徒然日記

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日航機事故・遺族の手記・その1



夏の高校野球で、憧れのPL学園を応援したいからって、伊丹の叔父さんに頼んで「チビッコVIP」で、初めて飛行機に乗ったのね。
あの日、羽田空港で、健ちゃんをスチュワーデスの方に託し、「じゃあいってらっしゃい」と云った時、何かはにかむようにママを見上げたまなざしは、今も瞼にやきついて、忘れられません。

夕空に消えていく飛行機を見送り、家に帰った途端、テレビで健ちゃんの乗った飛行機がレーダーから消えたと云ったんです。
そんなはずはないと、ママは何度も打ち消しました。

けれど、飛行機が山の中へ落ちたと聞いて、ママは、パパと一緒にリュックサックに、健ちゃんの着替えやスニーカー、雨合羽、缶ジュースなどを入れて、すぐに現地にむかいました。

せっかく現地まで駆けつけたのに、警察が一般の登山を禁止していました。でも、二日たっても健ちゃんが見つからず、きっと谷底か、どこかで助けを待っているのだろうと思うとたまらなくなって、パパとママは警察の眼を盗んで、親切な猟友会の方にお願いして、急傾斜の山を這うように夢中で登りました。
屋根に近づくと、大きな樹がなぎ倒され、飛行機はばらばらに散らばって燃えていました。そこから先は、警察や自衛隊の人がびっしりしていて登れません。錯乱し、黒く焦げた機体を見て、さすがに健ちゃんが生きているという望みの糸が切れました。「熱かったろうね、どんなに心細かったろうに、連れて帰れなくてごめんね。」と云い、近くに燻ぶっている機体に、健ちゃんの好きなジュースをかけて、急かされて降りました。

それから健ちゃんを見つけるために遺体安置所の棺の列を探し廻りました。やっと「チビッコVIP」のワッペンと、小さなイボのある右手だけが見つかりましたが、頭、胴、左手、足もありません。
でも「やっと会えた、ママは、健ちゃんといつも一緒だよ。一人にさせないよ」と思わず、小さな手に頬ずりをしました。

健ちゃん、あなたのお葬式は、小さな手だけがおさめられた、あまりにも広く軽い棺でした。
肉親の遺体の一片さえもみつからない人の事を思えばと、一時は我慢しようと思いましたが、やはり健ちゃんの遺体の一部なら、どんな形でも連れて帰りたい。
明日からまた群馬に出かけて、野球が大好きだった健ちゃんが天国でも出来るように未確認の遺体の中から右手と足を探します。
その時、ソックスを持って行きたいけれど、セーターや下着が入っているタンスを開けるのが怖い、健ちゃんの匂いと声がするようだから・・・。


健ちゃんを失ってから、幸せというものがどんな身近で、かけがえのないものであったかを改めて悟りました。
中3のお兄ちゃんは、「弟の分まで頑張るよ」と云いながら、今でも夜中ふと眼をさまし「健ともう1度喧嘩したい。なぜ、健は死んだのか、悔しい」と涙を流しています。

パパはいつも黙っていますがお酒を飲んで帰ってきては、独りじぃっと健ちゃんの写真が飾ってあるお仏壇の前で泣いてます。

健ちゃんは9年間という約束で、パパとママのところへ来たんだね。
そしてママにいろいろな事を教えて、残してくれたね。
どうもありがとう。
ママは、健ちゃんとの楽しかった思い出をしっかり胸にしまって、いつまでも、大きくならない健ちゃんを一生抱いていきます。

来年になったら、健ちゃんの好きな大きな鯉のぼりをもって山に参ります。もう怖くなんかないよ、ね?

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