NO20 ゆうの 25年間の記録



ゆうの、状態は一進一退を、繰り返しながら、学校に通える時は元気一杯にゆう なりに、頑張っていました。
(ここからは、私の事を書きます・・・その後の ゆうとも 関係がある事なので・・・)

私の方は、離れて暮らしていた父が急死! 

母に隠れて 鶴を折って封書に入れ、毎日 毎日 手紙を送りました。千羽折るまで生きていて と言う思いを込めて、・・・でも 29通目で 父は静脈瘤破裂のため 亡くなりました。
葬儀には、父のことが、大好きだったゆうは 母の反対で行くことも出来ず、可哀想でした。

(私も葬儀から帰ると普段通りにして、母の前では、泣くことも出来ず・・・お風呂で、泣いていました。)

**************

それからしばらくした ある日、婦人科系に異常を感じ・・・(母も子宮ガンだったので)
一人で、九州がんセンターに、紹介状もなしに 飛び込みで行きました。

もし、癌だったら回されて たどりつくのは、がんセンターだったからね~。

それまで、子宮ガン検診は、受けていましたが・・・何か ちと、違う予感がしたから・・・

子宮体癌の、検査は 飛び上がるほど痛く・・・検査後は、歩く事も辛かったです。

しばらくして、検査の結果! 
「がん細胞は、見つかっては居ませんが・・・グレーの細胞があります。一度入院して、子宮全体の細胞検査をします。」って

5月の連休前に、入院・・・
「あの~麻酔は、しっかり効かせて下さい」って頼んで手術を受けました。

この結果でも、グレーの細胞と、あと・・・覚えられないくらいの病名が分かりました。(も~このさい、全部取っちゃいます~)と、お返事!

「そうですね、もしがん細胞が1個でもあれば、リンパも取らなきゃいけないし・・・取ってしまいましょうか!」って・・・

そうと決まれば、ベッドが空き次第入院して 手術を受ける事にしました。

もちろん、手術の時の鼻からの管は、「トラウマ」になっていたので・・・拒否!
麻酔の失敗が無いように、お願いして 「子宮と卵巣」の、全摘手術を受けました。

術後、熱は9度近く出たものの・・・痛みが、まったく無い!(肺の手術に比べたら月とすっぽんぽん!アッ失礼しました!ぽんは、一つでしたね~~(∩.∩) )

2日目からは、点滴に繋がられたまま どんどん歩いて 散歩もしました。
(歩かないと、傷が癒着を起こしてしまうので・・・)

主治医の先生も、
「もう抜糸は済みましたっけ」って
(おいおい まだ 手術して4日目ですよ~~)

「先生、コーヒー飲んだら駄目ですか?」

「まだまだ・・・ガスが出たら、お茶を飲みましょうね~~」

「は~い!」(素直なわたし・・・( ̄― ̄)ニヤリッ)

そんな時、元夫が面会に来て・・・手術の話をしていたら・・・
「はっ・・・お腹切ったの?」って、いうじゃな~~い!

子供と、目を合わせて、大笑い・・・どこから、とるんよ~~!
まあ・・・私が、元気すぎたかもね~(^・^)残念~~!切腹!

すっかり、元気に成って居たけど・・・細胞の検査結果が まだ言って来ないので・・・3週間も 入院していました。

 癌は、早期発見で、無事 釈放・・・但し、女性ホルモンを60歳までは、飲み続けることに成りました。

(手術後、1週間で、のぼせ・・・{全身からの汗} も 起こってきました)

私の入院中 ゆうは、 殆ど毎日 来てくれました。感謝!感謝!


(それにしても、がんセンターの婦人科は、とても明るい所でしたよ!主治医にも、恵まれていましたし・・・あと、食事は、まずかったかな~~~今は、どうかな~餌じゃ無いんだからね~)


 この後、再び・・・病魔が 襲ってきました。



                    明日へつづく

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