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やはり今日はこのニュースとなってしまう。http://sports.yahoo.co.jp/headlines/20040131/20040201-00000043-mai-spo.html 元々「身売り」説が一部で流れていた球団とはいえ、激しく今回の決定は理解できない。大体名前は変えるがチーム経営権がなくてこの金額はかなり高い設定だけど、これは多分近鉄本社が球団の負債を毎年いくらか肩代わりしている分が含まれているんだろうね。一応似た例がいままでもあって「トンボ・ユニオンズ」とか「東京オリオンズ」とか「クラウンライター・ライオンズ」とかがそうだけど、今回に関しては時限つきで、場合によっては5年ごとに名前が変わるという変なチームになってしまう。大体球団を宣伝の手段としか考えていないというのが一番腹が立つ。こんな事しているとファンが逃げてしまうというのが分かっていないみたいだ。しかし近鉄球団にとって現状は有名選手は中村ノリだけで、これも来年には大リーグ挑戦の可能性が高い。スター選手が不在のうえ、チーム戦力が現在過渡期という状態ではどんどん負債が増えるという事も視野に入れているのだろう。私思うに別に大阪にこだわる必要はないと思う。大阪ドームも借っているだけだし、藤井寺とか岐阜の長良川球場とか、近鉄とつながりが深い三重県とかに移っても面白いと思う。しかし日本のプロ野球はいつまでたっても経営側は昔のままだなあ。もう少しファン側の視点はないのかね。という訳で今年はまだ多分ファンだろうけど来年から本当にファン止めようか。でも好きな選手は相変わらず多いので悩みどころだ。
2004年01月31日
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昨日ちょっとジェームス・ブラウンの事を書いたらこんなニュースが飛びこんできた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040129-00000548-reu-ent う~ん。またか。しかし今回は家庭内らしいので、ブラウンにも言い分はあるんだろうけど、しょうがない人だ。この人の自伝を今読んでいるけど、本当に不良だったという事がわかる。とにかく成人になるまで悪さしかしていなかったりする。とはいえ一応音楽の道に進む事で悪事を働く気持ちがなくなったという感じに自伝は進んでいくのだが、こうも自伝書いた後にいろいろトラブルっている現状は少し悲しい。今のブラウンにとっては音楽は彼の心を満たさないくなってしまったのだろうか?で、まだ読んでいる途中だけど、面白かったのはリトル・ウィリー・ジョンについての記述が少なからずあった事だ。リトル・ウィリー・ジョンといえば、プレスリーやペギー・リーが歌った「フィーバー」のオリジナルを歌った事(曲の作者でもある)で有名な歌手だけどブラウンがデビュー当初はライバル視していたというのは少し驚きだった。というのも、リトル・ウィリー・ジョンの歌う曲はナット・キング・コールなどのジャズ歌手が歌ってもおかしくないMOR系の曲が多かったからだ。まだソウル・ミュージックが確立していない時代なので、結構こんなタイプの歌手は多かったのだけどブラウンの曲も当初はリズム重視ではなかったし同じレコード会社という事もあってかライバル視していたらしい。知っている人がいるかもしれないけど、リトルウィリー・ジョンは’60年代に入ると人気が無くなり、’66年には自身の婚約会場で些細な事で殺人を犯してしまい、’68年に刑務所の中で亡くなってしまった。(実はブラウンの自伝は少し時期が違っているけど、これはブラウンの記憶違いかな?)ちなみに「リトル」と名前についているのは背が低かった(150センチそこそこ)ためだけどそのためこの人は常に護身用の武器を持っていたらしい。という訳で今日聴いた曲はDoug Sahm 「Talk To Me,Talk To Me」’99年に亡くなったダグ・ザームの全曲カバーという「ジューク・ボックス・ミュージック」収録。かなりマイナーな曲ばかりカバーしているアルバムだけど、これは比較的有名なリトル・ウィリージョンの「フィーバー」に続くヒット曲で、オリジナルに忠実にそのままカバーしたという感じの出来。でもいい曲だ。
2004年01月29日
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米の大統領選の事前の予備選が始まっているけどちょっと調べて見たらなかなか面白かった。今回ニュー・ハンプシャーで選挙があったのだけど民主党の予備選の得票(共和党も予備選は行った)を見てみると、たった約8万という得票でケリーが勝っていた。2位のディーンは約5万6千。後はクラーク、エドワースと殆ど同じ票で、ここまでが得票率10%を超える。で、無効票なのかどうか知らないけど、何故かこの選挙に出馬していない現大統領と、ヒラリー・クリントンの票が少数ながらあった。これ以外に出馬?したと思われる候補は23名もいて100票以下の候補が15名。最下位の候補なんて6票しか入っていなかった。ちなみに最下位の候補のHPがちゃんとあったりする。http://www.braunforpresident.us/ なんだこりゃ?とにかく勝ったケリーを中心にこのままダンゴ状態で進んでいくのだろうけど、まだ誰が候補者になるかわからないね。しかしケリーという人はオリバー・ストーンが好きそうなタイプの候補だねえ。実際はどうだか知らないけど。演説で、「ブッシュ、かかってこい」て言っていたけどなかなかかっこよかった。やはり「かかってこい」ってこういう時に使う言葉だな。2位のディーンは本命視されていた候補だけど、私ヴァージニア州といえばルー・テーズなので、どうもつい連想してしまって可笑しくなる。ルー・テーズ→セッド・ジニアス→ヴァージニア州ヘビー級チャンピオンなどとしょうもない連想をしてしまうのだ。3位のクラークはマイケル・ムーアも本命視していた候補だけど、ムーアはまたラルフ・ネイダーが出馬を考えているらしいから究極の選択になりそうだね。あとはどうでもいいけど、かって出馬した事あるジェシー・ジャクソンと同じ団体に所属している候補は、何とジェームス・ブラウンのツアー・マネージャーの経験があるらしい。ブラウンといえば共和党支持者だけど、応援しているのかな?そういえば昔フジの深夜番組で「カノッサの屈辱」ていう番組でもこの予備選が掛けの対象になっていたなあ。あの時はクリントンの1期目だったけどまさかアーカンソウの知事が大統領になるとは思わなかった。私はこのときジェリー・ブラウンに期待していたけど、ちゃんと最後まで選挙したから彼は偉かった。(ブラウンはロック・ミュージシャンに知り合いが多かったリベラル系候補)数年前にCBSドキュメントに彼がインタビューに出ていたけど、完全に終わった人という感じで少し寂しかった。
2004年01月28日
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という訳で今度こそちゃんと「That Thing You Do!」を見たのであった。この映画が日本で話題になった頃、丁度私がページで書いている「グレイス・オブ・マイ・ハート」とサントラ発売が重なって、よく同時に紹介されていたのを思い出すけど、何故か「That Thing You Do!」の方はまだ見ていなかった。で、今更ながら見たのだが、良く出来たドラマだった。私は「グレイス・オブ・マイ・ハート」のエピソードの元ネタを殆ど言えるオタなので、そういう人が見るとディテールは甘いのだが、充分一般向けの音楽映画としてはいい映画だと思う。この映画はトム・ハンクスが脚本と監督をしているのだけど、ハンクスって軽い話をサラッと撮る才能がありそうだ。今は俳優が忙しいけど、そのうちイーストウッドみたいに監督業も兼任しそうだね。そうクリス・アイザック確かに出ていました。約30秒だけど。相変わらず訳わかんないセリフを喋っていた。近年は映画に出ていないけど、どうやら彼はジョンウォータースの最新作に出演しているみたいだ。しかしこの映画。何と主演はトレイシー・ウルマンなんだよな。楽しみだねえ。アイザックがこの映画に出たのは多分プロデューサーの1人で、映画にもカメオ出演してるジョナサン・デミとのつながりからだろう。しかし何故ベース担当のメンバーだけ役名がないのだろうか?ちょっと可哀想だ。(役名Bass Playerってねえ)そんな映画なんだけど、私が一番驚いてしまったのはこの映画のビデオにはメイキングも10分ぐらい入っているんだけど、ここで司会していたのがマーサ・クインなんだよな。マーサ・クインという人はMTVの初期に人気のあったVJで、日本版MTVにもよく登場していた人。さすがに老けたなあとは思ったものの、声はあのままだったので結構懐かしかった。結婚してからは半引退状態だと思っていたけどたまにこんな仕事引き受けていたとは知らなかった。しかし彼女は確かやたらマイナーなバンドのメンバーと結婚したんだよなあ。一時期は有名ミュージシャンとの噂もあった人だけど、あれには結構驚いた記憶がある。で、一応マーサとダンナの近影でも張っておこうかな。http://www.breakupgirl.net/guest/9912.html (これはマーサの近影。とはいってももう4年程前らしい。インタビューもある。)http://www.tonebender.com/ (これがダンナのバンドのHP なかなかかっこいい人だ。)でも私この映画見てある疑問が浮かんだのだった。映画とは関係ないんだけど、これはそのうち考えを整理して書いてみよう。
2004年01月27日
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思ったより素早い対応で、あっさりページ消滅は直りました。しかし個人的にはちゃんとHTMLで書いてみようかなと思っていたので少し拍子抜けと言った感じです。とにかくメルマガですけど、来週の月曜日が発行日ですけど、実はいろいろと忙しいので来週からの週刊化は難しそうです。一応何故かパソコンのデータ移動は成功に終わり後は接続を変えるだけなのですが、まあいろいろそれ以外で忙しくなってしまったんです。という訳で、この忙しい時期なのに、掲示板に書いたとうりちょんと「すべてをあなたに」借りてきました。でもまだ見れません。その代わりに今頃になって「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見たのだった。私がこの映画で一番驚いたのは、「マイケル・ムーアはパワーボウラー」だった事だ。どうせこの映画は今更さんざん語り尽くされた感があるので内容については私は触れないけど、単純にボウリング映画としてみれば、ボウリング場面が少ないのは少し不満だった。後ヘストンのインタビュー撮るなら、全米ボウリング協会会長のインタビューが欲しかった気がする。しかしそれをやれば本当にコメディーだけになるので無理だったかなあ。しかし最後のムーアのボウリング場面。多分何度も撮りなおししたと思えるくらい強引な投げ方だったなあ。何と言うか、ボウルをそのままレーンに叩きつけるという感じで、私の友人の某君そっくりの投げ方だった。でも現在マイケル・ムーアは減量してかなりスリムになったらしいからあのパワーが今でも出るかどうかは謎だ。とにかく、この映画が話題になったのはよかったね。
2004年01月26日
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気がついた人もいるかもしれないけどここの横のページが全て無くなっている。2日前に新しいページをUPしたのだけど、何故かUPされず、このような事になってしまった。一応殆どバックアップ取っているとはいえ、さすがに少しショックだね。さてどうするか?楽天にいっても埒はあかないだろうしそもそも新しいパソコンが来て、その関係で今はページを新しく書こうという気がおきない。そう一応新しいパソコンすでに使える状態なのに、何故か現在ここの書き込みは古いパソコンのままだ。理由は1つ。1、LANにするのを忘れていた。すぐバックアップとれると思っていたんだけど、実は大きな間違いだったという訳です。とにかく古いパソコンがCD-ROMを読みこめないのが全ての誤算だった。少し甘かったなあ。とにかく昨日から何度モニタ継ぎ直して設定やりなおしたか数がわからないくらい。それでも結局解った事は「今のシステムでは無理だ」という事だった。一応急がないとはいえメルマガもあるし少し不便な状態が続きそうだ。弱ったものだ。でも唯一変わっているのは、現在ディスプレイが液晶で、画面がでかくなってやたら見やすいという事だ。これはなかなかいい。でもいきなり自分のページが消えるのって、結構大きな問題だと思うのだけけど、皆さんはどうですか?
2004年01月24日
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明日新パソコンが届くらしい。とはいえ昨日から私の地方は雪の影響で夜は通行止め区間が少なからず出ている。実は陸の孤島である地域なのでさて本当に明日着くだろうか?まあ今使っているパソコンがダメダメだから、少しでもいいものなら多分満足するだろうけど、さすがに楽しみだ。てなことを書いていたらNHK教育で趣味講座が始まり何と「ボウリング講座」ではないか。素晴らしい。なんか中山征英(でよかったっけ?)が出ているよ。教育といえば山田邦子とかもゴールデンに出ているけど売れなくなった芸人の救済もしてくれる人に優しい側面もある。ボウリング番組といえば「スター・ボウリング」だったけどあの番組の後期はなんか見ている方が悲しくなる番組だった。スター全然出てこないし、謎のプロばかり出てきてみんななんかゴツイ人ばかりだったなあ。司会もころころ変わって確か佳山明生とか出ていてこの人こんな事しているんだと嬉しくなったりして。そういえば今年上京した時に見たパンチ佐藤が司会のボウリング番組はまだ健在だろうか?結構面白かった記憶がある。しかし一番驚いたのは私の田舎のラジオで、ボウリング番組があって、ラジオでスコアを競っているという聴いている方はさっぱりわからない番組だった。あれは作る方も大変だろうな。で、話全然変わって、今頃スティーブ・ウィンウッドの「About Time」にはまっている。これは典型的なスルメ盤だ。’80年代の音とは全然違うけど、本当はもっと早くこんな音楽したかったのではないかと思う元気なアルバムだ。やっぱハモンドの音はいい。’94年のトラフィック再編はなんか中途半端な印象があったけど、(とはいえシングル買ったけど、あの『Here Comes A Man』という曲はいまでも好きな曲だ。)このままこの路線を続けてほしいものだ
2004年01月22日
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久しぶりに「ビッグ・リボウスキー」を観る。もう4回目だけどギャグとかツボにはまりまくって面白すぎ。何度も笑えた。やはりこの映画はDVDで持ってないといけないなあ。詳しくは別の所に書くけど、「ボウリング至上主義」とでも言うこの世界は私の理想ですね。しかしマイナーな曲が多く取り上げられている映画だけど、主題歌とでもいえるFirst Edition の「Just Dropped In」(To See What ConditionMy Condition Was In)についてだけ書こう。’68年にヒットした曲だけど、ケニー・ロジャースが在籍していた事で有名なファースト・エディションは一応カントリーの枠内のグループだけど、実際聴いてみるとなかなかコンテンポラリーなグループだ。曲を作ったのはMickey Newbury。ソングライターとして有名な人だけど、自身のアルバムも多いカントリー系のミュージシャン。プレスリーもこの人の曲を歌っている。しかしこの「Just Dropped In」という曲、あんまりカントリー的な曲ではない。どちらかといえば当時流行っていたサイケ調のアレンジのおかげか普通のポップスだ。とにかく真面目に作ったのかと疑問に思えるアレンジで、変なギターの音といい、コーラスといい、とにかく不思議な曲だ。いかに当時のサイケデリックが一般化していたかといういい見本だろう。(アソシエイションあたりも変なサイケ調の曲吹込んでいた時代だからねえ。)あとフェイド・アウトして復活するあたり、今では笑いの対象にしかならないけど、例えばアニマルズの「Sky Pilot」あたりでもこんなことやっているので普通にやっていたんだろうね。しかしこの曲を収めたCDをアマゾンで探していたら出るわ出るわ腐るほどある。ケニー・ロジャースって今でも人気高いんだねえ。未だに何故人気高いのか少し理解できない所はあるけど、そのうちメルマガでとりあげようかな?
2004年01月21日
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今回のメルマガ、多分私だったらすぐ取り上げるミュージシャンではなかったと思います。きっかけを与えてくれた立花葉子さんどうもありがとうございます。私がリアルタイムで聴いたのが今回取り上げる曲だったのですが、実際に人気があったのはセカンドアルバム発売時ですから、本当はその頃の「In The Dark」(’81年)にしようかなと思ったのですが、リアルタイムではないので諦めました。しかしこの頃のビリー・スクワイアの音は例えば「クイーン的」とか「キッス的」とかそういった感じであまりオリジナリティを感じないかもしれませんけど、その後の活動を見てみると結構筋の通った活動していたんだなと思います。しかしあのヒゲおやじは何物なんだろう?実は私のプラウザではあそこへ行くとエラーが出てしまうのでまだ全て見ていないんです。一応レコード会社関係の人らしいですけどなかなか珍しい写真多いので面白い。(こっちにも張っとこう)http://www.johnkalodner.com/ (エアロスミスとかジャーニーのファンは楽しめる所です)新しいパソコンになったらじっくりと見てみる予定です。実は有用な情報が結構載っているみたいですから。しかしビリー・スクワイアがコンバースの御曹司という話は本当なのだろうか?確かに売れなくなっても長年契約切られなかったし、あまり活動していないにもかかわらず元気そうだし、やっぱりそうなのかな?しかし付き合いのあったミュージシャンの多くは今でも日本で人気ある人ばかりなのに何故こんなにマイナーになってしまったのだろうか?そんなにクオリティ落ちてる訳でもないんですけどねえ。フレディ・マーキュリーがこの人の曲に参加していますけど、フレディって同じロック系のミュージシャンのアルバムに参加したのは本当にこの人ぐらいなので、多分熱狂的なフレディ・ファンならフレディの参加した「Emotion In Motion」(’82年)とか「Love Is The Hero」(’86年 米80位)持っている人はいるかもしれませんね。(この曲の入っているアルバムの広告は、結構フレディ参加というのが大きく書いていた記憶があります。)さて、実は次のメルマガもリクエストとなります。そろそろ自分で書いてみたい曲がたまってきているので、非常にリクエストは嬉しいです。ありがとうございます。
2004年01月19日
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ドリフの全員集合のDVDが売れているらしいhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040117-00000009-sks-ent しかし出ていた事は知っていたけど、こんなに売れるんだね。ドリフ関係では、確か2、3年前に彼らのベストCDが発売されて、それから少しして彼らの映画(確か20作程度あった筈)がビデオ化されていたけど、ここで本命が登場したわけだ。私の友人に大のドリフ好きがいるけど彼はこのDVD買っただろうか?私はお笑いに関してはビートたけしが一番だったので、本来なら「8時だよ!全員集合」ではなく、「俺たちひょうきん族」を見ていたと言いたいけど、実際は違った。何故なら私の田舎ではフジ系は放送していなかったためだ。しかし「おれたちひょうきん族」も3ヶ月遅れくらいで昼間に放送していたせいで、大体見ている。勿論ドリフも見ていて、有名な停電事件や、カトちゃんが死にかけたコントもリアルタイムで見た。しかしコントも面白かったけど、全員集合って途中のコーナーで結構スポーツというか訳わからん事していたな。有名なのは仲本工事のトランポリンだけど、それ以外に女子プロレスラーとのミックスド・マッチ(確かカトちゃんとかがリングに上がって、一応プロレスするのだが、出した技はボディ・スラムぐらいだった。)とか、ミゼットプロレスとか平気で夜の8時台にしていた。今では難しいかな?(ミックスド・マッチはついこの間もナイナイがやっていたけど。)あとこの番組って当時は珍しくなかったけど、常に生で公開放送だった。上の記事ではドリフのコント復活するみたいな事書いているけど、どういった感じで復活するんだろう?やっぱり舞台じゃないとあれは生きないだろうな。しかし毎週だったから稽古とか大変だっただろうな。よくみんな体がもったと思う。その合間にレコーディングしたり「ダメだこりゃ」(タイトル忘れた)やっていたんだから凄いと今更ながら関心する。そういえば子供の頃なので全然内容は覚えていないけどドリフの映画をテレビで何度か見た記憶があるな。当時は昼間の4時くらいから映画番組があって邦洋問わず流していた。そこでは植木等の無責任シリーズとか好きだったけど(さすがに内容は覚えていない。けど結構ミュージカル仕立てだったと思う。)私主演の植木等を、「笑点」の歌丸師匠と思いっきり勘違いしていました。(この間違いに気がついたのはそれから4~5年後、『スーダラ節』が大ヒット曲だったというある本の記事を見たのがきっかけだった。)なんか恥ずかしいが、子供だったからいいんだよ。
2004年01月18日
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昨日大学時代の話を書いたせいでちょっと思い出したので、今までたまたま街で見かけた有名人の話でも書いて見よう。まずは中村雅俊。五反田のビジネス街を歩いていたらいきなり目の前にいたのですごく驚いた。どうやらドラマの撮影のスタンバイでも待っていたのか、なんかその辺を1人でブラブラしていたみたいだった。しかし結構背の高い人だったなあ。同じ五反田では糸井重里と樋口可南子夫妻(だったっけ?)をたまたまゆうぽうとの1階で目撃。糸井氏も背が高かったのが驚きだった。多分結婚式に呼ばれたんだろう。タキシード着ていた。糸井氏といえばガロあたりでも活躍していた人なんだけど完全に芸能人のオーラが出ていてちょっと驚き。たまたま見た人では、何故か東京競馬場が多くて、例えば現巨人の後藤ともう引退した織田。これは私の後輩が発見して、私は分からなかったのだが、後で彼ら2人の買ったハズレ馬券を見てみたら。さすがに1点買いの1万円掛けていた。しかし後輩が少し騒ぎ始めたせいか、すぐに何処かいってしまったのは残念だった。電車でたまたま見かけた人はさすがに芸能人は殆どいないけど、言論界の人は何度かある。まずは「つくる会」の西尾幹二氏。私は京王線沿線住民だったので、新宿まで出るときに調布から乗りかえるのだけど、電車を待っていてふと横を見たら西尾氏も待っていた。「つくる会」はともかく、ニーチェの翻訳本などでは西尾氏の著作を読んだ事あったので、声を掛けて見ようか迷ったけど、なんか気難しそうなので止めた。何故か1人で特急に乗って、そのまま新宿まで行っていた。あと後輩の部屋に泊まりに行く途中に西部池袋線に乗った時に見たのがロシア関係の研究で有名な和田春樹氏。和田氏の娘は確か練馬で区議会議員しているのは知っていたけど、まさかあの鬼のように込む池袋線で通勤しているとは知らなかったのでちょっと驚いた。ちなみに池袋線では壇ふみに似た人を見た事もある。(一部では目撃情報があるので、本物だったかもしれない。)最後にこれも確認取れなかったので書こうかどうか迷ったけど、呉智英氏を山手線で目撃した。私は実は大ファンなので、(でも封建主義者ではない)かなり声を掛けようか迷ったけど込んでいたので止めた。でも呉先生が起こした裁判ってどうなったんでしょうね?近頃の写真を見ると本当に老けたけど、相変わらず面白いので頑張ってほしいな。しかし西尾氏は見たのに、同じ電通大の中島義道氏を見る事がなかったのは残念だ。まあ声掛けても「うるさい」と言われていただろうけど。
2004年01月17日
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新パソコンが来週くらいから使えそうだけど今のパソコンと性能を比べてみよう。HDD容量 今のパソコンの20倍CPU 今のパソコンの10倍ディスクドライブ 今は使えないけど新しいパソコンはDVDも 見れる。ディスプレイ 今は15インチCRT,新しいのは液晶17インチメモリ 今のパソコンの5倍いかに今のパソコンが使えないものかという証みたいになってきたけど、これでも慣れたら急いでいる時はともかく、あまり苦にはならない。よく考えたらネットと文章書きぐらいしか今は使っていないんだよね。しかし性能がよければ「あれも、これも」となってしまいそうで不安だったりする。でもそう遠くない所に充分使えるパーツ屋発見したし今回買う機種は拡張向きの種類なので、必要とあればパーツを増やせばいい。しかし当初は近所の電気屋で買おうと思っていたけど止めて正解だった。とにかく調べているうちにパソコンの勉強になるね。これで来月には回線も変えてついにブロードバンドだよ。楽しみだ。大体私ADSLとか光の回線で未だにネット見た事ないんだよ。本当に取り残されてるよなあ。これで思い出したけど、昔パソコンを貰った事があった。私の通った大学には経営学部があって、そこでは新入生にパソコンをプレゼントしていたのだ。(買わされたのかもしれない。)しかし’90年代前半という訳で、まだWindowsもなかった時代だったと思うので、とにかくでかくて、操作しずらい物だったと記憶している。確か富士通の製品だったと思うけど、一応パソコン通信は出来た筈だった。この製品を経営に通っていた友人からプレゼント(というよりジャマだから預けられた)してくれたのだ。とはいっても仕様書を見ても私はちんぷんかんぷんで殆ど触らなかった。1回ぐらい電源入れた記憶はあるけど。結局このパソコンは父親の友人(変人)が勝手に持ちかえってしまい、今ではどんな事が出来たのか確認できない。しかしあんな機種持ちかえっても使えないだろうな。しかしこれがつい10年程前だったりするのがなんか不思議だ。
2004年01月16日
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バッファローズの中村ノリがいてまえ打線に変わるあたらしい打線の名称を募集しているらしい。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040113-00000015-sks-spo それは別にいいのだが、なんだよ「水鉄砲打線」って。これはシーズンが始まってみないと付けれないだろうね。だって去年のオリックスみたいに全然打てない打線になる可能性もあるんだから。あと驚いたのはマリーンズにフランコが復活する事。といってもあの変な打ち方の年齢不肖(ロッテ時代には40歳超えていたという説もある。)の選手とは別人なのだが、実はこの新フランコってカート・ラッセルの甥らしい。カート・ラッセルといえば私はすぐ「スネーク」となってしまうけど、結構幅広い役柄のできる俳優だ。実は当初日本で流れていたこの人のプロフィールに「元野球選手」という肩書きがあって、ほんまかいなと思っていた。というのもカートって子役上がりなんだよな。でも今回ちゃんと調べて見たら本当に野球していたらしい。http://www.imdb.com/name/nm0000621/bio しかし私この新フランコの顔は見ていないけど、やはりカート・ラッセルに似ているのだろうか?もしそうならやはりエルヴィス・プレスリーの物まねができるのだろうか?非常に興味深い選手だ。あとそのうちどこかのスポーツ新聞が書くだろうけど、メッツの松井のテーマ曲は西武時代と同じ「燃えよドラゴンのテーマ」なのだろうか?是非そうしてほしいな。西洋人は東洋人の顔を覚えるのがなかなかできないらしいけど、このテーマならすぐ覚えてもらえるよ。ヤンキースの松井は確かビートルズの「ゲット・バック」だったと思うけど、ブルー・オイスター・カルトの「ゴジラ」にしてほしかったなあ。あの曲の途中の変な日本語は癖になる。
2004年01月15日
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この間リンクしてもらっている東京人さんの日記でブリトニー・スピアーズの訳わからん結婚騒動の事を書いていたけど。あれ、なかなか笑える話だ。ラス・ヴェガスのあるネバダ州という所は、どういう訳かすぐに結婚許可証を発行してくれるらしい。そのため例えば親に反対されたカップルとかがネバダというかラス・ヴェガスにいって届出して結婚式を挙げるなんて事が結構あるらしい。実際ヴェガスにはいくつものチャペルがあって、様々な牧師がいたりする。例えばプレスリーのそっくりさんとか、スタートレックのコスプレした人とかなんかいろいろいたりする。ブリトニー・スピアーズって私デビュー曲ぐらいしか知らないけど、酔ったうえでの行動とはいえ、半分冗談でやってみたら後で正気になって慌てたという感じなんだろうね。でも結婚式挙げるためにわざわざヴェガスまで行ったのだろうか?だとするとその時点では結構マジだったのかもしれない。これで思い出したけど、実は’80年代に活躍したミュージシャンにもここで結婚式挙げた人がいたりする。まずは近頃は俳優もやっているジョン・ボン・ジョビこの人はプレスリーの格好した牧師の下で結婚式をしたらしい。あとはガンズ&ローゼスのアクセル・ローズ。ジョン・ボンジョビの結婚も当時それなりに報道されたけど、アクセルの結婚はかなりちゃんと報道された記憶がある。何故なら、相手がエヴァリー・ブラザースのドン・エヴァリーの娘という以外さだったからだと思うけど、この件が日本で報道されていた頃には、すでに2人は離婚していたというなかなか素早い行動だった。(結局3週間だけの結婚生活だった。)しかし何と言うか、「思い立ったら吉日」をちゃんと具体化してくれる街だという事かなあ。映画の世界でラス・ヴェガスが登場する映画って結構あるけど、私好きなものが多かったりするので、そのうち書いてみよう。という訳で今日聴いた曲はZZ TOP 「Viva Las Vegas」だったりする。やたらプレスリーに似せたボーカルが微笑ましいが、結構ZZ TOPというグループ、こういった芸が細かいグループだったりする。(例えばジョン・リーフッカーに似せた『La Grange』とか)
2004年01月13日
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結局現在以前のパソコンから書きこみをしています。どういう訳かわからないけど、8日から異常にパソコンが重たくなって、フリーズしまくり、またメーラーにたどりつくまでに結局1時間かかるという状態になってしまい、「さてこれはどうしたものか?」という状態で日記を書きました。その後2日後に思いきってあまりつかっていないソフトを中心に棄てまくったら、段々と状態がよくなって、昨日あたりからいままでの状態に戻りました。一応空き容量は確保されていたんだけどなあ。今回は何故なのかよくわからないけど、さすがに最後の日を覚悟したのだった。とはいえ新しいパソコンも注文したのだった。ネットの直販で買うことにした。いわゆる外国メーカーの機種だけど、さてどんなものだろう?ここでやっとメルマガの告示。来週の月曜が発行日となりますのでお楽しみに。しかしこんな状態で来月から本当に週刊に戻せるのだろうか?少し不安だなあ。そのうえまだ風邪が完全に治っていない。今は咳がよく出ている。いちおう熱があるとかダルいとかはないのでまだ大丈夫だけど、今頃咳になるかよ。大体4日からなのでもう一週間とは厳しいものだ。この時期はとにかく乾燥しているので、私の部屋も近頃は加湿器を付けている。そろそろ雨が欲しい。ああ湿度が恋しいなどと思う今日この頃であった。
2004年01月12日
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完全にパソコンがいかれました。現在バックアップをとるべく奮闘中。多分4~5日は日記更新は無理です。という訳で、次ここに日記書くときには新パソコンということになりそうです。それでは。
2004年01月08日
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ああなんて時間に日記更新しているのだ。風邪が早く治ったのはいいけど、今回病院でもらった薬は異常に睡魔に襲われる薬なのでついうとうとしたらもうこんな時間だ。という訳で今回のメルマガ、何故かあまり正月とは関係ないような感じの曲でしたが、取り上げた理由は一応正月と関係あるのでした。私には弟(スキンヘッドのデブ、威圧感ありまくり)がいるのですが、こいつが正月来た時に私にこういう注文をしたのだった。弟「あのエミネムの映画のなんとかという曲は売っていないのか?」私「何?エミネムの映画の曲といえば『Lose Youeself』の事か?それならシングルで日本盤普通に売っているぞ。」弟「おおそうか、それで同じラッパーのファルコの『RockMe Amadeus』はないのか?このあいだベストヒットUSAの特番でかかっていたぞ。」私「(話の展開に唖然としながら)んじゃ調べてみよう。」という訳で取り上げました。やはり日本では全て廃盤ですし、「ロック・ミー・アマデウス」以降の作品は入手困難な物がありますが、とりあえずオムニバス盤に収録されていたのでよかった。私はファルコといえば、やはり日本タイトル「秘密警察」での「チャッ」という掛声(なのだろうか?)がすぐ思い出されるですが、「ロック・ミー・アマデウス」では殆ど登場しないのが残念。しかし「ぱぱぱぱぱんく」とか「すすすすすぱーすた」という所は気に入っています。次のシングルだった「ヴィエナ・コーリング」では「チャッ」が復活しているのでうれしかった記憶があります。人によっては白人ラッパーの始祖みたいに扱っている人がいるけど、そんなにラップ的ではない。放送禁止になった「Jenny」なんて後半は完全に歌っているし(これが結構上手い)個人的にはもっと歌手ファルコの曲を聴いてみたかった感じはあります。さてこのファルコと女優ブリジット・ニールセンがデュエットしていたという事を知っている人はいるでしょうか?「Body Next Body」という曲で、’87年のリリースだったと思いますが、ちゃんと日本でもシングルで出ていました。私何故かこの曲のプロモ持っていますが、これも基本的には歌物で、ブリジットといえばこの時期はシルベスタスタローンと離婚して、その行動がやたら芸能マスコミに取り上げられていたスキャンダラスな人だったんですが、誰がこの企画考えたのだろうか?非常に不思議な曲です。ビデオではファルコはギター持って皮ジャン、サングラスでブリジットと一緒に歌ったり、タキスード姿で歌ったり結構息が合っていたりします。変なあえぎ声とかも入っていて、キワ物以外の何物でもない曲ですが、なんだか憎めない曲です。さて最後に、次のメルマガは多分1月19日の予定です。
2004年01月05日
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今熱を測ってみたら37度、やっと熱が落ちてきた。しかしつい7時の時点で39度あって、ついさっきまでうなされながら寝ていた。実は私、風邪で熱が出たときにうなされて幻覚を見たりするのが結構楽しみである。今回は何故か「仕切屋」が登場し、人の体のことをああだこうだと定義された。しかし、思ったよりあっさり熱が下がったな。今回何故風邪をひいてしまったかといえば、昨日少し無理して朝まで起きてしまったためである。パソコン買い替えるため、バックアップを取ろうと思い、CD-RWを取りつけるために朝までかかってしまったのだ。昨日の9時くらいから取り付けて、どうもうまくいかないので疲れてしまい、少し仮眠。(これが悪かった)その後何故か朝の4時くらいに起きてしまい、少しひらめいたので再度取り付け開始。しかし何故かうまくいかない。本当は簡単にCD-ROMが読みこみできれば何の問題もなく取りつけが完了するのだが、長い間読みこみが出来なくなっており、今回もハナからあきらめていた。しかし煮詰まったので試しにCD-ROMを入れてみたら。あっさり読みこみ成功。約4時間の苦労がたった20分で済んだ。どういう訳か知らないが、現在もディスク・ドライブは使用可能。約2年何故か使えなくなっていたが、さてこれはどういう事なのだろうか?という訳で、今回CDを聴きながら日記を書いたりしているのだが、変なパソコンだ。個人的には「レナードの朝」パソコンと名付けたい。多分またすぐ使えなくなるだろうね。ランディ・ニューマンが音楽を担当した映画で、「サボテン・ブラザース」と共に大好きな映画がこれなのだ。チョイ役としてジャズ・サックス奏者のデクスターゴードンが出ているのだが、わざわざランディはデクスター用の音楽を作っていて、これが素晴らしい。映画の内容も素晴らしい。私はロビン・ウィリアムスという俳優は同じような役しかないのであまり好きではないが。これと「フィッシャー・キング」の彼は別格だ。デ・ニーロもこの映画は自分で出たがったんだろうね。(近頃仕事選んでいないけど)
2004年01月04日
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長い間このHPも日記以外は更新していなかったので休みの間にいろいろな新しい文章をUPすべく頑張っていたけど、いきなりつまずいた。「ミュージシャンの出ている映画を語る部屋」というコーナー用の文章書いていたら、見事収拾がつかなくなってしまったのだ。もうすぐ千字くらいになるのに、未だに半分いっていない。今回取り上げる映画はオタクな監督なため、つい私のオタク魂がうずいてしまったのだ。いろいろ調べて見たら「そうだったのか」という新鮮な驚きが多くて、あれも書きたい、これも書きたいという事が多く、つい筆が進んでしまった。そのうえレンタル期間が終わってしまったので、書くにはまた借らなきゃいけない。まあこれは大した金額でないのでいいが。しかしやはり正月が映画でも見てゆっくり過ごすに限るなあ。映画を見る時間があるという事は素晴らしい事だ。と、マイク水野みたいな事を思ってしまうのだった。なお別のコーナーでは、3時間ある特別番組を紹介する予定だが、さてどういう風に紹介しようかという所でつまずいている。でもそのうちUPしたいと思うので、クビを長くして待っておくれ。しかしその前にメルマガがあった。すっかり忘れていたりして。多分来週は映画ネタが増えると思うけど、さてどうなるか。今日は去年のベスト5でも書こう。近頃はあまり新しい物聴かないので、少し前の物が混ざっていたりするけど、気にしない、気にしない一休み、一休み、とんちんかんちんとんちんかんちん気にしない。気にしない~気にしない~気にしない~望みは高く果てしなく。わからんちんどもとっちめちんこれが第5位。この意味がわからなくて1ヶ月悩んだ。(なお未だにわからん)気を取り直して第4位。サンタナ&ミッシェル・ブランチ「ゲーム・オブ・ラブ」唯一の新しいヒット曲。サンタナの関わった曲の中でも一番ポップな出来。ヒット曲中のヒット曲。こういう物があるからたまにヒットチャートも見ておかなくてはいけないと思わせた曲。3位。「When You Get Right Down To It」 Scot Walker「マン&ウェル・ソングブック」というオムニバス盤に入っていた曲で、曲自体はデルフェニックスがヒットさせたバージョンが有名だが、私はこのバージョンがいい。(’73年のリリースらしい。)珍しく詩もバリー・マンが書いている。この曲アレンジ次第ではジム・ウェップの曲に影響を受けたんだなとわかるが、スコット・ウォーカーの声にマッチしている。いい歌手だなあ。2位は「Hurt」 Johnny Cash今年亡くなったキャッシュだが、それを抜きにして多分曲単位では去年最高に衝撃を受けた曲。これをキャッシュに歌わせたリック・ルービンはそれだけで最高のプロデューサーだ。さすがに最初はキャッシュも歌うのがイヤだったらしいけど、いざ歌えば自分の曲にしてしまう。トム・ペティが「キャッシュが自分の曲(この場合は『I Won’t BackDown』を歌っている姿を見ていると、この曲はキャッシュが作った曲じゃないかと思ってしまった。」と言っていたらしいが、トレント・レズナーもそう感じたのではないだろうか?さて輝く1位は単純に聴いた回数で判断して、「No Way Out」 Peter Gabrielアルバム「UP」の中の曲はどれも100回以上聴いたけどこれと「Sky Blue」と「More Than This」が一番聴いた曲かな?ダニー・トンプソンのベースと歌詞が結局1位になった理由かな。意識の断面的な歌詞が多いアルバムだけど、この歌詞は少し夢での出来事が入っているような感じがした。(でも多分本人は小難しい事いっているはずだ。あとで確認してみよう。)しかし今年からはちゃんと良いものがあったらメモする事にしよう。なにせ近頃忘れやすくなって本来なら去年のうちにこれも書くべきなのに今頃やっているからね。
2004年01月02日
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という訳で2005年が始まったけど、全然正月らしくない1日だった。一応今年の抱負みたいなものを書こうかな。とりあえず、メルマガを続ける。という事と、メルマガ用に新しいホームページを作製するというのが公約。あとは特にない。まあ出来るだけ安定した状態になりたいけど、まだまだだな。なお年賀状は遅れるのでそのつもりで。で、今年最初に聴いた曲は。「I’m In A Different World」 Dave Stewart& Barbare Gaskin’85年(だったかな?)にシングルのみで英国で発売されその後編集盤に収録された曲。フォー・トップス’68年のヒット曲(51位)のカバーでホーランド、ドジャー、ホーランドの曲だけど、やたら洗練されたアレンジが心地よい。デイブ・スチュワートはユーリズミックスのあの人ではなく、(私の資料本は本当に間違って載っていた)ハットフィールド&ノースのメンバーだったキーボード担当の人で、一時期日本のキーボード雑誌にも連載持っていたひと。この人が全てのインスト、アレンジ担当で、バーバラが歌うというディオだったけど、殆どシンセ使ったバックなのにあまり無機質感がないという所がよかった。今でも全然古びていない(と私は勝手に思っている。)しかしいいタイトルだ。歌詞の内容は普通のラブソングなんだけどタイトルがいい。なんか現在を象徴しているタイトルだ。この人達モータウンのカバーが多いけど、ビリー・ブラックの曲である「リーヴァイ・スタッブスの涙」のカバーではフォー・トップスの「Reach Out I’ll Be There」をラストに繋げるというなかなか心憎いアレンジで、あの名曲を違った意味で盛り上げていた。(この曲の歌詞、実は私最後の意味が未だによくわからない。誰か教えてくれ。)
2004年01月01日
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