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masatosdjさんComments
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やっと秋らしく、成りましたもみじは11月末ごろになりそうです。
京都大学に最も近い 観光寺院の【真如堂】です。旧三校の校歌
くれないもゆる に出てくる 「吉 田山」 に位置します。
金戒光明寺に隣接し、奥に存在する 「会津藩の殉死の墓地」
を通り抜けますと、「三井家の墓地」から真如堂に通じています。
法然上人さんが、比叡山からの辿られた寺院関係を続けています。
応仁の乱を免れた阿弥陀如来さんを祀る
三重塔
【真如堂】 (しんにょどう)【眞正極楽寺】(しんしょうごくらくじ)
天台宗
山門派 開基戒算山号 鈴声山(れいしょうざん)
銀閣寺庭園の小高き枯山水の滝組の道から望める前方に
見えます「吉田山」 (旧三高の校歌で有名)を一名【神楽岡】
(かぐらおか)とも言われます。
即ち「山号」として「鈴声山」で「仏法有縁真正極楽の霊地と
されていました。
その岡の南の方に「真如堂」が建てられています。
本尊阿弥陀如来像は、 【頷ずき弥陀】 (うなずき)と呼ばれ、
作者は、慈覚大師円仁(天台第三世座主)が比叡山で彫り
終えられたとき、
「修行者の本尊に成って下さい」 と問いかけられると弥陀は
頭を三回横に振られ否定されたそうで、
「それでは都に降りて一切衆生、特に 女性をお救い給え 」 と
念じられましたら、弥陀は三度うなずかれたそうです。
比叡山常行堂に安置されていましたが、後に開山戒算上人が
「真如堂」の本尊としてお招きされました。ひととき女性と言う事で
「一条天皇の母君」「藤原詮子」離宮に安置されたともいわれています。
「来迎の阿弥陀像としては、最古で、応仁の乱でも逃れておられます。
向井去来の歌碑
法然上人・親鸞上人も比叡山から悟りを開いて先ず此処の
阿弥陀さんに礼讃されたことで、向井去来も詩を残しています。
涼しさの 野山に満つる 念仏かな 去来
そして、去来の大きい墓が境内・塔頭に有ります。
嵯峨野落柿舎にも小さい墓 がありましね。
【日本三如来】 信濃善光寺の阿弥陀如来・
嵯峨清涼寺の釈迦如来・真如堂の阿弥陀如来
左端が大文字です。8月16日送り火が灯されます。
涅槃の庭 ねはん
背景大文字如意ケ嶽
涅槃の庭の別庭に
近代感覚の石庭
【涅槃の庭】 (ねはんのにわ)大文字「如意ケ嶽」東山を
借景として、石組みで釈迦の横たわれた姿が見られます。
別に【涅槃図】も掛け軸として存在し、珍しく猫くんが神妙に
画かれています。何故ならお釈迦さまが中毒で、お母さんの
摩耶(マヤ)夫人が天より、薬袋を投薬されましたが、周りに
「沙羅双樹」が有り。その樹の枝に引っかかって届かず、
(絵にもあります)ねずみくんが、登って取りに行こうとしたときに
、猫くんが阻んで、お釈迦さまに届かなかった次第。猫くん
「ご免なさいと反省しきり」
借景の東山も、大文字山(如意ケ岳)がお釈迦さんの頭と
して寝て居られる姿が見えます。
春日局の桜
【春日局の桜】 本堂の横に「春日局のお手植えの桜」家光の
乳母で 父上の「斉藤利三」の菩提 を弔うために植えられました。
其の側に「利三の墓地」が又恩人の絵師「海北友松」
(かいほうゆうしょう)その外「落柿舎の住人」芭蕉門下十哲
「向井去来」の墓も有り眠っています。奥には「三井家の墓」
が広々と有りました。
境内に去来の寺がありました。
わらべ唄にもうなづき阿弥陀さまの庶民の暮らしへの思い遣りが
伺えるようです。
ああ 真如堂(しんど) めし黒谷さん(くったか)
ここらで一ぷく永観堂(ええやろう)
お茶漬さらさら南禅寺(何杯や)
何れも、最近アップしました関連のお寺が当時から数え歌として
民衆の人々に親しまれた寺院であることが、伺えそうです。
次回は、哲学の道沿いの法然院に参ります。