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ネオリアヤの言葉
矢印の先にあるものは
「あれって俺のこと?」
駒谷さんが、
搬入中のベンチを全身で会場内に押し込みながら、小さな声で訊いた。
周りでは、
明日のラジオ番組の公開収録準備でかりだされたバイトちゃんたちが、
黙々と肉体労働している。
「あれって?」
ケイは、彼の言葉に質問で答える。
明日の番組ゲストが、
どうしても電車で会場入りすると云ってきかないため、
駅から建物、入口から控え室までの導線を確認している途中だった。
ゲストは、今年に入ってから人気急上昇中の歌手、谷本玄。
有線リクエスト数は、今月に入ってダントツ一位。
館内図に、あやしいまでに四方八方に引かれた蛍光ペンの矢印。
どの道程に決めたのか、自分でも忘れそうだった。
「今月号の雑誌に書いてたヤツ」
「あぁ…」
海外ファッション誌の日本版に掲載している、
毎月完結型の短編小説のことを、駒谷さんは云っているらしかった。
「どうしてですか?」
動かしていた手を止め、隣でベンチを並べ始めた彼を、
ようやっと見た。
番組のディレクターをしている彼の胸元には、
明日のためだけに用意されたスタッフパスが、捻れてぶら下がっている。
青い紐が、セーターのせいで毛羽立っていた。
「別に…なんとなく」
「でも、思いあたる節があったから、そんなこと訊くんですよね?」
「まぁね。で、実際はどうなのよ?」
収録ステージの最前列位置にだけベンチを並べ終えた彼は、
その後ろへ同じようにして、残りの十三列分、
ベンチをセットするようバイトちゃんたちに指示していく。
冗談を云って彼らを笑わせておくあたり、
人を気持ちよく働かせる方法を、よく心得ていると感心する。
イベントのバイト上がりでラジオ局のディレクターになった駒谷さんにとって、
バイトちゃんたちの心情は、手にとるようにわかるのだろう。
「誰でもないですよ」
「そうなの?」
「そんな残念そうに…。駒谷さんて、裏方の仕事してるわりに好きですよね、そういうの」
ケイは、屈託なく笑った。
「当たり前だろ。ほくそ笑むのが俺の趣味だからね。『あれ、実は俺なんだ』っていう仕事したいからに決まってんだろ」
自分でセットしたばかりのベンチに腰を下ろし、煙草を一本抜き取る。
「駒谷さん、ここ禁煙ですよ」
「お、そうだった、屋外みたいなとこだから、すぐ忘れちゃうんだよな。危ない危ない」
彼は、携帯の着信を確認しながら、煙草を戻す。
「明日、本当に大丈夫なんでしょうかね」
「何が?」
「谷本玄。マネージャーと二人で電車で来るじゃないですか。まだ、信じ難いんですけど」
「本人もOKしてるんだし、こっちで心配しても仕方ないよ。それに、顔の露出も今んとこ低いし」
「でも、一八〇㌢ですよ、身長。絶対に目立つでしょ。どうしたって」
「確かに…。ま、実際に歌ったらみんなわかるだろうけど、大丈夫なんじゃないの? それに、おまえも付いてるし、なんかあったら連絡くれればいいんだし」
駒谷さんが突然黙り込むので、思わずケイは眼を合わせた。
「?」
「ケイって案外心配症だよな」
「案外ってのが余計です」
「え、そんなことしちゃうの? ってくらい普段は大胆だろ。大雑把すぎるくらいに」
確かに、物怖じせずに行動をとることが多い。
ただし、その突飛さも大胆さも、周囲の記憶に残らなければ意味がない。
計算のうえでの、瞬時の判断だ。
ケイは、背中あわせに、同じベンチに坐った。
「それよりケイタリングの方は?」
「そっちは大丈夫です。さっき、最終確認済みましたから」
「よしよし。食わんと死んじゃうからな」
後ろに坐っている彼の動きを、空気の流れで感じつつ、
ケイは吹き抜けの天井を見上げた。
ステージ横に備え付けられたクリスマスツリーは、
先日の土曜に点灯式を行なったばかりで、まだ埃を被っていない、
きれいな色をしている。
そして、向かい合うようにして壁一面に貼り付けられているのは、
全体が赤やピンクで彩られた絵。
昨日の搬入時から、一人の青年が描きこんでいるもので、
クリスマスアートのライヴドローイングが目的の、
クリスマスイベントのひとつだった。
真っ白い壁が、始めは真っ黒に塗られた。
そして、オフホワイト、白が重ねられていく。
そのうち、赤が混じり、ピンクが入り、水で薄まった赤がまた重ねられ、
真ん中へんに白い部分が取り残されたまま、
今朝からそのままだった。
このあと、どうなるんだろう…。
谷本玄の、歌わないラジオトークより、
絵のライブの方に、ケイは強い関心を抱いていた。
血のりのように塗られ、下へ流れ落ちていくペンキ。
現代美術やインスタレーションという言葉に、
これまで少なからず異質さを感じていたケイにとって、
その作品制作の過程を全て目撃するということは、まるで、
自分が短編小説を書いている姿を擬似的に見ているようなカンジがして、
始終緊張していた。
同じ行為なのだ。
特異なものなんかではないと、感じた。
大勢の人の前で創作活動をするということ。
それは、自分の素を見せてしまうこと以外の何者でもない。
緊張していた理由はそれだった。
自分にそんなことができるのかはわからない。
書いている姿どころか、
書き終わったあとの作品についてでさえ自分には語れない。
「今回の短編、駒谷さんのことです」
そう云えたら、
どんなに気持ちがラクで、彼との距離もとりやすいかしれない。
自分は彼をこう思っていると伝えられたら、
たとえそれが間接的であっても、
関係が「停滞」から「進展」へと動き出すはずなのに。
でも、互いに仕事のパートナーであり、
周囲との距離もベストな状況にある今。
それ以上の感情を全面に押し出してしまうことは、ケイにはできなかった。
彼に触れたい。
けれども、
どちらか、もしくはどちらをも失うかもしれない選択肢は存在しない。
温水プールに漂っている感覚を今さら捨てる覚悟よりは、
日常の些細なかけひきに興じてドキドキしている方が、
ケイには大切だったし、心地よかった。
そう。
結局は、いつも、心地よいままに全てが流れていく。
「おまえさ」
「え?」
彼の体温が、数センチの空気を突き破ってケイの躰にしみこむ。
「これでいいのか…?」
「これでって?」
「イベントのアシスタントだよ。自分に嘘ついてなんぼだぞ…。いくつだっけ?」
「二十六」
「…近道はないけどさ、見えてるものがあるんなら、転んで痛い思いしてでも食らいついてったほうがいい」
視線を合わせないようにして、
駒谷さんはぼそぼそとつぶやいた。
「好きなもんに好きって云わなきゃ、意味ないからな…」
自分に云い訊かせながら微笑む。
弱々しいからこそ強い響きで届いた言葉。
頭の中が、ぐらぐらと揺れた。
「せめて、そのくらい素直になっとけ」
そう残して立ち上がると、
しまったばかりの煙草を取り出しながら、外へと向かって行った。
何に素直になったらいいのだろう。
ケイは、左手の中で丸まった、
矢印だらけの地図を眺めながら言葉を失くしていた。
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