今日もありがとう。
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去年8月お姑さんが帰らぬ人となり、やっと落ち着いたところ、九州の私の叔母がお正月明け、帰らぬ人となってしまいました。結婚せず本家に住み、おじいちゃんおばあちゃん(私から見て)の最後を見送り、たくさんいる姪っ子甥っ子のことをまんべんなく常に思ってくれていたとても素敵な叔母でした。叔母は大きな家で一人暮らし。月1には電話をして話をしていたのですが、年をとって一人は寂しい、寂しいと口癖のように言っていました。少しでも寂しさを軽減して、親戚一同の心配もなくすために、親戚の人がデイサービスやヘルパーさんに来てもらうように手配をしました。それでも、1日中人がいるわけでもなく、大きな家に人のいない寂しさは計り知れなかったことと思います。私は去年、母のお姉さんの初盆で実家へ帰りました。その時、叔母に会いにいって短い時間でしたが楽しい話をすることができました。私が帰る時、目に涙を浮かべながら「来てくれてありがとう。でも、別れるのが寂しい」と言って泣きながら門で叔母が手を振ってくれたことを思い出します。叔母は、私のいとこの会社の役員だったので電話をするたびに「あんたたちが頑張ってくれよんけん、おばちゃんも安心して暮らせる。ほんまにいつも頑張ってくれてありがとう!風邪はひいてないか?みんな元気にしよる?」といつもみんなの事を心配してくれていたおばさんの言葉が頭の中で繰り返されます。お通やでのお坊さんのお話で、今日この場所にきた意味、人それぞれいろいろあろうと思いますという言葉から始まりありがたいお言葉をたくさんいただきました。その中でも、よく言われる言葉ですが縁を繋ぐという言葉がとてもこころにグッときました。私は、母のお姉さんの初盆があったからこそ、この亡くなった叔母さんに会えたからです。他の親戚や従姉は葬儀中、号泣でした。私は一滴も涙がでませんでした。冷たい人?私は遠くから全体を感じていました。悲しみの涙は、後悔の涙なのかもしれないと・・・・・・。私がお姑さんを亡くしたとき、涙がこみ上げてきた事を思い出したからです。もっと何かしてあげれたんじゃないか?と思えば思うほど涙がこみ上げてきた記憶が思い出されました。私は、母のお姉さんの初盆で縁を繋いでいただいたおかげで、おばさんと共有する時間が持てました。たわいない会話ではありましたが、私が行って喜んでくれた顔、声は私の記憶に残っています。でも、他のいとこたちは遠く離れた地に住んでいるため、いつかは行こうと思いながらも、叔母さんと会うことはできませんでしたから、きっと後悔していたことと思います。甥っ子姪っ子とも誰一人欠けず叔母の為に大阪から足を運びました。それだけみんなに慕われていた叔母さん。そして最後に叔母さんが一番望んでいたことが実現して叔母さんも喜んでいたことと思います。もう少し早くこういう場を持てていれば叔母さんを喜ばせてあげることができたのにな・・と。私の後悔はそれだけです。寂しい、寂しいと言っていた叔母さんもやっとあの世で待っている親や兄妹に会えて寂しくなくなる。よかったね!と、私はそう思ったから、涙が一滴も出なかったのかもしれませんね。毎回お寺のお坊さんに話を伺うたびいろんなことを感じさせられます。お姑さんが亡くなったとき、お坊さんがおっしゃられた言葉生と死は同じ、生きてるから幸せ、死んだから不幸せという訳ではありませんというお言葉をいただいたことがあります。生きてる私たちはついつい、亡くなった人を見た時、死んだらかわいそうと思ってしまいがちです。人間は必ず、死にます。死んだ人がかわいそうという気持ちになるのは仕方ないことではあります。でも、私たちは生きて行かなければなりません。人が亡くなることは、その方の旅立ちだと心を切り替えて、心の中で故人の思い出をもって、この先もずっと健康で元気に生きられるよう生きている私たちは、努力していかなくてはならないと思いました。お経を聞いて手を合わせている時、私にはお経から感謝という言葉が怒涛のように降ってきました。それだけ私の気持ちに中に叔母さんに対する感謝の気持ちがあふれていたんだと思います。お坊さんの言葉は私にとって、とても大切な人生の道しるべのような気がしました。このお坊さんの言葉の種を育てて、私もいつか大切な人が旅立つとき、今以上に成長している自分になっていたいなあと思いました。今日もありがとう。
2017.01.07