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寒い京都の夜明けです。正月帰省の長男も昨日東京へと仕事に
戻りました。再び老夫婦二人の普段の生活に戻りました。
京都観光と言えば、清水寺が群を抜いて人気が有ります。
清水の舞台がその注目となるからでしょうか。
そこで本日の清水寺の縁起を理解しているともつとその見所の意義が
生きてくると思います。
清水寺を一口でいえば、 【安産の祈祷寺】
【三年坂】(産寧坂しもいいます)・【子安の塔】の配置からも
頷けます。
清水寺
延鎮と行叡居士と出遭った場所 (奥の院)
【清水寺の縁起】
794年平安遷都される前のこと。
昔々、奈良は高市郡の【小島寺】にとても足の速い、
小僧さんが仏に仕えていました。名を 【延鎮】(えんちん)
と称しました。或る日 【夢のお告げ】 があり、むしょうに
足はある方向に向かってとまりませんでした。
何と、未だ京の都も制定されていない、少し前に、東山の
山麓で、足が止まりました。
不思議や、延鎮の前に、杖を突いた白髪の仙人が現れました。
【行叡居士】(ぎょうえこじ)と言う方で、庵を設けて、
修行されていました。
【行叡居士】は、【延鎮小僧】 さんに 「この霊木で観音さんを
彫り、祀って護りなさい」 と伝えて、姿を消されました。
8 年がかりで、彫った観音さんを、山中で、祠を建てて護りました。
或る日、鹿狩りで、「雌鹿を射止めた」 【坂上田村麻呂】
( さかのうえたむらまろ)と、ばったり出くわしました。
延鎮は、「何故そんな殺生するのか?」と問いただすと
「妻が腹ぐみ、雌鹿の生き血を飲むと安産する」との
迷信に、延鎮は、戒め「私の彫ったこの観音さんに祈る事により
きっとお恵みが有ると」と説得。事の理をわきまえた
田村麻呂は、雌鹿を鄭重にこの地に葬り、妻と一緒に
観音さんを日参されました。
日も満ちて、【玉のような男の子】が誕生しました。
大喜びで、貧しい、祠を素晴しい大きい御堂を田村麻呂は
寄進しました。
この噂は、村中に広がり、われもわれもと参詣する人が
増え、御堂前は、混雑しました。そこで、岩間に懸崖を
造り、出来上がったのが、現在の 【清水の舞台】 と
成りました。 【清水寺は安産の祈祷寺】 が本来の姿で
衆派も奈良の 【北法相宗】 (きたほつそうしゅう) と
されています。 京都一観光客が多いにも拘らず、
写真の場所に歩を止める方は、皆無に等しいことが
残念で成りません。立札にも説明が載せてありますが、
忙しくって、目にも触れられません。
清水の舞台の入口には、 【開山堂・田村堂】がありますが、
非公開もあって、目にとまりません。
坂上田村麻呂夫妻・延鎮和尚・行叡居士の像が祀られています。
次回、拝観順に4回シリーズで見所をご紹介したいと思っています。

三年坂 (産寧坂ともいわれます)

准抵観音さんの左に 赤ちゃんをだっこしたお地蔵さん

最近に復活完成間近の【子安の塔】