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masatosdjさん
marine/マリンさんComments
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朝の続きです字数制限で2回に亘ります
【待賢門院】 お父上藤原公実とは、若くして死別 【藤原璋子】
(ふじわらのしょうしたまこ)として、74代鳥羽天皇の中宮(皇后)・
75代崇徳天皇・ 76代後白河天皇の母君 後に「女院号」
【待賢門院】と呼ぶようになりました。大変美貌でお父上無き後.
白河院の加護を受けて居られる内は、良かったようですが、
保護者の崩御後、旦那の鳥羽天皇が「得子」後の「美福門院」に
心を寄せられ、待賢門院は、信仰も厚く、出家して「法金剛院」で、
生涯を送られましたとか。五位山の北麓に、【花園西陵】として
御陵が有りました。とても静かな場所に眠って居られました。
【妙心寺】のほんの側でした。近所の人も関心を持たないほどでした。
御陵の前の豆腐屋さんに聞いても「さぁ~」と関心のないことに驚きです。
やっと手探りで見つけました。感動でした。
参道
花園西陵
待賢門院さんの皇后陵
【青女の滝】 (せいじょのたき)石組みは平安時代で、日本最古の
人造滝石組みと言われています。
【歌碑】 待賢門院に仕えた侍女 【待賢門院堀河】 の 百人一首 。
尚 【西行法師】 も訪れたということです。法師は、源氏の武士で
詩歌の精通で恋慕するも、出家して地方を行脚したと云います。
美しい待賢門院さんに武士のころから慕っていたようです。
「長からむ心も知らず黒髪の
乱れて今朝は物をこそ思へ」
待賢門院堀河
歌碑 百人一首
次回は同じく奈良の宗派を持つ 清水寺をご案内します