NO10 ゆうの 25年間の記録

きのことウサギ


桜の花も散り 木には 青々とした葉が生茂る頃 再び「しいのみ学園」の門をくぐり ました。

今度は、母子通園ではないので、学園のバスが 自宅の近くまで お迎えに 来てもらえました。


最初の日は、私と一緒でしたが、その後は一人になって 2週間程は、毎日 泣いていました。(ToT)アハー


学園は、4歳児が「うめ組」さん 5歳児が「もも組」さん 6歳児が「さくら組」さんに別れ 各10名ずつの 30名の子供達が、各クラス 3名(男子1名 女子2名)の担任の先生に指導を 受けていました。

ゆうは、3歳前だったので もちろん 「うめ組」さんに
入りました。

子供たちは、まだ字が 読めないので それぞれのマークが 決めてありました。

ゆうは ぞうさん でした・・・靴箱にも、棚にも 椅子にも ぞうさんのマークが、たくさん貼って ありました。とっても 可愛かったです~~(∩.∩)


学園での エピソードとして 今も、 言われる事は・・・ゆうの 身長が、小さすぎて、学園の身長計では 計れなかったので、 先生が身長計に メモリを付け足してもらって、計った事でした。
(その時は 体重9.2キロ 身長76.4cmでした)

その後、誰も そんなに小さい子は 入園していないので、身長計を見る度に ゆうの事を 思い出して頂いちゃってます。 (●^o^●)

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それから、卒園するまでの4年間 幾度かの入退院や 自宅で転んで頭部を強打して、シャントが壊れ 取替えの手術・・・そして、6歳の時には 左耳小耳症の 形成の為に 2度手術を致しました。

本当は、耳の手術は もう何回かしなければ 形が整わないのでしたが、形成の 手術を受ける度に 脳に影響して 脳圧が上がり 具合が悪くなって、苦しむので、マスクを掛けられる様になった時点で それ以上の 手術は取り止めました。

母子通園を合わせると、うめ組3年柿8年(じゃないだろ)うめ組3年 もも組1年 さくら組1年と、5年も通うことが出来ました~~(∩.∩)

(ワオ~学園ギネス入りだ~☆(^^)☆(^。^)☆(^_^)☆(^O^☆ そして、その5年の間、ずーっと担任をして頂いた、男のM先生とは それから、現在に至るまで ゆうの 良き指導者以上に、色々とお世話になり 家族同士のお付き合いが、つづいております。この事も ゆうの 強運だと 思います。)

5年も 通わせて頂いた おかげで、IQも66から100になり 普通小学校へ入学が 決まりました。(わたしも・・・IQ上がったかも☆⌒( *^-゚)bネッ!)

☆改めて、早期療育の大切さを 実感いたしました。

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しかし・・・普通小学校に入学した事が、プラスになった事もありましたが、

それ以上に、その後 大きな 問題となろうとは・・・・

まだ誰も そう ゆう自身も、夢にも思っていませんでた。

                                  明日へつづく

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