吹いていた。夕日は陽炎のようにきれいに揺れていた。 井上は夕日を見ると、しばらく美智江の言葉を思い出していた。 「はじめくんは何をしたいの?絵が描きたくないの?マンガを描きたくないの?そのための美術部でしょ!漫画研究会でしょ?違う?はじめくんは役員とかまとめ役は合わないからね。もっと自分の描きたいことをどんどんすればいいのよ」「的を得ている」 井上は自転車にまたがるとポツンと言った。 「オレって何をしたいんだろう?いつも、周りを気にして、その勢いにおされて、自分のしたいことがどこかに飛んでしまい、別なことで日の目を浴びている」 そんな自分がこれからぐらこん山形支部長なってできるのだろうか? 忙しさと有頂天になっている自分に対して、不安が襲ってきた。 夕食が終ってしばらくすると、酒田の村上彰司から電話が掛かってきた。「井上くん、予定通りに原画は送ってくれたかい?」「夕方になりましたが送りました。遅くても四日後には届くそうです」「ありがとう。ボクは31日には上京してお礼を言ってくるからね」「コムにですか?」「そう、石井編集長にね。井上くんも一緒に行くかい?」「まだいろいろやり残しているんで……」「そうだね、たかはしセンセイも誘ったけどふられたよ(笑)」 村上は今年になってこれで通算四度目の上京になろうとしている。まもなく三重県四日市に転勤になるから、私生活でも本当は忙しいはずだ。なんと律儀な人だろうと井上はあらためて村上を尊敬した。 一方で井上も上京したいのが本音だった。井上には不安が先にあった。ぐらこん山形支部長を勢いで引き受けたものの、できれば美智江がいうようにマンガを描きたい。ぐらこんなんて、どう運営したらいいのかわからないから、石井編集長や村上らに相談したかったのだ。 でも、経済的に二回目の上京はたいへんだったから、断らざる得なかった。 茶の間の畳に寝っころがって扇風機の風をあびながら、つくづく自分の優柔不断な性格に嫌気がさしてきた。 また電話が鳴った。今度は先輩で生徒会副会長の近藤重雄からだった。「井上、疲れていないか?あのな、明日、高畠町に行こう。びる沢湖でボートに乗ろう!な?小山絹代と仲山まさよしを誘ってある。たまに気晴らししような」 そう言って近藤は電話を切った。 夜空には星もなく曇ってムンムンする蒸し暑い夜だった。夕日がきれいだったのがウソのような天候になってきた。 2006年 9月 3日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第3回 優柔不断つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第4回にご期待下さい!!
2007年02月10日
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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第2回 犠牲第895回 2007年1月27日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第2回 犠牲 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」2 犠牲 マンガの原画二百五十枚の撮影が終ると、井上は原画を丁寧に風呂敷に包みなおして、河村家を出た。行く時は上り坂だった道が今度は下がり坂になり、井上を乗せた自転車はスピードを出して走った。 青空に入道雲がモクモクと下から上に向かって伸びていた。気温は暑く、再び汗が井上の全身を覆っていた。 舘山、矢来、御廟、城南、松ヶ岬を下り、東に向かう。丸の内に入ると井上は急に上杉神社の周囲を回りたくなった。自転車は大通りから丸の内映画館の角を右に曲がり南側に入った。すぐに城跡の石垣とお堀が見えた。 お堀を西から南へ折れ、さらに東に走り、図書館と元上杉邸の中央公民館を南側に出たところを反対側の北に折れた。すると上杉神社の正面が西に見えてきた。お堀は緑に彩られ、そこに空の青い色と雲の白い色が浮かぶように映っていた。 自転車を停めて片足を着いて、その上品で落ち着いた風景に見とれていた。 井上はこの景色が大好きだった。小さい時からいろいろな思い出がある上杉神社だった。 小学校の写生大会では上杉神社の正面入り口を描いては入選をしていた。小中学校時代にはお堀に釣りにもきていた。 そして城跡には児童遊園地があった。そこから見る上杉神社の周辺の風景にはいつも見とれてしまう井上だった。 「あらっ、はじめくん!?」 上杉神社の傍にある松が岬神社側から女子高生が井上を呼んだ。井上が声の方を向いた。 女子高生は道路を横切って井上に向かって早足で寄ってきた。「み、み・ちえ ちゃん!」 と、井上は女子高生の名前をポツンと言った。 女子高生は中山美智江だった。 美智江は井上とは中学時代の同級生で、高校は違ったがいつも井上に対して協力を惜しまない親友の一人だった。井上が米沢漫画研究会を作ったときや山形まんが展を開催するときも、美智江は呼び掛けポスターを貼り、校内放送で宣伝をしてくれた。 また、一学年後輩の安藤悦子を米沢漫研に紹介し、自らも得意の詩を米沢漫研に送るなどしてまんが展を華やかに飾ってくれた。「やっぱりはじめくんじゃない!まんが展よかったわよ」 と、美智江は言った。「協力アリガト!お陰で女子高からたくさんきてくれた。それに美智江ちゃんの詩には仲間が喜んでいた」 井上はお礼を言った。美智江は一緒に帰ろうと井上に言った。 井上は自転車から降りて一緒に歩き出した。 美智江は夏休みにもかかわらず学校指定のブラウスとスカートを着ていた。生徒会の仕事をした帰りだという。井上も生徒会で企画担当をしていたので、生徒会の話をしながら二人は丸の内街を歩いた。「はじめくんは将来マンガ家になるの?」 と、美智江が訊ねた。「そんなこと考えたこともない」「だって、上手だったよ『ああ学園』に『灰色の青春』」「あれしか描いていない……」「ど~してよ~、もっと描けばいいじゃない!?」「漫画研究会を作って同人誌を発行するようになったら、描く時間がなくなってきた。事務や手紙を書いたり、機関誌をガリ版で作る時間が膨大なんだ」「もったいないじゃない!」「…………」「美術部はどうしているの?」「油絵は一年生の時だけかな」「描いていないの?」「うん」「どうしてよ!中学時代から、あんなに一生懸命絵を描いていたじゃない!?」「生徒会もしてるだろう。そっちもあってね。放課後はほとんどが生徒会かなあ」「どうして生徒会なってしているのよ~はじめくんは生徒会なんて似合わないよ!」「………美術部の活動予算が少ないから生徒会役員になったんだ。つまり、これからは文化の時代だから、もっと文化部に予算を増やさないと時代に取り残されるってことで…………」「それではじめくんは自分の好きな絵を犠牲にしてるの?」「ギ・セ・イ?」「すべてそうじゃない?絵が描きたくて美術部に入ると、予算獲得で生徒会でしょ?生徒会をしながら、好きなマンガが上手になりたくて漫画研究会を作れば、他の仕事で描けないなんてオカシイ!!!」 井上は歩くのを止めた。「どうしたのよ?」「…………」「なんか言いなさいよ!」「……おかしくないッ」 と、井上は震えた小さな声で言った。「オカシイ!!!」 と、負けないで美智江は繰り返した。「はじめくんは何をしたいの?絵を描きたくないの?マンガを描きたくないの?そのための美術部でしょ!漫画研究会でしょ?違う?だから、はじめはおかしいの!!!」 二人は粡町(あらまち)交番所が角にある十字路まできた。「はじめくんは生徒会役員とかまとめ役は合わないからね。もっと自分の描きたいことをどんどんすればいいのよ。わかった?じゃあね、バイバイ……」 信号機が青になると美智江は北に向かって早足で去っていった。井上は美智江の後姿をジッとみていた。自分がぐらこん山形支部長になったことは、とても美智江には伝えられなかった。 2006年 9月 2日 日曜 記2006年 9月 3日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)>熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第2回 犠牲つづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第3回にご期待下さい!!
2007年02月03日
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黄色い涙が映画で登場第896回 2007年2月1日 朗報です!ご存知の方も多いと思いますが、懐かしの昭和を舞台にした映画が4月4日に公開されます。あの永島マンガの名作「若者たち」の映画化です。 スポーツ報知の記事は下記のとおりです。嵐が映画「黄色い涙」主演…故永島慎二さん青春漫画原作 人気グループ「嵐」の5人が、漫画家の故永島慎二さん(享年67歳)原作の映画「黄色い涙」に主演することが9日、発表された。犬童一心監督(45)がメガホンを執る。 「黄色い涙」は「漫画家残酷物語」「フーテン」など永島さんが60年代に発表した青春漫画のシリーズ名で、74年に市川森一氏(65)が脚本を担当し、NHK銀河小説でドラマ化された。映画脚本も市川氏が手がける。64年の東京を舞台に、夢を持って生きる若者の希望と挫折を描いた群像劇。 嵐5人での主演は04年の「ピカ☆☆ンチ」以来。小説家志望の若者を演じる櫻井翔(24)は「高度経済成長期の日本に生きる若者の生きざまが、元気のない現代に新鮮に映ると思う」と話した。ヒロインに香椎由宇(19)。12日クランクイン。来春公開予定。(2006年5月10日06時06分 スポーツ報知) テレビでは森本レオさん主演でした。同時代に生きてきたおじさんには楽しみがもう一つ増えました。映画「黄色い涙」ホームページhttp://www.kiiroi-namida.com/
2007年02月01日
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熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第1回 ホームドラマ第895回 2007年1月27日熱い夏の日~山形マンガ少年~●第1回 ホームドラマ 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」1 ホームドラマ 一九七〇年……昭和四十五年七月二十九日水曜日も暑かった。青い空が白い入道雲にもくもくとを下の方からあおられていくような空だった。 山形県米沢市中央三丁目の長屋の一角に井上はじめの自宅があった。 井上は四角い大きな木綿の風呂敷と四角い紙袋を重そうに持って自宅の玄関を出た。そして路地に止めてあった婦人用自転車のカゴに紙袋を入れた。後ろの荷台には風呂敷を太いゴム紐でくくった。 遅れて井上の祖母ふみが玄関から現れた。「はじめ、漬物はすぐに冷蔵庫に入れるように河村先生に言ってなあ!」「ハイ、ハイ、ばあちゃん、わかったから……」「はじめ、ハイは一回でいいんだからなあ!」「ハイ!」「そんで(それで)いい」 自転車に乗った井上は河村よし子が住む米沢の舘山に向かっていた。 井上の目指す河村よし子とは、小学校時代の恩師の河村よし子である。 河村は保健衛生の教諭だった。当時から井上は体が弱く、扁桃腺を腫らしては高熱を出して学校を休みがちだった。その井上をいつも励まし、注意をはらってくれたのが河村よし子だった。 河村は、井上が小さい時に両親を亡くしていたのを不憫と思ってか、小学五年生から誕生日になるとシャープペンシルやレコードなどをプレゼントしていた。井上が高校生になった今でもそれは続いていた。そして井上の健康を心配をして、今も月に一度は井上宅を訪れていた。まさに河村は母親代りの教諭だった。 河村は現在第三中学校に勤務していた。今回の井上らが企画した「山形まんが展」にも学校にポスターを貼るなどの協力を惜しまなかった。 東から西に向かう一直線の大通りはだんだん坂道になっていく。特に矢来の踏み切りを越えるとその坂道は登りになっていく。 井上は全身に汗をかきながら、自転車のペダルをゆっくりと力を込めて踏んだ。坂道は苦しかった。ハンドルが左右に揺れると前輪も揺れる。井上の顔がどんどん蒼くなっていった。 井上の自宅から小一時間は掛かっただろうか、舘山にある御成山(おなりやま)のジャンプ台が大きく見えるようになった。ようやく河村家に着いた。 井上はフラフラになって、河村の玄関先に行った。「こ、こんにちは~」 それは蚊の鳴くような声だった。 奥から河村があわただしく現れた。「あららら……はじめくん!なにやそんなに蒼い顔して大丈夫か!?」 さあ、上がってと、河村は井上の肩を抱くようにして応接室へ案内しようとした。すると河村の義母が声を聞きつけて奥からやってきた。「はじめくん!」 義母は初対面の井上の名前を大きな声で呼んで、井上が持参した包みをバトンするように受け取った。 河村はソファに座らせると井上にコップの水を飲ませた。 挨拶も満足にしないまま井上はその行為に甘えた。なにしろ気持ち悪く、それどころではなかった。「遠いもなあ。よくきたごと。よし子、タオルで汗を拭いてやりなさい」 河村の義母のやさしい声が聞こえた。 河村よし子と義母の声を聞きつけて、河村の夫、河村紀一が応接室に顔を出した。 河村紀一は中学の社会科の教師だった。「やあ、いらっしゃい。いつも家内がお世話になって……」 ランニング姿の紀一はメガネを掛けていた。メガネの奥の目が微笑んで井上に挨拶をした。 井上はソファからよろよろと立ち上がった。「今日はマンガの原画を写真を撮っていただけるそうで、お忙しいところをありがとうございます」 と、お礼を言い頭をペコンと下げた。「おとうさん、はじめくんは暑さに参ったようで、今一息させていたんです」 と河村よし子が言った。「それはそれは、たいへんだったね。落ち着いてから撮影に入ろう。ゆっくり休みなさい」 河村紀一の話し方や顔の表情はとても穏やかなで、初対面の井上には好印象を与えた。 「山形まんが展」に出品されたマンガ家の原画を記念に写真に撮ってはどうかと、河村よし子が提案したのだった。河村の夫の趣味が写真撮影だったこともあり、井上は喜んでお願いした。 「おじいちゃん!はじめくんがきましたよ」 応接室から廊下に首を出した河村はそう言った。 まもなく、ランニングシャツとステテコ姿の痩せた老人が現れた。河村紀一の父だった。「よくきたね。よし子がいつもお世話になってありがとう」 と、河村紀一と同じことを言ったが、その表情は河村紀一とは対照的に憲兵を想像させる厳しい表情だった。「おじいちゃん、はじめくんと一緒に冷たいお水をいかがですか」 と、河村よし子が言うと、「ワシは熱いお茶がいい。暑い時には熱いのに限る。なあ、はじめくん、きみもお茶にしなさい!?」 と、言ってニコッと笑顔を見せた。その笑顔が井上には意外にかわいらしく感じた。 なんだかホームドラマを見ているような、そんな家庭を感じさせた。井上はこんな家庭っていいなと思い、うらやましく感じた。 蝉の鳴き声が家の中に入ってくる。「はじめくん、落ちついたかい?さあ、撮影を始めるとするか」 と、河村紀一がソファを立ち上がり、一眼レフカメラに接写用レンズを取り付けた。 河村紀一は応接室の南側の縁側で撮影をすることにした。照明は自然光だ。 縁側から見る風景からはリンゴ畑が一面に見え、その先には舘山の象徴である御成山が目の前に見えた。ジャンプ台も大きく見えた。その風景に見とれる井上だった。「さあ、はじめくん。マンガを出してくれるかい」 と、河村紀一が声を掛けた。 2006年 8月22日 火曜 記 2006年 8月27日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)熱い夏の日~山形マンガ少年~ ●第1回 ホームドラマつづく 「熱い夏の日~山形マンガ少年~」第2回にご期待下さい!!
2007年01月27日
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アニメージュ初代編集長 逝く第894回 2007年1月26日Yahoo!ニュースによるとアニメージュ初代編集長尾形英夫さんの訃報が掲載されていました。詳細は下記のとおりです。訃報:尾形英夫さん73歳=アニメージュ初代編集長 ナウシカ、銀英伝の“生みの親”1月26日19時28分配信 毎日新聞 まんたんウェブ 尾形英夫さん73歳(おがた・ひでお=元徳間書店常務、「アニメージュ」初代編集長)25日、胃がんのため死去。葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻正子さん。 尾形さんは、61年に徳間書店入社。78年に劇場版「宇宙戦艦ヤマト」ブームに乗って、日本初のアニメ専門誌「アニメージュ」(徳間書店)を創刊。以後初代編集長として、アニメブームの礎を築いた。また、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」の漫画連載をスタートさせ、その後劇場版アニメ化するなど、スタジオジブリの発展にも大きな役割を果たした。後略 私がアニメージュ編集部におじゃましていたときは校條さんが編集長だったようです。 また、マンガの歴史を作った編集者が亡くなられて残念です。 心からご冥福をお祈りいたします。 合掌
2007年01月26日
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旅立ちの歌 ●ホームページ紹介第893回 2007年1月25日「まんが」にとりつかれた三人の少年が東京を巡り歩いた1970年のあの夏の日。山形で開催する「漫画展」と「ぐら・こん山形」の結成に向け奔走していた。70年代を疾風のごとく駆け抜けた山形の漫画同人の姿を熱く描く大河ドキュメント。憧れの手塚治虫先生をはじめ漫画同人作家や著名人が実名で続々登場するみちのくはじめ版「まんが道」である。これを読まずして山形の漫画の歴史は語れない。 長年、このブログに連載していた「山形同人作家列伝 1970年◎夏」も第二部「旅立ちの歌」が終りました。 この物語は、私の体験に基づいて書いたものです。物語は次のような内容です。 手塚治虫先生が社長をしていた虫プロ商事「COM」編集室から当時の売れっ子マンガ家の原画250枚を借りたぼくたちは、夜汽車で東京から山形に帰ってきました。 それからがたいへんです。 山形まんが展の準備に取り掛からなければなりません。マンガ同人会のメンバーは山形県下に散らばっており、開催地の米沢の会員はわずか10人数人。そのみんなが動けることができない。そこで高校の生徒会役員や美術部のメンバーが手助けに……。 開催までには、教育委員会や中学、高校の教師までも協力を惜しまないで協力をしてくれました。 猛暑の開催三日間の出来事も予想外のことが起こるし、虫プロ商事からはCOM編集長石井文男氏がやってきた。そして……。 16歳の「ぼく」に起こる予想を様々な事件と、それを多くの友情で乗り越えていく過程を描いています。 この第二部「旅立ちの歌」第39話をまとめたホームページが完成しました。 拙い文章ですがどうぞお読みください。 第二部「旅立ちの歌」のホームページhttp://f1.aaa.livedoor.jp/~hopgaho/tabidati/tabidati.html なお、新作第三部「熱い夏の日」は1月27日から、このブログで連載を始めます。 これからもよろしくお願いいたします。
2007年01月25日
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はじめちゃんの東京騒動記 ●ホームページ紹介第892回 2007年1月21日「まんが」にとりつかれた三人の少年が東京を巡り歩いた1970年のあの夏の日。山形で開催する「漫画展」と「ぐら・こん山形」の結成に向け奔走していた。70年代を疾風のごとく駆け抜けた山形の漫画同人の姿を熱く描く大河ドキュメント。憧れの手塚治虫先生をはじめ漫画同人作家や著名人が実名で続々登場するみちのくはじめ版「まんが道」である。これを読まずして山形の漫画の歴史は語れない。 この文はマンガ同人会の先輩である たかはしよしひで さんが書いたものです。 長年、このブログに連載していた「山形同人作家列伝 1970年◎夏」も第二部「旅立ちの歌」が終りました。第一部「はじめちゃんの東京騒動記」 これはまんが展の原画を虫プロ商事や虫プロダクション、東映動画に借りに行く道中のお話です。 山形県の田舎から夜汽車に乗り、東京に向かった高校二年生の自分がどうしてマンガにひかれ、マンガを描くことになっていったかを小中学校の出来事と、手塚治虫先生にもらった二枚のハガキの想い出を中心に描いています。 そして本当に手塚治虫先生に会ってしまうという夢のような出来事でした。その後の自分の人生に大きな影響をうけるとは、想像もできなかった16歳でした。 この第一部「はじめちゃんの東京騒動記」はホームページに40話にまとめて掲載されています。よろしければ、ぜひお読みください。第一部「はじめちゃんの東京騒動記」のホームページhttp://f1.aaa.livedoor.jp/~hopgaho/tokyo/tokyo.html
2007年01月21日
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●最終回 太陽がくれた季節第891回 2007年1月13日旅立ちの歌●最終回 太陽がくれた季節旅立ちの歌39 太陽がくれた季節 石井はそろそろおいとまをすると言った。 長吉はふみに「ハイヤーを手配しろ!タクシーでは失礼だから、間違うなよ」 と、言った。そして、井上には「はじめくん、道路に立って、ハイヤーが大通りからこの路地に入るように言え。さあ、行け!」 と、命令した。 井上が席を立ったところを見計らって、石井はタバコのホープを吸いながらふみに訊いた。「井上くんは学校が終ったら東京で働くことができますかね?」 ドキッとして言葉に困ったふみは、しばらく考えてから、「本人次第ださなあ。だって年寄り二人置いて行ぐ気があっかどうか?」 と答えた。「井上くんは将来何になるつもりでしょうね」 石井は訊いた。「何したいなだがなあ……。そろそろ考えなんねげんどね」 そしてふみは石井に訊いた。「石井さん、はじめを手塚先生の所さ、連れて行こうと考えてるんだか?はじめが(家出したりして)居なぐなったら、石井さんさ一番最初に訊けばわかるようにしてくだいなあ」「おばあちゃん、何を言っているんですか。井上くんがきたいなら別ですけどね」 ふみの気持ちはうれしくもあり、淋しくもあり、複雑だった。「うちのばさま(婆様)はバカなごどばっかり言うがら気にしねでくだいな」 と、長吉が言った。 扇風機の回る音だグルグルと鳴り、ふみの気持ちの表しているようだった。 ハイヤーがきた。みんなは外に出た。 七時になろうとしているのに外はまだ明るく、夕焼けの光が東の空と雲に反射していた。 石井は丁寧に挨拶をしてから、ハイヤーの前で井上に向って、「あっ、井上くん。時々電話をもらえるかな。ボクを指名してちょうだい。これからのことをいろいろ話をしていきたいし、キミの相談にのれるならそうしたいからネ!」 と、言った。「編集長、まだきてくだいな!手塚治虫センセイさ、よろしく言ってくだいな!」 と、長吉が言った。 石井はハイヤーの窓から慌てて井上に言った。「そうそう、手塚先生から伝言があったんだ!」 井上はエッと言ってハイヤーの窓に手を掛けた。「来月に手塚先生が山形市にきるから、そのときにゆっくり会いたいって言ってました。いいですか?」「わかりました。ぜひ、お願いします」 井上は大きな声で言った。 長吉とふみは井上の後ろで頷いていた。「運転手さん、小野川ホテルさ行ってくだいな!料金はうちさツケでくだいな」 長吉がそういうとハイヤーは狭い路地を出発した。 ハイヤーは路地を曲がって大通りに出て行った。 長吉とふみ、そして井上はいつまでもその場に立っていた。 夕日はまだ赤く空を真っ赤に染めていた。 「COM」一九七〇年九月号の二百七十頁に次の記事が写真入で掲載された。 「ぐら・こん」山形支部誕生!! 七月二十六日、猛暑の山形県米沢市の市民文化会館で、第二回山形漫画展が開催された。 この日三十五.六度という、近来にない高温を示したこの地方だが、、県内、近県からかけつけた、熱心なまんがマニアで、会場は、ますます熱気をおびてきた。 「COM」を中心とする、プロ作家の原画、まんが本各種、全国のまんが同人誌など、多彩な飾り付けは、「みちのく」のまんがマニアたちに大きな刺激を与えた。 午後にはいって、主催者の山形漫画予備軍の総会が開かれ、その席上山形漫画予備軍が「ぐら・こん」山形支部として発足することに決まりその初代支部長に、井上肇君が選出された。(中略) 「ぐら・こん」本部では、「ぐら・こん」山形支部を右記の通り決定いたしました。山形地方のまんが愛好者で、入会希望の方は、直接支部宛にご連絡ください。(中略) 「ぐら・こん」本部では、右記のとお、り「ぐら・こん」山形支部の人員構成を認可いたしました。今後本部では、「ぐら・こん」に関する山形地方活動の一切を井上支部長と連絡の上で行なっていきます。 太陽がくれた季節 【作詞】山川啓介【作曲】いずみたく【歌】青い三角定規1.君は何を今 見つめているの 若い悲しみに 濡れたひとみで 逃げてゆく白い鳩 それとも愛 君も今日からは 僕らの仲間 飛びだそう 青空の下へ2.君は何を今 待ちつづけるの 街の片すみで ひざをかかえて とどかないあの手紙 別れた夢 君も今日からは 僕らの仲間 とび込もう 青春の海へ 青春は 太陽がくれた季節 君も今日からは 僕らの仲間 燃やそうよ 二度とない日々を 燃やそうよ 二度とない日々を「熱い夏の日~山形マンガ少年~」 第二部 旅立ちの歌 完 2006年8月20日 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●最終回 太陽がくれた季節完 第三部「熱い夏の日」にご期待下さい!!
2007年01月13日
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旅立ちの歌 ●その後の予告第890回 2007年1月11日旅立ちの歌●その後の予告旅立ちの歌 その後の予告 長い間週2回の連載だった「旅立ちの歌」も次回で最終回です。 この物語はまだまだ続きます。「旅立ちの歌」完結後は第三部「熱い夏の日」が始まります。 まんが展終了後、約10日間の出来事で、山形市で手塚治虫先生と再会するまでが描かれる予定です。 拙い文章で申し訳ありませんが、どうぞお読みください。 なお、いよいよ「旅立ちの歌」も最終回です。お楽しみにしてください。 2007年1月11日 記 ■旅立ちの歌 ●その後の予告つづく 「旅立ちの歌」最終回にご期待下さい!!
2007年01月11日
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旅立ちの歌 ●第38回 関心第889回 2007年1月10日旅立ちの歌●第38回 関心旅立ちの歌38 関心 石井と祖父母が懇談をしてから三十分も経っていないのに、三人は意気投合して話が盛り上がっていた。「石井さん。ちょっと変なことを訊くようですが、いいべがね(いいでしょうかね)」 と、ふみが言った。「何ですか?おばあちゃん」 と、石井が訊き返した。するともじもじしているふみだった。見かねた長吉は、「ばさま(婆様)そこまで言ったんなら最後まではっきり言え!」 と、イライラして口を出した。「あのぅ……先日、はじめが手塚治虫先生に会いに行ったときに、私の作った梅酒を預けたんです。サントリーレッドの空瓶に入れてやったんだ」 と、ふみが照れながら言った。「ばあちゃん、間違いなく渡したからね」 と、安心するようにと想いを込めて井上が言った。「天下の手塚治虫はそがな物は飲まねぇ」 と、長吉は恥ずかしいこと訊くなと言わんばりに言った。 石井はニコニコ微笑みながら、「きっと頂いていることでしょう。夏バテ防止に丁度いいでしょうからね」 と、ふみを気遣いながら言った。「たかはしセンセイが梅酒を持って行くとは伝説になるって言ってた」 と、井上が言うと、石井がそうだねと言って笑った。ふみは安心したように安堵の表情を浮かべた。 ビールは三本目になっていた。石井はお腹が空いていたのか、鯉料理をきれいに平らげた。「編集長は、皮も残さず食べたとは鯉の食べ方をご存知ですな」 長吉は、ますます石井を気に入ったようだ。ビールを勧めた。「ところで編集長!オレも質問してもいいが?」 と、長吉が言った。石井はまた微笑みながら、どうぞどうぞと言った。「あのな、手塚治虫先生はハゲか?」 石井は飲みかけのビールを噴出した。「藪から棒に何を言うんだべが!?」 と、ふみは呆れた顔で言いながら、おしぼりで石井のワイシャツとズボンを拭いた。「だってよぉ、はじめくんが夢で見たと言いったべ?」 長吉はムキになって言った。「上京前に夢で見たんです。ボクが手塚先生と会って、先生はベレー帽をとって挨拶をしてくれたんです。そしたらおでこがズーと頭まであって……」 と、井上が夢の話をした。石井は、「確かにおでこは広いですよ。手塚のお父さんは頭が薄いんです。遺伝で近い将来は井上くんの夢のとおりになるのかもしれないね」 と言うと、みんなで笑った。「ところで編集長。よろしかったら今晩泊ってくだい」 と、長吉が誘った。「そうだった。今日は泊まるんだった。おじいさん、ありがとうございます。でも、ボクは、ほら、(原稿用紙の入った虫マークの封筒を見せ)原稿を書かなければならないので、どこか旅館を紹介してもらえますか?」 と、石井が言うと、「残念だなあ……仕事では引き止められないべしな。そうだ、小野川温泉の小野川ホテルだどいいべ。はじめくんの母親が婿を迎えた所だ」 長吉は立ち上がり、茶の間にある電話で予約を入れた。「大事な客人だ。持て成しを忘れるな。食事?そうだなあ、準備をしてくれ。ただし残しても文句は言うな。残したらお前ん所なが、美味ぐねえがらだと思って精進しろ。女将、いつも勝手言って悪いな……」 長吉の電話のやりとりを石井は黙って聞いていた。口は悪いが心が温まる電話だと思った。 石井は井上と会ったのは二度目だった。 井上はまだ十六歳で、ぐらこん支部長としては最年少だった。また、同人活動経験もまだ一年にもなっていない。作品を見たがマンガもこれといって上手でもなかった。しかし、今回のまんが展を見事に成功させた。聞くところによると、彼の高校の生徒会や美術部、教師たちもこぞって応援をしたという。いったいこの子は何が取り得なのだろう……と考えた。 石井なりに質問をしてみた。 好きなマンガ家は手塚治虫、石森章太郎、永島慎二、水島新司という。特に石森の「ジュン」が好きだという。石井は後で豪華本「ジュン」を贈る約束をした。マンガ家になりたいの?と訊けば、そんなことは考えたことはないという。マンガを描くのが好きなだけだという。欲もなければ特別な夢もなさそうである。「手塚治虫先生の色紙が届いていない」 などとミーハーなことを言い出す始末だ。手塚さんにちゃんと送るように言うからと答えたが、この子の取り得は一体何なんだろう。 石井は井上に関心を持つのだった。 2006年8月16日 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第38回 関心つづく 「旅立ちの歌」最終回にご期待下さい!!
2007年01月10日
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旅立ちの歌 ●第37回 井上宅にて第888回 2007年1月6日旅立ちの歌●第37回 井上宅にて旅立ちの歌37 井上宅にて 井上は石井を自宅に案内した。 先ほど、祖父長吉から石井編集長を自宅で持て成したいから、片付けが終ったら自宅に連れするように指示があった。そのことを石井に伝えると、「よろこんで」 と、受けてくれた。 井上の自宅は、純喫茶店「田園」から歩いて一〇分位だった。夕方になっても暑さは続いていた。ムンムンする空気中を二人は話しながら歩いていた。「こんなに靴がアスファルトに粘り付く感覚は初めてだよ」 と、石井は言った。 西東に走る大通りは鉄砲屋町から鍛冶町になりなり、すぐに北に折れる路地があった。路地は舗装がされていない。路地の東側には路地と同じくらいの大きく深い川が流れていた。「土の感触はホットするね」 石井が言った。確かにアスファルトのような熱を感じさせない。しかも路地には川の水が打たれてあった。川の流れる音も涼しさを誘った。 数件の長屋が続いて途切れ掛かった二階建ての家が井上の自宅だった。「石井さん、ここがオレの家です。どうぞ!」 そう言って井上が、ただいまと玄関に入った。その後を石井が、ごめんくださいと言って後に続いた。 ハ~イと、祖母のふみが出迎えた。「よぐ、きてくだった……さあ、暑かったば、あがってくだい」 ふみには薄い夏物の着物をがよく似合っていた。そしてとても涼しげな表情だ。 八畳の茶の間にはすでに持て成しの料理が準備されていた。「編集長~よくござった!はじめのじいさんです」 と、祖父の長吉はいつもよりも愛想よく大きな声で挨拶をした。そして挨拶をする石井を手招きして、扇風機の前に座らせた。 ふみは冷たいお絞りを石井に渡した。 石井は、サングラスをとりながら、ほんとうに暑いですねとやさしい声で言ってお絞りで顔を拭いた。そして、正座をしなおして、「虫プロ商事の石井と言います。この度は井上くんたちの情熱に誘われてやってきました。おじいさんもおばあさんもよろしくお願いします」 その丁寧な挨拶に長吉とふみは驚いた。 流石は天下の手塚治虫の編集長だけある。生意気さ、驕り高ぶりがない。時代を動かし、時代を創っている人たちだから、もう少しは威張ってもいいはずだ。それなのにこんなに謙虚で「孫たちの情熱に誘われてやってきた」などとはそうそう言えるものではない。この方は相当な大物だなあ…… と、石井に対して長吉は感心した。「さあ、冷えたビールを一杯どうぞ」 と、ふみはビンのキリンビールを両手で差し出した。「先ずは、編集長。今日は遠路はるばるありがとうございました」 と、長吉がコップをあげて礼を言った。井上も続いて「ありがとうございました」と言った。それを合図に四人がコップを合わせて乾杯をした。 井上のコップにはキリンレモンが入っていた。 長吉とふみは、孫のはじめの生い立ちと家庭環境の話をした。父親の影響かマンガが好きなこと、はじめは手塚治虫先生に二回もハガキをもらったことなどを短時間に話をした。 石井はそれをフンフンと言って聞き、わからないことは遠慮な質問をした。 石井は郷土料理に関心があるようで、鯉のあらい(刺身)、鯉の甘煮(うまに=甘露煮)を美味しそうに頬張るのだった。「石井さんの出身はどこでやった?」 と、ふみが訊いた。石井は、「岡山です」 と、答えた。するとふみは、「岡山だったら海の魚が楽しめるべした。沼の鯉をこんなに美味そうに食べるとは意外だべしたね」 が、言った。「ぼくは好き嫌いはないですから。この丸い茄子も珍しいですね」 ふみは石井を親しみを感じた。 2006年 8月16日 水曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第37回 井上宅にてつづく 「旅立ちの歌」第38回にご期待下さい!!
2007年01月06日
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吉本がコミック界に進出だって!?第887回 2007年1月4日吉本がコミック界に進出だって!?明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。さて、先ほどYahoo!のニュースに「<吉本興業>出版分野に参入 「コミックヨシモト」創刊へ」という記事がありました。一部をご紹介します。<吉本興業>出版分野に参入 「コミックヨシモト」創刊へ1月4日13時37分配信 毎日新聞 吉本興業(大阪市中央区)は4日、今春、出版社を設立し、漫画雑誌「コミックヨシモト」を創刊すると発表した。同社所属の芸人・タレントらが原案を担当し、プロの漫画家が作品化する。隔週で発行25万部を目指し、軌道に乗れば漫画の単行本も出版する予定という。雑誌に掲載した漫画の映画化やドラマ化も視野に入れている。異業種が出版に進出というより、お笑いのマンガ部門の設立と考えた方がよろしいかもしれませんね。 ■
2007年01月04日
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旅立ちの歌 ●第36回 喫茶にて第886回 2007年1月3日旅立ちの歌●第36回 喫茶にて旅立ちの歌36 喫茶にて 会場から歩いて五、六分のところのパチンコ店二階に「純喫茶・田園」があった。 そこは米沢で一番大きな喫茶店だった。大きなキャバレー風の造りで、席は有に百席はあっただろうか。ぞろぞろと十数人が入っていくと、薄暗い店内もにぎやかになった。店内はクーラーが効いていた。ヒヤッとした空気が心地よく流れる汗を冷やした。 暗い店内にはシャンデリアが輝き、大きな噴水とその音が涼しさを誘った。流れる音楽はポールモーリアの曲だった。 みんなは大きなソファに石井文男を中心にして囲むように座った。店員がおしぼりと水を持参した。その際に店員が石井に声を掛けた。「お客様、恐れ入りますがサングラスはご遠慮ください」「エッ、ボク?」 と、石井が自分の指で顔を指した。石井は笑いながら仕方なさそうにサングラスをとった。するとやさしい目をした石井の素顔が現れた。とても若く親しみのある素顔だった。みんなはその石井の素顔に惹かれるのであった。 酒田からきた若者たちは帰る電車時間を気にしながらも、積極的に石井にマンガ界のこと、「コム」のことを質問した。意外だったのはぐらこんについての質問や意見が少なかったことだった。 片付けを終えた米沢勢が遅れてやってきた。 みんなは大きな声で、「ご苦労~さ~ま~」 と、労いの声を掛けて迎えた。 会場で仲良くなった酒田と米沢のマンガ仲間がまんが展の成功を喜んだ。 みんながアイスコーヒーを飲みながらワイワイガヤガヤで話は盛り上がっていた。そして、「ぐらこん山形支部結成は村上の願いだっただけに、このまんが展が村上さんへの壮行会だったね」 と、酒田の誰かが言った。「置き土産がぐらこん山形支部だったら責任が重いよ」 と、井上が言った。そのやり取りを石井は笑いながら見つめていた。「この少年少女たちなら立派なぐらんこん山形支部ができる」と思った。「村上くん。きみの望みがかなってよかったね」 と、石井が村上に話し掛けた。「石井さんのお陰です。ありがとうございました。これで安心して四日市に転勤ができます」 村上がホッとした表情で言った。「村上くん、改めて相談したいことがあるんだ。近いうちに時間を取ってもらえるかなあ」 石井が村上の耳元で言った。「ハイ、わかりました。今週か遅くても来週にはご挨拶に伺うつもりでいました。そのときにでもいいですか?」「急ぎのことなので助かります」 石井には思惑があった。 石井は、ぐらこん担当者秋山満の後任として、この村上彰司を虫プロ商事の社員に迎えようと考えていたのだ。 村上は、春の酒田での「山形まんが展」と今回の米沢での二回目の「山形まんが展」を企画し、その交渉力や企画力はなかなかなものであった。この間の電話のやり取りや会った印象がとても好感が持てた。そしてそれが石井が村上に目を付けた理由だった。 もう一つの理由は、村上は、勤務する東洋曹達(ソーダ)酒田工場から四日市工場への移動が内示されていた。それならこれを機会に、退職を促してもいいのではないかと考えたのだった。「彼ならぐらこんを任せられる」 石井はそう思った。 そしてそのことは虫プロ商事の社長である手塚治虫にも相談してあった。七月の手塚プロでの手塚治虫と村上の対面は事実上の面接でもあった。 しかし、これらの動きについて村上本人はまだ知らない。 石井と村上は短い会話だった。それを村上の席向かいでジッとたかはしよしひでが聞いていた。たかはしは石井に何かを感じた。井上も感じた。 そうこうしているうちに、酒田勢と山形勢が帰る電車の時間になってきた。これを合図にみんなは一斉に席を立った。 2006年 8月16日 水曜 記 2006年 8月17日 木曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第36回 喫茶にてつづく 「旅立ちの歌」第37回にご期待下さい!!
2007年01月03日
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旅立ちの歌 ●第35回 まんが展閉幕第885回 2006年12月30日旅立ちの歌●第35回 まんが展閉幕旅立ちの歌35 時計は午後四時を指していた。 「会場を閉鎖しま~す。みなさん~ありがとう~ございました~」 鈴木和博の声がまんが展の会場に響いた。その瞬間に一斉に拍手が起きた。その拍手はどんどん大きくなり、長い拍手が鳴り響いた。石井文男は拍手を傍に立っていた村上彰司に向けた。みんなは村上に向って拍手をした。村上は井上はじめに握手を求めた。拍手は井上に向けられた。井上はたかはしよしひでに拍手を向けた。たかはしは戸津恵子や小山絹代たちの米沢中央高校生徒会のみんなに拍手を向けた。拍手はいつまでも鳴り響いた。その音は三階会場から二階や一階や外へと流れていった。 この充実感はなんだろう。鈴木の笑顔、宮崎賢治の笑顔が「ヤッタ~」と言わんばかりであった。近藤重雄や田中富行らも汗に光った顔でニコニコしていた。 鈴木は村上に、「展示室の片付けをしている間に、近くの喫茶店で石井さんたちと交流をしてください」と、言った。「それじゃあ、市外の者はお言葉に甘えさせてもらおう」そう言って、石井と村上ら酒田勢とたかはしよひしで、かんのまさひこ、今田雄二、それに長井の青木文男らは会場を後にした。 展示物の後片付けは、米沢漫画研究会と米沢中央高校生徒会の役員、美術部部長らによって行われた。連日の暑さにほとほと参っていたが、みんなは最後の力を振り絞るようにして、原画を片付け、重いポールや展示パネルを二階へ移動させた。 井上の祖父長吉がやってきた。長吉もはげた頭から顔にかけて汗を流しながら、井上たちの片付けを見守っていた。「はじめくん!」と、長吉は孫の井上を呼び止めた。 「手塚先生の若い衆がきてるんだべ」「編集長の石井文男さんだ」「その編集長に帰りに家さまわってもらえ。 六十里(鯉店)からばさま(婆様)にいわれて、あらい(鯉の刺身)と甘煮(鯉のうまに=甘露煮)を買ってきたがら。 なんだったら泊まってもらってもいいぞ」「おじいちゃん、ありがとう。 連れていくがら」そうこうしているうちに、長髪に髭を伸ばしたの中年男が井上に声を掛けた。「あの、恐れ入りますが、手塚治虫さんたちの原画を見せていただけますか?」井上は傍にいた美術部の部長の田中富行の顔を見た。田中は軽く頷いた。その頷きは「ちょっとだけなら見せてもいいのではないか」という合図だった。 「片付けが始まっているので短時間にしてください」と、田中はその男にぶっきら棒に言った。「画家のサガエタツハルと言います。 きみの名は?」と、井上と田中に訊ねた。「ぐらこん山形支部長の井上はじめです」「中央高校美術部部長の田中富行です」このとき、井上は初めて自分を「ぐらこん山形支部長」と名乗った。井上は、いったん風呂敷に包んだプロのマンガ家の原画二百五十枚を取り出した。サガエという画家は恐縮しながら原画に近付き、両手を合わせて拝んだ。井上と田中をその傍で見守った。 サガエは、一枚いちまい丁寧に右上から左へと目を移していった。その目は井上らに異様な感じを与えた。サガエは特に手塚治虫の「火の鳥」を時間を掛けて鑑賞をした。ときには目を原画に近付ける、離すを繰り返した。「このデッサン力はすばらしいですね!」と、言った。他の石森章太郎たちの原画も見たが、「やはり描く力は手塚治虫先生には敵わない」と、言うのだった。 長吉はそのやり取りを遠回しに見ていたが、周囲が片付いていくところを見て、「はじめくん、もういい加減にして片付けなさい」と、大きな声で言った。「ハイ」と、井上は言い、原画をサガエから取り上げた。そんなこともお構いなしにサガエは手塚治虫の絵について力を込めて解説していた。傍では田中がサガエの話を聞いて対応していた。 田中富行は後に画家サガエタツハルに師事することになる。このときは当事者も誰もそんなことは想像もしなかった。 (2006年 8月16日 水曜 記) ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第35回
2006年12月30日
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旅立ちの歌 ●第34回 ぐらこん山形誕生!第884回 2006年12月27日旅立ちの歌●第34回 ぐらこん山形誕生!旅立ちの歌34 「ぐらこん山形支部を認めていただき、会員の実力が向上し、プロへの道、またはマンガを一生の友として描いていく人たちの発表の場であればたいへんうれしいです」 と、たかはしよしひでは村上の提案を補佐するように言った。「ここにおられる石井編集長になんとか支部結成を認めていただきたいものです」 と、かんのまさひこが嘆願した。 するとホールからは一斉に拍手が起きた。 村上はみんなの顔を一人ひとり見ながら話をつなげて言った。「みなさんの意見や要望はたかはしセンセイやかんのセンセイにまとめられていると思います。いいですね?ハイ、それでは石井さんに正式にお願いをします。ぐらこん山形支部の結成を認めていただきますか?」 ホールはシーンと静まり返った。そしてみんなの目は村上の傍にいるコム編集長石井文男を見た。 石井は静かに立ち上がった。 「ボクは先ほどの挨拶で、みなさんのマンガに対する情熱はすばらしいものだと言いました。そして今日ボクがこの総会にも参加することは、みなさんにとっても、ボクたちコム、いやマンガ界にとっても歴史的な日になるような気がします……」 静まり返ったホールで、石井の声だけが響き、さらに反響して聞えた。 「この総会での意向をうけ、みなさんの要望どおり『ぐらこん山形支部』の結成を認可します!!」 石井の静かでゆったりとした語りに力が入った。 ホールには石井の声がさらに大きく反響した。 村上は目を大きく開き、石井に握手を求めた。二人が握手をした瞬間に、一斉に拍手が起こった。「石井さん、ありがとうございます」 村上の目に涙が溢れてきた。「おめでとう!よかった、よかったネ」 と、石井が村上の肩をたたいた。 ホールのみんなは二人を囲むようにして拍手を贈り続けた。 まんが展に行くために階段を歩いていた高校生が立ち止まって見ていた。 2006年 8月19日 土曜 記 山形漫画予備軍総会はぐらこん山形支部結成総会となった。 引き続き、村上の進行によって、結成総会が行われた。 コムの石井からはぐらこんの目的や歴史、そして将来像が語られた、 みんなが驚いたのはぐらこん支部は県毎にあるのではなく、北海道、東北、関東、中部、関西、九州というブロック毎に置かれていたことであった。 県単位というのは山形が初めてだった。「東北は交通の便、地域の広さを考えてもブロックでは対応は難しいだろう」 という、石井のはからいだった。 支部長には井上はじめが選出された。各地区の役員は次のように決まっていった。 酒田地区長 曽根啓視 山形地区長 高橋良秀 菅野正彦 米沢地区長 青木文雄 鈴木和博 宮崎賢治 「短い間でしたが、酒田と山形、米沢の漫研で組織したこの山形漫画予備軍は今日をもって解散します。そしてぐらこん山形支部として新たな出発をします。 ボクは秋になると会社の転勤で酒田から三重県四日市に行きます。その前にぐらこん山形支部が誕生してうれしいです。これからは井上くんが代表です。みなさん、彼を支えながらマンガ文化をいっそう発展させてください」 村上は総会を締めくくった。それは山形漫画予備軍の解散宣言だった。そして村上彰司の山形からのさよならの挨拶だった。 太陽がギラギラと会場を射していた。 2006年 8月20日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第34回 ぐらこん山形誕生!つづく 「旅立ちの歌」第35回にご期待下さい!!
2006年12月27日
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●さよならファイト!井上元編集長逝く第883回 2006年12月24日●さよならファイト!井上元編集長逝く井上編集長とのやりとり元「週刊ファイト編集長」の井上義啓が12月13日に永眠。享年72歳。なお、 故人の遺志により、香典・献花は受け付けないとのこと。(朝刊プロレス2006 12月22日号より) 新大阪新聞社が発行する「週刊ファイト」の元編集長井上義啓さんが12月13日に逝去されたことをメールマガジンで知りました。 週刊ファイトとはボクシング・キックボクシング・プロレスの記事を中心に業界の裏と未来予測をする独特の週刊紙でした。業界の談合を嫌ってかプロレス団体の広報にはならないように努めた功績は大きく、また、新日本プロレスよりに徹底した編集方針がインディーズ的で読者に指示されていたものです。 この新聞はいまでこそセブンイレブンで販売されていますが、昔は駅売りが中心でした。私は18歳から毎週金曜日に米沢駅にこの新聞を購入に通ったものでした。 実は井上さんとは一回だけですが、電話でお話をしたことがありました。 昭和54年か55年ごろですが、私たちが主宰していたマンガ同人会「ボボ」の購読者会員だった元週刊ファイト編集部新城邦夫さんの行方を知りたく、週刊ファイトに電話をしたところ当時の編集長だった井上さんが電話に出られました。 新城さんが読んでいた同人誌「ボボ」をご存知だった井上さんは私の身元やマンガ観をずいぶん訊いてくるのでした。私は調子にのって私の描きたいプロレスマンガの案を述べました。 「うち(ファイト)に連載マンガを描いてみませんか?テーマは任せますから。 はらたいらさんだってうちの紙面にマンガを描いていた。つい先だってまでマンガの連載をしていたが、ファイトのテーマには合わないのですよ。あなたの今のプロレスについての知識を生かしたマンガを描いてみてくれませんかね。おもしろいと思うなあ!?読者からもきっと喜ばれる」 井上さんは私にこう述べるのでした。実はこの頃に私は別なところからもマンガを描かないかと上京を誘われていた時期だったのです。でも、結婚もしていたし、当時は祖母も高齢になっていたのでお断りをしていました。 いま思えば、週刊ファイトには二回ほど私のイラストや漫画集団ボボのことが記事で紹介されていました。それも井上さんのご配慮だったのかもしれませんね。 結局は新城邦夫さんの行方もわかりませんでしたが、井上編集長とのわずか20分間ほどの電話での対話が忘れられない思い出となっています。 とてもよいお言葉をかけていただいたことに感謝しています。 井上さんが編集長をお辞めになってからの週刊ファイトは、私たちの好んで読んだ週刊ファイトからはるか遠くにいってしまった感じでした。一時代を作られた井上義啓のご冥福をお祈りいたします。 合掌 2006年12月24日記
2006年12月24日
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旅立ちの歌 ●第33回 漫研改革の道第882回 2006年12月23日旅立ちの歌●第33回 漫研改革の道旅立ちの歌33 村上の話が終ると石井文男が立ち上がって挨拶をした。「みなさん、こんにちは。コムの石井です。 先ずは、今回の山形まんが展の成功おめでとうございます。 若い同人会のみなさんが、半年に二回もこれだけ大掛かりなまんが展を開くとは全国にも例のないことです。驚きです。 マンガを描いて批評しあう同人会から、同人会の新しい流れを感じざる得ません。今日ボクがこの総会にも参加することはみなさんにとっても、ボクたちコム、いやマンガ界にとっても歴史的な日になるような気がしてなりません。それだけみなさんのマンガに対する情熱はすばらしいものだと認識してもいいでしょう」 会場からは拍手が沸き起こった。 鈴木和博は自分が朝の挨拶で言ったことと、いま石井が述べたことが同じだったのには驚いた。何かが起こるかも……と予測した。「石井さん、ありがとうございました。 さて、身に余るお言葉をいただきました。これから提案する『ぐらこん山形支部』結成案について遠慮のない討議をしてもらい、ここにおられる石井編集長にぜひとも、ぐらこん山形の結成の認可をしてもらいたいと思います」 村上はそう言って、「ぐらこん山形支部結成案」を提案した。 各漫画研修会はぐらこん山形に結集し、酒田・山形・米沢の三地区を作る。各漫画研究会の実態を見ると会員人数は少ないので、各研究会を解散して地区活動に変更をする。 プロマンガを目指す者に対しては、コム編集部との提携によって指導にあたる。 マンガ家のアシスタントやアニメ界へ希望する者へも情報を提供し、相談に応じる。 マンガ同人会にとしては今後も肉筆回覧誌を中心に作品を発表する。また、コム紙上でも優秀な作品は掲載をしていくように働きかけをしていく。 山形まんが展やマンガ家たちとの交流会も年に一回は開催し、社会的にもマンガをアピールしていく。 二十人からはザワザワと声が起きた。 「質問、いいですか?」 と、酒田の男性が手を上げた。 「佐藤くん、どうぞ」 と、村上が指して言った。 小林は体を左右に揺すりながら立ち上がった。「あの……、いままでの漫画研究会は解散するのですか?」 村上はこう答えた。「そうなんだ。それぞれの漫研は会員数も少ない。ここが一つのチャンスだと思ったんです」「チャンスって、なんのチャンスですか?」「漫研がまとまることです」 村上は落ち着いて答えた。 酒田勢はお互いの顔を見た。「村上さん、それは酒田固有のことですね。私たちは戸惑います」 酒田の△△漫研の女性会員が言った。 村上が穏やかに丁寧に話を続けた。「事務局や機関誌がそれぞれあっても手間暇が掛かるだけでしょう。その分を一つにして、酒田地区は作品を描くことに集中してはどうだろう」 村上を除いた十名の酒田勢は困惑した顔をした。 しばらくの間だったが無言の時間が過ぎ、暑い空気が会場の雰囲気を一層重くした。 よしっ!と村上は手を打って再び話をした。「みんなこんな案ではどうだろうか。それはね。ぐらこん会員は個人加入にして、自分の所属する漫研についてはそのままでいいということにする」 それならいいです!と、男性から声があがり、酒田勢からは拍手が起こった。 たかはしよしひでが手を上げた。「あの、山形漫画研修会は解散してぐらこんにまとまります。だから基本的には個人加入です」 井上はじめも手を上げて発言した。「米沢漫画研究会も山形漫研と同じです」「ハイ!これで問題は解決したね。みなさんはぐらこん山形支部結成をコム編集部に要請をしてよろしいですか」 村上は会場の十九人に承認を求めた。 ※佐藤=仮名です。 2006年 8月18日 金曜 記 2006年 8月19日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第33回 漫研改革の道つづく 「旅立ちの歌」第34回にご期待下さい!!
2006年12月23日
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●青島、岸田の千夜一夜物語第881回 2006年12月21日青島、岸田の千夜一夜物語青島、岸田の千夜一夜物語 名優 岸田今日子さんとマルチタレント青島幸男さんの訃報が続きました。 このお二人はアニメ映画で声優として共演していました。 そのアニメとは虫プロダクション制作の「千夜一夜物語」。 このアニメは手塚治虫先生が監督され、1969年に大人を対象にした「アニメラマ」世界一長時間のアニメと話題を呼んだものです。 このアニメの主人公水売りアルディン(後のアラジン)を青島幸男さん、その恋人ミリアムとジャリスを岸田今日子さんが演じました。 ほとんど地のように感じる難しいことを簡単に考えて人生を運に任せる青島アルディンと、セクシーというより色っぽさ艶っぽさを見事に表現する岸田ジャリスにはドキドキして観ていました。 まさかこのお二人が同じ時期に亡くなられるとは偶然にしてもビックリしました。 バベルの塔が崩れて、アラジン王が水売りアルディンに戻るときのセリフが印象的です。「オレとしたことが小せい、小せい」 王様としての型にもはまらず退屈がっているアウディは青島幸男さんそのものだと感じたのが、東京都知事を一期で辞めたときでした。 天国でもお二人が手塚治虫先生と一緒に「千夜一夜物語」を制作するかもしれませんね。「オレとしたことが小せい、小せい」 と、青島さんの声が天国から聞こえるようです。 合掌 2006年12月21日記
2006年12月21日
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旅立ちの歌 ●第32回 COM編集長登場!第880回 2006年12月19日旅立ちの歌●第32回 COM編集長登場!旅立ちの歌32 虫プロ商事株式会社「COM」(こむ)編集長 石井文男はツバメタクシーに乗って現れた。 サングラスを掛けた石井は会場前で看板を見上げた。「山形まんが展……か」 半袖のワイシャツに夏ズボンの石井は都会人らしい雰囲気を漂わせた。 石井が階段を上がっていくと、すれ違いざまに高校生や中学生が下りてきた。それは数人の集団が三組だった。それだけで石井は「このまんが展は成功だな」と直感した。 三階の展示会場に着くと村上彰司が石井を迎えた。「いや~、暑いね~」 これが石井の第一声だった。「遠いところをありがとうございました」 村上が頭を下げた。「こんなに暑い所だとは思わなかったよ。ほらすごい汗でしょう」 と、石井はハンカチで顔と首、そして腕の汗を拭いた。それでも汗は止まらなかった。 村上は展示会場を案内して、石井を会員一人ひとりに紹介した。「こんにちは!」 と、井上はじめが挨拶をした。すると石井は親しそうに、「やあ、先日はどうも。たいへん立派なまんが展になってよかったね。入場者も満員でほんとうによかった」 と、労いの言葉を贈った。 井上は石井の言葉を受けて、光栄だと思う気持ちと、ここまでやれたのはたくさんの人の協同によるものだと、そのことを忘れないようにしようと、改めて自分の心に刻んだ。 村上はそろそろ二階で山形漫画予備軍総会を始めようと、井上とたかはしに言った。鈴木和博と宮崎賢治は先に二階のホールに行き総会準備をしていた。 総会中はまんが展の会場係などは、近藤重雄と小山絹代ら米沢中央高校生徒会役員と美術部のメンバーが行うことになっていた。マンガ同人の会員はゾロゾロと二階ホールに下りて行った。 二階ホールには、数人が一緒に座れる真四角の大きな椅子が数個あった。それを散らばらせて置いた。さらには三階から黒板を持ってきて、臨時の会議室とした。 総勢二十人が集まった。村上は司会と提案者を兼ねてこの総会の主旨を説明した。 「ボクたち山形漫画予備軍は、酒田を中心にたくさんのマンガ研究会によって結成しました。そして山形支部が山形漫画研究会によって組織され、米沢漫画研究会が協力団体としてこのまんが展を開催してくれました。事実上の米沢支部です。 ボクらが酒田でこの予備軍を発足させるにあたり、どうしてもコムのぐらこん支部を目指していきたいと考えたのでした。切磋琢磨してマンガ家を目指す、一つのステップにこのぐらこんが役立てばと考えたのです。プロにならなくても漫画研究会やマンガ同人会でもいいんです。マンガが好きな県民がここに結集することで、山形にマンガ文化を創ることも可能になるのです。そのためにも「ぐらこん山形支部」の結成を希望したんです」 みんなは無言で村上の話を聞いた。 2006年 8月17日 水曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第32回 COM編集長登場!つづく 「旅立ちの歌」第33回にご期待下さい!!
2006年12月19日
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復活「猫神家の一族」第879回 2006年12月16日●復活「猫神家の一族」復活「猫神家の一族」 今日12月16日は市川昆監督「犬神家の一族」の新作が封切られます。 私にとっては30年前の同監督、同名の作品が大好きで、それ以来市川監督の金田一シリーズは欠かさず観ていました。 ところがひょんなことからこの映画のパロディを思いつき、8ミリ映写を趣味にしていた戸田寿一さん(漫画集団ボボ)やたかはしよしひでさん(8ミリ集団かぶしきかいしゃ)からの勧めもあって8ミリ映画制作にのりだすのでした。 作品名は「猫神家の一族」です。私の脚本・監督によるものですが、なんといっても役者さんたちの熱演がすごいのには驚きました。 詳しくは下記のたかはしよしひでさんの紹介文をお読みください。 1978年(昭和53年)の思い出です。それにしても市川昆監督、石坂金田一の成功を祈り「犬神家の一族」のヒットを祈願しております。 東宝映画「犬神家の一族」のホームページhttp://www.inugamike.com/# 金田一さん!また事件です!おどろおどろしい猟奇連続殺人事件!漫画集団ボボと野球集団ガッツそしてかぶしきがいしゃ提携の異色作! 数百億という遺産を残し、猫神栄作が死んだ。 金田一耕助は、遺言状開封の立会人として、猫神家を訪れていた。 栄作の子どもは、長男角栄、次男武夫、三男正芳、末娘の奇子の4人。 だが、遺言状の内容は、全財産を奇子が相続するというものだった。 承伏できない三人の兄は、共謀して奇子から相続権を取り上げようと画策していた。 そんなとき、長男角栄が殺害された。 第一発見者は奇子で、現場には根津見取兵衛のパイプが落ちていた。 そして、第二の惨劇がおこった。 次男武夫が、焼殺死体で発見され、現場には再び根津見取兵衛の姿が目撃された。 等々力警部は、根津見取兵衛を犯人と断定して逮捕しようとするが、すでに行方をくらましていた。 そして、今度は奇子の殺害を企てた三男正芳が、逆さ吊りにされ、殺害されたのである。 金田一耕助は、この連続殺人が、猫神家に伝わる『電線音頭』の歌詞になぞらえていることに気がついた。 はたして、三人を殺害した犯人と、その動機は何なのか? 金田一耕助の推理が今日も冴える!! あの横溝先生が、「こいつらだけには映画化してほしくなかった!」と、言ったかどうかわからないが、出来ちゃったものは仕方がないのである。 『漫画集団ボボ』と『野球集団ガッツ』が1978年から2年の歳月をかけて撮影し、『かぶしきがいしゃ』がアフレコや、不足分の画像を追加撮影して1982年に完成させた異色パロディです。 金田一耕助には、桑原和吉(声・ただひろし「夢幻伝説」)。 ヒロイン奇子に、太田悦子(声・白田優子「NOVA」「夢幻伝説」)。 等々力警部に、小貫 茂(声・阿部 毅「NOVA」主人公志村少年)。 黒金弁護士に、渋谷勝満(声・伊武まさとし「夢幻伝説」)。 根津見取兵衛には、石川正利(声・篠原宏樹)。 そのほか、中野昭一(声・志田泰久「NOVA」「夢幻伝説」)、相良達郎(声・有間 秋)、佐々木賢一(声・三鳥 仁)、佐藤けさ子(声・菅原きえ)、渡辺俊弘(声・天野幹俊)、小関茂夫(声・井上 卓「NOVA」「夢幻伝説」)など、異色配役で、映画を熱く盛り上げております。 監督は、これが初作品とは思えない奇才、井上はじめ。 製作は、『漫画集団ボボ』から、根津見取兵衛役の石川正利。 『野球集団ガッツ』から、等々力警部を演した小貫 茂。 そして、『かぶしきがいしゃ』から、たかはしよしひでが参加しました。 脚本は、井上はじめ。 共同脚本に、イラストレーターの安藤悦子。 アフレコ脚色を、たかはしよしひでが担当しています。 撮影は、ベテランの戸田寿一と、渡辺幸一。 アフレコは『かぶしきがいしゃ』が担当し、『うぃずy』と、『山形大学漫画研究会』の協力を得て、完成しました。 さらに、2006年に、デジタルにて一部を再編集して身内版DVDとして完成しました。 (1982年劇場公開作品/上映時間54分) (2006年DVD版製作/上映時間50分) 「猫神家の一族」紹介のホームページをご覧あれ!http://www.asahi-net.or.jp/~km2h-ski/nekogamike.htm「猫神家の一族」紹介のホームページその2http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Ink/4832/kabu06.html
2006年12月16日
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旅立ちの歌 ●第31回 三日目の朝第878回 2006年12月15日旅立ちの歌●第31回 三日目の朝旅立ちの歌31 七月二十八日火曜日、「山形まんが展」三日目の朝を迎えた。 山形のたかはしよしひでとかんのまさひこは早朝の電車で米沢に着いた。二人はまんが展会場近くの「音羽屋旅館」を目指して歩いていた。 この日も朝から太陽がギラギラと照り付けて暑い朝だった。二人は汗だらけになって歩いた。「温海町の佐藤厚子さんが米沢に着いたと連絡をしてきたのが、夜九時過ぎだったかなあ」 と、たかはしよしひでが言った。かんのが、「オレは佐藤さんと会ったことがないげんど、歳はオレだちと同じ位だよなあ」 と、訊くと、たかはしは目を旅館の住所と目印を書いたメモを見ながら、「四月の酒田でやった『まんが展』で会ったげど、顔は忘れた」 と、言った。そして米沢郵便局のある十字路を北に曲がり、数十メートルを歩いて立ち止まった。「ここだ」 その旅館は二階建てで音羽屋旅館といい、見るからに由緒ある老舗の旅館だった。 佐藤厚子はたかはしたちを待つように、旅館の玄関先に靴を履いて座っていた。 二人を見つけると佐藤はそうっと静かに立ち上がり、照れながら聞えないような小さな声で佐藤ですと、挨拶をした。「やあ!おはようございま~す。たかはしでした!」「かんのでした!」 三人は並んで「山形まんが展」会場の米沢市民文化会館に向って歩いた。 「あ~暑い!この暑さはなんとかならないか~」 鈴木和博は声を荒げて言った。 展示会場を開けると、一昨日のように暑さと湿度がいたずらをして、展示原画を覆っている透明のビニールやセロハンがはがれていたからだ。 三日目になるとさすがに準備や対策も手際よく、米沢中央高校生徒会の有志たちは鈴木の指示がなくても自ら体を動かしていた。「今日は東京からコム(COM)編集長がいらっしゃるのでしょ?」 と、受付の戸津恵子が井上に言った。「石井文男さんね。緊張するなあ」 と、井上が答えた。「酒田からもくるんだ」 と、宮崎賢治が言った。「すごいねえ、この暑い中だから遠距離はたいへんね」 と、小山絹代が言った。「お昼過ぎには総会をするから、その時は小山さんたちに会場係をお願いします」 井上が言うと、「ハイ、ハイ、大丈夫だから心配しないで」 と、小山が笑顔で言った。 たかはし、かんの、佐藤がやってきたところで、三日目の朝礼が鈴木の進行で始まった。「みなさんのお陰で、まんが展も最終日を迎えることになりました。今日は虫プロ商事コム編集長の石井文男さんを迎えて、山形漫画予備軍総会を行います。この総会はこの山形のマンガ同人会の歴史にとって、そしてコムのぐらこんにとっても歴史的な日になるかもしれません。どうか最後まで気を引き締めていきましょう」 鈴木の雄弁さははいつもよりも磨きがかかっていた。 三日目も朝から中高校生が詰め掛けた。また、大人の姿もだいぶ見掛けるようになった。 しばらくすると酒田から漫研のメンバーだやってきた。男性が七名、女性が三名、佐藤厚子を入れて総勢十一名だった。ほとんどのメンバーは米沢を初めての訪れだった。こんなに遠くても同じ山形県なんだとビックリしていた。そしてどうして米沢はこんなに暑いのだ、と言うのだった。 展示会場ではそれぞれが挨拶を交わした。そしてみんなが原画に夢中になった。 女性らは矢代まさこの「ノアをさがして」と石森章太郎の「サイボーグ009」を熱心に観ていた。 また、酒田勢は米沢漫画研究会メンバーの作品を観るのは初めてだった。 安藤悦子らのイラストや青木文雄の作品に驚きながら、井上のマンガを観ては、「井上くんはもっと描き込めばうまくなるよ!」 と、励ましてくるのだった。「同じマンガ同人会だから初めて会った気がしない」 と、酒田の誰かが言った。 近藤重雄や小山にはどんなマンガを描いているのか?と質問する者もいた。二人は生徒会役員でこのまんが展を手伝っていることを話すのだった。質問した者は驚いて、感謝を述べるのだった。 山形から今田雄二もやってきた。*温海町(あつみまち)=現「鶴岡市温海」(つるおかし・あつみ)*ぐらこん=Grand Companion たくさんの仲間などの略称 マンガ予備校と位置付けられ「COM」の大きな目玉になる。峠あかね(マンガ家真崎守)氏の構想のもとに「COM」編集部が全国のマンガ愛好家の組織づくりをはかり、新人マンガ家の発掘及び育成をもくてきとしたものである。1.「コミックスクール」=マンガ投稿によるプロへの登竜門。審査にはやなせたかし、赤塚不二夫、石森章太郎、つのだじろう、ちばてつやらがいた。他にも河原淳のイラスト教室もあった。2.「ぐらこん支部だより」=全国にあるぐらこん支部の活動報告が掲載されている。3.「同人誌紹介・グループ紹介」=全国から寄せられたマンガ同人誌やマンガ研究会を紹介するコーナー。4.「ぐらんこんロビー」=コムと掲載作品の感想や意見が寄せられた。参考:石井文男・著「ぐらこん結成のこと」みのり書房アゲイン(1979年9月号 「COMの神話」第5回より 2006年 8月 7日 月曜 記 2006年 8月20日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第31回 三日目の朝つづく 「旅立ちの歌」第32回にご期待下さい!!
2006年12月15日
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旅立ちの歌 ●第30回 励まされ支えられ第877回 2006年12月13日旅立ちの歌●第30回 励まされ支えられ旅立ちの歌30 「山形まんが展」二日目は午前九時からの開場だった。この日も早くから米沢文化会館前で小学生が並んでいた。昨日も観たという中学生もきていた。 鈴木和博と宮崎賢治、それに戸津恵子が会場作りを始めていた。井上はじめは夕べ泊まった長井の青木文雄と一緒に、彼らよりも遅れて到着した。 展示会場の鍵を開けて、暑い空気を追い出した。戸津は受付のある窓を開けると、「今日はいい天気ね。夏雲があるわ。ほらね」 と、明るく言った。 青空と白い夏雲がスッキリしたコントラストを作り、さわやかな朝にしていた。「今日は酒田の村上彰司さんも、山形のたかはしよしひでさん、かんのまさひこさんもこないから、まったく米沢漫画研究会だけで(事に)あたらなければならないからよろしく」 と、鈴木がみんなに注意を促した。「ハ~イ」 と、七名の会員が元気に返事をした。 開場してしばらくすると、米沢市教育委員会の「鈴木さん」と「山ちゃん」こと山口昭がきた。山ちゃんは井上を発見すると気さくに声を掛けてきた。「おめでとさん!よくできているよ」 そう言って、井上にウインクをした。「ありがとうございます。昨日も満員でした。今日も朝からこのとおり(満員)です」「赤塚不二夫のトキワ荘とつのだじろうのトキワ荘、石森章太郎のトキワ荘って、みんなトキワ荘を描いているんだなあ?なんでだ?」 山口は腕を組んで、太い眉と大きな目をクリクリさせて訊いた。井上はいま一線で活躍しているマンガ家は手塚治虫に誘われるままに、東京椎名町のトキワ荘というアパートに住み、一流のプロマンガ家を目指して切磋琢磨した思い出を、連作でマンガにしたことを解説した。 多くの人が立ち止まるのは手塚治虫先生の「火の鳥」と石森章太郎の「サイボーグ009」だった。山ちゃんも鈴木さんもやはりこの場所で立ち止まるのだった。 当時の手塚治虫はマンガ界を越えた文化人としてのスーパースターだった。この年に手塚の「火の鳥」は講談社文化賞を受賞していた。そして「火の鳥・鳳凰編」は手塚の作品の中でもかなり注目を集めていた。見る者にとってはその手塚治虫の原画が、自分たちの目の前にあるとは意外であっただろう。 石森章太郎は「トキワ荘」の他に「サイボーグ009」を出展していた。ペン画タッチに描き込まれたペルーのピラミッドやアンコールワットなどの遺跡の絵の迫力は展示場を圧巻し盛り上げていた。「こりゃ、米沢市や教育委員会が共催してもいい企画だよネ」 と、鈴木が山ちゃんに言った。「ダメだ。役所は頭が固いから……それにしてもすごい作品ばかりだなあ」 中学の同級生の丹野文雄がやってきた。「井上くん、きたよ!」 あの人懐っこい笑顔を浮べて丹野は井上に挨拶した。「丹野くん~きてくれたんだ。うれしいなあ」 少しオーバーかと思われるかもしれないが、井上は素直に喜びを丹野に表した。 丹野は井上の中学時代の親友の一人だった。 井上が本格的にマンガを描こうとしたときも、丹野は姉が勤める相田文具堂に井上を連れて行き、マンガを描く道具を選んでくれたほどだった。 丹野は米沢工業高校に進学したからも時々会ってはいたが、一年生の秋からは疎遠になっていたのだった。「しばらく会わないうちに背が伸びたんじゃないか?」 と、丹野が井上を見て言った。「背伸びしたのはこのまんが展だ」 と、井上が言うと丹野はやさしく笑いながら、「おめでとう……井上くんなら(何か)やると思っていたよ」 と、言った。 大塚けんいちこと青木健一がやってきた。 この日井上たちは初めて青木と会った。青木は米沢商業高校二年生だった。黙って自分の作品の前で鑑賞し、後の会場全体を見て回っていた。 口数は少ないが、眉と眼がスッキリとした好感の持てる人だと井上は思った。 「はじめくん!」 小学校時代の恩師の河村よし子が井上に声を掛けた。「三中の生徒はきたがい(きましたか)?」「昨日、沢山きてくれました」 井上が答えると、ああよかったと言い、河村は安堵した表情をした。そして井上を手招きして受付のはじに誘った。 戸津がパイプ椅子に座るように場所を設けてくれた。 河村は座ると、すぐに井上の顔を仰ぐようにして上半身を前に出して話始めた。「はじめくん、気分悪くしないでなあ。このまんが展のポスターを校内に貼るかどうかをめぐってたいへんだったんだ」 その瞬間に、あの無愛想に対応した第三中学校の教師の顔が浮かんだ。「はじめくんが、あしたのジョーの描いてあるこのまんが展のポスターを持ってきたろう?それが職員室のゴミ箱に捨てられてあるのを他の先生が見つけたのよ。そしたら○○先生が捨てたって言うから、私はその先生にどうして捨てたのか訊いたのよ」 河村はこのまんが展を企画したのは自分の教え子であること、マンガ文化を地域で作っていこうとするメンバーでマンガ同人会を組織していること、手塚治虫先生というすばらしい指導者の下でその活動を展開していることを述べたという。 しかし、○○先生には話が通じなく、「たかがマンガじゃないか」と発言をしたので、河村はその考えはマンガに対して偏見であり、時代認識から遅れているのではないかと指摘したという。 職員室でワイワイ話していたが、埒(らち)が明かないでいた。すると校長が間に入ってきたという。校長は、「それは河村先生の言うとおりだから、ポスターはできるだけ目立つ所に貼って上げなさい」 と、いうことになったという。「それで昨日は、朝からあんなにたくさんの三中の生徒が見にきてくれたんだ」 井上はポツンと言った。「ああ、いがったなあ(よかった)少しは私も役に立った」 河村は再び安堵し、「はじめくん、あらためてまんが展成功おめでとう!!」 と言った。そして、「はじめくん、まんが展が終ったら、この原画を私の家に持ってきなさい」 と、言った。井上が不思議な顔をしていると、「主人がカメラの接写レンズを持っているから、原画を写真に撮って上げるから」 そう言うと、汗を拭いて会場に入って行った。 2006年 8月 6日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第30回 励まされ支えられつづく 「旅立ちの歌」第31回にご期待下さい!!
2006年12月13日
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旅立ちの歌 ●第29回 時代を感じる第876回 2006年12月9日旅立ちの歌●第29回 時代を感じる旅立ちの歌29 夜になっても暑さは変らなかった。 井上と青木は二階のでんごしに腰を下ろし、夜空を見ていた。傍の蚊取り線香の煙がゆっくりと二人の体を包んでいた。 青木はボブディランやビートルズ、ローリングストーンズなどの音楽が好きだと言った。井上はビートルズ以外は、それがどんな音楽かもわからない。小説や諭評についても高橋和己や埴谷雄高(はにや ゆたか)、吉本隆明などの著書を読んでおり、その教養と社会を見る眼は高校二年生とは思えないものがあった。 青木は上目使いをして話するから、照れ屋で大人しい性格だと思っていた。しかし、井上の印象とは違い、思想や政治に深く関心があり、社会性が強い人であることがわかった。 「アメリカの傀儡国家ニッポンをどう思う?」と、青木が井上に感想を求めた。「カイライって、何だあ?」「つまりアメリカから操られている国です」 井上はこのまんが展に展示してある青木の作品「破滅の時」と「拷門に耐へる歌」を思い出した。 アメリカ大統領ニクソンが日本首相佐藤栄作を操って、ベトナム戦争で多くの人間を殺している内容だった。なるほど、青木のマンガは、日本の高度経済成長はアメリカの仕掛けているベトナム戦争によるものであり、独立国としての自由な国日本が幻想であることを痛切に批判していることがわかった。 大阪万国博で日本中がお祭り騒ぎをしているこの間も、ベトナムでは多くのいのちが失われていることを青木は淡々と述べた。 「青木くんって、すごいね」 同じ高校二年生でも自分とは質が違う。井上は純粋に感心した。 そういえば手塚治虫先生が井上にくれたハガキには「マンガばかり読んでてはダメです。勉強をしっかりしなさい」書かれてあった。青木のように深い教養と思想、そして社会を見る眼を持つことを知らされた。 二階は井上の部屋で八畳二間だった。西側の奥の部屋に布団を二つ敷いて早々と床に就いた。 青木はなかなか眠れないようだった。「井上くんはマンガ家を目指すの?」 と、井上に訊いた。「そんなこと考えたことない」 と、井上が答えた。「それじゃ、なんでマンガを描いているんだ」「なんでだろうなあ。言いたいことや知らせたいことがあるからかなあ」「メッセージだね」「えっ、なに、メッセージって?」「井上くんの言いたいことや知らせたいことだよ。私もそのために描いている」 井上は「一九七〇年がやってきた!」と感じるのだった。 翌七月二十七日月曜になった。井上と青木は午前五時半には目を覚ましていた。午前六時になると二人は散歩に行った。 井上の自宅の路地を出ると大きな道路を工事中だった。その道路は丁度井上の家の近くから始まって、延々と数キロに渡って南北へと作られていた。そしてその道路の末端には新しい米沢市役所が建設中だった。 二人はこの建設中の市役所を目指して、この工事中の大きな道路を北に向って歩き出した。 朝の澄んだ空気は、涼しく、そして周り一面が田んぼの中に一筋の道が伐られていた。その中を井上は青木とゆったりと歩いた。田んぼや植物の香りがプーンと二人を包んだ。 「青木くんはマンガ家になりだいが?」 と、井上が夕べのお返しのように青木に質問をした。「ん~ そうだなあ、私はマンガ家になるとかではなく、マンガという媒体に関わっていたい。それが希望かなあ」「マンガがばい菌かい?」「……」「じゃあ、進路はどうする?」「長井高校は進学校なので本当は大学を目指すんだけど、私はまだ決めていない」 長い長い道路を歩いて行くと、あちこちに工事用の半場が建っていた。この工事は米沢にとっても、住民生活にとっても、大転換することが予想される大きな都市計画だった。「青木くんと話しをしたら七〇年だなあと思った」 と、井上が言うと、「なんだい七〇年って?」 と、青木は訊き返した。「うん、一九七〇年って時代を感じるってこと」「オレたちなんかに、まんが展なんてよくできたよなあ。いまでも夢のようだ」 と、井上が言った。「すごいよね。手塚治虫、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、それに私の好きな宮谷一彦の原画がナマで見られるなんて、本当に夢だよ」 いつの間にか二人は建設中の市役所前に着いた。市役所は七階建てだった。二人は頭を建物の頂上まで上げてみた。その大きさには圧倒された。 何かが動いている。何かが騒いでいる。地の中からエネルギーが湧いてきている。宇宙からもエネルギーが降り注がれている。そしてそれらのエネルギーがぼくらを大きくしている。井上はそんな気がしてきた。そのエネルギーがこの一九七〇年の時代がもたらすものかもしれないと思うのだった。 2006年 8月 5日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第29回 時代を感じるつづく 「旅立ちの歌」第30回にご期待下さい!!
2006年12月09日
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旅立ちの歌 ●第28回 長井の青木くん第875回 2006年12月7日旅立ちの歌●第28回 長井の青木くん旅立ちの歌28 第一日目が閉場になる午後5時になっても、会場は熱心なマンガファンでいっぱいだった。 鈴木和博と戸津恵子は観客一人ひとりに声を掛けて、時間であることを伝えた。 関係者だけになることを見届けると、たかはしよしひでとかんのまさひこは駅に向かった。酒田からきていた村上も、明日は来れないが、明後日は酒田からマンガ同人の仲間を連れてくるからと言って帰って行った。 米沢近郊の仲間だけになると、鈴木は今日は解散しますと言い、みんなで拍手をして会場を後にした。 展示室の鍵を閉めた井上はじめは、青木文雄が長井からわざわざきてくれたことを思い出した。 階段を下りながら、井上は青木に後ろから声を掛けた。「何時の電車でかえんな?」「これからだと五時……うんと……」 井上は青木を自宅に誘うことにした。「青木くん、よかったら今晩はオレの家に泊まったらどうだい」「うん、そうさせてもうらうかなあ」 午後五時を過ぎてもまだ空は明るかった。暑い街を二人は歩いた。 井上は自宅に着くと、青木を泊めることを祖母ふみに伝えた。ふみは青木の自宅が長井市のどこなのかを訊ねた。「寺泉です」「なに~寺泉があ。だったら泊まっていった方がいい。そがな(そんなに)遠いどこだったら明日も泊まれ」 と、言って、青木の自宅に電話があるかを訊いた。青木があると答えると、早速、今日と明日は泊まると、家の人に伝えるように言った。 青木が電話を掛けているうちに、ふみは冷えたスイカを持ってきた。 井上と青木は、手紙のやり取りと集会で数回会った程度で、ゆっくりと話をしたことはなかった。スイカを食べながらお互いの家庭のことや、なぜ、いまの高校に入ったのかを話した。 そうこうしているうちに風呂が沸いたから入るようにふみは青木に言った。 青木はカバンからまだ珍しいTシャツというものを出した。着替えを持参していた。「最初から泊まる気でいだなが(いたのか)?」 と、井上が訊くと、青木は 「私の家は長井駅から遠いので、もし疲れたら米沢駅前の旅館にでも泊まろうかと思っていた。着替えは二日分用意してきた」 と、言った。 青木は自身のことを「私」と呼んでいた。 青木が風呂に入っている間に、ふみは井上にまんが展の初日のことを訊いてきた。 井上は訊かれるままに、たくさんの人が見にきてくれたこと、暑い会場でのアクシデントや大雨のことを目を輝かせて報告した。 ふみは「うんうん……いがったなぁ(よかったなあ)」と目を細めて井上の話に相槌を打った。 しかし、井上は最後まであの中学生の万引き行為だけは言えなかった。自分の勘違いであると信じたかったからだ。 夕食は祖父の長吉も一緒だった。長吉とふみは冷蔵庫で冷やしたキリンビールを仲良く飲んだ。おかずは豚肉の生姜焼きだった。「遠慮しないでいっぱい食えよ」 と、長吉が青木に言った。長吉は元々が長井出身だったから、初めて会ったのには珍しく青木に親切に声を掛けた。 ふみはなぜか青木が寺泉であることにこだわっているようだった。話を訊くのも寺泉の近くの西根という地区のことに関してだった。 ふみが青木に話し掛けると、祖父はそれをさえぎるように、青木に別な話題を持ち込もうとする。井上は祖母がどうして西根のことばかり訊き、それから話題をはぐらかそうとする祖父に対しても変だなあと思いながら、三人の話のやり取りを聞いていた。 ふみのビールを飲むピッチが次第に早くなっていった。 2006年 8月 5日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第28回 長井の青木くんつづく 「旅立ちの歌」第29回にご期待下さい!!
2006年12月07日
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旅立ちの歌 ●第27回 才女現る!第874回 2006年12月2日旅立ちの歌●第27回 才女現る!旅立ちの歌27 午後三時近くになると、空の曇りはますます黒くなり、会場でも暗くなり蛍光灯を点けるほどだった。冷房のない会場では、曇り空に併せて気温と湿度が上がっていった。満員の会場は蒸し風呂状態になっていた。 暑さと湿度のために展示原画を覆っている透明のビニールやセロハンが次々とはがれてきた。 たかはしと青木、宮崎が鈴木和博の指示で、もう一度ガムテープを屈指して張り直した。しかし、暑さと湿度にはかなわない。あちこちで何回もビニールがはがれるのだった。「ちくしょう!」 鈴木が嘆いた瞬間だった。 バリバリバリーッという音と一緒に外から大きい光が窓から入ってきた。そしてドーッという音が会場を襲った。雷だった。雷が合図になったように大雨が降ってきた。「バカヤローッ」 鈴木が叫んだが、大粒の雨の音にその声は消された。 2006年 3月23日 木曜 記 雨と雷は三十分位で止んだ。 雨が降ったお陰で湿度が低くなり、ムンムンしていた展示場が少しだけすごし易くなった。雨が止んだ機会をみて、今まで居た鑑賞者は一斉に帰り、また、新たな鑑賞者が入場してきた。夕方になっても人が途絶えることはなかった。 受付の戸津恵子が会場の井上に声を掛けた。「女子高のあんどうえつこ?さんがおみえですよ」 早速、受付に行くと、真っ黒い髪を後ろに束ね、小麦色した肌の少女の顔が目に飛び込んできた。その少女は体格はヒョロヒョロして、痩ている戸津恵子よりも、もっと痩せ見えた。小麦色の肌が健康を現し、白いブラウスをいっそう白く見せていた。「あの中山先輩にお願いして米沢漫画研究会に入会した安藤悦子です。」 と、言ってピョコンと頭を下げた。ハスキーな低い声だった。「井上はじめです。すばらしい作品だと感心していました。さあ、安藤さんの作品も中に展示してあるから見て下さい」 安藤の作品は展示会場の後ろの方だった。案内すると安藤は自分の作品を大きく目を開いて見た。井上は村上彰司やたかはしよしひで、かんのまさひこ、青木文雄らを呼んで安藤を紹介した。みんなは彼女の描くマンガから想像して、もっと少女っぽく、ぽっちゃりした小さい娘を想像していた。それだけに安藤の人物像は意外だった。 井上とたかはしが安藤を案内した。安藤は一枚一枚、プロのマンガ家の原稿を瞬きもしないで見ている。そして質問をしてくるのだが、その質問は理屈っぽく井上やたかはしではなかなか的確に答えることができなかった。見かねた青木文雄が代わって質問に答えるのだった。 「安藤悦子って、マンガを描くより小説でも書いているようなタイプだなあ」 と、井上はポツンと言った。 その言葉が村上に聞えた。村上は、「酒田なんか会員は女の子が多いから大変だよ。いつもむずかしいことばかり話している」 と、言った。「オレは理屈は苦手なんで……」 と、井上は言った。 いつの間にか会場には井上の祖父長吉がきていた。「はじめくん。立派な展覧会になっていがった(よかった)なあ。人もいっぱい入っているし、先ずは成功だな。みんなさ感謝しろよ」 うん、とだけ井上は言った。いつも無口であまり話さない長吉だった。しかし、長吉自身も昔は興行も手掛けていたので、プロからみれば孫たちの企画は無謀にさえ見えたのかもしれない。 祖父は村上やたかはしら、一人ひとりに労いの言葉と感謝を述べていた。井上は遠くからその姿を黙って見ていた。大柄で猫背の祖父が小さくなって見えた。 井上は祖父からの「みんなさ感謝しろよ」という言葉がいつまでも心に残った。 2006年 7月31日 月曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第27回 才女現る!つづく 「旅立ちの歌」第28回にご期待下さい!!
2006年12月02日
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旅立ちの歌 ●第26回 漫画研究会に捧げる詩第873回 2006年11月28日旅立ちの歌●第26回 漫画研究会に捧げる詩旅立ちの歌26 まんが展のコーナーの中で意外に人気だったのが立ち読みコーナーだった。 村上彰司が持参した三百冊のマンガ単行本を会場にズラリ並べた。それを自由に読むことができるのだ。入場者は休憩を兼ねて好きなマンガを読んでいた。 懐かしい昭和二十年、三十年代のマンガ雑誌や単行本を展示した。「月光仮面」、「ビリーパック」、「赤胴鈴之助」などは大人に人気があった。懐かしい、懐かしいと声があがった。 一人の中学生の少年が急ぎ足で会場を出た。受付に居た井上と少年の目が合った。その瞬間、少年は白い学生ワイシャツの腹の辺りを押さえて階段を急いで下りた。 やられた!と井上が叫んだ。すぐにマンガの描き方のコーナーに走った。ない、なくなっていた。展示の本が一冊なくなっていた。 井上の血相に気付いて、鈴木和博がきた。「やられた。ひばり書房の『劇画マンガの描き方』がなくなっている。きっとあの少年だ」「追いかけよう!」 と、鈴木が言った。「いや、もう間に合わないから止めよう」 と、井上は鈴木を止めた。間に合ったとしても少年をとがめることはしたくなかった。 井上はとても残念だった。山形まんが展に集まった少年少女は盗みなんてしない、きれいな心であってほしいと信じたかったからだ。あの本は井上の本だったから、ほしかったらプレゼントしていてもよかった……そう思うとますます残念でしょうがなかった。2006年 7月29日 土曜 記 お昼を過ぎると天気が少し曇ってきた。「はじめくん!」 受付に立って話をしていた井上に、後ろから聞き覚えのある声が井上の名前を親しそうに呼んだ。 井上が振り向くとその声は中学時代の同級生の中山美智江だった。「きてくれたのか」 と、井上はボソッと言った。「うん、学校に行ってたんだけど、予定より早く用事が終ったからきてみた」 美智江は自分の通う九里学園米沢女子高等学校でまんが展の広報を一気に引き受けてくれた。そしてこれがきっかけになり、中山の一年後輩の安藤悦子というすごい同人が現れたのだった。「詩をありがとうな。ほらこうして生徒手帳に入れてあるよ」 井上は美智江が今回のまんが展を応援すべく、米沢漫画研究会に宛てた詩を書いて井上に渡していたのだった。『若者よ この青春を力いっぱい過ごすことそれがあなたたちにあたえられた使命です。 大地に立つ 若者は立つこの広い大地に立つ心は赤々と燃える命の火をたき目はしっかりと未来を見人々の汗と涙の大地に立つはじめくん、漫画研究会に捧げる詩です。それからまんが展は放送部に頼んでPRをしています。当日は予定が入っていて、開催時間にはいけないかもしれません。ごめん、ゆるせ!』「はじめくん、恥ずかしいからこんなの他の人に見せるんじゃないぞ!」「だって、漫画研究会に捧げる詩って書いてある」「いいから、命令だぞ!!わかった?」「…………」 よし、と言って美智江は会場に入った。 2006年 3月23日 木曜 記 美智江はプロのマンガ家の作品よりも、井上らのマンガ同人の作品を見ていた。 井上が学校新聞に発表している四コママンガ「ああ学園」、短編マンガで四日市公害問題をテーマにした「灰色の青春」を熱心に見ていた。「はじめくん、だいぶ腕を上げたじゃない。絵は本当に上手になったわ」「うん、お笑止な(ありがとう)。でも、みんなにはペンタッチが雑だとか、書き込んでいないとか言われているんだ」「なに?そのペンタッチが雑って?」「ペンの使い方だよ。ほらこの灰色の青春のこのコマを見てご覧。こう丸い円の所ではカブラペンといって……」 井上が自分のマンガの技巧を説明した。美智江はそれを説明されても何のことだかわからなかった。でも、井上が一生懸命に自分に説明している姿がとても微笑ましく、「はじめくん!話ができるんだ」 と、言った。 エッと言って、井上は美智江の顔を振り返って見た。「美智江ちゃんそれってどういうこと?」 井上は不信そうに美智江に訊いた。「だってはじめくんは、いつも私がなにを訊いても、なにを話しても、ウンウンとうなずくだけだもの。マンガのことだとこんなに話せるんだと感心したの」 美智江はウフフ……と笑って、自分が井上に紹介した安藤悦子のイラストに場所を移っていった。「この娘(こ)は本当に絵は上手いわね。高校一年生だなんてウソのようだわ」 美智江は両腕を組んでそう言った。「初めてこの絵を見たときにはビックリしたよ。このまんが展を盛り上げてくれた作品だね。美智江ちゃん、ありがとう」 美智江はパネルに添ってゆっくりと移動していった。 美智江は展示作品のひとつをジッと見た。そして、「なによこれは~!?はじめくん、ちょっときなさい!!!」 会場中に聞えそうな大声で美智江は井上を呼んだ。「少し離れていただけなのに、そんなに大きな声で呼ぶなよ」 井上は迷惑そうに言った。「これ私の詩じゃないの~。この字ははじめくんのでしょ!?」漫画研究会に捧げる詩BY 中山美智江若者よ この青春を力いっぱい過ごすことそれがあなたたちにあたえられた使命です。 大地に立つ 若者は立つこの広い大地に立つ心は赤々と燃える命の火をたき目はしっかりと未来を見人々の汗と涙の大地に立つ「いい詩だ。今のオレたちにピッタリの詩だ」 井上が言った。「私ははじめくんたちに書いた詩なのよ。こうして展示するなんて聞いていないわ」「迷惑を掛けた?」「そういう問題じゃないでしょ!」「美智江ちゃんの詩は立派な作品だ。この詩は、オレたちのこのまんが展を開くまでの苦労を描いてくれている。記念すべき詩だ。だからオレは自分の字で書いてここに展示した!」 井上の情熱的な言葉に押されたように美智江は黙ってうなずいた。「はじめくん、生意気になったね」 と言って美智江は微笑んだ。 2006年 8月12日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第26回 漫画研究会に捧げる詩つづく 「旅立ちの歌」第27回にご期待下さい!!
2006年11月29日
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旅立ちの歌 ●第25回 まんが展いよいよ開幕第872回 2006年11月25日旅立ちの歌●第25回 まんが展いよいよ開幕旅立ちの歌25 村上彰司が酒田から軽自動車で運んできた単行本は約三百冊だった。 米沢市民文化会館前に村上の愛車ホンダN三六〇が駐車してあった。この小さなクルマの中に大きなダンボール箱が五個積まれてあった。たかはしらはそれをリレーのように降ろした。重いダンボール箱を会場に運んで居ると、後ろから数十名の中学生集団が階段を走るように上がってきた。 「まだ、入れねえが?」 一人の中学生が受付の戸津恵子に訊いた。「もう、少しよ。待っててね」 と、戸津がやさしく応えた。しかし、受付から階段まで数メートルしかない状態なので、多くの中学生は階段に立って待つことになった。「きみたちはどこの中学校なの?」 戸津がなまりのないきれいな言葉で訊いた。「ぼくたちは第三中学校だあ」 ダンボール箱に入った単行本を運ぶ近藤重雄の足が止まった。「三中の生徒が来てくれた」 近藤は段ボール箱を持ちながら中学生に質問をした。「なんで、このまんが展を知ったなよ?」「学校さ貼ってあったポスター見だんだ」 と、中学生が答えた。 貼ってくれたんだ……近藤の顔が笑顔になった。 各中学校にまんが展のポスター掲示を依頼に行くと、マンガをバカにしたように相手にしてくれなかった教師が一人だけいた。それが第三中学校の教師だった。名前もわからない無愛想な教師だったが、近藤のお願いをきいてくれたことがとてもうれしかった。「もう少し待ってでな!すぐに始まっからな」 近藤は大きな声で中学生たちに言った。「それではこれより第二回山形まんが展の開会式を行います。エヘン、それでは今回の主催者を代表して山形漫画予備軍会長の村上彰司さんからご挨拶をお願いします」 少し大人ぶって気取った鈴木和博の司会で開会式が始まった。 村上は額の汗をハンカチで拭きながら、一歩前に出た。みんなは緊張した表情で村上の顔を見た。 「みなさん、ご苦労様です。酒田の村上です。今日はぼくだけ社会人かな(笑)」ぼくたちは半分だけ社会人ですと、たかはしよしひでとかんのまさひこが声をはさんだ。小さな笑いが起きて、これを機会にみんなの表情と雰囲気が少し柔らかくなった。「よくここまで準備をしてくれました。米沢漫画研究会のみなさん、米沢中央高校生徒会と美術部のみなさんに感謝します。ありがとう!!」 そう言って村上は自ら拍手をした。 パチパチ……パチパチパチ、パチパチパチパチ、パチパチパチパチパチパチと拍手の数が多くなっていった。その拍手の音が展示会場の外まで聞えてきた。受付の戸津がそれを微笑みながら聞いた。 開場は午前十時を少し過ぎた。 中学生がなだれ込むように会場に入ってきた。近藤は井上に、この中学生は第一中と第三中の生徒であることを伝えた。第一中の生徒の多くは美術部に所属していた。そう、美術部顧問の今泉先生がまんが展を見て研究することを推薦してくれたのだ。当人の今泉先生も生徒より遅れてやってきた。生徒も教師も熱心に原画を一枚一枚見ていた。 午前中には圧倒的に中学生の鑑賞が多かった。ポスター掲示の効果が間違いなくあった。 十一時近くになると米沢漫画研究会の会長で米沢中央高校美術部顧問の土肥昭がきた。「ご苦労様、ご苦労様、おっ、はずめ(はじめ)!わいなあ(悪いな)おそぐなって遅ぐなってなあ} 土肥は村上やたかはしに敬意を表してから、会場の原画を丁寧に見て歩いた。 山形市から米沢中央高校に勤務している教師で会員の長南幸男もやってきた。 会場はすでに満員になって行った。展示パネルの間を人と人がぶつかり合いながら交差していた。2006年 7月29日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第25回 まんが展いよいよ開幕つづく 「旅立ちの歌」第26回にご期待下さい!!
2006年11月25日
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旅立ちの歌 ●第24回 キュウリに味噌第871回 2006年11月21日旅立ちの歌●第24回 キュウリに味噌旅立ちの歌24 七月二十六日、日曜日、いよいよ「第二回山形まんが展」の開幕日を迎えた。この日も朝から暑く、湿度も高く、ジメジメしてちょっと動くだけで汗が流れてくるのだった。 井上はじめは緊張して朝食をとった。いつもなら一人の朝食だが、この日は祖父の長吉と祖母のふみも一緒に食事をした。三人は黙って食事をしていた。みんながまんが展が心配で緊張していた。 採りたてのキュウリが大きく切られ皿に盛り付けられた。傍には味噌が山盛りになっていた。それからネギなしの納豆と鮭の切り身、熱い味噌汁が出された。井上は炊きたてのご飯を山盛り二杯食べた。 祖父の長吉がキュウリに味噌をいっぱい付けてうまそうに食べた。「おじいちゃん、やんだごと(嫌だね)。そんなに味噌を付けたらしょっぱくて血圧が上がっからねえ」 と、祖母のふみが呆れ顔で言った。「もぎたてはうまいなあ。なあ?はじめ~」 と、長吉はふみの話をおちょくるように井上に同意を求めた。「うん、うまいなあ。おじいちゃん」 と、答えた。 長吉はうれしそうにはじめを見た。「いよいよまんが展は今日からだなあ……いっぱい人が入るといいなあ」 長吉が言った。その瞬間、ふみは目を卓袱台に目をおとした。井上も口を止め、目を閉じた。そして、心の中でこう言った。「ありがとう、おじいちゃん……」 朝の陽射しが茶の間の畳を白く光らせていた。 午前九時には米沢市民文化会館前にみんなは集合していた。山形のたかはしよしひで(中山町長崎)、かんのまさひこ(寒河江市)、青木文雄(長井市)は朝早くから電車でやってきていた。生徒会副会長の近藤重雄、役員の小山絹代も居ても立ってもいられなく会場にきていた。 三階の展示会場に入ると、温度はいっそう暑かった。「あっ、なんだこれは~?」 と、鈴木和博と青木文雄が声を上げた。 会場のあちこちで展示物を覆っていた透明のビニールがはがれていた。 暑さの仕業だった。みんながガムテープを持ってビニールを貼り直していった。しかし、場所によっては直してもアッという間にはがれてくるのだった。「こりゃあ、苦労するなあ。宮崎も青木くんも会場係として配慮してあたってくだいな(ください)」 鈴木はみんなにも同じことを言いながら、開幕の時間までできるだけ完璧に会場作りに心掛けた。 三階の展示室に山形漫画予備軍会長村上彰司が現れたのは、会場間際の午前九時四十五分過ぎだった。汗を顔中にダラダラと垂らして階段を昇ってきた。「やあ、みなさん、こんにちは。米沢って暑いねえ」 村上はやさしい笑顔で受付にいた戸津恵子とかんのまさひこに挨拶をした。 かんのまさひこは、会場の中にいる井上はじめを呼びにきた。「い・の・う・え・くん。酒田から村上センセイ(先生)がみえられだぞぉ!」 井上はすぐに受付に行った。 村上はハンカチで汗を拭いていた。「村上さん……」 井上はそこまで言うと言葉にならなかった。 村上の汗だくの顔を見たら急に胸が熱くなり、まんが展をめぐる今までの思い出が、背中から覆って肩越しに流れ落ちてくような感じがした。 「井上くん、よくここまで準備したノ。ありがとう。たいへんだったね」 村上は井上の胸の内を察するように、やさしい笑顔で労いの言葉を掛けた。 井上はその村上のおもいやりがとてもうれしかった。 村上さん、ここまでようやくたどり着きましたと、いう言葉が喉まで出ていたが、そのことを言うと涙が流れそうなので黙ってしまった。 みんなのおもいも井上と同じだった。 戸津恵子は井上の傍で目を潤ませた。かんのとたかはしよしひでが目をパチパチさせて無言で立っていた。その周りを宮崎賢治、鈴木和博らが数名が囲んでいた。誰もが目を潤ませていた。 沈黙がしばらく続いた。「さあ、ぼくのクルマから単行本を運ぶの手伝ってくれるか」 村上がそういうと、井上と鈴木らが元気よくハイと返事をした。それを合図のように、井上や近藤、青木ら数人が早足で三階から階段を下りて行った。「かんのセンセイ!おれたちマンガ同人会をしていてよかったネ」 と、たかはしよしひでが言った。「なんだか、友情マンガっていうか、水島新司の日の丸文庫の世界だなあ」 と、かんのが言った。2006年 7月24日 月曜 記2006年 7月25日 日曜 記2006年 7月29日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第24回 キュウリに味噌つづく 「旅立ちの歌」第25回にご期待下さい!!
2006年11月21日
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旅立ちの歌 ●第23回 ファンタスティック!?第870回 2006年11月18日旅立ちの歌●第23回 ファンタスティック!?旅立ちの歌23 鈴木和博と田中富行の指示で展示会場は着々とまんが展らしい会場へと完成していった。 展示パネルに薄茶色の大判用紙を貼り付ける。それにマンガの原稿を一枚ずつ四つ角を挟んでいった。大判用紙には複数の原稿を張り出す。それが終ると汚れが付かないように大きな透明ビニールを被せる。「とにかくプロの原画は一枚しかないので慎重に扱ってくださ~い」 と、鈴木和博は時々大きな声でみんなに呼び掛けた。その都度、は~いと会場から声が上がった。 会場が半分ぐらい出来上がったころに教育委員会の鈴木がやってきた。「どうだい、何か不自由なことはないかな?そうだね、この暑さはどうしようもないもんネ。窓を開ければ展示品が飛ぶといけないしなあ」 と、井上はじめに言った。当時はクーラーは大きな喫茶店しかなかった時代だった。鈴木は会場を見渡しながら、「なかなかきみたちやるじゃないか!すごい企画だねえ。マンガ家たちもすごいね。みんな売れっ子ばかりじゃないか。きみたち本当に高校生かい?」 と、両腕を抱えるポーズをして、ニヒルな笑顔を作った。 しばらくすると井上の祖父・長吉が現れた。 長吉はとても体格がよく太っていた。はげた頭を隠すように、いつもハンチング帽を被り、吊バンドのズボンを穿いていた。「はじめくん、準備はどうだ?」 祖父は孫に対して「くん」付けをして呼ぶのだった。はじめは祖父を「おじいちゃん」と呼んでいた。「おじいちゃん、みんなよく働いてくれるから思った以上にすばらしい展示になりそうだ」「それならいいが……。邪魔すると悪いから帰るからな」 祖父は今までどんな会合や展覧会があっても顔を出すことはなかった。それは祖母のふみも同じだった。それがわざわざ来てくれたのには、祖父にとっても並々ならぬことだと井上は思った。 井上は三階の展示室の窓から外を見た。太った祖父が自転車をゆっくり走らせて行く後姿が見えた。井上の心はジーンとなって熱いものが込み上げてくるのだった。「どうしたの、井上くん?」 後ろから戸津恵子が声を掛けた。ビックリして井上は振り向いた。「せ、先輩!」「ほら、買ってきたわ。ファンタスティック!?」 体が細い戸津は、重そうにスーパーの紙袋を抱えて立っていた。 井上は、いまの神妙な顔が戸津に見られたのではないかと心配になり、顔が真っ赤になった。「ビックリするじゃないの。何を驚いているの?私はオバケではありませんからね」 展示室の外に集まって、冷えたファンタをみんなで飲んだ。パイプ椅子に腰掛けてワイシャツを仰ぐ者、タオルを濡らして顔や腕を拭く者、汗を床に滴り落す者、みんな汗だくだったが、顔の表情は誰しもが明るかった。 小山絹代と戸津恵子の二人はみんなに労いの言葉を掛けていた。そして小山は一人で運動服を叩きながら展示された作品を見て歩いた。その後を近藤重雄が続いた。 小山と近藤はいつも目立たないところで井上を支えていた。 このまんが展も準備から今日までなんとか成功するように、生徒会役員たちを動かして万全の体制を敷いてくれたのだった。 小山と近藤はお互いに顔を見合わせて、「ヤッタネ」と心で呼び掛けあった。「さあ、終ったぞ~!!」 鈴木の声が会場いっぱいに響いた。「後は明日に酒田の村上さんが単行本三百冊を持ってきてもらえばいいんだなあ」 と、宮崎が言った。 2006年 7月23日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第23回 ファンタスティック!?つづく 「旅立ちの歌」第24回にご期待下さい!!
2006年11月18日
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旅立ちの歌 ●第22回 大きな縦看板第869回 2006年11月14日旅立ちの歌●第22回 大きな縦看板旅立ちの歌22 お昼が過ぎて太陽はいっそうギラギラと輝き、熱い空気がアスファルト道路をベタベタにした。そして道路からも熱い空気が反射されるように舞い上がっていた。 米沢市民文化会館の前では「山形まんが展」の準備に来たメンバーたちが集まっていた。みんなは学校から文化会館までマンガの原稿や掲示備品などを手分けして運んできた。誰もが顔中汗だらけで肩で息をしていた。 文化会館の前には、「第二回 山形まんが展」と書かれた大きな縦看板が立ってあった。この看板は、井上ら美術部メンバーで制作した手作りの看板だった。シンプルで上品な仕上りで一際目を引いた。小山絹代と戸津恵子は看板を感心そうに見ていた。 鈴木和博が使用許可書を受付に出すと、メンバーたちは原稿や備品をいっきに三階の展示室まで運んで行った。 係員がその後を追うようにやってきて、展示室の鍵を開けた。 ム~ッという熱風とカビの臭いが展示室からロビーに流れてきた。「今日のお昼から使うってわかっているんだから、窓ぐらい開けていればいんだ。お役所仕事はこれだから困るんだ」 田中富行が係員に聞えるように言った。「我らも市から委託されて、そのとおりしないといけないんだよ」 と、まだ若い長髪の不良っぽい係員が無愛想に言った。「ありがとうございました!」 と、小山絹代が割り込んで話を打ち切らせた。 むっとした表情で係員は階段を下りて行った。カチャカチャという鍵同士がぶつかる音が小さくなって行った。 小山は無言で展示室の窓を開けた。それに戸津恵子が続いて窓を開けた。カビの臭いが再び部屋中に舞った。 美術部の田中が会場をよく知っていていて、三階と二階にある展示パネルとそれを支える鉄柱を運びように男子生徒に指示した。鈴木も宮崎賢治も手馴れていたから、近藤重雄や新藤克三たちに場所を教えながらせっせと運んだ。小山と戸津は会場を丁寧にほうきで掃いた。小さいゴミも逃さないようにしてきれいにした。 教育委員会の挨拶を終えて、井上はじめが展示室に上がってきた。「みんな、遅れてごめんなあ~」「いのうえ~、暑くてたまんねえよ~なんか冷たいモノでも飲もうよ」「お~っ、ご苦労様。どんどん準備は進んでいるからなあ」 みんなが井上にそう声を掛けた。 「んだよね(そうだよね)。ゴメン、ゴメン。これから買ってこよう」 と、井上が笑いながら言った。みんなは体を休めないで笑った。「戸津さん!すいません!!」 井上が呼んだ。井上くん戸津はすぐに井上の傍に駆け寄ってきた。「どうしたの?」 戸津は夏の制服を着ていた。細い体にその制服がよく似合っていた。 「先輩、ファンタでも買ってきてくれぺっか(くれますか)。ハイ、これお金です。ああ、領収書をお願いです」「わかったわ!出きるだけ冷えたのを買ってくればいいのね」「お願いします」 戸津は展示場を出ようとした時、足を止めて振り向いた。そしてゆっくり戻ってきた。「井上くん、これで汗拭きなさい!」「ハンカチならあるけど?」「そう……」 井上には戸津の表情が一瞬母親のように見えた。 戸津はハンカチを握り返して、クルリと後ろを向いて階段を下りて行った。後ろにひとつに束ねた長い髪が階段を下りるリズムに合わせるように、ゆっくりと弾んだ。 2006年 7月22日 土曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第22回 大きな縦看板つづく 「旅立ちの歌」第23回にご期待下さい!!
2006年11月14日
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旅立ちの歌 ●第21回 山形まんが展前日第868回 2006年11月11日旅立ちの歌●第21回 山形まんが展前日旅立ちの歌21 7月25日はいっそう暑い朝を迎えた。 この日、高校では一学期の終業式だった。井上は汗を流しながら学校に向った。井上の気持ちは緊張していた。そう、この日は終業式が終るとすぐに「山形まんが展」の準備が待っているからだ。 体育館での全員参加による終業式が終ると、みんなはクラスに戻った。体育館の中はゆだるような暑さで、生徒たちが立ち去るとシューズと汗の臭いだけが寂しく残った。 二年三組の教室での話題は、明日からの夏休みのことで持ちきりだった。アルバイトをする者、大阪万国博に行く者などそれぞれが既に夏休みの日程を決めていた。井上は少し緊張して教室に入って来た。すると同級生の江畑が井上に走って来た。「おい、はじめ!お前やったなあ!?」 と、いきなり江畑が言った。井上は何を?と訊き返した。「試験の結果だよ。お前の順番が上がったぞ。一桁になった。ラッキーセブンさ!」 江畑は何を言っているんだ、と井上は相手にしなかった。 そこに担任の進藤先生が教室に入って来た。 「みなさん、いよいよ夏休みですね。何事もなくお過ごしください。いいですかあ、何事もなくですぞ」 すまし顔で進藤が言うと、「よっ、小円遊~っ」 と進藤先生のニックネームを掛け声をする者がいた。教室は笑いに包まれた。「さあ、みなさんのとても待ちに待った試験の結果を渡します。青木、こら、青木、寝てんじゃないですよ」 進藤は一人ひとりの名前を呼んで成績表を渡した。そして一言生徒に声掛けをするのだった。 井上の順番が来た。「井上、成績がよかったネ。まんが展も成功するといいですネェ」 進藤は笑顔でやさしく井上の目を見て言った。井上はハイと言って頭をピョコンと下げた。 席に戻り成績表をそっと開けた。成績は七番になっていた。「出足好調だ」 井上は心の中でそう言った。 「なあ、ラッキーセブンだろう!?」 と後ろから江畑が言った。 その瞬間に井上は、どうして江畑がオレの成績のことを知っているのか不思議に思った。しかし、それよりも成績順番が上がった喜びで、江畑の不可解な行動は気にならなかった。 解散すると、井上と宮崎賢治は生徒会室に向った。そこにはまんが展の作品などを会場に運ぶために部長の田中富行や鈴木和博、生徒会役員の近藤重雄、小山絹代らが集まっていた。 「作品や備品はおれたちに任せて、井上は教育委員会に行って挨拶をして来い。心証をよくしておけ」 と、近藤が言った。会場の米沢市民文化会館は昨年完成したばかりだった。管理は教育委員会だった。管理者の教育委員会や係りの者は使用者側には何かと結構厳しいことを言うと、評判が悪く嫌われたいた。近藤は「まんが展」のポスター掲示のお願いで各中学校を回った経験で、教育者にはまだまだマンガに対して偏見があることを肌で感じていたから、管理者には印象をよくしておくことを注意していたのだった。 米沢市教育委員会は文化会館の脇にあった。井上は昼食の弁当もそこそこに教育委員会の門をくぐった。受付には「山ちゃん」こと山口昭さんは居なかった。受付の小さな窓から髪を七三分けにしたダンディな鈴木さんが顔を出した。 「あの~、米沢漫画研究会の井上です。今日からまんが展で文化会館の三階展示室をお借りします。よろしくお願いします!」 井上は元気に挨拶をした。 鈴木はわざわざ事務所から廊下に出て来た。 「あのネ、井上くんだっけ?何か困ったことがあったら何でも言いなさい。文化会館の係にはぼくからも言っておくからネ。今日は土曜日だから早目にね。明日は日曜日だから月曜日には何とかするからネ」 鈴木はズボンの右手をポケットに入れ、左手で髪を撫でながら、キザっぽく言った。 意外だった。こんなに鈴木さんが親身になってくれることとは思ってもいなかった。「後で(会場に)行ってみるからネ。じゃあネ」 鈴木はキザっぽく手を振って事務室に消えて行った。 井上は深々と頭を下げて礼を表した。 2006年 7月18日 火曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第21回 山形まんが展前日つづく 「旅立ちの歌」第22回にご期待下さい!!
2006年11月11日
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旅立ちの歌 ●第20回 社会派劇画家 旭丘光志とごとう和第867回 2006年11月4日旅立ちの歌●第20回 社会派劇画家 旭丘光志とごとう和旅立ちの歌20 井上の自宅には毎日大きな封書が届くようになった。 「あしたのジョー」の大ヒットで一躍「時の人」になっていた ちばてつや先生からはサインの色紙が届いた。 先日、上京した折に、急に思い立ってちばてつや先生に電話をして面会の承諾を取ったが、自宅近くまで行きながらついに家を発見できずに、無断で帰って来た。その後、ちば先生にはお詫びの手紙を書いた。その手紙に「山形まんが展」のことを記したのだった。手紙を読んだちば先生が色紙を送ってくれたのだった。 東映動画からもテレビアニメの原画が送られてきた。「ひみつのアッコちゃん」、「タイガーマスク」など背景付きのセルロイド原画だった。井上らの上京しての依頼を承諾してのことだった。「お土産のサクランボの効果だ」 と、井上はたかはしよしひでのサクランボお土産作戦に感心した。 社会派劇画家 旭丘光志先生 からも原画が届いた。 旭丘先生は、前年に「少年マガジン」に広島の原爆のマンガ「ある惑星の悲劇」を描き、社会派マンガ家として一躍注目を浴びていた。井上は当時感動のあまり旭丘先生に電話をして長々と感想を述べていた。今回のまんが展を開催するにあたり、井上は旭丘先生に手紙を書き、原画の出品をお願いしていた。 封書に「旭丘光志」の名前を発見すると、井上は急いで封を開けた。 原爆マンガ「ある惑星の悲劇」であってほしい。いや、それに違いない。もしそうだったら自分の出品作「灰色の青春」と青木文雄の作品と並べて展示し「マンガの社会派」を強調しようと考えるのだった。 井上は封から出てきた作品に注目した。 しかし…… 旭丘光志先生はイギリスのSF人形劇「キャプテンスカーレット」の「少年ブック」に連載マンガの原画を送ってきた。 井上は正直がっかりした。しかし、まんが展に来るだろう少年たちには喜ばれる作品だろう。 実はこのキャプテンスカーレットを選んだのは、旭丘先生のアシスタントを務めていた山形漫画研究会の後藤和子だった。 井上が旭丘先生に原画借用の手紙を出したと聞いた たかはしよしひで は、井上に後藤和子の存在を知らせた。早速、井上は旭丘先生宅に電話をして、後藤和子に後押しをお願いをしたのだった。 後に後藤和子はマンガ家「ごうとう和」になって活躍をするのだった。 虫プロダクションからアニメ原画は届かなかった。なんの返事もなかった。 あのお土産のサクランボの力はおよばなかった。 2006年 7月10日 月曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第20回 社会派劇画家 旭丘光志とごとう和 完つづく 「旅立ちの歌」第21回にご期待下さい!!
2006年11月04日
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旅立ちの歌 ●第19回 実力者現る第866回 2006年10月29日旅立ちの歌●第19回 マンガ雑誌旅立ちの歌19 井上の試験日の行動は夕方早く眠り、午後10時頃から午前3時頃まで集中してノートを読み返し、記憶することだった。いわゆる「一夜漬け」である。 試験日は早く帰ることが出来たが、井上は二年生の一学期にあまりに成績順番が下がったショックから、成績のいい級友と情報を交換することに時間を使った。それは成績のいい級友と一緒に帰えりながら、試験に出そうな箇所や科目毎の教師の出題傾向を話し合うのだった。「数学の試験は意外に簡単だったなあ」 と、級友の新藤克三が言った。「有路教頭は和蔵先生と違って、応用問題にこだわらないから、基本が出来ていれば十分だから」 と、もう一人の級友の新関寧(やすし)が評論家のような口ぶりで言った。「はじめは(今日の試験は)どうだった?」 と、新藤が訊いた。井上は自信なさそうに、「ん……。七十点取れればいいかな」 と言うと、新関は井上をたしなめるようにこう言った。「はじめ、大丈夫ださぁ。あの問題なら九十点は取れるはずだ」「いや、頭の中がまんが展のことでいっぱいで自信がない」「はじめ、和博に聞いたけど、まんが展は大掛かりなんだってな。手塚治虫の作品が展示されるってホントか?」「ホントだ」「マンガの神様のホンモノの作品が見られるんだ。すごいなあ」「はじめは手塚治虫に会って来たんだもんな。よく会ってくれたよな」 と新関に続いて新藤が言った。「はじめ、青春は一度しかない!悔いのないようにしっかりとまんが展に集中しろな」 と、新関が言った。新藤もそうだ、そうだと援護射撃のように言った。「期末試験は後三日あるからなあ。今回は惨敗かな」 と井上がため息混じりに言った。「はじめ、同じだ。オレは試験中というのに、この北杜夫の『ドクトルマンボウ航海記』を読むために時間配りがたいへんだもの。ヒヒヒッ……」「新関は余裕があるからなあ」 と、井上はうらやましそうに言った。新関はそんなことはないと言い、まんが展は今回限りだけど試験はまだまだあるからなと井上を再度励ました。 試験は心配するほどではなかった。井上はヤマが的中したと運の強さを感じた。 井上は試験最終日の夕方には大町のマツヤ書店に向った。 書店に並んであるマンガ雑誌を片っ端らから手にした。そしてそれをレジカウンターに持っていった。「どうしたのよ、井上くん?こんなにマンガを読むの?」 と、店主の黎子が言った。「まんが展に展示するんだけど……」 と、答えた。カウンターに居た黎子の視線がウインドウに張られてある「山形まんが展」のポスターに移った。マンガ雑誌のカラートビラ(表紙)を利用したそのポスターの斬新さは、裏面から見ても迫力十分であった。 困ったことが起こった。それは青年マンガ誌や成人マンガ誌の扱いであった。年々増えていきつつある青年マンガ誌と成人マンガ誌には、少年マンガにはない斬新な実験と表現力があった。しかし、内容はどうしてもエログロが多く、展示していいのかどうかを考えた時に購入に迷った。 黎子は腕を組んで井上の行動を目で追っていた。雑誌を手にしては顔を真っ赤にしている井上を無言で見ていた。 井上は迷った挙句に購入を決めた。成人マンガ誌は聞いたことも見たこともない出版社だったり、いかにも衝動に駆られるような表紙と雑誌名だった。 「こんな雑誌でも買う人はいるのよ。いや~ねえ」 と、黎子は商売だから仕方のないと言いたげにため息を吐いた。井上はとても恥ずかしくなり、赤くなった顔をさらに赤くして額から汗を流した。 黎子は井上がカウンターに持ち込んだ雑誌を次々とレジで打った。レジが終った順から井上は風呂敷に雑誌を包んだ。 百三十冊にはなっただろうか。合計で二万四千七百円だった。「こんな金額でいいの?ホントに買うの?」 と、黎子は心配して井上に訊ねた。「ずいぶん掛かるんだなあ」 と、井上はビックリした。「だって成人マンガは(価格が)高いもの。第一こんな変な雑誌をまんが展に出していいの?子どもたちも来るんでしょ?」 黎子の心配は確かだった。「青年マンガは見ても大丈夫かもしれないけど、成人マンガはビニール袋に入れて展示しようかな」 と、井上が言った。そうした方が後で問題にならないと思うよ、と黎子が言った。「井上くん、単行本はいらないの?」「酒田の村上彰司さんが三百冊位持ってくるんです」「へ~、すごいわね。その三百冊はどうやって酒田から運ぶの?」「村上さんのホンダN三六〇(軽自動車)でないかなあ……」「井上くん、万引きに合わないように気をつけなさいよ」 マンガが好きな人たちに悪い人はいないと井上は思い、黎子の注意に対してこころで反発した。 百三十冊の雑誌は風呂敷には包みきれなかった。黎子はダンボール箱を持ち出して雑誌を入れるよう井上に指示した。井上の乗ってきた自転車では荷台が小さいから、マツヤ書店の自転車を借りてダンボール箱に詰めた雑誌を運んだ。二往復するうちに井上は頭からパンツの中まで汗だらけになっていた。 井上は自分の自転車を引っ張りながら歩いて帰ろうとした。 夜の八時近くなり、平和通り商店街のネオンが夜の街をにぎやかに飾っていた。 2006年 7月 6日 木曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●第19回 マンガ雑誌 完つづく 「旅立ちの歌」第20回にご期待下さい!!
2006年10月29日
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旅立ちの歌 ●第18回 実力者現る第865回 2006年10月25日旅立ちの歌●第18回 実力者現る旅立ちの歌18 七月十三日月曜日になると流石に井上も期末試験が気になった。高二でクラス再編成になってからは、井上はテストの成績はよくても成績順番が下がっていたからだ。三組は進学希望者も多いし、余裕で授業を受けている者が目立つのだった。こうしちゃいられないなあと井上は少しでもテスト勉強をするよう自分に言い聞かせた。「今日はまんが展の準備は打合せだけにしよう」 と、宮崎賢治や鈴木和博に言って、放課後は小一時間位で解散した。 井上が自宅に帰ると祖母のふみが大きい封筒を井上に渡した。「はじめ、中学校の同級生のほら、なんたっけなあ?ああ、名前が出てこない、ほら、ほら……」 と、眉間にしわをよせてふみは名前を思い出そうとしている。「あの娘が持って来てくれたんだよ。あの九里にいった娘だよ」(九里学園・くのり=当時米沢女子高等学校)「ああ、み・ち・え ちゃん?だろう」 と井上が言った。「んだんだ(そうだそうだ)……、その娘だよ」 封筒を開けてみた。 すると画用紙に描いた少女マンガのカラーイラストが三枚入っていた。 ひと目見て井上は驚いた。「すごいなあ~っ、こんな画力!見たことないよ、こんなに上手いマンガは初めてだ」 井上が唸るのは無理がなかった。そのマンガは少女マンガ風であったが、画面いっぱいに伸び伸びとした線で描かれており、いままで見たマンガの原稿とはまったく違い、デッサンや構成の面でも完成度の高いマンガであった。 イラストを畳に置いて、正座をしてジッと見ていた。傍ではふみもそのイラストに見とれていた。 何分かが過ぎた。「たいしたもんだねぇ!感心するよ」 そう言ってふみは立ち、台所に消えていった。 井上は封筒に作品を仕舞おうとした。すると封筒の奥に手紙を見つけた。その手紙はこのイラストを持って来た美智江からだった。 はじめくん、元気ですか?まんが展の準備で忙しいでしょう?先日、頼まれたポスターを早速校内に掲示しました。すると、それを見た一年生の安藤悦子さんがマンガを持って来ました。『これを見てください』というのです。私はマンガのことはわからないし、マンガ展を開く人は私の中学校の同級生のはじめくんであることを伝えました。とにかく上手なマンガなので、私が責任を持ってはじめくんに渡すことを約束しました。安藤さんの自宅の住所を書いておきますから、彼女に返事をしてください。はじめくん、女子高ではあのまんが展のポスターを見て反響がありますから、きっとたくさんの人が鑑賞に行くと思います。私も行きます!がんばってください。「そうか!一年生の あんどうえつこ さんかあ?すごい人がいるもんだなあ。よし彼女を米沢漫画研究会の会員にしよう」 その夜、井上は電話でたかはしよしひでにこのことを報告した。「米沢漫画研究会に有望な少女マンガ家が登場して、おめでと~うございま~す!それは作品を見せていただくのを楽しみにしてったなね(います)。井上センセイの会にはイマイチ実力者がいないので、心配していたのでしたぁ。早く見たいですねぇ」 井上は多少興奮気味に話したこともあり、たかはしはきっとすばらしい作品だろうと期待を寄せるのであった。 井上は勉強もそこそこに安藤悦子に手紙を書いた。 すばらしいイラストですね。すぐに連絡をください。あなたを会員に迎えたい。電話は23-1278です。 この安藤悦子のカラーイラストは、札幌市のモシモシカメヨこと名取とも子と共に山形まんが展の中では一際目立ち、会場を明るく彩るのであった。 2005年12月7日記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第18回 実力者現る 完つづく 「旅立ちの歌」第19回にご期待下さい!!
2006年10月25日
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旅立ちの歌 ●番外編 「時を越えて」第864回 2006年10月22日旅立ちの歌●番外編 「時を越えて」「時を越えて」マンガの師たかはしよしひでさんが「なつかしの掲示板」に明日のテレビ出演の件で次のコメントを掲載されました。一部抜粋してご紹介します。来る10月23日(月曜日)に、山形放送(YBC)の夕方の情報番組「ピヨ卵ワイド430 」の「きょういち・時を越えて」というコーナーで、私と井上はじめさんのマンガ(みたいな)人生が紹介される予定です。時間は未定ですが、「ピヨ卵ワイド430 」夕方5時20分前後あたりと、ニュースの時間の6時20分前後あたりの2回だと思います。時間がズレるかもしれませんので、あらかじめお断り申し上げます。山形県のみなさんはどうぞご覧ください。(なお、私は面白い顔ですので、ご近所のみなさん、どうぞ後ろ指を指したり、街で見かけても笑わないで下さい・・・)「ピヨ卵ワイド430 」http://www.ybc.co.jp/紹介分から下に転載いたしました▼「きょういち」「時を越えて」。職業を持つかたわら、マンガ本の制作を続けている男性が山形市内にいる。少年時代に執筆を始めてから40年。昔、ガリ版で描いた同人誌や、全国を巡ったという回覧誌などを今でも大切に保存している。マンガを描くことでつながっていた県内外の仲間や、手塚治虫さんとのエピソードなどを、貴重な資料と共に紹介する。 たかはしよしひでさんの奇才ぶりをぜひご覧ください。ローカル放送のために、静岡県掛川におられるミズノさんに観て頂けないのがとても残念です。私にとってはミズノさんの批評がとてもためになったものです。「時を越えて」いつかお会いしたいものです。2006年10月22日記■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●番外編 「時を越えて」 完つづく 「旅立ちの歌」第18回にご期待下さい!!
2006年10月22日
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旅立ちの歌 ●番外編 テレビに出演します!第863回 2006年10月19日旅立ちの歌●番外編 テレビに出演します!テレビに出演します!10月23日月曜日に山形放送(YBC)の「ピヨ卵ワイド430 」にたかはしよしひでさんとボクのマンガ人生が紹介される予定です。時間は16時50分頃だと思います。山形県のみなさんはどうぞご覧ください。「ピヨ卵ワイド430 」2006年10月19日記■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 ●番外編 テレビに出演します! 完つづく 「旅立ちの歌」第18回にご期待下さい!!
2006年10月19日
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旅立ちの歌 ●第17回 灰色の青春第862回 2006年10月13日旅立ちの歌●第17回 灰色の青春旅立ちの歌17 井上は二階の自分の部屋で仰向けになって天井を見ていた。 真東に大きく開いた窓からは青空と白い雲が見えた。まだ午後三時を過ぎた頃だった。風もなく暑さで部屋は蒸しかえっていた。 「困ったなあ……」 ポツンとそう言って、井上は窓側に背を向け一点を見つめた。頭から額に、そして顔全体に汗が流れていった。 井上はまんが展の準備で忙しい毎日だった。それはそれで充実していた。しかし、プロのマンガ家の原画が二百五十枚はあっても、同人のまんが展用の作品がなかなか集まってこなかった。肝心の井上自身も描いてはいなかった。 これでは山形まんが展はプロのマンガ家たちの作品にだけ話題が集中してしまう。酒田の村上さんやたかはしよしひでセンセイたちの目指す「ぐらこん山形支部」結成には程遠くなる。虫プロ商事「コム」編集室からもぐらこんの認可は難しいだろうと、井上は焦りを感じたのだ。 そして準備が進むに連れて、井上の焦りはいつの間にか不安に変っていった。「そうだ、村上さんに相談してみよう」 井上は早速、酒田の村上彰司の自宅に電話をした。「どうした井上くん?まだ午後四時だノ。夜の八時なら電話料金も割引なのに」 と、村上は電話の向こうから笑いながら言った。「今日、たかはしセンセイやかんのさんが来てくれて、高校のみんなにも手伝ってもらい準備の大方は終ったんです。んだげんど(そうだけど)、心配なことがあって……」「ご苦労様、ご苦労様。暑いのに大変だったね。それで心配なことってなんだい?」「マンガ同人会の作品の原稿がどうしても集まっていないんです。このままではプロのマンガ家の作品展になってしまうし、ぐらこん山形支部結成の認可にはならなかったら、村上さんたちの目的は達成されないのではないかと焦ってきました」「井上くん、予定通り同人誌用の原稿はあるんだろう?……だったらそれをきちんと展示することだ。ぼくらの同人誌原稿はB四判用紙に二ページ分の原稿を描いている。プロの原画はB四判が一ページ分だから原画は大きい、技術的にも迫力は違う。それはどうしようもないことだ。でもね、一コマひとコマに描かれたマンガには同人誌魂が入魂されているはずやノン。大丈夫だからね」 村上は不安と焦りの井上をやさしく諭した。そして村上のものすごい情熱が受話器を通して伝わってきた。「一コマひとコマに描かれたマンガには同人誌魂が入魂されている」 そうだよなあ、青木文雄や青木健一、鈴木和博らの作品はどれも個性に溢れていた。そこにはプロのマンガ家にはない情熱が感じられた。「オレもつまんないことを考えていないで自分の原稿を選ぼう」 と、井上は自分で言った。村上はその言葉を見逃さなかった。「井上くん、そうだよ。既に描いてある原稿でいいんだよ。ありのままの自分の作品を出品すればいいんだよ」 井上は受話器をそっと置いた。二階の部屋に向かい、井上は二つの作品を取り出した。 ひとつは学校新聞に発表している四コママンガ「ああ、学園」から数点。二つ目は昨年に学研「高一コース」編集部に送った六ページの短編マンガ「灰色の青春」だった。 井上は久々に自分のマンガの原稿を手にとって見た。 「灰色の青春」は四日市喘息に苦しむ少女が堪えきれずに自殺しようと出掛け、付き合っていたボーイフレンドに助けられるという話だった。井上は中学当時から公害問題に関心を持っていた。中三コースに掲載された小説を原案にしたマンガだった。井上の描いた絵は当時に人気マンガ家の川崎のぼる、横山みちはる、園田光慶をブレンドしたような感じで、中学時代の石森章太郎の影響は微塵も感じさせなかった。 作品の間から手紙が落ちた。 「前略 返事が遅くなりまして申しわけありません。マンガ原稿たしかに受け取りました。『灰色の青春』は、社会的問題に取り組む姿勢は大切だと思いますが、ストーリーが単純。だれでも思いつくようなものです。『コマ・マンガ』についても同様です。絵はすぐれていると思いますので、これからは、もっとアイデアをねるよう努力してください。 これからも がんばってください。 作品はのちほどお送りします。 早々 高一コース 清 邦彦」 「この原稿が学研から返ってきた時に、原稿と一緒にパイロットノック式万年筆が同封されていたっけ」 東側の窓のでんごしに腰掛けて、井上はニッコリと笑顔を浮べた。 西空はすっかり夕焼けになっていた。涼しい風が井上の頬を軽く叩くようにして通り過ぎていった。 2006年 7月 3日 月曜 記2006年 7月 4日 火曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第17回 灰色の青春 完つづく 「旅立ちの歌」第18回にご期待下さい!!
2006年10月13日
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旅立ちの歌 ●第16回 いい仲間第861回 2006年10月10日旅立ちの歌●第16回 いい仲間旅立ちの歌16 七月十二日、その日は朝からギラギラとした陽射しで、暑い一日になることを予想させた。 中央高校の会議室では日曜日というのに、朝早くから生徒会役員、美術部、米沢漫画研究会のメンバーが十人ほど集まって、まんが展の準備作業をはじめていた。 展示パネルに原画を掲げるために、大きな厚紙に四角い原画の四つ角を挟むようにする。しかし、原画の大きさが作家によって微妙に違うので、手間が掛かる作業だった。「原画は絶対に汚さないように!たった一枚しかない原画ですからね」「みんな、忘れずに手を洗ったかあ~」 大きな声で三年生で美術部部長の田中富行が言った。みんなはハ~イと言って息の合うところを見せた。 大きな厚紙は薄茶だった。そして原画を厚紙に並べ、井上や宮崎、そして鈴木の漫画研究会のメンバーが「よし」と言うと、その原画の四つ角にあたる所を原画が挟めるように鉛筆削り(カッター)で線を入れる。そしてこの用紙がどの作品なのかを書いていくのだった。床に広げた用紙に四つんばいになって、作業を開始した。 三年の小山絹代と戸津恵子は率先して原画の汚れや折り曲がらないようにと、それぞれの原画の扱いに目を配った。そして小山は会議室の窓を閉めた。「こんな暑い時に窓を閉めるなよ!風が入ってこないよ」 生徒会の二年生仲山が言った。それに応じて小山が答えた。「ダメよ!風で原画が飛んでしまう」「汗も注意してね。ほら仲山くん!汗が額から垂れるから、あなたはその作業をしないで!」 と、戸津が言うと、「うるせえなあ~先輩面して~。んじゃあオレは何すんなよ」 と、仲山は大きな目をさらに大きくして言った。「線入れが終った用紙を丸めてちょうだい」 十時を過ぎるころになると、山形からたかはしよしひでやかんのまさひこら数人が駆けつけた。「たいへんだなッス。でも、こんなに大勢なら午後の早い時間に終るなあ」 挨拶もそこそこに、たかはしとかんのは同人会のメンバーの原画を拡げて作業にかかった。 会議室にはときどき教師たちが顔を出した。そのたびに原画を見せなければならない。質問や解説の一切を鈴木和博が行った。 モクモクと作業を進めていった。その甲斐あって予想以上に早く作業は終了した。時計は午後一時三十分だった。みんなで学校の向い角にあるラーメン店に行った。窓を締め切った会議室から外へ出ると、わずかに風が肌にあたった。しかし、それもつかの間で、午後の暑い日ざしがみんなを襲った。 その店は「幸福食堂」(こうふく)といった。中央高校の教師らが常連となっていた。ラーメン中心の小さな店だった。 冷やし中華を注文してみんなで食べた。「今日の中華の代金はまんが展の経費にしていいスから」 と、たかはしは井上に言った。ありがたいなあ、面目が立つと井上は思ったが、その瞬間、傍で会話を聞いていた小山絹代が二人に言った。「いいから。井上くん、お金がないんだから、自分で食べた物は自分で払えばいいのよ」 そう言って小山はみんなに代金を支払うように言った。「うるせえ~っ、小山さんは先輩面して、命令ばかりだ!手伝ったあげくに冷やし中華ぐらいご馳走になってもいいべえ~」 と仲山が大声で言った。「仲山くん、私は生徒会の会計担当だからね。そうそう仲山くんもそうじゃない?割に合うかどうかではなく、お金のない所からは出してもらえないことぐらいわかるでしょ!!」 と、小山は子どもを諭すように言った。「仲山、お前はご馳走になりたくって手伝ったのが(か)?」 副会長の近藤重雄が仲山をにらんで言った。すると仲山はポケットからお金を出して机にバンと叩くようにして置いた。「それでいいのよ、仲山くん」 小山が言うとみんなは大声で笑った。 井上は胸が熱くなってきた。みんなはなんてすばらしい仲間なんだろう、この友情は一生忘れないと。 ラーメン店から出ると、かんのまさひこが後ろから井上の肩をたたいた。「井上くん、なかなかいい仲間だなあ。まんが展は成功間違いなしだなあ」 井上は黙ってうなずいた。暑い風が顔をよぎった。 まもなく期末試験が始まろうとしていたので、みんなは家路へと急いだ。 2006年 6月16日 金曜 記 2006年 6月18日 日曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第16回 いい仲間 完つづく 「旅立ちの歌」第17回にご期待下さい!!
2006年10月10日
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旅立ちの歌 ●第15回 自慢とお願い第860回 2006年10月5日旅立ちの歌●第15回 自慢とお願い旅立ちの歌15 まんが展のポスター依頼は続いた。 生徒会のメンバーは主に商店街や学校の取引先を回ってくれた。井上たち漫画研究会のメンバーは、今度は高校の美術部に依頼に歩いた。しかし、九里学園米沢女子高等学校には井上の親友の中山美智江がいたので、井上が対応することにした。 井上は女子高の正門を入り正面玄関に入った。いつもならこの玄関は木で出来た大きな引き戸なので開けるのにも力が入るが、七月の暑い日はどの戸や窓も開けっぱなしであった。 放課後の慌しさはどこの学校でも同じ光景だった。 行き来する女子生徒たちの白いブラウスと紺のスカートは、井上には眩しく映った。「あの……スイマセン!?」 井上は正面玄関を行き来する女生徒に声を掛けた。「ハイ!」 女生徒が立ち止まり、井上に向かってきた。他の女生徒たちは急ぎ足で往来するが、目だけは井上に注がれていた。「二年生で生徒会の……」 と、モジモジして面会を申し込むと、「美智江さんですね」 と女生徒ははっきりした声で井上に確認するのだった。 モジモジする井上に業を煮やしたような素振りをして女生徒はその場を去った。 井上は玄関から一歩外に出た。そして交差点の風景を眺めていた。 十分は待っただろうか、美智江が現れた。「どうしたの?はじめくん」 おお、美智江が髪を伸ばしている。いつもなら髪をふたつに分けてとめているのに、ちょっと会わないうちに大人っぽくなっていた。「……ポスター貼ってほしいんだ」「今度は何のポスターよ」 井上は美智江にポスターを渡した。美智江は丸まったポスターを拡げた。「まんが展だぁ…はじめくんたちがするの」「うん」 どうしたんだろう、変だぞ、今日の美智江は少しやさしいぞ、女らしいぞと井上は思った。 いつもの美智江は井上を子分か弟のように扱っていたから、そのやさしい言葉は意外だった。 「手塚治虫先生や石森章太郎先生の原画を借りてきたんだ。オレのマンガも一緒に展示するんだ」 美智江の顔を上目使いに見ながら、井上は今までになく自慢げに言った。 美智江はポスターと井上の顔を交互に見比べながら、「はじめくん、すごいじゃないかあ~。手塚治虫センセイははじめくんのあこがれの人でしょ!?よかったなね~、ホンモノと会ってきたの?」 と目を丸くして大きな声で言った。 周囲の生徒たちが振り向いたり、立ち止まったりしながら二人の様子を見ていた。井上は恥ずかしくなって、顔を下げた。 いくらなんでもホンモノはないだろう、本人だろうに……と井上は心の中で言った。「どうしたの、手塚治虫と会ったのかって訊いているんじゃない!」「会ったよ、つい先ごろ、東京に行って会ってきた」 井上は迷惑そうに答えた。「すごいじゃない、やったね~。私はいつかはじめくんは夢を実現するんじゃないかと思っていた」「そうか」 といかにも無愛想に答えた。「何よ!うれしくないの。その迷惑そうな顔は何よ」 美智江の大きな声で井上は恥ずかしくってどうしようもない。もう少し小さな声で話してくれたらいいのに、みんな見て行く。「とにかく、このポスターを学校の中に貼ってほしいんだ。お願いだ」「わかった。貼っとくから」「それからもうひとつお願いなんだけど、美智江ちゃんに前からお願いしている作品を書いてほしい。それをこのまんが展に展示したいから」 美智江はしばらく考えてから井上に質問をした。「私の作品って何だっけ?私はマンガは描けないよ」「詩でいいんだ。美智江ちゃんはいつも詩を書いているだろう。それにオレがイラストを描くんだ。ほら、以前にも漫画研究会を作った時にお願いしたべした(だろう)」「ああ、そうだったね。わかった考えてみるから」 やっぱり美智江は女らしくなっている。こんなに大人しくオレの言うことを聞いてくれるなんておかしいなあ……と井上は美智江を見ながら思った。「なんだか淋しいなあ、あの中学校の時のおてんばな美智江はどこにいったのだろう」 と、井上は一人取り残されたような気分になっていた。 2006年 6月13日 水曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第15回 自慢とお願い 完つづく 「旅立ちの歌」第16回にご期待下さい!!
2006年10月05日
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旅立ちの歌 ●第14回 夕立の中で第859回 2006年9月30日旅立ちの歌●第14回 夕立の中で旅立ちの歌14 第五中学校にもポスター掲示の依頼を終え、井上はじめと生徒会副会長の近藤重雄が帰り道を急いだ。夕方ではあったが空は雨雲で真っ暗になってきていた。雨が降らないうちに帰らなければと必死で自転車を走らせた。二人は蒸し暑さに全身汗びっしょりだった。 日の出町、信濃町をとおり、大町にさしかかった時、雨がドーッと降ってきた。その瞬間に二人は頭からバケツの水を浴びたようにずぶ濡れになった。 二人はすぐに自転車を下りて、民家の屋根の下に雨宿りをした。「いや~ついに降ってきたな」 と、近藤は言いながらハンカチで頭と顔を拭いた。 井上は近藤を見ながら謝った。「近藤先輩、全身びしょ濡れになってしまいすいません」「いや~気にすんな。予定のポスターを全部配った後だったからよかったな」 近藤は井上に要らぬ負担が掛からないように言ってくれた。 まもなくピカッと大光をして雷の大きな音が地面にも響いた。「先輩、オレは雷が大嫌いで、おっかないから大嫌いだあ」 と、井上が言うと、近藤は間を空けないで井上に訊いた。「井上、お前、好きな女(ひと)はいないのか?」「先輩、何を言うんですか、いないよ」「そうだろうなあ、いたら手塚治虫に会いに行く時に、オレとか小山絹代が見送りに行くくらいだもの、好きな女(ひと)なんていないよな!」「…………」 大きな雨の音で井上の声が時々かき消された。「先輩は好きな女(ひと)はいんな?(いるの)」「いる。今度付き合ってくれって言おうと思っている」「すげえ~なあ先輩は。オレなんてそれが言えないからどうしようもない」「なんだ、井上も好きな女(ひと)がいんなが!(いるのか)」「同じ学校でないから、いないと同じで……」「うちの高校にはいないのか?例えば話してもいいとか、コーヒーを飲むとか」「…………」「バカだなあ~顔を真っ赤にして、照れてんのが!? ハハハハッ」 井上はこの時に、近藤の人間らしさを感じた。そしてやさしさがうれしかった。 近藤は自らポスターの依頼担当を申し出てくれた。そして生徒会副会長という立場で各中学校にまんが展の意義を説いて歩いてくれたこと、第三中学校の対応が悪かった教師の時も一緒に腹を立ててくれたこと、最後は一緒に大雨に濡れながらも、恩着せがましいことをひとつも言わない近藤の態度に、井上は後輩思いと先輩としての真摯な態度を感じるのだった。 雷の音が小さくなってゴロゴロが遠くなっていった。そして雨が上がた。「井上、いまのうちに帰ろう」 近藤は自転車を跨ぎ、道路に出た。井上はそれを追うようにして自転車に乗った。 突然後ろから来た自動車が二人に泥を掛けた。 「井上!大丈夫かあ~。雨の後に泥に汚れるなんて、今日は本当についていねえな。アハハハッ……」 近藤は自転車のペダルを踏みながら井上に言った。 「この先輩は尊敬できる人だ」 井上はニコッと微笑んで、心の中でそう言った。 2006年 6月 8日 木曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第14回 夕立の中で 完つづく 「旅立ちの歌」第15回にご期待下さい!!
2006年09月30日
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旅立ちの歌 ●第13回 自由と励まし第858回 2006年9月23日旅立ちの歌●第13回 自由と励まし旅立ちの歌13「胸糞わるいなぁ……!」 近藤が言った。「セ・ン・セ・イって言ってもいろんなタイプがいるんだね。先輩が一緒でなかったら、オレはどうしていたことか、考えただけでも嫌な気分だなあ!」 井上が言った。「井上、お前は見かけと違って短気だから心配したぞ。まっ、お前でなくてもあのセンセイでは頭にくるさ。井上、この学校にもいろんな先生がいるが、あのセンセイから比べたらまだマシさ」 自転車で走る二人は、早くも自分たちの高校の側を通っていた。「先輩、オレはこの学校が好きだ。先生も好きだ」「ほう、どうして?」 近藤は校舎を見上げながら井上に訊いた。「この学校には自由があるもの」「ジ・ユ・ウ?自由が?」「生徒の自由を認めてくれている。だからオレたちは同人会も作れたし、こうやって生徒会と美術部の協力を得ながらまんが展を開催できるんだ」「それは井上たちの実行力だよ」「でも、提案をすればそれに応じる土壌がこの学校にはあるから。うちのおじいちゃんが言っていた。椎野学園は初代理事長椎野詮(せん)先生時代から生徒には自由に伸び伸びとさせていたって」 校舎を過ぎて立町通りをとおり、松川橋の手前の土手を南に自転車は走り、住江橋を渡った。そしてその橋のすぐ側にある第一中学校に行った。 第一中学校は校舎は古いが、戦後アメリカ進駐軍が使用していただけあって、いまもその建物には歴史を漂わせる雰囲気を充分に持っていた。 井上は美術部顧問を呼び出すのに氏名でお願いをした。 饅頭がしなびているような顔をして、その顧問教師が現れた。その名は「今泉清先生」だった。 井上と近藤が一通り話を終ると、井上から今泉先生に話を切り出した。「今泉先生、覚えていますか?あれは一昨年(おととし)でしたが、先生が中条病院に入院されていた時に、帰宅途中のぼくが病院前を通ったら、先生がぼくを呼び止めて、ぼくが持っていたスケッチブックを見せてみろと言い、絵を一枚一枚丁寧に批評してくださいました」 頭を傾げて考えていた今泉は、しばらくしてから、「おお……おっお覚えている、覚えている。石膏デッサンと茶色と紫色の濃い静物画や風景画がだったなあ。あん時の四中生がお前かあ!?」 少しせっかちな言い方の今泉は、細い目を一層細くして井上に笑顔を返した。「まんが展とはおもしろい企画をしたな。よし、このポスターは預かった。貼っとくからな!頑張れよ!!」 真っ黒い雲がモクモクと空を覆ってきた。ゴロゴロと雷の音が強くなってきた。今泉先生の励ましが井上たちの嫌な気分をかき消していた。 2006年 6月 8日 木曜 記 ■(文中の敬称を略させていただきました)旅立ちの歌 第13回 自由と励まし 完つづく 「旅立ちの歌」第14回にご期待下さい!!
2006年09月23日
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