ネオリアヤの言葉

ネオリアヤの言葉

どんなご関係




湯浅さんが、人込みをかきわけるようにして私に近づいてきたのは、
すぐにわかった。
ひと通り知人を紹介し終わり、私はウーロン茶を片手に、
ちょっと満足した気分で会場全体を眺めていたところだった。

「ノガミさんですよね?」
「はい」

彼女の名前までは、最初思い出せなかった。
数ヶ月前に、途中から参加した飲み会の席で、葵から紹介された記憶はあった。
でも、私も別の場所で飲んだあとだったし、
葵も十人近くの取り巻きの女性を、一気に紹介した程度で
言葉も満足に交わしていないので、覚えられるほうが無理というもの。
葵とたくさんの女性たちの近くに坐っていた年下の男の子と、私は話をしていた。
それでも、その子の顔をなんとなく覚えていたのには、理由があった。

人一倍、私の顔と全身を眺めていたからだ。
酔っ払っていたけれど、あまりの熱視線に私は恐縮してしまったくらいだった。

「あの、私湯浅と申します。三ヶ月くらい前に、一度、泉さんから紹介を受けた者なんですが…」

少し、気後れしながらも、眼は相変わらずまっすぐに私の眼を見つめている。

「あ、覚えてますよ、湯浅さん。久しぶりですね?」
「よかった」

にこやかな表情に、私の顔も崩れる。
黒い、スカート部分にボリュームのあるロココタイプのワンピースを着て、
流行りの長いパールネックレスを何連にもして首からかけている。
二センチくらいの高さのパンプスを履き、
ボブのヘアスタイルをワックスで抑えていた。
私には似合わないファッションだなあと、半ば羨ましくも感じながら、
それを隠さずに眺めた。

「素敵ですね」

湯浅さんが私の全身をさして云う。
自分の服装を上から見下ろした。
白の、細いパンツスーツに、ベージュの高いピンヒールを履き、
インナーにはVゾーンが深い、子羊革のノースリーヴを合わせている。
室内にいるからなんとかなるけれど、外の湿度に身を任せると、
革のせいで背中に汗が滝のように流れる。
ジョークでも口にしたくない状況だ。
涼しい笑顔の裏に、拘りと根性が潜んでいる。
スーツは、日本ではセレクトショップでしか手に入らない、
スペインのデザイナーのもの。
スーツに至っては日本では入手不可能。
知り合いである別のメンズショップのバイヤーに頼んで、
スペインから直接買い付けてきてもらったのだ。
日本にはないデザインと仕上げに気づいての言葉か、
それとも会話の糸口としてとりあえず触れた言葉か…それは考えないでおこう。

「ありがとう」
「泉さんとお話できました?」
「まだ。人がいっぱいいるし、まあ普段たくさん話できるから…今日はね。湯浅さんはお話できたの?」
「はい、最初からいたので」
「そうなんだ。私は仕事終わってから来て、知人を紹介してばっかりだから、ようやっと飲み物にありつけた感じかな。何か飲む?」
「あ、いえけっこう飲んでるんで」

私よりも若い感じの、クタクタとした笑顔を撒き散らしながら、
左手で自分の顔を扇いでみせる。

「じゃあ同じの飲む?」
「何飲んでるんですか?」

氷が入って、薄く汗をかいているグラスの琥珀色の飲み物を見つめる。

「…ウーロン茶」
「え」

おかしそうに笑って、私は近くのウエイターからウーロン茶をひとつもらう。

「お酒強いんじゃないんですか?」
「…葵が?」
「はい、ノガミさんはお酒強いって云ってました」
「…まあ…好きだけど、すぐ赤くなるんだよね。だから、こういう半分仕事みたいな場合はあんまり飲まないの、あとでガッツリ」
「へえ…今日はお仕事なんですか?」

彼女の関心がより強くなる。
私が小脇に抱えている大きな鞄に視線を落とした。

「完全な仕事じゃないけれど、葵を、職場やビジネス関係の人間に紹介するのが目的で今日は来てるから、真っ赤な顔して挨拶するのはちょっといやでしょ」
「確かに…」

今日は、葵とその悪友アーティストやデザイナーたちが主催の【梅雨パーティー】。
いやなネーミングだねと云ったら、
「それを面白いと思って参加してくれる人じゃないと、一緒に飲んでも面白くないだろう」と云われた。

葵とは、恋人関係だけれど、互いに全くもって干渉しない間柄だった。
友達以上恋人以下という関係が数人互いにあるし、
仕事とプライベートの時間もほとんど合わない。
一緒に暮らすことも考えたことがあるけれど、
そうすることで得られるプラスよりも、
引越しや場所探しで削られる時間や金額、労働のほうが上回っているという結論で、
却下された。
恋人であることも、みんなに云っているわけではないので、
知らない友達のほうが多い。
よくよく見ていると、テンポやニュアンスがあまりにしっくりしているので、
「ねえ、二人って付き合ってるの?」とか
「ユアって、泉さんのこと好きなの?」と訊かれるくらい。

付き合っているという感覚は、おそらく葵にもないだろう。
私にもない。
好きだから、互いに好きだから、恋人だというだけで、
別にほかに互いに好きな人がいたら、その関係も恋人になってしまう。

「泉さんとノガミさんてどんな関係なんですか」

眼の前で、ウーロン茶に口をつけずにいた湯浅さんが、訊いた。

「…」
「付き合ってるんですか?」
「…」
「好きなんですか?」
「…」
「好きになってもいいですか、泉さんのこと」

私が沈黙しているというより、答えるタイミングを与えないような、
間髪入れずの質問が飛んできた。

「…うーん…最後の質問はおかしいよね」

私は苦笑しながらウーロン茶を飲んだ。
こういう類のことを云われるのは、これが初めてじゃない。
何度も、何人もの女性から、葵との関係を訊ねられ、
そして宣戦布告されてきた。
その記憶が過ぎる。
あまりに多すぎて、幾人か分は割愛されている。

「おかしい?」

湯浅さんの表情が、半分怒りか緊張で、紅潮する。

「そう。だって…つまり、…ごめんなさいね、私、婉曲に云えないんだけど…湯浅さん、もう葵のこと好きなんでしょう? 自分の気持ちを人に確認するなんて、おかしいと思わない?」
「…それはそうですけど」
「だったら、好きですから、くらい云って立ち去るほうがいいと思うけど」
「…」

彼女の顔はますます赤くなり、
私は反省と居た堪れなさで申し訳ない気分になる。

「ノガミさん、泉さんのこと好きなんですか?」

同じ質問がきた。

「好きよ」
「…でも、ほかにも好きな男性がいるって訊きました」
「…どうして?」

彼女の云いたいことはわかる。
でも、その訊き方はよくない。

「…」

別に意地悪しようと思っているわけじゃない。
その反対だ。
好きならば、同じ土俵に上がってきたらいい。
そんなんじゃ葵とは関係を持てないと思うからこそ、歯がゆい部分もある。
私のことなんか、気にもかけずにしれっとしているほうが葵とはちょうどいいし、
あまりに私を意識していると、やきもちの度合いや恋愛経験の少なさのせいで、
苦しむだけ。
もっと自分に自信を持ったらいいのに。

「葵がいるのに、どうしてほかに好きな人がいるの? って訊きたいんでしょ?」
「…そうです」
「なら、そう訊かなくちゃ」
「…」
「…」
「どうしてですか。…泉さんがいるのに、どうしてほかの人を好きになれるんですか」
「…湯浅さんは?」
「?」
「どうして葵のことが好きなの?」
「…どうしてって…」
「あなた、同じことを訊いたのよ」
「…」

質問の意味に四苦八苦しているのが、手にとるようにわかる。
葵、この子のこと、あんまり苦しめるようなこと、したらダメよ。
彼女のほうからは飛び込んで行けないのだから、
誘い込んであとはこの子任せなんて。
恋愛の主導権を同じにして、彼女の意思を尊重するなんてズルいやり方、
この子には通用しないんだから。

「好きになるのに、理由なんてないでしょ? これだ、この人だと思うから、好きになってしまってるのが恋愛だと思うの。それと同じよ」

どんなふうに言葉尻を柔らかくしても、反対の立場の人間にしてみれば、
この上なく憎たらしいセリフだろう。
私が上の立場のような云い方になってしまう。
本当は、葵にとって、私もこの子も、同じ女性でしかないのに。
そのことを、湯浅さんがわかるようになったら、こんな質問をしたりなどしない。

「たとえば、湯浅さんが恋人とか大好きな人に去られたとして。そのあと、別の人を好きになったりしない?」
「…」
「ほかの人を好きになること、あるかもしれないでしょ? 人は、そういうものだと思うの。ずっと一人の人だけを好きでいるなんて、難しいことだと思わない? 大切に想い、愛することとは別の次元でね」
「…じゃあ、ノガミさんは泉さんのこと、好きなんですか? 愛してるんですか?」
「どっちも」
「…ズルいですね」

私は、ようやく素直な気持ちで微笑むことができた。

「そうねえ…一番贅沢な気持ちだと思うな、自分でも」
「…」
「好きでいるときの気持ちと、愛してるときの気持ちって、不思議と同じようで違ったりもするんだけど…愛してる想いのなかに好きって気持ちがあるからかな…反対だったら、それはとても苦しいことよね」
「苦しい?」
「うん。だって、好きな想いがいっぱいあって、大好きで大好きで自分のものにだけなって欲しいのが、好きな想いでしょ? それなのに、その大好きな人がよそ見したり、ほかに興味を持ったりしても、その人をあるがまま受け入れなくちゃいけないなんて、辛い。自分にそうすることを強いているってことでしょう」
「…泉さんのことですか?」
「葵もそうだけど、世間一般にも云えることよ。…ま、それはあなたが葵から直接訊いたらいいことね」
「…私には好きになれないってことですか」
「そうなるの?」

私は、彼女の内股になっている足元を見つめながら、
視線をゆっくりと、離れた場所で談笑している葵に向けた。

「ただ…なんていうか、こんなこと云うのおかしいんだけどね。葵を好きになるとき、それ以上に自分のことや自分の気持ちを好きで、愛しく感じてあげられないと、自分を高めることはできないと思うの」
「自分を高める?」
「うん。人を好きになったら自分を高めていかなくっちゃ。それが自然にできる関係ならば、素敵だと思う。互いにね。葵って、一緒にいると凄く楽しいけど、飲み込まれちゃうと大変みたいよ。自分は葵が好き、それが大切な想いなんだってこと、忘れないような気持ちを常に自分のなかに持ち続けられるかどうか…」
「…」
「なんかうそ臭い話だなあ…まあ、つまり…自分はこの人が好き! それだけでいいと思うの」
「…」
「その想いがあることで、自分が輝いていられることが恋愛の醍醐味じゃない?」
「…そうですね」
「…なんか、ごめんね、変な話になっちゃった」
「いえ…私からふった話ですから」
「…」
「泉さんの云った意味がわかりました」
「?」
「泉さん…ノガミさんのお話をするとき、いつも凄く褒めるんです。素晴らしい女性だって…なんだか、恋愛の話なんだか、仕事の話なんだか全然わからなくて、すごくモヤモヤしてました」
「…まだ云ってるんだ、ソレ。やめてって云ってるのに」

私は、葵と眼が合って苦笑する。

「上手く云えないけど…その意味がわかったような気がします」
「?」
「…よかった、今日、ノガミさんとお話ができて」
「それは褒めてもらってるの?」
「はい…悔しいけど、ノガミさん素敵です」
「…」
「私も素敵な女性になります」
「…」

これも、一種の宣戦布告なのだろうか。

「失礼しました。今日はもう帰らなくちゃいけないので…泉さんに挨拶して帰ります」
「二次会に行かないの?」
「はい…終電なくなっちゃうので…また一緒に飲みましょうね」
「…そうね。今度は葵のいないメンバーで盛り上がろうか」
「はい。失礼します」
「気をつけてね」

湯浅さんの笑顔は、相変わらず若者らしい色を残していたけれど、
私のなかで、少しだけ翳を帯びて大人っぽく感じられた。

その後ろ姿に、心のなかで話しかける。
私だって、葵に振り回されないよう、
葵を好きな自分の気持ちに振り回されないよう、一生懸命努力してるのよ。
いつでも輝いていられるよう。素敵な女性として、葵の心に映るよう。
だって、葵のことが大好きだから。


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