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銀閣寺から法然院そして安楽寺沿いに哲学の道があります。
その疎水の入口に、熊野若王神社があり、過日道を間違い
苦労して、瀧を見て折り返ししてきました。
本日、新島襄そして八重の墓地にアタックしてこようと思います。
法然院の側にやはり念仏修行の安楽寺があります。(非公開)
キリスト教への弾圧だけでなく、解かり易く一般民衆にも会得出来る
法然上人・親鸞上人の説かれた宗教に法難の歴史がありました。
安楽寺山門の前に掲げた「京都市の立札」です。
安楽寺
住蓮山と号し、浄土宗の寺院である。
鎌倉時代の初め、現在地より東一キロメートルばかりのところに
法然上人の弟子住蓮坊、安楽坊二僧が、念仏場を建てて人々に
念仏をすすめた。たまたま後鳥羽上皇官女松虫、鈴虫が教化を
うけてひそかに出家する事件がおこり、上皇の立腹をうけ、
「念仏停止」の宣下によって、二僧は死刑、法然上人は土佐へ
親鸞上人は、越後へと配竜流された。
これがいわゆる建永二年(一二0七)の法難であるが
下って室町時代の末、天文年間(一五三二~一五五五)二僧の
供養のため伽藍を之の地に再興したのが、当寺である。
本尊阿弥陀尊像を安置し傍らは、住蓮、安楽両上人
松虫、鈴虫両姫の座像、法然上人張子の像等をまつっている。
また境内右手に住蓮、安楽両房の五輪石塔
東方山林中に松虫、鈴虫両姫の五輪石塔がある
京都市
入口の門
本堂
本堂の背景
庭園 千両
【安楽寺の縁起】
「紫の庵の明け暮れに 心を澄ます谷水の
流れを人の聞き伝え 人里まれなる鹿ケ谷(ししがだに)
なお山深く分け入りて 紫の庵を結びつゝ」
「御門の寵愛浅からず 数多の官女の嫉妬より
とかく浮世を厭い捨て 菩提の道を求めんと
一念心を傾けて 剃髪染衣を求めんと」 安楽寺和賛
住蓮上人・安楽上人お二人の念仏のお話に惹かれて、大勢集まり、
精進の妨げと更に山深く庵を求められたとき、一匹の白い鹿に
導かれ鹿ケ谷の山中で姿を消したので、
仏の導きと、其処に紫の庵を設けられました。
一方、後鳥羽上皇の寵愛を一身に受けた 女官、松虫・鈴虫は、
当初清水寺で法然上人のお話に救われ、後に 上皇の紀州への
みゆきの留守に、宮中を抜け出し、此処「紫の庵」に駆け込み
、上人の宮中へ帰ることを進めるも、
仏道への志高く、両姫は見識も高く美しい姿も投げ捨て、両上人に
よって、剃髪をされ、出家されました。松虫19歳・鈴虫17歳でした。
女官 鈴虫・松虫の五輪石塔
五輪石塔に至る 小さい門
後鳥羽上皇の逆鱗は恐ろしく、兼ねてより意向に適わぬとして、
住蓮・安楽上人は斬首。 法然上人は讃岐国(高松市)・
親鸞上人は越後国(上越市)に流罪。
【建永の法難】 (1107年) 仏道の僧でありながら罪とされました。
(謹んで訂正しました。)
心無い権勢は出来ません、それから14年後に
【承久の変】( 1221年)鎌倉幕府を打倒されるはずが失敗
後鳥羽上皇は隠岐に順徳上皇は佐渡島へ天皇が配流され
土御門上皇は自ら土佐で過ごされました。
天皇が配流なんて、私の時代には教わりませでした。
松虫・鈴虫尼僧は、自分の行いが原因で、両上人が、殉教されたと
知り、嘆き悲しみその後、瀬戸の生口島(いくのしま)(尾道市)で
念仏を捧げ松虫35歳・鈴虫45歳で入寂。
後に、法然上人が戻られ、此処に両上人の菩提を弔う為、草庵を
復興「住蓮山安楽寺」と名付けられました。
仏足石
【鹿ケ谷かぼちゃ】(ししがだにかぼちゃ)
無病息災のために、7月末の夏場の健康維持のためにも、寺院で
炊き出し行事が行われます。
帰路からみた表門