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2005年11月3日の日記を再度、掲載します。この頃はCD「沖縄の魂の行方」を制作していて七転八倒している頃でした。 *************** 頭の中がCDのことしか考えられない状態が続いているので、脳をリフレッシュするためにも全く違うことを少し。 僕が今、仕事をしているところに一人、物凄い男がいる。廻りから『馬鹿が服着て歩いている』 『天下一馬鹿の会会長』と言われているのだが、全く異論のない凄い男。 中学を卒業してすぐに職人の世界に入り、現在38才だが離婚して子供が一人いる。 この男の凄さは毎日深夜2~3時頃まで酒を飲み、翌日6時半には現場に現れるのだがその酔い方が半端ではない。二日酔いではなく、今現在超へべれけ。ING。ぷんぷん匂う。足はふらふら。ろれつが回らない。打ち合わせが出来ない。周りに聞くと多分15年間くらいこんな感じだという。 よく起きて来られるもんだと感心するが、週に一回は無断欠勤をする。 何度も自ら辞め、他所へ行っては一日でクビになり、1,2ヶ月で戻ってくる。これを何年も繰り返しているらしい。 もう明日から来なくていいっ!と言われるのを察知して翌日から突然来なくなるので本人曰く「俺はよぉ、これでも一回もクビにはなったことがないんだぜぇ」 何度も受け入れる方はとっくにうんざりしているのだが自分たち以外、世界のどこにもこの男を受け入れるところはないからと、大人の対応だ。この辺り、黒澤明の「どですかでん」或いは開高健の「日本三文オペラ」の世界。 当然午前中は全く仕事にならない。 昼食は気持ち悪くて食べられないので、一人壁にもたれて「ピルクル」をチューチューすすっている。 DJを目指している22歳の男が言った。 『なんか弱った虫が木の汁を吸っているみたいで、最高に面白いっすね。死ぬんじゃないすか、そろそろ(笑)』。 それを聞いて生き絶え絶えに『死にてぇよお~』。 まともに食事をとらないので体重も40数kg。ガリガリ。ホントにいつ死んでもおかしくない。 午後からやっとまともに仕事復帰。なかなかやる。 段取りが異常に早く、別人かと思うほどだ。 『俺よぉ、午後からの出勤っつうことにしてくれりゃよぉ、やるヤツだよね。な?』。違うね。だって時折午後3時、4時までろれつが回ってないことがあるもの。 仕事が終わると50CCのバイクでいつものところへ直行。 あるときその途中でお巡りさんに停められ、免許証を拝見となったのだが、差し出された免許を見てそのお巡りさん絶句して言った。 『なんだこりゃあ!』 『あぁ~?? 見りゃあ分かんだろうよ。免許だよ。免許のカラーコピーだよ』 『お前ねえ、こういうの何ていうか知ってるか?公文書偽造って言うんだよ、公文書偽造!』 『何てぇ~??そんなムツカシイ言葉、オレ聞いた時ねえや!だってよぉ、酔っ払って何回も再交付してっからよお、もう本物は持つの止めたんだ。5回も再交付してっからよぉ!』。 腰砕けになったお巡りさんは『俺はなあ、お前のような馬鹿と話しするために警察学校行って警官になったんじゃないんだ。もういい、あっち行け!行け!』 と無罪放免となったらしい。翌日彼が『いやーホント、良い奴だったぜぇ、切符切らなかったんだからよぉ。あいつは良いお巡りだよ。』 よっぽど悲しかったんだろうなあ、お廻りさん。苦学してたのかな? で、無罪放免になった彼が向かった先はいつもの所。 ここがまた凄い所。 飲み屋ではなく、70才過ぎのお婆さん一人暮らしの借家。 通称猫屋敷。 不動産屋は更地にして駐車場にしたいのだがその年で立ち退かせるわけにもいかず、お婆さんが死ぬのを待っているんだと彼は言う。現にその家の周りはぐるりと駐車場。駐車場の真ん中にポッカリ一軒だけある。 一度だけ怖いもの見たさで覗いたが強烈な臭いに目が痛くなった。 そこへなんと連日連夜7~8人が仕事が終わり次第風呂にも入らず、家にも帰らず酒を担いで集まり深夜まで飲み会をしているのだという。 毎日だ。しかも何年も。 どこでそのお婆さんと知り合ったかと聞くと、居酒屋だという。 何年か前にいつも行く居酒屋で、一人で飲んでいるお婆さんに声を掛け友達になり、それからは、猫屋敷が彼らの居酒屋になったのだ。 それにしても70才を過ぎて毎日一人で居酒屋に来るお婆さんの人生も凄まじいものがある。 その猫屋敷の玄関前に車椅子が置いてあるので、足が不自由なのかと聞くと、『あー、あれはオレが買ってやったんだよ。だってよぉ~、松葉杖で飲みに来るからよぉ、これで来いやあ』と買ってあげたんだそうだ。 『良いところがあるじゃないか!馬鹿のくせに』と褒めると『えへへへえー』と喜んでいた。 そのお婆さんの入れ歯がコップに入っていて、それを知らずに焼酎を入れて飲んでしまい、慌てて入れ歯ごと表に吐き出してお婆さんの怒りを買い、暫く出入り禁止になったり、酒瓶で頭を割られ包帯ぐるぐる巻きで現場に現れたりと、まだまだ面白い話は一杯あるが、疲れた。終~わり。 さ、CD、CD。リフレッシュどころか疲れた。「沖縄の魂の行方」HP見てね! *************** この馬鹿が死んだと、今日連絡がありました。 上の日記を書いたのが2005年。 あれからも、病院に担ぎ込まれて入院している最中に逃げ出し、酒を飲みにいきまた倒れるということを数回繰り返していました。 すっかり顔なじみなったドクターに「君ねぇ~。もう来なくて良いよ。酒を止める気はないんだろう?」と言われ、 「えへへぇ~。医者がよぉ、飲みたいだけ飲めってよぉ!医者、公認公認」と笑ってた。 去年末に電話があり「チネンチャンよぉ~。オレ、また戻ったんだぜぇ~。スゲェだろう。でも、今度はちゃんとやるよ。」 「もうさんざん言ったからゴチャゴチャ言わないけど、次こそ死ぬぞ! いきなり酒を断つのは難しいだろうけど、せめて飯食ってから飲め!」 破滅的な生き方しか出来ない人間がいる。 これはもう、業なのだろう。 かつての落語家にも多くいた。 43歳という早死にでご両親には親不孝した。 でも、あの、車椅子を買ってあげたお婆さんにはお前は良いことをしたよ! 助よぉ、助さんよぉ。 お前が生きていた事を今、皆に伝えたよ。 あの世でしこたま飲め!!!
2009.03.30
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先日、沖縄米軍基地内で発行されている月刊誌「Living Okinawa」から僕の車を取材したいと連絡がありました。基地内で二万部発行のフリーペーパーですがしっかりした作り。A4サイズ、紙質も良く、全てのページがカラーの80ページ。 中は、およそ7~8割が広告で埋まってましたが、ハブについての1ページや、ダイビング記事、古い民家の記事などが載っています。 『沖縄に来ている兵隊のファミリー向けの月刊誌で、沖縄を知ってもらおうという目的で作られています。ほとんどの家族が沖縄の文化や町を知らずに来ているので、出来るだけ沖縄を理解してもらおうというものです。』と、仲介してくれたEPA通信社の真栄城カメラマンが話しました。 「そういう事ならOKですよ。小さな島で面白みが無いと思ってるかも知れない家族に、沖縄にもファンキーなヤツがいるぜと、教えましょう!」何しろ僕は96年にエレクトリック・トランペッターの近藤等則(こんどうとしのり)氏に米軍基地の金網の前で演奏してくれと依頼したことがあるのです。演奏するこちら側には沖縄のお客さん、金網の向うには米兵達。 近藤氏の演奏で皆が感動するでしょうけれど、感動させるのは金網のこっち側にあるのだ、ということを示したかったのです。結局、近藤氏に「それも良いけど、せっかく沖縄に呼んでもらえるならもっと気持ちの良いところで演奏したいなあ」という言葉で紆余曲折の結果、神の島である、久高島になったのですが・・・ 北谷町(ちゃたんちょう)にあるマクドナルドで待ち合わせして、キャンプフォスターのゲートでチェックされた後、中に入りました。アメリカ人は県内どこでも自由に行き来できるが、僕達は入れない場所がたくさんある。どこかに金網で囲って日本人しか入れない場所を作り、そこからは「いつも音楽と笑い声が響く」場所を作る、というのは意味ないか。意味無いよな。そういう所こそ彼らに「どうよOKINAWA?こういうことこそ一番お似合いの島なんだぜ!」と言いたいものね。 ライター兼エディターのシンディーが可愛い。アメリカ人にもこんなに華奢な女性がいるのかと驚き!「新里さんどいて!」とは言えなかったので右半身のみ。彼に悪いからもう一枚。カメラマンの彼女は・・・アメリカ人らしい、、、かな。ブログにUPして良いかいと聞くと「ノープロブレム」通訳をしてくれた海兵隊コミュニティサービスの新里さんを交え、取材が始まりました。シンディーが「なぜ、こんなことを?」と聞くので、空を指差し「too hot」「暑いからじゃ」と答えるといきなり爆笑。 「暑いのはあなただけじゃない。皆、暑い。なのになぜあなただけこんなことを?」と、笑いながら聞く。 「他の人のことは知らないよ。僕のインタビューを終えたら街に出て、なぜあなたは車の上に芝生を植えないのか?と聞いてみたら?」笑顔で「アホか!」と表現していた。 製作過程を一通り説明するとカメラマンの彼女が(名前を聞かなかった)芝の種に異常に興味を持ち「種の袋を持って車の前で笑ってくれ」。 「芝の種のCMみたいだよ」 「もっと口元に近づけて!」「ドリンクじゃないんだから」 「もっと口の近くに!」 シンディーが「運転していてこれまでにどんなことがあったか?」と言うので、前から気になっていたことを彼女に逆に質問した。車上芝生をしていなかったら気がつかなかったことだ。沖縄の子供達はこの車を見るとピョンピョン飛び跳ねたり、声を張り上げたりしてその場で驚きと可笑しさを表現する。けれども時折信号待ちで隣り合わせたり、併走したりするアメリカンスクールの子供達は皆、一様にもじもじしたりノーリアクション。陽気なアメリカンのイメージがないのだけどどうして?本国を離れている子供達特有なのか? シンディー。アメリカの子供達が陽気じゃないとは思えない。きっと、そのときは可笑しさを表現したくなかった、何らかの理由があったのだろう。あまりにもつまらない答えが返ってきたので、彼女への質問は止めた。「ヤバイやつと思って目を会わさないようにしたのかな?デンジャラスってか?」と言うと「yes yes」と笑いころげてた。 近藤等則の話をすると知らないようだったが『地球を吹く ~blow the earth~ 』の説明をすると興味深そうに聞いていた。いつかキャンプ内でのフェスティバルに呼びたいと思ったら、ギャラをはずんでくれ!日本政府の思いやり予算だろう?とは言わない。 6月号に掲載します『ありがとう』と日本語で別れの握手をしたので、笑えるように書いてよ。今日の感じで書いてねと言うと『OK、OK』。ホンマか? 6月号、楽しみだ。 このブログで結果報告しますね。
2009.03.29
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「泡盛館」に感動します。泡盛館の宮城館長に感動しています。これから書いてあることは全てホントの話しです。読み進むうちに「うっそぉ~」と思われるかもしれませんが、真実です。このシンジラレナイ話を書きたくて僕は13ヶ月もウズウズしていましたが、ついに解禁です。 ***************首里城から車で3分ほど石畳方面へくねくね降りると、僕が子供の頃遊んでいたすぐ近くに「泡盛館」はあります。その種類の豊富さは沖縄県内でも抜きん出ているのではないでしょうか。遥かな昔の悲しみが詰まった泡盛から、世界を向いた自信に満ちている泡盛。そしてここ泡盛館でしか購入できない名酒まで。僕が宮城館長と始めて言葉を交わしたのは一昨年2007年の2月。僕が制作・プロデュースしたCDを委託で置いてもらえないかと訪ねました。快く承諾していただきながら僕はその後、9ヶ月も泡盛館へ行きませんでした。一度、足が遠くなると益々行きにくくなるものです。「さすがにこれはマズイ」と意を決して再訪すると笑って「いやー、ウチは酒屋だからやっぱり売れないねぇ。あんたも大変だろう。今、何やってるの?」従姉妹のお姉さんが精神障害者の自立を支援するNPOを立ち上げているので、時折手伝っていますと話すと「そうかぁ、大変だろうねぇ。お金は無いけど僕は酒屋だから、そのNPOにお酒を寄付しますよ。27年古酒。ウチでの販売価格が7万円です。これをそちらのNPOに活動資金を寄付された方に差し上げたらどうですか?寄付される方も喜ばれるでしょう。」 「えっ!? えっ!? 7万円の古酒ですか?お姉さん感激しますよ!」「それなら僕も嬉しいよ。これを毎月一本、寄付します」 「えっ!? えっ!?えっ~~!? 毎月一本ですか?」「はい。毎月一本。これを5年間。つまり60本寄付します」 「えっ~~!? えっ~~!? 5年間。毎月、一本???」「ただし条件があります。寄付されたのだからと、自分たちで飲んでしまわないこと。この価値ある古酒を、その障害者の方々の活動に役立ててほしいのです。もう一つこれは出来ればだけど、三年間は我慢して外に出さないで欲しい。あと三年経つと30年古酒になり一本の価格が10万円になります。これは適正価格ですよ。でも、ウチで10万円で販売しているからといってこだわらなくても良いです。3万でも4万円でも寄付された方に差し上げてください。30年古酒です、と」感動しました。次の言葉が中々出て来ませんでした。「なぜですか?僕は宮城館長とお話するのは今日でまだ二回目ですよ?」 「いや~、この価値ある泡盛を売るだけではなくて、それ以外に活用の仕方がないものかと常々考えていたんです。」帰り際に僕は宮城館長に確認しました。 「この話しをブログに書いても良いですか?」「いえ、まだ僕は寄付する、と言っているだけです。せめてそちらに十数本が確実に渡ってからにして下さい」と言われたのです。そして、今、すでに十数本が従姉妹のお姉さんのNPO事務所にあります。やっと、僕はここで皆さんにこのお話を紹介することが出来ました。そして先日、さらに驚くことがあったのです。「知念さん。飲みに行かない?」誘われていきますと那覇市から離れた、宜野湾市のスナック?のようなお店です。そこで30年古酒をしこたまご馳走になりました。なんという美味さなのでしょう・・・「幸せ」というものを液体にするとこうなるのかぁ、と心の中でうっとり。時間はただ過ぎ去るだけではなく、ぎゅっと凝縮されてボトルのタイムマシンに詰まっていました。うっとりしていると宮城館長がお店のオーナーを呼び「あなた、もうこれからはウチで10万円出して買わなくても良いよ。この人の従姉妹のNPOに3万円でも寄付して、代わりに貰ったら?」驚きました。毎月古酒を寄付してくれるだけではなく、泡盛館で購入されているお客さんを減らしてまでもとことん付き合ってくれるなんて。 実はこの後、さらに凄い展開になったのですが、この続きはまたいつかUPします。一度に書いてしまうには、あまりにもったいないので・・・・沖縄へ来られたらシンジラレナイ泡盛館に、一度はお越し下さい。HPで宮城館長の写真を見ると、鶏を頭から丸ごと食べてしまいそうな顔をされています(笑)が、泡盛を愛する心優しい経営者です。レンタカーではなくモノレールで観光される方でも、首里城からお電話されたらお迎えに来てくれると思いますよ。
2009.03.27
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新聞紙を頭からかぶせる恐ろしい美容室、いや床屋の話を昨日書きました。今日は、輪をかけた恐ろしい床屋、京都編です。その前にこんな感じの店構えです。 ↓このお店ではありませんが、ホントに似ています。昨日はこのお店の正面のショットを紹介しましたが、似ています。ふと、気づいたのですが僕が体験した沖縄のお店は数十年前です。京都は20年前でしょうか? なのに、このお店は今、現在、の店構えです。どんな店主がいて、どんな客が来るのでしょう??恐ろしい。。。京都。およそ、20年前。僕は二ヶ月だけ、京都に住んでいたことがありました。ある日、とある商店街を歩いていました。記憶が定かではありませんが「新京極」だったような気がします。なんとなくふらっとメインの通りから路地へ曲がりました。僕の変な癖。外国へいっても、いつのまにか路地へ入ってしまいます。危ないと言われても裏道や路地につい足が向くのです。京都。何気に上の写真のような床屋が目に入りました。「ああ、そういえば髪、伸びたなぁ。切るか。」入りました。もう少し賢い僕ならば、その時に中学のあの恐ろしい床屋と「瓜二つである」ということを思い出して入らなかったはずですが、残念ながら新聞紙を頭からかぶせられたバカは、大人になって、磨きのかかったバカになっていました。中に入るとこれからのことを暗示するように、客が一人もいません。爺さんが新聞を読んでいました。ここまでは、あの沖縄の床屋と一緒です。違うのは爺さんは椅子、ではなく、長いすに仰向けになって新聞を読んでいました。客が混んでいるときに待っている間、座る長椅子です。「はい、いらっしゃい」。日本語です。『ぬぅ」と語尾は上がりません。 わりとにこやかに鏡の前の椅子に座るように僕を促しました。新聞紙ではなく、ポリエステルのカバーをきちんと首からかけてくれました。さっぱりしたいので少しカットして欲しいと伝え、順調にことが進んで行きます。カットが終わり、カバーに付いた髪の毛をブラシで払いながら、爺さんは不思議なことを言いました。「じゃあ、悪いけどちょっと外に出てくれる?」 『へ??? 外?? 外って?? なんで????』一気に不安でなにやら怪しい雰囲気を感じ、ザワザワと胸騒ぎを覚える僕の手を爺さんは掴み、引っ張ります。そして先ほど入ってきたドアを開け、僕の手を掴みながら商店街のメイン通りへ誘います。 『えっ、えっ、なに?なに?ウッソォ~』首から白いカバーをかけられた僕は歩く「てるてるボーズ」そのままです。すれ違う人々がクスクス笑います。そりゃ、そうだ。僕だって、こんなヤツが商店街を爺さんに手を掴まれながら歩いていたら、笑うに決まってます。一つ目の路地を曲がり奥に進むと民家の木戸があり、中に爺さんは入ります。「勝手口はこっちだから」と、そっちに進みます。「ギギギィィィーーーー」と不快な音を出すおんぼろ扉の中に入ると、台所でした。台所?? なんで??? オレ、食堂じゃなくて、床屋に来たはずだよな????またしても僕の頭の上には????マークで一杯になりました。それに、ここはどこの家???「いやーー、悪いね。お店から家に入る扉の立て付けが悪くて、開かなくなってるんだ。扉一枚なのに、こんなに歩かせちゃったな。」そんな爺さんの説明よりも、僕は奇妙な光景に目を奪われていました。僕が入ってきたのに、一度もこちらを振り返らない太った婆さんが、まな板の前で何かを切っているのです。『人肉床屋??』何も知らずに入ってきた客を、さばいてオカズにして食べる『人肉床屋なのか?ここは??』ボーゼンとしている僕を爺さんは流し台の前に立たせました。「店の水道管がおかしくなってな、水、出ないんだよ。すまんな。ここで、頭洗う」僕は、京都の、見知らぬ家の、台所の流しで頭を洗われるために生まれてきた男でした。椅子も無く、中腰で、流しの前で腰をかがめさせられました。頭に何かをかけられました。とっさに『それっ、シャンプーですよね??ママレモンじゃないですよねぇっ???』爺さんは笑って「ママレモンで頭洗うかいな。おかしなこと言わはるなぁ」流しの生臭い匂いに目をしかめて右に向けると僕のすぐ横。10センチか20センチかの横で、婆さんが大根を切っていました。出刃包丁で。『うわぁ~~。。。。。頭洗っているときくらい、やめろぉ~。。。。」声に出していません。こころの叫びです。これがまた切れない包丁のようで大根に当てた包丁を上から押さえつけているのか「ガッコン、ガッコン」と音がしていました。激しく動揺して頭を振るわせる僕の首をギュッと掴んで爺さんは、流しのステンレスにこすり付けんとばかりにグッと押さえ込みました。京都の、見知らぬ家の、流しの穴に落ちている、生ごみを、僕は、超至近距離から見つめていました。残念ながら僕の記憶はここまでです。なぜか、この後の記憶がさっぱりと抜けているのです。あまりの恐怖で、脳が記憶することを拒否したのかも知れません。あの後、僕はどうなったのでしょう?首は切り落とされなかった。今、こうして、生きている。京都。恐ろしい町です。京都。皆さんに忠告します。京都へ行ったら、例えいかなる理由があっても、見知らぬ家のステンレスの流しに、頭を、突っ込んではいけません。それさえ守っておけば、京都は、あなたにとって、良い思い出の場所となることでしょう。
2009.03.17
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恐ろしい美容室の体験が僕には二つ、あります。今からこの話しを読む、あなたの想像を絶する出来事です。「それって! 日本?」と思われるでしょう。でも、この体験は日本、JAPANでのことです。そして真実の話しです。一つは沖縄。もう一つは京都、での事です。ずっかり忘れていましたが、先ほど写真のストックを見ていて思い出しました。この写真 ↓ は、この二題とは関係ありませんが、あまりにも僕が体験した美容室と様子が似ているので去年、思わず撮影したのです。まさしく、こんな感じの美容室でした。このお店の前を通って驚きました。入ってみようかと思いましたが、あの恐怖の体験を思い出し足がすくみました。一話。沖縄です。中学二年の頃ですから、もう随分前のこと。沖縄の国際通りの突き当たり安里という地名の近くにその美容室、いえ、床屋はありました。僕は幼稚園までは髪の毛は黒々としていたのに、小学校にあがるとすぐに真っ白になってしまいました。理由は分かりません。「明日のジョー」に出てくるホセ・メンドーサと同じく、一夜にして真っ白になったのです。さんざんからかわれていましたが色気づいた中二の頃、国際通りを歩いていて急に「そうだ!髪を染めればいいじゃん!!」と思ったのです。でも、やったことが無い。どうしよう?と、思った視線の前に上の写真のような美容室、いえ床屋が見えました。その時、なぜか多少のお金を持っていた僕はその、悪魔の床屋へ入ってしまいました。店内へ入ると、客は誰もいません。あれっ?すると鏡の前の椅子がゆっくりと廻り、新聞を読んでいる店の親父が僕をにらみました。「ぬぅー??」沖縄の方言です。「何だぁ??」と言います。 『いえ、あの、その、あのぉ・・・・」「ぬぅー????」 語尾が上がっていました。 『いえ、あの、その、髪を・・・・』「髪が、ぬぅー??? 『はい、か、髪を、染め、染めて欲しいんです』新聞を拡げたままの爺さんは僕の頭を見て、理解したようです。そして顎で、隣りの空いている椅子に座れと命令しました。客の僕に。顎で。命令をしたのです。座りました。5分。何も言いません。10分。何も起こりません。新聞を読んでいます。さすがに頭にきて帰ろうとしたその時、爺さんが拡げていた新聞を二つに折りました。そして、その新聞の二つ折りに折った折り目の中心を指で、半円形に破り始めたのです。 『な、何をしているんだ?』 心の中のつぶやきです。破り終えると爺さんは新聞をまた拡げました。そして、なんと、拡げて円になった穴に僕の頭を通したのです。 『えっ? えっ??えええーーー鏡に映った僕は新聞をかぶったバカ、でした。そして爺さんは白髪染の液体を用意して、陶器の器でコネコネしはじめました。 『えっ? まさか、このまま??』と、不安に陥る僕の頭にペンキを塗るハケのようなもので塗ろうとしたその瞬間、「あいっ! わしとーたん」(あっ、忘れてた。) 同時中継でお送りしています。ほっとしました。そうだろう。そりゃ、そうだろう。いくらなんでも、そりゃそうだろう。こんな格好のまま、ってことはないだろう。忘れるなよな。爺さんよぉ。髪染液を置いた爺さんは、床に捨てたさっきの半円に破った新聞を拾いました。 『何?何?何すんの?』拾った新聞を今度は5~6センチにまた破り始めました。しかも、またもや半円です。餃子、くらいの大きさでしょうか。それも、またしても、折り目のところを破いていました。餃子を持った爺さんは、店の奥に消えました。これから何が起こるのか?中二の純情な僕はおびえていました。奥でなにやら婆さんに「○○持ってこい」と言う声が聞こえます。戻ってきた爺さんの手には右手に餃子、左手には昔の、ブリキ製の、洗濯バサミが二個ありました。僕の頭の上には「???」マークが何個も付いています。そして爺さんは餃子を、いえ、半円状態に破った新聞紙を拡げて、僕の耳にかぶせたのです。そして、恐ろしい事にその耳にかぶせた新聞紙を固定するために、洗濯バサミで僕の耳を挟んだのです。痛かった。もの凄く痛かった。今、思い出しても痛い。昔のブリキの洗濯バサミの強さったら、そりゃぁもう、大変ですよ、あなた! 『痛~い!!なにするのぉ~。』 絶叫する僕に「やがまさん。耳ぬくるーなてぃん、しむんなぁ?」 (うるさい。耳が黒くなっても良いのか?) 同時中継でお送りしています。その後のことは記憶にありません。バタバタしながらも最後まで染めて帰ったのでしょう。おそらく。そのお店も今はありません。スーパーになっています。そのスーパーに恨みはありませんが、僕はそこで買い物することは無いでしょう。僕の耳が許さないのです。「スーパーへの苦情と掛けて床屋と解く」その心は 「耳が痛い」しょうもないオチですいません。長くなりましたので、京都での出来事は明日以降、次回に書きます。京都の出来事はもっと恐ろしい話しです。何しろ、出刃包丁が登場してきますから。「出刃包丁で髪の毛を切るんだろう?」と思われたあなた、とんでもありません。そんなお洒落なお店ではありませんよ。それなのに「出刃包丁」がゲスト出演します。お楽しみに。
2009.03.16
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昨日、気が付いたのだけど車の助手席に小さな芽が出ていました。普段車庫で止めているとき、左側をブロック塀ギリギリに止めるので助手席の窓をフルオープンにして止めています。これは後部座席に積んでいる僕が制作・プロデュースしたCD 沖縄の魂の行方 を車内の熱から守るためですが、雨の日は勿論閉めています。でも、雨の気配がないのに深夜に雨が降ると大変なことになっていることがたまにあります。先日がそうでした。そしてあれから数日、今日気が付いたらこんな芽が出ていました。中を覗くと。寄ります。水をかけていいものか、悩みます。いきなりお邪魔されても・・・『車上の緑は良くて、車内はなぜいかんのだ!? えっ!?どうなんだい?』と、言っているような気がして・・・
2009.03.15
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去年、何人かの友人達にはこの動画を教えたけど、もうホントに素晴らしいのです。 勝手に僕は「蜂のDJ」と名づけてしまいまいした。 パソコンの無い時代にこれほど凄い映像を作ったなんて。 『アンビリーバボー』とはこういうときの言葉だね。 1942年の作品のようです。 これほどの作品を作りながらなぜドイツがアニメ大国にならなかったのか? 一秒もおろそかに出来ません。 9分34秒。あっという間に過ぎます。 蜂のDJ 僕のブログを訪れてくれたみなさん!!さあ、みんなで。 これを見て幸せの国へ行きましょう。
2009.03.14
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沖縄のとあるお宅にお邪魔した帰りそのお宅の前にある庭で、不思議なパパイヤを見つけました。遠めで見ていたときは「台風で倒れてそのまま後片付けしなかったのかな?」と。で、近づいて見て、驚きました。パパイヤは生きていました。腐ってもいませんでした。しかも大きな実をつけているのです。『あ~、かったりぃ~。寝よ。寝て、一生遊んで暮らそ。あ~楽。』 『女遊びもやりたいだけ、しよ。あのパパイヤ変って言われてもしよ。あ~楽。』と、思ったかどうかは分かりませんが(女性かも知れないし)この横になり様は尋常ではない。斜め、とかではなく、完全に横。ヨコったら横。自分のパパイヤの実を枕にしているようです。あ~、良い、行き方だ。勉強させていただきました。 師匠。
2009.03.11
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昨日の日記に続き、エレクトリック・トランペッター・近藤等則(としのり)氏の「地球を吹く」イスラエル編をご紹介します。昨日は、空中都市・マチュピチュでの演奏でしたが、今日のこの映像は1996年にNHKで放映され、その年のATP賞を受賞しました。ATP賞とは、製作現場にいる方々が投票権を持っている賞で「最も嬉しい賞です」と当時、プロデューサーが話していました。「イスラエル編」のメインはナミブ砂漠での演奏ですが、このyou tube の映像には残念ながら映像が入ってないところで近藤氏は地雷原に石をなげたり、マシンガンに囲まれる中、人っ子一人歩いていない戒厳令の街をポケットに手を突っ込みながら「まるで人のエネルギーが感じられない。」と街角のビルを覗き込みます。では、まずはご覧下さい。地球を吹く・イスラエル こんなとんでもないミュージシャンに僕はこの夏(7月下旬)沖縄のとある島での演奏を依頼しています。神代の歴史上での、ものすごい場所で近藤氏のとてつもない演奏が行われます。はずです。なんとか資金を集めます。明日はがらっと変わって、面白おかしい植物の写真を紹介します。パパイヤですが、なんとも「変」な育ち方をしているのです。
2009.03.10
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昨日の日記や、これまでも僕は「近藤等則 こんどうとしのり」氏の音について書いてきました。ヨーロッパでは『マイルスの次はコンドー』と言われているほど凄いのですが、知らない方の為に今日は映像を皆さんに紹介しましょう。これはイスラエルのナミブ砂漠で演奏した写真です。近藤氏は言います。『25年間、都市の箱の中で演奏してきてもう、飽きてしまった。 それにこれからの新しい音楽のイマジネーションは都市ではなく、自然の中から得るしかないと思う』と。僕は彼の音が好きで96年に、沖縄の聖地・久高島での演奏を依頼しました。そして普段は、沖縄民謡を聞いているお年寄りの方々が、この初めて聞いた音に『この人の音楽は、天から祖先や神様を降ろしてくれている音だね』と言われたのです。瀬戸内寂聴氏はこう言いました。「あなたの音楽は真言(マントラ)です。 宇宙に発する言葉なのね」と。この夏(2009年の7月)に僕は近藤氏に沖縄での演奏を依頼しています。ある島で。未だに資金の問題があるので公表出来ませんが・・・近藤氏が空中都市、マチュピチュで演奏した映像をご覧下さい。人間という観客のいない「大自然が観客」のステージです。楽天の基準だと、動画の解像度が良くないのでyou tube をそのままリンクします。こちらです。→ 地球を吹く明日は、イスラエルの砂漠での演奏をご紹介します。
2009.03.09
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僕が敬愛する写真家、平澤寛さんの写真展が現在、山梨県大月市で開催されています。今月の31日まで。「人物撮影では日本で一番だろう」と多くの方が声を揃えるほど「スゴイ」写真を撮ります。就職情報誌「ガテン」の表紙など数多くの広告、雑誌の仕事に長年携わりながら2002年、突然全ての仕事写真を打ち切り山梨県の上九一色村にある古民家に移り住んでしまいました。数年前、遊びに行くと「まだ水道もガスもきてないんだよねぇ~」と笑いながらカセットボンベでそうめんを作ってくれました。トイレは庭に掘った穴を木枠で囲っただけで、水が入ったペットボトルが置いてありました。「平澤さ~ん、紙、ないよぉ~」と叫ぶと 『えっ?紙、使うのかぁ~。紙って幾らすると思ってんだぁ~』横浜から車でインドに来たわけじゃないぜと僕は貴重な紙を使いましたが、一緒に行ったラチーキン鼻山は水だけで済ませていました。「撮りたいものを撮る」ために環境を変えた平澤さんの写真展に近藤さんが28日、演奏します。平澤さんのメッセージです。『2009年3月の1ヶ月間、大月のレストラン・アダージッシモで写真展を開催させていただくことになりました。以前からエレクトリック・トランペット奏者の近藤等則さんのファンであった私は、今回のアダージッシモでのライブをお願いしました。近藤さんは、快諾してくれて、このライブが今、実現しようとしています。夢ではなく現実です。ご存知の方も多いと思いますが、近藤さんの音は、すべてのいのちのある者の魂に届く音、人間の心の襞に響く音、とでも言いましょうか、濃密な経験と想像を超えるトレーニングに裏づけられて発信する近藤さんの音は、限りなく普遍的で、宇宙です。今回このフライヤーを作るにあたって、近藤さんのバイオグラフィーを見て改めてその大きさに圧倒されつつも、この3.28という一夜に全力で向かうことになりました。ライブ当日、私の制作したフォトスライドショーを同時上映します。近藤さんの音を意識しつつも、私の内から湧き出てくるものを写真として出し切れば幸いです。2009年3月28日の出来事は、私にとって、そして皆様にとっても大きな記憶となることを確信しています。是非、お出かけ下さいますようお願い申し上げます。』写真展 3月1日~3月31日(火) 9:00am~10;30pm 会場 レストラン・アダージッシモ 0554-23-2323 http://www.otsuki.net/adagissimo/index.htmlライブイベント 3月28日(土) 7:30pm~ 3500円 ワンドリンク付 『70席限定です』お問い合わせ レストラン・アダージッシモ 平澤寛 hiroshi-hirasawa@indigo.plala.or.jp70席限定となると、富士山麓周辺には近藤さんのファンが多いので、恐らくあっという間に満席になるでしょう。僕も「チネンチャン、おいで」と誘われていますが沖縄からはあまりにも遠い・・・
2009.03.08
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『車上緑化計画』も落ち着いてきたこの頃、昨日ふと気が付くと不思議な「芽」が生えていました。この中を、良~く見ると。芝の種以外は植えた覚えがないので、風に乗って僕の車上へやってきたのでしょうか。そうであるなら「いらっしゃい!」。あなたを歓迎します。でも、どちら様でしょうかね?母に「スイカっぽくないか?」と聞くと 『じゃあ夏にスイカ食べられるんかいねぇ』相変わらず、冷めた返事でした。もう少し大きくなればどちら様なのか、分かるでしょう。その日までしばし、お待ちを!!!
2009.03.07
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